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加藤好啓
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2019/08/18

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  • 国労新潟地本の分裂、国鉄新潟地方労働組合結成 Ⅰ

    国労新潟地本の分裂、国鉄新潟地方労働組合結成 Ⅰ

    久々に更新させていただきます。 新潟闘争の引き金となった、革同派とはどんな派閥なのか?の 国労の中で職能別組合が誕生(中心は菅原栄悦)しましたが、新潟闘争を経た国労新潟は違った動きをすることとなりました。 その前に、新潟地本の引き金となった、革同派(革新同志会)とはどのような派閥だったかを見ていきたいと思います。 革同派(革新同志会)は、その支持政党は「労農党」(無産政党の一つで、労働者農民党がその中心であった、1948年に社会党左派から分裂したものであった、共産党ではないが極めて共産党に近い政党)が中心となっていたが、労農党自体が社会の落ち着きとともに、政党としての勢いを失ったことから、再び…

  •  国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ

    官僚主義に陥る国労という組織 国労は、戦後すぐの昭和22(1947)年に結集された国鉄労働組合総連合会であり、国鉄職員の96%が結集した組合と言われていますが、国鉄の職場は運転・駅業務から果ては、船舶・病院・非現業に至るまで多岐にわたり、昭和26(1951)年には、機関車労組として職能別組合が分裂、その後も同じような職能別への分離が水面下で行われていたようです。 国鉄部内紙、日本国有鉄道の記事、「国労松山大会を聴いて」という記事の中で、傍聴した元朝日新聞社論説委員の見解として、国労自身の問題として、いたずらに階級闘争ばかりに拘っている点を指摘しています。 問題は次のようなことである。自分たちの…

  •  国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅳ

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅳ

    半年も放置状態になってしまいましたが、改めて筆を進めたいと思います。 主には、国鉄民主化への道を参照しながら弊サイト国鉄があった時代、及び国鉄部内紙国有鉄道などを参照しながら進めていきたいと思います。 国鉄当局は、職員ではないものを組合役員とすることを拒否 事の発端は、国労が懲戒処分で解雇された組合役員を再び専従役員として選出したことであり、これに対して当局が強く反発したのが始まりでした。 その辺を弊サイト「国鉄があった時代」から引用したいと思います。 事の発端は、国労第13回大会での解雇された役員を再び専従役員として選出したからであり、当局から何度も警告を受けていましたが、国労自身はさほど重…

  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅲ

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅲ

    前回は、動労・国労が解雇者を専従役員に据えたことで、国鉄当局が反発したところまで書かせて貰いました。 今回は、解雇者の専従役員のことについて少しだけ掘り下げてお話をさせていただこうと思います。 専従役員とは 専従役員とは一般的には下記のように定義されています。 労働組合の活動に専念する者。使用者により従業員としての身分が保障されながら、一定期間組合活動に専念する在籍専従者と、それ以外の非在籍専従者(離職専従者)とに分けられる。一般には前者をさす 引用:コトバンク kotobank.jp 国鉄の専従役員もILO87条が批准されることで、組合専従者とする場合、期間5年、組合専従期間は勤務時間に反映…

  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅱ

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅱ

    4ヶ月近く放置状態になってしまいまして申し訳ございません。 再び、国鉄民主化の道からお話を進めさせていただこうと思います。 新潟闘争前の松山大会 国労内における派閥闘争は大きくなり、新潟闘争前に松山で開催された定期大会では派閥争いが激化していたと言われています。 その背景には、跳ねっ返りの強すぎる地本と指令返上した地本などの扱いにおいて右派(新生民同派)が強いからとか、革同・共産党が原因だと言った議論が百出したとされており、本来であれば派閥と言う問題を昇華して行くべきなのですが、解消どころか派閥闘争というもう一つの組合内闘争が露顕したのでした。 その背景には、先ほど書きましたように。 本部の指…

  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前)

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前)

    またまた2ヶ月ほど開けてしまいましたが、改めて鉄労視点から見た新潟闘争前後の話をさえていただこうと思います。 講和条約での扱いをめぐって社会党内で、右派と左派に別れての問題はそのまま労働組合にも派生することとなり、社会党左派を支持するグループと、右派を支持するグループに分かれ、これは国労内では民同派と新生民同派に分かれることとなり、民同派は左派、新生民同派は右派という色分けとなっていました。 そんな中、国鉄内での組合運動はますます激化し、政治運動などを中心とする組合運動に変節していきました。 また、機関車労組は、設立当初の穏健な運転局に庇護されるような組合から徐々に左傾化し、その運動は過激さを…

  • 国労中央本部の指示が届かない?指令ボイコット及び指令以上の過激な行動する分会も・・・・一枚岩ではない国労を露呈

    国労中央本部の指示が届かない?指令ボイコット及び指令以上の過激な行動する分会も・・・・一枚岩ではない国労を露呈

    再び2ヶ月ほど空けてしまいましたので、改めてアップさせていただきます。 政府が国鉄の労働者処分を検討していると思われる発言をして物議を醸すことに 前述の通り、国鉄で行われた抜き打ちストなどに対して、処分が検討されていたわけであるが、当時の労相、松浦周太郎は以下のような発言をした。 労相の松浦周太郎は、32年5月3日、名古屋での記者会見で「国労の解雇処分は、40人、31人、18人という3案がある。処分するにも革同派と民同派のバランスを考えている。他の公社には解雇は出ないだろう」と語った。各新聞は大きく報道した。「調停案や仲裁裁定をめぐる問題で、公舎当局をおさえて全面に出てきた政府は、処分まで自分…

  • 国労と賃金闘争の話、業績手当支給に政府が介入して大混乱を招くことに

    国労と賃金闘争の話、業績手当支給に政府が介入して大混乱を招くことに

    三ヶ月近く更新もままなりませんでしたが、改めてアップさせていただこうと思います。 今回は時系列的に行けば新潟闘争そしてその前の白新線での要員問題などになるのですが、同じ話を繰り返すのもあまりよろしくないので、今回は一気に駒を進めて新潟闘争以降の話しに駒を進めたいと思います。 その前に、国労40年史に新潟闘争のことが書かれていたのですが、中々客観的に書かれておりますので、合わせてここで新潟闘争に至るまでの概略を引用しながら書かせていただこうと思います。 当時の国鉄当局と組合の関係はかなり強い緊張関係にあり、生産性運動以降のなれ合い的体質ではなく、当局は違法ストライキの首謀者を解雇などの処分攻撃を…

  • 国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と

    国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と

    久々に更新させていただきます。 今回は、当時の春闘に関して、国鉄当局・組合の関係を中心にご覧いただきます。 今回は新潟闘争前等、昭和32年(1957)春闘を取り上げています。 国労内にあるいくつかの派閥 今回は鉄労視点とは言いながらも、国労内の動きに注目していこうと思います。国労という組織は機関車労組が分裂したとはいえ、依然国鉄を代表する組合でしたが、必ずしも1枚岩という訳ではなく、大きく分ければ社会党を支持する民同・革同派や、共産党系等が存在していました。 国労という組織の中には、左派と言える革同派とより穏健な民同派があった 1957春闘が、新潟藤堂のきっかけとなった重要な位置づけ 特にここ…

  • もう一つの国労からの分裂、職能労連

    もう一つの国労からの分裂、職能労連

    国労から分裂した、新生民同派 国労の新潟闘争は、新潟地方労組を結成することとなりましたが、それ以外にも国労を脱退した、「労働問題研究会」というグループがありました。 彼らは、国労内の新生民同派(いわゆる民同派右派のグループ)と呼ばれており、職能別の組合とすることを目的としていました。 新潟闘争前の、昭和32年6月松山市で開催された国労大会で下記のように解雇された職員が専従役員に選任されたことに対して反発を感じたわけで、っくろうないに設けられていた職能別協議会を発展させて、職能別組織として再編しようと考えたそうです。 国労第16回定期大会開催、解雇三役を再選 6/22~6/27 松山において国鉄…

  • 新組合結成、その後 国労から脱退する組合員

    新組合結成、その後 国労から脱退する組合員

    長らく空けてしまいましたが、久々に更新させていただこうと思います。 「現在の国労新潟地本の執行部は信頼できない」として、新たに「国鉄新潟地方労働組合」が昭和32年8月24日に新組合結成準備大会を開催したそうです。 翌日が国労新潟地本の定期大会であったので、反省を促す意味を込めてあったのではないかとされています。 この時点では、その後新組合は誕生しておらず、新組合結成に動く代表者は、国労新潟地本の代議員として定期大会に出席し、あるものは地本批判をしたとされています。 その辺を、国鉄民主化への道から引用してみたいと思います。 ”新組合結成準備大会"は、8月24日午後一時から、新潟市の小林ホテルで開…

  • 新潟闘争後 新組合結成と国労新潟

    新潟闘争後 新組合結成と国労新潟

    新潟闘争後、新地労誕生 新潟闘争中に、各職場から国労を脱退した職員は、200名近くになったそうですが、闘争終了後抗した脱退者が、国労組合員から虐められたり、村八分にされたりしたそうで、新潟闘争前の昭和30年2月1日に「組合を守る会」を結成したものの、当時の新潟地本から、村八分にされたり、虐められることがあったことから、そうした事態を危惧した、元「組合を守る会」の幹部が話し合って、新しい組合を作ろうという話になり、第一回の結成準備会が昭和32年8月4日に開催され 「現在の国労新潟地本の執行部は信頼できない」 この点で、意見が一致したものの、どのような組合を作るかについては結論が出なかったとしてい…

  • 新潟闘争後の国労新潟の動きを中心に (新組合結成)

    新潟闘争後の国労新潟の動きを中心に (新組合結成)

    二ヶ月近く更新が滞ってしまいましたが、再び国鉄民主化への道を参照しながら、他の資料も参照しながらアップさせていただこうと思います。 共産党・革同派の王国だった新潟鉄道管理局管内 新潟闘争前の新潟地本は、共産党・革同派の拠点であったそうで、新潟地本の委員長が列車に乗っていることが判ると、ホームに走って行って敬礼したと言った話も多々あったと、国鉄民主化への道では書かれていますが、現場長の命令よりも組合の命令が優先というおかしな雰囲気の職場であったそうです。 そんな中、共産党・革同派に反対するグループが新潟に生まれつつあり、昭和30年2月1日に「組合を守る会」が結成され、約600人が参加したとされて…

  • 支社制度、具体的な取り組みを四国支社に見る【国鉄当局部内紙から参照】

    支社制度、具体的な取り組みを四国支社に見る【国鉄当局部内紙から参照】

    鉄労視点と言いながら、今回は当局の支社制度設定の狙いなどを当時の資料を参照しながらご覧いただこうと思います。 本社の権限を降ろして支社で自発的な行動を期待 支社による積極的経営を期待 旅客車について 貨物輸送について 参考資料として 本社の権限を降ろして支社で自発的な行動を期待 国鉄の制度が改革されて、支社制度が発足したのは昭和32年1月16日ですが、発足は、本社が権限を集中させてしまって全体が見えなくなっている事への反省もありました、そこで支社に権限を委譲させて、本社は企画部門などを中心にしていく方向性が示された訳で、昭和32年12月には公共企業体審議会が、「現行の支社制度を強化徹底し、独立…

  • 国鉄における支社制度発足

    国鉄における支社制度発足

    国鉄発足と鉄道局の改編 この制度が発足する以前は、鉄道局に代わるものとして、地方機関を統括する制度として昭和25(1950)年8月1日に 国鉄発足直後の管理体制 この改正は、GHQの意向によるもので、経理と営業部門が本社直轄となっていました。天王寺鉄道管理局50年史によりますと、元々天王寺管理部が改組して、天王寺鉄道管理局になったそうです。管理局の仕事は、輸送および車両、施設の保守等の内面的業務の管理が中心で、運賃料金制度の確立や経理事務などは別途、営業事務所・経理事務所で行われることとなっていたそうです。 鉄道管理局(占領軍時代) 総支配人制度発足 その後、改めて講和条約発効後の昭和27年8…

  • 国労大会の模様から

    国労大会の模様から

    いつもは、「国鉄民主化への道」から、アップさせていただくのですが、今回は少し毛色を変えて、国鉄部内紙(国有鉄道 昭和31年10月号)の記事「国労大会」から見ていこうと思います。当時、機関車労組は、国労から分裂していましたが、まだ鉄労は誕生しておりませんが、翌年の新潟闘争の引き金となった、「白新線要員闘争」や、西宇部闘争(後述)に対して、国労の中で、闘いが中途半端でなかったのかという批判が出たりしています。 新潟闘争勃発前の話 話は前後するのですが、今回は初めての春闘後の動きとして、昭和31年に実施された国労大会の様子からお話しをさせていただこうと思います。 新潟及び広島の代議員から、春闘に対す…

  • 春闘のはじまり 第3話

    春闘のはじまり 第3話

    久々に更新させていただきます。 今回も春闘の始まりと言うことで、国鉄民主化への道を底本にご覧頂こうと思います。 神武以来のストライキ 朝鮮動乱で、経済復興のきっかけを作った日本は、順調な経済発展を遂げ、家電製品の(電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ)が「3種の神器」と言われ、昭和31年7月経済企画庁(当時の名称)から発表された第10回経済白書では、もはや戦後ではないとして高らかに謳っています。 戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして…

  • 社会統一と保守合同(番外編)

    社会統一と保守合同(番外編)

    55年体制始まる 昭和30年(1955)は、政治にとって非常の興味深い年でもありました。 左派と右派で分裂の危機にあった、日本社会党保が再統一を図り、ともに保守政党である、自由党と民主党が合同して、現在の自由民主党が誕生することとなりました。 これにより、保守党である、自由民主党は、憲法改正発議のギリギリの2/3弱を維持し、社会党が残り1/3(他に日本共産党、無所属など)による保守合同が実現した年でも有りました。 この体制は、「一と二分の一政党制」とも呼ばれたそうで、政権党である自民党は憲法改正発議をするのは定数が足らず、社会党も1/3のため、政権を獲得することは出来ない万年野党という体制が固…

  • 春闘のはじまり 第2話

    春闘のはじまり 第2話

    春闘のはじまり第2話として、今回も引き続き、鉄労の国鉄民主化への道を底本にして、ご覧いただこうと思います。 昭和30年、国鉄にとって大きな変換点 さて、春闘が始まった昭和30年、国鉄を取り巻く環境として、下記の通り二つの大きな出来事がありました。 日本生産性本部の発足 保守合同、自由民主党の誕生(自由民主党の誕生は、同年11月15日) 国鉄総裁に十河信二が就任 です、生産性本部はご存じの通り後にマル生運動であり、生産性本部の指導の下、生産性運動が始まったことはご存じの通りです。 なお、十河総裁の就任は、長崎惣之助総裁が紫雲丸の沈没事故を受けて、辞表を提出したことを受けたもので、当初は、運輸大臣…

  • 春闘の始まりと労働組合

    春闘の始まりと労働組合

    春闘のはじまり 春闘、最近は春闘と言っても、本当にストライキをしたりするわけでもないので形骸化したイメージがありますが、春闘という言葉が最初に使われたのはいつかご存じでしょうか? 春闘は、昭和29年、総評加盟の5つの単産*1(炭労、私鉄総連、合化労連、電産、紙パ労連)で「共闘会議」)を開催したのが最初で、その後、全国金属、化学同盟、電機労連が加わった、「8単産共闘会議」が行った統一行動が最初であったとされています。 何故、春闘を行ったのかについては、「酒井一三著 職場に労働運動を」に詳しく書かれていますので、引用したいと思います。 そこで春闘が始まるようになります。1955年(昭和30年)には…

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日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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