大捕手の懐刀
加藤 秀司(かとう ひでじ、1948年5月24日 - ) 阪急(69〜82)−広島(83)−近鉄(84〜85)−巨人(86)−南海(87) 1986年成績.219 3本塁打 13打点 鬼より怖い大打者も... 阪急黄金時代の主軸打者として猛打を発揮。75年にMVP、首位打者1回打点王3回と球史に名を残す大打者である。 現役時代後半は、関西(阪急)→広島→関西(近鉄)→東京(巨人)→関西(南海)と関西を離れてはまた関西に戻ってくる、の連続であったために「渡り鳥生活」と呼ばれたが、セ・リーグや関西以外の水が合わなかったのか広島巨人ではさっぱりだった。 85年は近鉄で.286 26本と好成績を残した…
石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - ) 豊見城高校−阪急・オリックス(79〜93)−阪神(94〜96) 1994年成績.246 17本塁打 77打点 遥かに連なる道を行け ブルーサンダー打線の主軸として活躍した沖縄の大砲。 93年にFA制度が導入されると行使し、争奪戦の末に慣れ親しんだ関西が本拠地である阪神に移籍となった。序盤戦は打点王を争うなど好調をキープ。だが後半戦は息切れし本塁打は17本。86年の規定打席到達以降最低の数字となってしまった。 守備の影響で古傷の膝の状態が悪くなりそれが後半戦の低迷にも繋がっていたと言われているが...とはいえ6年連続となる全試合出場を…
桧山進次郎(150三振ver.)【パワナンバー・パワプロ2022】
桧山 進次郎(ひやま しんじろう、1969年7月1 日 - ) 平安高校-東洋大学-阪神(92〜13) 1997年成績.227 23本塁打 82打点 4番として... 阪神暗黒時代から00年代前半の優勝時まで主力打者として活躍。晩年は代打専門として印象的な一打を数多く放ち「代打の神様」と呼ばれ人気を博した(コピペ風) 97年はチーム事情もあって4番を任される。だが強引なバッティングが目立ち新庄と共に三振の山を築く。最終的には150三振を記録してしまった。 この三振数は昨年、佐藤輝明が抜くまで球団の日本人記録だった。 [査定について] ・前年には左に6本塁打と強打者としての素質を如何なく発揮した…
和田 豊(わだ ゆたか、1962年9月2日 - ) 我孫子高等学校‐日本大‐阪神(85~01) 1997年成績.300 2本塁打 26打点 スパイチュ 暗黒阪神の顔として、運命共同体として、最後まで阪神とお付き合いをした松田聖子が大好きな内野手。 97年は当時のNPB記録となる開幕から24試合連続安打を達成し3割を大きく超える数字を残していたが奈々月に死球骨折。復帰後は流石に打率が下降したが何とか3割をキープした。 [査定について] ・得点圏は高いんですが..まぁそういうことですね Twitter↓ twitter.com 他の選手などはこちらから↓ www.gfan-pawapuro.com…
新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - ) 西日本短期大付属高-阪神(90〜00)-メッツ他-日ハム(04〜06) 1997年成績.232 20本塁打 68打点 猛虎のプリンス 言わずと知れた天性のスーパースターにして猛虎のプリンス。 97年も低打率で桧山と共に三振の山を築いたが、4年ぶりに20本塁打に乗せた [査定について] パワーC69がミソです Twitter↓ twitter.com 他の選手などはこちらから↓ www.gfan-pawapuro.com リクエストなどはこちらから↓ odaibako.net ようつべ↓ youtube.com
平塚 克洋(ひらつか かつひろ、1966年1月29日 - ) 大洋(90〜93)−オリックス(94〜95)−阪神(96〜99)−西武(99〜00) 1997年成績.293 17本塁打 68打点 4番平塚 ウメさんの愛称で親しまれた強打の外野手で4球団でプレー。 プロ入りは大洋で、打力以外取り柄がないということもありパ・リーグのオリックスにトレード。四番を任された事もあるがニールやD・Jの壁は高く活躍は出来なかった。 金銭トレードで阪神に移籍後は真価を発揮し96年にレギュラーの座を掴みかけると、97年はレギュラーの座を掴み取り一塁手として活躍。地味ではあったが安定感のある打撃でチームトップのOP…
マイク・グリーンウェル(阪神)【パワナンバー・パワプロ2022】
マイケル・ルイス・グリーンウェル(Michael Lewis "Mike" Greenwell , 1963年7月18日 - ) レッドソックス−(85〜96)−阪神(97) 1997年成績.231 5打点 神のお告げ 言わずと知れたNPB史上No.1のクソ助っ人最有力候補にしてMLB通算打率.303の大物助っ人である。 清原争奪戦に破れた阪神が大枚はたいて獲得するも、家賃150万の住居に苦情を入れ、キャンプ開始早々帰国するなどトラブルメーカーっぷりを発揮(住居に関しては代理人の意向が強く、グリーンウェルは感知していなかったとの話もある。帰国は契約条項のうちだった) 更に腰を痛めたとして中々再…
マリオ・ディオニシオ・ブリトー(Mario Dionisio Brito、1966年4月9日 - ) CPBL−巨人(96)−CPBL 1996年成績 3勝2敗19S 防御率3.33 お化けフォーク 落差50cmのお化けフォークを武器に活躍したスーパーマリオ。 95年は台湾でプレーし96年は3Aでプレーしていたところ、いきなり代理人から日本行きを宣告され良く分からないまま来日。推定年俸は1000万と超格安と日本行きにはちょっと可哀想な背景があったのだ。 初登板でいきなり4者連続奪三振の鮮烈なデビューを飾ると抑えに定着し19Sをマーク。だが夏場以降は巨人との契約延長を気にし精神的にかなりナーバス…
ブライアン・バリントン(広島)【パワナンバー・パワプロ2022】
ブライアン・ポール・バリントン(Bryan Paul Bullington, 1980年9月30日 - ) MLB‐広島(11~14)‐オリックス(15) 2011年成績 13勝11敗 防御率2.42 バリバリバリントン! MLB全体ドラフト1位で入団した右腕。が中々活躍できず。 11年に来日すると中4日で回るタフなスターターとして1年目に200イニング、3年間で550イニングを稼ぐイニングイーターとして活躍。だがwhipの割に勝ち星には恵まれず不運な投手とも。 ランナーを出すとやや崩れやすくなるのと、当時の広島は内野守備が粗くゴロピッチャーのバリントンと相性が悪かった。その辺りも勝ちが…
南 竜次(みなみ りゅうじ、1972年6月26日 - ) 天理−日ハム(91〜97) 1993年成績 防御率13.50 スモークボール 当時の日ハムで、トップクラスに期待されていた大型右腕。最速151kmの剛速球は"スモークボール"と呼ばれた。 高校時代は天理のエースとして甲子園優勝。ドラフト4位で入団し将来の抑え候補とも呼ばれたが制球難を中々改善出来ず。怪我にも泣いてプロでは1勝も挙げられなかった。 引退後はエアコン関係の会社を起業し成功を収めている。 [査定について] 当時の151kmは相当速い部類なんですよね
松浦 宏明(まつうら ひろあき、1966年5月19日 - ) 船橋法典高−日ハム(85〜94)−横浜(95) 1993年成績 4勝2敗1S 防御率3.10 ゼロ戦のマツ 多彩な球種と勝負根性を武器に活躍した背番号0の右腕、通称「ゼロ戦のマツ」 88年には15勝で最多勝、90年も二桁勝利を挙げる主力投手として活躍するも、故障に悩まされた時期も。 だが先発リリーフ問わず一定の成績を残せるため、首脳陣からすれば使い勝手の良い選手。93年は肩痛から復活してセットアッパー的な役割を担い、やはり一定の数字を残している。 引退後は様々な事業に携わっているが、現在は教育現場で活躍しているとのこと。 [査定につ…
レスリー・アンダーソン(巨人)【パワナンバー・パワプロ2022】
レスリー・アンダーソン・ステフェス(Leslie Anderson Stephes, 1982年3月30日-) キューバリーグ-米マイナー-巨人(14〜16) 2014年成績.319 15本塁打 50打点 陽気な変顔助っ人 キューバ出身の外野手で、WBCにも出場。日本戦でスタメン出場を果たすなどキューバ国内でも指折りの選手であったが後に亡命。3Aでは好成績を残したがMLBには昇格できず14年巨人入り。 独特のフォームと変顔から度々変態的な打撃を披露し、序盤の巨人打線を牽引したのだが・・・負傷で離脱後は復帰を急いだ事もあり明らかな調整不足で成績が下降し、100試合の出場にも満たなかった。 が、そ…
イアン・A・クロル(Ian A. Krol, 1991年5月9日 - ) ブレーブス他−巨人(22〜) 263試合に登板のリリーバー MLB通算で263試合に登板し2016年には63試合に登板した実績を持つ。最も近年は精彩を欠いており17年以降はMLBの舞台で結果を残せていない。 今季も3Aでのプレーに終始しており成績はとても褒められたものではないが、投壊に泣く巨人が格安で獲得。コントロールが悪く球速の割に空振りが取れない投球スタイルはいかにも巨人らしい助っ人と言えそうだ。 [寸評] ・球持ちが悪くコントロールは不安定で球種は比較的豊富ながらも決め球クラスの球種はなく、活躍するビジョンは正直見…
柴田 保光(しばた やすみつ、1957年8月20日 - ) 島原農業高校-丹羽電機-あけぼの通商-西武(79〜83)-日ハム(84〜94) 1993年成績 7勝11敗 防御率3.55 平成初のノーヒッター 若い頃はノーコンピッチャーだったが日ハムに移籍してからは徐々に制球力を付け、87年の手術以降は技巧派投手に完全に転向。 内角をシュートで突き外角のスライダーで打ち取るのが基本パターン。省エネピッチングで西崎に次ぐ2番手投手としてチームを支え、90年には平成初のノーヒットノーランも達成している。 当時のハム打線が貧打という事もあり援護に恵まれず負けも多く付いたが毎年安定した成績を残した。 [査…
清宮 幸太郎(きよみや こうたろう、1999年5月25日 - ) 早実−日ハム(18〜) 生粋のスラッガー 昨季は一軍出場がなかったものの、今季は既に自己最多の本塁打を記録しており20本も視野に入りつつある。 まだまだ課題は多いが長打率と選球眼は申し分なく、やはりスラッガーとしての資質は本物である。 [査定について] よそ見するな清宮〜
舩木 聖士(ふなき さとし、1973年8月26日 - ) 尾道商−NKK−阪神(96〜02)−ロッテ(03〜04) 1996年成績 6勝9敗 防御率4.49 期待の社会人No.1投手 スライダーを武器に活躍し社会人No.1投手と評されドラ1で阪神に入団。 当然期待度はとても高く、それは当時のパワプロでもスタコンBBの珍査定だった事からも伺える。前年防御率2.98の藪ですらスタコンBDで赤特持ちなのでそのヤバさが分かるだろう?(チャー研馴れーション風) 開幕第3戦となる巨人戦でデビュー。9回を投げきる素晴らしいデビューを飾るも打線の無援護もあって勝ち投手にはなれず。それどころか続投した10回にラ…
大沢 啓二(おおさわ けいじ、1932年3月14日 - 2010年10月7日) 平塚工業学中退‐商工高等学校‐立教大‐南海(56~64)‐オリオンズ(65) 1956年成績.259 4本塁打 30打点 球界の親分 人情味溢れる性格で多くの人間に親しまれた、球界の親分。 現役時代は打力こそなかったが、強肩を生かした守備でチームに貢献。特に今日では当たり前のように行われている打者によるシフトチェンジを始めて日本で行ったとされる。 引退後はロッテと日ハムの監督を務め、81年には日本一こそ逃すものの「パ・リーグのお荷物」と揶揄されてきたハムをリーグ優勝に導いた。 晩年はモルツ球団の監督や日曜日のアノ番…
ヘンスリー・ミューレン(ヤクルト)【パワナンバー・パワプロ2022】
ヘンスリー・フィレモン・アカシオ・ミューレンス(Hensley Filemon Acasio Meulens、1967年6月23日 - ) MLB−ロッテ(94)−ヤクルト(95〜96)−MLB 1995年成績.246 29本塁打 80打点 キュラソーの大砲 NPBでは初となるオランダキュラソー島出身の選手。ロッテでもそれなりに活躍するがオナホールスアン四世に苛められていた事ぐらいしか知られていない。 ヤクルトに入団すると当初はセ・リーグの変化球攻めに苦しむ。パ・リーグと違ってセ・リーグは初球からバンバン外スラやフォークを投げ込んでくるため三振の山を量産し6月中盤までは打率1割台の極度の不振に…
トーマス・オマリー(ヤクルト)【パワナンバー・パワプロ2022】
トーマス・パトリック・オマリー(Thomas Patrick O'Malley, 1960年12月25日 - ) MLB-阪神(91〜94)-ヤクルト(95〜96) 1995年成績.302 31本塁打 87打点 MVP NPBでの6年間全てで3割以上をマークし、安打製造機と呼ばれた。 阪神ではその安定した成績と六甲颪を歌うユーモアのあるキャラでファンに愛される存在であったが、例によって阪神をクビになる。 すかさず獲得した野村ヤクルトでは神宮が本拠地になったこともあって本塁打が増加。長打狙いに徹したことも影響して例年よりアベレージは低かったが日本一に貢献しMVPを獲得。90年代を代表する助っ人と…
近藤 和彦(こんどう かずひこ、 1936年3月2日 - 2002年6月10日[1]) 平安−明治−大洋(58〜72)−近鉄(73) 1961年成績.316 11本塁打 48打点 35盗塁 天秤打法 天秤打法で名を馳せた60年代の名選手。 毎年高打率を残し長嶋のライバルとしても活躍したが、首位打者は獲得できず。だが鈍足と言われていた中で61年には盗塁王に輝いている。 走攻守三拍子揃った好選手で、当時のファンが「大洋にもこんな選手がいるんだ(*^○^*)」とポジっていたかどうかは定かではないがB9が7回という実績が示す通り球界を代表する選手であった。 [査定について] とくには Twitter↓…
小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - ) 前橋工−青学−ロッテ(85〜92) 1988年成績 10勝9敗 防御率3.40 204奪三振 NPBの元祖ドクターK 甘いマスクと豪腕っぷりから「群玉(群馬の玉三郎)」と呼ばれ、甲子園のアイドルでもあったスター選手。青学を経てロッテに入団。 サイドハンドからノビのある速球を投げ込んでいたが、上半身に頼ったフォーム故に制球に難があって中々1軍に定着出来ず。ポテンシャルは高く評価されていたが、コーチ・評論家からはフォームの修正を口酸っぱく言われていたという。 だがフォームを修正する事はなく88年に大ブレイクを果たしてしまった。それは速球の軌道…
田中 実(たなか みのる、1967年6月3日 - )旧姓 大内 尽誠学園−日ハム(86〜93)−KBO 1991年成績.263 18打点 14盗塁 風より速く チーム屈指の俊足を誇る外野手。 小技が得意で主に2番を務めたが、一軍での本塁打は0と非力さが目立った。91年に規定打席到達を果たしすが、戸籍の変更で田中姓になった翌年以降は急激に出番を減らす。 26歳で退団すると韓国に渡り、長きに渡ってプレーを続けた。 [査定について] ・26連続で犠打を成功させたバント職人です Twitter↓ twitter.com 他の選手などはこちらから↓ www.gfan-pawapuro.com リクエスト…
坪井 智哉(つぼい ともちか、1974年2月19日 - ) PL−青学−東芝(阪神!)−坪井−日ハム(03〜10)−オリックス(11) 2003年成績.330 5本塁打 40打点 振り子打法の天才打者 振り子打法でルーキーイヤーから3割を記録した暗黒阪神屈指の人気選手。応援歌の前奏も非常に有名。 2年続けて3割を打つが、4年目以降は怪我の影響でスランプに陥り、02年のオフに日本ハムへとトレードとなった。 新天地で迎えた03年は完全復活。ルーキーイヤーを超える打率.330を記録し同僚の小笠原とは首位打者を争った。両リーグ1年目での打率3割達成はプロ野球史上唯一の快記録だ。 [査定について] ・対…
福留 孝介(ふくどめ こうすけ、1977年4月26日 - ) PL学園-東芝-中日(99〜07)-カブス他-阪神(13〜20)−中日(21〜) 2015年成績.281 20本塁打 76打点 復活のF 阪神入団後は怪我などから成績を残せずとても年俸通りの活躍をしたとは言えなかった福留。当然阪神ファンからのバッシングは尋常ではなかった。 だが14年後半から徐々に調子を取り戻し、迎えた15年シーズンは20本塁打、76打点と好成績を記録。 38歳ながら復活を遂げ、その後の活躍も周知の通りだ。 [査定について] 切り裂くアーチ Twitter↓ twitter.com 他の選手などはこちらから↓ www…
ウォーレン・クロマティ(巨人)【パワナンバー・パワプロ2022】
ウォーレン・リビングストン・クロマティ(Warren Livingston Cromartie、1953年9月29日 - ) エクスポズ-巨人(84〜90)-ロイヤルズ 1989年成績 .378 15本塁打 72打点 4割に挑んだ巨人最強助っ人 人気実力共に巨人No.1助っ人。 前年は怪我でシーズンの半分以上を棒に振ってしまい巨人との契約が微妙に。 夫人との離婚問題を抱え金に困っていたクロマティとすればどうしても契約したいところ。そこで「4割打って引退する」と宣言し、球団からの高額な慰留を狙った。 まあ当然無理だろと巨人フロントは呆れたというが、クロマティは本当に規定到達時まで4割を打ってしま…
マット・ウィンタース(日ハム)【パワナンバー・パワプロ2022】
マット・リトルトン・ウインタース(Matthew Littleton Winters , 1960年3月18日 - ) MLB−日ハム(90〜94) 1993年成績.248 35本塁打 87打点 踊る本塁打王 在籍5年間で160本塁打を放った大砲。プレー以外でもパフォーマンスでファンを沸かせた事から「踊る本塁打王」と呼ばれた。だが同時期のパ・リーグにはデステラーデやブライアントと錚々たる面子がおり、本塁打王を獲る事は容易ではなかった。 93年は開幕から順調に本塁打を量産。遂に本塁打王か...と思われたが終盤に失速。またしてもブライアントに破れたが東京ドームでは当時の新記録となる21本塁打を記録…
リチャード・スペンサー・シュー(Richard Spencer Schu, 1962年1月26日 - ) MLB−日ハム(93〜94)−MLB 1993年成績.270 24本塁打 79打点 キューシューさん ガッツ溢れるプレーが信条の助っ人。九州でよく打つことからチームメイトには「キューシューさん」と呼ばれていた。 当初は守備の人とされていたが、開幕から打ちまくり4月の月間MVPに選出される活躍。2位躍進の立役者と評され、前年の巨人のモスビー効果を捩って「シュー効果」と呼ばれた。 「野球は戦い」であるとし、前述のとおり守備走塁でガッツ溢れるプレーが目立った。「野球は楽しむもの」と考えていたウィ…
片岡 篤史(かたおか あつし、1969年6月27日 - ) PL学園‐同志社大学‐日ハム(92~01)‐阪神(02~06) 1993年成績.287 8本塁打 39打点 2年目の今年こそが 勝負の年なんです!! ルーキーながら主軸に定着し打率.290をマークした片岡。2年目もジンクスなんのそのでチーム最高の打率.287をマークした。 しかし打点を見れば分かるが得点圏打率が極端に低く、印象的な一打がほぼ無かった。安定した数字を終始残していたがインパクトに欠けたのは否めないか。 またこの頃から広角打法は身につけておりシーズン8本塁打ながらレフトへ3本塁打を記録している。ただ肘痛の影響で94、95年の…
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4番・二塁手・スイッチマン
原と共に咲く相模第4の男
ゴロ山築く若勇者
打撃の技術屋
四十八癖な助っ人ビ〇チ
不世出の一本足
闘志溢れる切り札ガンちゃん
白球の申し子投手ver.
ガッツなスイッチマン
9年目で悲願の規定到達
デビューから二打席連続代打本塁打
大変申し訳ないでやんす! 以前、読者の皆様からの「やる気あんのか?」という問いに対して「ある」と答えたでやんすが正しくは「ない」でやんす! 今後ともパワプロ村をよろしくお願いするでやんすよ~ はい、というわけで皆様お久しぶりンソンです。 早いもので1年も折り返しです(これ毎年言ってんな)が、如何お過ごしでしょうか。 私はですね、環境の変化等沢山ありまして、慌ただしい日々を過ごしております。 そんな中で、皆様方はご存知、あの、悪夢のような民主党政権パワプロ2024の発売がいよいよ目前に迫っております。 ツンデレは金髪で無ければならないのと一緒で、野球ゲームは開幕前後に発売すべきであり、この時期に…
令和6年4月10日 パワプロ2024〜2025の発売日が発表され新モードや目玉要素のアレコレも重ねて発表されましたね 正直、「7月発売」という文字を見たときは呆れたものです。「コロナ過でもないのに今更野球ゲームが7月発売ってw」と。ただ少しサイトを覗いてみるとそんな皮肉れた感情は一瞬で消え去りました 信じられるか? 僕はまだ信じられない? 長年の夢が叶っちまったよ。こんな呆気なくマジで叶っちゃった ボケたいけどボケられない。本当にヤバい。 ゲームでキレた覚えは沢山あるが(主に土中実と若菜初美に)もはやそういった感情を飛び越えて無、悟り、身勝手の極意、もうそういった境地に達している 後楽園もあっ…
上坂 太一郎(かみさか たいちろう、1977年4月14日 - ) 享栄-王子製紙-阪神(00〜07) 2001年成績.253 6本塁打 24打点 7盗塁 野村阪神の希望の王子 勝負強さと俊足が売りのF1セブン4号車。小柄だが小力もある。 当初は目立つ存在では無かったが、1年目終盤の巨人戦で猛打賞&連続盗塁を決め大きなインパクトを残し、未来のセンター候補として一躍注目の的となる。 ただしこの年のドラフトで赤星が加入。50mを5.6秒で走り非力ながらも確実性のある打撃と広大な守備範囲を誇る平成No.1の盗塁王には勝てず1年目にも出場していた二塁手に専念。01年は1.2番で起用され骨折離脱がありなが…
どうも。流行に乗り遅れる事に定評があるオタクです。 界隈で2週間以上前に流行ってた(?)企画をやってみます。 先人に倣い、このサイトから引用させて頂きました。 さ、最後まで見てね... 1.お名前、サイト名、生年月日を教えてください。 10、パワプロ村、9月23日 2.血液型、星座を教えてください。 A型、天秤座 3.いつからパワプロをやっていますか。 パワメジャ3 4.いつからインターネットをやっていますか。 小学生の頃からかな 叡智サイトと違法アップロードされたアニメを見たくてな() 5.パワプロサイトデビューはいつ、どこでしたか? 2018年9月21日 6.いつからサイトをやっていますか…
ここは自作のパワター(多分)から厳選(笑)して皆さんに自慢する卑しきコーナーです。 基本的に2022で追加されたパーツは使っておりません。 2024以降で公式が実在選手に使用するまでは原則使わない方針でいます。 松谷竜二郎 ギャンブル好きというか、肝が据わってる選手だったので、強面を意識 土井正三 いぶし銀にはこの目を使いたくなるんよな 仁志敏久 仁志と言えばあの小さい目ですが、小久保と被るのが嫌でオリジナルに プライドの高そうな貴公子感を意識して 津末英明 ベテラン感を意識したらこうなった 西岡良洋 まゆ毛(つり)21に依存する癖はなんとかしたい... 度会隆輝 KONAMIへの挑戦。我なが…
宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - ) 長崎日大−亜細亜−セガサミー−オリックス(11〜19) 2017年成績.270 2本塁打 13打点 オリのセガサミー宮﨑 横浜の宮崎とは血縁関係が無いにも関わらず出自から経歴、容姿までも酷似しているオリの宮崎。ただしプロ入りはこっちの方が先。 愛称は「タイソン」「ゴリ」「偽ヘルマン」など。明るい性格でチームのムードメーカーであった。俊足が売りの選手だったが長打力も秘めており、好調時は切り込み隊長を務めたりも。 ドラ3の社会人として入団も初安打は2年目に持ち越しとなったが、この際にプロ初安打初本塁打を初球先頭打者本塁打で飾っている。ち…
G.G.佐藤(ジー・ジー・さとう、本名:佐藤 隆彦〈さとう たかひこ〉、1978年8月9日 - ) 桐蔭学園−法政大−西武(04〜11)−イタリアリーグ−ロキテクノ富山−ロッテ(13〜14)−トラバースなど 2013年成績.255 2本塁打 9打点 イタリア帰りのジジイ 西武時代は3年連続20本塁打を放つなどリーグ代表するシジくさい顔の強打者として活躍。 しかし北京での落球や銭ゲバで契約更改で計6度も保留、チームメイトからも孤立...と成績以上に色々と目立つ選手でもあった。これらエピソードの印象が強いためかお立ち台での決め台詞「キモティ〜」の陰がどうにも薄い。 11年に戦力外となると12年はイ…
鞘師 智也(さやし ともや、1980年5月6日 - ) 報徳学園−東海大−広島(03〜10) 珍姓リードオフマン候補 珍姓コレクター広島が期待していた未来のリードオフマン候補。 報徳学園,東海大と野球エリートの道を歩む。荒削りな面も目立つが俊足と強肩を活かした守備には定評があった。男前で女性人気も高かったという。 ただプロ入り後は故障もあって中々1軍の舞台に立つことは出来ず初安打は4年目。通算でも7安打に留まる。ただ09年には安打を放った際に暴走し、これが相手野手の悪送球を誘い実質的なランニングホームランを記録する珍プレーがあった。 引退後はスカウトに転身し、小園などを担当している。 査定につ…
こんにちは、大谷翔平です。 野球が上手くなるには練習内容が大切です。 今日は僕がおすすめするジップヒットをご紹介します。 この前初めてホームラン王とったの〜 はい、改めてこんにちは。 そして謹賀新年、あけましておめでとうございます。 昨年、そして今年と中々更新出来ず申し訳ありませんでした。他のゲ...環境の変化によりパワプロの時間が取れなかったのが原因です。全て新井が悪いよ新井が。 今年の目標は「安直な下ネタを使わない」です。これでいこうと思います、ちんちん。 さて、村民の皆様は既にご存知だと思われますが昨晩のニンダイでパワプロ完全新作が発表されました。内容は主に以下の通りです 賢者になったの…
青山 誠(あおやま まこと、1991年11月1日 - ) 育英−日大−読売(14〜18)−ENEOS 1軍出場無し 2017年2軍成績.271 4本 15打点 選球眼が自慢の長野2世 14年ドラフトの育成1位で入団した外野手。 3年時迄は無名に等しい存在だったが4年春から頭角を現し指名を勝ち取る。 選球眼と脚力が売りなだけでなく、長打力もあり長野2世として一部からは期待も大きかったが、1年目早々に右膝の大怪我を負い2年近く実戦から遠ざかる。 それでも17年は3軍で好成績を残し2軍に昇格。自身の好調とチーム事情がマッチし大卒4年目にして支配下を勝ち取る。しかしここから成績が下降し、勝負の18年も…
田中 俊太(たなか しゅんた、1993年8月18日 - ) 東海大相模−東海大−日立製作所−読売(18〜20)−横浜(21〜23)−オイシックス新潟 2019年成績.224 4本塁打 14打点 希望の未来描く田中弟 黄金期広島のリードオフマン、田中広輔の弟としてプロ入り前から注目されていた存在。高校時代はドス城らと共に東海大相模の主力として甲子園を沸かせた。 身体能力では兄に劣るが選手像は基本的に同じ。コンパクトな構えながら意外性のある長打力も兄と同様と言えるか。 ルーキーだった18年をピークに年々出場試合数を減らしていったが、使い勝手の良い選手であった。19年は終盤に二塁手として先発出場を果…
小島 脩平(こじま しゅうへい、1987年6月5日−) 桐生第一−東洋大−住友金属−オリックス(12〜20) 2019年成績.220 4本塁打 18打点 代打小島 大学で首位打者、社会人では若獅子賞受賞と輝かしい経歴を誇る野球エリート。しかし脚力以外の強みに欠けると評価されたかドラフト順位は7位と低め。 この頃のオリックスは穴埋めの様に即戦力社会人を獲得していた(後にGMが認める)が小島もその1人だったか。 即戦力として期待されながらも中々1軍での出場機会に恵まれなかった小島だが、転機となったのは福良が監督に就任してから。内外野守れる俊足UTとしてだけではなく、代打でも度々起用された。 ただ小…
ルーグネッド・ロベルト・オドーア(Rougned Roberto Odor, スペイン語発音: [ˈruɣneð oˈðoɾ]; 1994年2月3日 - ) TEX−NYY−BAL−SD−巨人(24) 2023年成績.203 4本塁打 18打点 OPS.654 MLBを代表する狂犬 読売の新外国人はMLB通算178発、3度の30本塁打を記録した実績を持つオドーア。 ただ実績以上に度々トラブルを起こす狂犬っぷりが有名で、バティスタを沈めた右ストレートはあまりにも有名。 2016年は打率.271 33本塁打を記録したがMLBワーストの選球眼も相まってOPSが.800に届かず。翌年も30本放つが打率…