今日は写真のみ。朝の走りの写真も。釜山空港にて。
これで、きたかぜこのはをはらう、と読ませるんだよね。七十二候の第59候。いつも感心するんだ。まんまだな、とね。外は、まさに北風ふく朝。すでに小鳥たちは啄みを終了し、どこかへ飛び去った。今朝も「くれあーる」さんのコロンビアブエサコ。これまた美味い。北風の中に黄砂でも混じっているのか、と邪推しつつ、霞みそうな目に「天使の輝き」をひとたらし。去年だったか、亡くなった伊勢の御仁を思い出している。この液体の中に彼が存在しているように、だ。そんな具合に人と生命というのか、存在というのか、それはある。今朝も地の神様へお線香を手向け、その時には、すでにこの世には存在しないことになっているご先祖様へ。おはようございます、のご挨拶だ。その刹那、御仁方は、そこに存在しているわけで。なんて話だな。物質文明に偏重した時代から精神に...朔風葉を払う
のご挨拶というのか掛け声というのか、とともに走りすぎたのが。いつもの八百屋の大将の店先。彼、市場へ向かうんだろうな。そこでは、どんな心持ちなんだろうか。いいものがあるのか、ワクワクしながら物色、これはご近所さんに食べていただきたい。とか。かな。売れる日もあれば売れない日もあったりね。志と現実の違い、なんての、あるあるなのかもな。なんて思いつつ。何日か前、晩酌のお供にイカサシでも、なんて思いつつ、近所のバローというスーパーへ。のつもりだったんだけど、その時は、まるの魚がたくさん並んでいて、思わず。由比港のいきじめ、スズキを購入。これがまた、刺身でも煮ても美味しかったんだな。隣には、同じく黒鯛のいきじめ。さらに真鯵が二匹で500円、なんての。上記の八百屋の大将じゃないけれど、生産した人と購入する人の間に眠る、...おはよう!早いねぇ!
を、どのくらい、飲んできたものか。日本酒というだけでなく、アルコール全般をね。今朝は、ふとそんな言葉が舞い込んできたな。それに耐えた、というのか、粛々と仕事をこなしてくださった、我が肝臓くん。だけでもなく。そこそこにいろんな症状を醸し出し、ってことだったんだろうな。tobecontinued、だけど。お酒に限らず、食というもの。体内に入れ込むもの、空気もそうか、タバコもだな。今では、フルボ酸が気に入っているんだな。それ以外に、重曹+クエン酸+石垣の塩、ってのもお気に入りといえば言えるか。この間、ちょっと衝撃的な動画を見たのだけれど、DetoxBeautyというアカウントなんだけど。名前の通り、デットクスのコーチなんだな。そのクライアントさんの言葉、デトックスを初めて一月か二月か、性格が変わったらしく。彼女...お酒
屋上へ駆け上がり、写真を撮った。なんだか、そんな気になったんだよね。しかし、こうして見ると、人間の目にはまだ敵わないよね、iPhoneカメラも。今朝は、忘年会で伝えればよかったな、というのが湧いてきて。和暦、ね。この間お亡くなりになった柳生博さんの書かれた本、「和暦で暮らそう」に出てきた、一日の始まり。欧米の暦のまえ、さらに中国からの暦の前に、和暦、というものがあった。という想定なんだよね。そこでは、一日の始まりは今でいう前日の夕方、というわけだ。なので、忘年会とは言いつつ、すでに新しい年の始まりを迎えてもいるということなんだな。コロナ前に戻りつつある、という言い方が好きではなく、せっかくのコロナ、パンデミックを経験したのだから。この先は、まっさらでいきましょう、って具合でね。旧に復す必要もなく、だな。創...満月の朝
全県フォーラムでの冒頭のご挨拶。これ、1200文字くらいかな、と思っていたのだけれど、ゆっくり話すには、800文字くらいだった。文章を書いておいての挨拶ってのは、好きじゃなかったのだけれど。3分、ってのにこだわると、しかも、どうしても伝えたいことがある、というときには。書いた文章を読む、って具合だけど、あれはあれで、アリなのかもな、と。昨夜は、忘年会での冒頭の挨拶。1+1が3にも4にもなる会社、って内容だ。円卓での飲み会だったので、それぞれに交流ができてよかった。ご縁というのはとてつもないもので、その時には気づかなくても、どこかで必ず花開く。ってわけで。もう28年の付き合いになりますね、とある御仁がしみじみと話しかけてきたり。以前には、会社として二次会を設定していたけれど、あえて、それも取りやめ。食事会、...この間の挨拶は3分間だったな。
なんとか、ってあるよね。夕べのきこしめしは、多すぎ、過ぎたるは及ばざるが如し、ってわけで。今朝の走りは取りやめ。となると、なんだか、さみしいもんだな。脳内の血管が破裂したのか、どうだったか、とにかく三回倒れた御仁を呼び出し。ってのも、なんとも、乱暴なものだけど。結果、遅くまで飲んだ。安否確認みたいなやつでもあるんだけどね。来月初めからのアルコールチェッカーってのをためしにやってみた。ら、0だ。アルコールそのものは、たぶん、肝臓だっけ、どこかで違う物質に変容したのかな。にしても、このチェッカーっての、噴飯物でもあるんだよね。ま、この話題はいいか。噴飯物なんて言い出すと、この時代のあれやこれや、ってのは、数限りなし、とも言えるか。それ、真剣に考えているの、ってなもんだ。ざっくりな話、保険料や税金やらで、ほぼほ...過ぎたるは及ばざるが
まだ師走にならずなのだけれど、そういうことで。その中で、SNS活用チームと介護住宅改修のチームがプレゼンをしてくれる。両方で15分程度、ということだけどね。SNS活用チームから、シナリオの原稿が届いた。あれやこれやと彼ら、考えてるんだよね。20歳と21歳と40歳の三人チームだ。これ眺めていて、忘年会での挨拶が浮かんできた。みなさん、1+1はいくつですか、くらいから始まり、そう、2ですね。科学的には、ですが、これは、3にも4にもなるんじゃないかと考えているのです、と。1+1が3になる会社、チーム作り、っての、魅力的だと思いませんか、なんてね。そもそも、忘年会、という名称は仮に使っていて、実のところは、この転換期をチャンスとして捉えるか。それとも、って具合だな。なので、隠れた名称があるといいな、と思ってもいる...明日は忘年会
第58候だ。なんか、さみしい小雪・初候だ。夜の明けるのも遅くなり、ってわけだ。季節の巡り。四季折々の変化がこちら側に何らかの気配、気分、をもたらしてくれる。この間、いいな、と思ったのは、愛、というのね。愛とは何か、なんて始めると大ごとになりそうだけど、いやいや、そんなに難しいことではなく。ワクワクとかパッと目が輝く瞬間じゃない?、というんだね。隣人を愛せよ、とか、自己犠牲とか、なんとか、ともすると宗教やら何やらからの発信となりがちだけど。もっと簡単なんじゃないですか、ってわけだ。そのように人間ってのは、存在しているので、だ。なんか、いい感じだな、と思って、ノートにメモした。たしかにそうだな。と書いてきたら、少しずつ明るくなってきた。ので、そろそろ走りに行くとするか。虹蔵れて見ず
SIMBIBOURBONと書いてある珈琲。シンビブルボン、ってとこか。少し時間が経っちゃったけれど、なかなかいい味だ。くだんの彼は、って富士は蓼原の店主さんだけど、メロンやカシスを想わせる、と書いてくれてある。味覚を言語に転換してくれてあるわけだけど、そこんとこ、こちらとしては峻拒したい。という願望の中にあるので、ね。ことみな、わかりやすい言葉とか思想とかに置き換える、ってのが、このところの流行りでもあって。Twitterが140文字で、なんて時には、そうか、そういうことか、なんての。小泉首相がA4一枚でレクしてくれ、なんて話も伝わってきて。たしかに、物事を簡単明瞭に、ってのはありだろうけど、そうもいかない思いってのも、複雑怪奇な生物。我が人間存在、ってもんだ。そうなると、頭がいい、と呼ばれていたような人...ルワンダから届けられた
というものがあるそうだ。って、あるのは知っているけれど、見たことがない、使ったことがない。いや、その昔、随分の前になるな。酒気帯び運転の検問で検査されたのが、その類だろうな。12月1日からわが社でも始まるらしい。何年か前、運送業界でひとしきりの話題になったものだ。毎朝のチェックがあるので、8時過ぎには飲酒はできません、みたいな話で。飲み屋さん界隈では、お客さんが減っちゃって、なんてね。管理、という言葉。ルール、という言葉。そんなものに取り囲まれての暮らしぶりに近づきつつあって、コンプライアンスとかね。コロナがいっそう拍車をかけ、ということもあり、だな。時代は、たぶん、そことは違う方向へ進みつつあるのだけれど、前時代の残影は残るわけだ。次の時代への転換点へのエネルギーをどこから湧き上がらせるか。なんてのが、...アルコールチェッカー
なんだか、貝が食べたくなって、河岸の市へ久しぶりに。いつもの大将たちとの会話。結果、表題のように、だ。貝を捌き、内臓を洗い、沸々と沸るお湯にさーっとつけてのお刺身に。喜久酔のお供になった。加えて、スルメイカ、恵比寿講、おいべっさんを密かにお祭りと言うんじゃないけど、真鯛も。本ししゃもとゲソは唐揚げにして、と。なかなか、豪勢な夕食とあいなった。そうだ、温泉水99ってのを、KOマートにて購入。フルボ酸に合いそうだな。昨日も書いたけど、旅ランが少ないという感想で、もう少し増やしたいな。それだけ、お泊まりでのおでかけ、ってのが少ないわけで。生活パターンも旧に復しているのだから、ね。知って行って見て会って、の実践だ。そう、夕べ、いつものようにではあるんだけど。左足の指先が冷たい。ので、早速、杉本蓮堂さんにご教授願い...ホッキ貝をお刺身で。
なので、朝イチの走りはできず、模様眺め。の時間にブログをアップしているわけだ。机の上で、528Hzのチューナーを鳴らし、ディフューザーからはcitrusparadisii。どうやらこれはグレープフルーツのことらしく。そんな香りだ。カタカナ語をやめよう、と志していても、ご覧の通り、ってなもんだ。そんな文化の中で育ってきたのだからね。頑なに、ってわけでもないけれど、実験みたいなものだな。発想の元からこの列島、島々の古語を体感してみたいな、という壮大な試み。でもないか。外は少し明るくなりつつあり、こんな時間が冬至まで続き、って具合だろうな。とここまで書いてきて、走ってきた。見晴橋の上で、太陽を眺めてきた。サンゲージング、おっと、また使っちゃったな、カタカナ。松果体へのエネルギー補給といったところか。エネルギーワ...朝まだきの時間
昭和6年生まれの御仁。奥様を亡くされ、随分と気落ちしたようで。淋しい、と。目も耳も頭もしっかりしているのだけれど、微妙にずれ始めてもいて。ということなんだろうな。92歳、男性、だ。表題の通りで。こちらもなんだかさみしくなる。少ししたら、面会が叶うのなら行ってみようと思っている。社会性というもの、周りとの兼ね合い、とか、そんなことが、何もない時には気にもしないのだけれど。も、だな。長い年月、ほぼほぼ、人間は、共同での生活を手に入れ、なんとか文明を築き上げ、しかし、同時に。そこからこぼれ落ちざるを得ない御仁方もいらっしゃる。それは、ひょっとしたら年齢も性別も関係なく、なのかもしれず。かろうじてこちら側に暮らしていても、不如意をかこつ、あるいは、心が歪み、言葉も通りが悪くなる。なんて人士方がおおぜいいるのかも、...庭師がショートステイへ
ブログもすっかり忘れ、昨日の朝は、ホテルにての。まったりした時間を過ごしたのでした。ホテル周りを旅ラン、と洒落込み。その後は、フォーラムの余韻を楽しんでいた。今朝淹れた、マインドさんのモカイルガチェフェのように「際立った特徴的な香味」は味わえず。だったけれど。あれはいい時間だったな。東南に面した窓から差し込む朝陽。これでビタミンDが補充され、わが松果体も多少は活性化されるのかも、なんて少し思いつつ。フォーラムでいただいたものとしては、たぶん、夢は書けば叶う、とか、思い描いたことが実現する、とか。将来の見える化、とか、新規事業の成文化、とかの徴(しるし)とか験(しるし)とかだな。徴とは、何事かが起こるまえぶれ、前兆、験とは、神仏の表す霊験、なんて辞書にはあるんだな。ビンゴだよ。これはゆゆしだ。ゆゆし、という...フォーラム明けの朝は昨日だけど。
夕暮れ時、突然訪れて、娘が庵原の親戚の家まで送り迎えの仕儀とあいなったらしく。去年亡くなったおじと同級生というのだけど、耳も確かだし、ニュースを追いかけるのも、だそうで。足は、脳梗塞の後遺症をリハビリ中。たいしたもんだ。若い頃は、いわゆる遊び人だった、なんて話は、これまた亡くなった母親から聞きもし。親鸞の頃の、悪党、とでも言えるか。善人ではない、といっても、悪い人ではない。用語の使い方だけなんだろうけど。善と悪っての。あの頃の悪党ってのは、どこからか見た限りでの、と注釈が必要ではあって。ざっくり言っちゃうと、気のままありのまま生きていた、なんて解釈しちゃってもいいかな。その時代に生きていたわけではないからわからないけどね。言いたかったのは、多少、遊んでいた方が強く生きれるのか、なんて感想。もっとも、僕の周...庭師の古老
次男坊がオオグテ湖だったかな、キャンプに行こうか。なんて話らしく。なのだけど、急にいつもの季節らしくなった中での信州はどうなんだろう。ということで、取りやめになるのかどうなのか。僕自身は、スキーもやらずの人生だったので、雪景色の中を車で走る、ということが苦手。というのか、ほぼほぼやったことがない。ので、冬、雪、ドライブが結びつかない。それはそれで残念でもあり、だな。といっても、念が残っているというのでもないんだけどね。どのあたりにあるのか、とGoogleマップをへ巡っていたのだけれど、便利なものだね。ワンクリックってやつだ。たしか、その近く、といっても、山の民ならぬ平地の民の当方としてはとんでも無い時間がかかる。のだろうけれど、大塩村とか、なかったかな。後醍醐天皇の三男か、護良親王でなく、なんだったかな、...週末キャンプ
今朝も写真、貼り付けちゃおうか。鶴岡真弓さんの「ケルト再生の思想」という新書からなんだけどね。線なんか引いて読でいたんだな。ちょうど四十九日も終わり、あの世とこの世についての思いを巡らしてもいる時期なのでピッタリでもある。それでなくても、現在の世界のありようを遠くから近くから眺めていると、どうしても。個々の、認識の仕組みまでいかざるを得ず、の時に、そこへ生と死と呼ばれているものへも思いが至るわけだ。ケルトでは、生命循環というんだね。四文字熟語ではないか、いのちの巡り、か。生と死の境界線は実はないのかもしれないな。物質がわに偏りすぎず、霊というのか精神というのか意識というのかはおいといて、目の前に見え、聞こえのみでなく、というね。外では鳩くんが呑気そうに、クークーシャシャーンと鳴いている。当方の相方は、久し...いのちの循環
こうして七日ごとに何らかのお仕事があるような感じもするのだけれど。そして、49日目に執り行われた法要。もっとも、あちらではほんの一瞬なのかも知れず、実際のところはわからない。のだけれど、こちらかたあちらの世界へ向かったことは間違いない。いずれにしても、お送りしたことだけは確かなことだ。久しぶりにあった父方のいとこに、僕の笑った目が兄にそっくりだ、と言われた。葬儀に来てくださった方々の多くは、お母さんにそっくりだ、との感想。登山家の加藤三郎さんには、笑い顔が母方のおじに、あるいは、祖母に似ている。なんて言われ。血脈というものを感じざるを得ない瞬間が数多くあった。四十九日
というに相応しいかな。そんな季節になった。時計の刻む時間は変わらないんだけど、ね。いつの頃からか、時の刻みが機械的になって全世界共通のタイム、なんてのに成り変わり。小鳥たちは正直というか素直というか、日の出前42分からの活動開始時間までどこにいるのか。まだ、やって来ないな。というわけで、四十九日の朝です。朝まだき
若葉もさることながら、親の葉の勢いが増している。毎朝の水やり。なんとも言えない気分を味わいながらのほんのひととき。いいもんだね。そんな朝の珈琲はルワンダから届けられた。少し酸味のある焙煎で、勇気のある一つの挑戦でもあるのかもな、と勝手に思いを巡らせている。夕べは中上健次の「かげろう」という短編を読んだ。時の流れをちょっと巻き戻すというのか、立ち止まるというのか。情報過多の空間へ、ほんの少しの休憩時間とでも言おうか。内容が云々というよりも、その時間がいいかな、とね。オーストリア在住のchihirosatoshuhという女史が、自分の庭に自生する植物を食べ、着るものも手作りで。なんて記述に出会って。生きるために必要なものを自分で見つけてくることこそ生きる意味そのものだった。なんてのね。自然を捕食すること、と。...榊が育ち始めている
今朝はいろいろと浮かびすぎて、ここへ言葉として定着させるのには苦労しそうな気配だ。明らかに、僕自身の仕事は変わってきているな。仕事、というのかね、事業、生き方、人生、人との関わり、か。どんどん大きくなりつつあり、宇宙規模にも至るかも、という予感でもあります。ということは、そもそもの人間の在り方とか、ここ、この地球に、地上に生きていることの。意義、意味、なんて言葉だと、あまりにもありふれすぎでもあるけれども、だ。あらゆる可能性があるのが、この人間という存在の仕方でもあり。そのあたりから始めないとどうもおもしろくない、という具合だな。黄泉の国というのか、そんなところともごく普通に会話をし、この地上で暮らす。なんてのが当たり前なのかも知れず。いずれにしても、ちょっと壮大に、視点を変えて見ている今日この頃、って感...周王朝だったか、湯王の気分で。
といっても、そんなに艶っぽい風味ではないか。はともかく、夕べ。ふと、そうだ、お箸屋さんが近くにあったな、と寄ってみた。志太泉の会への道中だ。少し眺めて、思わず、ところで、黒檀の八角箸、ありますか、と。実はかくかくしかじかで、木曽平沢の巣山さんの塗ってくれたお箸使っていて、なんてね。すると、店主さんが手にしているのが、ちょうど、巣山さんのところから届いたお箸だった。折れたのかかけたのか、修理してもらい塗り直しもしてもらい、の荷物だ。とはいえ、かの地は、巣山さんだらけだからね。お姉ちゃんのいる、お母様は二年くらい前に亡くなったかな、とかね。すると、まんま、定一さんのことだ。ビンゴ。彼、鳥肌立っちゃいますね、と宣う。というわけで、木曽と駿河の邂逅の瞬間のお話です。早速、写真撮らせていただき、巣山さんにかくかくし...鳥肌の立つ出会い
と書くのは、たぶん、何回目かだろうな。スパイダーズのそんな曲が思い浮かぶ世代、ってわけだ。今朝はそんなわけで、窓を開け放ち、ができず。骨ストレッチは、その窓ガラスに映る我が身を眺めながらの仕儀とあいなり。しっかりカラダ、回ってるな、なんて感想を浮かべながらだった。このところ、股関節(肩入れ)なんてのも付加され、そう、NOBU体操もいつの頃からかの定番でもある。昨日も、久々にtoshさんとお茶をしながら、幾つになっても筋肉はつくらしいね、なんて会話。しかし、今朝はことのほか、骨ストレッチの後の気分がいいな。カラダに血液からリンパ液からまわりまわり、って感じ。お供は、これまた久々のブラウニーさんのブレンド。そこへ、528Hzの世界を感じてもらいながらの、だ。ドリップと書こうと思ったのだけれど、そうだ、カタカナ...風が泣いている
彼の地へ旅立つ、なんてことじゃないけれど、わが内側ではそうも言えるかもな。という感じの日曜日を過ごしたかな。河合隼雄さんの文庫本と鶴岡真弓さんの画像付きの本が届き、だ。見えないものを存在しないと言い募り、その挙句の、今だけ金だけ自分だけ的な世界。を創出せむとやはべりおり、なんてのがパンデミック、ウクライナからイスラエルへの世界線だよね。科学というものがメインストリームとなり、実に個的な、個人的な物語は蔑ろにされ、という。例えば、ガンのような病気は、お医者さんが診察、診断して、治す。という信仰が漂いながれ、なんて時代に。ケルトや縄文へ思いを馳せるのも一手とね。そうだ、月橋重隆さんの電子書籍も手に入ったのだった。薬や治療でなく、そもそもの生活姿勢、考え方、生き方を一挙に変えることができるか。なんてテーマで、臨...ケルト、ふたたび
インバウンドがなんとか、日本語、聞けるのかね、とか。そんなことも、実際、現地で味わってみると。まったくそういうことじゃなく、もちろん、外人さんは大勢だったけれど。ひさしぶりの旅を堪能させてもらった。いいもんだ。朝は、このところ恒例の、旅ランだ。鴨川べりの川床料理屋さんを見上げながらの、だった。いい気分だったな。その前日の、お決まりの清水寺では、これまたお約束の「アテルイ・モレ」だ。ちょうどその前あたりで、NPOのテラ・ルネッサンスの若者がウガンダの珈琲を売っていたので、即、買い求め。このNPOは、鬼丸さんという方が始めたもので、内戦続いたウガンダで。幼い頃から人を殺す兵士として育てられた子どもたちの再教育をしている人たちだ。リカレント教育なにがし、と悦にいってる場合じゃないのかも、って次第で。この間までの...京都はおもしろかったよ。
紅葉はどうなんだろう。まったく下調べなし、なので、だ。コロナ明けの社員旅行。若手の企画での、ということになる。思えば遠くへ来たもんだ、という気にもなる、この旅行だ。そもそもの始まりは、現場でその頃の若手、今は50に手が届いたか、という御仁に。例えば、旅行するとしたらどこがいい?と問いかけたんだった。二人いて、一人はあそこやここや、と出てくるのだけれど、もう一人は。まったく出てこない。貧しい家で育ち、親や親戚やに、どこにも連れて行ってもらったことがなかったようで。なんてことがあって。こりゃ、どこでもいいから思い出つくり、ってのをやりたいな、から始まったんだった。何も出てこない御仁は、今では黄泉の国の住人だ。あちらでは、わが母親の先輩になるってわけだ。母親。葬儀に参列くださった方々、どこへ行っても、そっくりだ...京都、明日から
という連絡が朝から入り。かくかくしかじか、と。信号待ちの車へ、ということだから、軽傷で済んだようだけども。だな。警察を呼び、保険会社に連絡し、という算段と相成り。生きてれば、あるいは、何らかの活動してれば、あるある、の話でもあり。警察、保険会社からすれば、それが日常、かたや、こちらは非日常、ってわけだ。そうだ、昨日、富士の天ぷら屋さんからお香典が届き、ありがたいものだ。さっそく、今日、時間が取れそうなので、お昼でも天ぷらをいただきながら、なんて思ったのだけれど。たぶん、休みだな。なので、後ほど、LINEかなんかで御礼を宣い、ついでに、今月15日のフォーラムのご紹介でも、と。第一分科会で報告する御仁が、たぶん、彼にぴったりかな、という気もしたので、だ。この話をすると長くなるので割愛しますが。いずれ、現在の世...おかま掘っちゃった
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今日は写真のみ。朝の走りの写真も。釜山空港にて。
晴れ晴れ、って朝だ。釜山。何回目になるのか、何年か前にホームステイをさせてもらったお宅も、今はどうなっているのか。ご夫婦はこちらにはもはやいないわけで。歳月というものは嫌も応もなく過ぎ去るんだな。なんて当たり前のことを宣ってもいるんだけど。爽やか晴れ晴れなので、巴川べりを歩く方々も明るい会話だ。というわけで、久々の飛行機に乗り釜山へ行ってきます。釜山への朝
昨日もふれた成長が早いという話。地の神様への道を通せんぼ状態で、これ、2年もしたらジャングル状態になるかもな、と。自然に見習うことはたくさんありそうだ。ほっとけば、見栄えはともかく、彼らの生態系を創り出し、紡ぎ出し、って具合だ。そんな大自然の一部たるわが方も知らぬが仏という間に、人間的に言えば、淘汰、整理整頓が進み、だな。人間関係にしても、こだわる御仁もいらっしゃるし、飄々となすがままに、なるがままに、という御仁も。おもしろいもんだ。人それぞれに誕生前に人生物語を決めてきた。なんていう言説もあり、そう、高校生チャネラーのまりなちゃん、という女史が明るく語っていたな。明日からは釜山だ。昔からお世話になっている御仁方との旅。任那へ行ってみたいな、という思いはありつつ、実現するかどうか、わかりません。白村江の戦...タラの木が道を塞いでいた。
というのが、今晩の顛末とあいなり、って具合だ。寂しいような嬉しいようなだな。昨夜も少し遅がけに一献やり、あれやこれやの話に花が咲いた。明日もどうやら一献、って感じでもあるから、ね。飲んでばかりいるじゃんか、ってなもんだけど、それも人生の、宇宙の流れ、と言っておきますか。というわけで、朝から雨だ。それにしても、この時期の草木の成長度合いったらありゃしない。早い。凄まじく早い。今朝の地の神様への手向どき、ほぼ1mは伸びたんじゃない、ってほどで。他にも、草がさらに青々としていて、これほどの天啓、僥倖といったらないくらいのものだ。心静かに眺めると、見えていたものが見えなくなり、見えてなかったものが見えてくる、なんてこともありか。今朝は後からの客人への珈琲のため、朝一珈琲はなし。ちょっと寂しくもあり、だけど、それま...大雨につき懇親会は中止
昨日に続きの、だな。くどいかも、ではありますが。これ、当たり前と言えば当たり前で、日常生活の中でもその通りのことが起こっているにすぎず。こと改めて、というわけでもない、とも言えるけれど。それにしても、こうした動きのあるフレーズというのはいいものだ。どうみても、西洋文明と呼ばれてきたものがピークアウトしていて、では、その変化の先は。ってことだな。ズブズブのニッポンすんごい運動かい?でもあるし。西洋との真の融合かい?なんてね。声の大きい側がよく聞こえてくるうちに、なんとなく、その声に引きずられていました、なんて話でもあるな。どのみち、この先は、人類であったり、人間存在のほんとの姿であったり、なんてところに焦点が定まり、かな。そのあたりから説き起こさないと、うだうだになっちゃう、ってなもんだろうな。そんな朝は、...変化の先へ
なんて表題に書くといかにも、って具合だけど。これ、おもしろくて。環境が変わるとそれぞれの人の中で、ある種の事件となる。事件は現場で起こっているんだ、という室井さんへの青島の言葉だな。現場はどこにあるのか、ってのも、話題の一つではあるけれど。この間の同友会の総会、パネルディスカッションのコーディネータを務めたの、だけど。その総会で発表された言葉が、どうも気に入っちゃって。それは、「変化の先へ」というものなんだけどね。とても動きのある言葉だな、と感心しているわけだ。先へ、というのね。と同じようなもので、事務所の風景が変わるとそこに自動的にエネルギーが発生し、なんだな。失恋したら髪を切る、とか、鬱々としたことがあったら通勤経路を変える、とかね。早い話が、ルーティンの変更、ってやつだ。いつの間にか、ルーティン化し...フリーアドレスの意味と意義
彼、毎日なのか、二日に一回なのか。とにかく、巴川べりを走っているわけだ。運動をすると、鬱やら認知症やらになりにくい、という本、お借りしていたんだった。来週には珈琲タイムにお招きして、だな。なんやかやとイベントが後から後からやってくる、いや、こちらから仕掛けているのでもあるんだけど。サンデー毎日にはならないな。とはいえ、季節とともに歩く人も多くなっている。正直なものだ。カラダを動かしたくなるんだろうね。人類史から見たら、今ほどカラダを動かさない時代はない、とも言えそうだし。食べることも、当たり前になっている、三食なのか一食なのかはともかく。高校だったか中学だったかの先生が話していた、発掘された頭蓋骨に残る飢餓線なんての、覚えてるな。必ず、人生に一度や二度は飢餓の世界を彷徨う、みたいな話ね。もっとも、人類は6...今朝も一人ランナーが
が、巴川べりを走っていく。そうだ、そうだ、それでいいんだ、みたいな掛け声を心の中で呟く。初心者もベテランも、って感じだったな。昨日のことだ。今朝は三人さんだ。なんとも平和な光景だ。事務所内は、フリーアドレスの机の並び。この件についての感想は、またの機会に、ということにしておくか。なんにしても、やってみないとわからないことだらけ。やってみる、結果を検証し、変えるところは変え、とPDCAってことになるな。すべての物事が。それについてのフットワークの軽快さがあれば、ほとんどのことは明るい未来を描いてくれもし。あれが悪いこれがいけない、という具合に感情に流されたままだと、そりゃまた、めんどくさい話になる。わがベランダレストランでは、猫の襲来にもめげずに、小鳥たちがやってくる。ちょっと、数は減ったような気もするけれ...朝早くに四人のランナー
なんだ、そのカタカナ語は、とお叱りを受けそうだけどね。事務所内でのお引越しとでも言おうか。それぞれの席は、どうぞ、ご自由に、って仕儀とあいなり、だ。古い机やら何やら、今日は廃棄処分、明日は新しいものが設置される、という算段。カタカナ語はともかく、新しい時代には新しい皮衣を、ってその昔、イエス・キリストさんも言ってたでしょ。それが大事なことだ。目に見えての変化、ってのが、一番のメッセージなのかもな、と思っている。次世代を担う二人の役員が主導でやっているわけだ。世界は音を立てて動いている。しかし、その音はそれぞれの人がそれぞれの世界で聞いているので、統一感はなく、なんとなくの不安とか。そんな具合なのかも。それぞれの正義を振りかざし、なんてこともあるあるだ。まずは、それは当たり前のこととしての認識が必要になって...フリーアドレスへ
表題の後に、ヤァヤァヤァと続けば、ビートルズだ。似たようなものだよな。何を求め、喜び、楽しむ、ってことだからね。今朝は早よから社員さんが出社して、忙しなく動いている。思えば遠くへ来たもんだ、じゃないけれど、有難いものだな。あれ、その昔は、自分一人でやっていたんだからな。月日は過ぎゆくわけだ。というわけで、社員さんにモカを進ぜた。まるで、神棚への供物みたいな風情満載で、だな。先ほどからわがモニターの前を虫が飛び交い、なんらかのメッセージなのか、気まぐれなのか、って感じ。このところ、骨ストレッチに加算して、ってことが増えて、朝の体操は10〜12分間、とあいなり、なのです。断捨離とは真逆の、だ。股関節+腹部の浮き輪肉+NOBU+歪みリセットと増えたわけだ。毎日のほんの少しの、ってのが積み重なり、ってことだ。いい...カワラヒワがやってきた!
とたまには中原中也でも思い出しつつの朝、ってわけだ。もっとも世間の口の端には、海援隊の歌ということになるか。いろいろと片付いてきた5月、月末には釜山行きということにあいなる。昔世話になった御仁方との道行ってことだな。その前に、多少のオシャレ着を買い求め、って作業があるか。何せ、このところ、着た切り雀的た様相の日々でもあったからね。それもチャレンジの世界となってしまっているんだな。今朝は言葉続かず、なので、この辺りで失礼ってことにしますか。思えば遠くへ来たもんだ
がたぶん、あったのが二日前。だからブログを二日休んだ、というわけでもないんだけど。わがベランダレストランに表題の如くで、白い小さな羽がちょっと散乱していて。そこに猫くんが鎮座していた。鳩くんやスズメくんたちはやってこなかった。今朝のレストランには昨日の餌が残っている。用心深く、彼らはやってこなかったんだな。なのだけど、手すりの上に、庭の、たぶん、オナガだろうな、つがいできていた。すぐにいなくなってしまったけれど。そんなわがレストランの雨の情景といったところだ。土日とわが走りは順調ペースで推移し、気分はいい。のだけれど、少し筋肉痛だな。そうだ。わがヘアーカットの大将、ショートステイだそうで。収まるところに収まったという風情だな。何人かでの食事会は実にいいタイミングだった。あそこを外したら開催は無理だったんだ...猫の襲来
尾っぽのところも白い。カラダ全体は青灰色とでもいうのか。そんな鳩くんがここのところ来訪しているのが我がベランダレストラン。新参の客人というわけだ。女子高校生のチェネラーみたいな子がYouTubeやっていて、最近、出会った。のだけれど、彼女曰く、石とかいろんな物体も話している。ということなんで、くだんの鳩くんとも、そんな話をしてみたいものだ。人間の使っている言葉ということではなく瞬間に通じてしまうようなものなのかも、だけど。テレパシーと言ったっけ、そんな類だな、きっと。コミュニケーションと一言で言われてしまう人間の営為の一つがあるけれど、あれも、実のところ。用心が肝腎で、言葉で伝わったという勘違いなんてのもありありでもあるんだろうからね。言葉ね。はじめに言葉ありき、と聖書にも残されているようだけど、なかなか...嘴の白い鳩
今朝は朝イチ、表題の二つをつけてきた。いつ食べるのか、ってのが、漬けるタイミングなので、スケジュール調整が必要なんだよね。そうだ、一昨日かな、三保の灯台からの富士山がとても美しく。息をのむ美しさ、ってのはあんな姿なのかな、と思い、iPhoneで撮った。札幌のチャネラー女史曰くは、宇宙と繋がってます、とね。清水港に豪華客船が数多く着岸し、なんて話題で、でも、清水滞留客は少ないよね、なんての。彼ら、この富士山の姿、知らないんだろうな。インフルエンサーがインスタとかでバズれば、ってことなんだろうけどね。残念!ってなもんだ。ところで、わが八ヶ岳のエネルギーワークの御仁、ほとんど思考してない、とFacebookに書いてたな。その思考、ってのが、気になっていて。たしかに、当方も余分な思考みたいなものは随分と減っている...きゅうりと小蕪の糠漬け
今日は、同友会の総会があり、その中の一コマが表題のようなもので。シナリオを書くのが上手くないというのか、好きでないというのか、なので。何が飛び出すやら、ということだな。あらあらの原稿は書いたんだけど、果たしていかに、ってわけだ。昨夜も例会があり、喫煙スペースにての会話、その若さの秘訣はいかに、なんて問いかけね。どこか悪いところ、ないんですか、ときた。その御仁は51歳だそうで、そろそろのロートル入りの年代、ってことになるな。しかし、いろんな常識というのか、今まで言われてきたこと、今言われていることってのは、どんだけ真実か。なんてのは、まるっきりわからないことだからね。コロナ禍の、パンデミックの宣言が世界中に響き渡った後では、ほとんどのことが眉に唾して、ってことで。自分オリジナルな、自然との交情とでも言おうか...コーディネータ役の総会
これ、旧約聖書の「コヘレトへの言葉」らしい。いいねぇ。聖書にも書いてあったんだな。最近の若いものはしょうがない的な言葉、縄文の遺跡やらピラミッドやらそこかしこに書かれてあった。なんて洒落、あるよね。と言う類だな。だいたい、昔が云々、と言い出すのは、何もしなくなった御仁の口癖だからね。これ、大塚ひかりさんの「本当はひどかった昔の日本」と言う文庫本の第一章の巻頭にあったんだ。この方、とにかく古典を読むのが幼い頃から大好きで、とね。挙句に源氏物語まで訳しちゃったのかな、それも読みやすいらしい。で、ひどかった、と言うのは、人身売買はあるわ子を捨てる母親はいるわ夜泣きをすると七里四方に害毒をもたらすと言うのでここから出ていけと言う人はいるわ、って具合だ。現代で起こっていることとそう変わらん、と言うわけだ。しかし、だ...昔のほうがよかったのはなぜだろうかと言うな。
というのが、たびたびの話題になるけれど、おばの葬儀会場での印象。だいたい、ああした会場では目を閉じていることが多いんだけど、すると、何とも気分が思わしくなく。なので、目を開け、視界を開けるとそれは終了。なんてことがあったんだな。そのうち、読経も終盤になり、というあたりか、だんだんと瞑目していても心持ち、カラダの具合も落ち着いてきた。おばだな。おばが最初は何が起こっているんだ、というくらいの気持ち。その不安が読経とともに和らぎ、そうか、そういうことか、と感じてきたのか、なんてね。勝手なこと、体感とともに感じていた次第で。当たらずとも遠からず、ってなもんだろうな。生と死との不可思議さとでも言おうか。こちら側の世界からだけでは、知らないことになっているわけで。ところで、記録的な大雨というのは、やってくるのか。な...初めは不安そうだった。
とどこの学校なのか、たぶん、運動会の開会の式なんだろうな。遠くから聞こえてくる日曜日の朝。こちらはこちらで、いつもとは違う、旧東海道の走りだった。追分道。こんな具合に走って行ったらおもしろいな。自分の足で歴史の足跡を走る。古来、どのくらいの方々が、どんな思いを運んで行ったのだろうか、なんてね。途方もない話でもある。これでさらに走りの選択肢ができた。歴史を今に刻みつつ、なんてことになるな。昨日は二番目のおばの葬儀がしめやかに、かつ和やかに執り行われた。20年になる「おじおば会」で語るともなく語られたことごとを、係累の方々に知ってもらえたら、なんてね。実の子どもたちも知らない足跡があるんだよね。そんなことを考えるのも、僕自身の父親、昭ちゃんの葬儀の払の席だったのか、父親の妹からの話で。あんたちお父さんは、俺の...次は市会議員の誰それです
さすがのサツキのなせる技だろうな。思わず歩きたくなってしまうのか。表題のような朝だ。このところ、隣家の瓦にカラスくんがやってきている。今までもそうだったのかも、だけど、気が付かなかっただけか。季節が変わり人の世も移り変わりのはずだ。われわれを受け入れてくれている自然というもの、自然と一体なんてこともあるけれども、だな。今晩は、おばの通夜。家族葬ということでしめやかに執り行われるのだろうけれど、それなりに親戚衆が集まってくる。それが面倒というのか、悲しいけれどまた新たなご縁の始まりと思えるか。人の生きてきた心持ちの集大成みたいな具合でもあるな。環境の、人との遭遇具合の変化が心に傷を負うということもあり、そこに花開くということもあり。まったく、それぞれの人生っていう名前の妙味というものだ。さて、そんなこんなの...朝の散歩人士が増えているような
さつき雨なんての、あるのかな。というような気分になる、表題のような朝。このところ、朝の瞑想はハトホルとキリスト意識のエネルギーと共に、だ。15分ずつの2回。これはいいかな。明らかに、って当たり前だけど、それぞれの違ったエネルギーを体感しつつのひと時。真ん中のおばが亡くなって二日目の朝を迎えたのだけれど。地の神様へのご挨拶には、すまちゃんがそちらへの旅の途中ですので、よろしく、と。そんな気分なんだよね。まだ、こちら側への思いやら何やらが残っている中での、新しい世界への旅立ちなんだからね。たぶん、思いは繋がっているだろうと思っている。風の時代、これからの時代は、見える世界だけでなく見えない世界ともお友達、って具合だろうな。さらにさらに拡がりのあるところでの生き様発露だ。これはおもしろい。物質至上主義に彩られた...雨なのになぜか気持ちのよい朝
ボブ・ディラン。で、わがブログを検索してみたら、結構、かいてるな。ふとね、そういえば、このパンデミック初期に、彼、この歌、リリースしたんだった、と。JFK暗殺のころのアメリカを歌っていたわけで。つい最近、JFKの甥っ子になるのか、民主党から大統領選に出ますよ、とね。続いて、JFK暗殺の暗部、闇の部分を語り出したりしてるし。もちろん、公文書を披瀝、って感じだからね。「人類は月に行ってない」論を捲し立てていたのは、エキセントリックな思想家、副島隆彦。だけど、そんな秘密も開示したりし始めているし。自由の国、アメリカ。ほんとに、自由だったんだよね、ある意味。なんでもあり、って具合に。今朝は、雨だ。これから大雨になるという話もあり、の巴川を眺めながらのブログアップ。このところ常連さんになりつつあるベランダレストラン...murdermostfoul、を久々に聴いた。
新参者だけど、物おじしないところがいいね。スズメの群れに混じっても動じず、だ。今朝の珈琲は、ケニアから届けられたキアマバラ。甘い、という言葉がやってきた。玄米食にしてからどのくらいになるのか、一回の咀嚼が100回くらいか、そんなでもないか。いずれにしても、咀嚼回数は劇的に増えているわけで、つまり、食材が口の中にいる時間が長くなった。ので、たぶん、わが口腔内の感覚も知らぬ間に鍛えられるのか。なんとなく、微細な味の違いを感得しているような気もする。そのところを楽しんでいる、ということなんだけどね。食べる時は食べるだけ、って感じなんだろうな。知らぬ間に、ね。ながら族からの卒業か。と言いつつ、動画見ながらのネットサーフィン、なんてのは、やまないけれど。月が革ったので来月になるけれど、大学の時の友人が、ご当地、清水...今朝もカワラヒワ
なんてカタカナ語、あったな。という表題からの始まりですが。今朝のわがレストランには、スズメと同じくらいの、体に黄色が少し混じった鳥がやってきていた。外を見やったら塀の上にいるな。なんていう名前なのか、と今調べたら、カワラヒワというのかな。便利なものだ。すべてがわかってしまう、わかるのが当たり前の世界。なんて錯覚しちゃうのも宜なるかな、ということになるね。わかる、は、わかつ、に通じ、ってのは、安岡正篤さんがどこかで書いていたな。わける、というのが、そのものと隔つ、ということで、わかった事にならない。という何ともへんてこりんな展開になっちゃったけれど。カワラヒワは一羽で、群れているスズメたちに混じって餌を啄んでいる。見上げた根性でもあるな。そうだ、昨日は、パワポの教科書を買っちゃいました、だな。ちょっと勉強し...雨だす。
生きることにおいて、という意味ではなく、ブログをかくのが、と注釈付きですが。なんだろうな。というのも、宇宙人と言われてしまうのだろう人、とも違うようだけど、そんな会話が。妙に心に残りつつ、なんだよね。アシュタル・シェランと名付けられた存在。「ニシキトベの復活」をかかれたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿がお気に入りで。この間、熊野から来清された三石さんもご存知だったな。どうもね、認識の仕方そのものの変容、変換、転換みたいな具合だ。認識だから、人間関係なんかにも通じ、だな。そんな今日は、財務省の出先機関の方々との懇話会。楽しみでもあって、ね。どないなりますやら、ってなもんだ。そうだ、昨日は、母親のところへ行ってきたんだった。久々の面会。なかなか、僕ということは理解できなかったようだけど、そ...今朝は気が乗らないな。
ということで、本の帯のような投稿にしようかな。一筆書きともいうか。八ヶ岳は気持ちがよかった。久々だ。八ヶ岳倶楽部は今頃どうなってるかな、なんてふと、亡くなった柳生さんのことも思い出され。山の師匠に連れて行ってもらった11月の零下10度の時の昼食、自分史上最高に美味しかったカップヌードル。なんてのも。過去も未来も一緒に、今この時に存在する、というデンで、そのうちに八ヶ岳ツアーもありそうだ。単に、山を登る、ということではないツアーだけど。そういうわけで昨日は、走らなかったんだな。週末の、しかも、雨でない日に走らないというのは、相当の覚悟がある。なんてかくといかにも、だな。そうだ、この間、三石さんにいただいた本、「熊野から読み解く記紀神話」というの。その中に中上紀さんという中上健次の娘さんの文章があり、ふと、親...ヘヴィーな話はやっぱりかけないな。
エネルギーワーク。E=MC2乗の御仁を引き連れての、久々の訪問とあいなる。中部縦貫道開通で、近くなったな。1時間半か。虹の郷ができる頃の修善寺もそのくらいかかったな。とにかくそういうわけで、行ってきます。今日は八ヶ岳へ
すごいものだね。振り返ればあっという間でもあり。今朝は三保の松林の入り口くらいまで走り、海岸沿いの遊歩道も少しばかり。なんだけど、あの頃、6700日前ね、そんな自分を想像したことがあったかな。まったくないな。まさかね、この歳になって走ってるなんて、まさに、まさかの坂ってわけだ。とはいえ、それが楽しいのでやっているわけで、今日で345回目だ。今朝の出だしは、走り始めた頃に、ちょっと、チャレンジで海を見てこよう、なんて掛け声で。初めて走った道を選び、今度はもう少し大きな海を見ようか、なんて具合の松林ってことだな。とにかくそういうわけで、走ってきたのであります。そしてルーティンの珈琲。これもまた、まさか、だな。6700日前の自分に教えてあげたいくらいで。おい、おまえ、って感じでね。あるいは、きみ、か。6700日...ブログ開設6700日だそうだ。
というのは正確ではなく、とかいていると。外から鳴き声が聞こえてくる。これは、つぐみのような声だ。つぐみ、実際のところは知らないのだけど、その声がそんな感じがする。知識ではなく感じだ。妻の白内障の手術も終わり、両目開通って次第。僕は、もう10年くらい前になるのか。年齢の割に早いね、とか言われたり、メガネ不要になった顔が、どうやら、情けなく見えるらしく。みっともないから眼鏡をかけろ、なんて言われたりもしたな。にしても爽やかな五月終わりの朝だ。そんな朝は、ケニアのキアマバラ。ブラウニーのマスターに、今日のおすすめは何?と問いかけての選択だった。の後に、スラムダンクのネタ。誰ぞにコミックを送ってもらい、それがいい、内容知ってるのに、読んでて声が出ちゃうくらい、とかね。僕も3回読んで、その都度泣いてましたからね、と...今朝はネタがない
とかいても何のことやら、だろうけど、グアテマラの珈琲です。モーニングコーヒーってわけだ。熊野の「ニシキトベの復活」をかいたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿にこのところ。気もそぞろ状態、ってのは少し大袈裟かもだけど。昨日も、過去も現在も未来も今ここにある、というような文章がね。これはよく言われることなんだけど、彼女の表現が心に沁み入るんだな。時間とは直線上を動いていくものではなく、毎秒ごとに無数に煌めく輝きなのだ、なんての。美しいでしょ。もう10年以上になるのかな、瞑想を始めてから界隈では、イマココイマココイマココの合唱でもあったんだけど。そんなことが、腑に落ち始めた、とでも言えるか。それは、この世からいなくなったことになっている方々との繋がりにも影響を及ぼし、だな。そうだ、この週末、八...今朝はコンスエロ
というのが昨日で。熊野からの客人。三石学さん。5年になるのか、熊野の旅でお世話になった御仁で、その方が来静されたわけだ。京都から東京への道すがら、駿河へも寄ってくださった。歴史の旅の女史から電話があり、かくかくしかじかなので、お昼でもご一緒に、と。その時にちょうど、週末の八ヶ岳へのエネルギーワーク男子が傍にいたので、あなたもどう?と声掛け。彼も一緒に熊野へ行ったからね、だったんだけど、時間取れず、だった。二、三、当たったんだけど、結果、河岸の市へ。おまかせ刺身定食をいただきながらの会話は楽しかった。まさか、この駿河の地で、谷川健一さんから直接薫陶を受けた御仁と話せるなんて、というのと。彼の口から出てくる、中上健次の娘さん、紀さんやら、柳田國男の娘さん、90歳になる、それはそれは。妙齢というのか、素晴らしい...雨の日に出かけたら当たりが出た
今朝の表題は、長いね。これがまた、ハルーという高次元の方との会話の時に感じる。というんだね。おもしろそうだな、と思ってね。もっとも、そんな次元の高いところへ行かずとも、実のところ、わが方でも日常的に起こっていて。それをスルーしながらの日々の暮らし、って感じなのかもな。今朝はいきなりの話ではあるんだけど。ある概念が丸ごと意識の中に入ってくる、という表現もあったな。だから、口数は少ない、とも。だって、そんなに喋る必要がないからね。ここんとこ、テストに出るところだけどな。とはいえ、そんな具合にやっていたら、あいつは何考えてるかわからんね、なんてのがオチだろう。いずれにしても、可能性、とか、今あることがすべてではない、なんてのは、どこかに置いておくといいかな。無知の知、とか、未知との遭遇、とか、だ。知ることが脳を...言葉だけでなく感情や概念が一緒にやってくる
というより、気がついたらお休みだった、って感じだったな。にしても、気持ちのいい朝だ。つい先日アップした写真の夕暮れに向かう静岡駅周辺の、あの時の感覚ね。次元が変わったような瞬間、あれを思い出したりしている。と書くと、後が続かないか。そうだ、またぞろの半藤一利さん「B面昭和史」だ。あれが気になっていて。ちょうど、わが父親、昭ちゃんが物心つき始め、大人への階段がその先にあるというような時期。昭和が、国家総動員体制に向かう頃、のことね。タモリじゃないけど、今に似てる、って話。なんか、気持ち悪いんだ。今までの常識というか、普通が、普通じゃなくなっていく、なんて風情がそこかしこにあり、って世情。といっても、危機を煽るわけじゃないんだな。こちらはこちらで、おもしろく眺めてもいて。だな。もともとが、そんなデキだったのが...昨日はブログお休み
タイム'sなんて言葉、あるのか知らないけれど。一人ではない三人での珈琲を楽しんだ。ので、アップの時間が、遅くなった。長男坊と社員さんで、イフニのブレンドをいただきながらの会話が弾み、の時間がすぎた。ところで、昨日もご紹介した御仁が、エネルギーワークへ参加表明。ということで、来週の日曜日は、彼との八ヶ岳行脚とあいなり、だな。どんな展開になるのやら、ってことだ。そういえば、その御仁との珈琲タイムも昨日、あったんだった。その後でのエネルギーワークも、で。久しぶりの時間でもあったな。ところで、不思議なもので、上記の三人ミーティングを過ぎてみると、ここに出てくる言葉も変わっていて。朝イチの、吐き出すようなモノとは違ったものになっているんだろうな。というのが、面白くて。言葉、ってのが、いかに外部の刺激によるのか、なん...珈琲タイム'sって感じの朝。
というわけで、こんな写真を撮ったのでした。昨日に続きの写真アップでインスタみたいになっちゃいそうだけど。「志田泉の会」に向かう途中、表題のような感じで。これ、何かが変わったぞ、変わるぞ、みたいな気分で歩いていた。その後、開始まで時間があったので、珈琲問屋さんの外の席でブレンドをいただく。その時にも、街を眺めていたな、同じ気分で。あなたが決めれば世界が決まる、なんてフレーズをその前に、ネットで見てもいて。それこそ、同友会のフォーラムの副題が、未来を決めるのはあなた、ってのだから、これもシンクロか。そんな気分で街を歩き、眺めていたら、道ゆく人、人が、なんか、愛おしく思えてもきて。それぞれの世界線を歩いているんだな、きっと、とかね。縄文人とかアボリジニとか、言葉以前のテレパシーとか呼ばれる部分で相互にやり取りし...夕暮れに向かう風が心地よく
焼津です。この少し前、まだ海の際から高く上がる前の朝陽もよかった。でも、お風呂からだったので、写真撮れず。歴史の旅の仲間とのコロナ以来の邂逅。複雑な気分もありつつの、これまた一つの世界線。ってことだな。今朝はこんなところから
当たり前だけど、そんな湯があるわけでもなく、だな。昨日のお昼は、こんなところでの贅沢な時間となったのでした。田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ富士の高嶺にゆきぞふりける山部赤人の碑の向こうには富士山、背中側には田子の浦だ。五月らしい昼下がり、って。子ども連れの若いお母さんや、高校生かな、デート中の、とかね。どこぞからやってきた観光客に、句碑はどこにありますか、と尋ねられたり。知らなかったからね、ごめんなさいね、ってことで。いつだったか、旧東海道を歩く、というんで、蒲原あたりを歩いた時、ボランティアガイドさんの説明に。あの歌の、田子の浦は、ここなんです、と郷土意識、いや、郷土愛もりもり、なんてのがあったな。富士市は、そんな声も意識しながらなのか、ちょうど富士山が眺望できるところに、ガイドストーン。まるで、ス...田子の浦ゆ
これが、今朝、ふと湧いてきた。随分前に、妻に言われたことがあるな。僕が、自分を特別な人、と考えているでしょ、というようなことをね。たしかに、そんな気分はあったのかもな。もちろん、今だって、それに近い感覚なのかも、だけど。というか、今では、すべての人が特別な人、って具合だけど。外来の言葉では、オリジナリティとか言うか。その頃の特別な人、って感覚はなんだろうな。たぶん、の推測だけど、母親からそういう具合に育てられたのかも、だな。彼女にとっては特別な人、だろうし、だから、当方もすっかりそれが当たり前な気分を潜在意識に刷り込み。なんてことかな。は、どうでもいいんだけど、ね。おもしろいテーマだけど、今朝は、そんなに遠くまで深くまでいきそうにないな。川向こうをちょっとイカした感じで走り抜けていった二人のランナー。この...特別な人
降る雪や、だな。今朝のお題は。中村草田男という歌人の、いや、俳人というのか。続いて、明治は遠くなりにけり、っての。昭和の5年、というから、我が父親、昭ちゃんがまだ、3歳くらいだった頃だ。明治生まれの彼、草田男ね、ふと、20年ぶりに、青山南小学校といったか、そこを訪れたそうだ。袴を履いての自分の年少の頃を思い浮かべ、それと同期しようか、くらいの雪の日。生徒たちは、金ボタンの学生服で、というわけだ。その瞬間に生まれたのが、有名な、降る雪や……、という慨嘆?哀愁?、の句というわけだ。昨日アップしたAIとの出会いなんてのとも通じるものがあるけれど。時代と時代の間(あわい)に訪れるんだろうな。多くの人々が、歌にはしなかっただろうけど、なんとも言えない風情の違いをね、感じもし。ある人は酒を飲んじゃおう、とか、麻雀でも...降る雨や、じゃなく
便利なもので、気象庁の雨雲レーダーがほぼリアルタイムで雨を知らせてくれる。ので、それを利活用の朝だったな。この間、古くからの知り合いのママさんから、今、何やってるの?という問いがあったので。すかさず、週末の走り、と答えた。コロナ対応、免疫力を上げる、みたいなことも付け足したな。というくらいに、走り、というのは、現在時の大ごとなんだな、漢字で書くと、大事、だ。ともすると、頭荷重、頭依存、外からの「情報」などなどに翻弄されがちな現代、現在時。だからね。もうね、それへのアンチとしては、走りに限らないだろうけど、カラダとココロを同時に使う。ってのは、類稀なるものだな。なんの嘘隠しも忖度もなしに、走ってあること、それだけの時間だからね。それがまた、いい気分なんだよな。昨日、NHKかな、AIの特集みたいなの、やってい...雨か、だけど、合間を縫っての走り
日本の古代史では、醜女(しこめ)の先駆者みたいな扱われ方してるお姫様。だよね。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)のお姉さん。大山津見神がお父上で、この姉妹をもらってくれ、と瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に頼む。んだけど、彼は、いや、姉ちゃんは醜女だからやだ、とね。失礼なこと言うんだな。というか、言ったことになってるのが、ま、正史だ。その解釈ってのが、縄文と外来の民の戦いまんま、なんてのがあって。つまり、縄文は群婚だった、というんだね。一夫一婦制なんて洒落たもんじゃなく、と。それを外来のしきたりが拒否した、という感じのね。なるほどなるほど、と膝を打った次第。おもしろいものだね、解釈一つで、というわけだ。その縄文のような風情、考え方なんてのは、ついこの間まで残っていたのかも、だな。幕末の頃、いや、明治になっていたの...いきなり、磐長姫(いわながひめ)