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歴史好きの徒然日記 https://www.yamatotsurezure.com/

奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。

やまとこおりやまん
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2019/06/30

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  • 古市城~風流を愛した国人・古市氏の夢の跡を歩く

    古市城は中世奈良で有力だった5つの国人の一、古市氏の居城。 その城域は南北400m以上に及ぶ広大なものという説がある一方、それほどの者ではなかったという説もあり、謎が多い城跡です。 現在の城跡の様子を発掘成果や学説なども交えながら紹介します。

  • 応仁の乱・激戦地の大和~大和武士の興亡(5)

    1467(応仁元)年5月、御霊合戦で山名宗全によって面目をつぶされた細川勝元はついに反撃を開始して応仁の乱が始まります。 将軍・足利義政は停戦を働きかけますが、宗全と勝元の幕府における主導権争いに、畠山氏、斯波氏の内訌、日明貿易を巡る大内氏と細川氏の対立に果ては将軍継嗣問題も複雑に絡み、大乱は解決の意図具とを見いだせないまま長期化しました。 その乱の開始から終結まで、大乱の渦中に巻き込まれた大和武士たちの活躍を中心に詳しく紹介します。

  • 宇陀松山~旧街道沿いの町並み散歩

    奈良県宇陀市の宇陀松山地区は、江戸から昭和にかけて建てられた町屋が数多く残り、歴史的景観を体感できる町です。 今井町、五條新町と並んで重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている宇陀松山の町を詳しく紹介します。

  • 大和の戦乱と応仁の乱のはじまり~大和武士の興亡(4)

    応仁の乱の大きな原因となった畠山氏家督を巡る争いは、南北朝争乱以降の抗争の図式が残る大和を中心に起こりました。 大和国内での戦乱を中心に応仁の乱に至る経過をわかりやすく解説します。

  • 高原にそびえた大和第三の近世城郭・宇陀松山城~破却された幻の城郭を歩く

    奈良県宇陀市の宇陀松山城は、奈良県下では郡山城、高取城とならぶ近世城郭でした。 もとは在地国人・秋山氏の詰城でしたが、伊勢街道を抑える豊臣政権の拠点として近世城郭として大規模拡張されました。 しかし、1615年に大坂の役で豊臣方への内通を疑われた城主が改易されて廃城となり、幕府の命を受けた小堀遠州によって城跡は破却を受け再建されることはありませんでした。 現在は大規模な破却の跡が生々しい城跡として残っており、近年登城ルートも整備が進み、多くの人が訪れやすい城跡になってます。

  • 応仁の乱への道~大和武士の興亡(3)

    大和永享の乱は幕府方筒井氏の勝利で終結しました。 しかし乱後間もなく嘉吉の変で将軍・足利義教が暗殺されると、義教によって失脚していた各地の実力者が復活。 大和でも筒井氏出身の成身院光宣と一時将軍・義教によって失脚していた経覚が、興福寺の権益を巡って10年以上争うことになりました。

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