chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
とし、ひろし
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2018/10/03

arrow_drop_down
  • 「大人と黒歴史」

    大人になるにつれて全体を考えることが出来るようになるというのは、所詮は考えなくてはならなくなるからで、思考の本質は子供と変わりやしないと良い。大人になるということは自分の地位や収入のために、全体の利益になるように動かなければいけなくなるということで、それは当たり前のことだから、どうせ自分もいずれそう動くようになる。これは必ずしも自分がしたいことができなくなり、必ずしもなりたい自分になることができなくなることを意味し、大人になるということは寂しいことなのかもしれないと思わせたりする。 全体から見た自分の存在意義と向き合わずにやりたいことが出来るピークは小学生のときで、これは例えば運動が得意ではな…

  • 「儀善」

    思い返すと、偽善という言葉が刺さることを沢山してきた。ボランティア証書欲しさに学校周辺のゴミを拾った。敬老会の準備もした。内申のほんの数点の加点欲しさに綺麗事を言って生徒会の役員をしたこともあった。地域を変えたり、学校を変えたりという大義名分の中に、自分の思惑がばっちり見えるまさに偽善だが、その時はそんなことを批判する尖りを見せていたら苦しむのは自分だということに疑いが無かった。 偽善者にとって一番厄介なのは偽善を見抜き、それを指摘する奴で、偽善者はどんな反論をしても図星感が拭えず、残された道は切なく笑う道のみだ。善行の中に偽善があって、自分のためであったとしても世のために前に進もうとしている…

  • 「表裏」

    前回の記事から時間が空いたのはインターンの出張が多忙すぎたからだが、それでも「三日坊主」というパワプロの赤特殊能力にあってもおかしくない習性が自分に邪魔を仕掛けたのは事実で、ずるずると日が過ぎ、よしやろうと思った昨日に限って、野犬に噛まれて注射行脚を余儀なくされるのだから、パワプロ同様この習性を消すのは意志だけではどうしようもなく、神の思し召しに頼るほかないように思えてならない。 吉凶禍福は糾える縄のごとし。人間万事塞翁が馬。好事魔多し。それぞれ意味は違えど、良いこと、悪いことだけではいかないことを表していて、長い人生で見ればそりゃ幸も不幸もあって当然だと思えたりするけれど、良いことがあっても…

  • 「あとのまつり」

    自室にはいわゆる要らない物が度々溢れるが、それは後々見返して懐かしみを与えてくれるのではないかという淡い期待感が、場所を取るという自分にとっては微々たるデメリットを上回ると信じているからだ。誰かから貰った手紙や写真の実用性は確かにゼロだが、そんなことを考える方が野暮というもので、例え中学の参考書にでも、頑張った思い出が宿っているものには価値があると思っている。物には持ち主の魂が宿ると教えられてきた。 そう教えておきながら、先生という役目を8割方終えた親兼家主としては、そんなこともう知ったことではなく、彼らにとっての余分な場所を取るという大きいデメリットは捨てるというシンプルな作業を行うことで解…

  • 「郷愁」

    年始の恒例行事である餅つきを、我が家では年末に行う。もち米を冷たい水で洗い、窯を組み立てて、窯の中にそのもち米と水を入れるところまでは大人の仕事。俺と弟は、枝を集めて火の前に座り、適度に木を加える火の番が主な仕事で、仕事量はただテレビを見るのと変わりはしないのだが、甘々な祖父母はこの仕事すら褒めたから、毎年得意げになったものだった。小学一年生の自分は、二十歳になっても祖父母は自分達に甘々で、自分達が相も変わらず火の番で満足しているとは思いもしなかっただろう。 そんなわけで、冬の冷たい空気と、何かが燃えた匂いは餅つきを連想し、祖父母の家がある田舎への郷愁と、家族団欒のワクワク感を思い出させるのだ…

  • 「いらつきは有効、大きな目標は一本」

    真夏に家に帰ると、まず冷房を18度に設定する。寒くなったら、毛布に包まる。これがエネルギーの無駄遣いで、地球温暖化を助長することを指摘されても、知ったことではない。そんな現象実感がわかないし、自分が死ぬまでに地球が無くなるわけではない。夏、数度上がったって今でも暑いのだから変わらない。冬はむしろ暖かい方がいい。生態系など壊れればいい。都合の良い動物だけどうにか育てる方法を、誰かが考えるだろう。何か問題が起きても、どうせ自分が死んでからだ。こんなこと気にしていたら、何も気にしていなかった世代と比べて不公平じゃないか。 高齢者があえて若者に投票に行くな、と呼びかけ、投票率をあえて上げる動画が流行っ…

  • 「ゆめのはなし」

    インドといえばターバンを思い浮かべる人が多いけれど、実はターバンを着けているのはシク教徒だけなんですね、シク教徒はインド人口でも少数派の方なんですよ。こんな知識は、こすりにこすられた薄すぎるインド知識であって誰でも知っていることだが、普通の会話ではこのレベルを言及するくらいがちょうど良いのかもしれないと思う。シク教は誤りで、正しくはスィク教なんですよ、まで言及すると十中八九引かれる。そんなこと一般的にはどっちでもいいことだからである。 昨日、いつものように寝る前に「今日の記事」を訳して、スマートフォンを見て寝た。そしてそのときFacebookで友達がシェアしていた記事と、自分が訳した記事に影響…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、とし、ひろしさんをフォローしませんか?

ハンドル名
とし、ひろしさん
ブログタイトル
インドって東南アジア?
フォロー
インドって東南アジア?

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用