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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    周囲との人間関係、特に「私とあなた」の関係に於いて、相手を危険なものとして、意識、無意識に感じていると人間関係だけで疲れ果てていきます。意識はしていませんが仕事が終わり、のんびりとお風呂にでもつかっていると、嫌な人が突然、思い出されてきたりします。親子、夫婦、友人でも時と場合により、疲労の原因となります。子供の頃から、自分にとり、全員が安心という体験はなく、この人が、と思うくらい嫌な想いをさせられると、人間不信の知恵も身についてきます。良い事も沢山あり、人間賛美の心境にもなります。人生が長いほど、何となく無意識に人々を全面信頼する、という事に危険を感じるのが普通の人間です。しかし生身の人間は「愛の孤独感」を恐れますので、健康的な愛が身近に無いと、人は生き甲斐を感じないものです。段々と成熟すると「同一の相手...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    周囲との人間関係、特に「私とあなた」の関係に於いて、相手を危険なものとして、意識、無意識に感じていると人間関係だけで疲れ果てていきます。意識はしていませんが仕事が終わり、のんびりとお風呂にでもつかっていると、嫌な人が突然、思い出されてきたりします。親子、夫婦、友人でも時と場合により、疲労の原因となります。子供の頃から、自分にとり、全員が安心という体験はなく、この人が、と思うくらい嫌な想いをさせられると、人間不信の知恵も身についてきます。良い事も沢山あり、人間賛美の心境にもなります。人生が長いほど、何となく無意識に人々を全面信頼する、という事に危険を感じるのが普通の人間です。しかし生身の人間は「愛の孤独感」を恐れますので、健康的な愛が身近に無いと、人は生き甲斐を感じないものです。段々と成熟すると「同一の相手...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人生には次から次へと色々の問題が生起しますが、心を病んだいると、自分の問題なのに他人事のような顔をして生きている人もいます。厳しいけれども自分の問題の場合、正面から取り組むと苦悩は深くなりますが幸福感と生き甲斐は充実してきます。この心の仕組みを意識化しておくと、人生での難問と戦う勇気が出てきます。私も、その折々の健康状態により、取り組み方は違います。当然のことでしょう。心が疲れ果てているのに無理に挑戦していくと、ばたんと倒れます。この兼ね合いが人生、難しい。明確に言える事は自分の問題なのか、他人の問題なのか、一度冷静に区別してみましょう。その為には自分は何の為に生きているのか、この「自分の問題なのか他人の問題」なのかを識別する際の重要な指標となります。自分は何の為に生きているのかを意識しつつ、自分の問題な...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    思いこみが強い人、信念に病理がある人、環境に応じて考え方を変えられないので自殺したり周囲を平然として混乱させる人、倫理道徳から人を抹殺する人、色々意見が分かれますが、生き甲斐の心理学では「構成概念が固く、その概念があたかも真実かのように考えてしまう」事例をとても関心をもって研究していきます。研究の目的は、その人を精神病棟に入れない為です。精神病棟には入院する必要の無い人々も何故か、沢山おられます。入院の背景について大きな問題がありますので国連やアムネスティは時々、日本ばかりでなく世界の患者の人権の立場からのの厳しい調査をすることがあります。この複雑な背景は専門家にお任せしますが、私達の身辺にもし構成概念の固い人がいて、その為にストレス曲線から身体症状にまで苦しんでいる事例がありましたら、一度、その構成概念...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の社会は色々の成り立ちがありますが、その中の一つ「私とあなた」の関係性の中で自分を上手に伝えられない照れ屋さんが居ます。時間をかければ互いに理解は出来ますが、何となく忙しく、ばたばたした感じの現代生活では忍耐して待つ、しかも変な無口な相手を理解する為の時間をとつてくださる人はあまりいません。ですから口下手な青年は「発達障害」などと陰口をたかかれつつ生きていかねばなりません。わたしなどは多分、高校生徒時代は今でいう「発達障害的な青年」だったと思います。自己の伝達が実に下手でした。自分を伝える必要が人間社会では要求されますが、どの程度の「自己の伝達」が必要なのかは、その人の所属社会で違います。永田町の政治家秘書のなりたての青年と学校の新人教師、養護施設での新人、その他の文化地帯では自己の伝達方法は、それなり...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「建前」だけで生きていると自然に自分が分からなくなります。「べき論者」は退屈で面白くありませんし、良書の本のほうが遥かに役立ちます。矛盾だらけだけれども他者肯定のタイプの人間は世の中を明るくし勇気を周囲に与えますが「べき論者」の他者否定のタイプは人々を暗くしていくようです。東日本災害地に行くと「べき論者」は居場所があまりないようです。現実の苦労を、どう処理していくか、人間の一番大事な姿を垣間見せてくれます。ソ連が解体し東シべりアの某地に行った時、少数民族の哀しい姿に触れました。東アジアの某地での地雷地区の悲劇でもアイルランドの闘争やアルゼンチンやチリでの政治による悲劇の現実にも私は何度、この世界に絶望したことでしょう。そんな中で、本音と建前の建前に生きたばかりに刑務所に入る人も見ましたが明るい悔いのない人...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日々の激しい感情に出会った時、平然と冷静に対応出来る感情と、慌てる感情があります。湧きだす感情はどれもこれも真実であって、かつ、現実問題です。湧きだす感情を見て、自分には信じられない酷く汚いものの場合、見ないふりをするのが普通の人間です。朝から夜まで嫌な感情に振り回されて、その嫌な感情の大河の流れに支配されるのが普通の人間の毎日です。しかし赤ちゃん時代も終わり、幼稚園、小学生時代になると自分の思い通りにならない世間を知ってきて段々人間が練れてきます。大人になっても感情の大河に振り回されている大人を見ると、世間は遠慮して口には出しませんが、あれは大人になりきれていない愚かな人間だ、と内心そう思っています。しかし、勉強していく内に、その感情の大河を現実問題として平然と一旦、自分を受け入れ、その上で周囲の常識と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生育史の関係で理性優先、感情蔑視で育った人に多い事例ですが、自分が愛しているのか憎んでいるのかすら分からない人々が沢山います。明治生まれの職業軍人であった私の父親の話を色々と思いだすのですが、軍人の中にも怖いと素直に自分の恐怖心を感じられる作戦家は成功しているようですが怖いのに怖くないと思う人は部下を沢山殺していたようです。湧きだす感情を倫理道徳で否定してしまう人にも、この軍人のような事例を垣間見ます。どんな感情が湧き出しても、言葉に出す必要がないので、一旦、軽やかに受け止め、その意味を思索する習慣をつけると人生が楽しくなるし、知恵が湧きだすそうです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人間関係も豊か(軽やかに明るく振る舞うので)、お金も十分、それでも私と二人きりになると人生に文句だらけの友人がいますが、その友達は何故か「感謝」をしりません。学生の頃から明るく振る舞いますが、何か、どーんとした正中線にかけています。本音は出さず、二人になると私に心を拓いてくれるのは嬉しいのですが、心から有難う、と言わない人です。どんなに幸福な条件を所持していても、感情で心底、有難う、と感謝出来ない人のことを「幸福病」と呼んでいますが、自己愛パースナリテイ障害患者でもなく、単なる考え方が生育史上、形成されていないのでしょう。何でも有難屋、でも困りますが、我がままに生きてこれた彼の生育史上の事はやはり「三つ子の魂百までも」ではありませんが、案外、難しいものです。せめて息を引き取る時には周囲の人々に有難う、とい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    理論ばかりで恐縮ですが理論を知らないで悔いを残すより、あるいは、同じ失敗でも大きな致命的な失敗は避けられますから、やはり理論は大事です。80億の人類には赤ちゃんから高齢者まで、あるいは地球各地の文化でも、その一人一人の自分の不安感を、どう処理するかの答えはアフリカの少年兵からニューヨークの富豪まで、その答えのありようは違います。しかし理論は同じです。例えばストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)が蓄積していると、その人の心は自由ではありません。心が自由でないと知恵の泉(答え)はまず浮かばないでしょうし、浮かんできても、その答えは数日か数週間か数カ月で、変だなあと気付くでしょう。心が抑圧状態、感情の転移、合理化、反動形成などのねじれた状態の時は、どうも知恵が湧いてこないようです。湧きだす感情を抑圧し...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    厳しい人生をどう生き抜いたらいいのだろう、その答えは自分の中にある、と言われています。さてさて、この「答え」の意味はどう解釈したらいいのでしょう?今、抱えているストレスをどう処理したらいいのか、その答えも自分の中にありますし、この感謝をどう表現したらいいのか、自分は今、まともなのか変なのか、この経済危機をどう乗り越えたらいいのか、いつも我慢している上司と、どうつきあったらいいのか、さて生き甲斐の心理学は、どうこたえていくのでしょう?この問題について思索していきます。他人からの示唆も大きいですが、これがあなたの答えです、と他人からは言われたくありません。最終的に自分でこれが答えだ、と断言しないと人生に悔いをのこします。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    或所で「必然と偶然」の話がでました。なるほどなあと感動しましたが色々の事例を思い出しています。中小企業の倒産により経営者が自殺、その家族を治療している時とか、大津波で流された遺族へ、この哀しい現実を「必然」とは言えません。言う人がいるとすると、その人は冷酷な人間と呼ばれるでしょう。哲学。神学、信仰の世界での言葉と解釈、そして現実の心理療法の世界での言葉と解釈は違いますが、世間はそんな事は区別しません。「必然と偶然」が人類誕生以来の「難問」なので、これからも思索の対象にしたいけれども、この言葉の使い方には十分注意が必要なようです。さて、どんな解釈を皆さまはなさいますか?うかつに相応しくない現場で使用し、人々から生涯、恨まれないように注意する必要もあります。出来れば心と生活に余裕がある時に、身辺の出来ごとには...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    クラスで一番とかいう体験は誰でも所持していますが私の場合は何といいましても高校時代の成績です。その惨めな劣等感は人生を支配していますがあのにがにがしい思い出が嫌で相当勉強しました。ですから何が大きなエネルギーになるかは人により相当違います。嫌な思い出はほどほどに活用し、むしろ玉虫色で取り扱わないと人を駄目にしてしまうようです。病的な劣等感は人格を破壊していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    某所での勉強会でのお話ですが、長年、自宅を私の勉強会に開放してくださり、継続してくださったkさんと参加者の皆さまに心から感謝いたします。その勉強会では非常に感動するお話がされていました。大きな病気や家庭での厳しい環境を見事に乗り越えていく人間の逞しさと美しさを私は感じたのですが当のご本人は淡々とお話をなさっていました。どんな厳しい現実があっても人間はその気になれば実に見事に逞しく乗り越えていけるものだなあ、と感動した次第です。この逞しい生命力は何処から生まれてくるのか不思議でしたが希望を失わない人間は、こうして自分で答えを悟り明るく元気に生きていく力がある事を確信した次第です。その人の努力もさることながら、人間は何と凄い力をもっているのだろうと驚きました。諦めたら最後です。どんな場合でも希望を失わないで生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    欧米で生活していて、もし憧れの女性に「あなたはゼウスのような方ですわ」と言われたら普通の健康な男性は天にも登るような気持ちになる自分を素直にうけいれるほうが良いでしょう。ここで変に見栄をはったり恥じたら人生を暗くしますし、幸福への道を自ら閉ざしてしまいます。このようにギリシャ神話の日常生活での会話で、「あなたは、ヘラ、ポセイドン、アポロン、エロス、ヘルメス、アテナ、ニケ、デメテル」と言われたら、どんな意味かを理解していないと、日々の生活が楽しくありません。このくらいの神様を知らないと人生が拓けません。もし、この神様をご存じない場合は、是非、どんな神様か、調べてみて下さい。このギリシャ神話をお楽しみいただけると思わぬ知恵がさずかります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人間の精神的な臨床場面(日常生活での色々の人の精神現象)から現代の心理学が誕生してくるのですが、大河ドラマに登場する歴史上の人物の運命とギリシャ神話に出てくる色々の神様の運命が似ている事に気づきます。ギリシャ神話に登場する愛の神、嫉妬の神、裏切りの神、海や月や星、薔薇の精等が登場してきます。そしてそれぞれの神様の末路、栄華盛衰が物語として展開します。嫉妬深い神様はそれなりの往生を遂げていきますがその成り行きは大河ドラマで見る歴史上の人物の成り行きと重なる部分もあります。私自身の生育史での成り行きも、人を恨んでいた或時代はいくら自分で正義感を唱えていても暗く陰惨な感情生活をしていますし、理屈を超えた大きな受容的な人間関係を保ち愛を大事にしている時は平安感が日々を支えています。一度、ギリシャ神話を中高生向きの...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    由良弥生さんという方が書いた「新島八重と幕末:副題会津に咲いた八重の桜」を読んでいますが、なかなか面白く、かつ、胸の裂けるような切ない歴史を感じます。会津若松城(鶴ヶ城)の悲劇や白虎隊の話は途中で読書を止めたくなりますが、それでも読み進む内に八重の兄が明治政府にとりたてられていく経過も知り、大変驚いています。「生き甲斐の心理学」はやはり生き延びていく人々に焦点を当てながら、それでも厳しい現実を明るく元気に生き抜いていく知恵を大事にしたい、としみじみ思いました。殉教や殉ずる思想も大事にしたいとは思いますが、明るく元気に爽やかに生き抜く知恵を探りたいと思いました。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    宗教心理学に限らず人間が生きていく上で知っておくと生きやすくなる哲学があります。生身の人間の世界には赤ちゃんから高齢者まで意識しようがしまいが、信じて見えてくる世界があること、信じた為に見えなくなる世界がある、という心の世界があることを意識しておくと、とても便利なのです。難しい書物を読む前に、自分は何かを信じた為に見えてきたもの、知ったこと、分かった事、理解したことがあるかどうか、一度、ゆっくりと楽しみながら思索しておくと、はた、と大発見したような気付きが生まれます。この基本訓練をしておかないと、どんな本を読んでも気づきません。例えば親や親友、恋人の愛を信じると、嫌な言葉の裏側に深い愛に気付きます。親の愛を信じないと、親の言葉は不愉快で嫌味なものです。人を疑いだしたらきりなく不安感だらけの日々となります。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大河ドラマを見ながら東日本大震災をいつも考えています。自分だけが何故、生き残ったのかという自問自答を拝聴すると、本当に切なくなります。災害地の方に限らず、甘える時は大いに甘えるのが必要なのですが、この心理療法は非常に難しく、病的な甘えと健全な甘えの違いを学習するには相当の時間が必要です。更には日本人の精神構造の中に「甘えの構造」と「汚れと禊」の思想がありますが、この二つが病的に結びつくと自死を選んだりします。それは間違いです。自分一人が何故、生きたのか、そこに罪悪感を感じる事例はこの汚れと禊の思想が悪い方向に展開した場合です。一人生き残った人は死んでいった人の分まで幸福になる役割を感じて欲しいものです。戊辰戦争で生き残った逞しい会津の人々の生き方を是非、再考して欲しいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    明治政府の重鎮・大山巌夫人の捨松は8歳の頃に会津城に籠城しています。12歳の頃女子留学生に選ばれアメリカに留学、帰国後、薩摩藩士、かつ、会津城突入の大山巌にプロポーズされて24歳の時、家族の大反対を押し切り結婚します。鹿鳴館の貴婦人といわれ、当時の外交に一役買ったそうです。看護学校を設立したり、この籠城の苦しい体験を平和に役立たせた女性です。会津魂をそれぞれの人生の中で開花させた会津の女性に改めて敬意を表します。厳しい環境を乗り切り自己実現への道を模索しつつ美しく生命を開花させていく会津の女性達、先の東日本大震災でも是非、逞しく生き抜いておられました。それぞれの風土の伝統は実に素晴らしです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    坂本竜馬が暗殺された場所が寺田屋で、池田屋は新撰組が急襲した旅館で、そこには坂本竜馬はいませんが、日本の歴史上、とても大切な場所ではあります。池田屋さんは今は居酒屋ですが、2005年頃はパチンコ屋さんでした。三条大橋の偽宝珠(橋の欄干にある飾り)には池田屋事件の折の刀傷跡と言われるものを、しみじみと眺め、歴史を味わいました。さて、現在でも残る京都のあちこちの名所は時間をかけてみれば見るほど京都に行きたくなります。寺田屋で坂本竜馬を救った「おりょうさん」は明治39年に横須賀で死亡していますが、その人生は必ずしも幸福だったとは言えないようです。厳しい人生を歴史に翻弄されても、心は神仏への信仰に向けられて平安感に死ぬ人も沢山ありますが、出来れば神仏からの愛を日常生活で感じ取れる人生を送りたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    24回のテレビ録画の為に2012年は京都に月に一度新幹線で通いましたが定宿は心のともしび本部のあるすぐ近くの某ホテルでした。そのまた近くに池田屋という食のお店が、かの有名な池田屋の跡地だと知り、非常に驚き感動したものです。高瀬川が直ぐそばを流れ、京都市役所前のホテルオークラ敷地には長州藩邸跡地という表札もあり佐久間象山寓居跡と歴史好きにはたまらない三条河原町界隈です。この池田屋さんでは何回も録画の後に夕食に通い色々と空想しつつ日本の歴史を思索しました。さて自分が誕生した年の歴史を気をいれて勉強していただきたいのですが、私が生まれた年に2・26事件がありました。この自分の誕生の年の歴史とその前後を勉強しますと自分の性格形成に大きな影響を与えているのが分かります。この思索は自分を非常に楽にさせてくれますが、そ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    有名人の生育史と自分の生育史と比較しつつ、自分のものを軽く見る人に触れると、とても哀しくなります。歴史上の人物の歴史は確かに重みがありますが、自分を平凡と軽く見ると、どんでもない大きな過ちに陥ります。一番大きな過ちが神の存在と自分との関係を軽く見てしまう無意識の傾向が誕生してくるからです。息を引き取ると世界が終るように自分が世界の中心であることを何よりも意識しておきましょう。世界の中心は自分なのです。カールロジャースという学者のパースナリティ理論・命題1は世界の中心が自分である、という意識からスタートしていますが、この命題を学ぶ結果、自分の言動に責任を感じ、苦しむ人々に想いがおよび、どんな立場の人々(精神病患者を含み)に対しても、その内部の心の奥深くに目を向け、その苦しむ人の主観を心から傾聴し、その上で何...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    以前、人気がありました大河ドラマの八重さんは明治維新の後、明治9年に洗礼を受けますが人生の流れは本当に不思議です。洗礼を受けるまでの心を知りたいと思います。あの会津城で銃をもって戦い、日清日露では篤志看護婦として活躍し昭和7年までの88才の人生は何とも刺激的な人生で、この女性の日記を読みたいものです。歴史に翻弄されても、その流れの中に天命を見出し、その命を十分に自分と人々の幸せに貢献していく姿は見事なまでに美しい。自己実現への道を自分の生育史の中からあぶり出す知恵を学びたいと思いました。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人が誰かと最初に出会う、その時の最初の一言で全てが決まる時がありますので、この言葉は恐ろしいような気がします。親友の紹介で初めて会った人が何か刺のあるような言葉をつぶやき、それが挨拶の最初の一言であれば、多分その新しい関係は上手く行きません。最初の一言はその人の日々の想い、特に人間に対する優しさ、愛情、自分や他者を粗末にして生きているかどうか、を的確に表現しているものです。このような人の言葉は自虐的、皮肉風、希望の無いような、つまり他者否定のような言葉が出てきます。大脳は相性を数秒で判断すると言われていますのでインスピレーションを私は尊重しています。暫くこの最初の一言が歴史を変えたり人間関係を支配したりするので色々と思索してみようと思います。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    或人に向かい「自分は何の為に生きているのか?」と質問すると怒り出す人がいます。余計なお世話だ、こんな状況の時にはそれどころではない、と怒りまくります。質問のタイミングに失敗した事例かもしれませんが、そのあとの反応が非常に重要なので経過観察に入ります。本人は当面の問題を解決した後、考えようとしますが、私の経験によれば、この質問をする前に十分洞察しているので、その混乱は予測していますから、怒りを抑えながら丸くその場を納めます。数週間するとほぼ全員が、この厳しい質問の御陰で、自分の抱えていた問題は、どうでもいい、と気づきましたと連絡が入ります。この厳しい問いかけは危険そのものなので、問いかけの前の状況は十分研究しておく必要があります。ストレスの大半は生きる目的が明確になればなるほど、半減するものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんな人にも日々のストレスはありますが自分が生きていく目的を明確に意識している人には、このストレスは試練として解釈されているので辛いけれども、それ以上の意味を感じているので傍らに置いて生きていけるようです。何かを信じ、そこに希望を置いている人間の強みでしょう。太極拳を楽しく演武している時と同じです。演武していても自分が抱えている諸問題は依然として存在しているわけで、逃避しているわけでもなく、見て見ぬふりをしているわけでもありません。どうしても解決しなければならない問題は、その時がくるまで平然として放置しておきます。どこを目指して生きているのかを楽しみながら意識化するとそれ以外の問題は小さく見えてくるようです。自己実現の道を歩む人は何故か元気です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    公式の文書や手紙は建前が理路整然と書かれていますが、それは当然のことでしょう。しかしその公文書を書いた人々の手紙や私文書が後年、発見されると、その困難の最中に、どんな祈りをささげて生き抜いていったか、その心の軌跡がとても人間的で暖かく好意が持てます。西郷頼母も松平容保も、その手紙や内々の文書には困った時に神仏に手を合わせて祈ります。どんな人間でも厳しい人生の場面に遭遇すると自然と頭を垂れて何か偉大なものに救いを求めますが、この姿はとても美しく感動します。この二人は自分だけが生き残った事をとても悔いながら生きていきますが、その心を想うと切なくなります。自死を選ばなかったこの二人は何とも偉大な人物だと私はほれぼれします。厳しい現実に遭遇しても生き残った以上は天命を全うし自然死を迎えるまで努力したいと思いました...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    ドラマでは綾野剛さんが会津藩主・松平容保を演じていますが、この殿様も中々の人物で、生き甲斐の心理学が希望する逞しい人生を生き抜きます。戊辰戦争を生き抜き日光東照宮の神主さんをしたりして明治26年に目黒の自宅で生涯を終わります。この殿様の6男の恒雄の長女・松平勢津子は昭和3年に秩父宮と結婚します。歴史は非常に残酷ですし、現代の私達から見ると驚きの連続ですが、与えられた人生を最後の最後まで天命に生き抜く決意をだいじにしつつ歴史ドラマを楽しみたいと思います。:<比較宗教学の視点からの心の旅>自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前の話ですが、直ぐ影響を受ける私でしが、私の大好きな大河ドラマを数回見て、会津藩と明治維新に熱を入れた頃がありました。会津藩家老・西郷頼母(西田敏行さんが演じている)の生き方を注目しています。頼母の家族(母、妻、その子供達:娘達は16歳、13,9,4ン2歳を含む)は戊辰戦争の際に頼母の自宅で21人が自害しています。しかし彼は明治36年まで生き延びています。卑怯者ではなく堂々たる人生ですが生き延びようとするその意思は、まさに私達「生き甲斐の心理学」が望む壮烈な生命力とそれを生き抜く人物なのです。この人の生き抜こうとする態度を古典や歴史の中で意識化すると、この現代社会の複雑な姿を、いかに解釈したら日々の憂鬱な感情が少しは減るか、自分なりの知恵が浮かんできます。日本がまた戦争に巻き込まれないように、それぞれ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんなに勉強して記憶に叩きこんでも人は直ぐ貴重な知識を忘れますが、さりげなくふと訪問した美しい所は生涯、忘れないものです。有名な欧米の教会の色々の情報を事前に勉強しようと努力していても、直ぐ忘れますが、実際に訪問したシャルトルの大聖堂の複雑な地下聖堂の構造はいつまでも新鮮なものとして、いつも自然に心に浮かんできます。また、以前、訪問した厳島神社の老舗の宿からの風景は幼児時代の或風景と同じだった事から、あーあ、そうだったんだ、此処だったんだ、と幼児時代の幸福を再現させてくれました。このように百聞は一見にしかずで、人生の日々の中で、視覚からくる幸せ感はこれからの人生を益々、美しくしてくれます。ですから出来ればいつも、意識して美しいものを見たいものです。汚いものは心を傷つけやすいので、努力して視覚にはいつも美し...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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