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2019/07/07

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  • 開目抄 その15

    『摩訶止観』第一巻の冒頭には、「散乱する心を鎮め、明らかな智慧で照らす止観は、今までなかった法門である」とある。『止観輔行伝弘決』第一巻には、「漢の明帝が、仏教が伝わるという夢を見てから陳朝の天台大師に及ぶまで、禅門に預かって衣鉢を伝授される者は多い」とあり、『法華三大部補注』には、「衣鉢を伝授されるとは達磨を指す」とある。『摩訶止観』第五巻には、「また一種の禅人、そして盲従する師や弟子たちは、共に堕落する」とあり、『摩訶止観』第七巻には、「十乗観法の第一の観心を除いた九つの意義は、世間の文字ばかりの法師と同じではない。また、事相の禅師と同じではない。ある禅師はただ観心の一つの意義だけしかない…

  • 開目抄 その14

    このように、『法華経』と『涅槃経』の太陽や月のように明らかであり、妙楽大師とその弟子の智度大師の明らかな鏡によって、今の世の諸宗ならびに国中の禅・律・念仏者の醜い顔を浮かべれば、そこに一つの曇りもない。『法蓮経』の「勧持品」には、「仏滅度の後の恐怖すべき悪世の中」とあり、「安楽行品」には、「後の悪世」とあり、また「末世の中」とあり、また「後の末世の法が滅びようとしている時」とある。「分別功徳品」には、「悪世の末法の時」とある。「薬王品」には「後の五百年」とある。 『正法華経』の「勧説品」には、「滅後の末世」とあり、また「後に来たれる末世」とある。『添品法華経』にも同様にある。天台大師は、「像法…

  • 開目抄 その13

    このようなことはさて置く。私たちの一門の者のために記そう。他人は信じなければただの逆縁(ぎゃくえん・正しい教えに対する妨げという意味)である。一渧をなめて大海の塩を知り、一華を見て春を感ぜよ。万里を渡って宋に入らずとも、三年をかけてインドの霊鷲山に行かなくても、竜樹のように竜宮に入らなくても、無著菩薩のように弥勒菩薩に会わなくても、『法華経』の二処三会の座にいなくても、釈迦一代の教えの勝劣は知ることができるのである。 蛇は七日前から洪水が来ることを知る。竜の眷属だからである。烏は年間の吉凶を知る。過去世に陰陽師だったからである。鳥は飛ぶ徳は人よりも勝れている。日蓮は諸経典の勝劣を知ることにおい…

  • 開目抄 12

    『密厳経』には、「『十地経』『華厳経』など、『大樹経』と『神通経』・『勝鬘経』および他の経典など、みなこの経典から出ている。このような『密厳経』は、一切経の中で勝れている」とある。『大雲経』には、「この経典はすなわち諸経典の転輪聖王のような王である。それはなぜか。この経典の中に、衆生の実性、仏性常住の法蔵が説かれているからである」とある。 『六波羅蜜経』には(注:これ以降の各経典の引用文は、それぞれ非常に長いので注意が必要である)、「過去の無量の諸仏が説いた正法、および私が今説くところの、いわゆる八万四千の諸の妙法蘊(みょうほううん・妙なる教えの集まりという意味)を総合的に見て、五つに分類でき…

  • 開目抄 その11

    私がこのことを考えるに、『華厳経』・『観無量寿経』・『大日経』などを読み修行する人を、その経典に説かれている仏・菩薩・天などが守護するのであろう。このことは疑うことはできない。ただし、『大日経』・『観無量寿経』などを読む行者たちが、『法華経』の行者に敵対すれば、その行者を捨てて、『法華経』の行者を守護するはずである。たとえば、親孝行の子であっても、その父親が王の敵となれば、父を捨てて王に参上することが、親孝行の至りである。仏法もまたその通りである。『法華経』の諸仏・菩薩・十羅刹たちが、日蓮を守護されるばかりではなく、浄土宗の六方の諸仏、二十五の菩薩、真言宗の千二百の菩薩など、七宗の諸尊、守護の…

  • 開目抄 その10

    このように、釈迦の過去の事実が明らかにされたならば、諸仏はみな、釈迦仏の分身であることがわかる。しかし、『法華経』以前の経典や、『法華経』の迹門の中では、諸仏は釈迦仏と肩を並べてそれぞれの修行をした仏である。そのために、その諸仏をそれぞれ本尊とするならば、釈迦仏を卑下していることになる。久遠実成の釈迦が明らかにされた以上、『華厳経』の台上・「方等経」・『般若経』・『大日経』などの諸仏は、みな釈尊の眷属であることになる。仏が三十歳で成道された時は、大梵天王・第六天などが所領としていた娑婆世界を奪い取られたのである。そして久遠の仏が明らかとされた今、『法華経』以前・『法華経』の迹門では、十方の仏国…

  • 開目抄 その9

    開目抄 下 文永九年(1272)二月 五十一歳 (これよりは、『開目抄』の下となる) また、今より諸大菩薩も梵天・帝釈天・日月天・四天王なども、教主釈尊の御弟子となるのである。したがって、「見宝塔品」には、これらの大菩薩を仏は自らの弟子たちとしたために、「諸の大衆に告ぐ。私の滅度の後に、誰がよくこの経を護持し読誦するだろうか。今仏前において自ら誓いの言葉を説け」と宣言して語られたのである。また諸の大菩薩に対しては、「たとえば、大風が小樹の枝を吹くようだ」とあり、吉祥草が大風になびき、川の水が大海へ流れ込むように、仏に従って来たのであるが、霊鷲山での『法華経』の説法は、まだ日浅く夢のようであり、…

  • 開目抄 その8

    『法華経』の「方便品」において、概略的に開三顕一(注:三乗すべての人が一仏乗となる、すなわち、声聞、縁覚、菩薩のすべてが仏になれる、ということ)を説かれた時、仏は、概略的に一念三千の心中の本懐を述べられた(注:天台大師は、特に止観の実践修行の中のこととして、一念に三千(すべてという意味)が備わっていることを語っている。一念にすべてが備わっているので、一念こそ、観心修行の対象となる、という意味である。しかし、天台大師は、一念三千という言葉自体は用いていない。一念三千という言葉を用いて、この教えが、天台教学の中心に位置すると述べたのが、妙楽大師湛然である)。 しかし、このような教えは初めて聞くこと…

  • 開目抄 その7

    諸の声聞は、前四味(注:『涅槃経』では、釈迦の説いた経典の順番を、乳の発酵精製過程に喩えて五味として表現しており、天台大師はこれを大きく用いている。すなわち、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味であり、『法華経』『涅槃経』が最後の醍醐味である)の諸経典において多くの呵責を被り、人天が集まった会衆の中で恥辱を受けたことは数えきれない(注:大乗経典ではこのように、いわゆる小乗の代表である声聞を責める箇所が多く見られるが、それは単に、大乗仏教が思想的にも組織的にも、伝統的仏教から脱する宗教改革であったためばかりではなく、実際に、伝統的仏教教団から異端扱いされ、多くの攻撃を受けていたためと考えられる。つ…

  • 開目抄 その6

    天台大師は、「釈迦の在世中も怨み嫉みが多いならば、ましてや未来は言うまでもない。人々を教化することが難しくなる」と述べている。妙楽大師は、「妨害する思いが未だ除かれていない者を怨とし、聞くことを喜ばない者を嫉と名付ける」と述べている。このように、南三北七の十師をはじめ、中国において無量の学者たちは天台大師を怨敵とした。得一(とくいつ・平安初期の法相宗の僧)は、「拙いことだ、天台智者大師。あなたは誰の弟子か。三寸に足らない舌をもって、仏がその顔を覆うほどの広長舌で問が教えを謗るとは」と言っている。東春(とうしゅん・妙楽大師の弟子の智度法師の著作)には、「問う。仏が在世の時、怨み嫉みが多かったとあ…

  • 開目抄 その5

    法相宗という宗派は、仏滅後九百年、インドに無著菩薩という大論師がおり、夜は都率天(とそつてん)の内院に上り、弥勒菩薩に対面して一代聖教の不審を開き、昼は阿輸舎国(あしゅしゃこく・西域にあったカニャークプジャ国)において法相の法門(唯識)を広めた。その弟子に世親・護法・難陀・戒賢などの大論師がいる。戒日大王(かいじつだいおう・ハルシャヴァルダナ。仏教戯曲ナーガーナンダの著者)は頭を下げて、周囲の国も彼に帰依した。中国の玄奘三蔵は月氏国に至って十七年、インドの三十余国を見聞きして、他の諸宗は捨てて、この宗を中国に伝えて賢王である太宗皇帝に授けた。神肪・嘉尚・普光・基などを弟子として、大慈恩寺を中心…

  • 開目抄 その4

    私日蓮は、「日本に仏法が伝わってすでに七百年余り、ただ伝教大師一人ばかりが『法華経』を読む人である」と言っているが、人々はこれを受け入れない。ただし、『法華経』には、「もし須弥山を取って、他方の無数の仏国土に投げることも、まだ難しいとは言えない。しかし、仏の滅後の悪世の中において、よくこの『法華経』を説くことは難しい」とある。日蓮が主張することは、まさにこの経文に普合しているのである。『法華経』を広めるために説かれた『涅槃経』には、末代の濁世に謗法の者は十方の国の土ほどに多いが、正法の者は爪の上の土ほどしかいないであろう、と説かれているので、どうすることもできないことである。日本の人々が爪の上…

  • 開目抄 その3

    これについて、私の愚かな見解をもって、『法華経』以前の四十年余りとそれ以後の八年との相違を考えると、その相違は多いと言っても、まず世間の学者も認め、私もそうだと思うことは、迹門の二乗作仏と本門の久遠実成である。 『法華経』の原文を拝見すると、舎利弗は華光如来、摩訶迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋栴檀香仏、富楼那は法明如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅睺羅は蹈七宝華如来、五百・七百の弟子は普明如来、学無学二千人は宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼・耶輸多羅比丘尼等は一切衆生喜見如来・具足千万光相如来となると授記されている。これらの人々は『法華経』を拝見すると尊い…

  • 開目抄 その2

    一念三千の法門は、ただ『法華経』の本門の「如来寿量品」の文の底に隠されている。竜樹・天親は知っていながらも、まだ時が至っていないとして明らかにしなかった。ただ師と仰ぐ天台智者大師のみがこれを説かれた。 (注:一念三千(いちねんさんぜん)とは、天台大師が実践修行である止観(しかん・止は乱れた心を収めること、観は心を観察すること。見た目は坐禅と同じ瞑想の形を取るが、内心はさまざまな教えに従って心をコントロールしていくことが求められる。現在知られる無念無想の坐禅とは全く異なっている)の中の用語である。すなわち、一瞬の心の動きの中にも、三千という数字で表わされたすべての事象が含まれているということであ…

  • 開目抄 その1

    開目抄 上 文永九年(1272)二月 五十一歳 (注:『開目抄』は、佐渡に流罪となった日蓮上人が、塚原三昧堂という小さな堂宇において記したものである。使者を通して、武士であり弟子である四条頼基(しじょうよりもと)に送られた。「開目」とは、迷っている人々の目を開くという意味である)。 すべての衆生が尊敬すべき人物に三つある。いわゆる主人・師匠・親である。また、習学すべきものに三つある。いわゆる儒学・外典(げてん・外道の聖典)・内典(ないてん・仏教の聖典)である。 〇儒教について 儒家では三皇(伏羲(ふっき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい))と五帝(少昊(しょうこう)・顓頊(せんぎょく)・嚳(…

  • 報恩抄 その9 (完)

    日蓮が「南無妙法蓮華経」と広めれば、「南無阿弥陀仏」の働きは月が隠れるように、潮が引くように、秋冬の草が枯れるように、氷が太陽で溶けるようになるのを見るべきです。 問う人が言います。その教えが実に勝れているならば、摩訶迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・南岳大師・天台大師・妙楽大師・伝教大師たちは、善導が「南無阿弥陀仏」と勧めて中国で広めたように、また、慧心僧都・永観・法然が日本をみな阿弥陀仏の信心にしたように、勧めなかったのでしょうか。 答えて言います。この論難は、以前からありました。今に始まったことではありません。馬鳴・竜樹菩薩などは、仏滅後六百年七百年ころの大論師です。この人々は世に出て…

  • 報恩抄 その8

    このような真言・禅宗・念仏などがようやく盛んになって来たころ、人王第八十二代尊成隠岐の法王(後鳥羽上皇)は、権大夫殿(北条義時)を滅ぼそうと年々努力されていましたが、国主であるので、師子の王が兎を襲うように、鷹が雉を取るように思われていた上、比叡山・東寺・園城寺・奈良七大寺・天照大神・八幡大菩薩・山王・加茂・春日大社などに数年間、調伏や祈祷をされていましたが、戦は二日三日さえもたず、佐渡国・阿波国・隱岐国などに流罪になって、そこで亡くなってしまいました。調伏の最上位者であった道助入道親王は、東寺から追放されたばかりではなく、眼に入れても痛くないほどの第一子の天童勢多伽(てんどうせいたか)は、そ…

  • 報恩抄 その7

    問う人が言います(注:この問いの文は非常に長い)。弘法大師の『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』には、「時に弘仁九年の春、天下に疫病が流行った。そこで天皇自ら黄金を筆端に染め、紺紙を手に握って『般若心経』一巻を書写された。私はその購読の役目を仰せつかって、経典の主旨を記し、まだ最後の願の言葉を述べる前に、生き返った人々が町を行き来した。そして、夜が変じて、太陽が燦燦と輝いた。これは愚かな私の身の戒徳ではない。金輪聖王である天皇の御信力の故である。ただ神殿に上る者だけがこの『般若心経秘鍵』を読誦し奉れ。私は昔、霊鷲山で釈迦の説法の座にあって、親しくその奥義を聞いた。どうしてその奥義に達し…

  • 報恩抄 その6

    問う人が言います。『涅槃経』の文には、『涅槃経』の行者は爪上の土ほどだとあります。あなたは、それを『法華経』と言います。これはどうなのでしょうか。 答えます。『涅槃経』には、「『法華経』の中にある通りである」などの言葉があります。妙楽大師は、「大経自らが『法華経』を指して究極としている」と記しています。大経というのは『涅槃経』のことです。『涅槃経』は『法華経』を究極の教えとしています。しかし、涅槃宗の人が、『涅槃経』は『法華経』に勝ると言っていることは、主人を従者と言い、下郎を上郎と言う人です。『涅槃経』を読むということは、『法華経』を読むことです。たとえば、賢人は国主を重んずる者に対して、そ…

  • 報恩抄 その5

    そもそも、『法華経』第五巻に、「文殊師利よ、この『法華経』は諸仏如来の秘密の蔵である。諸経の中において、最もその上にあり」とあります。この経文の通りならば、『法華経』は『大日経』などのすべての経典の頂上にある正しい教えです。そうであるなら、善無畏・金剛智・不空・弘法大師・慈覚大師・智証大師などは、この経文を、どのように密教経典と合わせ通じさせるのでしょうか。『法華経』第七巻に、「よくこの経典を受け保つ者も、またこのようである。すべての衆生の中において、また第一である」とあります。この経文の通りならば、『法華経』の行者は、川の流れや江河の中で大海のようであり、あらゆる山の中での須弥山のようであり…

  • 報恩抄 その4

    また、石淵の勤操僧正の弟子に空海という人がいました。後に弘法大師と号しました。延暦廿三年五月十二日に唐に入り、中国においては、金剛智・善無畏の両三蔵の第三の弟子である恵果和尚という人から両界曼荼羅を伝受され、大同二年十月二十二日に帰朝しました。平城天皇の時代です。桓武天王はすでに崩御され、弘法大師は、平城天皇にお目にかかり、帰依もされましたが、平城天皇はほどなく退位され、嵯峨天皇の世となりました。嵯峨天皇も弘法大師を用いられましたが、伝教大師は嵯峨天皇の弘仁十三年六月四日に入滅され、同じ弘仁十四年より弘法大師は嵯峨天皇の御師となり、真言宗を立てて東寺を授けられ、真言和尚と号して、それより八宗が…

  • 報恩抄 その3

    陳・隋の世も代わって、唐の世となりました。章安大師(章安灌頂。天台大師の弟子であり、中国天台宗第四祖と数えられる。天台大師の講義の多くを筆記して残した)も入滅られ、天台の仏法がだんだん失われていく中、唐の太宗の時代に玄奘三蔵という人がいて、貞観三年に月氏国(クシャーナ王朝。北インド一帯を領土とした国)に入って、同十九年に中国に帰りましたが、月氏国の仏法を学び尽くして法相宗という宗派を伝えました。この宗は、天台宗とは水と火のようなものです。しかし、天台大師の時代にはなかった『深密経』・『瑜伽論』・『唯識論』などを伝えて、『法華経』は他のすべての経典よりは勝れているけれども、『深密経』には劣ると言…

  • 報恩抄 その2

    問う人が言います。華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の善無畏、そして弘法・慈覚・智証などを、仏の敵とおっしゃるのですか。 答えます。これは大いなる難問です。仏法に入って以来、第一の大事です。愚かな眼をもって経文を見ると、『法華経』より勝れた経典があると言う人は、たとい、いかなる人であっても、謗法(ひょうぼう・教えをそしること)の罪は免れないことがわかります。このことを経文の通りに言うならば、どうしてこの人たちが、仏の敵でないことがありましょうか。もしまたそれを指摘しなければ、すべての経典の勝劣が空しくなってしまいます。またこの人々を恐れて、その末の人々を仏敵と言えば、それぞれの宗派の末の…

  • 報恩抄 その1

    報恩抄 建治二年七月廿一日(1276) 五五歳 (注:『報恩抄』は、日蓮上人の出家当時の師であった清澄寺の道善(どうぜん)の追善供養のために記された。道善は建治二年〈1276〉に亡くなっている。身延山の日蓮上人は、この書を記し、弟子にゆだねて、その墓前と、清澄山中の旭が森で二、三回読み上げよと指示して送った。なお、このような経緯から、現代語にするとき、である調ではなく、ですます調にして、あくまでも日蓮上人が亡くなった師に語る形式を取りたい)。 老いた狐は、自分が生まれた古塚に後ろを向けずに死に、また中国の武将である毛宝に助けられた白亀は、戦いに敗れた毛宝が逃げるのを助けたといいます。畜生ですら…

  • 一念三千法門 現代語訳と解説

    一念三千法門 正嘉二年(1258) 三十七歳(注:『立正安国論』を著わす2年前) 『法華経』が他の経典より勝っているということは、どのようなことであろうか。この経に、一心三観、一念三千ということが記されている(注:『法華経』には、一心三観、一念三千という言葉はない。『法華経』の真理は、一心三観、一念三千という教理をもって表わされた、という意味と思われる)。薬王菩薩は中国の世に出て天台大師と呼ばれ、この法門を悟られ、まず『法華玄義』十巻、『法華文句』十巻、『覚意三昧』、『小止観』、『浄名疏』、『四念処』、『次第禅門』などの多くの法門を説かれたが、それまでは、この一念三千の法門は語られず、百界千如…

  • 立正観抄 現代語訳と解説

    立正観抄 文永十一年(1274年) 日蓮 撰 (注:立正観鈔とも。副題として、「法華止観同異決」とある。身延山にて、日蓮上人53歳の著作。天台宗の僧侶で、何らかの理由により佐渡に流罪となり、その佐渡で弟子となった最蓮房宛。最蓮房は京都におり、当時の比叡山で流行していた、止観の修行は『法華経』よりも優れている、という見解についての質問状を送って来たので、それに対する回答である)。 現在、天台の教法を習学する人々の中で、止観(しかん・乱れた心を止め、心を観察するという意味。いわゆる瞑想を中心とした修行)の観心修行を貴んで、『法華経』の本門迹門の教えを捨てることが多く行なわれているようである。 (注…

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