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  • 日本一のポストと中華鍋

    日本一のポストといっても総理大臣の座というわけではありません。日本一の大きさの郵便ポストです。 写真1 丸型ポスト これが日本一大きい(らしい)丸型ポストです。一般的な丸型ポスト(郵便差出箱1号)は高さ1.35mですが、写真1のポストは高さ2.8mです。2.1倍ぐらいですね。ここまで高いと、ひさしが付いた投函口(上の方…高さ2.1m)に入れるのはたいへんになってきます。そのため、下の方(高さ1.4mのところ)にも投函口があります。 ところでポストの脇にある説明文を読んでいくと「材料:ヒューム管、中華鍋」と記されています。中華鍋?! どこに中華鍋が使われているのだろう…と思いながら上から下まで見…

  • 書面は手段であり目的ではないというお話

    相手にこちらの意思を伝えるためには(a)~(c)のような(広義の)書面を用います。しかし、これを目的と勘違いするといろいろ問題が発生します。 (a)共通の台帳などに記入 (b)伝票送付 (c)電子メール送信 ◇ ◇ ◇ ある工場がありました。本件に関する登場人物は下記の通りです。 Aさん:製作管理責任者(所定日に所定数、完成納入させる責任を負う) Bさん:製作担当者(指示通りに製作する) この工場で製作していたある製品は、毎日朝から夕方までの間に1式組立完成させて、当日夕方すぐに顧客納入するという形態を採っていました。基本的に毎日製作であり、そもそもこの工場はとても規模が小さいため、この製品製…

  • 京都府と大阪府の境目の山崎駅とデイリーヤマザキに関するお話

    都と県の境目は都県境と称します。では府と府の境目は府府境かというとそうではなく、府境と称するようです。県と県の境目が県境と称するのと同じことです。 写真1 山崎駅の府境標識 東海道本線の山崎駅は京都府と大阪府にまたがっており、府境には写真1のようにそれを示す標識があります。「阪大」と記されていますが、大阪大学というわけではありません。右半分は右から読むわけですね。 写真2 府境標識の足元拡大 写真2は写真1の標識の足元です。京都府と大阪府が向き合うように記されているわけではなく、京都府側から読めるようになっています。この地における京都府と大阪府の力関係を示しているのでしょうか…(追記:左側が駅…

  • 都県境を歩いて越えて羽田空港へ行き来するお話

    羽田空港へ行く方法はいろいろありますが、「歩いて」「都県境を越えて」行くことが一応可能です。とても不便な経路なので実用にはなりませんが、境目好きとしては外せません。今回は多摩川スカイブリッジの境目(東京都と神奈川県の都県境)を通って、羽田空港(東京都)から神奈川県側に歩いてみました。 写真1 空中写真(2019年6月) 写真1は多摩川スカイブリッジと羽田エアポートガーデンがまだ建設中だった頃に撮影されたものです。多摩川スカイブリッジの開通は2021年12月、羽田エアポートガーデンはコロナ禍により予定より3年近く遅れ今年1月にやっと開業しました。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・…

  • 【息抜き】ネコさん

    まじめな記事が続きましたので、息抜きです。 写真1 ネコさん1 写真2 ネコさん2 とある場所にネコさんがふたりいました。天気がよくて暖かく、気持ちよさそうに目をつぶっていました。 写真3 ネコさん1「何なのニャ」 写真3はネコさん3ではなくネコさん1です。相手をしてもらおうと思って声をかけたら、「何なのニャ、気持ちよく寝ているというのに…」という感じでにらまれました。 平和な風景です。この国は本当に平和だと思います。 以上さかてつでした…

  • 常識が共有不足だと命にかかわることもある

    「常識」という言葉には、「当該分野における基礎」という意味もあると思います。技術分野において常識が不足している場合には、時として非常に危険な状況に陥ることもあるので十分注意が必要です。 ◇ ◇ ◇ ある方が他業種(技術とは縁がない分野)から転職してきました。ものづくりの職場においては労働災害を発生させないため安全教育を実施することになっています。もちろんこの中には「電圧が印加されている可能性がある部位(端子等)には決して触れない」という内容も含まれていました。 ある日のことです。その方に装置の絶縁抵抗を確認してもらうことになりました。回路図と記録用紙を提示しながら「ここに記してあるように、この…

  • 常識はお互い異なるのが常識

    人と人、あるいは組織と組織が情報のやり取り、調整などを行なう際、それぞれが持つ「常識」を基にして進めていくものです。ただし「常識はお互い異なる」という常識を持っていないと、いろいろ問題が生じます。 【餅の形に関するお話】 私は関東の出身です。正月などに餅を食べる時には金網に乗せて焼いたりします。角がちょっと焦げることがありますが、そこがまたおいしいと思います。 ところで、関西出身の方に上記の話をしたら「どういうことかよくわからない」と言われました。関西において餅は丸いのが常識だからです。 ここで申したいのは「餅の形はどちらがよいか」ということではありません。関東と関西で「餅の形に関して常識が異…

  • 夕張鉄道キハ254(→関東鉄道キハ715→鹿島鉄道)の戸閉め車側灯

    車両の側面には表示灯が取付けられています。今回は、キハ715の戸閉め車側灯に関してです。 キハ714と同じく、キハ715も夕張鉄道キハ254時代に戸閉め車側灯はありませんでした。取付けられたのは、関東鉄道入線に際して半自動扉に改造された時です。手動扉であっても連動接点を設けることにより戸閉め車側灯を点灯させることはできますし、また実際そういう事例はありますが、夕張鉄道の場合は戸閉め車側灯がありませんでした。 写真1 キハ715 写真2 キハ715 写真1~2はキハ715の戸閉め車側灯です。車体側面から突出しており、前後に赤レンズが取付けられています。 写真3 他形式との比較 さて、それではキハ…

  • 夕張鉄道キハ254(→関東鉄道キハ715→鹿島鉄道)の運転台窓下通風口の位置

    写真1 キハ715 キハ710形(キハ711~713)やキハ714形と同じような車両(写真1)を引っぱり出してきましたが、別物です。 1953年に登場したキハ250形キハ251に続き、1955年から翌年にかけて夕張鉄道にキハ252形キハ252~254が登場しました(キハ254は1956年登場)。キハ250形キハ251の増備ということになりますが、前後の客室扉間に転換クロスシートが並び、窓幅が小さい点が異なります。その後キハ252とキハ253が次々に片側貫通化されたために形式が分けられ、結果としてキハ252~254はすべて1形式1両となりました。要するに下記のようになったわけです。 キハ250形…

  • 記憶ではなく記録しよう

    私は中学生の頃から鉄道を中心とした写真を撮影しています。そして、それらの古い写真も活用しながら電子書籍を作成・発行しています。電子書籍に掲載した写真の下には「▲キハ713 石岡(1982年10月) 左 鉾田」などと記しています。 ところでこれらの写真、「いつ」「どこで」撮影したか覚えているわけではありません。人間の記憶などいい加減です。1週間前のお昼に何を食べたか覚えていないぐらいですから、約40年も昔のことなど記憶にないのが当然です。それではなぜ「▲キハ713 石岡(1982年10月) 左 鉾田」と記せるかというと、写真1コマごとに「いつ、どこで、何を、どのような方向で」撮影したか記録してあ…

  • 夕張鉄道キハ251(→関東鉄道キハ714→鹿島鉄道)の笛と側面

    写真1をご覧になって「なんだ、キハ710形じゃないか」と思われたかもしれません。確かによく似ているのですが、今回は夕張鉄道からやってきた車両で別物です。 1953年、夕張鉄道にキハ251形キハ251が登場しました。上記の通り三井芦別鉄道キハ100形とよく似た車両です。この夕張鉄道は1974年に休止となりました。鉄道線は北海道炭礦鉱汽船に譲渡されましたが翌年廃止となったため、車両たちは働き場を失いました。 写真1 キハ714 夕張鉄道の車両たちは各地の鉄道に引取られていきましたが、キハ251は関東鉄道に引取られ、1976年に関東鉄道キハ714形キハ714として再登場しました。なんとも半端な形式で…

  • 三井芦別鉄道キハ100形(→関東鉄道キハ710形→鹿島鉄道)の床下機器

    地方私鉄というだけでも鉄道趣味人の注目を集めないものですが、「地方私鉄」の「気動車」の「床下機器」に関してとなると、「注目されない」の3乗になります(世間一般では「全く注目されない」と表現します)。このような写真を撮影する人はほとんどいないので、それだけに貴重かなと思って記事を書いています。 写真1 キハ711の小さな空気溜 写真1はキハ710形の床下機器です。ディーゼル機関の脇に空気圧縮機が取付けられており、Vベルトで駆動されます。ここで圧縮された空気は元空気溜に蓄えられますが、制御空気溜の下に小さな空気溜(青↑印)があるのが目に留まります。圧縮された空気をいったん膨張させてドレン(結露水)…

  • 三井芦別鉄道キハ100形(→関東鉄道キハ710形→鹿島鉄道)の笛覆いと雨どい

    1958年、北海道の芦別にあった三井鉱山に、初のディーゼル動車キハ100形3両が登場しました。1960年には鉄道部門が独立して三井芦別鉄道となりましたが、1972年に旅客営業が廃止されてしまったため、キハ100形は不要となりました。(貨物営業はその後も継続し、1989年に鉄道が廃止されました。) 写真1 キハ711 写真2 キハ711 1972年、キハ100形は3両とも関東鉄道に引取られてキハ710形となり、鉾田線で走り始めました。関東鉄道鉾田線は1979年に鹿島鉄道に分離されましたが、キハ710形は大きな改造もされず、1991~1992年に廃車となるまで活躍しました。 写真3 キハ711 写…

  • ものは正直…できている通りに動く

    ものはできている通りに動くのニャ 今回申したいことは「ものは正直」ということです。できている通り、つまり現実の物理現象通りに動きます。人間が勝手に作り上げた理論通りには動きません。 ◇ ◇ ◇ 昔々、設計部門にAさんとBさんがいました。ある時期、「先端部からシート(紙や布など)表面までの距離をシート厚さにかかわりなく一定に保つ機構」の開発を担当していました。話を簡単にするため、ここでは「一定すきま確保機構」という名称にしておきます。 この機構の原理は「先端部がシートにぶつかったら一定量戻す」という簡単なもので、具体的には下記(1)~(4)となります。(4)の「一定角度回転」が「先端部からシート…

  • 相手に直感的に理解してもらうためにはグラフ化しよう

    これなら直感的にわかるニャ ものづくりにおいては日常的に数値を扱います。相手に対して「ある入力に対して出力はどうなるか」という説明をするのもごく普通のことです。「入力Xに対する出力YはY=2Xで示される」という簡単なものであれば「出力は入力の2倍である」という文章で十分ですし、その一言で直感的に理解できると思います。しかし現実にこんな簡単な事例はまずありません。 技術的な話だとその技術的意味に関する説明が必要になるので、ここでは所得税を例にしてみます。課税所得を入力、税額を出力として「課税所得に応じて税額がどのように変わるか(どのように設定されているか)」ということを調べてみたいと思います。(…

  • 隅田線No.4送電塔の謎

    隅田線…はて? 京成電鉄か? 東武鉄道か? いえ、いずれでもありません。東京電力です。走っているのは電車ではなく66kV三相交流です。 写真1 送電塔 ある日、某所を歩いていたら写真1のようなちょっと変わった2本一組の送電塔が目に留まりました。 写真2 少し接近して見た送電塔 接近すると写真2のように見えます。形と色、いずれも素敵です。 写真3 送電塔No.甲-4 写真4 送電塔No.甲-4 写真3はさらに接近して見た送電塔です。1本しか見えません。写真4に示したように「No.甲-4」と記されています。「No.4-甲」ではないんですね。 写真5 送電塔No.乙-4 それではもう1本はどこにある…

  • 葛飾区の町名など…

    写真1 ひらがなへのふりがな 写真1 ひらがなへのふりがな(拡大) 写真1は、某所に掲載されている街区表示板です。漢字にひらがなのふりがなが付されているのはわかるのですが、ひらがなの「お」にもご丁寧に「お」とふりがなが付されています。たとえば「お」を「あ」と読むのならふりがなは必要でしょうけれど、「お」を「お」と読むのなら不要ではなかろうか…と思いました。 写真2 新宿三丁目 写真3 新宿三丁目 写真2と写真3はどちらも23区内にある「新宿三丁目」交差点の標識です。しかし、例えば漢字を読めない外国の方が紙片に「新宿三丁目」と記してタクシーの運転手に渡したとすると、結構たいへんなことになるかもし…

  • 頭でわかっているつもりでも体は動かない…だから訓練が大切…というお話

    プロが操縦する飛行機 日頃は自社内で仕事をしている人であっても、お客様の現地へ出張して作業をすることがあると思います。通常と異なる仕事をすることになるわけですが、その手順を書面で確認しただけで問題なく作業できる…でしょうか? ◇ ◇ ◇ 危なっかしいさかてつ機長 ある日、私は羽田空港でB737旅客機を離着陸させていました。滑走路34Rの右回りtraffic patternです。以下は、進入着陸時の操縦室におけるインストラクターと私の会話です。 …イ「base legに…right turn」私「はい」 …イ「今度はfinalに入ります。heading 337」私「right turn, hea…

  • 仕様書などの内容は明確に表現しよう

    で、どうしたらいいのニャ? ものづくりにおいては、「どのようなものを作ってほしいか」「どのように物事をやってほしいか」などを相手に明確に伝達する必要があります。具体的には仕様書、図面などです。これらの文書は物(もちろんソフトウェア含む)を作るに際して拠り所となるものですが、読み手が悩むような内容にすると書き手との「境目」でいろいろな齟齬や誤りが生じ、結果としてものづくりがうまくいきません。どのような表現方法にしたらよいのでしょうか? 技術的な話だと表現方法以前に技術専門用語に関する説明が必要になってしまうので、ここでは「自転車はどこを走るべきか」という日常的な内容を例にしてみます。(注記:自転…

  • 代々木にあったあの建物が『天気の子』の題材になっていたというお話

    写真1 2014年11月撮影 写真2 2014年11月撮影 写真2の拡大 昔の話です。 代々木駅の西側に、写真1~2のようにとても素敵な(…と私は思う)建物がありました。屋上の柵など表現のしようもないぐらい素晴らしい状態です。「とても素敵だけど、あと1年もしたら解体されちゃうだろうな…」と思い、記念撮影しました。 写真3 2016年11月撮影 写真4 2016年11月撮影 ところが意外なことに、写真3~4のごとく2年経過しても解体されません。 1階の角にはパチンコ屋の代わりに新しいお店さえ入っています。 写真5 2016年11月撮影 写真6 2016年11月撮影 その日は近くで会合がありました…

  • 青梅街道の下の新宿歩行者専用道

    青梅街道の下の新宿歩行者専用道が少し伸びていました。以前はE8出口が東端だったのですが、現在はE9出口が東端に変わりました。 写真1 E8出口付近(2018年1月) 写真2 E8出口付近(2023年2月) 写真1はE8出口が終端だった頃です。写真2では壁がなくなり、ずっと奥まで伸びています。今回開通した区間は天井の構造が違うことがわかります。 写真3 E8出口(2018年1月) 写真4 E8出口(2023年2月) 写真3はまだ壁があった頃です。写真4は現在ですが、床面の汚れ具合の差異がよくわかります。天井構造の相違とともに「境目」であることを主張しているかのようです。 写真5 天井(2023年…

  • 自分の頭の中身は相手に簡単には伝わらないと認識しよう

    以心伝心なんてないのニャ… 自分自身の頭の中身(理解していること)は相手も同様にわかってくれる(理解できる)…と思い込んでしまうことがあります。しかし、現実には想像以上にわかってもらえないもので、これに起因して「人と人の境目」でいろいろ問題が起こります。 ◇ ◇ ◇ 昔々…ちょっとした試験を実施するため、ステッピングモータを駆動させる必要が生じました。そこで、私は部品を集めて駆動回路基板を作りました。「タイマICで矩形波発生→カウンタIC→デコーダIC→トランジスタアレイで駆動」という基本構成の簡単な回路です。試験の内容より下記のように操作するものを設けました。 (1)電源スイッチ (2)矩形…

  • 技術文書こそなるべくカタカナではなく漢字を使おう

    やたらとカタカナがちりばめられている文章・文書を目にすることがあります。なんとなく格好良い雰囲気を出すためだけならばよいのですが、きちんと意思疎通を図りたい時にこれで問題ないでしょうか? ◇ ◇ ◇ カタカナ(英語、オランダ語、ドイツ語、フランス語…などの外来語が多い)は漢字(これも外来語だが)よりも概してその単語の意味する範囲が広めなので、結果として意味するところがあいまいになりがちです。そのため単語の意味の解釈は人により、あるいは場面により異なってきます。例えばこんな感じです。 【1】お店で… あるお店で趣味に関する資料の紙の束を購入しました。数百枚ある資料ですが綴じてありません。 私「あ…

  • 漢字は感じ

    写真1 郵便ポスト あるところを歩いていたら、郵便ポスト(写真1)がありました。 写真2 犬? 何やら落書きされているようです。よく見たら落書きではなく、写真2のように「犬」というステッカ(門票と称するらしい)のようなものが貼られていました。犬、太、30、という文字を組み合わせたように見えます。「太った犬、体重30kg」という感じ(漢字)と言えますね。 表意文字とはおもしろいものだと思います。 以上さかてつでした…

  • 小田急電鉄特急用車両の帽子掛け

    小田急電鉄の特急用車両はその一部が博物館に保存されています。製造年代ごとに車内外の雰囲気がいろいろ異なります。今回は帽子掛けという部品に注目してみました。 写真1 3000形車内 写真2 3000形帽子掛け 3000形は1957年に登場しました。 帽子掛けは写真2に示したような形です。最初、丸棒を曲げて溶接したのかと思いましたが、いくらなんでも工数が掛かりすぎるし、形状のばらつきが大きくなります。さらに、太さを変化させるために削るのは大変です。…ということから、ロストワックス製法と推定されます。錆の出方から表面仕上げはクロムメッキのようです。したがって、材質は鋳鉄でしょう。鋳造、表面研磨、メッ…

  • 作成した図面・資料は対話しながら確認しよう

    設計とは、簡単に言うと「ある物・事象をどのように具体化するか検討すること」です。その検討結果は仕様書、設計書、図面などにまとめられます。 たとえば製作図面であれば製造現場へ製作指示するためのものですが、この図面に誤りがあれば意図せぬ部品ができてしまい、製品がまとまりません。結果として工程的にも金銭的にも損失が生じますし、お客様の信頼も低下します。このようなことを未然防止するため、設計担当者(作成者)により作成された図面は、他の人(審査者と承認者)により確認されるのが普通です。 さて、それでは審査者と承認者がそれぞれ個人としてしっかり確認すれば図面の誤りはなくせる…でしょうか? ◇ ◇ ◇ 審査…

  • 眠りの大切さを認識しよう

    ものづくりの仕事をしていると、いろいろな問題が発生するものです。それを根性で解決せざるを得ないこともあろうかとは思いますが、それが本当に適切なやり方なのでしょうか? ◇ ◇ ◇ 昔々の話です。 私が設計を担当して納入した装置が、ある日お客様のところで動作不良を起こしました。破損はしていないため、当該装置の部品寸法に関して何かまずい点があるのではないかという話になってきました。この装置はお客様においてたいへん重要な位置付けのものであり、原因と対策を大至急報告するよう強く求められました。 私は関連図面をすべて引っぱり出し、部品寸法とその公差を確認していきました。しかし、公差内で製作されている限り動…

  • 天神下交差点付近の春日通が拡幅されるとかさぶたがはがされる建物

    湯島天神の東方に、天神下交差点があります。この付近、かなり以前から春日通の拡幅工事中です。 写真1 空中写真(2009年4月) 写真2 空中写真(2019年8月) 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真1と写真2の右寄り(東寄り)に天神下交差点が見えますが、この付近は春日通が北側に拡げられつつあります。文京区都市計画図を参考にして、写真2に赤い線で春日通の拡幅予定範囲を記入してみました。写真1と見比べると、交差点の左上(北西)付近はこの10年間で建物がほとんどなくなっていることがわかります。 1.天神下交差点西側…

  • 理系だからこそきちんとした文章を書こう

    世の中ではよく、文系と理系という区分をします。そして「私は理系だから文章は苦手だ」という人が結構いますが、本当にそれでよいのでしょうか? ◇ ◇ ◇ 私が某装置の設計担当者だった頃の話です。あるお客様から20年ほど使用した製品が返送されてきました。動作がぎくしゃくして調子が良くないとのことでした。返送されてきた現品を調査したところ、ある部品が摩耗変形していました。20年も使用すれば当然の話です。調査報告書に「部品が変形していたので良品と交換修理いたしました」と記載し、現品とともにそのお客様に返送しました。 何日か経って、お客様から「ほかにも同様の製品がたくさんある」と連絡が入りました。後日、別…

  • amazonペーパーバックの印刷に不具合が発生した事例

    (↑前回の記事です。) amazonでペーパーバックを発行するには、原稿ファイル(いわゆる中身)と表紙ファイルをPDFデータで作成してアップロードすればOKです。お客様が注文すると、原稿ファイルのデータが紙に印刷され、表紙ファイルのデータに基づき表紙が作成され、両者を合体した形で製本・裁断、そして完成品である本(ペーパーバック)が送付されます。 発行する側(著者の側)としては「原稿ファイルと表紙ファイルの状態がそのまま印刷される」と思うものですが(少なくとも私はそう思っていたのですが)、今回amazonペーパーバック第2弾として発行した『渋谷 街風景 1』において、原稿と印刷結果に相違が発生し…

  • 東横線渋谷駅付近10年間の変化に関するペーパーバック

    ペーパーバック第2弾ということで『渋谷 街風景 1』をamazonで発売しました。今回は誌面を「裁ち落とし」「AB判(幅210mm×高さ257mm)」としてみました。第1弾『関東鉄道グループのキハたち 1』の「裁ち落としなし」「B6判(幅128mm×高さ182mm)」と比べてずいぶん大きく感じます。 写真1 表紙 写真2 誌面 AB判は幅がA4判と同一、高さがB5判と同一というもので、縦横比が√2ではない点が特徴です。写真グラフ雑誌などによく用いられる判型で、実際に編集してみると写真を横に並べやすいと感じます。 裁ち落とし設定で紙面を作成していくのはちょっと面倒でしたが、出来上がって見ると「悪…

  • 鉄道に関する電子書籍の書式

    私が初めて電子書籍を発行したのは2020年の10月でした。「電子書籍をどのように発行するか」ということに関しては以下の本にすべて書いてありますので、記してある通りに実施しました。 それよりも私が悩んだのは「紙面書式をどうするか」でした。電子書籍の場合は紙の書籍とは異なり、紙面の大きさが読む人(使う装置)によって異なります。試行錯誤して「1ページ当たりの情報量および文字寸法比率が新書判の紙面とほぼ同じ」になるようにしました。原稿作成に使用しているのはパワーポイントです。以下のような見開き書式を設定し、それに写真、文、図、表を貼り付けています。 表1 発行書名一覧 まず表1は、現在発行中の書名一覧…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 東横線地上駅とその跡

    今回は、東横線渋谷駅とその跡を東から見た状態です。 写真1 2012年12月 東横線電車が発着していた高架線の渋谷駅です。 写真2 2013年8月 東横線が地下にもぐって半年近く経ちました。解体中ですが、まだ屋根が残っていました。 写真3 2014年8月 写真4 2014年12月 写真5 2016年2月 写真6 2016年11月 写真3~6は、高架線を載せていた建築物が解体されていく状況です。 写真7 2017年8月 写真8 2017年12月 鉄骨が組み上がり始めると、あとは早いものです。 写真9 2018年5月 定点観測に用いていた歩道橋が解体されてしまいました。 写真10 2018年8月 …

  • 渋谷駅を上下方向に貫く橋脚の位置は変わっていないというお話

    写真1 渋谷駅埼京線プラットホーム 写真1の正面に「指定席券売機」と記された紙が貼られた太い柱があります。今まで意識していなかったのですが、これは直上を走る首都高速道路の橋脚です。 左側に見えるのが埼京線の大宮方面行電車で、橋脚の「右側」が大崎方面行電車の停まるところです。昔、埼京線プラットホームが南方にあった頃、埼京線の大宮方面行電車はもちろん、大崎方面行電車もこの橋脚の「左側」を通過していました。 写真2 東横線の旧渋谷駅(2013年8月) 写真3 東横線渋谷駅撤去跡(2017年8月) 写真2は東横線の駅がまだ地上にあった頃です。写真奥に首都高速道路とその橋脚が見えますが、これこそ写真1の…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 東横線地上駅西側(その2)

    前回と同じく東横線渋谷駅の西側(JRの駅との間)ですが、今回は南方を見た状態です。 写真1 2012年12月 左側は、東横線のまだ現役だった高架線の渋谷駅です。 写真2 2014年1月 解体撤去中の高架線です。 写真3 2014年12月 かなりさっぱりしてきました。 写真4 2016年2月 渋谷川東側のビル群が見えます。 写真5 2017年8月 鉄骨が組み上がってきました。あとはパネルを取付けて完成です。翌年2018年9月に渋谷ストリームは開業しました。 写真6 2022年12月 写真7 2022年12月 開業してしばらくは安定していたように見えましたが、再び工事現場になっています。もうこのよ…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 東横線地上駅西側

    今回は東横線渋谷駅の西側です。JRの駅との間から見た状態で、写真奥の方が北です。 写真1 2012年12月 高架線の上に電車が見えます。東横線渋谷駅の南端です。JRの線路との間に挟まれた薄暗い感じの場所で、あまり感じの良い場所ではありませんでした。落書きの多さがそのことを物語っています。 写真2 2014年1月 東横線が地下化され、高架線は解体撤去されていきました。このあたりを歩くとコンクリートのにおいが漂っていたものです。 写真3 2014年12月 解体工事はどんどん進んでいます。写真2と同じ場所ですが、撮影角度が少し異なります。まだ埼京線のプラットホームはずっと南方(恵比寿寄り)にありまし…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 東横線31-32番橋脚跡

    今回は渋谷駅から250mほど南東、つまり金王橋の少し南側に関してです。 写真1 2013年1月 写真1は、まだ東横線の電車が高架線を走っていた頃です。手前が渋谷駅の方向になります。 写真2 2016年2月 東横線は2013年3月に地下化され、このあたりの高架線は解体撤去されました…が、残っている橋脚があります。 写真3 残っている橋脚 写真4 残っている橋脚(全景) ただ単に解体に手間取って残っているだけかと思ったのですが、頂部に緑色の袋がかぶせられている点が気になります。 写真5 2017年8月 翌年になっても、まだ橋脚は残っています。 写真6 2018年2月 その次の年になっても…2本だけ…

  • 横浜赤レンガ倉庫の壁にへばりついた片手袋

    手袋が片方だけ落ちている…というのはよく見かける風景です。 写真1 道路のポールに取付けられた手袋 写真1は、ある交差点です。片手袋を拾った人が親切にポールの頭に取付けたのでしょう。持ち主が毎日のようにここを通るのであれば、この片手袋はすぐに持ち主に戻ることでしょう。 ◇ ◇ ◇ 写真2 赤レンガ倉庫 さて、写真2は横浜の赤レンガ倉庫(を再利用した商業施設)です。が…視野の片隅に「違和感」を覚えました。 写真3 赤レンガ倉庫の壁面 近づいてみるとこのような感じです。画面右端に「違和感」があります。 写真4 「違和感」 写真4 「違和感」拡大 「違和感」は、それなりに高い場所にあります。拡大する…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 金王橋から見た渋谷川(渋谷駅方面)

    今回は渋谷駅から200mほど南東の金王橋から見た渋谷川です。 写真1 2012年12月 写真1は、まだ東横線の電車が高架線を走っていた頃です。東横線は写真の枠外、左側を走っています。渋谷川の奥には、東横線渋谷駅の「かまぼこ屋根」が見えます。ビルの谷間の暗い雰囲気の川でした。 写真2 2017年8月 東横線高架橋と共に渋谷川の西側(右岸:写真左側)にあったビルも解体されて、いったん更地になりました。 写真2は建設中の新しいビル(渋谷ストリーム)です。 写真3 2017年12月 どんどん背が高くなっていきます。東横線渋谷駅の跡にも新しいビル(渋谷スクランブルスクエア)が建設中です。 写真4 201…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 金王橋

    今回は渋谷駅から200mほど南東の金王橋に関してです。 写真1 2012年12月 まだ東横線が高架橋を走っていた頃、その下から見た金王橋です。渋谷川にかかるこの橋は狭く、歩行者や自転車しか通行できませんでした。 写真2 2014年6月 この頃になると高架橋は撤去されて明るくなり、渋谷川の向こう岸(東側)に見える建物も解体が始まりました。 写真3 2016年8月 金王橋も拡幅工事が始まりました。 写真4 2017年8月 橋が拡げられつつあります。 写真5 2022年12月 金王橋は広くなり、クルマも走れるようになりました。写真3と写真4では更地だったところにカラオケ屋が建てられました。 以上さか…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 渋谷川

    渋谷駅付近…今回は渋谷駅から300mほど南東の渋谷川です。 写真1 2012年12月 写真1は、まだ東横線の電車が高架線を走っていた頃です。暗い雰囲気でした。 写真2 2014年12月 2013年3月に東横線は地下にもぐり、高架橋の撤去工事が始まりました。高架橋がなくなってずいぶん明るくなりました。 写真3 2016年2月 写真1と写真2の奥に見えていた建物が撤去され、その一方で新しい建物が現れました。 写真4 2017年8月 この頃になると、東横線渋谷駅跡の渋谷ストリームがどんどん天に向かって伸びていきました。 写真5 2018年5月 とても明るくすっきりとしました。渋谷川の右側(左岸)に見…

  • 10年ほど前の渋谷駅付近 明治通の歩道橋から

    渋谷駅付近の東急東横線が地下にもぐってから、そろそろ10年になります。駅の跡地はビルになり、南方の線路跡は遊歩道になりました。10年ほど前、このあたりがどのような風景だったか、記事にしていきます。 今回は渋谷駅から300mほど南東にある、明治通の歩道橋から撮影した風景です。 写真1 2012年12月 写真1は10年前の風景です。東横線の電車は当たり前のように高架線を走っていました。もうじき、ここで東横線の電車を見られなくなる…ということがまだ感覚的によくわからなかった頃です。 写真2 2013年8月 2013年3月15日夜~16日朝、東横線は予定通り地下にもぐってしまいました。当日、この場所で…

  • 南海電鉄の車両限界が小さかったことがわかる、関東鉄道キハ755形の車体

    写真1 南海電鉄キハ5501形改造の関東鉄道キハ755形 写真2 国鉄キハ55形改造のキニ56形 国鉄キハ55形を基に設計されたのが南海電鉄キハ5501形で、そのうちの1両が改造されて関東鉄道キハ755形(写真1)になりました。また、国鉄キハ55形の一部の車両はキニ56形(写真2)に改造されました。つまり「設計」という見方をすると、写真1と写真2は兄弟関係にある車両たちということができます。これらの車両たちに関して、幅を比較してみます。 写真1に関してですが、最大幅は雨どいと乗務員室扉握り棒で、いずれも2853mmです。ではその設計の基になった国鉄キハ55形はどうだったかというと、雨どい286…

  • 雨の日、池袋寄りは傘が必要だった東京メトロ四ツ谷駅

    雨… 写真1 2011年12月 写真2 2011年12月 写真3 2019年9月 写真4 2020年2月 昔(写真1と写真2)、東京メトロ四ツ谷駅の池袋寄りは、雨の日に傘が必要でした。そのうち写真3と写真4のように工事されて、屋根が取付けられました。 写真5 2015年8月 写真6 2015年8月 写真5と写真6は、池袋寄りを撮影しました。まだ屋根がなかった頃です。 写真7 2021年6月 写真8 2021年6月 写真7と写真8は、写真5と写真6の6年後です。雨が降っても濡れなくなりました。 写真9 2019年12月 写真10 2019年12月 写真9と写真10は、反対方面行きのプラットホーム…

  • JR京葉線東京駅の上の鍛冶橋交差点付近の区境

    戦前の地図を見ると、東京駅の東側には外濠があります。外濠の西側が麹町区、東側が日本橋区で、現在はそのまま千代田区と中央区の区境になっています。 写真1 鍛冶橋換気所 写真1は首都高の鍛冶橋換気所です。この写真だけは2013年7月に撮影しましたが、ご覧の通り銀色です。しかし、さらに昔はこげ茶色でした。周辺の建物に合せて色を変更したようです。 このあたりは戦前外濠だったところで、鍛冶橋がかけられていました。戦後、埋め立てられましたが、この交差点の名称として「鍛冶橋」が残っています。 写真1左右方向の通りの真下にはJR京葉線の東京駅があります。また、写真1の右側には手前から奥に向かって首都高が外堀通…

  • 博物館動物園駅

    上野公園の一角にこの駅はあります。すでに廃止されているので「駅の跡」と称する方が正しいのかもしれませんが、建物は残っています。 1933年(昭和8年)12月10日 開業1997年(平成9年)4月1日 営業休止2004年(平成16年)4月1日 廃止 写真1 2011年3月撮影 写真1は、入口がふさがれたまま眠り続けていた頃の姿です。黒田記念館の前から撮影しました。 写真2 2011年8月撮影 写真2のように時々手入れもされていましたが、入口はふさがれたままです。 写真3 2018年8月撮影 ある時、写真3のごとく復元工事が始まりました。 写真4 2018年11月撮影 写真4のように入口に扉が復元…

  • 南海電鉄の気動車が4扉に改造された話

    南海電鉄には昔、電車以外に気動車も走っていました。 南海電鉄は戦前からいろいろな形態で国鉄紀勢線に乗入れていました。1959~1962年には国鉄キハ55形とほぼ同じキハ5501形キハ5501~5505(片運転台)、キハ5551形キハ5551~5554(両運転台)を新製し、国鉄に乗入れ・併結運転するようになりました。 このうち1両すなわちキハ5505は乗入れ先で発生した踏切事故により破損し、1973年に一足先に「南海電鉄の気動車としては」廃車になりました。ところがこの車両、生き延びたのです、1989年まで。それも4扉の通勤用車両に化けて… ちなみに、南海電鉄で働き続けた8両は一足先、1985年に…

  • 小田急電鉄キハ5000形改造の関東鉄道キハ751形は乗務員室が狭かったというお話

    小田急電鉄キハ5000形は御殿場線乗入れ用として1955年に2両新製された気動車です。ただし座席ピッチが狭く(なんと1320mm!)不評でした。1956年に増備された1両は座席ピッチを1520mmに変更して登場しました。形式はキハ5100形と称し、1959年にもう1両増備されました。 写真1 キハ751形 写真2 キハ753形 これら4両は1968年の御殿場線電化に伴い職を失って関東鉄道に引っ越し、キハ751形(写真1)とキハ753形(写真2)それぞれ2両ずつになったわけですが、よく見るとあちらこちら違います。 いろいろな資料を見ると「キハ751形は客室扉間の窓が5つ、キハ753形は4つ」と書…

  • 小田急電鉄キハ5000形、キハ5100形改造の関東鉄道キハ751形、キハ753形の追加扉が外吊りだった理由

    小田急電鉄キハ5000形、キハ5100形(キハ5000形の改良増備車)が関東鉄道キハ751形、キハ753形に改造された際、追加された客室扉は外吊りでした。ただし、なぜ外吊りになったのか調べてみても、「改造を容易にするため」程度のことしか記されていません。そこで、理由をもう少し考えてみました。 (1)一般的な引戸とするには戸袋を設ける必要がある (2)そのため戸袋部の側柱移設と周辺補強の必要が生じる (3)外吊りにすれば少なくとも側柱移設は不要となる 上記(1)~(3)が「改造を容易にするため」の具体的な内容ですが、さらに下記(4)~(6)も検討されたと思われます。 (4)車体幅が2620mmと…

  • 元小田急電鉄「5000形」と御殿場線そして関東鉄道キハ751形

    小田急電鉄「5000形」と聞いてどのような車両を思い浮かべるでしょうか。「2020年に登場した10両編成のステンレス車体の電車」でしょうか。それとも「1969年に登場した4両固定の、アイボリーに青帯を巻いた電車」でしょうか…。 実は、5000形を名乗る小田急電鉄の車両として、「1955年に登場の気動車」すなわち「キハ5000形」が存在しました。当時非電化だった国鉄御殿場線に乗入れるため、小田急電鉄が気動車を所有していたのです。 その後、1968年に国鉄御殿場線は電化されました。小田急電鉄は電鉄会社ですから、もともと電車を多数保有しています。わざわざ構造の異なる気動車を抱えている必要はありません…

  • 国立西洋美術館の柱

    写真1 リニューアル工事中(2021年12月) 国立西洋美術館は約1年半ほど工事中でしたが、今年の4月にリニューアルオープンしました。リニューアル後、初めて入館しました。この美術館に入館したことは何回もありますが、今回は展示品ではなく、建物をよく見てみようと思いました。 館内を歩いているうちに、柱の節に気づきました。 写真2 柱の節 打ちっぱなしコンクリートの柱に節…木目…つまり、型枠は木材ということです。 写真3 柱 改めて柱をよく見ると、幅の狭い木材を集めて型枠にしていることがわかります。ただ単に木材を集めただけだと多角形になってしまいますが、表面は見事な曲面です。つまり、型枠用木材1本1…

  • 小田急電鉄クハ1650形→関東鉄道キクハ1形のブレーキ装置改造

    小田急電鉄クハ1650形は電車の制御車で、関東鉄道キクハ1形は気動車の制御車で、いずれも動力源を持っていません。まず、「電車と気動車では動かすための制御回路が違う」ということは、何となくおわかりいただけるのではないかと思います。では、ブレーキ装置はどうなのかというと、似ている面はあるけれどもやはり違っていたのです。 表1 ブレーキ弁の比較 ●小田急電鉄クハ1650形時代(ACM-R:M24Cブレーキ弁) 電車時代は元空気溜管式の直通付自動空気ブレーキで、ACM-Rと称していました。Aは自動空気ブレーキ、Cは制御車、Mは制御弁の形式、Rは元空気溜管を意味しています。基本的に自動空気ブレーキですが…

  • 小田急電鉄クハ1650形→関東鉄道キクハ1形の台車(ころ軸受化されたTR11)

    写真1 キクハ2のTR11 小田急電鉄クハ1650形だった関東鉄道キクハ1形の台車はTR11でした。写真1はキクハ1形キクハ2のTR11ですが、前後の軸箱が大きな釣合梁で結ばれ、台車枠からの荷重は2本のコイルばねを介して受けています。枕ばねは重ね板ばねです。文字通り板を重ねたばねですが、板同士の摩擦により減衰特性を得ています。客車、電車では釣合梁を有する台車がかなり多く使用されていましたが、気動車の場合、この形態の台車が使われている例はあまり多くありません。 写真2 オハフ61 2734のTR11 図3 軸箱の構造 さて、キクハ1形の台車形式はTR11ですが、国鉄オハフ61形などに使用されてい…

  • 元小田急電鉄クハ1650形の関東鉄道キクハ1形の定員

    写真1 キクハ2 写真1は、小田急電鉄クハ1650形を気動車用の制御車に改造した関東鉄道キクハ1形キクハ2です。この車両の座席定員は46人ということになっています。 座席はロングシートで、キクハ2の場合は車両左右両側の前(写真左)から順に、926mm(2.2人)+3602mm(8.4人)+3602mm(8.4人)+2041mm(4.7人)=10171mm(23.7人)となっています。座席定員はJIS E7103によると、基本的には乗客1人当たり430mmとして計算することになっており、( )内はその計算結果です。 計算結果より片側23.7人すなわち23人、両側46人で計算が合う…と思ったら大間…

  • 鉄道省木造客車の台枠と小田急・東急の制御車、そして関東鉄道キクハ1形と上田交通モハ5370形

    世間一般における認識としては、「線路の上を走っている車両」=「電車」なんだろうなと思います。したがって、「これは気動車だ」とか「機関車だけが走っていったのだ」という表現は、「は?」ということになるのでしょう。今回は電車用の制御車を気動車用の制御車に改造した事例ですから、ますます「は????」かもしれません。 昔、小田急が東急になった頃…これこそ「は???????」かもしれませんが…、鉄道省木造客車の台枠を利用して3両の電車用制御車が製造されました。これらの車両は、いわゆる大東急時代にはクハ1650形と名乗り、戦後小田急が分離独立したのちには車体新製で増備されました。車番よりわかるようにこの頃は…

  • 電子書籍執筆中

    ペーパーバックを8月に発行しましたが、その後下記5冊を執筆中です。特にキハ751形とキハ753形に関して調査にかなり手間取ってしまいました。 写真1 キクハ1形に関する表紙 もともと小田急電鉄の電車用クハでしたが、廃車に伴い関東鉄道に移り、気動車と手をつなぐようになりました。 写真2 キハ751形に関する表紙 これも小田急電鉄の車両でしたが、国鉄御殿場線乗入れ用として新製された気動車で、小田急線内は架線の下を走っていました。 写真3 キハ751形に関する表紙 キハ751形は写真が多いので、2冊に分けることにしました。 写真4 キハ753形に関する表紙 これも小田急電鉄の気動車でした。 写真5 …

  • 【千代田区と中央区の境目】区境の鋲

    前回は呉服橋交差点の変化についてでしたが、今回は日本橋川護岸付近の区境に関してです。 写真1 空中写真(2019年撮影) 前回記したように、外濠の跡が千代田区と中央区の境目になっています。日本橋川は埋め立てられずに現在に至っており、そのため区境は①地点から日本橋川に入り込みます。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真2 2015年5月撮影 写真2は7年ほど前の①地点の状況です。日本橋川の護岸上部に青緑色の柵と茶色の柵が見えます。青緑色の柵は中央区、茶色の柵は千代田区です。 写真3 2016年6月撮影 写真3は解…

  • 鉄道模型に関する古本の価格

    鉄道模型に関する古本の価格のお話です。 その本は今から半世紀ほど前に発行されました。価格は1,000円です。もちろん、当時は消費税などありませんでした。 今から4~5年前、ある理由でその本がなんとなくほしくなりました。もちろん絶版になっていましたが、ネット上で古本屋を探すと出品数は少ないもののすぐに見つかりました。価格を見ると「5,000円+消費税8%」です。ただ、この内容で消費税込5,400円はどうかなと思い、その時は購入をやめました。 ◇ ◇ ◇ つい先日、たまたまある模型店(鉄道模型だけでなく鉄道関係の古本も取扱っている店)に立ち寄ったら、本棚にその本がなんと5冊も並んでいます。えっ!と…

  • 【千代田区と中央区の境目】呉服橋交差点の変化

    呉服橋付近の区境のお話をします。今回は、再開発によって変化した交差点風景です。 1.空中写真 写真1 2019年撮影 呉服橋交差点で永代通と外堀通が交差しています。千代田区と中央区の境目はこの交差点のすぐ西側を南北方向に走っています。 写真2 1963年撮影 写真3 1947年撮影 写真2は1964年東京オリンピック開催前年の状況です。日本橋川に高速道路を建設している様子がわかります。写真3は終戦間もない1947年の状況ですが、まさに外堀通に沿って外濠があったことがわかります。永代通が外濠を渡るところには呉服橋と称する橋がありました。これが交差点名になっています。 このあたりの区境は外濠のあっ…

  • 八重洲の水たまり

    今回は街中の水たまりです。 写真1 水たまり どこかの河原のようです。 写真2 水たまり やっぱり河原のようです。 写真3 水たまり しかし、ちょっと違和感があります。 写真4 建物の跡 建物の跡ですね。地下室の跡に水が溜まっていたのでした。 写真5 建物の跡 なぜこのような中途半端な解体工事になってしまったのかは不明です。 写真6 階段の跡 階段の跡が美しく残っています。 写真7 奥に続く水たまり 水たまりは、さらに奥に続いているようです。 写真8 全景 写真8は全景です。塀に透明窓があり、中をのぞけるようになっています。写真1~7は、この透明窓から撮影しました。調べてみたら、昔ここには石興…

  • 池袋駅21番出口の謎

    1.はじめに 50か所ほどある池袋駅出口ですが、中にはその経緯がよくわからないものもあります。それが今回取上げる21番出口です。 2.そもそも21番出口はどこにあるか 池袋駅とその周辺には案内地図が数多く設置され、そこには出口の番号が記されています。しかし21番出口に関しては、それが記載されている案内地図と記載されていない案内地図が混在しています。 写真1 21番出口記載の案内地図 写真1は池袋駅東口の歩道に設置された案内地図で、21番出口が記載されている例です。「現在地」のすぐ脇には27番出口があり、26番出口の方を見ると斜めに離れたところに21番出口があることになっています。 写真2 27…

  • 【文京区と豊島区の境目】新大塚駅と鈴木信太郎記念館

    今回は文京区と豊島区の境目です。 写真1 新大塚駅 東京メトロ丸ノ内線の新大塚駅は、区境に位置しています。写真1は池袋寄りの出口で、ここを出ると目の前が区境です。 写真2 豊島区から見た区境 写真1に写っている階段を上って春日通の歩道に出た状態が写真2です。歩道の右手前には「としまく」と記された自転車放置禁止の標記が見えます。奥の方に見るのは「文京区」と記された喫煙禁止の標記です。 写真3 文京区から見た区境 写真2の場所を、今度は文京区側から見た状態が写真3です。奥に「としまく」の標記、手前に「文京区」の標記ですから、この間のどこかに区境があることになります。残念ながら境界標は見つけられませ…

  • 続・渋谷駅「昔と今」

    前回↑に続き、渋谷駅およびその周辺の「最近の昔」を簡単にふり返ってみます。 写真1 南館1階(2017年12月) 写真2 南館1階(現在) ここは比較的対比しやすいと思います。写真1 右側に見える三菱UFJ銀行の看板取付跡が現在(写真2)でもよくわかります。東急百貨店は南館も取壊し工事中であり、現場には「建築基準法による確認済」「労災保険関係成立票」…等々各種の掲示さられていますが、液晶表示板に次々に表示されるようになっているところがおもしろいと思います(写真2左側)。 写真3 西館(2016年2月) 写真4 西館跡(現在) 写真3と写真4を対比すると、西館がほぼ消えたことがわかります。スクラ…

  • 渋谷駅「昔と今」

    渋谷駅およびその周辺は長いこと工事中です。東急百貨店西館はほぼ姿を消しました。工事はまだまだ続きますが、駅付近にあった戦前からの建物が無くなってひとつの区切りがついたような気がするので、ごく簡単に「昔と今」を対比してみたいと思います。「昔」といってもまだ10年も経っていない「最近の昔」ですが…。 写真1 ヒカリエから(2012年12月) 写真1 拡大(2012年12月) 写真2 ヒカリエから(現在) 写真1と写真2が同じ場所だといっても対応関係がわかりにくいかもしれません。ただし気を付けて見ると、写真1中にちらりと写っている黄色↓印の建物が共通であることがわかります。写真1(拡大)が写真2とほ…

  • 【新宿区と文京区の境目】地蔵通~石切橋バス停

    地蔵通から石切橋バス停までの区境に関しては今回が最後になります。今までの記事をまとめて掲載しておきます。 1.空中写真 写真1 2019年撮影 今回は写真1の⑪~⑬地点に関してですが、その経路は一直線で簡単です。⑬が石切橋バス停になります。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 2.現地の状況 写真2 ⑪地点(10年前) 写真3 ⑪地点 写真4 ⑪地点 写真2は10年前の状況ですが、写真3と比較すると、南側(写真では左側)の塀が変化していることがわかります。前回記した、路面の白線がうねっていた⑩地点と同様です。 写真…

  • 【新宿区と文京区の境目】うねる路面の白線

    1.空中写真 写真1 2019年撮影 今回は写真1の⑩地点に関してです。区境は道路を東西方向に横切っていますが、道路だけでなく、⑩地点の西側(写真1では左側)にある建物も横切っています。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 2.現地の状況 写真2 うねる白線(南から見た状態) 写真3 うねる白線(北から見た状態) 写真2と写真3は、⑩地点を南と北から見た状態です。路面西側だけ、白線がうねっています。南北どちらから見ても、うねっています(当たり前です)。 写真4 どこが区境なのか? 写真4はうねっている白線の上に立っ…

  • 【新宿区と文京区の境目】地蔵通と交差する区境

    新宿区と文京区の区境は、地蔵通の南で蟹川跡から外れてクランク状に曲がりながら北東方向に向かって進みます。それに対して蟹川跡は区境と異なり、神田川に向かってまっすぐ北上します。これは江戸時代(1800年代初頭)の切絵図を参照しても同様で、蟹川が昔クランク状に曲がっていたわけではありません。ただし、このあたりは上流側と異なり、江戸時代すでに町家になっていました。区境がクランク状になっている理由がこのあたりにあるのかもしれませんが、謎です。 1.空中写真 写真1 2019年撮影 写真1を見ると⑦地点を過ぎてから区境がクランク状に曲がって神田川に向かっていることがわかります。 【注記】本書掲載の空中写…

  • 【新宿区と文京区の境目】基準点記載の区が所在の区ではないというお話

    引続き神田川の支流である蟹川の跡の区境に関してです。 1.空中写真 写真1 2019年撮影 写真2 1947年撮影 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 2.現地の状況 写真3 合流箇所(⑤地点:2012年) 写真4 合流箇所(⑤地点:2022年) 蟹川の支流跡である区境は、写真3および写真4の左奥から右手前に走っています。私が立っているあたりが蟹川支流同士の合流点です。しかし、区境を明確に示すものは見つかりませんでした。 写真5 区境(2012年) 写真5は、写真3および写真4を撮影した場所で体を右に90度回して眺…

  • 【新宿区と文京区の境目】蟹川支流跡の境界標

    前回に続き、神田川の支流である蟹川のさらに支流沿いになります。 1.空中写真 写真1 2019年撮影 写真2 1947年撮影 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 2.現地の状況 写真3 地蔵通 写真3は、江戸川橋通の西側歩道から地蔵通を見たところです。写真3左側が子育地蔵尊(①)で、区境は写真右側の建物の下敷きになっています。地蔵通においては区境の位置を特定することはできませんでした。 写真4 区境(②地点) 写真4は地蔵通の南側の道です。写真3右側に写っていた建物の下から区境が出てくるところですが…道路上に何やら…

  • 【新宿区と文京区の境目】地蔵通の子育地蔵尊

    新宿区と文京区の境目というと神田川…と思うものですが、江戸川橋付近は区境が神田川から外れています。このうねうねとした区境をたどってみます。 1.空中写真 まず、現地の空中写真からです。 写真1 2019年撮影 神田川に江戸川橋が掛かっていて、そこから南に江戸川橋通が伸びています。その途中に地蔵通があります。地蔵通の入口には子育地蔵尊(①)があります。 写真2 1947年撮影 写真2は終戦間もない頃の空中写真です。街の骨格は現在と変わりありません。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 2.現地の状況 写真3 地蔵通 …

  • ペーパーバック【関東鉄道グループのキハたち】

    先日発行したペーパーバックを自ら購入してみました。注文して2日後届いたものを確認すると…思っていた以上に「本」です。 写真1 表紙 表紙は写真1のように光沢があります。厚さのある紙で、安っぽさはありません。 写真2 小口と天 本文は72ページです。裁断はきれいです。 この本は誠文堂新光社から昔(約60年前!)発行されていたガイドブックと同様、背を上にして開くようにしました。つまり写真2の右側が天になります。アマゾン販売ページの写真が90度左に回転した状態となってるのは、左側が背だからです。 ←アマゾンの販売ページへリンクする写真です。 写真3 背 背の接着はしっかりしています。なお本が薄いため…

  • ペーパーバックまもなく発売

    昨年の10月からKindleペーパーバックの出版が可能となりました。今までの電子書籍に加えて「紙の本」も個人で発行できるようになったわけです。もちろん世界中で販売可能です。 現在私は電子書籍を25種類発行中ですが、関東鉄道シリーズに関して半分近く発行して区切りがよいので、今までのマニアックな内容の電子書籍に対して気楽に眺めることを目的とした「紙の本」も作成してみることにしました。 せっかく世界中で販売可能なので、英語を併記してみようということになりましたが、それ以前に「紙の本」は電子書籍と少々勝手が異なり、まとめるのに時間を要してしまいました。 車両に関しては、電子書籍で使った写真のうち「マニ…

  • 池袋駅16番出口

    1.はじめに 池袋駅には50か所程度の出口があります。そのほとんどには番号が表示され、パッと見て何番出口かわかるようになっています。しかし例外はつきもので、今回取上げる16番出口はパッと見てもわからない点が特徴です。 2. 16番出口はどこにあるか 池袋駅の西口(北)と西口(中央)の間の西側の地下は東武ホープセンターになっています。東武ホープセンターは東西方向の2本の通路により、ノースゾーン、センターゾーン、サウスゾーンの3つにわかれています。16番出口はこのうちのノースゾーンに至る階段です。各種の案内地図を見ると、16番出口は13番出口の北側に明記されています。それならすぐにわかる…と思うと…

  • 【新宿区と渋谷区の境目】外苑西通と中央線の交点付近

    今回は、渋谷川が外苑西通と交差するあたりです。 写真1 2019年撮影 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真2 ③付近(2014年撮影) 写真3 ③付近(2014年撮影) 写真2と写真3は、以前の③付近です。建物②がまだ建っています。写真3の右から1/3程度のところが区境のようです。 写真4 ③付近 写真5 ③付近 写真4と写真5は現在の③付近です。区境付近の建物がきれいになくなって白い塀で囲まれています。 写真6 歩道 写真6は外苑西通の西側歩道で、白い塀の端すなわちクリーム色の建物の前になります。ここは新宿…

  • 【新宿区と渋谷区の境目】千駄ヶ谷駅の近くの水没廃墟

    引続き、千駄ヶ谷駅付近の新宿区と渋谷区の境目です。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真1 2019年撮影 写真2 1989年撮影 建物②は写真2において建設中でした。そして、現在どうなっているかというと… 写真3 建物②(2014年撮影) 写真4 建物②跡 写真4が現在の状況です。建設されてから30年ほどで建物②は解体されてしまったわけです。ちなみに私が立っているところは新宿区、この建物②跡は渋谷区です。歩道が左奥で急に消失しているあたり、いかにも…といった感じです。写真4の白い塀に透明な部位がありますが、そ…

  • 【新宿区と渋谷区の境目】千駄ヶ谷駅の近くの新宿御苑脇

    千駄ヶ谷駅付近に新宿区と渋谷区の境目があります。このあたりは渋谷川の源流が区境になっています。 1.空中写真 まず、現地の空中写真からです。 写真1 2019年撮影 写真1の樹木が茂っているところは新宿御苑です。苑内を通ってきた区境は、①地点から新宿御苑の外に出ます。渋谷川は暗渠になってしまって見えません。区境は外苑西通と中央線を横切っていきます。 写真2 1989年撮影 写真2は30年ほど前の写真です。建物②が建設中であることがわかります。 写真3 1947年撮影 写真3は3/4世紀ほど前の写真です。アメリカ軍撮影だけあって、なかなか鮮明です。外苑西通と渋谷川が交差している状況がはっきりとわ…

  • 【台東区と墨田区の境目】すみだリバーウォークのガラス窓

    台東区と墨田区は隅田川を介して接しています。地面同士は接していません。今回は区境ではありますが、東武鉄道の橋のお話です。鉄道橋だったら電車でしか渡れないじゃないかと思われるかもしれませんが、2020年6月にすみだリバーウォークと称する歩道が脇に追加され、歩いて隅田川を渡ることができるようになりました。 1.空中写真 まず、現地の空中写真からです。 写真1 2019年撮影 写真1を見ると、浅草駅から東武鉄道の線路が隅田川を渡って東の方に向かっている様子がわかります。この橋(隅田川橋梁)の中央付近が台東区と墨田区の区境です。すみだリバーウォークはまだ工事中です。 写真2 1942年撮影 参考のため…

  • 【葛飾区と江戸川区の境目】商店街の道幅が急に変わる話

    京成電鉄の京成小岩駅(江戸川区)から北に向かって商店街が続いています。ところが、地図を見ると葛飾区に入ったとたん、商店街の道幅が狭くなります。今回はこの道幅急変部(区境)に関するお話です。 1.空中写真 まず、現地の空中写真からです。 写真1 2019年撮影 写真1の南方に京成小岩駅があり、駅付近から続く商店街が写真中央付近を北上しています。地図記載と同様、空中写真でも区境(赤い線)を越えて葛飾区に入ったとたん、道幅が狭くなっています。 写真2 1963年撮影 写真2は今から60年ほど前の空中写真です。その頃の地図を見ても区境は現在と変わっていません。道幅が急変しているという点も現在と変わりあ…

  • 坂道の○□と車止め

    写真1 坂道の○ 急な坂道には滑止めとして○形の凹部が設けられていることがあります。特に目新しいものではありません。 写真2 坂道&階段 某所に急な「坂道&階段」という魅力的な道があります。この坂道の特徴は、滑止め凹部の形状が○ではなく□である点です。 写真3 坂道の□ 拡大して見ると□の形状がよくわかります。しかし、凹部形状として○が多いのはなぜでしょうか。 凹部は環状のゴム等をコンクリートにいったん埋め込み、表面を仕上げたのちに取外すことで形作られます。その際、○の場合はその角度まで気にする必要はありません。位置さえ規則的に配置すれば整然と仕上がるのです。ところが□の場合は位置だけでなく角…

  • 関東鉄道キハ720形の貫通扉はなぜこんなに引っ込んでいるのか

    写真1 キハ720形 写真1は、以前ご紹介した関東鉄道キハ720形です。 写真2 加越能鉄道時代(塗色は除く) 写真2は、加越能鉄道時代の姿(塗色以外)を写真合成で復元してみたものです。両運転台で、「く」の字形に折れ曲がった顔でした。 写真3 貫通側車端 加越能鉄道加越線が廃止になって関東鉄道にやってきたのち、客室扉の踏段を撤去し、中央の客室扉に関しては両開きに改造、さらに乗務員室を片方撤去して貫通路を設けました。妻面は「く」の字形のままであるため、貫通扉は写真3のように客室側にかなり引っ込んでいます。 写真4 車内 写真4は貫通扉を車内から見たところです。車内は「く」の字形になっていません。…

  • 田端のC

    写真1 田端のC 写真2 田端のC(拡大) ある日、田端駅で電車を待っていたら、視野に妙なものが入って来ました。Cです。写真2は拡大したものですが、やはりCです。視力検査の際に用いる「ランドルト環」そっくりです。プラットホーム上で視力検査するためでしょうか。視力0.5もあれば切れ目の方向はわかりそうです。いや、視力検査の際は眼とランドルト環の距離をきちんと規定しないといけません。Cの真上に立って視力検査するとしても、身長によってランドルト環との距離が変わってしまい、正確に視力測定できません。 また気になるのが▲印です。「こちらが切れ目だよ」「こちら向きに視力検査しなさい」「▲印の指す方を見なさ…

  • Wordなどで作成した文書の自筆署名と捺印を電子的に…

    そもそも文書にハンコを押すということ自体、好きではないのですが、なかなか慣習を変えられない組織も存在します。以下、「自筆署名と捺印が必要な文書」に関するお話です。 1.昔の方法 (1)WordやExcelで文書を作成 (2)完成した文書を印刷 (3)自筆署名と捺印 (4)関係者に紙(コピー)で配布 関係者が同じ事務所に集まって作業するのが普通だった時代の方法です。事務所には複合機などが設置されているのが当たり前ですから何も問題はありません。(3)項で完成した文書は「紙」です。(1)項においてWordやExcelで作成した電子データは、その「材料」ということになります。 2.ここ数年の方法 (1…

  • 北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541 本当の最大幅は?

    鉄道車両の「車体幅」というのは具体的にどこを指すのか、今ひとつよくわからない定義です。それに対して「最大幅」ははっきり定まるのではないか…と思いたいのですが、この車両の場合は最大幅がよくわからないのです。まあ、昔の車両に関してはこんなもんだった…というお話です。 1.北陸鉄道時代 まず北陸鉄道気動車化改造時の図面によると、握り棒の幅2674mm、客室扉下部靴ずりの幅2880mmとなっています。したがって、最大幅2880mmのはずです。しかし現車写真を確認すると図面に反して靴ずりはありません。ということになると、現車の最大幅は握り棒2674mmだったことになります。 2.関東鉄道・筑波鉄道時代 …

  • 北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541 荷台がねじれていたというお話

    この車両は荷台があることが特徴ですが、実はこの荷台、ねじれていました。 図1 車両の前後と①~④位 以下、同じような写真がたくさん並んでいますので、まず部位を整理しておきます。 車体は前後対称ですが、ちゃんと「前」「後」があります。これらは図1のように①~④で示すことになっています。①~④の数字は、車端部乗務員室扉の下に記されています。 写真2 ①位 写真3 ②位 まず、前位のうち①位の状態を写真2に示します。車体から荷台が突出していますが、特に曲がりはありません。 次に、前位の②位側(写真3)を見るとわずかに荷台の下部(台枠)が傾いていることがわかります。つまり、荷台の先端は①位側より②位側…

  • 北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541 旗を掲げていたことがあったのか?

    地方私鉄には、国鉄車両にはない特徴を有する車両たちがいたものです。今回は「旗差し」ではないかと思われる部位に関してです。 写真1 筑波鉄道キハ541 写真1は筑波鉄道キハ541ですが、おでこの左右に何やら付いています。 写真2 拡大 写真2は拡大写真です。底がふさがっていると雨水が溜まるので、管状なのではないかと思います。 写真3 北陸鉄道の電車の例 写真3は、1982年に撮影した北陸鉄道の電車です。左からモハ3011、モハ3501+クハ1212ですが、モハ3011とモハ3501には写真2と同じものが取付けられています。すべての車両にあるわけではないようです。筑波鉄道キハ541も北陸鉄道の車両…

  • 北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541 ND209台車の形式が重複していたお話

    今回は、北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541に関する内容ですが、題に記した通り「台車の形式が重複していた」というお話です。 台車に限った話ではありませんが、国鉄や一部の私鉄を除くと、機器の形式はそれを製作したメーカが自ら定めます。今回の例では、動台車がND209、付随台車がND209Aと定められました…が、なんと重複していたのです。 ①ひとつ目のND209とND209A: 台湾林務局(阿里山森林鉄路)納めのDPC気動車用で、ロッド連動式 ②ふたつ目のND209とND209A: 北陸鉄道コハフ5301(のちのキハ5301)用で、外観はTR29とほぼ同じ。 まあ人間のやることには間違いはつきも…

  • 北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541

    昔、能登半島には「能登線」と称する路線が2本ありました。1本目は「国鉄能登線」です。区間は穴水-蛸島で、途中に恋路という素敵な名称の駅がある路線でした。国鉄→JR→のと鉄道と運営の母体が変わり、消滅しました。 2本目の能登線は「北陸鉄道能登線」です。区間は羽咋-三明で、国鉄能登線とは全く別の存在です。この北陸鉄道能登線を走っていた「最高機能を有する車両」が、今回の主役です。 写真1 筑波鉄道キハ541 さて、「最高機能」などという表現を用いると新幹線N700系のような車両を想像するかもしれませんが、北陸鉄道能登線の「最高機能を有する車両」は写真1です。 この車両は、北陸鉄道能登線の客車(付随車…

  • 江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511 塗色の変化

    江若鉄道とか筑波鉄道とか、世間一般ではおそらく知らないことが当たり前の鉄道の、さらに地味な特定の1両だけに関していろいろ記してきました。鉄道という分野を海に例えれば、日本海溝の奥底に転がるひとつの岩に関して書いているようなものです。 日本海溝奥底の岩のついでに、最後は塗色に関してお話します。 図1 江若鉄道の塗色 江若鉄道キハ30は、新製されてから翌年まで国鉄特急形塗色(窓回りが赤、その他はクリーム)でした。その後交直流急行形電車と同様の塗色(窓回りクリーム、上下がローズピンク)になっています。裾のクリーム線は交直流急行形電車の場合は60Hz用であることを意味していますが、江若鉄道キハ30は気…

  • 江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511 新製部位の謎

    昔の地方私鉄には素性のよくわからない車両がかなり存在しました。江若鉄道のキハ30もその一例です。この車両は大鉄車輌工業で1963年に「新製」されたということになっています。しかし、実際に新製した部位はどこなのか、今ひとつよくわかりません。謎を残してこの世から消えてしまいました。 以下、疑問を感じた部位を記していきます。 写真1 台枠 写真1は、筑波鉄道キハ511の前頭部床下ですが、台枠中梁が下方に突出しているにもかかわらず、その前方が切断されています。つまり、下半分は強度に寄与していないのです。確かに江若鉄道キハ30時代から密着式小形自動連結器を使用しているので、中梁は下方に突出させるほど強度…

  • 江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511のTR29改造台車

    筑波鉄道キハ511の台車は江若鉄道キハ30新製当初からのものです。では台車も新製されたかというとそうではありません。江若鉄道キハ30が新製されたのは1963年ですが、台車はなんとTR29です。これはもともと国鉄キハ42000形用として設計された台車で、製造初年は1935年です。もちろん、江若鉄道キハ30に使用されたTR29そのものがこの年に製造されたわけではないでしょうけれど、TR29が国鉄において新製されたのは1952年のキハ42500形42600番代あたりが最後のはずですから、10年以上は経過しています。 具体的にどの車番のものかは不明ですが、キハ30新製時に取付けられたTR29は国鉄から…

  • 江若鉄道キハ30は当初屋根上排気だったというお話

    1963年、江若鉄道キハ30として新製された当初は床下に排気管が走り、車端部から立上がって屋根上に排気されていました。 図1 床下排気管経路 図1は当時の写真を基に床下排気管の経路を示したものです。ディーゼル機関の脇に消音器があり、そこから延々と排気管が伸びています。客室扉の下部には踏段があって垂下がっているため、排気管もそれに合わせて屈曲しています。手作り感いっぱいです。 図2 排気管立上り部 図2は車端部で排気管がどのように立上がっていたかを示したものです。排気管は乗務員室扉下の足掛の奥にあり、一応干渉しないようになっています。しかし、乗務員が乗り降りする際には足で排気管を蹴飛ばしてしまっ…

  • 江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511 前頭部の変化

    江若鉄道C29M形キハ30として1963年に新製されてから筑波鉄道キハ511となるまでの前頭部変化をまとめてみました。 図1 江若鉄道キハ30(新製当初) まず図1は、新製当初の姿です。貫通扉の上部に幌つりを取付ける座がありますが幌も幌座もありません。向かって左側には尾灯が取付けられていますが、右側には少し高い位置に尾灯掛が設置されているだけです。 図2 江若鉄道キハ5120(1966年~) 1966年に総括制御改造され、連結運転に備えて図2のごとく幌とジャンパ連結器が取付けられました。車番標記は5120に変更されています。幌は気動車用のものではなく、旧形客車用と同様のものでした。 図3 関東…

  • 【新宿区と豊島区の境目】落合南長崎駅付近(左)

    写真1 落合南長崎駅付近 写真1は、前回と同じく都営地下鉄大江戸線落合南長崎駅付近の空中写真です。今回は③~⑤を追記しました。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真2 区境(③地点:2022年) 写真3 区境付近(③地点:2015年) 写真2と写真3は、落合南長崎駅の西側で区境が折れ曲がるところです。ここには東京都の境界標があります。実はこの境界標、Googleマップの航空写真で確認できます。さすがに東京都の印までは見えませんが、側溝のグレーチングとの位置関係は明確にわかります。こんな小さな物体の位置を宇宙から…

  • 【新宿区と豊島区の境目】落合南長崎駅付近(右)

    一般的に、連続した内容を2回に分けて記す際は「上・下」とするものですが、地図に関して「上・下」だと「北・南」という感じになります。しかし、今回と次回は落合南長崎駅の「東・西」に関してなので、「右・左」としました。 写真1 落合南長崎駅付近 落合南長崎は都営地下鉄大江戸線の駅ですが、「落合南長崎」という地名があるわけではありません。この駅は新宿区と豊島区にまたがっており、新宿区側が西落合、豊島区側が南長崎です。そのため、よくある合体駅名になったようです。ただし「西落合南長崎」ではわけがわからないので、「西」は付されていません。 ちなみに南長崎という地名はもともと椎名町という地名の一部でしたが、1…

  • 【文京区と台東区の境目】なじんできたブロック塀

    写真1 区境付近の空中写真 このあたりは、お屋敷と庶民の居住地が境目になっています。写真1の上方(北)の東京大学は広島藩浅野侯爵邸の跡、下方(南)の東京大学は加賀藩前田侯爵邸の跡です。この間はちょっとした窪地になっていて、明治時代には東京共同射的會社の射的場(射撃場)がありました。射的場は1888年大森の山王に移転し、跡地は住宅地になりました。この一角には弥生美術館、竹久夢二美術館があります。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真2 2011年の区境 さて、この射的場跡住宅地の近くに、文京区と台東区の境目(区境…

  • 足立区の一部は葛飾区だったというお話

    昔線路があったところを探るのは「線路跡」趣味ですが、今回のお話は昔区境だったところを探る「区境跡」に関してです。川が区境だったので「川跡」探索でもあります。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写真1 区境の昔と今 写真1は、足立区、葛飾区、荒川区、墨田区の接している状態です。赤い線は現在の区境ですが、青い線は1934年までの区境です。ここは古隅田川で、下流は現在の隅田川につながっていました。隅田川の下流に両国という地名がありますが、これは武蔵と下総、「両」方の「国」の境目という意味でした。江戸の市街地の拡大に伴い…

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