夫が悪性リンパ腫の脳腫瘍に! それも余命4カ月の宣告。認知能力低下からの発覚。生検手術、化学療法と放射線治療、治験や副作用のこと、夫の介護などを、癌患者の方とそのご家族の参考になればと、ブログで発信しています。
お父ちゃんの頻尿の姿が不憫で、ケアマネージャーなどに相談して泌尿器科を受診することにしました。そこでお父ちゃんは、前立腺肥大症との診断を受けます。
デイサービス施設に通い始めたお父ちゃん。どのように施設で過ごしているのか心配でしたが、穏やかに過ごしていてほっとしました。
リハビリテーションの通所をやめたお父ちゃん。デイサービス施設に通うことに決め、見学に訪れました。
お父ちゃんが麻雀のルールを忘れて、笑われてから、麻雀をしなくなっていきました。歩くことも嫌がり、頻尿もでてきました。そしてリハビリテーションをやめることにしました。
老人福祉センターから帰る道が分からなくなったお父ちゃん。それで麻雀場所を、近くの集会所にしたのですが…。
家にひとりで帰って来れていたお父ちゃんですが、ある日福祉センターへ迎えに行くと、またお父ちゃんがいないのです。今度は、道に迷い、1時間ほどさまよったのです。
健康麻雀に通い始めたお父ちゃんを車で送迎していたのですが、ある日迎えに行くと、お父ちゃんがいないのです。
健康麻雀に通い始めたお父ちゃんを車で送迎していたのですが、ある日迎えに行くと、お父ちゃんがいないのです。
お父ちゃんが通い始めた福祉施設。その施設長たちから出入りに待ったがかかりました。出入り許可のためには医師の意見書などを提示するよう言われます。
お父ちゃんは「健康麻雀」をするようになり、健康麻雀をしている所、3カ所に出入りし始めました。2カ所は何事もなくお父ちゃんを受け入れてくれましたが、高齢者福祉センターでは、いろいろと言われることがありました。出入りすることに待ったがかかりました。
ようやく、お父ちゃんが気に入ったリハビリテーション施設は、条件つきの施設でした。自立が条件というのです。
急激に認知能力が上がったお父ちゃんですが、手足の機能が下がらぬようリハビリ施設の通所を決めました。見学もして良い施設をみつけたのですが・・・。
治験薬2回目服用後、劇的にお父ちゃんの認知能力が上がります。トレーニングパンツの使用はなくなり、グルーミング行動もなくなったのです。そして、もっと劇的だったのは、麻雀ができたことです。
退院したお父ちゃんは、まだまだ認知能力は低下していて、起きているときは、グルーミング行動を常にしていました。寝ている時間も多いため、筋力・認知能力の低下を心配して、デイサービス施設へお父ちゃんを見学に連れていきます。
一昔前お父ちゃんと同様の病気に罹患した場合、諦めたり覚悟をしたりしました。でも今、先進的な治療のおかげで腫瘍は消え、治癒できる時代となったことを知りました。昔を知る私としては、それは奇跡といえるものです。余命宣告を受けたお父ちゃんが退院するまでを振り返ります。
悪性リンパ腫の脳腫瘍で入院していたお父ちゃんは、とうとうめでたくも退院となりました。しかし私が仕事に行っている間、ひとりで留守番をするお父ちゃんの見守りをどうしたらよいのかという問題がありました。ケアマネージャーと相談して訪問看護・診療のほか、安否を確認してくれる配食サービスを頼むことにしました。
入院中、お父ちゃんの怒りを買う出来事がありました。それは、お父ちゃんが唯一楽しみにしている食事の時でした。
入院後半は、見舞客が訪れてお父ちゃんの入院生活も賑やかで楽しいひとときでした。でも、退院後のお父ちゃんは・・・。
脳腫瘍の治療も後半となり、容態も安定してきたころ、それまでメールや電話をくださっていた友人たちにお父ちゃんのことを伝えました。早速友人たちがお見舞いに来てくださることになり、お見舞いを解禁することにしました。
二人の親しい友人にお父ちゃんの脳腫瘍のことを知らせたところ、二人から手紙が来ました。自身ががんを患っている上に、夫がくも膜下出血で倒れ入院中という友人と夫ががんで泌尿器系の内臓を全て摘出し、人工透析をしている友人からでした。友人たちから人生を考え、前向きに生きることを教えられました。
主治医の先生から、退院後の自宅療養、抗がん剤(治験)の投与に伴い、お父ちゃんを24時間体制で見守り、緊急時には駆け付けてくれて処置をしてくれる訪問診療・訪問看護の提案がありました。今では医大・訪問診療の先生・訪問看護の看護師たちが連携した在宅医療チームができています。
まだまだあった。 お父ちゃんを迎える準備(介護保険制度利用)
お父ちゃんの部屋づくり
退院後のお父ちゃんを迎えるにあたって、お父ちゃんの部屋の環境を整えることや、私の部屋づくりも並行して行いました。新たなテレビを購入したり、洋服の整理、2階の和室の畳替えなどもして、準備は終えました。
脳腫瘍の治療も大詰めとなり、退院の目途もついてきました。お父ちゃんを我が家で介護するための準備を始めました。お父ちゃんの部屋を1階にするため、部屋づくりからジモティーでのベッド購入、タンスの廃棄などやらなくてはならないことがありました。
お父ちゃんが入院してすぐ、要介護認定の申請をしましたが、市役所からは何も連絡がないままでした。病状が安定していなかったので、無理もありません。ようやく連絡があり、介護認定は転院した医大病院の所在地の介護課職員があたりました。お父ちゃんは頑張って答えますが、もう少し回復に時間がかかりそうでした。
次女と家の近くの老人ホームへ見学に訪れました。デイケアやショートステイ一体型の施設でした。ホームへ入居するのにも、多額な費用が必要で、以前からその資金計画がなされていなくてはならなかったのです。それだけの理由ではないですが、私は仕事を辞める決心をします。
仕事を辞めずにいられるのは、老人ホーム入所が良いのではと考えたのですが、介護について相談にのってくれる施設、地域包括センターへ次女とともに訪れてみました。地域包括センターとはどんな役割をもつ施設なのでしょうか。調べてみました。センターの職員は、ケアマネージャーを紹介してくれ、介護認定日も教えてくれました。ケアマネージャーとはどのような役割があるのでしょう。
退院後は「在宅介護」の方針という病院の説明に、働いている私はとまどいます。在宅介護をするためには、私は仕事を辞めなくてはならないのです。仕事を辞めたくはないのですが、介護休業は適用されず、今後も職場に迷惑をかけるという理由などから仕事を辞める気持ちになります。
抗がん剤の大量投与でも消えなかった悪性リンパ腫。放射線の投与と並行して治験薬の服用も始まりました。放射線治療が終わった後も画像には腫瘍が残っていたので、絶望感の中治験薬への期待が高まりました。 服用量、時間などを守りさえすれば、一般生活も活動もできます。
放射線治療を泣く泣く受け入れることになりました。お父ちゃんは私に、理容院に行くのでお金がほしいこと、かつらを作らず帽子をかぶることを告げます。抗がん剤が効き、腫瘍が小さくなったことで、記憶力と考える力が戻ってきたように感じました。
池江璃花子さん、堀ちえみさんがそれぞれ白血病、舌がんと公表されました。お父ちゃんの姪も白血病でしたが、多くの困難な治療を乗り越え、今は完治しております。そこには義姉の明るい笑顔のサポートがありました。がんの患者の方々に心からのエールを送るとともに、ご家族の方々も健やかであることを祈ります。
放射線治療の副作用が、将来的に手足の機能・認知能力の機能低下と聞き、放射線治療を受けることに悩み始めました。そんな折、勤め先の上司からガンマナイフ治療をしている病院でのセカンドオピニオンをすすめられました。その病院は勤め先から車で10分位にある病院でしたので、早速予約を取りました。
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