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ブログタイトル
徳川家康公ファンの歴史ブログ
ブログURL
https://www.hoseitsukyo.com/
ブログ紹介文
「徳川家康公関連サイトNo.1!」を目指すブログです。敬愛する家康公や徳川家臣団に関する史跡巡りや解説・考察などメインに、関東のマイナーな歴史スポット等も紹介できたらと思います。
更新頻度(1年)

32回 / 365日(平均0.6回/週)

ブログ村参加:2018/09/04

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takaさんの新着記事

1件〜30件

  • 扁額コレクション|扁額とは? 神社仏閣の鳥居や本堂の上にある看板

    扁額とは、神社の鳥居や社殿、寺院の本堂などに掲げられている看板のことです。 扁額の読み方は「へんがく」です。 扁額のうち、特に神社の扁額は神額、寺院の扁額は寺額と呼びます。 また、天皇の直筆による扁額は勅額と呼びます。 この記事では、筆者がこれまで訪れた神社仏閣で見つけた扁額をひたすら紹介いたします。

  • 雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

    今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。 雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。 阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。

  • 白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

    江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。 この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。 今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。

  • 中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

    今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。 中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。 現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。

  • 「守護・地頭」「守護大名・守護代」「戦国大名」「譜代大名・外様大名」の違いとは?

    現在大人気放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、ドラマ内で「守護大名」や「守護代」という言葉がたびたび登場しています。 また、似たような言葉で「守護(守護・地頭)」や「大名」、あるいは「戦国大名」や「譜代大名」「外様大名」という言葉が有名かと思います。 今回は、それぞれの言葉の意味や特徴、それぞれの違いについてまとめてみました。

  • 方広寺鐘楼(京都東山)|徳川家康公を呪う「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘

    お寺の鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の言葉が時の天下人・徳川家康公を激怒させ、大坂の陣は起こり豊臣家が滅亡した―― 学生時代、歴史を動かしたこの碑文を、日本史の教科書や資料集で見た人も多いのではないでしょうか。 今回は、京都・東山の方広寺を訪れ、ついにこの歴史的梵鐘を見ることができました。

  • 徳川家康公の旗印|厭離穢土欣求浄土の意味と込められた想いとは?

    家康公の旗印「厭離穢土欣求浄土」とは、一体どういう意味なのでしょうか? 今回は徳川家康公の旗印に書かれた「厭離穢土欣求浄土」という言葉の意味と、その言葉に込められた家康公の想いに迫ってみます。

  • 杉山社(杉山神社)川崎市多摩区|家康公の謀臣・本多正信ゆかりの神社

    今回は、地域にある神社が実は、徳川家康公の謀臣・本多佐渡守正信ゆかりの神社でしたというブログです。 正信は唯一、家康公の寝所に帯刀したまま入室することを許されていた程、家康公から絶大な信頼を受けていた名参謀です。 実は筆者が家康公の次に好きな偉人は、この本多正信です。

  • 武士の髪型|なぜ武士はちょんまげ(丁髷)に月代(さかやき)なのか?

    絶賛放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、登場する武士の髪型がいわゆるちょんまげ(髷)と月代という髪型の武将が多く見られます。 月代とは、前頭部から頭頂部にかけての範囲の頭髪を剃った髪型のことです。 また、ちょんまげ(髷)とは、月代で剃った残りの頭髪を結った髪型のことです。 なぜ、武士はこのような独特な髪型にしていたのでしょうか。

  • 東明寺(神奈川県川崎市)|徳川家康公が名付けた寺

    攝取山浄土院東明寺は神奈川県川崎市幸区塚越2-118にある、浄土宗のお寺です。 東明寺という名前は、中原街道沿いにある西明寺にて徳川家康公が名付けました。

  • 竹千代手習いの間|『麒麟がくる』人質時代の徳川家康公が太原雪斎に手習いを受けた部屋

    竹千代手習いの間とは、徳川家康公が松平竹千代と名乗っていた幼少の頃、臨済寺の僧侶にして今川義元の名参謀・太原雪斎から手習いを受けていた部屋の再現展示です。 令和2年4月26日放送の大河ドラマ『麒麟がくる』紀行第15回でも、この部屋の再現展示が紹介されました。 竹千代手習いの間は、駿府城公園の東御門・巽櫓に設立された資料館で展示されております。 家康公は今川義元の下に送られて駿府で人質として過ごしていた頃に、雪斎から様々な知識を学び得ており、後の家康公の基礎が出来上がった時期でもありました。

  • 江戸時代の料理再現|真の八杯豆腐 江戸時代の料理本『豆腐百珍』

    今回は、江戸時代にベストセラーとなった料理本『豆腐百珍』に書かれている豆腐料理「真の八杯豆腐」の再現に挑戦しました。 材料も調理工程も至ってシンプルなものとなっています。 なお、調理に際しては参考文献を下地としております。

  • 二ヶ領用水|徳川家康公が小泉次大夫に作らせた神奈川県最古の用水路

    二ヶ領用水とは、徳川家康公が小泉次大夫に命じて作らせた用水路であり、主に現在の神奈川県川崎市を縦断するように流れている神奈川県最古の人工用水路です。 慶長4年(1599年)に普請が始まり、慶長16年(1611年)に竣工した12年に及ぶ難工事でした。 二ヶ領用水という名前の由来は、江戸時代2つの領(稲毛領と川崎領)に流れていた事に由来します。

  • 徳川家康像(静岡市葵区)|駿府城公園の徳川家康公銅像とお手植えミカン

    徳川家康公の像は各地にありますが、本銅像は家康公が晩年を過ごした駿府城の跡地に建てられた銅像です。 現在は駿府城公園の一角にあります。 駿府城は徳川家康公によって天正13年(1585年)に築城され、翌天正14年(1586年)に本丸御殿が完成し家康公が移りました。

  • 史跡徳川将軍小杉御殿跡|徳川家康公も利用した中原街道筋の御殿

    史跡徳川将軍小杉御殿跡は、かつて中原御殿のあった跡地のことであり、現在は神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目の中原街道沿いにその記念碑が建立されております。 中原街道はまだ東海道が整備される前の時代、徳川家康公が江戸ご入府や鷹狩りなどに利用し、小杉御殿も利用しておりました。

  • 二ツ橋地名由来の碑|徳川家康公の詠んだ和歌が地名の由来となった場所

    二ツ橋地名由来の碑とは、神奈川県横浜市瀬谷区瀬谷1丁目27にある、地名の由来を示した記念碑です。 二ツ橋という地名の由来は、徳川家康公が慶長18年(1612年)に詠んだ和歌によるものだそうです。 場所は横浜市瀬谷で、現在は中原街道と厚木街道の交差点となっております。

  • 【麒麟がくる】第1話『光秀、西へ』|大河ドラマあらすじと感想

    令和2年1月19日(日)放送の大河ドラマ『麒麟がくる』第1話、『光秀、西へ』のあらすじと感想です。 歴史好きとして注目した点や、徳川家康公ファンとして作中の家康公を追っていきたいと思います。 以下、ネタバレもあります。

  • 戦国時代の料理再現|焼き味噌 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康公「三英傑」が愛した料理

    今回は、美濃・三河出身の三英傑——織田信長・豊臣秀吉・徳川家康公が愛した戦国時代の料理「焼き味噌」の再現に挑戦しました。 今日、焼き味噌のレシピにはピーマンなどの野菜をふんだんに使ったレシピもありますが、今回はあくまで戦国時代風の焼き味噌を目指しました。

  • 本能寺跡|『麒麟がくる』明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」

    本能寺跡は京都府京都市中京区元本能寺南町346にある、戦国時代に本能寺が建っていた跡地の石碑です。 大河ドラマ『麒麟がくる』主人公として注目を浴びる明智光秀が、主君・織田信長を倒した「本能寺の変」はここで起きました。 「本能寺の変」は日本史上最も有名な謀反、と言えるのではないでしょうか。

  • 【麒麟がくる】第4話『尾張潜入指令』|大河ドラマあらすじと感想

    令和2年2月9日(日)放送の大河ドラマ『麒麟がくる』第4話、『尾張潜入指令』のあらすじと感想です。 歴史好きとして注目した点や、徳川家康公ファンとして作中の家康公を追っていきたいと思います。 以下、ネタバレもあります。

  • 上野東照宮|徳川家康公を祀る黄金の東照宮

    上野東照宮は寛永4年(1627年)に藤堂高虎が、当時上野にあった自身の敷地内に創建したのが発祥です。 その後、慶安4年(1651年)に家康公の孫である三代将軍・徳川家光が改築したものが、現在まで残る社殿となっております。 近年は、期間限定で夜間ライトアップも行われております。

  • サイトリニューアルのご挨拶

    この度、当サイトは『徳川家康公ファンの歴史ブログ』として、リニューアルさせて頂く事となりました。 今後は、敬愛する徳川家康公ゆかりの地などの史跡紹介や、戦国時代・江戸時代の話など、日本史関連のテーマを中心としたサイトとして運営いたします。

  • 法政大学通信教育部退学のご挨拶

    この度、私takaは諸般の事情により令和元年度末をもって、法政大学経済学部商業学科を退学する事と致しました。 当ブログは従来の記事を残しつつも、今後は私の趣味として徳川家康公関連の記事や、史跡巡りなど、日本史関連のテーマを主としたサイトとして細々と運営していきたい所存です。

  • 近況報告(令和元年11月〜12月)

    当ブログをご覧下さる皆様、ご無沙汰しております。 11月からのここ2ヶ月間、仕事で忙殺されておりブログにまで手が回らない状況が続いております。 まあ、早い話が原因はこれです。

  • 2019年度後期メディアスクーリング中間リポート結果発表

    2019年度の後期メディアスクーリング受講科目のうち、中間リポートのあった科目について評価は以下の通りでした。

  • 経営管理論Ⅱ:第5回〜第6回(秋期スクーリング2019)

    予定では、第5回は「環境適応理論Ⅰ(F.E.フィードラー、P.ハーシー&K.H.ブランチャード)」となっていたが、まだ前回の内容が終わっていないのでその続きからとなった。 マーチ&サイモンは、組織が環境から情報を収集し、これを処理して意思決定を行い、環境適応を試みるとし、行為を分類した。

  • 「法政大学発祥の地」記念碑|明治13年設立の東京法学社跡

    「法政大学発祥の地」記念碑とは、法政大学の前身となる東京法学社が明治13年に設立された場所に建てられた、法政大学発祥地の記念碑です。 JR御茶ノ水駅で下車して目の前の明大通りを明治大学側に進むと、東京都千代田区神田駿河台1丁目の明大通り歩道上にあります。

  • 頭殿権現社|太田道灌が勧請し伊奈忠次が営繕した伊奈氏屋敷跡の権現社

    頭殿権現社は長禄年間(1457〜1460)に太田道灌が勧請し、天正19年(1591)に伊奈忠次が陣屋に入った後に営繕したと言われています。 なお、伊奈氏屋敷跡は平成29年より「忠次プロジェクト」の一環として、町道が散策路として整備されたとの事です。

  • 経営管理論Ⅱ:第3回〜第4回(秋期スクーリング2019)

    バーナードの組織論(続き) 前回の授業で取り扱ったバーナードの近代的管理論について、3つの組織過程を復習(「専門化」「誘因」「コミュニケーション」)し、さらに前回の続きを学習した。 また、授業後半ではサイモンの意思決定論を取り扱った。 「意思決定の理論」の系譜としては、バーナードの理論がサイモンにつがなっていき、今日にも大きな影響を与えている。

  • 船橋御殿跡東照宮(千葉県船橋市)日本一小さい東照宮

    船橋御殿跡東照宮は、千葉県船橋市本町4丁目29-7にある船橋御殿の跡地に建つ東照宮です。 船橋御殿は徳川家康公によって、鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として慶長19年(1614)頃に建てられたと推定されています。 その跡地に建つ船橋御殿跡東照宮は「日本一小さい東照宮」だそうです。

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