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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    シャガールの絵は「和解と平和」を何となく示唆してくれます。不思議な絵描きさんで、余程、和解をしないと自分が平和になれない苦い体験があるのかもしれません。私も社会で出て相当鍛えられ、末っ子の我儘な性格に嫌という程、気付かされた事があります。世間が冷たいと感じていたのですが、私が我儘だったのです。この我儘は瞬間に直せるものではなく、自分としては和解への道へ努力したものです。世間が冷たいので私の心が平和ではない、と解釈していたのですが、私のほうから平和への道を模索する必要を感じだしました。こうして我儘な性根が世間から鍛えられつつ大人になつていきます。和解と平和という思想が哲学の中に存在していて、しかもその思想は古代から人類が探究していた思想史だ、という事を知ると、自分の劣等感も半減していきます。私が悪いのではな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    シャガールの絵をじーっと見ていますと、自分の無意識の世界にシャガールの絵の世界が先ず浮かんできた後に、ふと気楽に愛の世界を垣間見れる瞬間あるのが不思議で、そのゆえに世界の心理療法家はシャガールの絵を活用するのかもしれません。子供時代に大好きな母親から親切にされ、しみじみと、ああ、自分はお母さんから可愛がられているなあ、と言う思い出が沢山あります。その思い出の場面を心理療法の世界では「愛の原型」と呼んでいて、とても大事にしています。生育史の暗い感情や現実の哀しい出来事から非常に孤独感に陥り切ない感情になつた時に、親友や大好きな人々が心に響くような愛情を示してくれると、その切ない孤独感が瞬時に癒される事があります。愛の原型を沢山持つ人は折に触れてこの愛の原型を現実の日々の生活のふとした場面で素直に思い出し、生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    地球上には魂の定義は万とありますが、私はジーン・ドージャという神学者の定義が大好きです。魂は永遠不変のもの、愛そのもの、老いることもなく病むこともない、臨終と共に身体から離脱する知的生命体である、と定義しているのです。私はこの魂論を信じたお陰で、公私ともに救われました。憎たらしい友達の魂も、私にも、同じこの魂があると信じると、心と体は拒否反応をしているのですが、五感と体感では感じとれない魂の存在を信じると、憎たらしい友達も、そう親の敵のよな気分から解放されていった経験があります。人類が皆、このように信じたら醜い争い(戦争での殺戮を含め)も少しは軽減していくと思うのですが、色々の考え方があるので、なかなか平和は生まれません。しかし、この魂論を中心に生きてきた私ですので最後までこの考え方を保持しようと考えてい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不安感を自分にもたらす要素は沢山あると思います。経済問題、人間関係等もそうでしょうし、将来、どうなっていくのだろう、という不安感もあります。不安感も、怒りの感情も、身体症状、鬱、錯乱も、どの場合も何かを信じると、いとも簡単に解決する事があります。不安を解消するものはお金だと信じている人は、人から侮蔑されようとも、せっせと貯金をしていきます。お金があれば大丈夫だと信じているからです。身体を壊してお金が貯められない健康状態ともなれば錯乱していきます。どんな厳しい環境でも、お金があろうが無かろうが、病気になっても、それでも不安感を解消してれるものを古代の人々は「魂」として語っています。魂の内容は文化、時代、国により違いますが、自分にも魂があると信じて、その永遠の魂に全てを託していくのです。不安感の状態が魂の存在...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古代エジプトの文化、ケルト文化、中国、インド等の文化を研究していく内に、一番、重要な言葉が魂、だと気付きます。どんなに「魂」と言う言葉が嫌いな学者でも、この魂の内容について思索していかないと、それら古代文明の意味は理解不能となります。この魂の意味について思索する場合、一番良いのが自分の魂について色々の視点から自己分析するのが一番楽しく、かつ、他人事にならない良い研究方法だと思います。この魂論について思索していきますが。その方法は自分の無意識の世界から、どうしれば意識化できるか、その方法について、考えてみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本で「あなたはヤマトタケルのような方ですわ」と美女に言われたら、こんな幸せはなく、欧米で「あなたはゼウスのような方ですわ」となれば、もう大変です。しかし、あなたはナルシスね、とか、君はヘラのようだ、と言われないように努力したものです。このようにギリシャ神話に登場する人物で日常生活の明暗の感情を諧謔を込めて会話しているのは大人ではなく小学生徒クラスなのです。日本では時代、文化により漫画の登場人物で日々の生活を互いに表現しあい、生きています。ストレートな言葉よりも、有名な人物に例えて生活するのも人間の優しさか、怖さか、複雑ですが、言語表現には限界がありますので、心理療法としては注目する領域です。原書房で出された「ギリシャ神話:物語辞典」はとても良い本で、或程度、ギリシャ神話を読みこなした人々には座右の名作で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つは実に神秘的なものなのですが、この暗い感情を嫌なものとして唾棄すると、人生が益々暗く、切なくなります。そもそも暗い感情、というものを尊敬する人はいませんが、ギリシャ時代から、この暗い感情を、排除しないで面白可笑しく書きたてたのがギリシャ神話でした。あのギリシャ神話を細かく読むとわかるのですが、主人公は神様達ですが、その実体は人間の万とある感情が神様の姿として出てきて、それの感情が主人公だ、と私は理解しています。感情ですから、する事、なすこと、でたらめのように思えるのですが、読む私は、この変な神様は私の少年時代のようだ、とか思いますし、この神様や女神は、青春の抑えがたい感情の激しい流れをこんな物語で表現しているんだなあ、と感動しつつ読んでいます。ギリシャ神話を面白く分か...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    もし気になる人が自分の人生から消滅したら、多分、人は幸福にはなれません。当たり前の哲学ですが、この当たり前がなかなか心底納得出来ない領域のようです。私は中高生時代、好きな先生と嫌いな先生がいましたが、今の私の幸福は嫌いな先生のお陰です。英語先生が一番苦手でしたが、20代から60までは英語が生きていく上で一番大事な言葉でした。中高時代の英語教室での挫折と劣等感が私を奮起させたのです。嫌いな人の存在は(1)自分の健全な人間観を育てる、(2)極度に厭な感情を体験させ、感情の抑圧の不健康さを教え、14の防衛機制(つまり、フロイドの14の防衛機制のことですが、抑圧、感情の転移、合理化、昇華、逃避等の、切ない人生体験をさせてくれる)から生まれてくる大人の知恵を無言の内に、人間教育をさせてくれている、(3)厳しい現実社...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日常生活でしばしばお会いする人の存在が心地よい場合は問題はないのですが、少々気になり、何となく自分を不安にさせる人をどう解釈したらいいのでしょうか?ストレス曲線を全部排除するのは生きている限りは不可能なので下記の項目を全部ノートに書きだす事です。ノートに書きだす努力をしないと、多分、その人に無意識の世界で支配される事となります。ノートに書きだす内容ですが、(1)何故、嫌いか、倫理道徳を超えて、嫌いな感情を全部ノートに書きだす事、(2)現実的ではない事でもいいので、では、その人がどうなればいいのか、その人にどう対処したいのか、(3)その人の長所は、どんな事だろう?そして、その人と、どうなれば幸福曲線を自分が歩きだすだろう、この3点を真面目に書いていく内に、必ず納得いく答えが見つかります。書きだしたノートを再...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分以外の人は全て驚きの対象なのですが、いちいち驚いている人を見ると、疲れるだろうなあ、と心配になります。酷い言い方をすれば自分以外は全部、変な人、と考えたたほうが、良いようです。無意識の中で自分という種の存在に価値を見出さなくなりますと、どんな生物でも滅んでいくようです。どういう事かと言いますと、子供から高齢者まで、或いは、心を病んだ人も健全な人も、もし、自分の存在に意味と価値を喪失してしまうと、自然と病気になったり元気がなくなったり、死を選んだりしてしまいます。生きていてもしょうがないと考えると人は、どんどん生気を無くしていきます。他者から「死ね」などと言はれた人間は、強い人でも本当に厭になることでしょう。このような残酷な言葉を吐く不可解な人の存在の意味を考えてみます。この意味をあぶり出すのも無意識の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「無意識の意識化」という手法は対処療法の現場でも、生き甲斐探求の現場でも、或いは「今後、今の自分の職業上の難問をどう解決したらいいのか」という当面の問題解決の際にも応用されています。中高生徒から、どんな年齢、どんな職業の人でも、この無意識の意識化、という手法で、答えを自分の生育史からあぶり出せば、人に強要されて、いやいや一応礼儀作法上カウンセラーに「有難うございます等言いながら、上手く流れないカウンセリング」より遥かに良い結果を産むと思います。万とあるあぶり出す分野の中でも、一番効果的なあぶり出しが「自分は何の為に生きているのか?」と言う難問の答えを、自分の中から探し出す事だと言われています。こればかりは相当の努力と苦労を伴うでしょう。しかし、この答えは間違いなく本人の中に存在しています。一番良い方法は「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    新聞、ラジオ、テレビ、友達情報、パソコン、スマートフォン等深入りすればするほど、情報過多で、心が乱されます。無駄な情報が多すぎますが、目に入るものを無視すると自分が世間から取り残され不利な立場に立たされないか、という不安感も現代人にはあるようです。周囲には親に食べさせてもらっている若者が増えていますが、この現象は親が死んだら、その若者は、どうして生きていくのでしょう?さて,生き甲斐の心理学の目指す所は、どんな環境でも明るく元気に逞しく、一人で生きていける知恵を身につける勉強をすすめていますので、時間をかけて人間の心の仕組みを学んでいきます。テキストは必要ですが出来るだけ、その学ぼうとしている勉強仲間の生育史を一番大事にしています。その理由は、いきなり関係のない偉大な人物の思想や著作を見せるよりも、その人の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心の奥深い領域は神聖な世界らしい、という感覚は大昔からの神話を読めば誰でも気づきます。人間の能力の素晴らしさでしょう。予知能力もあり複雑な人間心理を民話や神話の普及により子供から高齢者まで、また、どんな時代でも地球上の不思議な現象に触れると、そこに疑問が生まれ、この答えを予測し、予測が当たれば人々から尊敬されたり、或いは殺害されたりする人類の歴史は知られた分野です。この問題を学問として考えていくには、やはりフロイトの「無意識の意識化」から思索を開始しないと、オカルトめいた話になり、少々、危険でもあります。この無意識の世界について暫く思索をすすめます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    親しい人との会話はこの世の天国ですが苦手な人との会話は勉強にはなりますが、あまり楽しくはありません。親しい友人等と食事をしながら美味なワインで料理をいただき、好きな音楽が背景に流れていれば正に五感と体感のレベルでこの世の最大の幸せを味わう事となります。その会話では色々の価値観が飛び交いますが自己肯定、他者肯定の雰囲気があるので、何を語っても先ずは受け入れてもらえます。読書も楽しいですけれども、勉強仲間とか心許した人々との会話ほど、生き甲斐を彷彿とさせるものはありません。生身の人間との会話は視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感と体感をフルに活用し、人間成長には欠かせない貴重なチャンスです。9月6日から今回まで「意識と知覚」「五感と体感」の大テーマのもとに語り続けましたが、明日からは「無意識の世界」について思索...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何故かモーツアルトは音楽療法に応用されます。理由は色々でしょうが私が教えられた海外の研究室では病理論の中の諸説、その中でも、私が納得した理論はフロイドの「無意識の意識化」とカールロジャースの「自己概念の再構成」でした。例えば日本の演歌の中の某さんの歌は私の暗い感情を益々暗くし人生を絶望的にしていきますが、全ての毒素やストレス曲線が流れ出されます。無意識の意識化により猛毒が全部身体から出てしまうけれども希望、幸福曲線が補充されませんでした。所がモーツアルトは毒素、ストレス曲線が流れ出た後、生きる希望、幸福曲線が湧きだすのです。どの曲がこの現象を起こすかは、それぞれの生育史が決めますので、どれがいいかは皆さんが決める問題です。しかし、この聴覚による心の安らぎを確保する手法と原理を意識しておくと便利です。皆様に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    寂しい時、辛い時、親しい人がさりげなく手を握ってくれますと涙が流れる時があります。死にゆく人で物が言えない臨終の時も、手を握り自分の名前を言うと涙を流して嬉しそうに口元が少し緩む事もあります。臨終に間に合った私の父がそうでした。第二次世界大戦まで軍艦であちこちの海戦を経験した職業軍人でしたが、終戦から数十年後も生き抜いて畳の上で死を迎える事が出来ました。子供としては幸せでした。私が東京から新潟県長岡市の実家にかけつけるまで、必死で息子の帰郷を待っていたようで、到着、数時間後に臨終を迎えました。このように親しい人の触覚は人を幸せにし安心感を与えていきます。五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の5つ)と体感は人間の幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)とストレス曲線(不安感、怒り、身体症...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    野山に咲く花を味わうのは私の生き甲斐の一つですが、私の心の中の感動を更に深めてくれるのが万葉集の歌です。色々調べる学者さんが居て、面白い数字を見た事があります。約4500首に詠まれている植物の数はおよそ160種、色々の花を詠んでいるのですが一番詠まれている花の順位を下記のように統計されていました。一位:萩:142首、二位:梅:120首、三位:松:78首、四位:橘:75首、五位:葦:53首、六位:桜:42首、このような数字は古代日本人の美意識を現わしているようです。さて、この和歌を意識して身近な花を味わうと、私の心は一段と深い美しさを感じるのは何故でしょう?歴史や小さな情報が美意識を深めるのは確かのようです。近くの古い神社仏閣への散歩、多摩川の散歩で、ふと見ると、知らない野草が何とも美しく咲いています。写真...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    或事例のお話ですが「美しいと感じたんだから、それでもう良いじゃないか、何故、美しいと感じたか等、いちいち分析するのか」とその人は文句を言います。しかし退院されていく時は何故、美しいとあの時感じて、それにのめりこんでいったのだろう、と意識化されると、段々と身体症状が激減し精神が健全と定義される領域に入り、そして元気に明るく現実の生活を送られるようになりました。人の身体には自然治癒力という驚くべき回復力が誕生時から、身体に備わっています。環境により心の発病のメカニズムは多少違いますが、その人の置かれた環境の中で現実適応能力が欠落すると、心の病になりやすいのですが、本来、人間が所持している理性(真善美への渇望、更にデジデリウム「見神慾」といわれる宗教的感情、神仏への憧れ、天地万物という大自然への恐れを含む憧れ本...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    五感の中でも視覚による美、この美しいものを、しっかりと感じ取り、意識化出来る人は幸せか不幸か?芸術家の中で、あまりにも熱心に美を追求するあまり心のバランスを失う人がいますが、これは良い悪いの問題ではなく、心の精神衛生を無視した生活に問題があるようです。セルフコントロールを意識すれば芸術が成立しないような領域もありますので、難しい問題です。暫くこの美に対する生き甲斐の心理学の立場を思索していきます。美しい異性、宇宙の壮大な美、数学の合理的な美しさ、野に咲く小さな花達、可愛らし動物や小鳥たち、そのそれぞれの美しさは人々を本来、幸せにします。この美の世界についてどんな視点から生き甲斐の心理学はアプローチしているのでしょうか?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    五感の中でも視覚による美、この美しいものを、しっかりと感じ取り、意識化出来る人は幸せか不幸か?芸術家の中で、あまりにも熱心に美を追求するあまり心のバランスを失う人がいますが、これは良い悪いの問題ではなく、心の精神衛生を無視した生活に問題があるようです。セルフコントロールを意識すれば芸術が成立しないような領域もありますので、難しい問題です。暫くこの美に対する生き甲斐の心理学の立場を思索していきます。美しい異性、宇宙の壮大な美、数学の合理的な美しさ、野に咲く小さな花達、可愛らし動物や小鳥たち、そのそれぞれの美しさは人々を本来、幸せにします。この美の世界についてどんな視点から生き甲斐の心理学はアプローチしているのでしょうか?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    紀元前330年頃、アレキサンドロスの時代にシンプリキオスという哲学者がいました。彼によるとカレンダーの語源ともなる古代カルディア人は、その頃、すでに過去1903年間の天体の記録を保持していたらしいのです。そして下記の事を既に熟知していたらしいのです。(1)月の平均運動速度は1日13度10分35秒と定めていた。(2)朔望月29日12時間44分、(3)恒星の年間運動の春分点を知っていて1年の長さを365日6時間11分、(4)黄道12宮を作成した、と書いているようです。「暦の歴史:創元社参照下さい」さて、生き甲斐の心理学講座で、何故、このような記事を書いたかといいますと、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触感の5つ)は正確な知識、或いは、情報を大脳が意識し知覚すると、それに伴い意識と知覚も変動する、という原理もある...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古来から人は月により心を慰められています。世界各地の神話や民話では、太陽が善玉だったり悪玉だったり、月も善玉、悪玉にされたりと、文化により相当解釈が違いますが、この月は私の大切な宝物。月は私に大きな生きる喜びを与えてくれています。お月様のお陰で、私の心のもやもやは大いに癒されてきました。私の大好きな月に関する本は沢山ありますが、その中でも「根本順吉著:月からのシグナル:筑摩書房:¥1100」があります。:この名作は図書館なら読めると思います。さてこの本には色々の歌、和歌、俳句も掲載されていますが、清少納言の「月は、有明の、東の山際に、細く出るほど、いとあわれなり」、これも味わい深いとおもいませんか?心の不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱が月をしっとりと眺めて、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感に激変...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    理性が自分の体感が変だと教えてくれますが、体感をあまりにも信用しすぎると人生が狂う事があります。心がいつも自然体で、どんな厳しい環境、例えば事件、災害、嫌いな人間の出現等の時、それでも、心は無防備で、相手の気持ちを推し量る余裕もあり、現実を受容する余裕感もあり、間をおく心の余裕、現実を理解しようとする気持ち、冷静な理解力、人(人間、人類、生き物)への愛情があれば、このような心の状態の時、体感は本物と言われています。このような平素の人間修行の努力もしないで、体感は宝、と言いきれない現実を認識する必要もあります。それでも心理療法家は赤ちゃんから高齢者まで、更には、どんな生育史の人でも、臨床の現場では、来談者の体感を非常に重視します。精神病と言われている領域の人を治療する場合でも、今ここでの体感が、どんな偏見と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんな素晴らしい知識でも、その活用次第で、宝ともなり猛毒ともなりますが、その分かれ道は本人次第です。環境により、その活用の仕方も違います。例えば心理療法の勉強では体感を案外、重視していて、お固い倫理道徳学者が勉強不足から時々感違いして、この「体感は知恵の宝」という概念を侮蔑し警告を発します。人間は理性と感情の世界を所持しているのは当然で、理性が大事な事も分かるのですが、入院してくる哲学者、宗教家、信念の固い人、職業上の関係で感情や体感を抑え気味の人が、退院していく時は、自分の湧き出す感情や体感をあまり道徳から自虐しなくなっています。残念ながら生身の人間の心と体は理性で一応コントロールさされてはいますが、どんな人間の生活、心の生活、感情の生活でも、堂々と人前で披露できるようなものではありません。「自分は少し...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    親子でも、友人、恋人、学友でも「親密な関係は危険なものとして避ける」傾向のある人がいます。ロジャースはこの場合を低辺、「危険だという感じが減少する」を中辺、「瞬間的体験過程にもとづき開放的に自由な関係をもつ」を高辺、と解釈しています。この文章の解釈は面談の勉強会でも誤解されやすい文章ですが、とても重要な指標なのです。一番多い事例がお見合い結婚で散見出来る事例ですが、幸福の条件から見ても、デートの雰囲気から感覚的、体感的にみても、もう文句なし、という事例でも、少し親密な状態になりそうな場合に無意識で逃げ出す男女がいる話です。生育史上の理由があるので、何故、大事な時に、無意識で逃げ出し、折角の幸福への道を自分から閉ざしてしまうのか、とても重要な問題を潜在しているようです。生き甲斐の心理学は、この傾向を五感で恐...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    体感はとても重要な指標ですが、もし、繰り返し自分の人生に嫌な事がしばしば起きる事に気づいたならば、多分、それは五感のレベルが少々狂っているか、生育史上、身辺の森羅万象を身体で感じる時に、無くて七癖のような、習慣的な悪い感じ方があるのかもしれません。例えば、どんな場合でも人の意見に先ずはケチをつける親を持つ場合、知らず知らずに、その感じ方に素直でない人が沢山います。こう書いている私がそうです。私は5人兄弟の末っ子、どうしても母親から甘えさせられる傾向がありましたし、自分で、その傾向に気付いたのは何と、この心理療法を勉強しだした23歳頃です。何となくは分かっていましたが、肌がぞーっとするくらい、自分の甘えん坊に恐怖を感じました。自己嫌悪に入る事、しばしばで、恩師が同情するばかりでなく、固執障害者かと誤解される...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    よくある話です。母は嫌い、父は嫌い、と色々と、軽く、或は重く、友人と語り合います.倫理的には両親を嫌うことは、あまり良い事ではない、と心の奥底では自分の批判を気にしています。これが普通の生身の人間でしょう。例えば、湧き出した感情の意味について、幼児時代、虐待されたから、この憎しみは当然のことだ、と解釈すると少しは心が落ち着きます。年老いた親を高齢者施設に見舞い、親から幼児時代虐待した反省と涙に触れますと、この解釈もまた変化します。体験の解釈について、時々、立ち止まり、自分の解釈の方向性、傾向について、再考したほうが、これからの人生が幸福になるようです。出来れば、生き甲斐の心理学の理論を勉強しながら、この体験の解釈を、どの方向へ変更したら過去のストレスが解消し、今後の指針について良い知恵が浮くでしょう。現実...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界の名画は色々ですが、何故か心理療法ではシャガールの絵が使用されます。理由は明白で彼の絵を見た患者さんが心の中の何かを刺激され、治療に当たる担当者が望む「言葉、意識、言語表現」を言ってくれる回数が非常に多いのです。もちろん他の絵でも刺激されますが心理療法では「混濁現象」を一番恐れていますが、このシャガールの絵には不思議な力が潜在していて、光と陰、理想と現実、私とあなた、の混濁を整理統合する作用があるようです。特に生育史の関係で自分を表現する事が苦手な人は沢山います。悶々とした言葉にならない感情の世界を周囲に的確に伝達する能力は案外、修行し勉強しないと出来ないものです。シャガールの絵を軽く見ないで、このように世界の名だたる名人の心理療法家が何故、シャガールを活用するのか、謙虚に研究していただきたい所です。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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