【カニリーヒルズ高校白書その146】カニが麻雀を覚えたのは小学4年生の頃。バリバリの麻雀好きだったカニパパの暇つぶしで叩き込まれ、たまに家族麻雀なんかをやっていた。そして高校生になったある日、映画部のタチくんから唐突な頼まれごとをされる。それは"ゲーセンの脱衣麻雀"の代打ちッ!それってどんな依頼?ww
国指定難病の黄色靭帯骨化症と戦う日々を描いたゆるゆるな闘病日記です。ちなみに後縦靭帯骨化症も併発してたりもします
【カニファミリーストーリーその186】昭和20年6月21日本土防衛のために転属が決まり、28日には湖南省を出発。8月10日は満州国と朝鮮の国境を列車で超えたが、カニジジたちのひとつ後の列車の日本兵はソ連軍に捕まりシベリア送りになったという。辛くも釜山にたどり着いたカニジジたちはそこで敗戦を知ったらしい。あまりの悔しさに軍刀に木の枝を斬りまくったという話
【カニファミリーストーリーその185】途中2度の突発的な戦闘に参加しつつ、昭和20年4月12日目的地である湖南省湘潭市へと入ったカニジジは後方地帯で新兵の教育隊要員に従事する事になる。おそらくだが軍馬の取り扱いに関する講義だと思うが、運良く比較的安全な場所での仕事になったらしい。47師団は芷江作戦に参加して国民党軍の本拠地重慶を陥落させるのが目的だったらしいのだが、日中戦争も状況が変わりつつあった。それは米国の援助で中国軍の装備が格段にパワーアップしていた事。日本軍は精兵が戦死しまくって新造師団は練度に難があった事。そして日米戦争は連敗続きで4月には沖縄戦が始まり、遂に日中戦争の継続は困難とな…
【カニファミリーストーリーその184】昭和19年11月4日、カニジジ3年ぶり3度目の招集命令。第47師団の輜重隊、病馬廠付として南支方面の湖南省湘潭市へ向かう。さすがに40過ぎての兵役はしんどそうな気がします。ちなみに各師団につけられる漢字一文字の通称、47師団には「弾」という一文字が当てられていた模様。一旦銃口から撃ち出されたら二度と帰らないような不安になる名前のような気がするのは自分だけでしょーか…
【カニファミリーストーリーその183】戦地から戻ったカニジジだが、日中戦争は泥沼にはまり、さらには日米戦争まで始まっている昭和17年以降。カニジジは地元の在郷軍人会のお偉いさんとなっていた。さらには家業の馬商売も軍馬の需要が高まりガンガン売れまくる。嘘か誠か日本三大馬商人とまで言われ、カニ本家はかなりの財をなしたそう。しかし日々戦況は悪化する中、昭和19年にカニジジの元へ3度目の招集命令が届いたそう。行き先は今回も中国!
【カニファミリーストーリーその182】カニジジに下ったのは帰国命令!2年の兵役が満了したのである!昭和16年3月28日には駐屯していた山西省長子門村を出発し、4月11日には神戸に上陸、4月19日には召集解除となりカニジジ二度目の兵役は終了となる。最もこの年の年末にはアメリカとの戦争が始まるのだが…。ちなみにカニジジの召集解除の38週後の昭和17年1月7日カニパパ誕生。祖父母の話でアレだが、2年とはいえ戦争から生きて帰ってきた事で盛り上がったんだろうなと余計な想像をめぐらせてしまいましたw
【カニファミリーストーリーその181】年が明けて昭和16年。日本軍は5月に「中原会戦」という大規模な掃討作戦を計画していた。晋中作戦で共産党軍を叩いた直後であり、次なる標的は国民党軍と決定した模様。その準備段階としてカニジジは同年3月6日から3月18日にかけて「凌川作戦」に参加。共産党軍の残存兵力を押し返したらしいです。そして5月の「中原会戦」を間近に控えたカニジジに新たな命令が下されます!
【カニファミリーストーリーその180】日中戦争開戦以来、国民党軍や軍閥を矢面に立たせて自らは支持基盤の拡大に努めてきた共産党軍。政治的な主導権を握る好機と見たのか、昭和15年8月頃から過去最大規模の「百団作戦」を仕掛けてきた!路線や通信網の破壊工作をしながら、より好戦的な戦闘をしかける共産党軍に甚大な被害を受ける日本軍。しかしすぐさま「晋中作戦」によって反撃に出る。5ヶ月に及ぶ戦闘の果てに共産党軍を撃退する事に成功!しかし双方2万人近い戦死者を出す大激戦であり、以降日本軍は共産党軍に対する警戒を強めていく事になります
【カニファミリーストーリーその179】ここでちょっと日中戦争時の中国軍について解説。当時の中国軍は3つの勢力が反目しあい内紛が絶えない状態。と言うのも辛亥革命から25年程しか経っておらず、中華民国の国民党政府軍と元清国軍の地方軍閥、さらにはソ連のコミンテルンの援助を受けた共産党軍。お互い思想・心情的には相入れず、対日本という一点で共闘している状態。中でも共産党軍は戦いながらも他派閥である国民党軍や地方軍閥、一般市民に浸透して勢力を拡大していった模様。そんな共産党軍が日本軍に対する一大攻勢として行われたのが「百団大戦」!日本軍はこれに応戦する事となります!
【カニファミリーストーリーその178】高平作戦で日本軍に制圧された潞安地区を平地奪回を狙って山岳地帯に集結する中国軍。しかしその情報はとらえており、すかさず殲滅作戦が計画された。昭和15年4月21日〜5月8日の期間に実行された「春季晋南作戦」では航空機による空爆なども行われた一大作戦!一度は山岳地帯の中国軍は潰走したものの、平地奪回を諦めずにすぐさま再集結の動きを見せる。それに対抗するために間髪入れずに同年5月9日〜6月20日の期間に「晋南反撃作戦」に参加!日本兵は500人、中国兵は1万人が戦死する大激戦の果てにようやく敵軍を追い払う事に成功。ちなみに戦闘とは無関係だが作戦直後の7月10日にカ…
【カニファミリーストーリーその177】高平作戦終了後、潞安地区の平地部分を制圧ししばし落ち着きを取り戻す。そんな中でカニジジは3月9日には獣医中尉に昇格し、従七位の位階も賜ったらしい。山西省の主要な地域はほぼ日本軍が制圧したのだが、潰走した中国兵は南の山岳地帯に再集結し、潞安地区の平地部分の再奪取を虎視眈々と狙っていたらしいです!
【カニファミリーストーリーその176】昭和15年1月1日「高平作戦」開始!何も元旦からと思うが戦場に正月もクソもないという事なんだろう。冬の山岳地帯での作戦で、日本兵も100名近くが戦死する激戦となったらしい。カニジジの兵籍簿を見ると「戦闘参加」との記載があるのでもしかしたら中国兵と撃ち合ったのかもしれない。高平作戦では中国兵の遺棄死体も1000名を超え、最終的には中国軍は潞安地区を放棄してさらなる奥地へと撤退したようです
【カニファミリーストーリーその175】昭和14年12月2日、カニジジたちは太原から南の潞安へと移動する。南方での中国軍の動きが活発だったらしい。カニジジたちは潞安地区の長子門村へ入り同地の警備にあたりながら、次の「高平」という地域での軍事作戦の準備にとりかかる。ちなみにこの「高平」は古代は「長平」と呼ばれる場所で、キングダム的にいうと六大将軍の白起が趙兵40万人を生き埋めにしたという「長平の戦い」があった場所!
【カニファミリーストーリーその174】ニシ作戦終了から3ヶ月間、軍事作戦は行われておらず。カニジジは太原にあった病馬廠の支部を離石に開設し、そこの支廠長とし軍馬の治療に当たっていたらしい。軍馬の怪我と言えば戦闘行為で銃撃されたり爆弾で負傷したりするイメージもあるが、実際そこまでの怪我をしたら安楽死させる方が正しい判断だった模様。軍馬の怪我は90%以上が鞍傷と言う背中の怪我で、武器弾薬や食料を背中に積んで移動する軍馬に多い怪我だったらしいです。そして季節は移り12月、厳しい冬の襲来と共に新たな軍事作戦が展開される事になります!
【カニファミリーストーリーその173】昭和14年5月31日に太原に着いたカニジジ。はやくも6月11日から7月11日まで「五台作戦」という軍事作戦へと参加する。太原の北東部にある五台山という山地に潜伏していた八路軍(共産党軍)の一掃作戦で、なんとか潰走させる事に成功したらしい。それから一月後の8月31日からは太原の西にある離石で「ニシ作戦」に参加。こちらも八路軍を川向こうに潰走させる事に成功したらしいが、時ならぬ豪雨で川が濁流となり追撃困難となり、戦果が乏しいまま作戦は終了したらしいです
【カニファミリーストーリーその172】昭和14年5月31日山西省の太原に到着したカニジジ。華北分離工作に基づいて日本軍が支配していた地域の治安維持の為の出征だった模様。日本軍の支配領域ながら山地に国民党軍に八路軍(共産党軍)、地方軍閥による抵抗が激しい地域であり、カニジジはこの地で数多くの軍事作戦に参加することになる!ちなみに山西省太原市、キングダムの時代(春秋戦国時代)に遡ると、秦国に反旗を翻した嫪毐の建国した毐国のあった場所!この嫪毐は宦官のフリをした皇后の男娼で、馬車の車輪を回せるほどの巨大チンコの持ち主だったとゆー話
【カニファミリーストーリーその171】最初の任務から5ヶ月後、昭和14年5月には再び応召されて第36師団病馬廠付となるカニジジ。役職も獣医少尉で軍馬のスペシャリストという事で、比較的後方での仕事が多かったらしいと聞いている。ちなみに帝国陸軍は暗号的な意味も込めて各師団には「玉」「鯉」「鋼」「虎」など漢字一文字の通称号というものがあったそう。カニジジの属する第36師団の通称は「雪」!東北四県出身の兵を基幹とした師団で、北支方面軍最強師団の一角でもあったらしいです!
【カニファミリーストーリーその170】昭和12年7月7日、盧溝橋事件を発端に日中戦争が始まる!カニジジも遂に実際の戦争へ参加する事となる。開戦から2ヶ月後の9月には早くも騎兵第8連隊の留守隊として弘前(青森)へ常駐し、最初に中国へと渡ったのは同年12月だった模様。任務は北京に司令部を置く北支那方面軍への軍馬の輸送。馬商人であり獣医少尉のカニジジにはうってつけの任務。広島の宇品港を出て中国山東省の済南市へ軍馬を届けたのが最初のミッションだったそう。1ヶ月で帰国したカニジジですが、翌年にはいよいよ本格的な戦場に身を置く事になる!
【カニファミリーストーリーその169】志願した騎兵隊の軍役は1年で現役満期となり、その後半年の予備役を経てカニジジ最初の召集解除となる。まあカニジジの実家は有名な馬商人だったので、軍馬を大量に購入する陸軍はお得意様で、当時は大変儲かったという話。その後は昭和4年と昭和9年にそれぞれ21日間の勤務演習に参加し、昭和12年には獣医少尉に昇格していた。そしてこの年ついに日中戦争が始まります!
【カニファミリーストーリーその169】以前母方の祖父の兵籍簿の読み解きをしたので、今回は父方の祖父の兵籍簿を読み解く。父方のカニジジは母方のカニソフより10個以上歳上なので、太平洋戦争当時は在郷軍人の中でも重鎮だとたそう。そんな20歳のカニジジが志願兵として第8騎兵隊に入隊したのが大正12年12月。山縣有朋が死んだ翌年で、あの日露戦争の騎兵の英雄・秋山好古はまだ陸軍に在籍していた次第である。半年で二等兵→一等兵→上等兵へとステップアップし、家業が馬商人のカニジジは獣医と蹄鉄工のスキルも得て、陸軍の中でも重宝される軍馬のスペシャリストへと進んで行った模様
【たわばガニのジモトーーク!その171】そんなヤクザの親分とも交流を重ね、奥様は思い切って初めて会った時にはとても怖かったのよと打ち明けたそう。親分はバツの悪そうな顔で侘びながら、でも先生にはケンカで1度も勝ったことない恐ろしい人なんですよとカウンターw。武術家恐るべしww
【たわばガニのジモトーーク!その170】地元では有名なヤクザの親分だったタト山さん。奥様はやはり不安が募り、どういう関係かを聞いてみたそう。すると先生の幼馴染で、貧乏でいつも腹を空かせてた先生に食べ物をくれてたんだそう。ヤクザの親分になってもその頃の恩義は忘れられない先生は、実に義理堅い人なんだなと感心しました!
【たわばガニのジモトーーク!その169】お客さんが帰ったあと、奥様は思い切って刺青のことを先生に聞いてみたそう。するとやっぱりヤクザの親分さん!奥様はなんとなくそんな気はしてたけども、ウチの旦那さんのまさかの交友関係にボーゼンとしたそうです!
【たわばガニのジモトーーク!その168】あっという間に縁談はまとまり晴れて世帯を持った先生たち。そんな新婚生活の最中来客があり、先生の知り合いという事で奥様も応対していたそう。その後よくよく見たら、そのお客さんの腕に刺青が見え隠れ!エッ!この方もしやヤクザかしら!と奥様は青ざめたそう!
【たわばガニのジモトーーク!その167】先生のお見合い当日。先生の奥様の証言によると、あまりしゃべらないし顔つきが怖かったしお断りしたいなあと内心は思っていたらしいw。でも先に奥様のお父さんが先生の男ぶりを気に入ってあっという間に縁談はまとまったそうですw。いかにも昭和のお見合いらしいなあw
【たわばガニのジモトーーク!その166】サルベージ船や武者修行を終えて数年ぶりに日本に帰国した先生。地元に戻り整骨院を始める傍ら、地元の子どもたちに空手を教え始めたそう。そんな中、無骨な先生の所に見合い話が舞い込む!武術家のロマンスキター!w
【カニ田一少年の事件簿その134】不審者オジさんの鑑賞会が終わり、帰り際に皆エロ本を何冊か土産に渡された。オジさんは満面のドヤ顔で去っていき、カニたちは呆然とそれを見送った。ふと我に返ったら今更怖くなってきて、ドギツいエロ本を家に持ち帰る気もなくなり、結局帰る途中にみんなで橋の上から川に投げ捨てましたw。しかし今考えれば完全な通報案件、危ない目にあうかもしれないからマネしちゃダメですわなw
【カニ田一少年の事件簿その133】当時はビニール本と呼ばれた大量のエロ本!今ならネットで漁り放題のエロ画像だが、当時はAVレンタルもまだなく中学生にはなかなか手に入れる機会がないお宝!持ってきたのが不審者オジさんなのに、めっちゃ食いつく中学生男子!とは言えその場所は夜の公園だし、周りには部活仲間もいるし、何より不審者オジさんが渾身のドヤ顔してコチラをニコニコ見てるので全然集中できませんでしたww
【カニ田一少年の事件簿その132】律儀に再び現れた不審者オジさんは、おもむろに車のバックドアを開ける。おそるおそる覗きこむと、段ボール箱いっぱいのエロ本が積んであった!これが"良いもの"の正体か!
【カニ田一少年の事件簿その131】結局様子見と称して公園に向かったカニたち。しかし不審者オジさんの姿はなく諦めて帰ろうかと思った時、ハイビームで照らされて視界が真っ白になった!見ると不審者オジさんは車で現れた!
【カニ田一少年の事件簿その130】翌日の学校では不審者おじさんの話で盛り上がる。しかし、その場にいなかった部員がおじさんの"良いもの"に興味津々!あまり関わりたいとは思わなかったカニでしたが、その部員のゴリ押しでまたもや様子を見に行く事になります!今考えると怖いもの知らずというか、なんと言うか…
【カニ田一少年の事件簿その129】夜の公園に突然現れた不審人物は流暢に話し続ける。カニたちも逃げるタイミングを逸していたのもあるが、何やら若者がエロに興味を持つのは仕方がない事だと切々と語り、最後には"明日ココに来れば良いものを見せてやろう!"と謎の取引を持ちかけられる!その瞬間"ハイ分かりました!"と適当な返事をしてその場から逃げ去るカニたち!
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【カニリーヒルズ高校白書その146】カニが麻雀を覚えたのは小学4年生の頃。バリバリの麻雀好きだったカニパパの暇つぶしで叩き込まれ、たまに家族麻雀なんかをやっていた。そして高校生になったある日、映画部のタチくんから唐突な頼まれごとをされる。それは"ゲーセンの脱衣麻雀"の代打ちッ!それってどんな依頼?ww
【カニの大腸検査その32】内視鏡でお腹かき回されてヨレヨレのまま検査結果を聞くカニ。結果的に言えば疾患名は「虚血性大腸炎」、字面は怖いけどわりとよくある疾患で、何らかの理由で大腸の血流が悪くなり炎症・出血を起こすそう。大腸は縦横無尽に血管が走ってるので再生能力も高いらしく、黒いウンコが出てから1週間以上経ってる間にほぼ再生してて痕跡しかなかったそう!後日でた生検の結果も異常なしという事で無罪放免となりましたッ!上から下から検査は辛かったけど、問題なしという事でホッとしたッ!
【カニの大腸検査その31】なかなか進まない内視鏡でお腹の苦しさはピークに達する!もう無理勘弁してーと思ったタイミングで内視鏡を抜く事に!どうやら3/4位までしか進めなかったらしいのだが、カニがあまりにしんどそうなんでこのくらい迄でいいでしょうって事らしいです。いいオジサンなのにヘタレですんません…
【カニの大腸検査その30】先生が言うには、筋肉質で体の幅の薄い人は内視鏡は比較的すんなり進むらしい。しかし腹筋が弱くて腹の出た体は内視鏡が上下にもブレるせいでなかなか進行方向に進まないんだそう。そう言う場合は上から腹を押さえつけて内視鏡の向きを調節するらしいが、カニは仰向けになれない為にそれもままならないッ!もっと真面目にダイエットしとけばよかったッ!
【カニの大腸検査その29】鎮痛剤の効果は薄く地獄の呻き声をあげるカニ。お腹が破裂しそうな苦しさに悶絶する中で先生が仰向けの姿勢を所望する。しかし黄色靭帯骨化症のカニは背骨が硬くて仰向けになれないのである!すんませんッ!
【カニの大腸検査その28】いよいよ5年ぶり(2回目)の大腸検査!めちゃくちゃ緊張して構えてたら、検査前に鎮静剤を打つとの事。これは前回はやらなかった処置!もしかして無痛で検査できるのかな?と期待したものの、異物挿入感は変わらずキモチ悪いッ!ウボァッ!
【カニの大腸検査その27】先生が代わっても大腸検査はやらねばならぬ。渋々とベッドに腰掛けたその刹那、下剤効果で猛烈な便意に襲われる!こらいかんと慌ててトイレに行こうと思ったら、先生ったら笑顔で内視鏡を手に"大丈夫、ちょっとぐらいならコレで吸っちゃうから"とアドバイス。内視鏡にそんな機能があったとは知らなんだ!
【カニの大腸検査その26】胃カメラの1週間後に大腸検査という内視鏡連チャンとなったカニ。下剤は相変わらずしんどかったけど前回と同じなんで詳しくは"カニの大腸検査その4、その5"を参照でw。ぶっちゃけ何も知らなかった初回よりも、苦しさを経験してる2回目の方が恐怖感ある。めっちゃビビって検査室に入ると、そこに居たのはゴリ先生じゃなかった!若い爽やかな先生による二度目の大腸検査が始まりますッ!黒いウンコの原因は判明するのか?
【カニの大腸検査その25】胃カメラの結果は食道も胃も十二指腸もキレイで出血はないとの事。ますます黒いウンコの謎が深まるが、事前の便の検査では潜血反応があったのは間違いない。"やはり出血箇所を特定したいですよね?"と聞かれたので、"まぁ"と生返事をしたら、今度は大腸検査をする事に!まさかの上下時間差検査!ものすごくイヤァァァァァァァッ!
【カニの大腸検査その24】えずこうが喚こうが胃カメラはズンズン体の奥へと侵入する。ようやく十二指腸まで到達したところでゴリ先生が言うには"どこにも異常はないですね"との事。こんなに苦しんだけど原因は見つからず!じゃあ、あの黒いウンコは何だったのか?やはり原因解明は一筋縄じゃいかない!
【カニの大腸検査その23】ゴリ先生か胃カメラは鼻から入れた方がえずきにくいとアドバイスしてくれたので、鼻から挿入をリクエスト。鼻から何かが侵入してきて喉を通り抜ける感覚が気持ち悪い上に、想像以上にヴォエヴォエえずきまくるカニ!涙と鼻汁まみれでヒドい有様でしたww
【カニの大腸検査その22】下剤を飲みまくる大腸検査と違い、胃カメラの場合は前日夜からの絶食だけですむのはありがたい。検査当日ベッドに横になるや否やゴリ先生"鼻からと口からとどっちがいいですか?"と質問される。エッ、そんなんどっちが苦しいのか分からないんで選べませんケドッ!w
【カニの大腸検査その21】ネットでもあらかじめ調べてた通り、黒色便は食道・胃・十二指腸あたりからの出血が原因である事が多いという事。予想はしてたけど今回は上からの内視鏡検査が決まりました!めっちゃ不安だけど早いとこ原因突き止めたいッ!
【カニの大腸検査その20】ゴリ先生に黒いウンコの話をしたところ、どのくらい黒かったかと問われるカニ。墨のような黒さだと言った後で、興味本位でウンコの写真を撮ってた事を思い出した!写真を見せたら"コレは大分黒いですね…"と言われましたッ!撮ってて良かった!
【カニの大腸検査その19】個人病院で診察を断られたので地域の中核病院で予約を取る。カニが以前骨折の手術をして入院した病院である。消化器内科で順番が来て診察室に入ったら、そこにいたのは5年前にカニの大腸検査をしてくれたゴリ先生!なんだか猛烈にイヤな予感が…w
【カニの大腸検査その18】ググってただ不安になってもしょうがないので、近所の消化器系の個人病院に診察予約の電話をいれる。しかし電話口で黒いウンコの話をしたら、しばしの沈黙の後に"ウチよりもっと大きい病院に行かれた方が…"とたらい回される!エッ、そんなに黒いウンコってヤバいんか?と更に不安を募らせるカニです!
【カニの大腸検査その17】黒いウンコさんの写真を撮ってる場合じゃないと我に返る。まずはこれが何なのかスマホでググってみたところ、これはどうやら黒色便とかタール便というらしい。食道や胃や十二指腸からの出血が小腸・大腸を通過する間に参加して黒くなるというもの(小腸・大腸の出血の場合は赤い血がでる)。調べたら調べたでまた不安が増すカニ!
【カニの大腸検査その16】ペンタブラックばりの漆黒のウンコに狼狽するカニ。あたふたした後でカニはウンコをスマホで撮影した!ただ流すにはあまりにもったいない黒さだったので!w
【カニの大腸検査その15】令和6年3月某日、その日も定期便のウンコさんをしたところ、いつもと違う異変が起きてました!それは見たことのない漆黒のウンコさん!なんか知らんけどお腹がヤベェ気がする!
【カニの徒然小ネタ日記その55】スーパーで買い物してた時の話。前に並んだ客が大量に肉を購入していたのだが、詰め替え用の作業台のうえで衝撃映像が!それは買った肉のビニールをその場で破り、持参したらしいプラ容器に肉を移し替えていく!そして大量にでたトレイはそのまま店のゴミ箱に捨てていきましたw。イヤまあ確かに合理的だけど衛生面で大丈夫?と思わずにはおれないカニでした
【たわばガニのジモトーーク!その105】ゲームソフトが当たってもファミコンがない。机の上に飾られたままの日々が続き、学校でその話をしていた時に天啓が!何人か有志を募ってファミコンを共同購入すればいいんじゃね?四半世紀以上前にシェアリングを思いついたカニたちです!
【たわばガニのジモトーーク!その104】中学生頃のハナシ。学校から帰るとカニに郵便物が届いていて、何の覚えもなく開けてみたら中には当時人気のファミコンソフトが!どうや、雑誌の懸賞ハガキで当たったらしく、めっちゃテンション上がった!しかし当時カニはファミコンを持ってなくて、意味ないじゃーん!と今度はテンション急降下!宝の持ち腐れとはこの事!
【カニ田一少年の事件簿その101】皇居の馬場には観覧席がセッティングされていて、カニパパは後ろの方の席に座らされたそう。やがてあたりがざわつきだし目をやると、そこにはやんごとなき方のお姿が!マジか!歴史メイニア的には超うらやましい!その後は皆で競馬だか馬術競技だかを楽しんだと言う話。昭和30年代の雅やかなオハナシ
【カニ田一少年の事件簿その100】皇居内の厩舎に馬を無事届けてカニパパのミッションは終了。そこにカニジジがやってきて労をねぎらいながら"せっかくだからお前も見ていくか?"と不敵に微笑むw。カニジジの後をついていくと皇居の中に大きな馬場があり、多くのセレブが集まっていた!これがなんとあの吉田茂も会長を務め、戦後わずか20年程しか存在しなかった幻のクラブ「パレス乗馬倶楽部」だったそうです!まさに歴史の目撃者!
【カニ田一少年の事件簿その99】昭和30年代の話。皇居の大手門橋前で皇宮警察に下馬を命じられたカニパパは、素直に応じれば良いものの血気盛んなお年頃。皇宮警察を睨みつけ「橋の上で無用な下馬をして恐れ多くも天皇陛下にお届けする馬に万が一でも怪我をさせたらどう申し開きをするか!"と長口上で黙らせる!ww。結局騎乗のまま橋を渡り大手門を潜り抜けたそうですが、カ20代のニパパは怖いもの知らずというか不敬というかww
【カニ田一少年の事件簿その98】昭和三十年代の東京で馬上の人になるカニパパ。東京駅と皇居を結ぶ行幸通りを真っ直ぐ進み、大手門橋を渡ろうとした時!皇宮警察が飛び出してきて騎乗したまま橋を渡るべからず!と静止されるッ!まるで一休さんみたいなシチュエーション!
【カニ田一少年の事件簿その97】今のサラブレッドは馬運車で陸送しますが、当時はまだ貨物列車を使っていたせう。夜行の貨物列車で十数時間かけ、東京についた頃は通勤のサラリーマンが溢れる時間帯。そんな中を馬上の人となり悠然と進むカニパパ!昭和30年代とはいえかなり珍しい騎乗姿に東京駅周辺はザワついたらしいです!w
【カニ田一少年の事件簿その96】カニジジは戦前から100年続く馬商人の家系。軍馬の取引などで中央にも顔が効く名士だったらしい。カニパパが学生の頃だから60年以上前の話。その日カニジジからカニパパに電話があり、自分の代わりに顧客に馬を一頭届けて欲しいと頼まれたそう。「届け先はどこ?」と聞いたら「東京」と言われ、競馬場かどこかだと思ったら、お客さんはなんと"天皇陛下"!学生カニパパの重要ミッションが始まります!
【カニリーヒルズ高校白書その114】マラソン大会サボりでガチ説教の果ての総仕上げは原稿用紙十枚の反省文提出!しかもタイトルは「マラソンと私」!しかし他のみんなは苦労してたみたいだけど、カニはダラダラ文章を書くのは得意だったので、古代ギリシャのマラトンの戦いを導入部にマラソンの歴史を描きつつ、反省・謝罪に持っていった!w。これが先生には大ウケでしたw
【カニリーヒルズ高校白書その113】マラソン大会サボりがバレたカニたちは学校に戻るなり職員室に呼び出されて正座!生徒指導の先生から全員仲良く出席簿の角で一撃喰らう!クソ痛いけど完全に自業自得なんで文句言えませんww
【カニリーヒルズ高校白書その112】ほどほどサボってそろそろコースに復帰するかと思った頃、6人目か駆け込んできた!今頃サボりに合流したのかと思ったら、実は先生のメッセンジャー!カニたちのマラソン大会サボりは既にバレバレだった!一気に血の気が引くカニたち!ヤベェ!
【カニリーヒルズ高校白書その111】マラソン大会を抜け出しコース沿いのトモダチんちに上がり込むカニw。両親共働きで誰もいないのが都合いい!炎天下のマラソンでカラカラの喉にキンキンに冷えた麦茶が染みる!w。そのままマラソン大会が終わる頃にしれっとコース復帰する算段をし、ファミスタなぞしながら時間を潰す事にする!
【カニリーヒルズ高校白書その110】マラソン大会をバックれると決めたカニたちは、監視役の先生の目を盗んで路地に駆け込む!うまいことエスケープできたかと思いふりむいたら、さらに何人かの仲間がついてきた!ちょ!おま!ww
【カニリーヒルズ高校白書その109】カニ高3年の時の校内マラソン大会。炎天下の中10km以上のコースを走るだるいイベント!文化部系のカニは早々にヘトヘトだったのだが、そこで後ろからトモダチが話しかけてきた。マラソンコースの途中に自宅のある彼は「マラソンバックれてウチでゲームでもやらないか?」と誘ってきて、バテバテのカニは二つ返事でその提案に乗ることにした!
【カニの徒然小ネタ日記その43】毛深い人には地味な気遣いがある。それは風呂に入った後、湯船に浮いた毛を手桶で地味にすくう事ッ!これやらないと後から入る人に文句言われることあるw。手桶で水面ギリギリの水をすくうと、けっこう毛が回収できるんで、割とマジになりがちw
【カニの徒然小ネタ日記その42】毛深い事のデメリット、それは常に体毛が部屋に落ちること!ズボンの裾からハラハラと落ちているのか。たまに家具の隙間に箒をいれたりすると…。西部劇で見る丸い草のような体毛の塊がコロコロと転がってる!日々自分の体からゴミを生み出し、自分で掃除するという無駄なサイクル!ww
【カニの徒然小ネタ日記その41】毛深い人にもメリットはある。例えば入浴時にはほんのちょっとのボディソープでもめちゃくそ泡立ちます!つるつる肌のイケメン脚より当社比50%増は間違いありませんぜ!(適当)
【カニの徒然小ネタ日記その40】すね毛でアリンコを作ると絡みすぎて解けなくなる時がある。その際はハサミで切ったりしていたのだが、一度勢い余ってすね毛で引っ張っられた肉を切ったことある!あまりの痛みで声にならない声をあげるカニでしたッ!めっちゃ血ィ出た!ww
【カニの徒然小ネタ日記その39】元祖すね毛KINGのカニパパから伝授された持ちネタ。それはすね毛を手のひらで強烈に摩るとすね毛同士が絡み合い、アリンコが出来上がる!ずっとカニパパの発案だと思ってたけど、わりとあちこちにあるみたいで最初にこの技を編み出したのが誰なのか、めっちゃ気になってます!w
【カニの徒然小ネタ日記その38】突然ですがたわばガニは毛ガニです。胸毛やすね毛がモッサー生えてる毛むくじゃら系男子。思春期の頃はコンプレックスでカミソリで剃ろうかと思ったりもしたが面積が広くて断念し、やがておっさんになるにつけどうでもよくなるw。ちなみに毛深さの理由は遺伝子レベルのようで、自分のすね毛がどれも三本横並びでワンセットになってます!古代には「毛人」と呼ばれた蝦夷の末裔の証拠とか言われたりもしましたが、真相は不明ですw