というか、正確には、一年先輩なんだけど。5時すぎ。それはどこでも見かける景色でもあるけれど、その姿がいかにも年寄りじみて。おいおい、俺もこんな感じかね、なんてね。笑ってしまった。そんな中、ドリプラまでの軽いジョギングを敢行。軽いと敢行という文字が不似合いだけどね。朝陽を浴びてまたぞろのビタミンDの産生作業。梅雨前の気持ちの良い朝を満喫している多くの人がいて、おいおい、日本って、平和じゃん、だな。朝の珈琲はタンザニアのスノートップ。朝早くに同級生が歩いていた。
と笑ったのが、昨日、ふと見た、わがYoutubeチャンネル。311の震災の時に同友会の支援物資を積んで走った時の動画。これです。5000回を超えてるんだよね。3月の津波で、そのすぐ後の5月だから、そこここに被害状況が生々しく、言葉を失う場面が多く。しかも、たぶん、再生回数が上がったのも、何気なくつけたキャプションで検索した方が多かったんだろう。悲劇の象徴でもあるんだな。なんて朝。大挙しての訪問者だった。そんな騒ぎもひとしきり、今は、遠くを走り去る車の音のみだ。この二、三日、復活した個人ミーティングを何人かとこなし、やっぱり、おもしろいな。それぞれの人生がその場に現れるわけで、垂涎ものというわけだよ。それがどうなるかはわからない、つまり、費用対効果とか投資効率、利回りなんて言葉での換算に関しては。ではあるけ...こりゃあYouTuberだな。
とくれば、わがベランダレストランのスズメくんたち。喧しく鳴き、いきなり羽音を立てて飛び去っていく。いつもながらの、彼らには彼らの人生訓、処世訓などなどがあるんだろう、という感想だ。わが社の前のお宅の奥様、ケアマネをされているようで、この間、母親の施設で出会った。ことのきっかけで、昨日も帰りがけ、少し立ち話。によると、昭和一桁や大正の生まれの方は、強い、骨格から違う、と。わが母親が、いったん、心肺停止状態になり、その後、食事を口からできるようになり、なんてことの。延長話なんだけどね。このところ、毎日、あすなろの家へ顔を出しているんだけど、スタッフさんみんなで母親を看てくれている。まさに、看護、って具合で、ありがたい。し、喫煙スペースで一緒になる若い男性との、いや、おばちゃんもいるか、楽しいものだ。コロナ真っ...大挙の来訪者
このブログも初めは、「糠漬け初心者」からだったことと紐づいての表題で。ちょっと、上から目線ぽい表現でもあるな。ということで、今朝、走り抜けていった。抜ける、という言い方にね、初心者からの卒業準備みたいな。近くにいたら、ご同慶ご同慶、と声をかけたくなっちゃったんだ。2020年2月1日、それが、コロナへの抵抗、免疫力を上げるには、みたいな気分で始めたのが当方で。くだんの走り人は、この何ヶ月か前に見かけるようになり、で、今朝。カラダが少し締まっていて、走り方も楽な感じになっていた。ご同慶、だよ。そうだよね、だんだん、変わってくるよね、感じ方も走り方も、なんて、珈琲でも振る舞いながらの会話を。こちらは、妄想しているわけだ。昨日は、個人ミーティングで、相方に、脳と腸との頻繁な、ほぼずっとの意識の交流というのか。カタ...巴川べりを走り抜ける「走り初心者」
いつも感心するんだけど、この七十二候。秋の気配が感じられ、今朝は、表題のような風がかすかにやってくる。いろんなできごとがそこここで、という世情だけれど、季節は確実に巡るんだよね。昨日は、ひさびさに10キロ、走ったな。この暑さの中、ということなので、自重していた、というとかっこいいけど。カラダが重い感じがしていたんだな。ま、そんな中、走ってこれたわけだ。途中、このブログでは、180spmの女史とご紹介していた方、と遭遇、やっぱり、追い抜かれ。みたいな風情で、そりゃ、若いし、ね、と言いつつ、そもそも、走ることそのもの、でいいんで。という感懐だな。ところで、母親のところへ、昨日は5人が集い、笑いの渦ができ、だった。先週の水曜日からの顛末が、ひとまず、その笑いで、落ち着きを取り戻したのかも。今朝も、地の神様へ、頼...天地始めて粛し(さむし)
のが、昨日、わが母親。まるでダルマさんだ。水曜日の心肺停止からの蘇生を経ての時間を過ごしていたのだけれど。呼吸が落ちているので、酸素吸入をし、の状態だった。食欲はなく、だったらしく、そのまま意識がなくなり、呼吸してない。というのが、心不全に至る話だったようで。身近にスタッフさんがいてくれてのラッキーな蘇生術。その結果、言葉は喋れないけれど、時折、両目を開いて何かを見ているような状態。食事も口から4割くらいは食べているか。母親の容態、途中経過の報告といったところです。両目が開いた
の一日が昨日。今日もまた、そんな具合だな。母親は、おかげさまで、昼と夜、自分の口で食べることができた。ほぼ一日中、母親と過ごしたのは、何年ぶりか、いや、何十年か。夕食どき、看護師さんが口元へ運んでくれていたんだけど、どんなお母さんでした?との問いかけ。幼い頃は優しいお母さん、思春期の頃はうるさいな、と。山野草が好きで、山歩きをしてましたよ、と咄嗟に応えた。しかし、どんなお母さんだったんだろうな、とその問いは今も残っている。今日か明日か、という感じで、親戚の人たちにも声かけしたんだけど、ね。なんとか、今夕の妹の帰省は間に合いそうだ。今日もまた、昭和8年生まれのおばが来てくれるそうで。どんな物語が紡がれるのか。さて、秋めいてきた空の青。そんな日に出かけるとするか。予定をキャンセルして
96歳になる、昭和2年生まれ。ちょっと広げれば大正、昭和、平成、そして令和だ。長い年月を生きてきたわけだ。もっとも、アヌンナキやら何やらの宇宙人の寿命と比べたら、って解釈も成り立つけれど。彼ら、何万年というスパンだということだからね。もっとも、矢作直樹さん曰くの、人は死なない、ってのもありだけど。そんなわけで、お世話になっている施設に今日から詰めることになるな。子どもたちやら叔母たちも、顔を見に来てくれることになる。おかげさまで、預かっていただいている施設は、面会も割と自由にできる状態で。ありがたい。そんなわけで、少し日常が変わります。酸素吸入をしている母親
珈琲についていえば、いや、チョコレートなんかもか。フェアトレード、って言葉が踊っていたことがあった。つまり、適正値段で買いましょうね、くらいのことか。あるいは、過重労働はさせない生産者から輸入しましょうね、か。これまた、小綺麗な言葉に置き換わっているという西欧流なのかも、だけど。今朝も、焙煎堂さんの手になる、生豆を焙煎してくれたタンザニアのキリマンジャロ、スノートップ。なんだけど、佐藤優さんというもと外交官、ロシアとかイスラエルとかに詳しいんだな。その彼が、鈴木宗男さんとのYoutubeで、ロシアのプーチン演説を解説してくれていた。珈琲をアフリカから輸入、ということに関してだ。ほとんどが生豆を輸入、アフリカは資源大国ではある。しかし、収穫したものをそのまま出すんでは、付加価値がつかず、安く買い叩かれ、みた...生豆を買ってくるということ
なんて表題の後、今朝の地の神様への道のり。ミツバチの巣が見えない。熊がいれば、だけど、猫が食べちゃったのか、と多少の心配と共にお線香をたむけ終えた後。あったあった。だよな、と思いつつ、だ。わが経路は、草が遠慮しているのか、忖度しているのか、生えてなくて。朝からなかなか独特な気分を味わうことができるんだけどね。ということで、骨ストレッチが終わり、グアテマラのコンスエロも淹れ終わり。そうです、カラダからは汗という頂き物だ。このところ、カラダに限らないけれど、神の力というのか、はたらきというのか。そんなことを感じることが多いな。昨日も、農業資材関係の仕事をしている友人が来社し、あれやこれやの話に花が咲いたのだけれど。どどのつまりは、そんなところへ向かっていった。なるようになる、と任せている、なんてこと。すると、...秋の気配も感じるこの頃だな。
長男坊一家とお昼を食べ、その後。近くの公園で遊ぶ。すごいものだな、と感心したのは、下の孫娘、3歳になったのか、ずっと動き回ってること。なんの衒いもなく、ただ、楽しいことをしている姿には、恐れ入りつつも、なんか、新鮮な気持ちになった。生命の発動力のまんまを味合わせていただいた、という具合だな。心してみれば万物皆我が師なり、ってわけだ。そこだな、たぶん。社会の中で生きること、その生き方を、年長者から学ぶ、という方向性がありふれたことだけど。その方向性を逆にする、ということは、ありだね。学校というとても便利な有意義なものが開発され、どのくらい経つんだろうか。200年?300年?いや、もっと何千年か。ということは定かではないけれど、ことここに至ると、さまざまな瑕疵みたいなものもちらほら。なんてのもありそうな中で、...孫たちと遊んだ午後
第39候は難しい文字が並んでいる。まさに、濃い霧の中のような文字の並びでもあるな。そんな霧がまとわりつくように立ちこめる頃、とある。わが先輩方は、つまり、ご先祖様方は、日々を楽しんでいたんだろうね。そんな感想が思わず漏れてくる候だ。さて、当方もそんな具合に、今日という日を楽しむことにします。蒙霧升降(ふかききりまとう)
このところ、世情を賑わせているビッグモーター。そこの経営者さん、創業者だったか、その息子さんだったか。彼、大変優秀で、MBAの資格をとった、そうだ。というのも、間接情報です。ファクトチェックされても困りますが。そんな彼が、叩かれているわけだ。保険の過大請求だったり、街路樹に除草剤を撒いて枯らせたり。そのことを、明治神宮だっけ、の樹木を切り倒している小池都知事が。ま、緑のおばさんね、文句言ったりの茶番、というのか、そんな記事もどこかで見かけた。理知とか理論とか理屈とかの世界の優秀な住人が、そんな酷い経営してたんですか、ってストーリーで揶揄され。というような話を聞いたのが、一昨日の榛原地区での呑みの席。そりゃ、細かいことは知らないけど、MBAがアウトになるってのはいいね、ついでに。ネオコン的なものもアウト、に...ナイショの話だけれど。
最近、写真のアップが多いね。PCから楽にアップできるようになったので、だな。というか、やり方を覚えた、といった方が正確か。というわけで、このホテルの窓から富士山がほのかに見える絵柄の中、田んぼの中の道を気持ちよく、だ。朝の6時前だったか。涼しくて、けれど、走っているうちに、汗が、汗が、って具合。途中、大井八幡神社というところで、ご参拝。ここは、ちょっと、いい感じのお宮さんだったな。ご祭神は、品陀和気命ホムダワケノミコト(応神天皇オウジンテンノウ)だった。久々に、神社オタク復活なるか、って感じもしたな。田んぼの中の畦道ではなかったけれど、車もそんなに通らない道を走っていて、子供の頃を思い出した。小学校と中学校は、そんな道を毎日毎日歩いて通ったんだった。その前の保育園もそうだ。なんてことを、ね。なので、本日は...稲穂の中を走った平日の朝。
というのは、アメリカの金融業界で仕事をして、今は。「日本再生への道、森林里山こそが国土防衛」なんて本、書かれているアナリスト。大井幸子さん。それに続いて、中村天風の言葉で締めくくっていたニュースレターを読んだんだった。【ただ自分だけがよくなればいいんだ、自分の仕事だけがよくなればいいんだという、小さい慾望ではなく、“世界一の日本を造るんだ!”そして“世界中すべて、日本の自覚した民族のような、平和な気持ちにするんだ”という、もっと、でっかい慾望を持ちなさい。】というんだね。なんか、いいでしょ、ちまちましてなくて。表題の前には、こんな文章があるんだよね。【戦後社会の権力構造の闇を明らかにし、メディアがいかに大衆を欺いてきたかを暴く記事もたくさん出てきています。】そこを踏まえての表題に続く、中村天風さんだ。天風...批判を批判で終わらせるのでなく
の朝一番の挨拶。この間、枝を切り落とした隣家の女性。古くからの付き合いだな。僕が小学校一年で彼女が6年、いや、4年生か。そんな感じの年恰好で。いとこ所有の土地と彼女の家の境、そこへ木が生い茂り、ということで、だった。その後、ビールやらもってきてくれた。なんか、そんなやりとりが嬉しくて。ちょうど、右脳で繋がれば、みんな一緒、分け隔てない。と昨日、ジルボルトテーラーのYoutubeがおすすめにあった。TEDのプレゼンの模様だ。彼女については、何回かここでも書いたかな。血管破裂で左脳が傷つき、ほぼ右脳だけで生きた時間を経験した脳科学者。言語を司る左脳が優位だと、ああだのこうだの、喧しい応酬が飛び交うのだけれど、右脳だけだと。境界線がない、そこにずっといたい、ってわけだ。認識と言われているものの仕組み、というのか...この間はありがとうね!
内容をご紹介すると、ともいかないか。早い話が、腸内で微生物含め細胞たちが、かなりの情報を脳に送り込み、脳は脳で。常に彼らへ情動とかの情報を送り、という相互連携とでもいうか。そんな具合で、日々暮らしているようで。自分が考え行動し、なんてことになっているけど、その裏側では、古代、超古代から作り上げられてきた。循環の仕組みみたいなものによって、われら生物は操作も、コントロールもされているのかも。なんて話です。いや、著者はそんなこと、言おうと思っているかどうか、たぶん、違うだろうとは思うけどね。しかし、台風7号がおかげさまで、と言えばいいのか、誰だか、激雨なんて言ってた予報が外れた。それこそ、おかげさまで、今朝の走りは滞りなく終了、と書けるわけだ。伝わってくる、あるいは、伝えられる情報というものを、いちいち、眉に...腸は第二の脳というような本、読んでるお盆。
これは事務所についてから屋上からの富士山。なんだけど、その前に、どうもいつもと違う朝を感じていた。輝いているんだよね。こんな朝があるんだ、って。信号待ちの向こうには、おいおい、虹だ、とiPhoneで撮った。屋上へ行かなきゃ、と駆られて撮ったのがこれ。これは驚き、としか言いようがない。実のところ、あれやこれやの「陰謀」めいたことも浮かんではきたけれど。とにかく、人生においての初めての、半円状の虹、しかもダブっている。その後、走りの途中で雨になり、引き返してきた。雨とかには過剰なくらいに慎重になるんだよね。なにせ、初心者ランナーだから、滑って転んだりしたら、という警戒心です。若い頃なら何てことなかったんだろうけど。ふと、ベランダに目をやったら、久しぶりのカワラヒワだ。たくさんのスズメくんたちから少し離れての姿...玄関を開けたら何かが変わったような朝
何故か今朝は、走らずに洗車。その後、シャワーを浴びて、だな。台風7号がすごい雨を降らせるのかな。降水量が他の日は、mmで表示されているのだけど、その日だけ、cmとなっているんだよね。11.6cmというと、116mmとなるのか。最近の台風は迷走するし、とにかく、なんだかわからない動きが目につくな。観測史上初の、とか、記録を取り始めてから云々、なんて文字、並んでいるよね。そこへ持ってきて、気候変動とかの風潮か、温暖化はやめたんだったかな、忘れたけど。そんな中、今は青空が広がり、すっかり、夏の暑さだ。そうはいっても、秋の気配も、か。トンボも時折見かけるしね。わが七十二候は立秋だ。立原道明だっけ、風立ちぬいざいきめやも、だ。いや、堀辰雄か、いや、調べてみたら、ヴァレリーの詩か。いずれにしても、今では、ジブリのアニ...雨が降るというのに洗車
ついこの間までは、イソヒヨドリが占有していたミカン刺しの枝に、こんなキノコ。逞しい生命力だよね。この地球上の生命たちを思い浮かべると、途方もないな。そこここで息づいているわけで。人類だけで、70億?80億?それに加えての、何百倍なのか、いや、無限とも言えるくらいだな。今朝も、地の神様までの道のり、草草が勢いを増し、しかし、わが道筋は残してくれてあったな。人間の作り出したものを「文明」と呼ぶとしたら、次の文明が始まりそうな今日この頃。さてさて、どうなりますやら、といったところだな。そんな朝は、久々の清水港の走り。夏休みにつきの、多くの釣り人、で思い出したけれど、この間、結婚式を挙げた甥っ子から。写真が届き、プロフィールの中に、一生続けられる趣味を見つけた、と大きな魚を手にして。それぞれにそれぞれのご縁があり...なんていう名前なのか、キノコ
ってのが、走り終わった後の定番。なんて書いてみて、自分の周りを見渡してみると、いろいろとスプレー、あるな、と。フルボ酸原液を1000倍に薄めたもの。741Hzと2160Hzの水。天使の輝き、という、今は亡き伊勢の畏友ご推奨のクラスターの細かい水。そこに加えて、今朝はブラウニーのマスターのブレンド。豊かなラインナップだよ。それにしても、2020年の2月1日からの走り。よく続いているよ。今日で365回目。一年間毎日走った、3年半をかけて、ってわけだ。コロナがコロナが、なんて世間が喧しく、経済活動も相当制限され、なんて時に、直感だったのか。どこからかの知恵だったのか、コロナには煎じ詰めれば免疫力だよ、ってことからの、だな。この間、同友会納涼例会である御仁とそんな話になり。ワクチンでも特効薬でもなんでもなくて、自...重曹+クエン酸+海水塩
なんて表題だと、なに呑気なこと言ってんだ。なんてツッコミ入りそうだけど。第37候がそうなっている。お盆休みも近づくと、そういうことだ。前にも書いたけど、海に行ってること、もう少しすると、クラゲが出てきて、風もなんか冷たくなったり。なんてこと、あの頃味わった寂しさと共に思い出している。このところ、過去は何個もあり、現在も、未来さえ、なんて思考実験、感覚実験、認識実験みたいなのに。関心が向いていて。試し始めてもいるんだけど。次元を、5から6次元に、ってところだ。それは同時に、たぶん、長く続いてきた洗脳を溶かす、なんてことにも繋がり、興味深い。社会が、政治経済がどんな具合になろうがならなかろうが、どうでもいい、という立ち位置だろうな。そこにありませんから、ってわけだ。この間、天孫降臨の如くに舞い降りた、今は亡く...涼風至る
わが愛煙の紙巻きタバコなんだけどね。いつかは来そうな気配ではあって。アメリカ大陸は、先住民の地、サンタフェ発祥のタバコ。タバコは農業だ、というキャッチが気に入っていて。かなりの年数を、毎朝の瞑想のような紙巻きと共に過ごしてきたのだけれど、残念ながら命数を終える。といつものタバコ屋さんのおネエさんとお母さんとの情報交換。アメスピがJTに吸収合併された時点から、いずれは、なんてことを妄想もしていて。巨大な資本の論理の前では、小さな営為は風に吹き飛ぶ何かのようなものか。今朝も大挙しての来訪、スズメくんたち。笑って眺めていたよ。瞬く間に消尽し、って感じかな。昨夜は、同友会の納涼例会。青年部主催、というバンドが勢いあって良かったな。お祭りの復活だ。各地で4年ぶり、のフレーズが踊り、そこここがエネルギッシュな場に変わ...アメスピ・ターコイズそろそろ終了か。
スズメくんたちと鳩くんたちだ。このところ、カワラヒワは見かけないな。雨が降ったせいで、庭の草木も嬉しそうな、エネルギー満ち溢れ、という感じだ。いつもの地の神様までのしばしの道のり、ここにも草が茂り、なんて具合になっている。彼らの生命力を当方もいただき、だ。なにせ、植物なかりせばわが人類の生命活動もおぼつかず、政治が、経済が、文明が、なんてこと。宣ってる場合じゃないですぜ、ってなもんだ。自然は征服し、なんて文明と、共生して生きる文明の違いなんてこと、各所で感じもするな。ちょうどタイミングよく、今朝の珈琲は、すがのさんの「ヨーロピアンブレンド」。一人笑っちゃったんだけどね、ニジェール繋がりのシンクロでさ。この500年くらいの歴史?あるいは、イエスの後の2000年くらいの。それらの解釈がひょっとしたら、大きく変...今朝も大挙しての訪れ
エチオピアから届けられた珈琲。ここはどこの植民地だったのか。このところ、ニジェールのニュースが珈琲豆のようにわが列島にも届いている。フランスの「植民地」、というのか、とうの昔に解放されましたよ、民主的に、というウタイか。そこで「紛争」勃発、大統領が拘束され、と。ついでに、というか、本丸だろうけど、フランスへは金、ウランは輸出しません、というわけだ。この後の展開はどうなるのか、だけど、しかし、ビッグニュースだな。西欧文化・文明というものの根源みたいなものに突き当たり、ってことだな。この動きがわが列島にどんな変化をもたらすのか、なんてのが、一つの未来予想図。ドストエフスキーの小説の一場面、思い出すな。ペテルブルグかどこかのカフェ、フランス帰りの、西欧かぶれのインテリが、鼻メガネをして登場。なんての。もちろん、...今朝はモカ、グジウラガ
暑いですね、とか口に出そうになる。これだな。何を人と共有するか、ってなもんだ。今日はこれから葬儀へ出かける。50年ぶりに再会して(実際は15年くらいか、彼は)のプチ同窓会の後の、だ。流行りの癌。静かにお送りしてこようと思う。ネタがないと
50年以上前のだな。この中の一人が、この週末、家族や友人に見送られることになる。身罷ったわけだ。あちら側の住人になるのだけれど、先月初めに一緒に盃を交わしたのが、別れの挨拶がわりだったか。癌だったそうだ。ネタがないのでこんな写真を
お祭りの準備をして、こないなりました、って写真をアップしときますか。これを立てる支柱を入れる穴が表題だったわけだ。大雨もあり、台風もありの4年間だったんだよね。その証の泥。同時に町内の役員さんたちも、お祭り準備の役割を経験した人が少なく、あれ、どこにあるんだっけ。なんて感じで、探し物は何ですか、の世界だったな。探すのをやめたときに出てきたのかどうなのか、なんとか、準備完了、という次第。このお祭りにしても、人も少なくなったし高齢化しているし、とかのリクツで、やめときますか。なんてことになったら、そこで試合終了、ってことだからね、by安西先生。伊勢や出雲の遷宮構想ってのは、今更ながらにすごい発想だな、と思うよね。今だけ金だけ自分だけ、の対極にある発想だ。こういうところをもっと褒めそやし、ニッポンすんごい、と言...4年分溜まっていた。
藤枝での会合までのしばしの時間。近くの喫茶店に入り、こんなの、オーダーした。普段、お湯で淹れている珈琲を水出しでいただく。左上が、いつもの、エチオピアのモカ、イルガチェフェ。その下がキリマンジャロ、その横、ブラジルのサントス、これが甘くて一番あってたな。ということを、次男坊にLINEしたら、彼のブラウニー作の水出しもブラジルだ、ということで。帰宅後、賞味。ふむふむ、やっぱり、甘くていい感じ。なんて時間を過ごしたのでした。そう、その藤枝での会合というのが、中小企業庁の職員さんの報告の後、グループ討論。10年後も選ばれている企業、地域になるために何をなすべきか、というテーマ。同じグループに、某銀行さんのお二人もいらっしゃったので、思わず。この間自撮りした、女性初の役員という方とのツーショットをお見せしたり、な...水出し珈琲を堪能する
一週間か二週間か、大きな音を立てての作業だった。まだ重機は鎮座ましましているけれど、そろそろ終わり、だ。あそこ、何があったんだっけ、とすぐにわからなくなるんだよね。というか、今でも覚えてないけれど。そんな具合に、すべてのものが、朽ち果てていき新しいものが出現する。それは、庭の草木を見ていてもそうだ。木というと、そうでもないけれど、草はこの季節はことにそんな思いにさせられるな。しかし、たった今、ほんの5分の骨ストレッチを終えたところだけれど。汗が滴り落ちる。その後に吹きくるほのかな風の心地よいこと。幸せというのは、こんな時に使う言葉だろうな。骨ストレッチをせずに、たんに、今朝の気温とか湿度と睨めっこしていたら、それはそれで。蒸し暑いね、くらいのご挨拶のネタに過ぎないのだけど、だな。おもしろいもんだね。加えて...川向こうの解体が終わったかな。
「ブログリーダー」を活用して、まわりで起こっていることさんをフォローしませんか?
というか、正確には、一年先輩なんだけど。5時すぎ。それはどこでも見かける景色でもあるけれど、その姿がいかにも年寄りじみて。おいおい、俺もこんな感じかね、なんてね。笑ってしまった。そんな中、ドリプラまでの軽いジョギングを敢行。軽いと敢行という文字が不似合いだけどね。朝陽を浴びてまたぞろのビタミンDの産生作業。梅雨前の気持ちの良い朝を満喫している多くの人がいて、おいおい、日本って、平和じゃん、だな。朝の珈琲はタンザニアのスノートップ。朝早くに同級生が歩いていた。
知って行って観て会って、の実践型というやつだ。とりあえず、まずは、やってみようというわけだ。コロナ禍の、あるいは、パンデミックの中での4年近くは、情報という名の電車に乗っかっていたようなもので。おいおい、そりゃないだろ的な言説から世情からさまざまあった。おおかた、それらの力関係などなどが落ち着いたかな、という気分なので、新たに始めるとするか。ということで、なんだな。旧に復さずの復興みたいなもんだ。新しいネタに出会う。そこに思いもしない出会いがあるだろう、という推測のもとに、ってことだ。百聞は一見にしかず、とは言ったものだ。まずは、やってみる、という立ち位置です。不言実行ではなく、有言実行とでも言えるのか。動き、活動、行動、なんでもいいけれど、動いてみるか。という志の開陳。そんな朝は、エチオピアのモカ、イル...今日からアタック25、開始
久々の、だな。安全部会長をやっていた頃は、毎月の定例になっていたけれど。今は副支部長と役回りなんで、半年に一回か。いや、三月に一回なのか。というわけで、本日は一日、そんなお仕事である。会社の新しい期が始まったんだけど、今期は、知っていって観て会って、をメインにしようかな、と思っている。計画中です。現地、現場で会うこと。そこから何らかのヒントをいただく。SNSが隆盛を極め、の時代だから、なおさらの現場主義を貫く、って具合だな。そんな文化、風土を醸成し、新しい時代を創り上げていくという気概だね。当たり前化していることからの脱却の一つの手法だ。今までとは違う時間の使い方をする、かつ、それは自分にとって楽しくもあり、ワクワクもし、というね。そんな具合に創り上げる時間、そこにいる自分の姿を投影したものが未来、って算...安全パトロール
というのは、谷川健一さんの処女作。誰だったかと、直木賞を争ったけれど、取れなかったそうだ。小説です。民俗学の大家が小説を書いていたんだな、というので、Amazonの中古本、ゲット。佐賀藩、肥前というのか、そこの久留米での明治になってからの話かな。西南戦争なんかのちょっと前か。勤王派という天皇を押し立ててという群と佐幕派という徳川を盛り立ててという群れ。前者を尖り、後者を裏尖りとか称したらしい。まだ、ほんのさわりしか読んでないけれど。勤王派=尖り=反ワクとか、逆がワク推しとか、あるいは、ロシア推しとウクライナ推し。なんて類推も可能かね。いつの時代も、そうやって群れるわけだ。それぞれの正義を押し立てつつ、ということになるね。と書くと、いかにもシニカルではあるけれども。もっとも、ワク云々の話は医学への信頼性の話...最後の攘夷党
というのが、昨日来社された広島からの客人。だから、白人が多いんだ、というんだ。おいおい、グローバルサウスってのを知らないな、ってなもんでもあるけれど、一般的な解釈では。そういうことになるんだよね。西欧文明っての。それがピークアウトしているんだけどさ。それはともかく、彼の地も御多分に洩れずのオーバーツーリズムなのか。安い安い、ニッポン安いの合唱なのかもな。アメリカの時給が3千円とか4千円とか、マックが3千円なんて話が実しやかに伝わってくるしね。そういえば、彼曰く、熊本の、例のTSMCブームについて、だった。大きな工場ができる、そこで働く人たちが集まってくる。すると、住むところが必要になる、という波及的な効果があり、景気いいですよ、ってわけだ。ついでに、時給が3千円くらいで人集めしているらしく、他の業種から人...広島のインバウンドはちょっとレベル高い?
が、始まっているんだろうな、辰野村。先週お邪魔した信州の村なんだけど。七十二候の第26候は、腐れたる草蛍と為る、だ。なんとも素敵な文言だな。腐った草の下で育った蛍が孵化し、光を発して飛びかう頃、とある。コンビニで会ったり喫煙スペースで会ったりのジモッティが、今年の蛍は少ない。と口々に言っていたのを思い出すな。自然が残されている、という言い方がされるけれど、それほどに自然を侵食してきた文明というものがある。とも言えるし、そのおかげで、便利さを手に入れたとも言える。しみじみと感傷的に語ることもできるし、さらに、まだまだもっともっと、と物質や精神の「豊かさ」を求める。なんてことも可能でもあるわけだ。どちらが善で悪で、ということでもないんだろうな、人間の営為の結果、結実だ。当方は、適度に制御された自然、ってのがお...蛍まつり
小芝神社さんからいただいた榊。それを何年になるのか、事務所の神棚に進ぜ、のあと、植木鉢に。それが大きくなっている。大したもんだ。そろそろ、植え替えしなきゃ、だ。自然、わが方もその一部ではあるんだけど、すごいものだね。いつだったかも書いたけど、タラの木の伸び方ってのは、驚きだ。そのほかにも名前の知らない草花、草木が生命力を際立たせ、こちらも刺激を受けるわけだ。ピークアウトしたかも、の学校教育がそのうち、耕作放棄地のようなところを題材に。食をいただく、自然の恵みを体感、体験するということに変わるかも、なんて予感です。どのみち、土から生まれた、地球そのものからいただいた命を日々、味合わせていただいている。そのことの、当たり前さを再認識というのか、再教育というのか、だな。なんて思っていたら、いつもの藤原直哉さんも...榊が育った
なるべくカタカナは使わずに和語で行こう。なんて画策しているのだけれど、そこはそれ、現代っ子のわれでもある。ので、仕方ないか。煎じ詰めれば、漢語だって、つまり、4文字熟語とかさ、それも使えないわけだからね。という前置きはともかく、マスク。このところ、いつもの歩き人、歩行者、ウォーカーの御仁のマスクが取れている。時折、巴川を走るマスク姿の若者を見かける。介護系か医療系か厚生労働省系か。covid-19と言い習わされた感染症というものに対するリスクの捉え方のさまざまな姿があったわけだ。マスク、というのがわかりやすい目印でもあって。それぞれの考え方、立ち位置が白や赤や黒や緑やオレンジで彩られていた。みんな違うんだな、とね。同じように、電車やバスの中でも、最近の人たちはスマホと睨めっこで、なんてぼやきが聞こえてきた...マスクとスマホ
朝早くに彼がやってきて、ああだこうだの話。立ち位置としての死後の世界なんて話も、当然、出てきて。ブログアップが遅れてしまったのだけれど。昨日は久々に札幌の女史とのメッセンジャーでのやりとり、その流れで富士在住の御仁とも会話。これはこれで、また新たな出会いとも言えて。この世はご縁の連鎖でもあるな。そこから喜びをいただき、さらに増幅させる、ということだな。リクツはいろいろと考えられるのかも、だけど、そこに感情を、しかも、より温かな明るい感情をまぶし。というわけだ。さて、短いけれど、今日はこのあたりで。今朝は長男坊との珈琲タイム
死がタブーみたいな世情では今朝の表題は物騒な物言いとなるかも、だな。どうもこのところ、そんな気分でいるんだよね。俯瞰して外から眺めている、という状態。自分が口出ししては身もふたもないし、ということは、たぶん、あちらの世界へ移ったばかりの頃はそうかも。なんてね。眺めるしかない。眺めることを楽しむことができるかどうか。いずれ、やってきた世界へ帰ることになるのだろうから、その予行演習とでも言えるかな。昨日行った歯医者さんでも、娘が大学院出てきて、という前置きとともに、今日は彼女にやってもらう。というお父さん歯医者さんの弁。その立ち位置が表題みたいな感じでもあり、だな。静々と娘に従う姿が、微笑ましいような慣れないような、そんな具合だった。そうだ、東京在住の親戚からLINEに写真が届き、それが母親の若かりし頃のみた...事業承継は死後の世界みたい
いわんや悪人においておや。昨夜、たまたま手にしたのが「歎異抄」。親鸞だね。たまたま開いたページが第三章だったか、表題だ。善き人であろうという自力とすべて弥陀に任せ切る他力というやつについての、親鸞の思索、修行の結果だ。弥陀に任せ切って生き切ることだ、と言い捨てるとでも言おうか。朝からなんとも香ばしい話題だけど、どうも今回のこの言葉との邂逅はこれまでとは違って、そりゃそうだ。なんて感想が湧いたんだな。なぜかはわからないけれど。善人なをもて往生をとぐ
と書き始めて、どのくらいの方に通じるのか。なんてふと思った朝。いつだったか、彼が、そう、フォークシンガーにしてランナーの彼が、アメリカだったかで走ることを始めたその日。隣の友人だったのか、なぜ、そんなに歯を食いしばって走るの?と言われた。という逸話に出会ったんだな。競技としての走りというのが、あのフォークシンガーにしてもその残滓が残っていたわけだ。走るってのは、根性だぜ、的な。この話はおもしろいなと思いつつ、このところ、そんなことを意識しながらのわが走りなのです。もっとも、それぞれの想い、価値観、考え方、人生観、ま、いろいろな言い回しはあるけれど、それはそれで。って具合だな。当方にはこの逸話が響いた、というだけのことだ。何日かぶりの朝の定位置からのブログアップなのです。傍には、ブラジルセラードブルボン、コ...高石ともやが
今日は写真のみ。朝の走りの写真も。釜山空港にて。
晴れ晴れ、って朝だ。釜山。何回目になるのか、何年か前にホームステイをさせてもらったお宅も、今はどうなっているのか。ご夫婦はこちらにはもはやいないわけで。歳月というものは嫌も応もなく過ぎ去るんだな。なんて当たり前のことを宣ってもいるんだけど。爽やか晴れ晴れなので、巴川べりを歩く方々も明るい会話だ。というわけで、久々の飛行機に乗り釜山へ行ってきます。釜山への朝
昨日もふれた成長が早いという話。地の神様への道を通せんぼ状態で、これ、2年もしたらジャングル状態になるかもな、と。自然に見習うことはたくさんありそうだ。ほっとけば、見栄えはともかく、彼らの生態系を創り出し、紡ぎ出し、って具合だ。そんな大自然の一部たるわが方も知らぬが仏という間に、人間的に言えば、淘汰、整理整頓が進み、だな。人間関係にしても、こだわる御仁もいらっしゃるし、飄々となすがままに、なるがままに、という御仁も。おもしろいもんだ。人それぞれに誕生前に人生物語を決めてきた。なんていう言説もあり、そう、高校生チャネラーのまりなちゃん、という女史が明るく語っていたな。明日からは釜山だ。昔からお世話になっている御仁方との旅。任那へ行ってみたいな、という思いはありつつ、実現するかどうか、わかりません。白村江の戦...タラの木が道を塞いでいた。
というのが、今晩の顛末とあいなり、って具合だ。寂しいような嬉しいようなだな。昨夜も少し遅がけに一献やり、あれやこれやの話に花が咲いた。明日もどうやら一献、って感じでもあるから、ね。飲んでばかりいるじゃんか、ってなもんだけど、それも人生の、宇宙の流れ、と言っておきますか。というわけで、朝から雨だ。それにしても、この時期の草木の成長度合いったらありゃしない。早い。凄まじく早い。今朝の地の神様への手向どき、ほぼ1mは伸びたんじゃない、ってほどで。他にも、草がさらに青々としていて、これほどの天啓、僥倖といったらないくらいのものだ。心静かに眺めると、見えていたものが見えなくなり、見えてなかったものが見えてくる、なんてこともありか。今朝は後からの客人への珈琲のため、朝一珈琲はなし。ちょっと寂しくもあり、だけど、それま...大雨につき懇親会は中止
昨日に続きの、だな。くどいかも、ではありますが。これ、当たり前と言えば当たり前で、日常生活の中でもその通りのことが起こっているにすぎず。こと改めて、というわけでもない、とも言えるけれど。それにしても、こうした動きのあるフレーズというのはいいものだ。どうみても、西洋文明と呼ばれてきたものがピークアウトしていて、では、その変化の先は。ってことだな。ズブズブのニッポンすんごい運動かい?でもあるし。西洋との真の融合かい?なんてね。声の大きい側がよく聞こえてくるうちに、なんとなく、その声に引きずられていました、なんて話でもあるな。どのみち、この先は、人類であったり、人間存在のほんとの姿であったり、なんてところに焦点が定まり、かな。そのあたりから説き起こさないと、うだうだになっちゃう、ってなもんだろうな。そんな朝は、...変化の先へ
なんて表題に書くといかにも、って具合だけど。これ、おもしろくて。環境が変わるとそれぞれの人の中で、ある種の事件となる。事件は現場で起こっているんだ、という室井さんへの青島の言葉だな。現場はどこにあるのか、ってのも、話題の一つではあるけれど。この間の同友会の総会、パネルディスカッションのコーディネータを務めたの、だけど。その総会で発表された言葉が、どうも気に入っちゃって。それは、「変化の先へ」というものなんだけどね。とても動きのある言葉だな、と感心しているわけだ。先へ、というのね。と同じようなもので、事務所の風景が変わるとそこに自動的にエネルギーが発生し、なんだな。失恋したら髪を切る、とか、鬱々としたことがあったら通勤経路を変える、とかね。早い話が、ルーティンの変更、ってやつだ。いつの間にか、ルーティン化し...フリーアドレスの意味と意義
彼、毎日なのか、二日に一回なのか。とにかく、巴川べりを走っているわけだ。運動をすると、鬱やら認知症やらになりにくい、という本、お借りしていたんだった。来週には珈琲タイムにお招きして、だな。なんやかやとイベントが後から後からやってくる、いや、こちらから仕掛けているのでもあるんだけど。サンデー毎日にはならないな。とはいえ、季節とともに歩く人も多くなっている。正直なものだ。カラダを動かしたくなるんだろうね。人類史から見たら、今ほどカラダを動かさない時代はない、とも言えそうだし。食べることも、当たり前になっている、三食なのか一食なのかはともかく。高校だったか中学だったかの先生が話していた、発掘された頭蓋骨に残る飢餓線なんての、覚えてるな。必ず、人生に一度や二度は飢餓の世界を彷徨う、みたいな話ね。もっとも、人類は6...今朝も一人ランナーが
が、巴川べりを走っていく。そうだ、そうだ、それでいいんだ、みたいな掛け声を心の中で呟く。初心者もベテランも、って感じだったな。昨日のことだ。今朝は三人さんだ。なんとも平和な光景だ。事務所内は、フリーアドレスの机の並び。この件についての感想は、またの機会に、ということにしておくか。なんにしても、やってみないとわからないことだらけ。やってみる、結果を検証し、変えるところは変え、とPDCAってことになるな。すべての物事が。それについてのフットワークの軽快さがあれば、ほとんどのことは明るい未来を描いてくれもし。あれが悪いこれがいけない、という具合に感情に流されたままだと、そりゃまた、めんどくさい話になる。わがベランダレストランでは、猫の襲来にもめげずに、小鳥たちがやってくる。ちょっと、数は減ったような気もするけれ...朝早くに四人のランナー
このところ、夜は外食が続き。だな。コロナのおかげさまで自宅での夕食が増えていたのだけれど、だ。あの美味しい食べ物、あの美味しいお酒、みたいなことになりつつあり。どうもね。消費社会、なんて言葉が気にもなるわけだ。とかきはじめると、親父の繰り言みたいになっちゃいそうだけど。自分の中で、今までの価値観ってのを、点検しつつあるんだよね。でないと、今、まわりで起こっていることがよくわからないんだな。まわり、といっても、ネット上が多いのかも、だけど。にしても、いろんな方との会話の中に見え隠れするもの、ってので、確認も取れたりするからね。昨日も、某銀行さんの方がいらっしゃり、株が38000円、いきそうですね、みたいな会話から始まり。なんとかかんとか、って話題ね。でもさ、こういう見方もあるよね、と持ちかけ。ドルがいつ崩壊...表題が出てこない朝
なかなか、柔らかくて、厳島神社のいかめしい名前の真逆かもな。秋の宮島、っていうか。船に乗って、あの平家の島へ渡ったな。これまた、同友会の全国大会の後だったか。この珈琲、富士宮の若手経営者にいただいたんだ。わが社で二回、僕の淹れた珈琲へのお返し、ってなもんだな。律儀に約束を果たす、ってのは、見上げたもんだ。という具合に、ご縁がご縁を生み、って次第で。袖すり合うも他生の縁、ということになると、途方もない数のご縁をいただき、差し上げ、ってなことだね。多逢聖因(たほうしょういん)なんて言葉、安岡正篤さんの本で教わったな。縁が縁をよんで何事かが生まれる、ってなことだな。この宮島といえば、どうしても思い出すのが、わが友人、森町出身の。彼のご先祖さま、厳島神社の宮司さんだったそうで、平家だよな。落ち延びて森町の深山で生...今朝はいただいた宮島珈琲のブレンド
梅雨の合間に青空がのぞく、みたいな表現かね。いきなりだけど、どこかで、時間泥棒、なんて言葉と遭遇した。ミヒャエル・エンデだっけ、「モモ」に出てくる言葉かな。本棚に鎮座ましましているんだけど、まだ、ほんの数ページをめくったのみだ。ずっと以前に読んだような、あるいは、漫画かなにかだったか。この、時間、というのは、なかなかやっかいなものだよね。難しいというか、日常の認識・認知みたいなところから、隔絶し、ってのが必要になりそうな。たぶん、そこを超えないと、宇宙へは行けないだろうな。マヤだったかアステカだったか、いずれあの辺りの先住民族のシャーマンが。どこの星だったか、えらい遠い星からやってきた、と。どうやってきたんですか、の問いに、こうやって、と空間を折りたたんで、というわけだ。それを、非科学的な、無知蒙昧な部族...雨予報が青空だ
この前に、酒に酔えば新しき世を言い合えど、というのが、昭和11年の近藤芳美の歌。どうもね、あの頃から離れないんだな、226前後の頃、当方の意識も。昨日も、パラパラと「B面昭和史」と過ごした。後世に、大事件と記されることとリアルタイムで起きていたこととの乖離とでも言おうか。今も変わらないからね。当たり前と言えば当たり前なのかもな。それほどに、言葉で記録されたものというのは、一面しか捉えられず、なんだけど。日々の生活、仕事の中での出来事でも、言葉を紡ぎ、脳内、体内へ埋め込み、なんてこと。あるある、だからね。この世界の不思議さ、ってなもんだ。昨日は雨ゆえに走らずで、久々の河岸の市へ、だったな。うまそうな本鮪のかまがあったな、小アジもあったな、とか手に入れられなかったものが浮かぶ。ところで、昨日からの七十二候、第...白々しさははや意識せり
お正月の箱根駅伝は第14回、日大が二年連続優勝、2月25日の沢村栄治は敗戦投手、読売巨人軍VS金鯱名古屋軍。その翌朝の出来事。それが、昭和11年の、いわゆる2.26事件。青年将校が決起して、いわゆるクーデターだよね。そんな時間の流れだったらしく、そりゃ、いつの世も変わらないんだろうね、と。その後、一気に戦争へ、南方北方への流れが急加速し、沢村栄治もどこだっけ、戦死しちゃったんんだよな。なんて、「B面昭和史」を読みながら、感慨に耽っていたわけだ。たしか、柳家小さんもクーデター側で現地にいたらしいね。もちろん、確たる思想のもとに、というのでなく、召集されていた軍隊の命令のままに、ってわけだな。その頃、古今亭志ん生は、ほぼほぼ、人生初めての靴を履いて戦争鼓舞の行進、つまり、歩いたそうで。途中で、靴は痛いから、と...民草は箱根駅伝の後、沢村栄治に興じている
と思いきや、二週間前に15km近く走っていた。アナログのノートに記録してあるんだよね。iPhoneのアプリから転機するのが、これまた、もう一つの楽しみでもあり。その下に、覚書を少々書き込み、という作業ね。例えば、今日のメモは、オリンピックモードの克服、なんてのがかかれている。いかにも大仰な、だけど、このところ、一つの関心事項なんだ。ギリシア由来の競い合い、しかし、参加することに意義がある、なんてサブタイトルもある。戦場の勇者を早く遠くまで走る、なんて幻想が2000年以上続き、ということだけど、その実。どうなんだろうね。戦は、どう見ても統治側の話であるからね。とはいえ、それに多大なる影響を受ける人生を送らざるを得ない側もあり、か。ま、そんな朝はケニア、キアマバラの珈琲。今日は、間質性肺炎の御仁をCS60の施...久々の10kmか
昨日のお昼は会社のご近所から少し離れたトンカツ屋さんにて。50年は営業しているという御仁との会話。昔の清水はすごかったからね、というわけだ。どのくらいの昔から栄えたんだろう。次郎長の頃からか、それとも、武田信玄がやってきた頃からか。地元に住みながらも、歴史知らず、ってところだな。これもちょっとググれば、あるいは、chatgptに尋ねれば、たちどころにわかる、ってシロモノだろうな。雨が激しくなってきた。巴川の水嵩も増え、スピーカからの広報静岡の声が思い出される。このところ、といっても、どのくらい前からなのか。何年?このかた、災害放送が多くなっているような気がする。あくまでも、気がする、ってだけだけど。それに加えてネットでの応酬みたいなものも加わり、だな。それをもって、情報が溢れかえり、ともくくれるし、ありが...昭和14年生まれだよ
たぶん、今朝の表題は正確ではないのだろうけど、夕べ。プチ漢方の講習会に早変わりしたお宝発見の委員会。むつごろうさんの語り口がまた、現在横溢している世情とは別次元で。とてもよかったのでしたが、そこでの一コマ。入れる医学と出す医術、なんて括ったら乱暴すぎて医学を志してきた方々の顰蹙ものかも、だけど。表題のことなんだけど、もともと涙腺が弱い、とか、涙脆いとか、そんなわが身を肝臓の観点から眺めると。ってわけだ。モノごとにはそれぞれ、訳があるんだよね、知らないうちの。僕の友人知人関係で、若い頃からお酒の呑みで、肝臓をやられた、なんての、何人かいたんだよね。もちろん、とうの昔に、こちら側の住人ではないのだけれど。そんなことが思い出される、涙は肝臓からの、ある意味贈り物とも言えるな。お宝といえば、またぞろのレナード・コ...涙は肝臓のデトックス
この二日の通夜、葬儀を経ての感想だな。エネルギー充満し、それを周囲へ撒き散らす、というのではなく、という感じ。ただ、坦々とある、ということ。そこだろうな、という直感です。そもそも、もともと、エネルギーというのは、自分の意思と関係なくそこここに存在し。それへのアクセスを遮断するか、それとも、まんま受け止め、受け入れ、ありのままにあるのか。くらいの話なのかもな。頭過重になることさえ注意していれば、なるようになる、会津の「ならぬものはなりませぬ」とは。少し違っているかな、ってくらい。ひょっとしたら、あれも、倫理道徳的にではなく、もともとは、あるがままの世界を言っただけだったのかも。今朝もカワラヒワがやってきていて、すっかり馴染んでいるな。スズメとハトの世界に。どんな出来事が、彼らの中で起こっているのか、なんて興...静かであること
お世話になっていたんだろうし、いるんだろうな。というのが、夕べの通夜行だった。商売始めた頃から、いや、前の会社からのお付き合いか。その方が、76歳の生涯を閉じた。壇上の遺影がいい写真で、まんま、だったのを眺めながらも通夜行の席では珍しく目頭にきた。40年か。合掌しても、ありがとうございました、としか言えなかったな。今日も葬儀に参列させていただく。なんてかいているところへ、長男坊から、今期、いや、前期か、の売上数字云々のLINEが入ってきた。若手二人の役員で数値計算をしてもらっているんだけど、なんとも言えない瞬間でもあった。集団がキュッとしまったとでも言えるか。あるいは、次世代へ繋ぐ端緒、か。いずれにしても、もっともっと面白く楽しく素直な時を迎えていくか、というエネルギーが起こってきた。このところ、来月早々...たぶん自分で気がつかないくらい多くの方に
エチオピアから届けられた。イルガチェフコンガと名付けられている。世界的には景気減衰傾向で、諸々のモノが下落。なんて話、昨日は、藤原直哉さんで聞いていた。彼、金融などのデータ読み得意のようだから、安心感があるんだよね、聞いていて。ゾッコン惚れ込んじゃってる、ってわけだけど、それはそれでやばいよ、って風情でもあるか。いずれにしても、無数の事件の中からの分析、解釈が、ちょっと飛び抜けてるかな、と。大本教の信者だ、と公言しているところもいいんだよね。大本といえば綾部だ。出口王仁三郎の弟子、養子か、の出口日出麿の弟子という宮司さんと一時期、禊の旅をしていたことがあって。鹿島神宮とか香取神宮、白糸の滝、富士山の裾野、三保の海、とかね。大本教については大した知識もないんだけど、その頃。歴史を少し調べたことがあって、戦前...ひさびさのモカ
イチゴのジャム、作ったんだけど、煮込み方、足りなかったかな。は、ともかく、そのために、いつもの八百屋さん、いや、これは。バローという岐阜からやってきたスーパーだったかな、レモンを買っておいたんだ。それが、表題のようなもので。エルドアンが再選された頃に買ったんだったかな。あの辺りの歴史、詳しくないけれど、オスマン帝国の末裔だ。そんなことを思わされた瞬間が、スーパーの棚にあった一個のレモンだったんだよね。西欧文明とそれ以外、まるで、化外の民という具合の区分けが長く続いたけれど、それもぼちぼち終了。みたいな時代転換の中での、トルコからのレモンだ、なんていかにも大仰だけど。ところで、わがMacの文字変換、というのか、けがい、と打ち込んだ時の変換リスト。化外、が出てこないんだよね。どこの国の人間が作ってんだ、ってな...トルコからのレモンを買ったんだった。
の朝。ひとまず、よかった。昨日の昼間の様相、その後にもう一度ピークを迎える雨、という予報にひょっとしたらわが社の三階も必要か。なんてことを思い立ち、自治会長さんにシャッターの鍵の確認。と、前任者からの引き継ぎがなかったようで、結果、会長さんにお渡しした次第。なんて事のあった夕暮れ時だった。こちら、朝の巴川は穏やかで、ランナーが走り抜けてもいった。傘をさしての散歩の姿もほんの少し、という感じ。今日は、ついこの間、ご近所の八百屋さんで買ったイチゴをジャムにしようかな、とかね。そら豆とマグロの油漬けのサラダ、も。なんてことを画策しているんだけどね。まだ雨が続くという予報の中、静かな朝だな。巴川は氾濫せず
ボブ・ディラン。で、わがブログを検索してみたら、結構、かいてるな。ふとね、そういえば、このパンデミック初期に、彼、この歌、リリースしたんだった、と。JFK暗殺のころのアメリカを歌っていたわけで。つい最近、JFKの甥っ子になるのか、民主党から大統領選に出ますよ、とね。続いて、JFK暗殺の暗部、闇の部分を語り出したりしてるし。もちろん、公文書を披瀝、って感じだからね。「人類は月に行ってない」論を捲し立てていたのは、エキセントリックな思想家、副島隆彦。だけど、そんな秘密も開示したりし始めているし。自由の国、アメリカ。ほんとに、自由だったんだよね、ある意味。なんでもあり、って具合に。今朝は、雨だ。これから大雨になるという話もあり、の巴川を眺めながらのブログアップ。このところ常連さんになりつつあるベランダレストラン...murdermostfoul、を久々に聴いた。
新参者だけど、物おじしないところがいいね。スズメの群れに混じっても動じず、だ。今朝の珈琲は、ケニアから届けられたキアマバラ。甘い、という言葉がやってきた。玄米食にしてからどのくらいになるのか、一回の咀嚼が100回くらいか、そんなでもないか。いずれにしても、咀嚼回数は劇的に増えているわけで、つまり、食材が口の中にいる時間が長くなった。ので、たぶん、わが口腔内の感覚も知らぬ間に鍛えられるのか。なんとなく、微細な味の違いを感得しているような気もする。そのところを楽しんでいる、ということなんだけどね。食べる時は食べるだけ、って感じなんだろうな。知らぬ間に、ね。ながら族からの卒業か。と言いつつ、動画見ながらのネットサーフィン、なんてのは、やまないけれど。月が革ったので来月になるけれど、大学の時の友人が、ご当地、清水...今朝もカワラヒワ
なんてカタカナ語、あったな。という表題からの始まりですが。今朝のわがレストランには、スズメと同じくらいの、体に黄色が少し混じった鳥がやってきていた。外を見やったら塀の上にいるな。なんていう名前なのか、と今調べたら、カワラヒワというのかな。便利なものだ。すべてがわかってしまう、わかるのが当たり前の世界。なんて錯覚しちゃうのも宜なるかな、ということになるね。わかる、は、わかつ、に通じ、ってのは、安岡正篤さんがどこかで書いていたな。わける、というのが、そのものと隔つ、ということで、わかった事にならない。という何ともへんてこりんな展開になっちゃったけれど。カワラヒワは一羽で、群れているスズメたちに混じって餌を啄んでいる。見上げた根性でもあるな。そうだ、昨日は、パワポの教科書を買っちゃいました、だな。ちょっと勉強し...雨だす。
生きることにおいて、という意味ではなく、ブログをかくのが、と注釈付きですが。なんだろうな。というのも、宇宙人と言われてしまうのだろう人、とも違うようだけど、そんな会話が。妙に心に残りつつ、なんだよね。アシュタル・シェランと名付けられた存在。「ニシキトベの復活」をかかれたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿がお気に入りで。この間、熊野から来清された三石さんもご存知だったな。どうもね、認識の仕方そのものの変容、変換、転換みたいな具合だ。認識だから、人間関係なんかにも通じ、だな。そんな今日は、財務省の出先機関の方々との懇話会。楽しみでもあって、ね。どないなりますやら、ってなもんだ。そうだ、昨日は、母親のところへ行ってきたんだった。久々の面会。なかなか、僕ということは理解できなかったようだけど、そ...今朝は気が乗らないな。
ということで、本の帯のような投稿にしようかな。一筆書きともいうか。八ヶ岳は気持ちがよかった。久々だ。八ヶ岳倶楽部は今頃どうなってるかな、なんてふと、亡くなった柳生さんのことも思い出され。山の師匠に連れて行ってもらった11月の零下10度の時の昼食、自分史上最高に美味しかったカップヌードル。なんてのも。過去も未来も一緒に、今この時に存在する、というデンで、そのうちに八ヶ岳ツアーもありそうだ。単に、山を登る、ということではないツアーだけど。そういうわけで昨日は、走らなかったんだな。週末の、しかも、雨でない日に走らないというのは、相当の覚悟がある。なんてかくといかにも、だな。そうだ、この間、三石さんにいただいた本、「熊野から読み解く記紀神話」というの。その中に中上紀さんという中上健次の娘さんの文章があり、ふと、親...ヘヴィーな話はやっぱりかけないな。
エネルギーワーク。E=MC2乗の御仁を引き連れての、久々の訪問とあいなる。中部縦貫道開通で、近くなったな。1時間半か。虹の郷ができる頃の修善寺もそのくらいかかったな。とにかくそういうわけで、行ってきます。今日は八ヶ岳へ
すごいものだね。振り返ればあっという間でもあり。今朝は三保の松林の入り口くらいまで走り、海岸沿いの遊歩道も少しばかり。なんだけど、あの頃、6700日前ね、そんな自分を想像したことがあったかな。まったくないな。まさかね、この歳になって走ってるなんて、まさに、まさかの坂ってわけだ。とはいえ、それが楽しいのでやっているわけで、今日で345回目だ。今朝の出だしは、走り始めた頃に、ちょっと、チャレンジで海を見てこよう、なんて掛け声で。初めて走った道を選び、今度はもう少し大きな海を見ようか、なんて具合の松林ってことだな。とにかくそういうわけで、走ってきたのであります。そしてルーティンの珈琲。これもまた、まさか、だな。6700日前の自分に教えてあげたいくらいで。おい、おまえ、って感じでね。あるいは、きみ、か。6700日...ブログ開設6700日だそうだ。