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  • お母さんが大好きだった地へ

    というのは、今日、富士から弔問に来てくださる御仁。母親の父親、僕の祖父の6人兄妹の末っ子がお母さん、という。そのお母さんの唯一残っている子供、三男坊だ。そのお母さんには、わが母親たちの幼い頃、まだ嫁入り前で遊んでもらったんだろうな。大好きだった地が草ぼうぼうじゃ洒落にならない、ということで、昨日は草取りだ。さらに昨日は、母のすぐ下の妹が弔問に。昭和4年生まれの94歳だ。おばが帰りがけ、今建っている隣家に向かって合掌をしていた。自分の生まれ育った地、その係累に対する思いは現在からしたらお呼びもつかないものなのかもな。なんてことをつらつらと思い浮かべる朝です。お母さんが大好きだった地へ

  • いつもと違う時間が流れている。

    この30日に葬儀を執り行う、身罷った母親を中心に。というのが表題だ。通夜行の日程を27日と29日の二択のうち、遅い方にした。おかげさまで、自宅に母親はいて、おばたち、友人たちのお別れの時間が持てる。エバーミングだったかな、新技法らしく、ご遺体が長く保つ。いつもと違う時間が流れている。

  • 葬送の隊列

    母親を自宅に連れ戻すのを葬祭会社さんがやってくださり。の朝。施設の玄関には、20人以上の職員さんたちが並び、まさに葬送の隊列。ジーンときた。涙が出た。彼、彼女たちは静かに惜しんでくださり、合掌をいただいた。心からありがたさが湧いてきた。その感動、感謝を携え、いつもの喫煙スペースへ行くと、80歳と88歳の面々。入居者たる母親がところを変え、ということは薄々もわかっている中。こちらはこちらで、別れを惜しむ儀式だ。そんな後、自宅では、菩提寺の住職による枕経。悦寿真慈大姉という戒名を授かる。葬送の隊列

  • 母、身罷る

    昭和2年生まれの96歳。お陰様の長寿だ。いろいろな思いが湧いてくるのは、これからだろうな。おばたちも二人、まだこちらにいるし。思いもよらぬ方々が弔問に来てくださるかも知れず。いずれにしても、葬送の儀を執り行うことになる。今週のさまざまな予定はキャンセルさせていただき、という次第だ。そんな一週間の始まり。雷乃ち声を収む(かみなりすなわちこえをおさむ)だ。母、身罷る

  • 蜘蛛の巣がなかった

    どうしたものかと思案しどころ、だった「地の神様」への道。今朝は、なかった。性格がいいので、こちらの要望、願望を叶えてくれた蜘蛛くんたち、って解釈だな。人工的な生活の中に、実は、自然との関わりがとても多くある。なんてことをつらつらと考えつつの日々、というわけだ。さっき、髭剃りの後、「天使の輝き」という水をスプレイしたのだけれど、それを送ってくれた彼。今はなき伊勢の住人を思い出していた。の時に、彼は、存在している。けれど、この世には存在していないことになっている。意識の中に現れる彼は存在している。同じようなことを繰り返している感じでもあるけれど、だな。「あすなろの家」の母親を眺めながらも、そんなことを感じてもいて。目の前に存在しているのは、生きている母親。目を開けた、指で握り返した、ということで、生きているこ...蜘蛛の巣がなかった

  • いちいち書くのはめんどくさいけど

    いろいろとデクラスが続いているようで。ここに書くのも憚られるような。富士宮の後藤組の組長さんの書名、「憚りながら」を借用するか。生命保険料が20%上がるらしい、なんてベタなニュースが流れてきたな。超過死亡率と保険料率との計算式が、たぶん、コンピュータを駆使してあるんだろうな。実のところ、これがすべてを語っているんだけどね。医学者や科学者の言説を聞かずとも、ってわけだ。こうなると、独りを慎む、なんてことが必要になってくるんだろうな、と思う。瞑想でもいいし、何かの細工物、お料理でもいいか。自分である、自分であるとも言えずにそこにある、という実感が、まわりで起こっていることから解放される。なんてことが必要なんだな、たぶん、きっと。いちいち書くのはめんどくさいけど

  • 蜘蛛の巣をなんとかしなきゃ、だな。

    というのが、今朝の地の神様までの道のり。蜘蛛の活動が活発になってきたのか、秋の気配の中。今まではすんなり歩けたところに、朝イチの蜘蛛の巣。それを払い払い、なんだけど、彼らにだってそれなりの理屈はあるようで、翌日も、って具合だ。なので、なんとか算段しなきゃ、ってところだ。なにせ、生きとし生けるものたちと共に、なんて大望を抱いてもいるわけで。体内、体表の微細菌をバイ菌と呼べば、駆逐の対象にもなり、だから。呼び名から変えることかもな。なんてことを朝から考えているのが、9月22日なのです。これは、一国の政治よりも大きな大事なことでもあるからね、僕にとって。登山家の野口健さんが、血中酸素濃度が55%とかいったか、マナスルの高所で救助隊によって助けられ。なんてニュースがあったな。どこぞの炎症で、とね。スパイクタンパク...蜘蛛の巣をなんとかしなきゃ、だな。

  • 沼津の夜はどうだったか。

    昨夜は、そういうことで沼津。児童養護施設の方のお話をお聴きした。パネルディスカッションだった。家庭での虐待で家にいれず、逃れての施設へ入所。そこで18歳まで過ごす。今は20歳まで、ということだったか。そこが彼らの「家庭」になる、「ふるさと」になるわけだ。なんとも言えないヘヴィーな想いに囚われたな。施設までの道のり、彼らにとって一つも自分で決めたことがない、と保育士さんがおっしゃっていた。堪えきれずに嗚咽しつつ、だった。しかも、この時代、虐待が増えているんだ、と。宜なるかな。社会そのものの許容範囲がどんどん狭くなっている様相、親の立場の人たちにも余裕なく、だ。社会的な課題解決が企業の役割であるとしたら、ということになるな。さらに、その、つまり、自由の範囲を狭めようと画策もし、忖度もし、例の、コンプライアンス...沼津の夜はどうだったか。

  • 三連ちゃんの夜

    だな。今週末にかけて。外食。または呑み。いきなりだけど、こんなの、あってね。杉本蓮堂という奇人?シャーマンのような整体師?とにかく、摩訶不思議な方がいらっしゃって、そんな彼に降りてきた言葉だそうで。法華経だ。意味は。あなたの食べ方、食べる物、食べる時間によってからだも変わり本来の役割を果たす事ができるということだそうです。なんてことからすると、外食、ってのは厄介なもので。あそこの何が美味しい、かにが美味しい、ってなもんだけども、というわけだな。たべること、ってのは、命の根源に触れることでもあり、お前そんなことやってると食ってけないぞ。みたいに使われることもあり、なんだけど。いずれにしても、スケジュール消化みたいにせずに、この週末の三連ちゃんをいかに楽しめるか。ってなことになるな。三連ちゃんの夜

  • 今朝も糠床に手を入れて

    なんとか、この夏を乗り切ったかな、わが糠床。それも、妻が時間を見計らって漬けてくれたのが大きかっただろうけど。加えて、早朝の手入れだな。おはよう、と、ありがとね、と言いながらだ。なにせ、70兆個の命たちだ。どこでどうお世話になったかも知れず、この先もひょっとしたら、って具合だな。今朝、いつもの八百屋の大将の前を通りかかったら、市場に出かける支度をしていたようで、何より。何が売れるかな、とか考えながらの道中だろうな。なんてね。朝から人様のこと、心配しちゃってるわけだ。昨日は午後からzoomのミーティング。フォーラムの仲間づくり委員会だ。浜松、沼津、焼津、清水の四人。これらの移動距離、時間、お金、なんてのに換算したらどうなるだろうね。さて、連休明けの日に出かけるとするか。今朝も糠床に手を入れて

  • 昨日はアップせず母親の面会へ

    だったな。妹が帰郷していて、一緒に、だ。食事がとれた、あんまり食べれなかった、と一喜一憂、といったところ。なんて朝は、敬老の日だ。「あすなろの家」の最高齢は、大正14年生まれのお二人、それに続いてのわが母親の昭和2年。最も若い方は、昭和24年生まれ、僕とそう変わらない歳格好だよね。それぞれの人生だな。この連休の初日には、プチおじおば会と相成り、母親の面会かたがた、お昼を丁子屋、その後に。玉露の里へ。下のおば二人と妹との行脚というわけだ。コロナが明け、新たなおじおば会という様相だ。おじはそこに存在しないけれど、各人の中には相変わらず存在し、母親のすぐ下のおばの中には。あちらに旅立ったという認識がないので、リアルに存在もしているはずだ。なんて考えてくると、そもそも、存在しているなんてのは、どんなことなんだろう...昨日はアップせず母親の面会へ

  • 仙骨はその昔は神の骨と言ったとか。

    そんなエネルギーワークが、昨日の八ヶ岳。いい気持ちだった。仙骨に人さし指と親指を置くだけ。すると、仙骨が動き出し、口の中には唾液が。そこから背骨を上っていくエネルギー。眼球の裏側にある蝶形骨に至るらしいけれど、そこは体感できず。なんだけど、そのまま眠っちゃいそうな感じというのは、その体感だったのかもしれない。そんな翌日は、プチおじおば会だ。母親のところへお見舞いしつつ、その後、昼食でもご一緒に、って流れ。大鈩不動尊(おおだたらふどうそん)へも、だな。その昔、祖母が、いや、曽祖母もか、通ったお不動さん。そこへ子たる、孫たるも、曾孫たるものたちが行く。それだけで、事件であり、一つの物語の創造だ。なんてことだな。そんな連休初日だ。仙骨はその昔は神の骨と言ったとか。

  • 秋の八ヶ岳へ

    の朝です。もっとも、日帰りだし、お昼近くにつけば、の行程なのでのんびり、だけどね。にしても、ルーティンのブログ書きはやめず、と言いつつ、骨ストレッチはお休み。珈琲も、だな。重曹+クエン酸+石垣の塩の水を飲みながら、って感じの朝。事務所前にて、3000km/年のランナーさん、今はウォーカーさんか、と立ち話。どうやら、膝を痛めたらしく、来月に手術するとか。そりゃ、年内は無理、というのも宜なるかな。なんて会話。いいものだ。なんとなく、ほんわかとした気分だ。のまま、本日に突入することにするか。秋の八ヶ岳へ

  • 心してみれば万物皆我が師なり

    なんて言葉、「宮本武蔵」を書いた吉川英治だっけ、がどこかで言っていたな。こんな表題にしたのも、すべてのことごとが、徴(しるし)、メッセージ、教え、サポート。いろいろな言い方があるけれど。ユーミンの、カーテンの向こうからさす朝陽も、なんて感じのことだな。なので、時間の過ごし方としては、それこそ、今ここ、中今、みたいな話になるんだろうな。明日のことや昨日のことなどなどを頭に巡らせて今にいる、というのは、ありがちな姿勢、態度、身の処し方。ではあるけれど、明日は永遠に訪れず、ってわけだ。昨日もすでに存在せず、とね。朝からなかなか深いところへはまり込んでるね。昨日は、御殿場で夜の9時過ぎまでの例会。その後、喫煙コーナーにての第二ラウンドを少々、で、東名高速を走って帰ってきた。夜の高速は、トラックの車列が、なんて思っ...心してみれば万物皆我が師なり

  • 演じるのはやめだな。

    という表題が浮かんできた朝。そもそも、演じているのか、自分の素なのか、というのが不分明でもあるんだけど。どれが自分なのか、って問いだね。昨夜、同友会の会合、その後のしばしの呑みの席。咀嚼だとか瞑想だとかについて話したのだけれども、だ。その前に、全県フォーラムというものの、当方、実行委員長という役回りを仰せつかっているので。その挨拶などもしたのだけれど、うまくフィットしなかったな、というのか。その場の空気感に合わせての話が好きなのだけれど、もだ。なんてことをつらつらと考えていたら、窓からの風。実に心地よい。秋の気配濃厚な、ってところだな。わがレストランへの来訪者は、瞬く間に平らげて、まるで祭りの後の寂しさは、って吉田拓郎の歌みたいだ。演じるのはやめだな。

  • 限りなく透明に近いブルーな朝。

    ふと、村上龍の小説の題名が浮かんだ空の色だ。主人公が見たのは佐世保だったか米軍基地の街で、朝まで飲んだのか、の時に見上げた空。こちらは起きたての目に映ったものの違いはあるけれど。昨日の会話で、39.9度の熱を1時間だったか、歩いて3度下げた、という御仁。そりゃ、すごいね。というか、カラダのリクエストに素直に応じたのかもしれないな。解熱剤を飲むのではなく、ってことだ。なんか好感が持てたな。自己免疫力への信頼とでも言えるか。科学や医学への全幅の信頼というものが揺らぎ始めてもいる時勢、となると、自らを恃むことになる。中原中也の、自恃だ、自恃だ、ってことだな。もともとはそういうことで、英語で言えば、I'mOK、って。ここんとこ、テストに出るところだな。ところで、つい最近の同友会のしんぶんに、いいこと書いてあって、...限りなく透明に近いブルーな朝。

  • 今朝もまた虹だ。

    ふと窓の外を眺めやったら、だった。またしても吉兆、ということになるね。車で北街道に出て東の空を見上げたら、なんか、いい感じの空だったんだ。横に靡く雲の合間の空の色もよかった。窓外の虹は成長しているかのようだな。明るくなる空に見合うように上へ伸びている。それを遮る雲もどこかへ退いていくかな。なんて月曜日の朝だ。今朝もまた虹だ。

  • このところ、虹づいてるな。富士宮へ向かう途中。車で走りながらの、だから、良い子の皆さん、真似しないでね。と言いつつ、さて、自分の足で走るとするか。【追伸】この虹、目的地でも綺麗な虹だったそうで、向こうで会ったある御仁。お父様のところへ墓参りに行ってきた時に遭遇したそうで。その日、彼の中ではある想い、決意をみんなの前で表明したい、ということだったので。そりゃ、吉兆だ。そのことについて書くと、かなりヘビーなものになっちゃうんで、端折り、ということにしておきます。虹

  • 台風来らず

    なので、無事、富士宮からはめでたき帰還なる、ってことだ。の朝は、イフニさんのブレンドを召し上がっている。召し上がる、というのは、とてもおもしろい表現だと思う。どうぞお召し上がりください、と食事やらの時に言う言葉ね。当の相手に言うのではなく、目の前の食物に対する言葉だというわけだ。召命なさってください、とね。命を天にお返しください、とかと翻訳できるか。それにしてもすごい表現だ。さすがに同じ列島に似たような顔した人たちが住んできたということは、大きな深いことでもあるな。縄文があり、弥生があり、秦氏の到来があり、あるいは、丸木舟の南方の人たちも。なんて具合に、そこここから異民族と言われる人たちがやってきてはいるのだろうけども、だ。この列島の持つ力ということを痛感するわけだ。元気ですか、なんていうのも、元の、源の...台風来らず

  • 台風、大雨になるのか。

    今晩は富士宮へ行くので、彼の地の方々からも無理をなさらないで。というご心配もしていただきながらの、なんだけど。果たして、天候はどんな具合になりますやら、だ。今朝はお隣の軒下にヒヨドリが来ていた。そろそろ、彼らの食が柑橘系に移行する季節到来といったところか。昆虫、魚類、爬虫類は集合意識が多い、とかの言説に出会い。その分、個的な意識が少ない、ということで。なるほど、と勝手に腹落ちしたんだけどね。なので、そんな観点から眺め始めているんだな。その昔、吉本隆明が共同幻想と自己幻想なんて言ってた。それは逆立ちの関係だよ、なんてことも。集合と個の意識の関係もそんなことになるとすると、だな。ひょっとしたら、現在起こっているかもしれない、という、グレートリセットとかいうのも。そんな昆虫やら魚類やら爬虫類やらからの類推、それ...台風、大雨になるのか。

  • 漢方、漢方、漢方

    昨夜は、むつごろうさんの講演&実践漢方薬作り。忍冬酒という、どうやら、浜松の特産品でもあるらしい、そんなお酒をいただきながらの。だった。家康さんが愛したというお酒なので、いかにもカラダに良さげな、だったな。それ以外にも、五味子、とか、あと何だったか、名前忘れたけど、何種類かのお酒、漢方酒も。30人弱の申し込みのあったことが、なんだか、うれしくてね。世は漢方です、とまでは言えないにしても、それぞれの国で昔から愛飲、愛用されていたものの復活。なんてのは、この激変の時代には、とても大切なことなんだろうな、と思えるから。分析とかエビデンスとかとはまた一味違う、体験の集大成みたいなものかな。昨夜の話の中にも、2000年を超えて、古人が自分のカラダで作り上げてきた、なんて話ね。今流行りの言葉でいえば、治験、ってやつだ...漢方、漢方、漢方

  • 5分は短いか長いか

    なんて表題になったのも、今朝の骨ストレッチ+NOBU体操。だいたい5分30秒くらいなんだよね、毎日。時に、かったるいからやめとくか、なんて気分になる時もあるんだけど。たった5分です。高校生の頃の1500m走、あれも、ざっくり5分だったな。5分を切るか切らないか、なんて話だ。しかし、そこにいろいろなドラマがあったんだろうな。今現在の走りで言えば、5分/kmなんてのは、垂涎の的、ってわけだ。あの頃は5分/1.5kmなんだからさ、彼我の違いを痛感するんだよね。なんて発想は、オリンピック洗脳なので、そこからの解放も同時に、って具合なんだけど。5分といえば、萩原健一、ショーケンの歌だな。あと5分もあれば、きみのことも僕のことも、よくわかり合えたのに残念だね、って別れの歌か。ボブディランの歌にも、旅立つ前に珈琲、もう...5分は短いか長いか

  • 酸素吸入器がはずれた朝。

    というのが、昨日の朝。96歳の母親のことですが。血中酸素濃度を測る器具を人差し指にはめての測定結果、99、心拍数?脈拍?50前後。という具合で。の晴れ姿、ってわけだ。先々週の心肺停止状態の頃に訪れたいとこは、人工呼吸器と彼の弟にメールし、その彼から。そりゃ一大事、みたいなメールも届き、何てことがあったな。ひところ世情を賑わせたエクモみたいな発想だったのかも。なんて情景というのか光景というのか。が繰り広げられている特養老人施設「あすなろの家」なのです。人生の最後を看取る、とか、終活、とか、の解釈では、なんだけど。このあたり、どうなんだろうね、ほんとのところは。泣いて生まれて笑って死んでいく、みたいな話もあったりするしね。そう、先週末に三島で一緒に飲んだ80歳の御仁。九州は鹿児島生まれの、だけど、僕の設定、1...酸素吸入器がはずれた朝。

  • 臨死体験と世界情勢と事業

    なんて大仰な表題が月曜日の朝だ。母親の心臓が止まり、蘇生の施術をしていただき、こちらに帰ってきた。その時の三途の川あたりでの会話を聞いてみたいものだ。小倉さんだっけ、アナウンサーの。かれ、癌か何かで三途の川を渡りかけたこと、どこかで書いていた。亡き父親と会話したらしく、お前はまだ来るな、と言われたとかなんとか。なんてことからの類推で、喋れない母親がその時のことを喋ったら、というわけだな。そんな体験に慣れていれば、うまく受け止められるんだろうけど、ほぼ、初めての体験、ってことだから。初めてのおつかい状態で。その場面の取材はなかなかにうまく見分けられもせず、ましてや、それを言語化なんてのは、至難の技だろうな。ということと、世界の流れ、加えて自社事業なんてのが、お互いに化学反応をして、というのが。今の関心事でも...臨死体験と世界情勢と事業

  • 久能海岸は輝いていた

    というわけです。久々の久能への走り。たしか、語源は秦氏だったような。秦久能という御仁がやってきて、と旧久能寺、現在の東照宮か、そこの立札に書いてあった。秦河勝が富士川のあたりで、誰だっけ、新興宗教のようなものが広がり勢力増大を危惧して斬殺されたの。おおふべのおお、だ。大生部多と書いて上記のように読む、だったかな。その頃に駿河の海岸に流れ着いたのか、目論見があってやってきたのか、秦久能。なんてことが、PCのモニターを前にして思い浮かんでいる朝。いつもの淹れたて珈琲は、モカ。これ、人気があるんだよね、例の、生豆のみを買い付けるヨーロッパ式の商売のやり方の結果がここにある。ってなもんだよな。マリ、ブルキナファソ、ニジェールに続いて、ガボンもだ。オセロゲームのように、欧米支配の石が白なのか黒なのかにひっくり返りつ...久能海岸は輝いていた

  • 爽やかな秋の気配を感じながら

    の朝一の走りだ。昨夜は三島のお鮨屋さんにての退職した鹿児島の御仁を交えての呑み。昔話の花が咲いた。そのお店までのタクシーの中、運転手さんとの会話がなかなかに楽しかった。楽寿園と白滝公園の所有者が一緒の人で、どうも、その方のおばあさまが西郷隆盛の娘だか孫だか。鹿児島出身の御仁に、そのことを伝えたのも楽しいことだった。なにせ、彼の地での西郷さんの人気ってのは高いものだからね。土佐の坂本龍馬よりも、って感じだな、肌感覚としては、だけど。爽やかな秋の気配を感じながら

  • アロマオイルが役だったかも

    わが母親です。五感のうちの嗅覚というやつ、鼻からの。ふと思い立ち、そこを使った会話をしてみようと、ね。いつもの、わがアロマセラピスト、というか、足裏マッサージの大将にご教授願い。ティッシュに垂らして云々、というので、ベッドのパイプに自宅から持参のパイプ洗濯バサミで固定。なんてのやってみたら、心なしか目を開ける回数が増えたような気配。ま、なんでもやってみることだな。こちらが見せたいもの、例えば、わが顔とかね、ではなく、母親が自然に、ただ、目に入るものを追いかけ。なんて状態がいいんだな、と。どんな具合に、目から入った情報が彼女の中で飛び交っているのかはわからないけれど、推測です。あるいは、単なる妄想です。だけど、世界、人生なんてのは、妄想の権化、勝手な推測の連続でもあるからね。というわけで、そんな話を従兄にし...アロマオイルが役だったかも

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