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徳川家康公ファンの歴史ブログ https://www.ieyasu.blog/

「徳川家康公関連サイトNo.1!」を目指すブログです。敬愛する家康公や徳川家臣団に関する史跡巡りや解説・考察などメインに、関東のマイナーな歴史スポット等も紹介できたらと思います。

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2018/09/04

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  • 東照宮御遺訓は後世の創作だった!?|本当の徳川家康公御遺言とは?

    今日、徳川家康公の御遺言として伝わるものに『東照宮御遺訓』があります。 これは「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……」という出だしで有名ですね。 ですが、実は後世の創作だとする説があるのをご存知ですか? 今回は『東照宮御遺訓』と「家康公が遺した本当の御遺言」について、まとめました。 「日光東照宮や久能山東照宮、他には上野東照宮などでも境内に掲示されている『東照宮御遺訓』が偽物の訳ないだろう」とお思いの方も、ぜひ最後までご覧になってみてください。

  • 小山御殿広場(栃木県小山市)|徳川将軍が日光東照宮社参時に宿泊した小山御殿跡

    小山御殿広場は、2代将軍・徳川秀忠、3代将軍・徳川家光、4代将軍・徳川家綱が、徳川家康公を祀る日光東照宮に参拝へ行く際に使用していた『小山御殿』のあった地です。 小山御殿は元和2年(1622年)に、2代将軍徳川秀忠によって建てられました。 御殿とはいうものの、その実態は東西64m・南北100mに渡る敷地の内外に16ケ所の番所を設置し、周囲には2重の土塁を配し、さらにその外側を水掘りで囲むという、平城のような構造でした。

  • 世良田山長楽寺(群馬県太田市)|家康公が庇護した徳川家と東国の禅文化発祥の地

    前回の記事では、徳川家発祥の地とされる場所にある世良田東照宮をご紹介しました。 今回は、その世良田東照宮を境内に建てた長楽寺をご紹介します。 長楽寺は、徳川家康公の側近の1人・南光坊天海が住職を務めた事もありました。 元々は臨済宗の寺として承久3年(1221)に、新田義重の四男・新田義季(後世、家康公が源氏の末裔を名乗る際に徳川家の開祖とされた)が、臨済宗の開祖である栄西の高弟・栄朝を招いて開基しました。 そのため、長楽寺は東国における禅文化発祥の寺であり、常時500人もの学僧が研学修行に励んでいたと言われています。

  • 世良田東照宮(群馬県太田市)|最初の日光東照宮社殿が現存する徳川家発祥の地

    金ピカの豪華絢爛な社殿で有名な日光東照宮ですが、実は最初から今の社殿ではありませんでした。 2代将軍・徳川秀忠が家康公を祀るために建てた最初の日光東照宮は、家康公の遺言により質素な社殿でした。 その後、3代将軍・徳川家光が今の金ピカ日光東照宮に建て替えたのですが、その時に最初の社殿は移築されました。 今回は、その日光東照宮の最初の社殿が現存する、世良田東照宮をご紹介いたします。

  • 須賀神社・小山評定之碑(栃木県小山市)|徳川家康公による小山評定が行われた場所

    慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)にて、徳川家康公率いる東軍と石田三成ら西軍が「関ヶ原の戦い」を行いました。 「関ヶ原の戦い」の約3ヶ月前、慶長5年7月25日(1600年9月3日)下野国しもつけのくに小山おやまに布陣していた家康公は、豊臣軍の諸将を集めて軍議を開きます。 この「小山評定おやまひょうじょう」により結束した東軍は、反転して西へ向かい進軍していきます。 今回は「小山評定」が行われた場所である須賀神社をご紹介いたします。

  • 幕府って何?|鎌倉幕府・室町幕府・徳川幕府(江戸幕府)の違いとは?

    歴史の教科書や各種歴史本から大河ドラマなどの時代劇に至るまで、とてもよく目にする「幕府」という言葉。 ですが「そもそも幕府とは何なのか?」実はよく分からない、とは思いませんか? また、日本史には3つの幕府が登場しますが、鎌倉幕府・室町幕府・徳川幕府(江戸幕府)それぞれにどういう違いがあるのでしょうか?

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