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2019/08/16

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  • 湯殿山大日如来堂(郡山市)

    1 解説 郡山市大町一丁目にある湯殿山大日如来堂は,行者山海が出羽国の湯殿山より奉じ,庵を建てて安置した物である。 明治維新以前は,奥州街道に面しており,郡山宿の北集落の信仰を集めていた。しかし,明治維新後の神仏分離の布達が発せられたため,世話人が相談して,本尊を如法寺に移した。 明治18年(1885年)8月,大町四丁目の一隅より失火した火事で町内の大半が焼失,その際,女郎屋の主人が妻子を助けるため火の中に入ったが帰らず,また,それを助けるために火の中に入った者もまた焼死した。焼死者は,大日如来堂の移転の際の世話人だった。 また,堂移転の世話人の家に狂人が出たりするなど不幸が重なったため,人々…

  • お不動様の怒り(岩瀬郡天栄村)

    1 概要 下松本,横内集落両方の山間に,不動尊を祀るお堂が建立されている。傍らには清水が流れ,お堂内の安置された不動明王像は唐金製で,日本三大不動様の一つに数えられている。 昔,この不動様を,北郷方面の者が参拝に来た時,風呂敷に包んで盗んだという。人々はそれとは知らずにいたが,やがて,清水が流れる量が少なくなるのと,この清水に棲んでいるとされていた,目に見えない鰻が浮かび上がるようになると人々は驚き,お不動様にお参りに行くと,お不動様の姿が見えないことが判明した。 住民達は騒然となり,年寄りの女性達がわか様に聞きに行くと,お不動様は盗まれたので七天王様をお参りせよ,また,東方に火難があるから気…

  • 神様の咎め(南会津郡只見町)

    1 概要 ある者が,焼畑の下の熊の沢という所に毎年葭小屋(よしごや)を掛けていた。 その場所はマムシがたくさんいたのだが,ある年,やはり葭小屋を掛けたところ,マムシが至る所に這い上がり,小屋中びっちりだった。 熊の沢のデト(出口)に熊野様があり,これは熊野様のお咎めだと思い,沢から水を汲み岡で身を洗い,熊野様にお詫びをして小屋の中に入ると,あれ程いたマムシが一匹もいなかった。 その後,その沢に行く際には,決してマムシは捕ってはならないと周囲に話した。マムシの多い場所ではあるが,それでも,誰もマムシに咬まれたという人はいなかった。2 解説 「焼畑」が地名なのか,農業のことを差すのか不明である。た…

  • 山小屋の怪異(南会津郡南会津町)

    1 概要 私(話者のこと。四十雀ではない。)の父は山仕事をしたり,狩場が非常に好きで,水引の奥に鱒沢という沢に泊まり狩場にしていた。 ある春先,幾人かで熊捕りに行ったところ,一日中雨に遭い,なんとも出ることができなくなり,山から雪崩が落ちそうなことや,何やら変に感じることもあり,小屋でゆっくり休むこととし,朝食後,皆で小屋で寝転び話をしていた。 すると,小屋の入口から,三,四歳くらいの大きさの子供が小屋の中に入って来た。小屋の皆は,確かに入って来るところは見たのだが,中に入って来たと思ったら姿がすぐに見えなくなり,そうすると体が縛られたように動かなくなり,父に言わせれば,なんというか,ぐるぐる…

  • 掛け軸になった幽霊(大沼郡会津美里町)

    1 概要 会津美里町に松沢寺という寺がある。 慶長9年(1604年),同寺に秀可という和尚がいた。ある秋の深まった夜更けのこと,夜中に秀可和尚が目を覚ますと,人気のないはずの本殿から,しくしくと女性の泣く声がして,何やら恨みかき口説いている様子であった。 その声はか細く,秀可和尚の臓腑につき刺さるようで,何事かと襖越しに覗いて見ると,髪を振り乱し白装束を着た女性の幽霊が,本堂の床にひれ伏して嘆き悲しんでいた。秀可和尚は思わず,固唾を呑んで見ていると,やがて明け方近く,女性の幽霊はスーッと消えてしまった。 秀可和尚は次の夜,女性の幽霊がどこから来てどこに去るのか,ひとつ正体を確かめてみようと思い…

  • 夜泣き石(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 昔,源翁和尚という高僧がいた。源翁和尚は越後国萩村出身で,幼少の頃に陸上時に入り沙弥となり,七歳で倶舎論を論じ,16歳で剃髪,18歳で禅門に入り峨山禅師に師事し悟りを開いたという。 この源翁和尚は,那須野が原で大きな石(殺生石)と化した後も附近の草木を枯らし,動物を殺していた金毛九尾の狐を退治しようと同地を訪れ,経文を唱えながら藜(あかざ)の杖でこの石を打ち据えると,石は微塵に砕けて四方に飛び散った。 飛び散った石片の一部は会津にも飛び着て,その一つは土田新田村の土田墓地内に,もう一つは猪苗代湖と強清水の間にある大野が原に落ちた。 源翁和尚は,殺生石を打ち砕いた後全国行脚の旅に出てい…

  • ミズチ(大沼郡昭和村)

    1 概要 昔,上林村(現喜多方市)に福地越後という人がいたが,ある日,蘆名の殿様の命により,大芦の土地を拝領した。 大芦の地はその名の示すように,辺り一面に芦が密生し,その上山が嶮しくそそり立つ,せいぜい鷹狩りができる程度の土地で,とても人が農業をして住めるような場所ではなかった。 越後は,主命であることから,一族を率いやって来たものの,とんだ僻地に来たものだと長嘆していた。 しかし,いつまでも嘆く訳にもいかず,田を開拓しようと考え,思いついたのは,周囲200mもある沼を干し,水尻にある八つの沢を同時に開拓しようと考え,早速許可を得て工事に着手した。 人々は,己の耕地が持てると喜び勇躍,作業を…

  • 古獺(喜多方市)

    1 概要 昔,北方(現在の「喜多方」の当て字)に,武右衛門という者がおり,会津川の下流に簗をかけ,鱒を取ることを生業としていた。 ある年の晩秋,例により簗をかけていたが,どうしたことか簗が壊されていた。武右衛門は悪童の悪戯と思いながら簗を修理したが,翌日もまた簗が壊されていた。このようなことが幾日も続いたため,腹を立てた武右衛門が,ある夜更けに簗場に来ると,魚が一匹もかからない代わりに,年老いた姥がかかっていた。 驚いた武右衛門が, 「何者だ!」 と一喝すると, 「そういうのは武右衛門か,わしは庄七の母だが,ささいなことで嫁と喧嘩をし家を飛び出してきたが行くあてもなく,さりとて家にも帰れず,思…

  • 沼沢沼の大蛇(大沼郡金山町)

    1 概要 昔の沼沢沼の周囲は樹木が鬱蒼と生い茂り昼なお暗く,常に雲や霧に閉ざされていた。 ことに,沼には雌雄の大蛇が主として棲み,近寄る人々に危害を加えたため,人々はこの付近一帯を「霧ヶ窪」と呼び恐れていた。 時の領主佐原十郎義連は音に聞こえた豪傑であり,この沼の話を聞くと,魔性の大蛇を退治し領民の不安を取り除こうと,約5,60人の家来を連れ沼沢沼へと訪れた。 義連は沼のほとりまで来ると,まず部下達に命じて舟や筏を造らせ,自らが先頭に立ち沼の中程まで漕ぎ進め,沼の中に矢を射こみながら,大声を上げ大蛇を罵り騒ぎ立てた。 すると,今まで晴天だった空が,山際から湧き出た黒雲のために忽ちのうちに覆われ…

  • 砂防ダム(須賀川市)

    1 概要 須賀川市(旧岩瀬郡岩瀬村)の郊外に,この砂防ダムが設置されている。 雄大な自然に囲まれた静かな場所にあるこの砂防ダムは,秋になると素晴らしい紅葉が見られるため,その時期に訪れる方の数も少なくないという。 しかし,その美しい景観とは裏腹に,この砂防ダムも心霊スポットとしての顔を有しているという。 そもそも,この砂防ダムは,自殺が多い場所とされているらしい。そのためかどうかは分からないが,この地を訪れた者が,異様な臭気を感じたかと思うと,水面に浮かび上がる無数の腐敗した人間の姿を目撃したという話がある。 また,この近くの大滝では,滝の下を子供を連れている女性の幽霊を目撃したという話もある…

  • 幻覚坂(西白河郡西郷村)

    1 概要 西郷村には通称「幻覚坂」と呼ばれる坂があるという。 この坂で車を停め,ギアをニュートラルにすると,視界に広がる先は下り坂なのに,車はゆっくりバックするという,目の錯覚が原因の現象が発生する場所である。 しかし,上記のメカニズムは目の錯覚という原因が判明しているが,その原因が判明しない現象が発生する場所ともいう。 例えば,この坂の近くには,スクラップにされた複数の車があるようだが,その中でクラウンを見ると必ず事故が発生するという話があるほか,幻覚なのか幽霊なのか分からない,バイクで引きずりまわされる男性や,血の気のない朦朧とした男性の姿が目撃されるという。 一説によれば,この地にはかつ…

  • お玉ケ池(郡山市)

    1 概要 郡山駅東口方面に,「お玉ケ池」と呼ばれる池が現在もひっそりと存在している。 この池は,江戸時代末期,郡山の中町にあった,とある老舗の遊女が,情夫の無情と抱主の仕打ちを恨み,この池に身を投げたことから,その遊女の名を取り「お玉ケ池」と名付けられたという,曰く付きの池である。 その後,この池ではお玉の幽霊が出たという噂が流れ,不気味さも漂うことから人々はこの辺りを通ることを嫌がり,周辺は荒れるに任せていたという。 なお,この辺りには「おさん狐」という人を化かす狐が住処としており,周囲の村人(横塚村)の人々は怖れていたという。2 解説 江戸時代の郡山市(現在の郡山駅西口付近)は宿場町(郡山…

  • コックリさん

    0 はじめに 私か,私より上の世代の人には馴染みのあるコックリさん。友達と秘密にやったことがある方も多いと思われる(大抵の学校では禁止されていたと思われる。)。 今回は,コックリさんについて,文献を元に様々な視点から考察してみたい。 なお,コックリさんが何か分からない方もいるかと思うので,簡単にその概要を書かせていただくと,コックリさんは一種の占い,そして心霊現象(狐の霊を呼び出す降霊術)とされ,後述するように,呼び出したコックリさんに質問をし,その回答を得る,というものである(場所により「エンジェルさん」と呼称する場合もあるが,基本的に同様のものと考えている。)。 今回,ここでコックリさんに…

  • タクシーに乗った幽霊(郡山市)

    1 概要 昭和の始めのお彼岸の頃,郡山市の如法寺の前をタクシーが通りかかった所,若い女性が手を挙げて車を停めた。 当初,運転手は,この女性は客とは思わず,自分の知人と関係ある者ではないかと考えた。この時代,まだ若い女性が自動車に乗ることはなかったためである。 しかし,女性は, 「母が危篤なので,下行合まで乗せて欲しい。」 と言う。その女性は,身なりも言葉も怪しいところがないため,運転手は車に乗せ,下行合へと向かった。 するとどうしたことか,急に後部座席から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。車に乗り込むときは女性一人と思っていたが,赤ん坊を抱いていたのかと,気にもしないで車を走らせた。 やがて下行合…

  • 炭鉱の幽霊(いわき市)

    1 概要 常磐炭鉱のあるキリハ(採掘現場)が出水事故で塞がれ,その時,数人が犠牲になった。 その後,出水事故付近に行くと,地底から電話のベルが鳴るような音が聞こえてきたという。 また,ある巻場で落盤があり犠牲者が出た。その後,その巻場へかかると巻手が眠くなり仕事にならないことが度々あり,その巻場だけ増員をした。この現象は,落盤で死んだ者の血が残り,友を呼ぶのだろう,ということになり,お祓いをしろということになり,塩を撒いて清めたという。 坑内で死者が出た時,キリハにいる全員で担架に乗せた後,「アガレヨー」と大きく声をかけ,金物等を叩きながら「ここはイチメヌキだぞう」,「ここはニメヌキだぞう」と…

  • 死人田(いわき市)

    1 概要 「石城北神谷誌」の著者である高木誠一氏の話である(「磐城北神谷の話」という書 物に収蔵。)。 かつて,某家の持つ田があったが,その田で米を作ると必ず人が死ぬ,という言い伝えがあり,その持ち主の某家は死に絶えてしまった。 そのため,誰も恐ろしがりその田での作り手がいなくなり,光明寺という一向宗の寺に上げてしまった。 しかし,分家に当たる叔父が,田畑が不足していること,また,物事に頓着しない性格であることもあり,寺から安く譲り受けてしまった。その後,叔父夫婦は病みついてしまい,二人とも若死にしたという。 その後,この田は明治32年(1899年),鉄道が通る際に敷地となり潰されてしまった。…

  • 二ノ丁化物屋敷の事(会津若松市)

    1 概要 本二ノ丁北側甲賀町の東角に、「御用屋敷」というものがあった。これは、藩主が在国の時、江戸からお供した小姓や屋敷のない侍が住む所で、数十軒の長屋であった。 ある年、江戸からお供してきた片峯九八という小姓がいた。その九八が病気になった時、今は会津勤めになっている山田某という侍が、江戸で親しくしていた昔のよしみと、独身の身軽さで毎晩通い看病してくれた。 山田が看病している時、九八は寝言のように誰かと物語りすることが度々あり、気をつけて見ていたが、別に誰かが来る訳ではなかった。そんなことが二十日ばかり続いた夜、九八の枕元に20歳頃の女が現れ、「私はこの世にいない者で、北青木村の善竜寺にあって…

  • 三ノ丁角場でのいろいろな妖怪の事(会津若松市)

    1 概要 本三ノ丁上の角場(鉄砲の練習場)は、昔から色んな怪しい事があった。 内小田垣に日向新兵衛という人がいたが、ある日、友達を訪ねての帰り道、ちょうど夕暮れ過ぎの薄暗くなりかけの頃、供の者を一人連れ、三ノ丁下から東へ上り角場の辺りまで来ると、前方を百姓らしい男が荷物を背負って行くのが目に付いた。 その男、なんと一本足で歩いている様子である。薄暗くて見誤りかと思い、供の者にも聞いてみると、やはり一本足であるという。気を付けて後を付けて行ったが、同丁の土手際で見失い、何処へ行ったか行方知れずになってしまったという。 また、二ノ丁北側宝積寺通りの東角に住む落合権太夫という侍が、昼から外出して夕暮…

  • 杉浦家の妖怪(会津若松市)

    1 概要 米代一ノ丁諏方通り北側の東角に、杉浦甚五兵衛という400石取りの侍が住んでいた。この屋敷の長屋門西の隅、諏方通りの角にある出格子に化け物が住んでいるという噂が世間に流れていた。 同じ丁の南側、今の聖堂の内、筒井三九郎という人のところに、某医師が同居していたが、ある日、往診に出向いて夜の五ッ(午後八時)頃、杉浦氏の出格子のところに差し掛かると、出格子の内から中音より低く謡の声が聞こえてくる。 その声は麗しく、殊に節音が細やかに面白く感じたので、暫く足を止めて聞き入っていたが、もう帰ろうとして後ろを見たところ、その場所は杉浦氏の出格子の下ではなく、三丁程下の川原町口郭門の辺りをうろついて…

  • 百物語の事(会津若松市)

    1 概要 中林弥一右衛門という人が、ある日友達を集めて四方山話をしていた際、昔から百物語をすると怪しいことがあると言い伝えがある、私も試してみたいと思っていたが、良い友達がいなくて実現できなくていた。皆さん、やってみませんかと持ち出してみたところ、皆もそれは面白い、やってみようということになった。 しかし、お互いの屋敷では、もしものことがあった時婦女子の騒ぎになっては大変、しかも女のくせで、少しのことでも尾に鰭をつけられて喋られては世間の聞こえも悪いので、どこか離れたところで行った方がよいだろうと、城下の南、雨屋村の薬師別当泉王寺を借り、友達4,5人で催すことになった。 当日は法式のように、行…

  • 堀嘉内妖怪を見る事(会津若松市)

    1 概要 一ノ丁大町通り北角に堀源吾という100石取りの侍がおり、その弟の嘉内と同居していた。 ある日、嘉内が友達2、3人を伴い、甲賀町口から自分の家に帰ろうとして、五ッ(午後八時)頃、四ノ丁南側甲賀町通り東角の日向源右衛門の屋敷前まで来ると、丑寅(北東)の虚空から竹笛程の光が、源右衛門の戌亥(西北)の隅の物見の上へ、真っ直ぐに落ちて物見の内に入ったように見えた。 すると、その物見の内でひぃ、という一声がすると、出格子の内が光り、これが見ているうちにすさまじくなった。これを見た嘉内は驚き、急ぎ四ノ丁を下り大町通りへ出て自分の家に帰った。 またある日、友達の所へ行き、夜に入り丑刻(午前二時)に桂…

  • 辰野氏屋敷の事(会津若松市)

    1 概要 本二ノ丁三日町通り東角に辰野氏が住んでいたが、同人の屋敷は昔から怪しい事があると言われていた。例えば、座敷の庭の松の木から提灯程の光る物が、特に雨の夜や月のない暗い夜には必ず出ると言い、人通りもなくなった。 ある正月のこと、辰野氏の屋敷で日待ちの行事に、片原町に住む大慶院という山伏を昼から招いた。宵のうちは、家の人や近所の者が集まって賑やかに過ごしていたが、夜も更けてきたので、山伏殿も少し休んでくださいと言って、集まった人々は思い思いにその辺に横になって寝た。 しばらくして山伏は目を覚まし、もはや夜更けになったようだ、お勤めをする頃であろうと立ち上がった。ところが灯りは消えて真っ暗闇…

  • 五ノ分火事まえしらせの事(会津若松市)

    1 概要 享保八年(1723年)4月初めのことである。その日は小雨が降り、月明かりのない暗い夜だった。 大町に住む町人が、用事があり上一ノ町を下り行くと、一ノ町中程から白い浴衣を頭に被った女が、かなりの隔たりはあるが、先に立ち行くことに気が付いた。 この女が大町札の辻辺りに来た時、後ろから見ると、被っている浴衣の下から手を出すように見えたが、その浴衣の下から、松明の光のように明るく光が差した。 雨の夜の事なので、被っている浴衣の内に持っていた提灯の光が見えたのであろうと思い、女の後ろについて下り大町へ出た。女はそれから七日町の方へ行こうとしているが、どうも怪しく思えてならないので、その行先を確…

  • 原村百姓馬の祟りを受けし事(会津若松市)

    1 概要 原村という所に、心のあまり良くない馬方がいた。欲張りで無法なこの男は、馬にろくな飼料も与えず、昼夜駄賃取りに使っていた。この者は別に貧しくはないのだが、馬に酷い仕打ちをするので、村人は馬方を良く言わなかった。 ある日、馬方が馬を引いて赤井村の村外れにある石橋の際まで来たところ、馬が盛んに嘶くので振り返ると、付けてある荷物を落とし、馬方に襲いかかろうとしていた。 馬方はいつものこと、くらいに考え、綱を持ち打つと、馬は引き綱を切って食いつこうとする。馬方は辺りの丸木を拾い馬を打つと、馬はますますいきり立ち馬方を追い回す。馬方は手を付けることができず逃げるしかなく、その後を馬が追いかけた。…

  • 化け女大酒をする事(喜多方市)

    1 概要 会津北方の小荒井村(現喜多方市)という所に酒屋があった。 ある時、一人の上品な女が酒を買いにやってきた。店主はいくら買いますかと聞くと、女はまず一升ください、と言う。そして、女は出された酒をたちまち飲み干し、聞き及ぶより良い酒ですね、もう一升くださいと言い、先の分の酒代を払うと、次の一升も残さずに飲み、とても甘い酒です、もう一升くださいと言う。 出された二升の酒をあっという間に飲み干し、その上もう一升を催促するのを見た店主は、今まで多くの人に酒を売ってきたが、これ程飲む人には初めて会った、もう酒代はいらないから幾らでも飲んでください、と言い,また一升出すと、女はそれもすうっと飲み干し…

  • 妖気を見し事(会津若松市)

    1 概要 延享三年(1746年)の夏の昼下がり,辰巳の方角(南東方)で地響きがして,家々に当たる音は地震のようであり,また,大砲を撃つ音のようであった。 その時,二ノ丁の御厩の辺りを通行中の者が,丑寅の方角(北東)の磐梯山から,戌亥の方角(西北)の飯豊山の方へ白雲が布を引くように一条見え,その中に散らし髪の女が白装束を着て先頭に立ち,その後に異類異形の怪しい姿の者どもが続き飛んでいくのを見たという。何というものが飛んでいたのであろうかと不思議がっていたという。2 解説 延享三年(1746年),会津藩は松平容貞が藩主であった。この容貞の時代は不作と厳しい年貢増徴があったようで,この3年後の寛延2…

  • 滝沢八幡社跡の妖怪(会津若松市)

    1 概要 会津の北方に滝沢という村があり,その五,六丁北に八幡社がある。 この八幡社は,昔,八幡太郎義家が奥州攻めをした時,京都の男山八幡宮を勧請したもので,境内には樹木生い茂り昼さえ薄暗く,まして夜ともなると梟が鳴き,狐が乱菊の草むらで戯れている,淋しい所だった。 ある人が夜更けにこの八幡社の後ろを通りかかった。その夜は小雨が降り,月さえ暗いような時であった。 その時,何かに後ろからつかみかかられるように感じて,振り返り雲間の月明かりですかして見ると,その顔は一尺七,八寸(約51cm~54cm)もあるかと思われる大法師だった。 この人は恐ろしいとは思ったが,刀を引き抜いて切り捨てようとすると…

  • 新町化物の事(会津若松市)

    1 概要 会津城下に新町という侍屋敷があった。この一番丁の東側,後藤良右衛門の住んでいる家のことだが,古いことで当時の家主が誰かは不明である。 しかし,世人の語り伝えるところによると,当時は連歌が盛んで,近所の人がこの家に集まり,色々連歌を作り遊んでいたという。 ある時,近所の寺の小僧もこの座に加わり,一句勧められたため,「今宵の月は空にこそあれ」という下の句を作ると,辺りの人達は「月はいつも空にあるもの,地に月があるはずがないではないか。」と嘲り笑った。 小僧は赤面し寺に帰り,とても恥ずかしいと首をくくり死んでしまった。 それ以後,毎晩この家に小僧が現れ,「今宵の月は空にこそあれ」と言いワッ…

  • 南山大蛇の事(南会津郡只見町)

    1 概要 会津南山に八十里越えと言う越後に通じる峠がある。この八十里越えに,山から大蛇が出て四方を見回し,その辺りの人家を荒らそうか,それとも越後の浦にでも行こうか,などと首をもたげて,しばらく辺りを見回していた。 すると,山の上から大岩が崩れ落ちてきて大蛇の頭に当たり,大蛇は打ちひしがれて死んだ。 そこに村の人が集まり,大岩を取り除けて見ると,蛇の頭は岩で切られていた。しかし,岩で切られて死んだので所の障りになっては大変であると,斧やまさかりで頭をもう一度切った。その切り口のさしわたし(直径か)がなんと五尺(約1.5m)もあったという。もしこの大蛇が村へ出て暴れたら,多くの人を死亡させ,廃村…

  • 光りものの事(会津若松市)

    1 概要 郭内本二ノ丁桂林寺町通り南側西角に,笹原與五兵衛という侍がおり,この者には,同じ丁の少し上に,笹原伝右衛門という従弟がいた。 伝右衛門がある夕方少し過ぎに家に帰ろうと,二ノ丁北側を通り桂林寺通りまで来て,それから自分の家に入ろうとして後ろを振り返ると,桂林寺町通り北の方三ノ丁辺りから,余り高くも飛ばず,大きさは小丸提灯ほどの火の玉が来た。始めは提灯かと思ったが,提灯にしては地面から高いし,高提灯かと思ったが高提灯よりは低い。 次第にこちらに飛んできて,鈴木雲悦の家の前からどこかへ行き見えなくなった。 伝右衛門は再び家に入ろうと門内に足を踏み入れたところ,急に後方から光が差してきたので…

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