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歴史好きの徒然日記 https://www.yamatotsurezure.com/

奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。

やまとこおりやまん
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2019/06/30

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  • 上街道沿いの幻の中世城跡・井戸城と別所城~上街道散歩(2)

    戦国時代、筒井氏の重臣であった井戸氏が本拠とした井戸城は、幾度も大和の戦国史における重要な戦いの舞台となり、史料上に頻出する城郭でありながら、廃城後どこにあったのか現在では判然としない幻の城郭になっています。 その有力な候補地となる奈良県天理市の二つの城跡を散策しながら紹介します。

  • 南北朝の争乱・興福寺支配の解体と大和永享の乱~大和武士の興亡(2)

    鎌倉時代末期から南北朝時代を経て興福寺の支配を脱していく大和武士の姿をご紹介します。 鎌倉時代末から大和国内では興福寺の両門跡寺院の争いが激化して寺門の権威が失墜する一方で、南北朝の争乱を通じて衆徒・国民たちは興福寺からの自立し、幕府・北朝方の筒井氏と南朝方の越智氏が二大勢力として成長。 以後、両氏の対立を軸に大和の中世動乱は新興することになります。 南北朝の和議が成立した15世紀初頭には幕府の介入なしに大和国内の争乱が鎮まらなくなり、大御所足利義持の死を契機に幕政に動揺が走る中、大和では10年にわたる大乱・大和永享の乱が勃発します。

  • なぜ興福寺は中世大和の支配者となったのか~大和武士の興亡(1)

    奈良県域の大和国は中世興福寺が治めたことで知られ、鎌倉、室町を通じて守護が置かれませんでした。 しかし、他国同様平安時代の後期には武士が出現しており、大和の武士たちは興福寺によって組織化されていきました。 なぜ興福寺が中世大和の支配権を握ったか、大和の武士はどのように興福寺に組織されていったか、他国とはちょっと違った中世武士の姿をご紹介します。

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