近鉄藤井寺駅のすぐ近くに鎮座する神社で、その「藤井寺」の名前が古代「葛井氏」とその氏寺に因むと知った時は、改めて古代氏族の名前が現在の生活にも影響している事にいたく感激したものです。実は神社の公的なご由緒には葛井氏は見えないのですが、今も葛井寺とセットで鎮座している事が何とも意味ありげに感じました。
櫻井神社(堺市南区片蔵)~須恵器の聖地・陶邑窯跡群に鎮座する国宝の拝殿
[ さくらいじんじゃ ] 堺市の泉北ニュータウンから少し外れた、昔ながらの風景の残る地域に鎮座している桜井神社。実家から車で山中の道を行けば結構近くなのですが、そんな場所に国宝になっている拝殿を持つ神社があると知り、帰ったタイミングでさっそく参拝しました。駐車場は50台分あるとの事でしたが、大きな駐車場は通常時は入れないようになっているようで、鳥居背後にある数台程度停めれるスペースを使う事になります。 【ご祭神・ご由緒】 現在のご祭神は、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后が祀られますた、これは推古天皇5年(597年)に八幡宮を合祀した為と思われ、創建時期としては不明ながら、この地域に居住していた桜井…
備前一宮 吉備津彦神社(岡山市北区一宮)~吉備の中山の東に鎮座する、日本最大の燈籠を誇る一宮
[ きびつひこじんじゃ ] 吉備津神社と共に吉備の中山を背後にしている神社で、こちらは東麓に鎮座しています。地域では吉備津神社と共に両参りする事が推奨されているようで、当社もしっかりと参拝させていただきました。吉備津神社が全国的に有名な社殿や境内、エピソードに溢れているので、こちらはどうなのかしらと思いましたが、相当に豪壮な社殿群や日本一大きいという燈籠などがゆとりある境内に広がり、多くの参拝者で賑わっていました。 向かって左の神池と亀島 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は大吉備津日子命で、基本は吉備津神社と同じです。ご由緒が同じ「吉備津彦命の鬼退治」で、その由緒地が吉備の中山であり、大吉備津彦命の…
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近鉄藤井寺駅のすぐ近くに鎮座する神社で、その「藤井寺」の名前が古代「葛井氏」とその氏寺に因むと知った時は、改めて古代氏族の名前が現在の生活にも影響している事にいたく感激したものです。実は神社の公的なご由緒には葛井氏は見えないのですが、今も葛井寺とセットで鎮座している事が何とも意味ありげに感じました。
大阪市内に、古めかしい「杭全」の難読名をもつ神社が、あの坂上田村麻呂とのゆかりがあるという事を知り、参拝させていただきました。天王寺から電車ですぐの「大阪市内」の都会にも拘わらず街並みは静かな住宅街で、その中に突如現れる大鳥居には、現在も地域で篤い信仰を受け続けている事を感じました。
世界遺産である古市古墳群の中で、「古墳の上に神社が鎮座」して、誉田八幡宮と共に(規模は多少違いますが…)古墳と神社がセットで堪能できる特異なスポットです。古墳は野中宮山古墳(別に野中古墳がある)と呼ばれ、神社がある事が名前にも反映されていますが、史跡には指定されておらず、世界遺産登録にも含まれていません。しかし、桜の名所として知られていて「藤井寺八景」のひとつになるほど親しまれている地です。
[ しらひげじんじゃ ] 比良山系の断層崖が琵琶湖に沈んでいく地点の、白砂の汀の景勝地に鎮座する、全国的に分布する白鬚(白髭)社の本社です。琵琶湖西岸を通る国道161号線の渋滞にウンザリしていたところに目に飛び込んできた湖中の大鳥居の絶景には、やはり目を奪われました。古くから延命長寿の神として広く崇敬されてきたようです。 湖中大鳥居 【ご祭神・ご由緒】 当社の掲示によると、ご祭神は猿田彦命。別社名として、白鬚明神、比良明神も併記されています。そして社記によるとするご由緒は、垂仁天皇二十五年に倭姫による創建(再建とも)とされています。また天武天皇の白鳳三(675)年に勅使を以て「比良明神」の号を…
[ みおじんじゃ ] 休日で渋滞する比良山系と琵琶湖の間の湖西道路~国道161号線の道を、高島で山の方向へ曲ると、一転してのどかで広々とした田園風景が広がり、すがすがしい気持ちになりました。そんな地域に鎮座する式内社です。高槻市の今城塚古墳の被葬者としてほぼ確定している継体天皇の出自に濃厚に関わることから訪問しました。境内には、地域の造園業者が手掛けたという見ごたえある庭園があり、地域では今も重要視されている神社だと感じました。 akuto508.hatenablog.com 二の鳥居の後の参道 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、磐衝別命と振姫命(比咩神)。社殿前には、出世開運大神と安産子授大神と…
[ みぬしじんじゃ ] こちらの社叢の姿に感銘を受けておりましたが、交通が不便で駐車場もないということでなかなかお伺いできませんでしたが、ようやく参拝させていただくことにしました。現在はすぐ後ろに高速道路が通るのですが、広大な田園の中にこんもりした社叢があたかも「竜宮」のように浮かび上がる様を直に確認でき、また社叢の中も独特の空気感で、古びた社殿とともに貴重な神社だと感じました。 社叢 【ご祭神・ご由緒】 「延喜式」神名帳に水主神社十座とある式内社で、「日本の神々 山城」で大和岩雄氏は、祭神が十座という例は他の式内社にはない、と書かれています。現在その十座は、天照御魂神・天香語山神・天村雲神・…
先の”1”の記事で記載しました通り、神仏習合の元祖として歴史の表舞台に躍り出た宇佐神宮がいわゆる邪馬台国の中心地で、二之御殿のご祭神、比売大神は卑弥呼の事だとする説。奈良時代の有名な託宣を下したのが、女禰宜つまり女性シャーマンだった事も有名な事から、とても魅力あふれる説と言えるでしょう。宇佐公康氏によると、確かに二之御殿の下に石棺が有る事が確認されているようです。 akuto508.hatenablog.com ・上宮境内 【二之御殿の石棺】 宇佐氏は著書「古伝が語る古代史」に、先代からの話として紹介されています。上宮の3つの本殿は一応横一列に並んでいるのですが、二之御殿となる真ん中の御殿のヒ…
[ しきあがたぬしじんじゃ/かわちこくそうじゃ ] 大王墓・市野山古墳(允恭天皇陵)も直ぐそばにあるという、世界遺産・古市古墳群の地に鎮座する、大阪の志貴県主にゆかりある神社です。奈良の磯城県主にまつわる方は、志貴御県坐神社で、アチラは「御県」ですがコチラは普通の「県」の神社ということです。そばの土師の里駅までいくと、少し先に巨大な仲津山古墳の後円部が望めるなどで、古墳群の雰囲気を堪能できる地です。 入口からの参道 【ご祭神・ご由緒】 志貴県主の祖である神八井耳命を主神とし、天照大神、天児屋根命、比売大神、武甕槌命、経津主命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后の十柱を祀っています。このよう…
有名な広隆寺や、あの東映太秦映画村のそばに鎮座する、近畿地方に幾つかある「天照御魂神社」の一つです。略して「木島神社」(鎮座地の旧称による)とか、境内社の養蚕神社が有名なことから「蚕の社」などと呼ばれています。 (境内社の養蚕神社や秦氏にまつわる伝承について「2」の記事で取り上げています) akuto508.hatenablog.com 下鴨神社(賀茂御祖神社)の鎮座地「糺」の名の元祖だという「元糺の池」があったり、その池の中にある「三柱鳥居」(別名、「三つ鳥居」「三面鳥居」「三角鳥居」)が日本唯一の形態(ここに倣って建てられたものはある)だったりする事から、そのご由緒のミステリーが取り沙汰さ…
[ ひぬまないじんじゃ ] 参拝した日は天候が不安定で、当社へ向かう道中でも一時土砂降りになったりしてどうなる事やらと案じていましたが、当社に着くころには幸い雨もあがり、しっとりした雰囲気の中で参拝する事が出来ました。集落の細い道を通ってたどり着くような、谷間の奥の小規模な神社ですが、割と最近のものと思われる社殿が異様に大きかったり、砂の小山をまっすぐに掃き集めて参道を整えていたり、社務所のトイレが凄く綺麗だったりで、現在も大事に管理・運営されている事を感じました。 参道では色づいている木々も見られました 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、豊受大神を主祭神に、瓊瓊杵尊、天児屋根命、太玉命が祀られて…
[ くだらおうじんじゃ/百濟王神社 ] 初めてその名を聞いた時は、「王」のついたすごい名前や、なぜ枚方にこのようなお名前の神社があるのか不思議でした。歴史を紐解くと、上代から平安時代につながる有名な話が絡んでいて、とても興味深い神社だと思いました。現地は駐車場もあり、綺麗に整備された百済寺公園が隣接します。 境内 【ご祭神・ご由緒】 ご本殿に、百済王神(くらだおおかみ)と進雄命(すさのおのみこと/牛頭天王)が祀られています。百済からの渡来氏族、百済王氏の祖霊を祀る神社です。 この中宮の西方寺所蔵の「百済王霊祀廟由来記」によると、天平9(737)年三月、王南典に従三位を叙しましたが、病にかかり亡…
[ かみすむちじんじゃ/なかとみすむちじんじゃ ] 大阪市内の須牟地(住道)の名を持つ二座です。直線距離にして3キロほど離れた両社ですが、今回は電車で訪れ、大阪メトロの今里ライナ―(BRT。バスです)を利用して適度な時間で両社をまわる事ができました。それぞれ今は地域の神様という感じの小規模な神社ですが、中臣須牟地神社の方は住宅街の中に鬱蒼とした社叢をを今も保っているのが印象的でした。 (神須牟地神社)参道。見出し写真は社殿正面の入口鳥居 【ご祭神・ご由緒】 神須牟地神社は自社のホームページで、主祭神として神産霊大神、手力雄命、天児屋根命を、相殿として天日鷲命、大己貴命、宇賀魂命を、そして追祀と…
[ 牟礼神社/むれじんじゃ ] 茨木市にある三島・島下郡の式内社なのですが、御由緒や祭祀氏族に関する情報がほとんどなく、取り上げあぐねていた神社です。ですので、今回は関連しそうな説明を眺めてみたいと思いました。阪急茨木市駅から徒歩で10分程の、安威川堤防沿いに鎮座していて、堤防に上がると周囲が良く見渡せるなかなかの絶景を堪能できます。 拝殿 【ご祭神・ご由緒】 「式内社調査報告」で吉井義隆氏は、往古、この地を本貫とする(「古事記」に見える)牟禮別の祖である大中津日子命を祀ったものであるが、社伝によれば、織田信長が諸国の神社を焼いた時に、その災難を逃れようとして信長の信仰する牛頭天王、春日神を急…
[ わににいますあかさかひこじんじゃ ] 前回の和爾下神社に引き続き、和珥氏との関りを偲ばせる神社です。和爾丘陵の集落内に鎮座しており、社地までは歩いていくほか有りませんが、幸い遺跡跡地である櫟本高塚公園の駐車場がありましたので、そこから歩いてすぐでした。神社の直ぐ隣に古刹善福寺もあり、とても良い雰囲気の集落だと思いました。 こじんまりした境内 【ご祭神・ご由緒】 現在のご祭神は、阿田賀田須命と市杵島比売命です。本殿の両脇に末社春日社と八幡社も鎮座していて、前者が天児屋根命、後者が品陀別命を祀っています。主祭神についてはこの二柱なので、一見、宗像神を祀っているように見えますが、「日本の神々 大…
[ わにしたじんじゃ ] 和邇下神社の名を持つ神社は、こちらの天理市櫟本と大和郡山市横田の二社あり、別称として前者が上治道天王、後者が下治道天王とよばれています。今回は、前方後円墳の後円部の上に鎮座するという上治道社の方を参拝させていただきました。「駐車場」と案内表示が整備された駐車場がありますが、神社の社叢の北側をまわって神社に向かう途中、゛車両の通行は禁止゛との旨の表示があり、不安になりましたが、問題なく停めれました。駐車場は区画表示の整備中で、念のため停めていいか尋ねましたが、お咎めはなかったです。 駐車場からすぐにこんもりした境内に入っていきます 【ご祭神・ご由緒】 上治道社、下治道社…
[ いいぼにますあまてらすじんじゃ/りゅうざじんじゃ ] 姫路市よりさらに西という、高槻市からは少々遠方になる地ですが、同じく三島の茨木市に鎮座する新屋坐天照御魂神社や、元々その摂社だったという疣水・磯良(いぼみず・いそら)神社と何らかのご縁がありそうと語られる神社である事から、是非とも参拝をしたいと思っていました。当社に近くには、「播磨国風土記」に見える野見宿禰の墓とされる野見宿禰神社もありますが、相当に山を登らなければたどり着けなさそうなので、今回は訪問しませんでした。 二の鳥居の後は階段上に随神門があります 【ご祭神・ご由緒】 主祭神は、天照国照彦火明命です。社伝による創建のご由緒は、推…
[ たんぴじんじゃ ] 大阪の南河内地域の、黒姫山古墳に近接して鎮座している式内社です。当社に尾張氏系氏族が関わる説があり、それもいろいろと諸説が入り混じっているらしいと知り興味が湧いてきたタイミングで、ようやく参拝させていただくことにしました。黒姫山古墳にも行き、みはら歴史博物館では多数の鋲留短甲を拝見出来ました。 往年の馬場先である正面の参道 【ご祭神・ご由緒】 神社のホームページには、ご祭神として火明命、瑞歯別命とあります。さらに合祀により菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命を祀るとされています。特に火明命を多治比氏の祖神と明記し、さらに火明命のお生まれになった時…
[いばらきじんじゃ・あまのいわとわけじんじゃ ] 川端通に隣接して細長い敷地に鎮座する茨木市の氏神様茨木神社ですが、やはりここでは奥宮で式内社である天石門別神社を主体に取り上げさせて頂きます。当社によると、明治時代の社格制度では、元々政府から茨木神社として郷社に列せられたのに加え、地域の嘆願運動により天石門別神社も郷社に追加され、一境内に郷社二社があったという全国的にも珍しい神社であるとの事です。 細長い境内。東門から車で入ります 【ご祭神とその変遷】 茨木神社のご祭神は、建速素戔嗚尊、誉田別命、天児屋根命の三柱。そして、天石門別神社は天手力男命(配祀神に、天宇受売命、豊国神・東照神)です。こ…
[ すくくじんじゃ ] 茨木市ののどかな安威の山あいに鎮座する小さな神社で、こんもりと森におおわれた良い感じの境内でした。車で行くには梅花女子大学の門の前から左に曲がって行けば、細い道も短くストレスなくたどり着くことが出来ます。駐車スペースに関してはネットの情報を見ていると、「有」としているものもあるのですが、そうとも言えず要注意ですので、そのあたりについても下に記しました。 【ご祭神・ご由緒】 「式内社調査報告」で吉井義隆氏は、創建年代としては不明としつつ、鎌倉時代に上代からの伊勢神宮の由緒、経営、行事などについて、朝廷の記録文書にもとづいて編述したという「神宮雑例集」に記載があり、740年…
[ あぐちじんじゃ ] 古代竹内街道の大阪側の端の近くに鎮座する式内社です(一方、奈良側の端に鎮座するのが長尾神社)。昭和60年頃に社殿が塗り替えられたり境内が整備されたようで、南海本線の堺駅と同じく高野線の堺東駅のほぼ真ん中あたりという街中にありつつ、周囲を木々で囲われて開放感があり整えられた境内が爽やかな印象でした。参拝した日はちょうど七五三の日で着飾った家族ずれが入れ替わり立ち替わり参拝されていて賑わっていました。 東鳥居。見出し写真は堺山之口商店街側の西鳥居と金龍の井 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、塩土老翁神、素戔嗚神、生國魂神の三柱です。創祇のご由緒は、神功皇后が三韓より帰還されたお…
[ きびつひこじんじゃ ] 吉備津神社と共に吉備の中山を背後にしている神社で、こちらは東麓に鎮座しています。地域では吉備津神社と共に両参りする事が推奨されているようで、当社もしっかりと参拝させていただきました。吉備津神社が全国的に有名な社殿や境内、エピソードに溢れているので、こちらはどうなのかしらと思いましたが、相当に豪壮な社殿群や日本一大きいという燈籠などがゆとりある境内に広がり、多くの参拝者で賑わっていました。 向かって左の神池と亀島 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は大吉備津日子命で、基本は吉備津神社と同じです。ご由緒が同じ「吉備津彦命の鬼退治」で、その由緒地が吉備の中山であり、大吉備津彦命の…
[ つくりやまこふん ] こちらの大古墳も岡山に来たら是非とも墳丘に登りたいと思っていた古墳でした。周囲は岡山平野の広々した田畑が広がっている地ですが、古墳そばに適度な広さの駐車場と造山古墳ビジターセンターが整備されています。2019年に完成した綺麗なセンターは博物館というほどの規模でないですが、岡山県が考える古代史変遷のパネル展示と、ビデオ鑑賞スペースが整えられています。出土資料の展示はありませんが、少々の書籍類の販売はされていて、「造山古墳群伝承物語」という図録のような体裁の出版物を、タイトルに惹かれて購入しました。 麓から後円部を望む。墳丘の断面を見せる部分があります 【造山古墳概要】 …
[ たてつきいせき ] こちら吉備・岡山に訪れる大きな動機となった重要遺跡です。古墳時代の前方後円墳や埴輪のルーツを語る時、必ずここ楯築遺跡とこの地域の特殊器台が取り上げられるような著名な地なので、訪問した時も複数の方々が入れ代わり立ち代わりで訪れて来られてました。この一帯は他に、王墓山古墳の地区や日畑赤井廃寺のある日畑赤井堂地区を含めた王墓の丘史跡公園として整備されていて、数十基の古墳が残されています。墳頂から吉備の中山が望めるくらい眺望もよく、周囲から目立つ場所だったろうと思われます。 墳丘への入口門 【楯築神社とご神体の「旋帯文石」】 今は「楯築遺跡」が正式名で、遺構としては「楯築墳丘墓…
[ きびつじんじゃ ] 今回は畿内から出て、遠方の大神社です。古代にはヤマト王権と拮抗した勢力を持ったことを偲ばせる大前方後円墳も存在するかつての吉備国こと岡山県を訪れ、全国的にも有名な「吉備の中山」西の山裾にある当社に参拝しました。当社自身は「三備一宮」を称していますが、本来は備中一宮であり、東の裾にある備前一宮の吉備津彦神社と併せて二つの一宮があるということで、地域では大変重要な地です。「桃太郎」に通じるとされる地域の神話に関わる旧跡が周囲に散在していて、公の掲示物を拝見しても地域独自の古代史観が語られていて興味深かったです。 入口鳥居 【ご祭神・ご由緒】 大吉備津彦命が主神で、その異母弟…
[ つばきおおかみやしろ/つばきおおじんじゃ ] 当社も大阪からは遠方の神社ですが、鈴鹿市は十分に日帰り圏内で鈴鹿ICからも近い事から長らく参拝したいと思っていました。さすが伊勢国一の宮とあって、土曜日で天候も良かったせいか大勢の参拝者で賑わっているという感じでした。参拝後は椿会館で、かつて先代宮司夫人がふるまって有名になったという「椿とりめし」をおいしくいただきました。 見出し写真の石標は現在の参道に向かっていますが、コチラが正面視 【ご祭神・ご由緒】 主祭神は猿田彦大神。そして、相殿神として瓊瓊杵尊、栲幡千々姫命を、配祇神として天之鈿女命と此花咲邪姫命がお祀りされています。そのほか、行満大…
[ かなやまひこじんじゃ / かなやまひめじんじゃ ] この両社はかねてから参拝したかったのですが、二社が高低差を伴ってそこそこ離れているのと、金山彦神社は駐車場がないので、どう訪れようかと考え延ばし延ばしになっていました。今回、金山彦神社の方は、申し訳なかったのですが、堅上コミュニティ会館へ行く道路の入口に車を停めさせていただき参拝しました。府道183号線は、大和川から離れて神社方面の登りに入ると、金山彦神社の前までは車1台しか通れないほどの細道となります。今回はたまたま対向車がいませんでしたが、いたら難儀したと思います。両社共に社殿は近年に再建されて整えられ、境内もきれいで大切に信仰されて…
[ たじはやひめじんじゃ/こうぜんのみや ] 泉北ニュータウンのある泉北丘陵の入口に位置するところの丘陵頂上に鎮座します。周囲は堺市の荒山公園として梅林などが整備されていますが、もともとは大部分が当社の社有地でした。俗に荒山(高山)の宮などと呼ばれていて、地元では「コウゼンさん」として親しまれているようで、参拝の時も、犬のペットの写真撮影をしているグループ等々常に参拝者が絶えないという感じでした。 境内 【ご祭神・ご由緒】 主祭神は、神社名の多治速比売命で厄除・安産・ 縁結びの神として崇敬されます。本殿には合わせて素盞嗚尊・ 菅原道真公が祀られていて、ご祭神としては以上の三柱とされます。「日本…
[ なぐじんじゃ ] この日、小雨のぱらつく天候の中、気を揉みながらなんとか籠神社から比沼麻奈為神社とめぐって来て、最後この奈具神社に着くころには天気も落ち着いてきました。こうして、私の心もこの地でようやくナグしくなりました。小さな神社ですが、木々に取り囲まれたこんもりした空間に、苔むした敷地が良い感じに馴染み、しばしその境内を堪能させていただきました。神社の前は田圃が左右に広がり、そのすぐ向こうには奈具・奈具岡遺跡群のある丘陵が続くという、舟木地区へはいる谷間の地に鎮座しています。 谷間の山麓に鎮座します 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、豊宇賀能売命。ご祭神と当社の由緒に関わるとされる話が、「…