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2018/09/20

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  • ヤマト王権の始まりの国 6-1

    第四章 ヤマタイ王権の統一 この章も想像と推理にもとづくフィクションである。 一 邪馬台国王家の没落と奈良王家の興隆 倭国が再び乱れたにもかかわらず、奈良ヤマタイ国軍は撤退したまま、再介入はしなかった。軍事的に解決するのが奈良ヤマタイ王権のやり方であったが、魏の張政と直接対...

  • ヤマト王権の始まりの国 5-2

    三 「相攻撃」の物語 不和から、やがて「相攻撃」へと進んでいく。 ⑴ 原因 奈良ヤマタイ王家の王卑弥弓呼はなぜ卑弥呼と攻撃し合うまでになったか。 互いの国家建設の思想の違いが明らかになって倭の国々がどちらに従うか動揺し、決着をつけなければ収拾がつかないかもしれないというと思...

  • ヤマト王権の始まりの国 5-1

    第三章 卑弥呼と卑弥弓呼の不和 一 卑弥呼とは ⑴ 「卑弥呼」は地位の名である 人名ではない 卑弥呼(卑彌呼)は、一般には人名だと解釈されている。後漢書や魏志倭人伝に女王として名が記されているからである。確かに、「一女子を共立し王とした。名を卑弥呼という。(乃共立一女子爲...

  • ヤマト王権の始まりの国 4-2

    五 狗奴国王との不和が問題を解く鍵である ⑴ 不和と相攻撃の当事者 魏志倭人伝や後漢書では狗奴国が滅ぼされた様子はうかがえない。魏志倭人伝が書かれた時期は三世紀末であるが、後漢書は五世紀である。後漢書にも狗奴国がどうなったか補足されていないのは、狗奴国がヤマト王権の国だとみ...

  • ヤマト王権の始まりの国 4-1

    四 邪馬台国畿内説の問題点 ⑴ 邪馬台国の由来を語れるか 邪馬台国が畿内にあったとすれば、時代を考えるとそれはヤマト王権の国のことになる。山台の国の候補地のところで述べたが、奈良平野は巨大な盆地ではあっても山の台状地と呼ぶような地形ではない。 そのため、邪馬台国をヤマト国と...

  • ヤマト王権の始まりの国 3-3

    三 邪馬台国への行程 ⑴ 魏志倭人伝の解釈     これまで、女王国とそれを共立した国々は九州で成立したという推理にもとづいて論じてきたが、魏志倭人伝に記述されている国への行程と位置と重ねることができるかという問題がある。 国への行程は境界線までではなく、王の都までの距離...

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