南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
筒井順慶反撃の最前線となった中世城館・窪之庄城~上街道散歩(11)
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
安産祈願の帯解地蔵と貴重な和算の算額・帯解界隈を歩く~上街道散歩(10)
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
美しい天空の城塞環濠集落・竹之内環濠を歩く~上街道散歩(8)
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
古墳を巧みに活用した中世環濠集落・萱生環濠を歩く~上街道散歩(7)
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
美しき国宝本堂は中世建築の傑作・長弓寺~きたやまと散歩(3)
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
二つの宮座が併存する高山八幡宮・無足人座と高山茶筌の発祥を考える~きたやまと散歩(2)
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
北和の有力国人・鷹山氏と奈良県最北の城・高山城~きたやまと散歩(1)
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
ちゃんちゃん祭りの御旅所を巡る・大和神社(後編)~上街道散歩(6)
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
記紀神話から丹生川上神社、戦艦大和まで多くの「ゆかり」を持つ古社・大和神社(前編)~上街道散歩(5)
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
伝説と文化財にあふれる山の辺の道の古刹・長岳寺~上街道散歩(4)
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
往馬大社(往馬坐伊古麻都比古神社)を参詣する。近世以前の生駒の歴史・生駒谷散歩(1)
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
大和国人たちの運命を決した関ヶ原の戦いと大坂の陣~大和武士の興亡(20)
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
大和武士の黄昏。豊臣政権下の大和国衆と筒井氏の伊賀転封~大和武士の興亡(19)
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
古代ロマンと江戸の面影が残る伊勢本街道の宿場町、榛原・萩原宿~おすすめ散歩スポット
現在奈良県宇陀市の中心市街となっている近鉄榛原駅周辺は、江戸時代まで奈良、京都、大坂と伊勢を結ぶ伊勢本街道の宿場町・萩原宿として栄えました。 現在に残る旧街道の様子と往時の賑わいを伝える痕跡を紹介します。
松永久秀滅亡後、知行宛行権を除く広範な大和の支配権を織田信長から認められた筒井順慶は、信長政権のもとで急速に近世大名への道を歩みます。 順慶によって大和の中世は終焉を迎えることになるのです。
思ってたんと違う(16)~1964年阪神対南海の関西ダービーは閑古鳥が鳴いていた
59年ぶりに2回目の関西ダービーとなった2023年の日本シリーズ。 関西のメディアを中心に大きな盛り上がりを見せていますが、1964年に阪神と南海が戦った日本シリーズは、日本シリーズ史上最低の観客動員を記録するほど集客面で苦戦しました。 その原因はなんだったのかご紹介します。
大和で1559年から続く筒井順慶と松永久秀の抗争は1571年辰市城の戦いで順慶が久秀に勝利したことで大きく筒井氏の優勢に傾きます。 織田信長が大和支配で順慶を重用する一方、劣勢の久秀は1577年、居城・信貴山城に籠って信長に反旗を翻しました。
1564年から70年にかけ、大和で繰り広げられた筒井順慶と松永久秀の一進一退の攻防を紹介します。 三好長慶の死から大きく畿内の情勢は動き出し、三好家中で孤立した久秀に順慶の反転攻勢が始まります。
1550(天文19)年に大和を統一した筒井順昭が28歳の若さで死去すると、2歳の遺児・順慶が当主となります。 一族・家臣の支えで筒井氏による大和の平和は守られましたが、1559年松永久秀による大和侵攻でその平和は打ち破られました。
木沢長政の死後、大和で台頭したのが筒井順昭でした。順昭は長政派の残党を掃討しながら勢力を強め、元々同格の有力国人だった箸尾氏、十市氏、そして最大のライバル越智氏を降してわずかか4年で大和統一を果たします。 順昭の大和統一事業と最期を紹介します。
木沢長政の大和侵攻と歌人大名・十市遠忠の奮戦~大和武士の興亡(13)
享禄・天文の畿内の混乱から下剋上を果たした木沢長政は、信貴山城を築いて大和への侵攻を開始する。 筒井氏を始め多くの国人たちが長政に従う中、十市遠忠は龍王山城を拠点に敢然と立ち向かい、十市氏を大和有数の戦国大名へと成長させた。 また十市遠忠は中世を代表する歌人であり、その奮戦と最期を紹介する。
明応の政変以来続く他国衆による大和侵攻の流れの中、1528年には筒井と越智の戦いで混乱する大和へ柳本賢治による大和乱入、1532年には一向一揆が相次いで勃発。 筒井、越智を中心とした大和国人の動向を畿内の政治情勢と併せて紹介します。
永正の錯乱以降の混乱で細川京兆家家督を握った細川高国も、家中の混乱を宿敵・細川晴元、三好元長主従に衝かれて京都を追われます。 畿内が混乱する中、筒井順興は越智家頼との同盟を破棄して再び筒井と越智の抗争が再燃。 再び大和の争乱が激しくなる中、薬師寺の西塔が兵火に巻き込まれて炎上します。
永正の錯乱で細川政元が暗殺され勃発した細川高国と細川澄元の細川京兆家家督を巡る争いは幕府と畿内全域を巻き込む争乱へと発展します。 激動の畿内の戦国史を大和武士の活躍を中心に紹介します。
永正の錯乱により赤沢朝経が死亡すると一度は領地を追われた大和国人一揆は故地に戻ります。 細川氏の分裂によって混迷を極める畿内の戦乱に巻き込まれていく大和国人たちの活躍を紹介します。
応仁の乱から明応の政変と戦国の争乱が進む中、ついに大和の領地が他国衆に知行される事態が発生します。 1499年に畠山尚順に与する筒井党を討伐するため大和へ乱入した細川政元家臣の赤沢朝経は北和を席巻して寺社を焼き、反抗する国人の土地を自領としました。 この他国衆による大和侵略を前に大和の国人たちは、筒井党、越智党に分かれて多年にわたる対立を乗り越え、興福寺・春日社を精神的紐帯として一揆を結んで立ち向かいました。
思ってたんと違う(15)奈良県を襲った空襲~奈良も戦災は免れなかった!?
「奈良や京都は文化財が多いので空襲を免れた」という言説が戦後まことしやかに語られましたが、奈良は被害のあったものだけでも15回の空襲を受け、多数の犠牲者が出ました。 奈良を襲った空襲とはどのようなものだったかを紹介します。
応仁の乱後、将軍・足利義尚、大御所・足利義政が相次いで死去すると、足利義視の嫡男・義材が11代将軍となります。 しかし新将軍・義材は幕府の実力者である日野富子、細川政元、伊勢貞宗らの支持を得られず、河内へ親征中にクーデターを起こされ、将軍の座を追われました。 この明応の政変で大和では政元らに加担した越智氏、古市氏が全盛期を迎えましたが、その栄光は長続きしませんでした。
現在の奈良県天理市の中心地域は昭和29年の合併前までは丹波市町という町でした。 丹波市は中世以来、上街道沿いに発達した宿場町で、江戸時代は伊勢藤堂家の宿駅として整備され、山辺地域の中心的存在でした。 現在も江戸時代以来の町屋が残るかつての中心市街である丹波市の町と天理駅から天理教本部前に続く現在の中心街の様子を紹介します。
奈良県内を中心に地域の歴史や現在の情報を中心に発信してきた当ブログですが、お陰様で2023年7月9日で4周年を迎えました。 当ブログの記事は、実際に現地を足を運んで取材して書くことも多いですが、資料や絵図などを調べたり、集めたりすることも大変多いです。 今回は、筆者が記事作成するうえで利用している、おすすめの調べものや引用に便利なサイトをご紹介します。 国立国会図書館デジタルコレクション 国土地理院HP・地理院地図 奈良県立図書情報館・まほろばデジタルライブラリー 奈良盆地歴史地理データベース・小字データベース さいごに 国立国会図書館デジタルコレクション 国立国会図書館で保存・収取しているデ…
1477(文明9)年11月、応仁元年以来11年続いた応仁の乱は、外形上東軍・幕府方の勝利で終結し、京都での戦闘は終結しました。 しかし、大乱以前から続く畠山義就と政長による家督争いはなおも続き、京都を去った義就は幕府に反乱したまま、河内、大和を実力で切り取ります。 大和では西軍だった義就方の国人、越智氏、古市氏が勝利を収め東軍に付いた筒井氏、十市氏は没落しました。 畠山氏の内訌は乱後も激しく続き、その渦の中に大和の国人衆も巻き込まれます。 主戦場は大和そして南山城へと移り、戦いは意外な形で収束することになりました。
古市城は中世奈良で有力だった5つの国人の一、古市氏の居城。 その城域は南北400m以上に及ぶ広大なものという説がある一方、それほどの者ではなかったという説もあり、謎が多い城跡です。 現在の城跡の様子を発掘成果や学説なども交えながら紹介します。
1467(応仁元)年5月、御霊合戦で山名宗全によって面目をつぶされた細川勝元はついに反撃を開始して応仁の乱が始まります。 将軍・足利義政は停戦を働きかけますが、宗全と勝元の幕府における主導権争いに、畠山氏、斯波氏の内訌、日明貿易を巡る大内氏と細川氏の対立に果ては将軍継嗣問題も複雑に絡み、大乱は解決の意図具とを見いだせないまま長期化しました。 その乱の開始から終結まで、大乱の渦中に巻き込まれた大和武士たちの活躍を中心に詳しく紹介します。
奈良県宇陀市の宇陀松山地区は、江戸から昭和にかけて建てられた町屋が数多く残り、歴史的景観を体感できる町です。 今井町、五條新町と並んで重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている宇陀松山の町を詳しく紹介します。
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南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。