Sakura,Sakura,Sakura!
2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。筆名・三神工房で「エブリスタ」「小説家になろう」に投稿中です。
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Sakura,Sakura,Sakura!
https://www.iseshima-kanko.jp/event/2490"Ifyouneedfortheurgentre-buildingsofthefiredship,wewillhelpoutatmycompanytoo."Myfriendtoldmeabout"Itwasthecallcamefromacompanywehadnoacquaintancewithorhadanybusinessdealingswith."Hewasapersoninvolvedinashipyardthatwasbusyrestoringalargepassengershipthathadburneddown.OntheeveningofOctober1,2002,smokesuddenlyrosefroma...M/SDiamondPrincesswillcometoToba!
https://www.iseshima-kanko.jp/event/2490「先日、なんの面識もない、なんの取引もない会社から『もし良かったら、うちの会社も手伝うから……』と、そんな電話がかってきた」と、私がその話を聞いたのは、燃えた客船の復旧に追われる造船所の関係者である。2002年10月1日の夕刻、はしなくも長崎湾内で艤装中の船から煙が上がった。長崎の街は百万ドルの夜景に包まれ、穏やかな夜だった。だがボヤだと思われた火は爆発を伴って燃え上がった。真新しい船体を炎でつつみ、36時間にわたって燃やし続けた。あとに残ったのは見るも無残な光景だった。新造船M/SDiamondPrincess(全長約290m、総トン数約12万ton、乗客2700名)は、こうして廃船の危機を迎えた。だが世界最大の客船建造は日...ダイプリが、ふたたび鳥羽へ!
「あなたは私に聞くことはないの?」と問うと、ChatGPTは即座に、「もちろんです!何か質問がありますか?」と答えた。とかく会話は人間同士でも難しい。だがChatGPTには、自ら何かを問うという概念はなく、あくまで従属的な辞書であるべきとされているのか?この短い問いで判断するのは危険だとしても、どうも彼は意識を持っていないようである。今朝の日経新聞、「AIに善意は宿るか」という見出しが一面を飾っている。この記事、人工知能研究の「ゴッドファーザー」と呼ばれる人と、その教え子の話から始まる。その教え子とは、昨年アメリカオープンAIの内紛で会社を辞めた人であり、その彼がある数式を提示したという。その数式は、「y=a/(2040-x)」である。(yはGNP、xは西暦)教え子曰く、様々な国のGNPが、この数式に当て...【日本の底流】「ChatGPT」
"Doyouhaveanyquestiontome?"IaskedChatGPT,heimmediatelyreplied,"Ofcourse!Doyouhaveanyquestions?"Conversationisdifficultevenbetweenhumans.However,ChatGPTdoesnothavetheconceptofaskingquestionsonitsown,stillasubordinatefunctionlikeasuperdictionary.Ofcourseitisdangeroustojudgebasedonthisshortquestion.Butitissurethatheisnotconsciousatthisstage.Thismorning'sNikk...[UndercurrentofJapan]"ChatGPT"
2月4日(日)神戸文化ホールで行われた、生放送の「NHKのど自慢」を見に行った。家人に言われるままネットで応募したら、なんと15倍の抽選に当るという幸運だった。午前11時半、1階席のチケットを持って会場入り。階段を下りながら、自分の席を探すと、かなり端だが、なんと前から3列目。いわゆる「かぶりつき」である。まだ誰もいないステージには、すでに登場ゲートが設えてあり、そこに「鳥」のシンボルマークがある。その両脇に参加者が座る座席、そして目の前にゲストが座るコーナー。この日のゲストは平原綾香と島津亜矢、そのゲスト席が目の前なのである。多少カメラスタンドが邪魔にはなるのだが、それは無視できるほど、絶好の位置なのである。そして11時40分、ステージにディレクター現れ、生放送に先立つ注意事項の説明。彼が芸人かと思うほ...【日本の底流】「NHKのど自慢」
OnFebruary4th(Sunday),Iwenttoseethelivebroadcastof"NHKNodo-Jiman''heldattheKobeBunkaHall.WhenIappliedonlineasmyfamilytoldmetodo,Iwasluckytowina15xlotteryticket.Ienteredthevenueat11:30a.m.withmyticketforthefirstfloorseat.Descendingthestairs,Ilookedformyseat,andfounditinthethirdrowfromthefront,althoughitwastheendofoneside.Thedecoratedentrancegatehasalreadyb...[Japaneseundercurrent]“NHKNodo-Jiman(Amateursingingcontest)”
今日の日本、北海道の札幌の最低気温が-6℃で最高気温が0℃。片や沖縄の那覇は、最高気温が20℃で最低気温が17℃という。明日は全国的に雪が降るらしい。言わずもがなだが、能登も雪に覆われる。津波の跡にも、土砂崩れの跡にも、いまだに安否の分からない二十数名の方々の上にも、分け隔てなく雪は降る。「雪の降る街を思い出だけが通り過ぎてゆく」そう歌ったのは、1952年にヒットした「雪の降る街を」である。今も歌い継がれているこの歌を、また聞いてみた。世界は数多の戦災・人災・自然災害に溢れている。雪はそれをすべて覆い尽くすように降る。でもその下で芽吹くものがあり、雪解けの水が大地を潤すことになる。歌はさらに綴る。「この哀しみをいつの日かほぐさん緑なす春の日のそよ風」歌は「哀しみ」と謳い「悲しみ」とは言わない。悲しいと言っ...【日本の底流】「雪の降る街を」
Today'sJapan,thelowesttemperatureinSapporois-6℃andthehighestis0℃.Ontheotherhand,Naha'shighestis20℃andthelowestis17℃.Butitlookslikeitwillsnownationwidetomorrow.(ExceptNaha)MaybeNotowillbecoveredinsnow.Therearestilltracesoftsunamiandlandslides.Butthesnowfallsonthereandequallyontheovertwentyorsopeoplewhosesafetyisunknown."Onlymemorieswillpassingthroughthesno...[UndercurrentofJapan]“YukinoFuruMachiwo(InSnowingTown)”
下記サイトをご覧下されば幸いです。筆名、三神工房改め、船木千滉です。https://ncode.syosetu.com/n2931ip/よろしくお願いいたします。以上。Web小説・新作「槿と桜」、掲載を開始します。
あれは確か1月の寒い夜、残業を終えた私は同僚と連れ立って、東灘の埋立地から国道43号線を、意味もなく西へ向かった。神戸を襲った地震は芦屋から西を廃墟にした。鉄道は寸断され、国道の上空を覆っていた高架は薙ぎ倒されて、星空が見えていた。歩きながら何を話したのだろう。街の灯りは消え、車も人もいない暗闇の中を歩いた。「屋台でも探そうか」確かそんな事を言って歩いた。御影、大石、岩屋を通り過ぎ、それでも灯りは見えない。だが春日野道を過ぎて、遠くにぽっと赤提灯。あの灯りを見た時の感動は、今も決して忘れない。防寒着のポケットの中で突っ込んだ拳を握り直し、あれだとばかり足を速めた。それは屋台をブルーシートで囲ったラーメン屋。私は同僚とビールケースの代用椅子に座り、即座にコップ酒とラーメンを頼んだ。その時、テーブルの隅にある...【日本の底流】「心凍らせて」
ItwasacoldnightinJanuary.Afterworkingovertime,mycolleaguesandIheadedaimlesslywestalongNationalRoute43fromtheHigashi-nada.Bytheearthquakein1995hashitKobelefttheareawestofAsiainruins.Therailroadwascutoff,andtheviaductthatcoveredthenationalhighwayhadbeenfalldown,wecouldseethestarrysky.Iwonderwhattheytalkedaboutastheywalked,thecitylightswentout,andtheywalkedi...【UndercurrentofJapan】“Freezingyourheart”
正月、ひとり実家で仏壇の前に座り、お神酒を飲んだ。かつて親族が集い、母のおせちで新年を寿いだ家に、今はもう誰もいない。いつにも増して、南向きの部屋には陽光が溢れ、華やぐ鳥の鳴き声、それは今も変わらない。ただ時と共に移ろいゆく人の世かな。早朝に神戸を出て大阪から三重へ。コロナ禍が明けた新年、街は人で賑わう。神社へ初詣、寺へ墓参り。そして母を見舞い日帰り。クリスマスを祝い、神社で新年を寿ぎ、寺で先祖を供養する。これが日本の年末年始、それを今年も続けて、新しい年が始まった。だが元旦早々大地震、そして被災地へ向かう飛行機がクラッシュした。神も仏も及ばぬ禍、それでも人は生きてゆかねばならない。命を落とした方の冥福を祈ると共に、願わくは生きる人の、心安らかなことを願う。帰路、日の暮れた大阪駅、発車ベルの代わりに流れる...【日本の底流】「やっぱ好きやねん」
OnedayduringtheNewYear'sDay,IsataloneinfrontoftheBuddhistaltaratmyparents'houseanddranksacredsake.ThehousewheremyrelativesusedtogatherandcelebratetheNewYearwithmymother'sNewYear'sfoodisnowempty.Sunlightwasfloodingtothesouth-facingroomthroughshojipaper,andbirdschirpingonthetreesatthegarden.Ithasnochangedatall.It'sjustfadingthetime.IleftKobeearlyinthemornin...【UndercurrentofJapan】"Sukiya-nen"
極月も22日、今年もあとわずか。外は木枯らし、あれほど暑かった列島も、いまや雪景色。あれもこれも覆い隠すように、暮れていく。凍てつく朝に、ふと思い出す、悴む手を翳した焚火。故郷は遠くにありて想うもの。ただ、あの温もりは今も我が心の中に。・・・日本の歌百選「たきび」作詞:巽聖歌(TatsumiSeika)/作曲:渡部茂(WatanabeShigeru)https://www.youtube.com/watch?v=nY2N1m_CYlQ三神工房【日本の底流】「たきび」
December22nd,thereareonlyafewmoredaysleftthisyear.Fallenleavesstilldecoratetheroadatoutsideasshort-livedjoy.Thearchipelago,whichwasoncesohot,itisnowcoveringinsnow.Atendingofthisyear,liketotrytoconcealthedisgracefulaffaireverythinginthisIsland.Onaverycoldmorning,IhaverememberedthatIwarmmyfreezingcoldhandsoverTakibi(abonfire).Mydearoldhomeisgoingtofarawayye...【UndercurrentofJapan】"TAKIBI(abonfire)"
「もうやっとられへん、明日職人ぜんぶ連れて、神戸へ帰りまっさ!」そんな電話を受けたのは、ちょうど今日のように木枯らしの吹く深夜だった。火事で燃えた1番船と建造途中の2番船を入れ替え、内装の仕上げを急いでいる最中だった。造船所の依頼で船大工30人を現場へ派遣していた。深夜の電話はその棟梁が酔ってかけてきたのだった。その日、造船所の規定年齢を超えた棟梁は、岸壁事務所へ出っ張っていた。そこへ戻ってきた職長が「昨日仕上げた現場を他の大工が剥がしやがった」と報告。怒った棟梁が高層の現場まで登ったが、後の祭り。突貫で仕上げた床のカーペットが、見るも無残に剥がされていた。呂律の回らない棟梁に、とにかく明日行くからと言って電話を切った。翌朝、私は1番の飛行機で飛んだ。その日、棟梁となにを話したか覚えていないが、なんとか事...【日本の底流】「ダイプリ、明日また彼女に会える!」
"Ican'ttakeitanymore.TomorrowI'lltakeallthecraftsmenandgobacktoKobe!"WhenIreceivedsuchacall,itwaslateatnight,justliketoday,whenthewindwasblowing.Thefirstship,whichburneddowninafire,wasreplacedwiththesecondship,whichwasstillunderconstruction,andtheinteriorwasbeingfinishedinahurry.Attherequestoftheshipyard,wehavearrangedandhaddispatchedabout30shipwrightstot...【UndercurrentofJapan】"DIPRI,I'llseeheragaintomorrow!"
Again!TheDiamondPrincessreturnstoTobaPort!ArrivedatTobaat9:00a.m.onSaturday,December2nd.PleaseenjoyeverypassengerandcrewsatTobainIse-Shimaforawhileuntildepartureat4pm!https://www.kankomie.or.jp/event/40138https://www.kankomie.or.jp/en/Iwillbetheretoseeheragain.K.MikamiM/SDiamondPrincess
あの「ゴジラ」が現れた!1954年に第1作が上映された「ゴジラの映画」、第30作が今月から上映が始まっている。【予告】映画『ゴジラ-1.0』《2023年11月3日劇場公開》-YouTube2023/11/16付け朝日新聞に、記事「ゴジラとはなぜ襲来」が載っていた。一部抜粋する。・・・・・敗戦直後の日本をゴジラが襲い、特攻隊生き残りの敷島(神木隆之介)を始めとする元軍人らが立ち向かう。映画「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」が大ヒット公開中だ。監督/脚本/VFX(視覚効果)の山崎貴(59)と、ゴジラをテーマにしたアートプロジェクト「GODZILLATHEART」のゼネラルプロデューサーを務める解剖学者の養老孟司(86)が対談「ゴジラとは何か?」を語り合った。・・・・・解剖学者・養老孟司氏と「ゴジラ-1.0」監...【日本の底流】映画『ゴジラ-1.0』
道すがら桜を愛でた早春も、寒暖の差が激しいまま過去り、今日は五月晴れ、街には数多の花が咲き誇る。ツツジかサツキか、その区別はともかく、街を彩る花よりもなお五月の若葉に目を奪われる。それと、もう半世紀前か、TVドラマに出た「風」の詩が蘇る。貧しいから……あなたにあげられるものといえばさわやかな五月の風と緑の若葉と精一杯愛する心だけ……たしかそんな詩だった。今も忘れず、この季節になると思いだす。あの頃は私も若かった。なにも怖いものはなかった。それでも私の心に深く残った。それがまさか年老いてもなお、諳んじているとは。若葉に囲まれた街中の公園、見れば大きなグラブを手に、子供達がキャッチボール。久しく見なかった光景が戻っている。恐らく、二ヶ月近くを経てもなお、熱の冷めやらぬWBCのせいであろう。アメリカへ渡った選手...【日本の底流】「五月の若葉」
Theearlyspring,whenIenjoyedthecherryblossomsalongthewayinthetown,haspassedwithasharpdifferenceintemperature.RegardlessofwhetheritisTsutsuji(azaleas)orSatsuki(thisisalsoazaleas),theyoungleavesofMayaremoreeye-catchingthantheflowersthatdecoratethecity.Atonetime,thepoemnamed"Wind"thatappearedinaTVdramaabouthalfacenturyagoisrevived./////////BecauseI'mpoor...Sp...YoungleavesinMay
今年も桜の季節がやってきた。この季節、花粉症であまり外出したくない。だがあちこちで芽を出し始め、花を愛でる思いは止められない。かつて入学式に向かう子らを見守っていた桜が、今では一足早く卒業式を彩る。有名なソメイヨシノはクーロンで樹齢は6~70年と言われ、戦後植えられた木はすべて老朽化している。そういえば、先月NHKで見た「神の木に会う」(#6)のシーンを思い出す。樹齢千年を超える巨木が、地方自治体の造成した公園の埋め立てで枯死、2年間その状態を記録していた.「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~」―NHKアーカイブス地中に広がった根を、かなり離れた場所で掘り起こすと、ルーペで根の断面を見て学者が「もう死んでいる」と言う。1年後、巨木はほとんど枯れている。最後に学者が「あとは自然次第」とつぶやく。そして2年後...【日本の底流】「潜伏芽(LatentBud)」
Cherryblossomseasonhascomeagainthisyear.Idon'tliketogooutmuchbecausethehayfeverthisseason.ButIcan'tcontroltoenjoythebeautyoftheflowersbecauseit'sstartingtosprouthereandthere.Thecherryblossomsthatoncewatchedoverthechildrenontheirwaytotheentranceceremonyarenowearlyandcolorthegraduationceremony.ThefamousYoshinocherrytreeisCoulomb,anditissaidthatthetreehasali...LatentBud
あれは2002年10月1日午後9時過ぎ、携帯が鳴った。相手は取引先、開口一番「客船が燃えてる!」と、長崎からだった。それから三十数時間、船は燃えつづけた。彼女の名は、M/SDiamondPrincess。それから1年半、造船所が七転八倒の末、2番船を先に就航させる。その最中、「もうやっとられへん」と、深夜に宮大工の親方から電話が入る。聞けば競合他社に現場を荒らされ、酒を飲んでいた。彼の年齢では規定違反だが、その凄腕を見込んだ造船所は「視察」だとして黙認した。翌朝長崎へ飛び、なんとか仕事はやり遂げた。それから十年、ある日棟梁の右腕に会うと、彼は私にこう言った。「ダイプリがTVに映った時、『父ちゃんが造った船や』と自慢した相手が、この息子です」と言って、傍らに立つ若者を紹介してくれた。「日本の造船界、もの造り...【日本の底流】「クラフトマンシップ」(3年ぶりにダイプリが神戸港へ入港!)
ItwasOctober1,2002,justafter9:00pm,mycellphonerang.AphonefrommypartnerwhowasinNagasaki,abusinesstrip.Firstlyhesaid"Thepassengershipisonfire!"IwatchedTVbyhissuggestion.Andthen,forthenextoverthirtyhoursmore,theshipcontinuedtoburn.HernameisM/SDiamondPrincess.Afterthen,theshipyardwritheinagonyoveroneandhalfyear,andtheydeliveredthesecondshipasM/SDi-Pri.Inthemi..."Craftsmanship"forM/SDiamondPrincess
拙作ながら、小説を書きはじめたのは三十代半ば。当時勤めていた会社で、月に150時間以上の残業を熟していた。今ならブラック企業だが、破産した造船所からの中途採用では致し方なかった。ちょうど今頃の季節だったか、寒い日だった。通勤途中で電車を降りて街にさ迷った。映画を見て、飯を喰って、寄った本屋にあった。「あなたも小説を書きませんか」平積み雑誌の表紙に目を奪われた。それから休みの前の晩は、狭いお勝手の隅でワープロを叩いた。半年後、千数百人の中で一次予選を通過、結果はそこまでだった。だが心境が変わった。(いずれ直木賞)の思いを胸に、以後闘えた。なんとか70年生きてきて、概ね物事は過去ったものの、小説は残った。昨年「クメールの微笑み」を第15回銀華文学賞(文芸思潮)へ投稿、結果は二次予選通過で敗退。だがそれを糧に、...【新作投稿】「クメールの微笑み」
Istartedwritingnovelsashobbyinmymid-thirties.AtthecompanyIwasworkingforatthetime,Ihadover150hoursofovertimepermonth.It'sablackcompanyinthisdayandages,butitcouldn'tbehelpedbecauseofthatIwasamid-careerfromabankruptshipyard.Maybearoundsameseasonasnowaday,itwasacoldday.Onmywaytowork,Igotoffthetrainandwanderedaroundtown.Isawamovie,atefood,andhavedroppedatthebo...【Newnovelrelease】「ThesmileofKhmerpeople」
私が生まれたのは終戦の7年後、当時の大人はみな戦争経験者だった。小学校では兵隊上がりの先生が、「人糞製造機になるな」と言った。頭をつかえという教えだと思うが、その真意を聞く機会はなかった。子供の頃、よく母は私に「男らしく」と言った。だがその意味が分からない。辞書に依れば、例えばgooでは「男の気性、体格、音声などを備えている」とあり、広辞苑の方は難しくて良く分からない。江戸時代、「侍らしく」と言えば、侍の本分は死ぬことだから、その意味は分かる。だが昭和の時代に言う「男らしく」はと考えると、ひょっとして平民男子を戦場に狩りだす為に造られた言葉なのか?では「人間らしく」だったら?例えば人間の腹には「善玉菌」と「悪玉菌」がいて、もし人が弱れば悪玉菌が血も肉も喰いつくす。だから同じように世の中にも善人と悪人がいて...【日本の底流】「男らしく」
Iwasbornsevenyearsaftertheendofthewar,andalltheadultsatthattimehadexperiencedthewar.Atelementaryschool,ateacherwhowasanoldsoldiertoldpupil,"Don'tbeamachinemakingfeces."Thatmeans"Useyourhead",butIdidn'tgetachancetohearthatrealmeanandbackground.WhenIwasachild,mymotheroftentoldme"Beamanly".ButIdidn’tknowwhatthatmeans.Accordingtodictionariesnow,forexampleby"g...Beamanly!
1月19日朝5時、新しく買った自転車で国道2号線を東へ。垂水の震度は6、国道は平静だったが須磨から長田へ掛けて一変。街が燃えていた。交差する通りを見れば亡霊の様に歩く人、元町から先はビルが倒壊して進めない。港の方へ迂回すると、高速道路の橋脚が歪んでいる。見れば根元で切れていた。その鋼材、恐らく25ミリはあったが、まるで刀でスパッと切ったような断面だった。会社がある東灘区の埋立地へ、高速道路下の国道43号線を走ると、なんと途中で頭の上の高速が数百mに渡り倒壊していた。天を仰ぎながら埋立地へ向かうと橋がずれていた。その距離約30cm、自転車を担いで渡る。だが防波堤が倒壊し、液状化で1m近く沈下。幸い7階建ての会社は少し傾いていたが立っていた。しかも大勢が後片付けに励んでいた。これには勇気付けられた。会社到着は...1995年1月17日その2
At5amonJanuary19th,ItookmynewbicycleandheadedeastonRoute2.AreaofTarumihadaseismicintensityof6,andthenationalhighwaywascalm,butitchangedcompletelyfromSumatoNagata.Thecitywasonfire.Lookingatthecrossingstreets,peoplewalklikeghosts,andIcan'ttakemybicycle.ManybuildingsatMotomachihadfalldownonthestreet.ThereforeIchangedtheroutetowardstheportarea,thebridgepierso...1995-1-17#2
船には概ねクリノメーター(傾斜計)が操舵室の壁についている。音楽で使うメトロノームを逆さにした様な形で、左右40度までの目盛りが刻まれている。もう半世紀ほど前、私は完成直前の船に乗って、三重から瀬戸内まで航行した。我が造船所には船渠がなく、仕上げ塗装の為に回航したのだが、途中船は嵐の中へ突っ込み傾斜計の針が振り切った。つまり40度を越えて揺れていたのだった。1995年1月17日朝、私は木の葉の様に揺れる船の中に……、と思って目を覚ますと、そこは自分の家だった。物が落ち、皿が割れ、家族3人玄関へ走ればドアが開かず、体当たりで飛び出して逃げた。団地の中から「助けて」と声がして、他の人と駆けつけた。駐車場に集まった人の中から「東京は全滅か?」の声が上がる。でもその内、東の空に数多の黒煙が上がり、神戸の街並みが燃...1995年1月17日午前5時46分52秒
Mostshipshaveaclinometeronthewheelhousewall.Itisshapedlikeanupside-downmetronomeusedinmusic,andisengravedwithascaleupto40degreesleftandright.Abouthalfacenturyago,IsailedfromMietotheSetoInlandSeaonashipwhichwasthenewbuildingshipandtobecompleted.TheshipyardwhereIworkeddoesnothaveadock,sowesailedforfinishingpainting,butonthewaytheshipplungedintoastormandthen...1995-01-1705:46:52
昨年、義父が92才の生涯を終え、喪中により年賀の挨拶を控えた。例年になく神戸も寒い日が続いたが、まずは穏やかな年始となった。まずは「万」の話。これ「よろず」と読み「10,000」、「八万」が「やよろず」で「80,000」。「八百万」は「やおよろず」と読み「8,000,000」である。万は様々、八万は極めて数が多く、八百万は多種多様となる。古より神は「八百万の神々」で、森羅万象に神を感じるのが「神道」である。「八」は中国で「金」に通じ北京五輪は2008年、ちなみにソウルは1988年だった。日本では富士山の形に似て「末広がり」で好まれる。話しは飛ぶが、昨年の出生数が、ついに八十万人を割り込むらしい。私が生まれた1952年の約二百万人と比べれば、隔世の感がある。だが当時人口が八千六百万人であり、まずは増えすぎた...年頭にあたり
Lastyear,myfather-in-lawpassedawayattheageof92,andIrefrainedfromgreetinghimduringtheNewYear'sholiday.UnusuallycolddayscontinuedinKobe,butthebeginningoftheyearwasmild.Firstofallatthebeginningofthenewyear,herebysayaboutastoryof”万”.”万”isreadas``Yorozu''meansvariousanditis“10,000”.“八万”isreadas"Ya-yorozu"meansverymuchanditis“80,000”.Finally"八百万”isread"Yao-yoro...Asthebeggingoftheyear……,
枡野俊明著「禅ごよみ365日」(*)に依れば、今日の禅語は「看看臘月尽」(みよみよろうげつつく)、「あっという間に年が暮れる/一生の決着がつく」の意味である。おとというちの洗濯機が止った。2011年製で最近音が大きくなり、それでも頑張っていた。動かないと思ったら、ベルトが下に落ちていた。何か所かに亀裂が入り、最後は朽ち果てて機械の寿命が尽きた。今年もあと2週間、あっという間の1年だった。去る2月、突然ウクライナが侵略者に犯され、戦禍は今も拡大している。「人間いつかは死ぬ、問題はその死に方だ」と、かの人が戦死者の母の前で嘯いたとか。あくまで我が国のテレビが伝えたニュースではあるが。ギリシャ神話では、Hybrisこそ人間の破滅の一因という。「傲慢」はキリスト教でも、七つの大罪のひとつである。仏教では、それを人...我が家の洗濯機が死んだ!
AccordingtoChiefPriest&ProfessorShunmyoMasuno's"ZenGoyomi"(*),today'sZenwordis"「看看臘月尽」,anditmeansthat”Intheblinkofaneye,theyearwillend/thelifewillend.Thedaybeforeyesterday,myhouse'swashingmachinestoppedworking.Itwasmadein2011andrecentlythesoundbecamelouder,butitwasworkingsohard.Butithasstoppedsuddenly,andthenIfoundthebelthaddropdown.Ifoundthebelthadsomecr...Ourwashingmachinedied!
日本の平安時代、修行僧が年末に経典を唱えるために走り回ったことから、今も12月を師走と呼ぶ。今年も残すところあと4週間。毎日忙しく仕事をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。だが歳をとってからの1年は、もっと衝撃的であっという間に流れてしまう。今朝の朝日新聞で「東京から徳島へアバターロボットが学校へ」という記事を読んだ。東京で不登校だった12歳の子どもが、分身ロボット「OriHime」を操作して徳島の学校に通い始め、今では自分で学校に通えるようになったという。"OriHime"⇒https://orylab.com/時代は確実に変わっていく。今年はアニメ「鉄腕アトム」の生誕70周年である。作者自身、最後のアトムで「陰気で気持ち悪い」と記述した通り、鉄腕アトムはハッピーエンドではない。だがもしロボッ...師走
AttheHeian-erainJapan,DecemberwascalledShiwasubecausemonkswouldrunaroundtochantingsutrasattheendoftheyear.Thereareonlyfourmoreweeksleftinthisyear.Duringwearesobusyandworkingeveryday,spendingtimegofast.Butaftergettingold,oneyearwillbemoreshockedandsoquickflow.Ireadthismorning'sAsahiShimbun,"FromTokyotoTokushima,avatarrobotsgotoschool."A12-year-oldchildwhos...December