chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • モカ イルガチェフェ

    今朝はそういうわけで、モカです。こんなところから届けられた豆だ。香ばしい名前の国が並んでいるな。yirgachefeという地名を日本語では、イルガチェフェと読むわけだ。戦火や飢饉を通り抜けてのモカだ。ヨーロッパの国々が侵略?進出?しなけりゃ、わが方に届けられなかった、知られなかった珈琲豆というわけだ。フェアトレードとか言いながらも、複雑な思いもするな。なんて書くと、なにをナイーブなこと言ってるの、とツッコミ入りそうだけどね。連休の合間の火曜日。ここを有給にすると10連休くらいになっちゃうね。どこかのSNSで、日本、休みすぎじゃない?なんて話、出ていたな。おいおい、働き方改革で休め休めの大合唱なんじゃないの、ってなもんだけど。植民地や移民依存の経済とは違うんだけどね、と。勤勉実直な、がウタイの列島なんだけど...モカイルガチェフェ

  • 今日は昭和の日

    昭和のおじさんからしたらなんともかんともの日だ。その昔、明治は遠くなりにけり、なんて言葉が頻繁に飛び交っていたけれど。今となれば、その代わり、が本日、4月29日というわけだな。亡くなった叔父の誕生日で、よく半分しゃれのめしての会話があったな。天皇陛下と同じ誕生日だ、ということでね。そんな叔父の代わりにいとこを仲間に入れのおじおば会二代目を画策しているんだけど。そんな流れで、この間はおじおば会の後、おばと妹と妻とで食事会をした。ま、飲み会。おばは飲めないから、食事会、とも言える。その時に、亡き母親とか入院中のおばの話にもなり、この世に存在していることとかあの世に移った後は。とかのね。思い出を語ることで、いまだにそこに存在してもいるわけで、と。ところで、そのおじおば会で久しぶりに訪ねた奈良田温泉。白根館のお湯...今日は昭和の日

  • 久々の奈良田温泉

    復活なったおじおば会。妹が参加するようになってから初めての西山温泉経由の奈良田温泉。奈良時代に孝謙天皇が行幸、ここは奈良だ、といって地名がついたらしい。そんな温泉といっても、そこへ入るわけではなく、だけどね。途中、リニアの工事用の事務所があったり、新しい施設ができていたりと時間の流れを感じつつ。その前に、下部の木喰上人の博物館へ行った。こちらも久しぶり、妹は初めてで。彼女にしたら初物づくし、ってわけだ。手元に資料がないので、そのうちに詳しくご紹介できる予定ですが。今朝は、街の中の旅ラン的な走りをしてきた。ゆっくりと、が合言葉で、10キロ近くだった。車では走られない、走れない道があるとそこを選択し、というような走り。なんといっても季節がいいね。世迷いごとが漂い流れる気配濃厚な世の中で、季節を満喫できる幸せを...久々の奈良田温泉

  • 復活おじおば会

    ということで、今日は妹が帰ってくる。明日のおじおば会のために、なんだけど。と書いてきて、ぼんやり巴川を眺めていたらカワラヒワがピューッと翔んできた。月間3000キロのランナーもゆっくりと走りすぎていった。膝だったかどこだったか、の怪我も癒えたようだ。しばらくすると、川向こうに180spmの女史もやってくるのか。このところ、新顔ランナーがちらほらだ。わが朝の風景の登場人物となっている。ベランダには朝顔が一輪、青というのか紫というのか、そんな花弁を開いている。まったく可も不可もない朝のひと時だ。今朝は、骨ストレッチも珈琲もやめてみた。けれど、ブログは書いているわけだ。しかし、書きたいことを書かないというのはちょっとしたストレスでもあるな。さて、そんな本日という一日に出かけるとするか。復活おじおば会

  • 小さな秋ならぬ春を見つけた

    なんて気分があるぜ、ってことが浮かんだ朝。大きな世界を語ることがいかにも人間の追い求めることで、みたいなことからの脱出だな。だれの歌か知らないけれど、小さな秋見つけた、って言葉遣いがいいな、というわけだ。昨夜の通夜で棺に眠る御仁を眺めながら、でもあるのかも、だ。ベランダにカワラヒワがやってきていた。少し黄色が入ったカラダが目を惹くんだよね。今日は旧暦で3月17日だそうで、もっとも、季節感は子供の頃からの新暦で慣れているのだけれど。言葉、季語とかが旧暦でできているからね。カラスが鳴いている。それこそ山へ帰ると鳴いているのか。なんて朝、霜止みて苗出ずるの日に出かけます。小さな秋ならぬ春を見つけた

  • 春雨じゃ

    濡れて行こう、だっけ。そんな言葉が残っているのは、たぶん、どこかのドラマの中からの、だろうな。テレビ隆盛を極めていた頃か。それとも、映画か、または前世代の芝居小屋かなんかからの剽窃だったのか。電車の中でよく言われる、最近はみんなスマホを眺めている、なんての。たしかに、当方もX見たり動画を見たり、だから人様のことは言えない体たらくだけど。それ見てて思ったのは、それぞれがそれぞれの世界に入っているんだよね、きっと、と。人の数だけの世界があることをまざまざと見せつけられているわけだ。当たり前と言えば当たり前なのだけれど、そんなことも気が付かずに、ということでもあったのかも。なんて朝、夕方には、高校の後輩のお通夜だ。僕の親しい友達がテニス部でそこの後輩でもあり、よく呑みもした。そんな御仁が今頃黄泉路の入り口あたり...春雨じゃ

  • ハルジオンというのだけれど

    地の神さまへのお参りの後、足元に見つけた。いつものアプリでは、表題のような回答ですが。そのものの名前をつけることで安心する、ってのが、こちら側に起こっていることではあるけれど。あちら側の世界では、どうなっているのかな。名付けるということ、定着、固着させることってのがね。野に咲く花のように、人間界でもこれからの季節、色づいてくるのかどうなのか。着るものからしても。ところで、どうやらこのところ、なんらかの変化が起こりつつあるような、そんな予感もしていて。今までと同じようにことごとが進んでいくわけではなく、ちょっとした齟齬や大きく思えるズレやら。そんなことを感じている今日この頃であります。表題のハルジオン、思い返せば母や叔母などの会話の中に出てきていたかも、だな。キク科だけど春に咲きます、とpicturethi...ハルジオンというのだけれど

  • キキョウカタバミ

    今朝もまた身近なお花をアップします。昨日アップしたサツキの下にこんな具合に咲いていた。厳密に言えば、咲くのはこれから、ってところだけど。ネット情報からしばしの平穏を保つためにの営為って事だな。今朝の走りも、江尻埠頭から清水港という今までとは違うコースを選択。これも、新たな場面を作り出そうという魂胆だ。日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、の実践編ってところだ。慣れ親しんだことごとへの、感謝はしつつの次なる展開。新たな、新しい、という文字、左側は、木の上に立って遠くを見る、という象形文字とでも言えるか。しかし、その右側にあるのは、斧。切られて痛い、厳しい、というような意味だと白川静さんは書いている。そういうわけです。だからと言っていつもの習慣を変えることが悪いというわけでもなく、新たな選択をするときにはた...キキョウカタバミ

  • 5月が近づいているわけだ。

    毎朝、このサツキと出会う。車の脇腹で意識しながらのお出かけとなるんだよね。その下の小さな花はなんていうのか。picturethisのアプリに聞いてみる事にするか。便利なものだね。なんだけど、それがどう出るか、ってのも多少は気にしておくのも一手かも。慣れちゃうとね、物事には答えがある、ってことに。それはそれでやばい話でもあり、だ。ところで今朝は、久しぶりに久能海岸を眺めながらの走り。iPhoneを持ってなかったので写真には収められず、だった。ところで、山笑う、は季語だったよね、たしか。穀雨・初候の添え書きに書かれていて。この季語は好きなんだよね。そうだ、笑っちゃえばいいんだから、ほとんどのことが。だから、わが人間も自然に見習い、ってなもんだ。5月が近づいているわけだ。

  • 紫蘭というらしい

    出がけが明るくなって、と昨日も書いたけど、お花の色目が目につくんだな。なので、iPhoneのシャッターを押したくなっちゃうわけだ。そしてpicturethisというアプリにお伺いを立てる。別名は紅蘭とも、なんて書いてある。こんなことしながらの思惑は、もちろん、思惑なんてなくて単に感動、心を動かされるままに。ではあるんだけど、ネット界隈からやってくる情報と呼ばれる、ニュースと呼ばれる、そんな世界からの。しばしの解放を味わう、とでも表現しておくか。それぞれの空気感の違い、世界の見方のズレなどなどに拘泥せず、の境地でいたいんだな、きっと。という朝は、珈琲をお休みしました。ルーティンを少し変えてみる朝、なんて具合だな。紫蘭というらしい

  • 今朝は鮮やかな黄色から

    庭に咲いていたたんぽぽ。出口の角にはツツジも咲いている。風景が色づき始める季節だ。毎朝の地の神様への道は緑が覆い始め、かろうじて僕の歩くところだけが地面の色を少しだけ残している。繋いで来てくださったすべての命の皆さまへ感謝を捧げ、という朝なんだよね。そんな気になって、その文言を付け加え始めた。すべてのもの・ことを単純に簡単にしていきたいのだけど、付加しちゃうんだな。骨ストレッチにも股関節、足首まわし、NOBU体操、腎まわし、なんてのが加わり、だ。これ、エゴ丸出しとも言えるな。あれがいいこれがいい、と頭だけで考えてやってみるわけだ。おいおい、カラダの方はどうなんだい、ってなもんだ。そんなこんなの中のたんぽぽの鮮やかな黄です。今朝は鮮やかな黄色から

  • 果たして知るということはいいことなのか

    だな。知らぬが花、なんて言葉もあるよね。そうだったんだ、人類の歴史ってのは、ということを知らぬ間にお花畑だけでもいいのかも。なんて話だ。お花畑といえば、父親が入院している病棟が、あちらへ行きかけた方々が多かったらしく。そこの婦長さんがあんたまだ早いよ、と言われて帰ってきた話の数々を話してくれた。ということを人伝てに聞いたんだったか。そんなことがあったな。そこはお花畑で、と。今佳境にあるのかまだまだ続くぬかるみぞ、なのかはともかくの中東では。砂漠なんだ、なんて話もあるよね。臨死体験というんだったか。東南アジアというのかポリネシアというのか、あのあたりでは、海なのかもな。とふと思い立った。というのも、海の向こうへ、みたいな話、あるでしょ、丸木舟でやってきたわが列島でも。そこから母がやってきた故郷みたいなね。臨...果たして知るということはいいことなのか

  • 二日間のご無沙汰でした。

    って、その昔、玉置ひろしさんが毎週日曜日に言っていた言葉をパクってみた表題。あれは、一週間のご無沙汰でした、だったな。素人のど自慢とかいうNHKの番組。まだまだNHKが信じられていた、というか、信仰に近いくらいの情報発信の頃かな。もちろん今でもそんな信仰は流布しているけれど。虹始めて見る、の第15候が昨日から。清明の末候とある。清明なんての、あるんだね、初めて知ったな。もうこの七十二候は3年目になるのに。わがベランダ菜園に社員さんが手を入れてくれる準備が進み、果たしてどうなりますやら、って感じです。ヒヨドリたちもみかんには飽きて次なる餌場へ、という季節でもあるし。今朝はスズメだけがやってきている。さて、虹を見に出かけるとするか。二日間のご無沙汰でした。

  • 基調講演なんだって。

    今晩、富士宮での総会の中での30分間。初めての体験です。なんとも語呂が硬いというのか、、格式ばってるというのか。とか、言えないけどね。ま、そんなわけで、この歳になっての初めてのお使い状態ってわけだ。外では、カワラヒワが、ヒヨドリが、スズメが、ハトが、状態だ。どうもね、スズメに似ていてスズメじゃない小鳥も混じっていそうな気がするんだよね。カワラヒワ以外にも。それを見つけるのが楽しみの一つになりつつあるな。なにせ、こちら、中西悟堂さんを目指しているんだから。かの御仁、街を歩いていると、肩とかに自然と小鳥たちがやってきた、なんて逸話が残っているんだよね。日本野鳥の会の初代会長さん、という方ね。となると、平和の象徴だ。世界から争いはなくなる、ってなもんだけど。かたや、ご当地日本列島では、岸田2.0首相なのかどうか...基調講演なんだって。

  • 自己肯定感とか承認欲求とか。

    もともと、表題のような言葉は医学用語なのかね。昔は精神病といったか、今では、なんていうのか。ずっと以前、そんな病院の補習の仕事をしたことがあったな。庇の上に乗っていたら、おい、兄さん、久しぶりだな。なんてどこかの、それこと、あにさんから声をかけられたっけ。さしずめ、シャブ中のどこぞの組の人か。もちろん、こちらは知らぬ存ぜぬの方だった。とか、中へ入ると、鍵をかけられた部屋には、ボーッと何も考えていないという風情の集団が歩いていたり。なんだか、別世界のような。後年、そこの院長先生と飲む機会があったんだけど、その先生、カウンセリングでもしすぎたのか。僕らと思考方法が違っているような、罹患しちゃっているんじゃない、なんて感想だったな。医師会の中でも序列があって、精神科が一番上、なんて話もその頃聞いたな。今朝もカワ...自己肯定感とか承認欲求とか。

  • 出てましたね。

    日本平マラソン。と来たのが早朝のご挨拶。年間3000キロのランナー、今は怪我のためにウォーカー。その御仁からの、で、いや、静岡マラソンのファンラン、とね。私も出てたんですが、現地でお見かけしました。なんて会話があったのでした。名前も知らない方、エライ方なのかもアホな方なのかも、知りません。という朝は、当方のみかんも底をつき、だったんだけど、ベランダのみかんは半分くらい残り、かな。季節とともに彼らの食が変わっていくのか。そこここに花開く季節だから、それに応じた大自然の変化変容が起こっているわけだ。何も人間が認識する世界が大変化、激変ですね、ということだけではないんだよな。自宅ではネズミ騒動記真っ盛り、って具合で。天井裏の運動会やお勝手に顔を出し、なので、ネズミ捕りをご近所の金物屋さんにて買い求め。と、その中...出てましたね。

  • 希望の未来をどう描くか

    昨日も使った言葉遣いだけど。この週末の挨拶のテーマはこれにしよう、と思った次第。大きいね、言ってることが。でも、おいおい、そんなことが、みたいなこと、言われるくらいでちょうどいい。なんて歌、なかったっけ。いいか、男は、生意気ぐらいがちょうどいい、だったかな。もうあちらに旅立って久しい河島英五だ。今朝もまたカワラヒワがやってきていて、遠慮がちな仕草が少しづつ板についてきた風情が可愛いんだ。増水しつつある巴川を後景にした絵柄だ。このところ、藤原直哉さんの動画が飛ばしていて、おもしろいんだけど。ずっと続いてきた「軍事作戦」というものが、ほぼほぼ、終了に近づいている。ということなんだけどね。バチカン、ロンドンのシティ、ワシントンのDCなどなどの中枢が整理整頓され、とね。前から言われていた、日本が最後だ、という具合...希望の未来をどう描くか

  • 原稿書き

    この週末に富士宮での総会にお呼ばれしていて、そこで30分、話してくれ。ということで、柄にもなく原稿書きに励んでいるのであります。原稿書いて喋るの、嫌いだったんだけど、書いといた方が喋りやすいかも、ということで。そうしている次第で。偉くなるものだね。ところで、今朝もカワラヒワがやってきていた。どことなく、居心地が悪そうな、そんな気配を振り撒きつつの、だな。昨日は庭のタラの芽を天ぷらでいただき。そう、小麦も少しなら解禁したのですが。身土不二の実践版だ。前にも書いたかも、だけど、ダーチャといったか。ロシアの自作農園を持つ文化。食を自分で育てる、というのね。あんた、そんなことしてたじゃ、ご飯食べてけないよ。と何歳の頃だったか、母親に言われたことがある。その前に、勉強しなきゃ、とか、働かなきゃ、とかの文言がついてい...原稿書き

  • 見知らぬ小鳥がやってきている朝。

    スズメくらいの大きさでちょっと違うんだよね。あとで検索してみるか。と待ちきれずに今、検索してみたら、カワラヒワかな。と書いてみて、去年もそんなこと、気になっていなかったかな、とちょっと思い出している。今朝はブログ書きの前に走ってきた。焼津ではマラソン大会が港祭りの中、開催されている朝だ。彼の地でのハーフマラソンへ参加したのは何年前になるのか。某後輩になる友人とともにの参加だったから、彼が結婚するという頃なので、20年は前か。いや、30年か。途方もない話だな。20代の頃は、30歳の自分がまったく想像できず、だったんだから。歳月というものは、季節のめぐりのように、だ。そんな彼とかずおちゃんの通夜に同席した。故人ととても親しくしていたので、憔悴の彼だったな。古稀での旅立ちだったのだから、それこそめでたいという言...見知らぬ小鳥がやってきている朝。

  • みかん、少食になった

    ということで、昨日に引き続きのみかんネタになっちゃったな。一方、これは我が庭に咲いている梅かね。桜が咲いた、と言っているのに、梅でいいのか。なんて感じでもあるけれど、いつもの言葉だけど、季節は巡るわけだ。人の世も巡り、だ。ネット社会というのは良し悪しで、嘘もまことも瞬時に駆け巡り。って、まこと、ってのは、少ない、というか、各自の印象にまかせ、みたいな具合でもあるか。江戸時代の民が、このPCの前に座ったら、そりゃもう、鬱になったり、狂気の世界に入ったり、だろうな。事実というものが、人それぞれの事実であった、なんてことね。歴史にしても、古来の賢人偉人、聖人もだ。朝から、しかも梅の花を愛でようとしていた朝に、ふさわしからぬ話題にいっちゃいそうだ。そんなことはともかくとして、梅をご覧くださいませ。みかん、少食になった

  • みかんはいらんかね?

    って季節到来なのかもな。というのが、わがベランダの風情で。ヒヨドリとメジロ、たまにイソヒヨドリが押しかけてのミカン争奪戦はそろそろ終了かも。という景色になりつつある。季節は巡るんだよね。すべてが巡り、一つとしてじっとしているものはない世界だ。そこへ、わが人間脳が介在し、静物画みたいにその瞬間をいかにも定着させて、なんて具合。だけど、その実、その絵すら動いている。単に認識できないので存在しません、ってわけだ。この何十年なのか、目に見えるものだけ、手に触れるものだけが存在し、なんて妄想が広がり。あたかもそれが宇宙開闢以来の真実であるかのように、そう言わないものは零落の運命を負わされ。なんて書くといかにも大袈裟かもだけど。明治の時に、多くの修行者、ま、山伏みたいな方々や加持祈祷の口伝、相伝の方々が隅に追いやられ...みかんはいらんかね?

  • 佐久米駅のカモメ

    この間の合同入社式の会場でプチ写真展が壁際にあって。そこでのこんな写真。無断拝借しちゃったから怒られるかも、だけどね。コロナ前のおじおば会で何回か行ったこと、思い出して。これをおばと妹に送ってあげようか、とね。ついでにこの写真展、寄せ書きというのか、そこに誰も名前書いてなかったので、書いといたよ。賑やかしにね。今朝はこれだけでいいかも、だな。そう、今日は、かずおちゃんのお通夜だ。佐久米駅のカモメ

  • 日常を外れた時間もまたよし!

    ってなもんだ。昨日と一昨日の二日間。合同入社式と若手社員研修。今日は自社での入社式。式、式だな。この時代、と書こうと思ったけれど、どの時代も社会へ入っていくには新規なことだという集団がいるわけだ。社会ね。集団、共同体、世界、日本、いろいろと言い方は違うけれど、家族から旅立っていくんだよね。そのうちに慣れ親しんで先輩と呼ばれるようになり、さらには長老なんて具合だ。時は流れていく。流れの向こう側にいるのか、こちら側にいるのか。そんな朝は「春のブレンド」、マインドさんの手になる焙煎だ。当方は、母親の相続であったり、便秘に端を発する、結果、腹部動脈瘤の診断やら。さらには、事業の承継を進めつつの日々ではあって。古来まれなるという古稀を超えたのだけれど、こちら側に踏みとどまって、それなりに楽しんでもいて。龍馬が言って...日常を外れた時間もまたよし!

  • 4月が始まり桜咲く

    の一日が昨日、合同入社式と若手社員研修。朝から夜までのお付き合い。今日も今日とての二日目。午後からはマナー研修、その先生のご主人が4年前に脳梗塞で倒れ、だそうで。なかなか、家を空けられないのです、ということだった。五体は不自由ないのだけれど、認知の仕方が、一点集中みたいな感じで、注意が回らないので転びやすく。というわけだ。かたや、昨日もご紹介したかずおちゃんは黄泉路への旅立ちしたくだ。喜びと悲しみとの行ったり来たりだ。イワシの大漁旗に揺れる海辺で、しかし、海の中では葬送の儀真っ盛り、という詩があったな。詩人の彼女、名前忘れたけど、そこからお借りしただろう、「みんな違ってみんないい」の語句を。昨日の上司から新入社員さんへのメッセージの中で、我が専務が使っていたな。さて、本日も晴朗なりのスルガへ出かけるとする...4月が始まり桜咲く

  • 同友会の合同入社式

    もう何年くらい関わっているのかな。桜の季節に。そう、ずっと以前、鹿児島での全国大会の物産展ブースにて買い求めた桜島だったか。そこでの大島紬の桜模様のネクタイ、ってのも定番になった。けれど、少し汚れが落ちてないか。ま、いいさ。とにかく、そんな具合で、社会人一年生と向き合うことになるな。明日は、一日、そのメンバーが若手社員研修というわけだ。昨日、かずおちゃんと呼んでいた御仁が亡くなった。急性間質性肺炎。コロナ前からの病気だったので、コロナやワクチン由来ではない。いい大将だったな。独特の味わいがあってね。ギターが好きで、クロードチアリを捩って、しろーとチアリなんて言われてもいて。彼は、70歳か。古稀だ。古来まれなりの年齢だ。冥福をお祈りしよう。同友会の合同入社式

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、まわりで起こっていることさんをフォローしませんか?

ハンドル名
まわりで起こっていることさん
ブログタイトル
まわりで起こっていること
フォロー
まわりで起こっていること

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用