画学生の頃は、日本画に関係する本を毎日読むようにしていたけれど。 何も解らないという状態だったこともあり、日本画の幅広い世界のなかで、僕は小さな点ばかりを見て、実りの少ないことをしている様な気もしていた。 日本画を学んでいく上で、どんな本を読むべきなのだろうと考え、大学の教員達へおすすめの本はないかと聞いたこともあった。 でも「本なんか読まない方がいい」という適当な返答しか貰っていない。 それでも、僕は少しでも前進して行かなくてはならない、そう考えていた。 竹内栖鳳 大学1年生の半ばあたりで、竹内栖鳳(たけうち せいほう)という日本画画家に興味を持ち始めていく。 竹内栖鳳の絵を見始めたのは、K…
画学生時代には、いつも絵に関係する本を読む様に心掛けていた。 僕はもともと、ゆっくりと読書をするタイプの人間ではなかった。 それでも、美術大学では必死になって絵を学ぼうと決心していて、その決心の具体的な行動のひとつとして、毎日必ず本を読む習慣を持った。 最初は日本画の画集や技法書や材料科学という類いのものから始めた。 どんな本が自分のためになるのもかわからず、日本画関係の本を見かけたら、取り敢えずは手に取るようにした。 美大への入学当初 美術大学の授業が始まった最初の頃、美術大学側で配られた日本画の画材のなかに「顔彩」という絵具があった。 顔彩・鉄鉢 日本画材料 吉祥 見た目からも洋画で使…
講評会 この静物画は制作途中のまま、講評会に持っていく。 なぜ制作途中になったのかというと、右上の照明器具が上手くいかなかった。 何度も修正したり、塗りつぶして描き直しても、形に違和感を感じてしまう。 それを何度繰り返しても、照明部分に違和感を感じ、疑心暗鬼に陥っていた。 状態としては、右上の照明の描写が曖昧なことと、石膏像に立て掛けている左下のガラスの縁を描いていないところで止まっている。 この時の講評会も、立ち会ったのはK先生(女子)とA先生(女子)だった。 美術大学に入学した当初から感じていたが、僕の作品はいつも同級生達のとは少し違う。 絵具の発色や艶の様なものだろうか。 完成間近での、…
本来の制作期間から、随分と遅くに始めた「静物画」の本制作。 それでも遅れた分を巻き返そうと、毎日頑張っていた。 制作と不安 絵は、長い時間をかければ良いものになるという訳ではないけれど、細かな作業や丁寧な作業を心がければ、良いものを描くためには、それだけ時間もかかってくる場合が多い。 課題制作は、普通は大学のアトリエで行うものなのだが、この頃の僕は、学校での制作を諦めていた。 盗難や同級生達とのトラブルや、教員達から強要される納得のいかない描き方の指示や、今回こそ自分の納得のいく絵を描こうとしていたこと(教員達から、やろうとすることと違う指示を受けてしまう)等。 これまでに書き綴ってきた、そう…
ここ何ヵ月かは、画学生時代の話を続けて書き綴ってきました。 話はまだまだ続くのですが、今回はその件は置いといて、別の話となります。 独立展と二紀展 先日、新国立美術館へ行き、独立展と二紀展を観てきました。 どちらも隣り合った会場で展示していたもので、行ったなら一緒に観るのは必然ですね。 今回の話はその感想ではあるものの、僕の片寄った絵の好みや考え方をそのまま文章にしています。 本来ならば、独立展と二紀展は別々に感想を書いていくべきでしょうが、僕はそんな丁寧で便利なブログ記事を書いていく気はないので、そのつもりで読んでください。 独立展も二紀展も、それぞれの作品サイズは130号以下の大きなもので…
今回の話は、夏休み明けの課題になる。 課題の内容としては、複数のガラスや布等、それと任意のモチーフを組み合わせて、水彩絵具を使って描く様に指示されていた。 そして、僕はこの「静物画」に照明器具と石膏像を組み合わせて描くことにした。 日本画制作には、下図と本画というものがあって、本画という作品自体の為に、下図という下絵を幾つか描いていく。 その下図として、夏休みの宿題のひとつは出されていた。 その辺りの話は、アメーバブログではもう少し書いていたのだけど、今回は省くことにする。 ガラスと布を組み合わせた静物画 この課題には、僕なりに幾つかの意図を持ち、教員達の教えてくる内容に矛盾する題材を選んでい…
夏休みの宿題 入学した当初から思っていたことだけど、僕の絵にかける制作時間は、誰よりも長かったと思う。 大学側で、課題にかける時間に指定はないから、言葉の上では、いくら時間をかけて制作しても、期限内に提出すれば問題はない。 この時間に関する問題で、一番痛手に思えたのは、夏休みの宿題だと思う。 大学の夏休みは1ヶ月くらいあり、とても長いものではある。 その夏休みで、絵の宿題は8個前後だされ、「しっかり書き込んだものを提出してください」という念押しもされていた。 水彩絵具を使った植物の写生やら自画像やらだけど、記憶に残っているのは2~3個くらい。 この夏休みの宿題を出された時点で、僕は大変だという…
繰り返しの話になるけれど。 いま書き綴っている話というのは、過去にアメーバブログで書き綴っていた記事を、このはてなブログに移行させながら手直しをしているものである。 元々、僕は文章を書くのが苦手なもので、アメーバブログでも、随分と下手な文章を書いては公開してきた。 その手直しが結構大変で、文章を一から書き直している場面もある。 そして、今回の話迄の数記事は、重複した内容を繰り返している関係から、「模写」「交遊関係」の話は省くことにした。 アルバイト 長いこと学生時代の話を書いている訳だけど、時系列で言うと大学の前期は終わり、夏休みに入った辺りになる。 僕は先々のことを考えて、アルバイトをやろう…
一学年の後半に入ってから、絵を描く部分に関しては、教員達へ質問を持ちかける考えはなくなった。 それでも、日本画に関して知りたいことは沢山あり、まだ幾つかの質問を持ちかけていた。 以前に書いた前田青邨(まえだせいそん)の画集のなかの文章だったと思うのだけど。 前田青邨の絵の展覧会場に岡倉天心(おかくらてんしん)という人物が現れて、前田青邨に対して「絵の濁りをとりなさい」という指摘をしたことがあるという。 それ以降の前田青邨は、その岡倉天心のこの言葉をずっと心に刻み続けながら絵を描いていたと読んだ。 前田青邨 「白頭」 絵葉書『白頭』 前田青邨@芸大美術館ミュージアムショップ この岡倉天心という人…
自分の進みたい方向 自分の描きたい絵は、どんなものなのか… 色々と考えながら絵を描いてきたけれど、十代の後半頃によく思い浮かべたのは、高校時代に好きだった女の子のこと。 その女の子から感じる曲線や色や雰囲気など、その感じを日本画の美人画に重ねてイメージしていた。 だから、その女の子へのイメージは、日本画を学ぼうと考える切っ掛けとも絡んでいた。 もし、その好きだった女の子をモデルにして絵を描いたとしても、自分の力量では上手く描けないかもしれない。 それでも、どこかでその女の子らしさを表せたら、表面上のかたちはどうなっていても良いと考えていた。 そして、その好きだった女の子は、どうしても手の届かな…
教員達の教える絵 美術大学の教員達とのやり取りを何ヵ月もしていると、「教員達の好む絵」も少しずつわかってくる。 その「教員達の好む絵」の話は、今回の内容には大事なことなのだけど、語るのは少し後回しにする。 大学1年生の前半は、基礎的な描写や日本画の絵具の扱い方などが授業の中心だった。 そこで躓いた僕は、その辺りの問題解決で必死だった。 それから、根本的な解決にもならないまま、1年生の後半では、その問題の根本的な解決を諦めてしまう。 僕は、教員達の話はきちんと聞くし、大事そうな話はノートに書き留め、後になってそれを読み返したりもしていた。 それでも、感じる矛盾は何も解消されず、その矛盾へは「解ら…
アメーバブログからはてなブログへ記事を移行する過程で、手直しをしながら投稿している訳ですが。 デッサンの話に関しては、かなりの手直しをしていて、元の投稿とは別の話のようになっています。 アメーバブログを書いていた時は、当時の事を思い出すことに重点を置いていて、話はまとまっていない場面も多かったのです。 そういったことから、これ迄にはてなブログ側で書いてきた話は、アメーバブログで書いていた内容よりも、本来書き綴ろうとしていた内容に近いです。 記事の移行は、1~2日にひとつくらいのペースでやれると思っていましたが、なかなかそうもいかないもので。 僕の文章力の無さも絡んでいたりで、ブログって難しいで…
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