外国語といえば英語だ。これはステレオタイプながら、外国で外国語を使って仕事をするなら絶対的な真理である。 以前、K-POPにハマって韓国に語学留学までした友人が、英語だけ特別視するのはおかしい的な話をしていた。興味のある言語を学べばいいのだと。もちろん正しい。文化的な意味で言えば確かに英語は世界に星の数ほどある言語のうちインド・ヨーロッパ語族のそのまた一部でしかない。だから好きな言語を好きな様に学べばいい。Pythonとかね(=^・・^=)♬ ただ、その語学力をおカネに変えたいなら、話はぜんぜん違う。語学力を仕事にするなら韓国語なんてやってる場合ではないのだ。 実際問題、2012年に脳味噌のデキに少なくとも偏差値的に大差ない僕らが韓国語と英語をそれぞれ学んだ結果、海外就職に成功したのは英語を選んだ僕だけだった。英語はそれなりに使えればカネになったけど、韓国語はいくら流暢に喋れてもカネにならなかったわけ。 仕事で使うなら英語以外は所詮「第二外国語」でしかない。デキたら良いね、くらいなもん。 さて。 そんなカルト的英語至上主義だった僕は、シンガポールに住み始めて愕然とした。英語が喋れるのは「当然」であり、僕のシンガポール友人たちは深い話はみんな「華語」でする。シンガポールの華語は、中国語普通話が崩れたような文法と、マレー語や福建みたいな中国方言の語彙が混ざった混合言語、ピジンである。なお、マレーシアやインドネシアにはそれぞれ独自の華語があって、これは日本語の方言のように喋り方で出身地がバレる仕組みでもある。 とくにシンガポールに思い入れが無いまま成り行きで働き始めた僕は、広大な中国語文化圏が東南アジア一円に広がっている事実に興奮した。英語が出来るのは東南アジアで高い教育を受けた中華系〇〇人には当然であり、その上で中国語(華語)で国籍を問わずかなり深いレベルで意思疎通ができる。むしろ英語より深く、心の奥底を表現できる…。 これってスゴいことじゃないか? 話し合いで解決。 なにも極端に左巻きな人達だけじゃなく、普通に考えれば思い当たる人類普遍の真理である。民族とか国家の間になにか問題が発生したならば、腹を割ってとことん話し合えばきっとどこかで理解しあえる時が来る。 ところが残念なことに、そこには言葉の壁がある。隣の国の人たちと自由に語り合うことができない。もし全人類が、現在のデファクトスタンダードである英語を流暢に喋れる
35歳マイホーム購入ラッシュにピンとこない落ち着きがない僕の胸の内
「あら、ロバート・キヨサキって日本人じゃなーい!」 チーズをどっかに消しちゃう人?ビットコインの教祖?Ruby作ったのは日本人だよ(=^・・^=)♬ 「それは別人よ。金持ち父さん。」 なんかこのキヨサキさんは日本人じゃなくアメリカ人なんじゃね(=^・・^;=)? 「まぁ、どうでもいいわ。そんな感じでね、労働者から起業家へ。人生の象限を超越する切り札が…これってわけよ」 無駄に難しい単語ばかり使って話す、大学を出たばかりというこの23歳の台湾女子は、黒いアタッシュケースからドブからさらったカビみたいな緑の苔を僕の顔に塗ったくる。それドロだろ!って思ったら、本当に泥パックらしい。有名な湖の泥は売れるのか。 午前1時。 なぜか僕は台湾第二の都市、高雄で、マルチ商法の勧誘を受けている。AirBnBで予約した物件が、なんでかどうして化粧品マルチ大手の地区部長様のお宅だったわけ。 いや…。まぁ僕もブロガーですからね。行く先々でこうしたネタに巻き込まれるのは本望なんですけどね。いや、それでもやっぱ。イケメンでもなんでもない35歳の僕に化粧品を勧めるのは、あまつさえ女性をターゲットにセールスさせるのは、いくらなんでも無理があるってもんだぜ(=^・・^;=) 「日本には【傑尼斯】ってあるでしょ。これを塗ればあなたも2週間でデビューよ!」 いや…。デビューするためにヤツら全員掘られてるからさ。僕は嫌だよ…。じゃあまぁ台湾女子と結婚できるし、せめてEXILEにしとくわ(=^・・^;=) 物価が安く給与水準も低い台湾の庶民は、みんな月収10万円くらいで慎ましく暮らしている。だけど不動産だけは別で、日本と同じく平地が少ない土地柄も相まって、新築信仰が根強い日本人からしたらボロ屋の範疇であろうガチ昭和な中古物件にも数千万円の値がつく。億ションだってまったく珍しくない。 それなのに彼女は若干23歳にして杉並区的な閑静な住宅街に家を持ち、猫二匹と優雅に暮らしている。マルチ商法ってそんな儲かるのかと思ったら、やっぱりそこは金持ちのご令嬢ってわけ。この家も父親が複数所有する物件のひとつで、生活のために働く必要がないので好きなことだけやってるらしい。 うらやましい。 親と家とボンボン 「やっと裁判が終わって。晴れてこの家は俺のもんになったわけさ」 無職、家を持つ。僕の7年来の友人であるこの台湾男子は、亡くなった母の遺産相続で裁判沙汰に巻き込まれた。
8月31日。 夏休みが終わり、1年で最も多くの子供たちが命を放り出すこの日は、僕的に冗談抜きにキツい。 同じような喜びはあれど、同じ悲しみはない。だから同情や共感なんて人間らしい感情ではないのだけど、8年前に命を放り出そうとしたことがある僕は、やはり子供が自殺したニュースを読むたびにあの時のこと、そして自分が子供だった頃を思い出し、いたたまれない気分になる。 子供が、人生に、行き詰まる。 幼くして、死ぬことが、最良の選択であると、結論に至る。 僕がいたたまれない気持ちになるのは、行き詰まった自分の人生を立て直した今でも、彼らに何ひとつ助言することが出来ないからだ。 夏休みの終わり 22時過ぎの関越自動車道。オレンジ色のナトリウム灯が車の車窓を流れていく。運転しているのは父親、後部座席で僕の隣に座った母親と、助手席のチャイルドシートに座った弟は高速に入ってすぐ寝入ったようだ。 僕はというと子供の頃から不眠症。 小学6年生の僕は流れていく街灯と、まるで高速道路に寄生するように林立するパチンコ屋、そしてお城のようなラブホテルの妖しげなネオン。そんな救いようのない夜のクソ田舎を、焦点のあっていない目でただひたすら眺めていた。 小学校最後の夏休みがもうすぐ終わる。 僕はこの頃、自分がちょっと普通ではないことに気付き始めていた。というか、普通から逸脱して学校で困ることが多くなった。たぶん僕は物心つくまえから同じようなもんだったんだろう。でも12歳になってようやく、それを具体的に自覚できるようになったわけだ。 オレンジ色の街灯が視界を流れていく。その間隔が、心臓が鼓動するリズムのちょうど半分であることに僕は気づく。ここは高速道路なので、結構速い。 僕は夏休みの宿題のことを考えていた。 自由研究と算数の宿題はとうの昔に終わらせた。でも絵日記は夏休み2日目から空白。調理実習を参考に昼飯を作って家族に振る舞うという家庭科の宿題も、まだ母親にその存在すら伝えていない。しかしまぁ、これは怒られるだろうがなんとかなろう。そうだ、みんなでっち上げればいい。 問題は漢字ドリルである。 国語の宿題は、1学期に習ったドリルを漢字ノートに5回ずつ写経せよというものだった。当初は10回と言い渡されたのだけど、教師もこの荒れたクラスでそれは無理と承知しており、5回に減刑されたわけだ。 ところが夏休みも終わりに差し掛かり、久しぶりにランドセルを開けた僕は
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