というか、正確には、一年先輩なんだけど。5時すぎ。それはどこでも見かける景色でもあるけれど、その姿がいかにも年寄りじみて。おいおい、俺もこんな感じかね、なんてね。笑ってしまった。そんな中、ドリプラまでの軽いジョギングを敢行。軽いと敢行という文字が不似合いだけどね。朝陽を浴びてまたぞろのビタミンDの産生作業。梅雨前の気持ちの良い朝を満喫している多くの人がいて、おいおい、日本って、平和じゃん、だな。朝の珈琲はタンザニアのスノートップ。朝早くに同級生が歩いていた。
と書いても、そもそも、灰吹って、な感じだけどね。煙管(キセル)全盛の頃の、竹筒の灰入れだな。キセルで吸い終わった後、ぷっぷと吹き出すわけだ。それを吐月峰という、と。これ、この間、久々にブックオフをぶらぶらしながら出会った、武田泰淳の「新・東海道五十三次」って文庫本。昭和の45〜6年頃に雑誌社からの依頼で書いたのかな。そこに武田泰淳が書いていて、わが駿河の吐月峰がそんなところで使われているんだ、と驚いた次第。連歌師の宗長という人が島田の出身で、その御仁が名付け親らしい。興味が湧いた方は、灰吹、吐月峰で検索してみてくださいませ。ブックオフでは、他にも、村上春樹の父親の思い出を書いた「猫を捨てる」、野口晴哉さんの「体癖」とか。小室直樹と日下公人の対談、「大東亜戦争、こうすれば勝てた」の文庫本、井上靖「わが母の記...灰吹のことを吐月峰というらしい。
動脈瘤との対話をしながらの、ということかな。これもおもしろいもので、それが発見されるまでは、そこではなく。年齢からくる筋肉、肺活などの変化との対話くらいの言い方になっていたんだけども、だ。まるで、天王星、海王星、冥王星という、今まで存在が確認されていなかった星が発見されると。星の配置図からの占いで、人類への影響に変化が出る、なんてことらしいんだよね。それと似た話だな、と思った。知らぬが仏、なんて言い方もあるけれど。いずれにしても、検査→優秀なお医者さんの診断などなどを経ての走り。なので、実のところ、どんな感じになるのかな、と。血液を末端まで届ける力が衰えているとしたら、走る時に筋肉へは血が回りづらく、活動も不如意になる。なんてことを考えつつ、だったけれど、案に相違して、だった。それにしてもいいお天気だ。久々の60分走
降れ降れ母さんが蛇目でお迎え嬉しいな、って歌がやってきた朝。一度だけ、母親から聞いたことがあるのが、お父さんを駅まで迎えに行ったんだ、という雨の日のこと。その時、母親の中では、この歌がなっていたかもな、なんてね。自分の父親が大好きだった母親だったから、わが父親、昭ちゃんに自分の父親を仮託してだったかも。なんてこちらはこちらで妄想している次第。そんな雨の朝。今、長男坊が珈琲をいっぱい飲みつつの談笑のあと、現場へ向かっていった。事件は現場で起こっているんだ的な、踊る大捜査線ネタで盛り上がりつつ、だ。ベランダでは、この頃では、僕が登場する前からヒヨドリたちが飛び交い、待ち望み、って具合で。すっかり巴川べりの日常風景となっているわけだ。昨日は朝から静岡病院での検査。手術はせずに様子見。半年後に造影剤を入れずの検査...雨、雨
なんか気分を変えてみようか、という朝です。というか、早くに出るので珈琲、いつものように淹れても余っちゃうな。なんて魂胆とついでに、ルーティンを一つ、除外し、とね。このところ、例の便秘絡みで、小麦と牛乳系、やめてるんだ。何かを加えるのでなくやめる、っての。自分なりにはなかなかいいもんだ、と思ってもいて。だけど、娘とか妻とか、食事を用意してくれる人には難儀なことでもあり、だな。なんたって小麦の世界征服下の現代だからね。昨夜は、久々にライフデザインのzoom塾。ライフレコードってのを元に、一人の方が自分の人生を振り返り、というもので。それをテーマにコーディネーターがいろいろと語り、だった。くだんの発表者、隣町の蒲原で駄菓子屋と宿をやってるそうで、近くだから伺いたいな、なんて感想を述べ。なんてことがあり、朝を迎え...珈琲と骨ストレッチのない朝
今朝は、マインドさんの焙煎になるフルシティローストとうたってあるやつ。少しやわらかかな。昨日は、ブラウニーさんの焙煎。もちろん、ケニアとはいえ、違う農場だったのかも、だけどね。それにしても、当たり前といえば当たり前に、明るくなるのが早くなったな。毎朝の地の神様へのお線香、今まではiPhoneで照らしながらの道行だったんだけど、新緑を眺めながらの。そんな朝なんだよね。すると、まわりの風景もよく見えるので、あらあら、北街道まで見えるのか、ってなもんだ。すべてのことがそんな具合でもあり、見えてるものだけが存在しているという、この認識の仕方ってのが。時には幸いし、時には災いもし、なんだろうな。カラダの中のこともそうで、明日の造影剤入りの検査なんてのも気が付かなければ何事もないかのように。ということだったんだろうな...またまたケニアからの
思えば遠くへ来たもんだ、とくだんの珈琲豆も思っているのかもしれない。大昔の丸木舟だったら、どのくらいかかったんだろうか。そもそも潮の流れがあったのか、手漕ぎか。アフリカの地からやってきてくれたのだけれど、アフリカといえば、ブルキナファソ。長い間フランスが宗主国ということで、早い話が、占領され統治され、でも、表向きは民主主義国。なんてウタイだったんだろうな。この一年くらい前だったか、そのフランスが追い出され、宗主国様の通貨が使えなくなり。金との交換経済みたいなものが隆盛し始めたそうで、なにせ、金産出国だから。すると、経済成長率、前年比80%アップ、なんて記事があった。そういうことだ。自国の富が自国民のために使えるようになったわけだ。となると心配なのは、パリジャンなんて言われているおフランスの方々の経済だな。...春雨の朝はケニアからのキアマバラ
というのが、わがブログなんだよね。20年近いということになるな。よくも毎日、その時間があったものだ。昨日は、久々に谷川健一さんの「日本の神々」という新書をパラパラとめくった。その中で、みさき、というのね、御前と書いてそう読むこともあるみたいで。神のしんがりじゃなく、なんだっけ、とにかく、先を勤めるわけだ。あれ、じゃ、あの御前崎って、どんな成り立ちだったんだろう、ってね、思った次第。日本の神々というのは、記紀神話にまとめられる時代の、ざっくり、1200年以前の神々、ということで。今から数えれば、2500年以上前の、と。世界中、どこの地域でもあったんだろう、先の神を鎮め今の神を際立たせ、というのね。そんな昔の神々を掘り起こす、って書籍ということだな。たまたま書棚で目に止まったのだけれど、偶然はありません、全て...気がつけば7000回超え
なんてのは、つい先日書いたかも、だな。なんとか、続いている。二週間、体感してみようというわけだ。なんだけど、二、三日前の呑みの席では、天ぷらを少々、おでんも。だったな。なんて中、つくづく、小麦の全世界への席捲ということを感じる次第で。ホリエモンプロデュースだったかの「小麦の奴隷」、調子悪いみたいだけど、それはおいといて。グルテンという物質を避けてみよう、という提案を受け入れ、の営為ではあるんだけども。なんでもやってみなきゃね、というくらいの話だ。昨日は、次男坊の誕生日。タルトのケーキを買い求め、祝ったのだけれど、当方は、タルトもクリームも食べず、ベリーといちごだけ。なんて光景だった。それはそれでおもしろい。この間の診察、AppleWatchDr.との、タバコを吸っている云々の会話。動脈の壁については、むし...小麦を食さずの日々
の朝。春分・初候は、雀始めて巣う(すくう)だ。これから夏にかけては害虫を食べてくれる、とある。こんなコメントも、農家が少なくなっている列島では学術の分野なんてことになりそうだな。昨日、いい先生に出会った。先生というのは、お医者さん、という意味だけど。心臓血管外科という御仁で、こんな方とはいっぱい呑みながらの話も楽しそうだな、とね。だいたい、カナヅチを持っているとすべてのものが釘に見えてくる、なんての、あるでしょ。打ち込みたくなっちゃうんだよね。そこが感じられない方だった。便秘をなんとかしたいと訪れた医院でCTを撮ったら、ここ、膨らんでますね、と。腹部大動脈瘤という見立てで、この文字だけ見るといかにも、ってやつでもあるけれど。その動画を紹介状とともに、くだんの先生の静岡病院へ、という顛末で。来週、精密な検査...メジロの下にスズメくんが
昨日の午後はよく眠ったな。浜松への予定をキャンセルしての午後の睡眠。よく眠れた。ちょっと体調、悪そうだな、という見立てからの行動、ってことだったんだけど。なので、春分の日の今朝は、走るのどうしようか、とね。だったんだけど、走ってきた。カラダくんに伺いを立ててみようという算段だ。結果、ふむふむ、調子はいいね、大丈夫、という返事だったので、こうしてブログを書いている次第。なんにせよ、今日の春分、12時07分の星の配置が、日本上昇へのスタート。みたいな話をマドモアゼル・愛さんから聞いていたので、特別な日なんだな、今日は。こんなメモ書き、アップしとこうか。とにかく、そんなわけで、いい時代になっていくのであります。どんな未来をデザインするか、ってわけだ。日本上昇への春分の日
それも昨日、夕方の話で。その前日に、KOマートで買い物中にある女史にお会いしたのがきっかけだったのか。彼女から電話が入り、かくかくしかじか、ってなもんだ。その昔ならとんでもない話でもあり、床屋へ行き、洋服を買い求め、一族総出の準備をし、だよね。テレビが家にやってくるという日、ビートたけしのお母さんは、化粧をしなおし着物を着て。かしこまってテレビの前に鎮座し、今か今かと画面に映し出されるものを待っていた。なんて半分ネタみたいな話、あったよな。そんな朝になりそうな、なりそうもなさそうな、です。彼らもネタ探しで大変といえば大変で、さらにスポンサー探しも相待って、って具合だ。なんにせよ、時代の移ろいとともに世間の景色も変わり、変わったなら変わったなりにそれらに応じていく。それが人間の営為の当たり前の姿でもあるわけ...テレビの取材が来ることになって
という食生活に挑戦を始めた次第。便秘気味への対応なんだけど。グルテンとカゼインフリー、って横文字にすると。しかし、これがまた、至難の業で。牛乳系はまだしも、小麦ってのは、まったくすごいね。醤油にも使われているから始末が悪い。全世界の生物でいちばんの成功者というのが小麦だ、なんて言説にうなづくしかないな。とりあえず、二週間やってみようか、ということだけど、外食したらアウトだよな。小麦にアレルギーのある人は大変だと思ったよ。果たして顛末はどないなりますことやら。なんて朝も変わらず、鳥たちはやってくる。明るくなるのが早くなったということは、彼らの活動がすでに活発になっているわけで、食べ終わるのも早い。こちらはまたしてもモカ。そうだ、昨夜は、アゼルバイジャンのナゴルノ=カラバフからのワインをいただいた。美味しかっ...小麦抜き牛乳抜き
コロンビアからの珈琲。走る前と後の珈琲タイムって感じだな。走り終わった後、ノートに記録する。心拍数やSPMなどなどを。SPMってのは、一分間の歩数。180を目安にしているんだけどね、漫画家のみやすのんきさんに倣って。今朝は清水港に豪華客船が入っていた。どこから来てどこへ行くのか知らないけれど。何やら外国語でアナウンスが流れていたな。あんな感じでその昔、古代マレー方面から入ってきた人士方が、ここは天国みたいだと言ったか。スルガみたいなところだ、とね。そんなところを掘り起こしてみたい、という願望の虜でもあるかな、このところ。スルガに限定ではないんだけど、明治の頃から洋行帰りとか西欧ではの出羽守隆盛で。それに比べてわが日本はなんて遅れているんだろう、的な筋立てが多く見受けられてきたんだよね。そこを何とか次の展開...サンアグスティン
ちょっと遠いかな。なんて会話、昨夜の飲みの席での。くだんの相方、浜松マラソンへエントリーしていたんだけど、ゴルフで脇腹の肉離れで断念。だそうで。そもそもゴルフで肉離れってどうすりゃできるの、くらいの話だけどね。そんな流れで、先週のファンランのことになり、すると、ネット検索しちゃうんだよね、と。今から申し込める大会はどこか、なんての。当方、かくかくしかじかで、ということで、這々の体でその場から失礼した次第。寝ていて相変わらず汗、かいてるな。眠っていてもあちら側で何らかの任務を帯びての活動が続いているのかも知れず。ご苦労さん、って一言、かけてあげるとするか。今朝も鳥たちが待ち望み、すでに餌はほぼ食べ尽くし状態だな。ご近所の自治会長さんもこの間、いつもの八百屋の大将のところでみかんを買っていた。同病相憐む的な、...芦屋までは6時間半かかるな
日の出が早くなり、彼らの活動時間が、人間時間換算にすると、早くなった。なので、表題の如くで。僕がベランダへ出る前からやってきている。彼らの生活習慣を人間時間が邪魔しているわけだ。毎朝のできごと。なんて、これは時間のズレなんだけど、自然の生業と我が方、人間様の生業のズレってのはアリそうだな。そこで、双方が苦労をし、余分な労力というのか心労を経験する、なんてことね。これ、神道で言う所の、天津罪だ。本来持っている能力を発揮させない罪、ってことで。今、ベランダを覗こうとしたら特には雀たちが一斉に飛び立っていった。わが方の視線、カラダから発する波動のようなものを敏感に感じたんだろうな。これも、ズレだ。かわいいねと愛でるつもりの心もちと、カラダのDNAから発するもののズレだな。同じようなズレが人間関係の中にはしこたま...鳥たちが待ち遠しいのだろう
啓蟄の次候の最終日。桃は好きなんだよね。あれは311の後、何月だったか、福島駅へ降り立ったことがある。駅構内では農産物が並べられ、桃で有名な会津だ。のだけれど、そこにあったのは山梨産と大書された桃だった。あれは悲しかったな。福島第一原発事故由来の放射線量高く、ということだな。大都市で使う電気を賄うために、安全ですの原発がやってきた街。かの地は明治の御維新でも割りを食ったんだよね。会津藩。ならぬものはなりませぬ、だったんだな。世が世なら激賞される心持ちが真逆の顛末とあいなる歴史の悲劇。あの時、会津藩は北海道へも飛ばされたり、で、雲散霧消だったんだよね、たしか。桃といえば、霊力もあり、繁栄のシンボルともされていると七十二候の暦には書いてある。そういえば、イザナギさんが黄泉路に向かって投げたのが桃だったか。山口...桃始めて笑く
じゃないかな、とこのところあたりをつけているんだけどね。井上靖の「後白河院」の文庫到着だけど、まだ、読んでいず。「梁塵秘抄」65円なりの岩波文庫も未だし、って状態ではあるんだけど。くだんの法皇、平清盛とか木曽義仲、あるいは、源氏の鎌倉幕府などの中でうまく立ち回り。天狗だったか、妖怪だったか、とにかく、そんな感じの部分と。仏道へ帰心、帰依、ひと方ならず、で三十三間堂への1001体の仏像寄進とか。もう一つが、遊女(あそびめ)への傾倒。この三つが重なった人物だったようで。と、沖浦和光さんが「「悪所」の民俗誌」で書いていた。後白河院とネオコンと西欧文明と、なんて対比がこの先の日本、世界への、なんらかの指し示しになるのかも。って見立てなんだけどね、当方としては。論理に論理を積み重ねていくのは、そろそろ、終わりかな、...やっぱり後白河法皇
なんて記事が僕のタイムラインには流れてきていて。妻と大笑いしたので、ここにアップしてみた。なんでも、4月から改変だそうで。これすら、フェイクかも知れず、ではあるけれど。すると、患者さんは十分の一になるというんだね。前々から言われていたことだけども、だ。あと一つ、ネタとしてはおもしろいものがあったんだけど、忘れたよ。あ、思い出した。東南海地震だった。あれ、この30年以内に起こる確率が70〜80%とかいうんだったかね。それが、計算方法が、東南海だけ違っていたので、標準化すると、20%だった。なんての。これはまた、もう少し広がり、もともとの計算根拠が、90年前の今井教授のものらしい。この方、ずっと以前にもアップしたけど、関東大震災を当てた、ということで有名な方。当時、彼はなんとかという高名な教授のもとで学んでい...血圧160まではOK?
というわけで静岡マラソンは無事完走にて、だ。何年振りか、何十年振りか、って感じか。とにかく、ゴールした。わけだ。すると、それが一つのきっかけとなり、ああだこうだの未来がやってくる。これはおもしろいな、当たり前かも、だけど。ほぼほぼ一家総出の応援体制で。孫たちにゴール前で手を振ることができたのはよかったよ。それにしても、2万人以上なのか。大勢の方々が日々走っていることを感じながらの、スタート前、ゴール後の光景だったな。走りの仲間、ということだな。今の僕にとっては大きな体験・経験と言えるかもな。やってみる。すると未知の領域が訪れる、ってわけだ。しかも、それらの体験は自分一人のものでもあり、かつ、それがまわりへ波のように伝わっていく。もっとも、すべての行動、日常がそういうことでもあるんだろうけどね。そんな朝は、...11.6キロを走った。
の合言葉まんまの7日、8日だった。三重県は津市。三重県総合文化会館というところでの、中小企業家同友会の。全国中小企業問題研究集会というやつへ行ってきました。しかし、12文字の漢字ってのは、今時長すぎるかも、だな。それはともかく、「事業承継」の分科会と、記念講演は、ヴィソン多気という会社の立花さん。この二つについては、近いうちにまとめなきゃだな、なんだけど、明日は静岡マラソンへ、だし。週明けもなんやかんやとあるしな。と、かこちつつも、表題のような心持ちは大切なんだろうと思っていて。しかも、その裏側ではそうしたくて仕方ないというエネルギーが渦巻いているという絵柄。早い話が、やりたいことをただ淡々と粛々とやっていく、当たり前と言えば当たり前のことだな。ハワイ語ではクーという潜在意識におまかせ、という状態であれば...知って行って観て会って
という感じなのだけど、大本営では発表されず。と書きながら、「日本で一番長い日」を思い出した。半藤一利さんが原作になるのか、映画も2回あったかな。1回目のは、たしか、僕が中学生だったか。父親と観に行った。ということがそもそものビッグニュースでもあったんだけどね。無口だったし、けれど、お酒を飲むと初め陽気にその後ぐしゃぐしゃの酔いどれに、なんての。わが昭ちゃん、息子にどんな言い方で誘ったのか、そして、息子たる当方はどんな思いでそれに応じたのか。という映画、あれ、ざっくりいうと、玉音放送盤の奪い合い、とも言えるかな。つまり、革命軍、いや、なんて言ったか、青年将校のグループが放送局を占拠し、みたいなね。公共の放送というものを奪うと、時の権力構造が様変わり、みたいなものだ。今日から俺たちの天下だ、とまさに、天の下に...ビッグニュースがわんさか
事務所に着いてみるといつもと違う光景。窓に灯りが煌々と灯り、だった。長男坊が朝早くに出社し、の姿だ。なので、モカを進ぜてのミーティングとあいなった次第。あれやこれやの話。ところで、今朝もイソヒヨドリがみかんを啄んでいる。ただ眺めているだけでいいな。そのうち、ふいをついてメジロもやってきているんだろう。もちろん、鳩くん、雀くんたちはとうの昔に来訪終了の風情だ。さてさて、今日から啓蟄の初候だ。蟄虫戸を啓く(すごもりむしとをひらく)だ。今朝は長男坊とのモカミーティング
たまたま、沖浦和光さんの「悪所の民俗誌」という文庫本をパラパラとしていたら、なんだよね。くだんの法皇のことが書いてあった。権謀術数の戦略家、平清盛と源頼朝を手玉に取り、という面と。仏道に精進し、三十三間堂を建立し千一体の仏像を奉納した。この間、社員旅行で行ってきたよ。さらに、芸能の面への貢献。と、三つのことが書かれていた。「梁塵秘抄」の編者でもあったそうで。その人物像が面白そうだ。早速、35円の「梁塵秘抄」岩波文庫の古本、オーダーしちゃったよ。前から気にはなっていたんだよね、この民草の戯れ歌をとどめてあるらしいもの。ひょっとしたら、現在の価値観、感じ方へのアンチテーゼみたいなことに触れられるかな、なんての。それはこの列島の独自なるものの復興、復活へつながるのかも、なんて茫漠たる予感です。LGBTQ運動とい...後白河法皇がおもしろそうだ。
春分に近づきつつあり、なんて書くと。夏至にも、なんてことでもあるな。とにかく、移ろいゆく、ってわけだ。しばしも休まず槌打つひびきなんだよね。心臓は常に動き、それに応じて何十兆個の細胞たち、さらに、その中のミトコンドリアくんたち。途方もない数の生命たちが、例えば、このアタクシめのカラダに蝟集し、だな。たまたま五感と頭を持っている我が方はこんな具合に書き留めているけれど、自然の。例えば、わがベランダレストランの来訪者たちは、書き留めもせずに、飛び去り飛びきたり、だ。明るくなり暖かくなり春を感じなのかどうなのか、巴川べりを走りすぎるランナーたちが増えたような。来週は静岡マラソン。久々のエントリーだ。たかがラン、されどラン、ってことだな。今日で407回目のランを終了。思い起こせば、ってやつだ。いずれにしても、ほん...明るくなるのが早くなったね
と書くといかにも健康的に見えるでしょ。またまたビロウな話で恐縮ですが、腸内をなんとしなきゃ、だ。走っていて便意をもよおすも出ず、だったので。今日は、宿便から全て吐き出すか。なんて土曜日になりそうだ。来週の日曜日にはファンランと称して、静岡マラソンへの出場。なんてこともありなので、だな。今朝は、介護住宅改修の社員さんが訪れ、経過報告、ほぼほぼ目標達成、ということだった。そのことやら何やらで、いろいろと話し込み、久しぶりにゴールデンサークル、なんての。出てきたよ、僕の口から。そもそも、もうね、カタカナ用語は終わりだよ、なんて宣いつつの中での発語だったので。まったく、困ったもんだな。ことほど作用に、外来語、外来発想に毒されている我が身でもあるか。もっとも、あまりこだわるのも良くないけどね。なんたって、第6候は、...朝陽を浴びてきた
と言う実感、体感をした昨日、今日。便秘というとかっこいいいけど、糞詰まり、と言った方が相応しいかな。そんなことで、昨日は、全意識が便意に集まり、だった。PCの前に座ってもそこがすべてで、情報やら発信やらの言葉は上の空。なんて経験をしたわけだ。今日は今日で、その逆で、便意から排泄に続く流れに齟齬が生じ、だな。なので、今日の午前中は、体調不良によりお休みいたします、と言うメッセージを送った。の後の、お昼近くに、こうして事務所のMacでブログを書いている次第。ひな祭りの前々日の今日は、旧暦で言うと、1月21日。こんなに暖かだったんだな。グレゴリウス暦だとこうも行かずのお正月の月だったわけだ。この辺りにも、この列島で培われた様々な感性なんてのが、それぞれに齟齬をきたし、なんだろうな。今となれば、誰にも分からずじま...出るものは出さなきゃ
「ブログリーダー」を活用して、まわりで起こっていることさんをフォローしませんか?
というか、正確には、一年先輩なんだけど。5時すぎ。それはどこでも見かける景色でもあるけれど、その姿がいかにも年寄りじみて。おいおい、俺もこんな感じかね、なんてね。笑ってしまった。そんな中、ドリプラまでの軽いジョギングを敢行。軽いと敢行という文字が不似合いだけどね。朝陽を浴びてまたぞろのビタミンDの産生作業。梅雨前の気持ちの良い朝を満喫している多くの人がいて、おいおい、日本って、平和じゃん、だな。朝の珈琲はタンザニアのスノートップ。朝早くに同級生が歩いていた。
知って行って観て会って、の実践型というやつだ。とりあえず、まずは、やってみようというわけだ。コロナ禍の、あるいは、パンデミックの中での4年近くは、情報という名の電車に乗っかっていたようなもので。おいおい、そりゃないだろ的な言説から世情からさまざまあった。おおかた、それらの力関係などなどが落ち着いたかな、という気分なので、新たに始めるとするか。ということで、なんだな。旧に復さずの復興みたいなもんだ。新しいネタに出会う。そこに思いもしない出会いがあるだろう、という推測のもとに、ってことだ。百聞は一見にしかず、とは言ったものだ。まずは、やってみる、という立ち位置です。不言実行ではなく、有言実行とでも言えるのか。動き、活動、行動、なんでもいいけれど、動いてみるか。という志の開陳。そんな朝は、エチオピアのモカ、イル...今日からアタック25、開始
久々の、だな。安全部会長をやっていた頃は、毎月の定例になっていたけれど。今は副支部長と役回りなんで、半年に一回か。いや、三月に一回なのか。というわけで、本日は一日、そんなお仕事である。会社の新しい期が始まったんだけど、今期は、知っていって観て会って、をメインにしようかな、と思っている。計画中です。現地、現場で会うこと。そこから何らかのヒントをいただく。SNSが隆盛を極め、の時代だから、なおさらの現場主義を貫く、って具合だな。そんな文化、風土を醸成し、新しい時代を創り上げていくという気概だね。当たり前化していることからの脱却の一つの手法だ。今までとは違う時間の使い方をする、かつ、それは自分にとって楽しくもあり、ワクワクもし、というね。そんな具合に創り上げる時間、そこにいる自分の姿を投影したものが未来、って算...安全パトロール
というのは、谷川健一さんの処女作。誰だったかと、直木賞を争ったけれど、取れなかったそうだ。小説です。民俗学の大家が小説を書いていたんだな、というので、Amazonの中古本、ゲット。佐賀藩、肥前というのか、そこの久留米での明治になってからの話かな。西南戦争なんかのちょっと前か。勤王派という天皇を押し立ててという群と佐幕派という徳川を盛り立ててという群れ。前者を尖り、後者を裏尖りとか称したらしい。まだ、ほんのさわりしか読んでないけれど。勤王派=尖り=反ワクとか、逆がワク推しとか、あるいは、ロシア推しとウクライナ推し。なんて類推も可能かね。いつの時代も、そうやって群れるわけだ。それぞれの正義を押し立てつつ、ということになるね。と書くと、いかにもシニカルではあるけれども。もっとも、ワク云々の話は医学への信頼性の話...最後の攘夷党
というのが、昨日来社された広島からの客人。だから、白人が多いんだ、というんだ。おいおい、グローバルサウスってのを知らないな、ってなもんでもあるけれど、一般的な解釈では。そういうことになるんだよね。西欧文明っての。それがピークアウトしているんだけどさ。それはともかく、彼の地も御多分に洩れずのオーバーツーリズムなのか。安い安い、ニッポン安いの合唱なのかもな。アメリカの時給が3千円とか4千円とか、マックが3千円なんて話が実しやかに伝わってくるしね。そういえば、彼曰く、熊本の、例のTSMCブームについて、だった。大きな工場ができる、そこで働く人たちが集まってくる。すると、住むところが必要になる、という波及的な効果があり、景気いいですよ、ってわけだ。ついでに、時給が3千円くらいで人集めしているらしく、他の業種から人...広島のインバウンドはちょっとレベル高い?
が、始まっているんだろうな、辰野村。先週お邪魔した信州の村なんだけど。七十二候の第26候は、腐れたる草蛍と為る、だ。なんとも素敵な文言だな。腐った草の下で育った蛍が孵化し、光を発して飛びかう頃、とある。コンビニで会ったり喫煙スペースで会ったりのジモッティが、今年の蛍は少ない。と口々に言っていたのを思い出すな。自然が残されている、という言い方がされるけれど、それほどに自然を侵食してきた文明というものがある。とも言えるし、そのおかげで、便利さを手に入れたとも言える。しみじみと感傷的に語ることもできるし、さらに、まだまだもっともっと、と物質や精神の「豊かさ」を求める。なんてことも可能でもあるわけだ。どちらが善で悪で、ということでもないんだろうな、人間の営為の結果、結実だ。当方は、適度に制御された自然、ってのがお...蛍まつり
小芝神社さんからいただいた榊。それを何年になるのか、事務所の神棚に進ぜ、のあと、植木鉢に。それが大きくなっている。大したもんだ。そろそろ、植え替えしなきゃ、だ。自然、わが方もその一部ではあるんだけど、すごいものだね。いつだったかも書いたけど、タラの木の伸び方ってのは、驚きだ。そのほかにも名前の知らない草花、草木が生命力を際立たせ、こちらも刺激を受けるわけだ。ピークアウトしたかも、の学校教育がそのうち、耕作放棄地のようなところを題材に。食をいただく、自然の恵みを体感、体験するということに変わるかも、なんて予感です。どのみち、土から生まれた、地球そのものからいただいた命を日々、味合わせていただいている。そのことの、当たり前さを再認識というのか、再教育というのか、だな。なんて思っていたら、いつもの藤原直哉さんも...榊が育った
なるべくカタカナは使わずに和語で行こう。なんて画策しているのだけれど、そこはそれ、現代っ子のわれでもある。ので、仕方ないか。煎じ詰めれば、漢語だって、つまり、4文字熟語とかさ、それも使えないわけだからね。という前置きはともかく、マスク。このところ、いつもの歩き人、歩行者、ウォーカーの御仁のマスクが取れている。時折、巴川を走るマスク姿の若者を見かける。介護系か医療系か厚生労働省系か。covid-19と言い習わされた感染症というものに対するリスクの捉え方のさまざまな姿があったわけだ。マスク、というのがわかりやすい目印でもあって。それぞれの考え方、立ち位置が白や赤や黒や緑やオレンジで彩られていた。みんな違うんだな、とね。同じように、電車やバスの中でも、最近の人たちはスマホと睨めっこで、なんてぼやきが聞こえてきた...マスクとスマホ
朝早くに彼がやってきて、ああだこうだの話。立ち位置としての死後の世界なんて話も、当然、出てきて。ブログアップが遅れてしまったのだけれど。昨日は久々に札幌の女史とのメッセンジャーでのやりとり、その流れで富士在住の御仁とも会話。これはこれで、また新たな出会いとも言えて。この世はご縁の連鎖でもあるな。そこから喜びをいただき、さらに増幅させる、ということだな。リクツはいろいろと考えられるのかも、だけど、そこに感情を、しかも、より温かな明るい感情をまぶし。というわけだ。さて、短いけれど、今日はこのあたりで。今朝は長男坊との珈琲タイム
死がタブーみたいな世情では今朝の表題は物騒な物言いとなるかも、だな。どうもこのところ、そんな気分でいるんだよね。俯瞰して外から眺めている、という状態。自分が口出ししては身もふたもないし、ということは、たぶん、あちらの世界へ移ったばかりの頃はそうかも。なんてね。眺めるしかない。眺めることを楽しむことができるかどうか。いずれ、やってきた世界へ帰ることになるのだろうから、その予行演習とでも言えるかな。昨日行った歯医者さんでも、娘が大学院出てきて、という前置きとともに、今日は彼女にやってもらう。というお父さん歯医者さんの弁。その立ち位置が表題みたいな感じでもあり、だな。静々と娘に従う姿が、微笑ましいような慣れないような、そんな具合だった。そうだ、東京在住の親戚からLINEに写真が届き、それが母親の若かりし頃のみた...事業承継は死後の世界みたい
いわんや悪人においておや。昨夜、たまたま手にしたのが「歎異抄」。親鸞だね。たまたま開いたページが第三章だったか、表題だ。善き人であろうという自力とすべて弥陀に任せ切る他力というやつについての、親鸞の思索、修行の結果だ。弥陀に任せ切って生き切ることだ、と言い捨てるとでも言おうか。朝からなんとも香ばしい話題だけど、どうも今回のこの言葉との邂逅はこれまでとは違って、そりゃそうだ。なんて感想が湧いたんだな。なぜかはわからないけれど。善人なをもて往生をとぐ
と書き始めて、どのくらいの方に通じるのか。なんてふと思った朝。いつだったか、彼が、そう、フォークシンガーにしてランナーの彼が、アメリカだったかで走ることを始めたその日。隣の友人だったのか、なぜ、そんなに歯を食いしばって走るの?と言われた。という逸話に出会ったんだな。競技としての走りというのが、あのフォークシンガーにしてもその残滓が残っていたわけだ。走るってのは、根性だぜ、的な。この話はおもしろいなと思いつつ、このところ、そんなことを意識しながらのわが走りなのです。もっとも、それぞれの想い、価値観、考え方、人生観、ま、いろいろな言い回しはあるけれど、それはそれで。って具合だな。当方にはこの逸話が響いた、というだけのことだ。何日かぶりの朝の定位置からのブログアップなのです。傍には、ブラジルセラードブルボン、コ...高石ともやが
今日は写真のみ。朝の走りの写真も。釜山空港にて。
晴れ晴れ、って朝だ。釜山。何回目になるのか、何年か前にホームステイをさせてもらったお宅も、今はどうなっているのか。ご夫婦はこちらにはもはやいないわけで。歳月というものは嫌も応もなく過ぎ去るんだな。なんて当たり前のことを宣ってもいるんだけど。爽やか晴れ晴れなので、巴川べりを歩く方々も明るい会話だ。というわけで、久々の飛行機に乗り釜山へ行ってきます。釜山への朝
昨日もふれた成長が早いという話。地の神様への道を通せんぼ状態で、これ、2年もしたらジャングル状態になるかもな、と。自然に見習うことはたくさんありそうだ。ほっとけば、見栄えはともかく、彼らの生態系を創り出し、紡ぎ出し、って具合だ。そんな大自然の一部たるわが方も知らぬが仏という間に、人間的に言えば、淘汰、整理整頓が進み、だな。人間関係にしても、こだわる御仁もいらっしゃるし、飄々となすがままに、なるがままに、という御仁も。おもしろいもんだ。人それぞれに誕生前に人生物語を決めてきた。なんていう言説もあり、そう、高校生チャネラーのまりなちゃん、という女史が明るく語っていたな。明日からは釜山だ。昔からお世話になっている御仁方との旅。任那へ行ってみたいな、という思いはありつつ、実現するかどうか、わかりません。白村江の戦...タラの木が道を塞いでいた。
というのが、今晩の顛末とあいなり、って具合だ。寂しいような嬉しいようなだな。昨夜も少し遅がけに一献やり、あれやこれやの話に花が咲いた。明日もどうやら一献、って感じでもあるから、ね。飲んでばかりいるじゃんか、ってなもんだけど、それも人生の、宇宙の流れ、と言っておきますか。というわけで、朝から雨だ。それにしても、この時期の草木の成長度合いったらありゃしない。早い。凄まじく早い。今朝の地の神様への手向どき、ほぼ1mは伸びたんじゃない、ってほどで。他にも、草がさらに青々としていて、これほどの天啓、僥倖といったらないくらいのものだ。心静かに眺めると、見えていたものが見えなくなり、見えてなかったものが見えてくる、なんてこともありか。今朝は後からの客人への珈琲のため、朝一珈琲はなし。ちょっと寂しくもあり、だけど、それま...大雨につき懇親会は中止
昨日に続きの、だな。くどいかも、ではありますが。これ、当たり前と言えば当たり前で、日常生活の中でもその通りのことが起こっているにすぎず。こと改めて、というわけでもない、とも言えるけれど。それにしても、こうした動きのあるフレーズというのはいいものだ。どうみても、西洋文明と呼ばれてきたものがピークアウトしていて、では、その変化の先は。ってことだな。ズブズブのニッポンすんごい運動かい?でもあるし。西洋との真の融合かい?なんてね。声の大きい側がよく聞こえてくるうちに、なんとなく、その声に引きずられていました、なんて話でもあるな。どのみち、この先は、人類であったり、人間存在のほんとの姿であったり、なんてところに焦点が定まり、かな。そのあたりから説き起こさないと、うだうだになっちゃう、ってなもんだろうな。そんな朝は、...変化の先へ
なんて表題に書くといかにも、って具合だけど。これ、おもしろくて。環境が変わるとそれぞれの人の中で、ある種の事件となる。事件は現場で起こっているんだ、という室井さんへの青島の言葉だな。現場はどこにあるのか、ってのも、話題の一つではあるけれど。この間の同友会の総会、パネルディスカッションのコーディネータを務めたの、だけど。その総会で発表された言葉が、どうも気に入っちゃって。それは、「変化の先へ」というものなんだけどね。とても動きのある言葉だな、と感心しているわけだ。先へ、というのね。と同じようなもので、事務所の風景が変わるとそこに自動的にエネルギーが発生し、なんだな。失恋したら髪を切る、とか、鬱々としたことがあったら通勤経路を変える、とかね。早い話が、ルーティンの変更、ってやつだ。いつの間にか、ルーティン化し...フリーアドレスの意味と意義
彼、毎日なのか、二日に一回なのか。とにかく、巴川べりを走っているわけだ。運動をすると、鬱やら認知症やらになりにくい、という本、お借りしていたんだった。来週には珈琲タイムにお招きして、だな。なんやかやとイベントが後から後からやってくる、いや、こちらから仕掛けているのでもあるんだけど。サンデー毎日にはならないな。とはいえ、季節とともに歩く人も多くなっている。正直なものだ。カラダを動かしたくなるんだろうね。人類史から見たら、今ほどカラダを動かさない時代はない、とも言えそうだし。食べることも、当たり前になっている、三食なのか一食なのかはともかく。高校だったか中学だったかの先生が話していた、発掘された頭蓋骨に残る飢餓線なんての、覚えてるな。必ず、人生に一度や二度は飢餓の世界を彷徨う、みたいな話ね。もっとも、人類は6...今朝も一人ランナーが
が、巴川べりを走っていく。そうだ、そうだ、それでいいんだ、みたいな掛け声を心の中で呟く。初心者もベテランも、って感じだったな。昨日のことだ。今朝は三人さんだ。なんとも平和な光景だ。事務所内は、フリーアドレスの机の並び。この件についての感想は、またの機会に、ということにしておくか。なんにしても、やってみないとわからないことだらけ。やってみる、結果を検証し、変えるところは変え、とPDCAってことになるな。すべての物事が。それについてのフットワークの軽快さがあれば、ほとんどのことは明るい未来を描いてくれもし。あれが悪いこれがいけない、という具合に感情に流されたままだと、そりゃまた、めんどくさい話になる。わがベランダレストランでは、猫の襲来にもめげずに、小鳥たちがやってくる。ちょっと、数は減ったような気もするけれ...朝早くに四人のランナー
このところ、夜は外食が続き。だな。コロナのおかげさまで自宅での夕食が増えていたのだけれど、だ。あの美味しい食べ物、あの美味しいお酒、みたいなことになりつつあり。どうもね。消費社会、なんて言葉が気にもなるわけだ。とかきはじめると、親父の繰り言みたいになっちゃいそうだけど。自分の中で、今までの価値観ってのを、点検しつつあるんだよね。でないと、今、まわりで起こっていることがよくわからないんだな。まわり、といっても、ネット上が多いのかも、だけど。にしても、いろんな方との会話の中に見え隠れするもの、ってので、確認も取れたりするからね。昨日も、某銀行さんの方がいらっしゃり、株が38000円、いきそうですね、みたいな会話から始まり。なんとかかんとか、って話題ね。でもさ、こういう見方もあるよね、と持ちかけ。ドルがいつ崩壊...表題が出てこない朝
なかなか、柔らかくて、厳島神社のいかめしい名前の真逆かもな。秋の宮島、っていうか。船に乗って、あの平家の島へ渡ったな。これまた、同友会の全国大会の後だったか。この珈琲、富士宮の若手経営者にいただいたんだ。わが社で二回、僕の淹れた珈琲へのお返し、ってなもんだな。律儀に約束を果たす、ってのは、見上げたもんだ。という具合に、ご縁がご縁を生み、って次第で。袖すり合うも他生の縁、ということになると、途方もない数のご縁をいただき、差し上げ、ってなことだね。多逢聖因(たほうしょういん)なんて言葉、安岡正篤さんの本で教わったな。縁が縁をよんで何事かが生まれる、ってなことだな。この宮島といえば、どうしても思い出すのが、わが友人、森町出身の。彼のご先祖さま、厳島神社の宮司さんだったそうで、平家だよな。落ち延びて森町の深山で生...今朝はいただいた宮島珈琲のブレンド
梅雨の合間に青空がのぞく、みたいな表現かね。いきなりだけど、どこかで、時間泥棒、なんて言葉と遭遇した。ミヒャエル・エンデだっけ、「モモ」に出てくる言葉かな。本棚に鎮座ましましているんだけど、まだ、ほんの数ページをめくったのみだ。ずっと以前に読んだような、あるいは、漫画かなにかだったか。この、時間、というのは、なかなかやっかいなものだよね。難しいというか、日常の認識・認知みたいなところから、隔絶し、ってのが必要になりそうな。たぶん、そこを超えないと、宇宙へは行けないだろうな。マヤだったかアステカだったか、いずれあの辺りの先住民族のシャーマンが。どこの星だったか、えらい遠い星からやってきた、と。どうやってきたんですか、の問いに、こうやって、と空間を折りたたんで、というわけだ。それを、非科学的な、無知蒙昧な部族...雨予報が青空だ
この前に、酒に酔えば新しき世を言い合えど、というのが、昭和11年の近藤芳美の歌。どうもね、あの頃から離れないんだな、226前後の頃、当方の意識も。昨日も、パラパラと「B面昭和史」と過ごした。後世に、大事件と記されることとリアルタイムで起きていたこととの乖離とでも言おうか。今も変わらないからね。当たり前と言えば当たり前なのかもな。それほどに、言葉で記録されたものというのは、一面しか捉えられず、なんだけど。日々の生活、仕事の中での出来事でも、言葉を紡ぎ、脳内、体内へ埋め込み、なんてこと。あるある、だからね。この世界の不思議さ、ってなもんだ。昨日は雨ゆえに走らずで、久々の河岸の市へ、だったな。うまそうな本鮪のかまがあったな、小アジもあったな、とか手に入れられなかったものが浮かぶ。ところで、昨日からの七十二候、第...白々しさははや意識せり
お正月の箱根駅伝は第14回、日大が二年連続優勝、2月25日の沢村栄治は敗戦投手、読売巨人軍VS金鯱名古屋軍。その翌朝の出来事。それが、昭和11年の、いわゆる2.26事件。青年将校が決起して、いわゆるクーデターだよね。そんな時間の流れだったらしく、そりゃ、いつの世も変わらないんだろうね、と。その後、一気に戦争へ、南方北方への流れが急加速し、沢村栄治もどこだっけ、戦死しちゃったんんだよな。なんて、「B面昭和史」を読みながら、感慨に耽っていたわけだ。たしか、柳家小さんもクーデター側で現地にいたらしいね。もちろん、確たる思想のもとに、というのでなく、召集されていた軍隊の命令のままに、ってわけだな。その頃、古今亭志ん生は、ほぼほぼ、人生初めての靴を履いて戦争鼓舞の行進、つまり、歩いたそうで。途中で、靴は痛いから、と...民草は箱根駅伝の後、沢村栄治に興じている
と思いきや、二週間前に15km近く走っていた。アナログのノートに記録してあるんだよね。iPhoneのアプリから転機するのが、これまた、もう一つの楽しみでもあり。その下に、覚書を少々書き込み、という作業ね。例えば、今日のメモは、オリンピックモードの克服、なんてのがかかれている。いかにも大仰な、だけど、このところ、一つの関心事項なんだ。ギリシア由来の競い合い、しかし、参加することに意義がある、なんてサブタイトルもある。戦場の勇者を早く遠くまで走る、なんて幻想が2000年以上続き、ということだけど、その実。どうなんだろうね。戦は、どう見ても統治側の話であるからね。とはいえ、それに多大なる影響を受ける人生を送らざるを得ない側もあり、か。ま、そんな朝はケニア、キアマバラの珈琲。今日は、間質性肺炎の御仁をCS60の施...久々の10kmか
昨日のお昼は会社のご近所から少し離れたトンカツ屋さんにて。50年は営業しているという御仁との会話。昔の清水はすごかったからね、というわけだ。どのくらいの昔から栄えたんだろう。次郎長の頃からか、それとも、武田信玄がやってきた頃からか。地元に住みながらも、歴史知らず、ってところだな。これもちょっとググれば、あるいは、chatgptに尋ねれば、たちどころにわかる、ってシロモノだろうな。雨が激しくなってきた。巴川の水嵩も増え、スピーカからの広報静岡の声が思い出される。このところ、といっても、どのくらい前からなのか。何年?このかた、災害放送が多くなっているような気がする。あくまでも、気がする、ってだけだけど。それに加えてネットでの応酬みたいなものも加わり、だな。それをもって、情報が溢れかえり、ともくくれるし、ありが...昭和14年生まれだよ
たぶん、今朝の表題は正確ではないのだろうけど、夕べ。プチ漢方の講習会に早変わりしたお宝発見の委員会。むつごろうさんの語り口がまた、現在横溢している世情とは別次元で。とてもよかったのでしたが、そこでの一コマ。入れる医学と出す医術、なんて括ったら乱暴すぎて医学を志してきた方々の顰蹙ものかも、だけど。表題のことなんだけど、もともと涙腺が弱い、とか、涙脆いとか、そんなわが身を肝臓の観点から眺めると。ってわけだ。モノごとにはそれぞれ、訳があるんだよね、知らないうちの。僕の友人知人関係で、若い頃からお酒の呑みで、肝臓をやられた、なんての、何人かいたんだよね。もちろん、とうの昔に、こちら側の住人ではないのだけれど。そんなことが思い出される、涙は肝臓からの、ある意味贈り物とも言えるな。お宝といえば、またぞろのレナード・コ...涙は肝臓のデトックス
この二日の通夜、葬儀を経ての感想だな。エネルギー充満し、それを周囲へ撒き散らす、というのではなく、という感じ。ただ、坦々とある、ということ。そこだろうな、という直感です。そもそも、もともと、エネルギーというのは、自分の意思と関係なくそこここに存在し。それへのアクセスを遮断するか、それとも、まんま受け止め、受け入れ、ありのままにあるのか。くらいの話なのかもな。頭過重になることさえ注意していれば、なるようになる、会津の「ならぬものはなりませぬ」とは。少し違っているかな、ってくらい。ひょっとしたら、あれも、倫理道徳的にではなく、もともとは、あるがままの世界を言っただけだったのかも。今朝もカワラヒワがやってきていて、すっかり馴染んでいるな。スズメとハトの世界に。どんな出来事が、彼らの中で起こっているのか、なんて興...静かであること
お世話になっていたんだろうし、いるんだろうな。というのが、夕べの通夜行だった。商売始めた頃から、いや、前の会社からのお付き合いか。その方が、76歳の生涯を閉じた。壇上の遺影がいい写真で、まんま、だったのを眺めながらも通夜行の席では珍しく目頭にきた。40年か。合掌しても、ありがとうございました、としか言えなかったな。今日も葬儀に参列させていただく。なんてかいているところへ、長男坊から、今期、いや、前期か、の売上数字云々のLINEが入ってきた。若手二人の役員で数値計算をしてもらっているんだけど、なんとも言えない瞬間でもあった。集団がキュッとしまったとでも言えるか。あるいは、次世代へ繋ぐ端緒、か。いずれにしても、もっともっと面白く楽しく素直な時を迎えていくか、というエネルギーが起こってきた。このところ、来月早々...たぶん自分で気がつかないくらい多くの方に
エチオピアから届けられた。イルガチェフコンガと名付けられている。世界的には景気減衰傾向で、諸々のモノが下落。なんて話、昨日は、藤原直哉さんで聞いていた。彼、金融などのデータ読み得意のようだから、安心感があるんだよね、聞いていて。ゾッコン惚れ込んじゃってる、ってわけだけど、それはそれでやばいよ、って風情でもあるか。いずれにしても、無数の事件の中からの分析、解釈が、ちょっと飛び抜けてるかな、と。大本教の信者だ、と公言しているところもいいんだよね。大本といえば綾部だ。出口王仁三郎の弟子、養子か、の出口日出麿の弟子という宮司さんと一時期、禊の旅をしていたことがあって。鹿島神宮とか香取神宮、白糸の滝、富士山の裾野、三保の海、とかね。大本教については大した知識もないんだけど、その頃。歴史を少し調べたことがあって、戦前...ひさびさのモカ
イチゴのジャム、作ったんだけど、煮込み方、足りなかったかな。は、ともかく、そのために、いつもの八百屋さん、いや、これは。バローという岐阜からやってきたスーパーだったかな、レモンを買っておいたんだ。それが、表題のようなもので。エルドアンが再選された頃に買ったんだったかな。あの辺りの歴史、詳しくないけれど、オスマン帝国の末裔だ。そんなことを思わされた瞬間が、スーパーの棚にあった一個のレモンだったんだよね。西欧文明とそれ以外、まるで、化外の民という具合の区分けが長く続いたけれど、それもぼちぼち終了。みたいな時代転換の中での、トルコからのレモンだ、なんていかにも大仰だけど。ところで、わがMacの文字変換、というのか、けがい、と打ち込んだ時の変換リスト。化外、が出てこないんだよね。どこの国の人間が作ってんだ、ってな...トルコからのレモンを買ったんだった。
の朝。ひとまず、よかった。昨日の昼間の様相、その後にもう一度ピークを迎える雨、という予報にひょっとしたらわが社の三階も必要か。なんてことを思い立ち、自治会長さんにシャッターの鍵の確認。と、前任者からの引き継ぎがなかったようで、結果、会長さんにお渡しした次第。なんて事のあった夕暮れ時だった。こちら、朝の巴川は穏やかで、ランナーが走り抜けてもいった。傘をさしての散歩の姿もほんの少し、という感じ。今日は、ついこの間、ご近所の八百屋さんで買ったイチゴをジャムにしようかな、とかね。そら豆とマグロの油漬けのサラダ、も。なんてことを画策しているんだけどね。まだ雨が続くという予報の中、静かな朝だな。巴川は氾濫せず
ボブ・ディラン。で、わがブログを検索してみたら、結構、かいてるな。ふとね、そういえば、このパンデミック初期に、彼、この歌、リリースしたんだった、と。JFK暗殺のころのアメリカを歌っていたわけで。つい最近、JFKの甥っ子になるのか、民主党から大統領選に出ますよ、とね。続いて、JFK暗殺の暗部、闇の部分を語り出したりしてるし。もちろん、公文書を披瀝、って感じだからね。「人類は月に行ってない」論を捲し立てていたのは、エキセントリックな思想家、副島隆彦。だけど、そんな秘密も開示したりし始めているし。自由の国、アメリカ。ほんとに、自由だったんだよね、ある意味。なんでもあり、って具合に。今朝は、雨だ。これから大雨になるという話もあり、の巴川を眺めながらのブログアップ。このところ常連さんになりつつあるベランダレストラン...murdermostfoul、を久々に聴いた。
新参者だけど、物おじしないところがいいね。スズメの群れに混じっても動じず、だ。今朝の珈琲は、ケニアから届けられたキアマバラ。甘い、という言葉がやってきた。玄米食にしてからどのくらいになるのか、一回の咀嚼が100回くらいか、そんなでもないか。いずれにしても、咀嚼回数は劇的に増えているわけで、つまり、食材が口の中にいる時間が長くなった。ので、たぶん、わが口腔内の感覚も知らぬ間に鍛えられるのか。なんとなく、微細な味の違いを感得しているような気もする。そのところを楽しんでいる、ということなんだけどね。食べる時は食べるだけ、って感じなんだろうな。知らぬ間に、ね。ながら族からの卒業か。と言いつつ、動画見ながらのネットサーフィン、なんてのは、やまないけれど。月が革ったので来月になるけれど、大学の時の友人が、ご当地、清水...今朝もカワラヒワ
なんてカタカナ語、あったな。という表題からの始まりですが。今朝のわがレストランには、スズメと同じくらいの、体に黄色が少し混じった鳥がやってきていた。外を見やったら塀の上にいるな。なんていう名前なのか、と今調べたら、カワラヒワというのかな。便利なものだ。すべてがわかってしまう、わかるのが当たり前の世界。なんて錯覚しちゃうのも宜なるかな、ということになるね。わかる、は、わかつ、に通じ、ってのは、安岡正篤さんがどこかで書いていたな。わける、というのが、そのものと隔つ、ということで、わかった事にならない。という何ともへんてこりんな展開になっちゃったけれど。カワラヒワは一羽で、群れているスズメたちに混じって餌を啄んでいる。見上げた根性でもあるな。そうだ、昨日は、パワポの教科書を買っちゃいました、だな。ちょっと勉強し...雨だす。
生きることにおいて、という意味ではなく、ブログをかくのが、と注釈付きですが。なんだろうな。というのも、宇宙人と言われてしまうのだろう人、とも違うようだけど、そんな会話が。妙に心に残りつつ、なんだよね。アシュタル・シェランと名付けられた存在。「ニシキトベの復活」をかかれたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿がお気に入りで。この間、熊野から来清された三石さんもご存知だったな。どうもね、認識の仕方そのものの変容、変換、転換みたいな具合だ。認識だから、人間関係なんかにも通じ、だな。そんな今日は、財務省の出先機関の方々との懇話会。楽しみでもあって、ね。どないなりますやら、ってなもんだ。そうだ、昨日は、母親のところへ行ってきたんだった。久々の面会。なかなか、僕ということは理解できなかったようだけど、そ...今朝は気が乗らないな。
ということで、本の帯のような投稿にしようかな。一筆書きともいうか。八ヶ岳は気持ちがよかった。久々だ。八ヶ岳倶楽部は今頃どうなってるかな、なんてふと、亡くなった柳生さんのことも思い出され。山の師匠に連れて行ってもらった11月の零下10度の時の昼食、自分史上最高に美味しかったカップヌードル。なんてのも。過去も未来も一緒に、今この時に存在する、というデンで、そのうちに八ヶ岳ツアーもありそうだ。単に、山を登る、ということではないツアーだけど。そういうわけで昨日は、走らなかったんだな。週末の、しかも、雨でない日に走らないというのは、相当の覚悟がある。なんてかくといかにも、だな。そうだ、この間、三石さんにいただいた本、「熊野から読み解く記紀神話」というの。その中に中上紀さんという中上健次の娘さんの文章があり、ふと、親...ヘヴィーな話はやっぱりかけないな。
エネルギーワーク。E=MC2乗の御仁を引き連れての、久々の訪問とあいなる。中部縦貫道開通で、近くなったな。1時間半か。虹の郷ができる頃の修善寺もそのくらいかかったな。とにかくそういうわけで、行ってきます。今日は八ヶ岳へ
すごいものだね。振り返ればあっという間でもあり。今朝は三保の松林の入り口くらいまで走り、海岸沿いの遊歩道も少しばかり。なんだけど、あの頃、6700日前ね、そんな自分を想像したことがあったかな。まったくないな。まさかね、この歳になって走ってるなんて、まさに、まさかの坂ってわけだ。とはいえ、それが楽しいのでやっているわけで、今日で345回目だ。今朝の出だしは、走り始めた頃に、ちょっと、チャレンジで海を見てこよう、なんて掛け声で。初めて走った道を選び、今度はもう少し大きな海を見ようか、なんて具合の松林ってことだな。とにかくそういうわけで、走ってきたのであります。そしてルーティンの珈琲。これもまた、まさか、だな。6700日前の自分に教えてあげたいくらいで。おい、おまえ、って感じでね。あるいは、きみ、か。6700日...ブログ開設6700日だそうだ。