季語は・・・師走尽 師走尽 世はこれすべて 塵芥 【去年の今日】週話§日曜枯寂~2023年大晦日~
季語は・・・皐月尽 死ぬまでは 生きる定めや 皐月尽 【去年の今日】直話§居り尾瀬の日々[3]停滞は居り尾瀬
小満の末候“麦秋至(むぎのときいたる)”である。 前話のとおりで、5月最終日である。 6月に入れば鬱陶しい梅雨の日々となって、雨続きとなる……5歳だから、保育園に通っていた頃で、本当に毎日毎日雨が降り続いていて、長靴と傘が欠かせなかった記憶が残っているが、長じてみれば一週間も10日も毎日毎日雨が降ることなどいくらなんでもなく、せいぜい2、3日くらいなものではなかったか。 60年以上前は道路事情が悪くて、幹線道路はともかくも、そこから路地とか横道に入ると舗装が進んでいなかったりして、雨が降れば水たまりだったり泥道になったりするので、長靴は必需品だった。 気がつけば道路の舗装化が進んで、1960年代半ば過ぎには長靴を履くこともなくなり、下駄箱から長靴が消えていたのである。 ……今の我が家には夫婦二人分の長靴がある。それは、多摩丘陵のてっぺんという立地環境ゆえ、年に..
ちょっと変だった5月が終わる。5月になった二日目、朝方の気温が思った以上に下がったようで、同居人が窓に結露しているのを見つけた。さすがに5月の結露とは初めてのことである。 ちょっと雨がちの日が鬱陶しくもあったりしたが、まあまあ初夏らしい陽気の5月だったのではないか。 一年で一番に気持ちのいいのが5月だとは、5月になると何度も何度も繰り返し書いていることで、それはもう疑う余地などはない。色々文句を言っているが、やはり5月の空気感に勝るもなどはない。 いつも思うことは、一年中5月だったらいいのにということだが、仮にそんな気候が現実に起きたとしたら、あまりの変化のなさに人間が怠惰になりかねないのではないか……人間、楽をしてはいけないのだ。 5月の陽気が続いていいことといえば、洗濯物がよく乾いてくれることか? 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・青葉雨 活断層 蠢(うごめ)き今朝は 青葉雨 【去年の今日】直話§居り尾瀬の日々[2]そぼ降る雨の日は
パソコンを買い替えて一か月半が過ぎた。 買い替える時はデータの式年遷宮や設定などが面倒で鬱陶しく、ぐずぐずと買い替えを先延ばししていたのは当然のことで、歳を取ったせいか、前回の式年遷宮よりもさらに面倒だと感じてしまったのだ。 とはいえ、セッティングが完了し、新しいパソコンでの日常が始まると、これがストレスなしのパソコンライフであることに日々感謝感謝なのである。 新しいパソコンに搭載されているのはハードディスクではなく、ソリッドステートドライブと呼ばれている“SSD”なるもので、これが2TB入って、さらに念のため1TBのハードディスクを用意しておいたが、そこまで使うのは、まだまだ先のことだろう。 そしてそのSSDだが、ハードディスクに比べて起動が圧倒的に速くなってくれた。電源を入れて、おおよそ20秒もすれば初期画面が登場し、そのまま作業のためのアプリケーション..
車を運転するかバスに乗るかして、月に一回か二回くらいの頻度でちょっと離れたショッピングセンターで買い物をする。そこでないと買えないあれやこれやを補充するためである。 そしてスーパーマーケットの中には、肉を量り売りしてくれるブースがあって、いい肉を買うことができるので出向いた時は毎回、旨い黒豚しゃぶ肉を求めるのだ。 量り売りとはいっても、あらかじめ100gくらいにパックされていて、200gちょっとが欲しいので、店員とやり取りをしてちょうどいい量にしてもらうのだが、店員によっては、ああだこうだと言われるのを面倒がる人もいて、だが、こちらとしても250gなど食い切れないから、何とか220g前後にしようとせめぎ合うことになる。 交渉の結果、まあまあ納得できる量のしゃぶ肉を包んでもらい、付け合わせの野菜も買っていそいそと我が家に戻り、しゃぶしゃぶパーティーが始まるのだ。 付け..
季語は・・・夏の月 うたた寝や 二駅過ごし 春の月 【去年の今日】直話§居り尾瀬の日々[1]雨の山開き
1913年5月29日、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』初演。 ハルサイが初演された日である。 間違いなく、クラシック音楽史上最大のスキャンダラスな事件だったのだ。 バレエ・リュス(ロシア・バレエ)を率いた二人の天才、興行主ディアギレフと、ダンサーで振付家のニジンスキーが振り付けたストラヴィンスキーの新作を、パリのシャンゼリゼ劇場で初演したのである。 そして劇場内では支持派と反対派に分かれ、罵りあいや乱闘が展開された。そんな様子をタイムマシンに乗って見に行きたいと、ハルサイ好きだったら誰でも思うことであろう。もっとも、大きな混乱が起きたのは初日だけで、その後シャンゼリゼ劇場で行われた3回の公演は平穏なものだったという。 自分にとっての『春の祭典』は、辛うじて喰いつき続けている数少ない現代音楽作品なのだ。実演であれ、録音であれ、聴き飽きすることな..
ついうっかりという単純ミスが増えてきている。それはもう明らかなことでそんなことがこの先に待ち構えている認知症とやらに繋がっていくのであろうかと不安になるのは当然のことである。 前に書いたかもしれないが、遠くの記憶は正しく残っているのに、直近の記憶があやふやだったり、間違って記憶していたり、自信を持っていたはずの記憶力に綻びがでてきているのは確かなことであろう。 それにしても“こうだ”と確信を持って思っていた記憶が、実はまったく別物の記憶とすり替わっていたり、脳内のハードディスクの回路が混線しているような気がする。 そして勘違い……ついこの間の勘違いは、洗面所のタオルとキッチンに手拭きとして掛けておくタオルを入れ替えるのに、キッチンに洗面所のタオルを持って行ってしまったことが。もちろんすぐに気がついたのだけれど、還暦過ぎのあれやこれやを考えると笑えないものがあった。 ..
季語は・・・夏の雨 夏の雨 竜宮尻は 煙りけり 【去年の今日】週話§日曜枯寂~磁気ネックレス始末~
トラックなど、営業車の文字表記は左からと右からとマチマチなのだが…… ……さすがに欧文表記まで右書きにしているのを見るのは珍しく、何というか、あまりにも意味不明過ぎて笑ってしまったのである。 追記:“プッコ紙”とは、我が家近所を走っていた軽トラックの右書き 《ブログのトピックス一覧》
4月半ば頃から、右手指の関節が痛むようになった。ちょっと親指の角度を変えたり、力を入れたりすると、これまでにない痛みが出るようになった。 2週間ほど様子を見ていたが、状況が変化することはなかった。腱鞘炎か何かだろうかと、素人見立てをしつつ、ゴールデンウィーク真っ最中の平日、診療日の整形外科に赴き、診断してもらたところ“CM関節症”だという。腱鞘炎ではなく、親指付け根関節の炎症ということのようだ。 重症であればステロイド注射を打ったりするようだが、そこまでひどくはなさそうなので、湿布薬と親指に負荷をかけず支えるサポーターをあてがわれた。 2か月ほどは親指に無理をさせず、回復するには半年ほどを要するようである。何とも気の長い話だが、考えてみれば70年もの間、ほとんど何の支障もなく動き続けてくれたわけで、それがここにきて痛むようになったとは、まあ無理からぬ話であ..
季語は・・・葉桜 葉桜や 影となりける 地蔵堂 【去年の今日】週話§土曜枯寂~季節の移ろう速度~
ここ一年ほど高速道路に乗っていないことに気がついた。クレジットカードの請求明細にETC利用の記載がないのだ。 ということは我が家周辺でしか運転していないということではないか。そういえば走行距離も伸びてはいない。このところロングドライブというと往復400kmで尾瀬歩きをする時に運転くらいのものである。 間もなくの古稀を控えて、運転納めも近づいていることを自覚している。自分なりの目論見としては75歳で車を手放そうと考えているので、残り5年というところか。 ……とは思っているが、走行距離と車の維持費のバランスシートが良好とは言えない。そして今回を入れると、あと3回の車検を行わなければならず、何とも“費用対効果”に見合ってくれないような気がしてならない。 考えられることは、あと3回をあと2回にして、車の返上を早めることで、それでも生活するうえで困ることは、さほどなさそうな気..
ちょうど一か月前、江戸陸でラグビー観戦をした。14時半キックオフでノーサイドが16時半近くとなり、西葛西を出たのは17時過ぎ。電車を乗り継いで最寄駅に戻ってきたのは19時近かった。もちろん家に帰って夕食という選択肢などなく、久々に夜の外食となった。 最寄駅直近の“サイゼリヤ”だと決めて一直線に向かう。時間が時間だったので、前に2組ほど待っていたが、ほどなく席に案内された。当然ながら、まずはビールぐびぐび!でしょう。 そして注文したのは、レシートのとおり。 最初の3つは小皿もので、ハモンセラーノなどは皿に2切れ、カプレーゼもチーズとミニトマトが2つずつとかわいいものであるし、食べようと思えばもう何皿か追加できるのだ。そしてビールの後には、四分の一リットルの赤ワイン小デキャンタを。 酒を呑まない同居人はオニオンスープの後、トマト味のスパゲッティを注文したが、これ..
季語は・・・一夏(いちげ) 草は伸び お経は風の 一夏かな 【去年の今日】別話§終活のおはなし~SNSは生存証明~
小満の次候“紅花栄(べにばなさく)”である。 尾瀬の春がどんどん進んでいる。一か月前の尾瀬ヶ原は、既に木道が露出して、いつもなら5月上旬の終わり頃の“尾瀬ヶ原湖”がゴールデンウィーク前に出現していた。 昔の感覚からすると、3週間くらい季節が前倒しで進んでいるようだ。それもこれも地球温暖化が顕著に影響しているようなのは明らかで、この冬も少雪だったから、湿原が水を貯えることも少なくて、花の季節も寂しいものになってしまう。 今年も一回か二回か歩きたいとは思っているが、花の季節に見切りをつけて大霜狙いで10月半ば頃に入ればいいのかなと思っているところだ。 《七十二候のトピックス一覧》
『マハーバーラタ』から半年後、まさか芝のぶの八汐を眼にするとは思いもしなかった。 5月20日、中村歌六が体調不良で休演。松島を務めていた中村芝のぶが代役として八汐を務めると知った。ならば一幕見席でと、12時に発売が始まる翌日の幕見席を慌てて確保。勇躍そして久々に天井桟敷からの観劇である。 そして席につけば、いつもであれば外国からのお客さん度が高い幕見席であるところ“同好の士”が勢ぞろいしたようで、幕が開く前から不思議な一体感に包まれたのだったのだ。 それにしても、よもや芝のぶが八汐を務めるとは……『マハーバーラタ』について書いた時は、ほんの軽口のつもりだったし、そもそも八汐は立役が加役として務めるもので、これまでも段四郎、仁左衛門、そして今回の歌六といった立役の面々を観てきて、真女形が八汐を務めたのは観たことがない。 だが、まさかの芝のぶ抜擢代役とは..
季語は・・・新茶 掛川の 新茶届いて 雨の午後 【去年の今日】燻話§ハムカツ・・・・・・見当たりません
スナック……軽食のことではない“スナックバー”のことである。 繁華街ではなく、住宅街の一角にひっそり、素人に毛が三本の人たちが営んでいて、お約束は薄い水割りに、つまみといえばナッツや柿の種みたいな乾きものか、せいぜい炙ったあたりめ……マヨネーズに少し醤油を垂らしたのが付いてくるとか。 そんなスナックが流行ったのは1970年代から80年代だっただろうか。宮仕えが始まり、配属先の上司によく連れていかれたのは深夜のスナックだった。 呑み屋などが立ち並ぶ表通りから、路地裏に入って奥まったところの行きつけのスナックなのだ。 仕事が終わるのは日付が変わる頃。そこから呑み始めるから。お開きは深夜2時、3時……よくもまあ体力があったものだとは遠い眼である。 もっとも、自分からスナックのような酒の店に行くことはなかったのは、そうした店のあり様が好みではなく、呑みに行く時は居酒屋..
季語は・・・鯵刺し 鯵刺しや ランチタイムに 誘われて 【去年の今日】南話§台北で指環~北緯25度~
少しずつだが気力が失われてきているような気がする。まあ、元々それほど活発に行動していたわけではなく、むしろ控えめに動いていたが、それでも六十代前半頃までは持ち合わせていたはずの行動力がなくなりつつあるようだ。 ちょっと前から心がけていることは“一日一つ”というもので、これはもうあれもこれもと欲張らないように、一つ為すべきことを確実にこなしていこうということである。 10年前だったらマルチでこなせたことが、今やろうとしたら、どっちつかずの中途半端な結果になってしまいそうで、そうならないためにも、やるべきことは絞って取り組むことが、結果的にうまくいってくれるということだ。 それにしてもと思うのは、かつてはクラシックの演奏会や歌舞伎見物に出かけて、21時頃に終演しても、まっすぐ帰る時もあったが、時には軽く1杯と夜呑みを楽しんで帰ることもあったが、さすがに今はそんな気力などなく、..
ボケが始まっているのかどうかわからないが、朝起きた時に“はて、今日は何曜日?”と思うことが増えてきたような気がする。宮仕えをしていた時はあたりまえだが、今日が何曜日であるのかなどと考えもしなかった。 さすがに“毎日が日曜日”みたいな生活を送って10年近く、そんな時間感覚になってしまうのもしかたのないことか……そんな中にあって、今日が何曜日であるのか、目印がいくつかあって、それは例えば、週に二回の“燃えるゴミ収集日”であったり、週末にやって来る宅配野菜の発売日、そして土曜日の朝刊に挟まってくる週末版がそれだ。 それが、辛うじて曜日感覚の目印として機能してくれている。その他に何かあったのかなと考えてみるが、まあそれくらいあれば十分だろう。ただし、先月はじめから宅配野菜の配達曜日が変更になってしまって、また感覚を修正する必要があった。 というわけで、外部からの働きかけのおかげも..
季語は・・・夏来たる 夏来たる ビアガルテンに マイバウム 【去年の今日】祝話§スピアーズ対ワイルドナイツ[決勝戦]
[承前] 新潟は栃尾の油揚げを初めて食べた経緯はこちらを参照のこと。 まあ、何しろ不思議な油揚げである。厚揚げのような厚さなのに、中はフワフワしている。そのフワフワした厚みの中に、刻み葱や葱味噌、納豆などを挟み込んで、電子レンジで温めたり、グリルで焼いたりしていただくのだ。 何より一番の好みは、刻み葱をたっぷり挟み入れてレンチンし、生姜醤油をかけるだけというシンプルな奴だが、リンクに書いたように、神保町に存在した新潟ラーメンの店が、夜は居酒屋に変貌した時の一推しつまみがこれ。 それ以来、栃尾揚げといえば刻み葱に拘っている。呑めた頃だったら、一枚の栃尾揚げを注文すれば二合、三合は軽々と呑めてしまう……お得なつまみだった。 というわけで先月、車で出かけたデパートの食料品売り場に栃尾揚げの出店があって、いそいそと買い求めた。いつもどおりに生姜醤油を垂らし、晩..
観光名所にほとんど興味のない我々夫婦の旅行は、明確な“目的”があっての旅で、それは3月のようなスポーツ観戦であったり、行ったことのない劇場やホールで、歌舞伎を観たり、コンサートを聴きにいったりと、まあ実質的だったりする。 それゆえ、普通に旅行している人たちのように、名所にわざわざ赴いてとかまずない。 3月の大阪訪問でも、難波のホテルに泊まるという絶好の立地であったにもかかわらず、徒歩10分ほどのところの道頓堀川に架かる戎橋までも行かず、当然ながら、くいだおれ人形も、グリコの万歳看板も目にすることなかったのだ。 まあ、そのあたりに用事らしい用事もなかったし、もしも食事にでも出かけることでもあったら、横目でちらりと眺めて通り過ぎるくらいのことはしただろうが。 それと、戎橋近くの松竹座で歌舞伎でもやっていればと思って調べたのだが滞在中の興行はなく、いずれにしても我々の大阪..
季語は・・・風薫る 昇進の 雪駄は軽し 風薫る 【去年の今日】連話§ワタシの酒肴[173]だし巻卵
毎年、飽きもせずに書いているが、ワーグナー211歳の誕生日である。 19世紀の前半から後半にかけての生涯の中で『ニーベルングの指環』であるとか『トリスタンとイゾルデ』などなど、一作だけでも十分に業績として認められるのに、バイロイト音楽祭で上演される10作品すべてが、21世紀の今でも人々を魅了してやまないというのは、まさに巨人と言えるだろう。 海外旅行に行かなくなってしまったことで、日本では観る機会が限られてしまうワーグナーの楽劇を観に出かけることも叶わなくなってしまったのは、何とも残念だ。 現状はといえば、年に一度の東京・春・音楽祭の演奏会形式上演を辛うじて聴きに出かけるのがせいぜいで、まあ今年は新国立劇場でトリスタンが上演され、期せずして東京・春との競演になったのは僥倖なことだったが、それ以上に舞台上演は期待できない。 とはいいながら年齢的な衰えのゆえもあって、数..
クラシックを聴くようになって、そろそろ60年になるようだ。そして今だにレパートリーが超レベルに狭いままである。どうやらこのままお迎えが来そうだ。 結局のところ基本は、バッハに始まるドイツ系音楽で、それ以上には広がりを見せることはなかった。つまり、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ワーグナーにリヒャルト・シュトラウスで8割がたを占めて、残りをドビュッシーやラヴェル、プーランクといったフランス系、そしていくらかショパンを聴き、現代音楽と呼べるものは、せいぜいストラヴィンスキーのバレエ音楽どまりである。 そんな狭い範囲での嗜好でしかないが、それでもこの20年ほどで、辛うじてレパートリーは広がってくれた……と言っても、上に書いたドイツ系作曲家の作品がほとんどなのだが。 20年近く通い詰めた、オーストリアの小さな室内楽の催しに出か..
季語は・・・薄暑 風呂がやや 熱く感じる 薄暑かな 【去年の今日】週話§日曜枯寂~虫歯と歯医者~
緊張感満載のおもしろい試合だった。プレイに対する観客の反応も敏感で、終始ワクワクに満ち満ちて楽しんだ。この日の観客は17,133人。 前半はサンゴリアスが押し込んで、終始ブレイブルーパス陣内でのプレイが続き、ブレイブルーパスは防戦に回ることが多かった。最初の得点は、サンゴリアスのスタンドオフ高本がゴール真正面からドロップゴールを決め、幸先よいスタートを切り、その後トライ&ゴールで優位に立てたのである。 前半はサンゴリアスが3点のリードで折り返し。 ブレイブルーパスが覚醒したのは、後半に入ってすぐ。早々2分のトライ&ゴールで逆転。サンゴリアスも食い下がったが、28対20で突き放し、決勝進出を決めた。 後半はブレイブルーパスがフォワード戦を圧力をかけ、サンゴリアスの展開ラグビーを封じ込めた。コルビ以下、尾崎兄弟、松島幸太朗といった強力なバック..
目覚めるのは、おおよそ4時半くらいから5時半の間。時には4時頃に起き出すこともあって、その時刻は一定しない。毎朝できれば5時とか決まった時刻に起きられればいいのだが、夫婦の起床時刻が違うので、目覚まし時計を使うことは、さすがにない。 起きる時間がまちまちなことは、少しばかり不都合がある。4月半ば頃は、4時半に起きれば世間はまだ暗いが、5時半だと既に明るい朝である。起きた時が明るかったり暗かったりと、一定しないので、ちょっとだけだが感覚が狂ってしまいそうになる。 特に明けきらない暗い時に起きると、4月になっても夜明けが遅いと感じてしまったり、仮に一定の時刻に起きていれば、夜明けが早くなっていく様子をつぶさに感じることができるような気がするが、5時半に起きた翌日には暗い4時半に起きてみたりでは、印象がバラバラになるのはやむを得ないことなのだろう。 ただ、今年はその感じ方が顕著..
季語は・・・夏めく あいみょんの 着信音や 夏めきて 【去年の今日】週話§土曜枯寂~四代目市川猿之助・・・・・・~
小満の初候“蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)”である。 そもそも小満とは何ぞやと、調べもせずに放っておいたが、しぶしぶながら検索してみたら…… 万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃 ……とあった。やっぱり意味不明というか、取ってつけたような物言いのように感じてしまった。なぜそう思ってしまうのかといえば、それはもう、小満という単語の何がなしな不可解さであろう。 既に世間は、初夏から夏へと移り、太陽の暑さに顔をしかめる頃となった。 《七十二候のトピックス一覧》
おおよそ普通に乗り物酔いには耐性があるはずと思っている。そりゃあ船で時化に見舞われたら、ひとたまりなどないかもしれないが、飛行機の多少の揺れ程度であれば、特に問題はない。 ところが、小学校中学年から高学年にかけての何年かは、ひどい車酔いに苛まれたことがあった。 あるいは、成長期の中で身体に微妙な変化が生じていたがゆえの変調だったのかどうか、そのあたりが怪しいのではないかとは、長じて思い至ったことである。 その当時は、町から郊外に出ると未舗装道路が続くことも珍しくなどなく、そんな砂利道に揺られて酔ってしまったことが何回か起きてしまった。 小学校の日帰り修学旅行でバスを使うなら、クラスの何人かは酔ってしまって、バケツのお世話になるのも茶飯事だったから、自分だけがことさら乗り物に弱いというわけではなく、低学年から高学年になっても毎回酔ってしまう同級生が何人かいたのだ。 ..
季語は・・・芍薬 芍薬や 独りひっそり 昼の酒 【去年の今日】愕話§江戸時代の人が二十一世紀に
高校は県立の別学校に通った。それについては言いたいことは多々あるが、ここは書く項ではない。 その後、入学した大学での専攻は文学部。専攻学科は男子10名、女子90名という構成。さらに就職した会社のセクションでも男性10名足らず、女性社員20名ほどという環境だった。 そういう環境であったからか、ありがちな“男社会”とか“男優位”のような意識とか発想を持つことはなく過ごしてこれたのだ。 それゆえありがたいことに、今ある風潮に対しても、積極的に肯定して接することができたようである。 高校での生活は女っ気ゼロの、まあざっくばらんといえばその通りの環境でそれはそれで気楽といえば気楽な日々だったが、そこには男の社会みたいな発想しか存在せず、後になって考えても、それは両性が共生していく社会においては、望まざる状況にあったのではなかったか。 そして我が身は、幸いにも望まざる方向..
季語は・・・桜の実 坂道や 児等蹴散らして 桜の実 【去年の今日】莱話§ドイツ領のライン河は・・・・・・
後悔することの少ない我が人生だと思いたいが、それでも残念だったと後悔することはいくつかある。 その中でも“ピアノが弾けなかった”というのは、我が生涯の中でも最大の残念の一つなのだ。 もちろん、実家にピアノなど音楽環境など皆無だったし、ピアノのお稽古に行けるはずもなく、小学校の音楽室でピアノを弾いている同級生を羨ましく眺めるだけだった。 結婚したら、同居人がピアノを持ってきてくれたので、しめしめとバッハのインヴェンションでも弾けたらなあと鍵盤に向かったが……何とも悲しいことに、右手左手が別々に動くそんな音符のとおりに弾けることはなかった。いくら頭の中でシミュレーションしながら指をコントロールしようとしても無理なことは無理!だったのである。 ピアノで自分ができたことといえば、若い頃に少しばかりギターを弾いていたことで覚えたコードを押さえられたことくらい……CとかG、Am..
季語は・・・麦の秋 昼下がり つい口笛の 麦の秋 【去年の今日】糖話§澱粉質~おかずとしての~
今回でパソコンも七代目となって、これまでこれすべてデスクトップを…… ……使っていたのだが、送られてきた梱包段ボールの多さ、それとデスクに設置してあれこれ接続する手間に限界を感じ、次回に買い替えをする時は、ノートパソコンにしようと心に決めたのだった。 《つぶやきのトピックス一覧》
その昔、子どもの頃に食べたトマトは、真夏の太陽を一身に受けて、溢れる野性味が感じられ濃厚な味に噎せそうになるほどだった。 今のトマトには、そうした荒々しさを感じることは稀である。最も残念なのは、我が家に届く宅配野菜のトマトがおいしくないのだ。無農薬や低農薬を標榜しているからといって、イコールうまいとは限らないことの象徴としてトマトが存在しているのではないかとすら思うほどである。 子どもの頃のトマトなど、今ほど気を遣って栽培されていたとは思えないのに、どうしてうまかったのだろうか。逆にそれほど気を遣わずに育てていたからということなのだろうか。そうして放任した結果、すくすく伸び伸びとおいしいトマトになってくれたのだろうか。 ふと考えたのは、今の社会であるがゆえの宿命として、大量生産が求められたその結果が味の薄いトマトということなのだろうか……いや、日々おいしいトマトを栽培して..
季語は・・・絹莢 絹莢の 枷(かせ)一筋を 祓いけり 【去年の今日】汗話§スピアーズ対サンゴリアス[準決勝]
もう長いこと一つの床屋さんを利用している。今のマンションに引っ越ししてほどなくだから、もう28年になるようだ。 その前に切ってもらっていた店には2年くらいしか通っていない。引っ越したら、不便になってしまって、しばらくは通っていたが、交通の便のいい店を見つけたのでやめてしまった。 今の店は“カルテ”を作っていて、客がどう切ってほしいのかカードにメモ書きして保存している。それを使えば、客がいちいち注文しなくても、ほぼ同様の仕上がりになってくれるのである。 通い始めた頃は月に一度は切ってもらっていたのが、五十代に入った頃には2か月に一度となり、定年退職してこのかたというもの3か月に一度と徐々に回数が減っていったのだ……ということは月一から支払額が四分の一まで減ってしまったとは、何というお財布に優しい頭になってしまったことか。それだけ年齢を重ねると毛髪の質も変わり、量も減ってきた..
我が中古マンションは3回の大きなリフォームを経て、かなり内観が改善したと自負している。その第1回目が浴室、トイレ、洗面所だった。2005年のことなので、来年には20年が経過する。 五十代になったばかりだったが、これは忘れずに!と設置したのが、浴室とトイレの手すりだった。当然ながら人間は、少しずつ少しずつ年をとる……そして時にバランスを崩して、不本意ながらも思わぬよろけ方をするのだ。 設置から20年近く経って、まだまだ変なよろけ方をすることはないけれど、浴槽に入ろうとする時や、便座に腰掛ける時には、念の為にと手すりを支えに使うことにしている。 そんなものにつかまらなくても大丈夫などと、意味不明の強がりなどをするつもりはなく“何が起こるかわからない”という、まさに“転ばぬ先の何とやら”の心づもりとしての手すりなのだ。 家の中で、どこか他にも必要な場所があるだろうかと考え..
季語は・・・五月場所 早々に 両目開けたき 五月場所 【去年の今日】過話§上京五十年~トイレットペーパー~
ビッグイシュー479号は5月15日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。井浦新が表紙。 表紙&スペシャルインタビュー 井浦新 リレーインタビュー 髙田春奈(日本女子プロサッカーリーグ・チェア) 特集 「認知症」を更新する 身近に「認知症」のある方はおられますか? 認知症の人に見える不思議な世界を知りたいと思いませんか? 当事者である丹野智文さんは、認知症当事者のための総合相談窓口「おれんじドア」を開き、多くの当事者から相談を受けてきた。丹野さんは「認知症と診断された時から当事者の暮らしは、それ以前とはまるっきり変わってしまう。それは認知症になったら“何もわからなくなる”などの間違った情報や、重度の症状だけが伝わっているからだ」と言う。 そこで、筧裕介さん(issue..
立夏の末候“竹笋生(たけのこしょうず)”である。 筍は“好き嫌い”という範疇には入らない。好きでも嫌いでもないが、積極的に食べたいという類でもない。歯応えはともかく、淡白な味は、わざわざ食べてやろうという積極的な思いは抱かせてくれない。 一度だけ、筍をうまいと思ったのは高校を卒業した直後、京都を旅行した時だった。知り合いの知り合いを紹介してもらって訪れたのは“筍の里”と呼ばれている地域。初対面の人に、何ともさり気なく、自分の所有する竹林に連れて行かれ、筍掘りで“よっこいしょ”と、やや小ぶりなのを一本掘りだして持たせてくれた。 その日、京都から夜行急行で東京を経由して実家に戻り、新鮮な筍を母親に炊いてもらった何かで食べたが、何ともみずみずしかったのではなかったかという記憶であるが、二十歳にもなっていない若造風情に、筍の繊細さなどわかろうはずなどなかったのが正直なところだろう..
季語は・・・夏芝 夏芝や 秩父宮の ノーサイド 【去年の今日】週話§日曜枯寂~我、なぜ落ちこぼれたか~
思ったほど気温が上がらず、体感的には涼しいくらいだったので長袖シャツを引っ張り出してちょうどよかった日曜日、團菊祭五月大歌舞伎夜の部を観てきた。 二本立てで『伽羅先代萩~御殿、床下~』と『四千両小判梅葉』それぞれが一時間半超えの舞台……日曜日というのに客の入りが渋い。座ったブロックの我々の列と前2列などはスカスカ。2階上手桟敷も半分は座っていたか、連休直後であるにしても、これが團菊祭の客席かと思うほど。 まず『伽羅先代萩』は、菊之助の政岡、歌六の八汐、雀右衛門の巴御前、米吉の沖の井、芝のぶの松島(これも抜擢)である。 だがまず、菊之助の政岡が一幕通して薄い。淡白なのは音羽屋の芸風ではあるけれど、とりあえず段取りどおりに芝居を進めましたという印象しか残らない。そんな芯の政岡に引っ張られて、歌六の八汐もネチネチさが足りないようだったし、雀右衛門の巴御前もそうだが、全般..
選択肢に乏しい地方都市の中学生が、一応“進学校”と呼ばれる高校に入りはしたものの、ほどなく落ちこぼれとなって、志望していた大学からはことごとく門前払いをされて、浪人生活を送ることになった。 ずいぶん前から目論んでいた東京脱出が、こんな形ではあるが叶ったわけで窓の外をオレンジ色の中央線が行き来する代々木の三畳間で独り快哉を叫んだとは、以前にも書いている。 かくして浪人生活が始まり、四谷にある予備校の午後部に潜り込んだ。当時まだ国鉄の時代の四ツ谷駅を降りて、新宿通りを新宿方向へ数分歩いた路地裏に予備校はあった。既にその頃から“尻尾まで餡子が入っている”ことを売り物にしていた有名鯛焼き屋の先に校舎があった。 代々木の下宿を出て、駅近くガード下で立ち食い蕎麦す食べ、総武緩行線で四谷に向かう。折しも午前部の浪人たちの下校時……そんな集団中にスラリと背が高く、ミニスカートで何とも目立..
季語は・・・若葉 峠路 息弾ませて 山毛欅(ブナ)若葉 【去年の今日】週話§土曜枯寂~中間テストと期末テスト~
1987年5月13日、JR東日本が国電に代わる愛称「E電」を発表。 とかく“お上”と思しき人たちが麗々しく打ち出す類にろくなものがないというのは昔からの話で、その典型が「E電」という、鼻水が噴き出すような笑おうにも笑えず、センスの一欠片もない愛称とかいうやつである。 とにかく、本人たちは大まじめで、これを広めようと思っているのだから、おめでたいと言うか、何と言うか……いやはやどうも。 こいつが発表された瞬間、一斉に“だっせー!”の大合唱が巻き起こったのは言うまでもない。当時まだネット社会ではなかったが、これがもしネットの御代であったら、どれほど凄まじい炎上ネタになったのかとは、想像に難くない。 発表直後から“E(エラー)電”などと揶揄されてしまった呼称には未来など存在せず、あっという間、それこそユーザーの誰一人使うことないままに、そして誰も気がつかないうちに一顧だに..
来月で結婚生活42年となる。最初に住んだマンションから、今住んでいるマンションと住処は変わったが、広さはほとんど変わってはいない。一軒目は3LDKだが、今の住まいはリフォームしたことで3LKから2LKに変えたのだ。 42年前“物”は少なかった。居間に置かれていたのは、テーブルに椅子、テレビ、オーディオ、それにアップライトピアノくらいではなかったか。他の部屋も、目に立つのは同居人が持ってきた書籍類くらいだった。 物を増やさないようにとは思うが、40年の間に物は増えていく……まずは、パソコンが勉強部屋で大きな顔をしている。居間は居間で、ソファが鎮座するようになった。オーディオはすっきりしたものになり、デジタルテレビと一緒にテレビ台に収まっている。 圧倒的に増えたのは“常設展示”と呼んでいる額装類で、20点近くが、玄関や廊下、居室を飾っていて、それこそ我が家の自慢といえるだろう..
季語は・・・夏に入る 夏に入る 旅のはじめや スニーカー 【去年の今日】恐話§絶叫マシン~64歳までですと~
既に半袖の日常となって半月以上が経過した。何年か前だったら、ゴールデンウィークの最中に入れ替えていたのだが、このところ4月中旬から下旬のタイミングで入れ替えている。 おおよそ、外気温が20度を超えて夏日の気温が増えそうだなというあたりで長袖を片付け半袖を引っ張り出すのだ。ただし、入れ替えが一回で済むことはなく、様子見をしながら3回ほどかけて徐々に入れ替えていく。時には、長袖を着たくなるような気温の日もないではないので、念のためと少しだけ残しておく。 そうして初めて半袖を通す時は、袖から出した腕が何とも頼りない思いになるのは、毎年のことで、それは初日だけのことに限られて、二日目からはそんなことを感じず、あっという間に慣れてしまうのである。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・薄暑 身は独り 木の香微かに 薄暑かな 【去年の今日】楽話§ラグビー~どこで観るか~
事が発覚した3月20日まで“彼”は評価100%のスーパー通訳だった。だが、その日を境に“彼”の評価は0%へと落ちたのである。否、0%という表現では足りるようなレベルですらないのだ。 まさに天と地とが一瞬で舞台転換したような……何というか、どのように表現できるものか、不可能でしかない出来事と言っていいだろう。 この先“彼”を待ち構えているのは、場合によっては20~30年に及ぶであろう刑務所の生活と、一切合切を失ったその後の生涯である。 それが、依存症であるがゆえの所業であろうが、犯した現実のとてつもない巨大さに眼が眩む思いしかない。 《野球のトピックス一覧》
季語は・・・初鰹 髪結が 三分張り込む 初鰹 【去年の今日】楽話§東京文化会館讃~色褪せぬ~
立夏の次候“蚯蚓出(みみずいずる)”である。 順調に夏への階段を上がっている。日の出は4時半に近づき、日没は18時半に近づいた。 日の出の遅い冬の間は、目が覚めてもまだ世間は真っ暗だが、4月上旬を過ぎる頃から眼を開けると、カーテンの隙間が明るくて、そんな季節になったことを否応もなく意識させられる。 雪融けが早かった尾瀬だが、おそらく尾瀬ヶ原の雪も順調に消えて、水芭蕉がフライングで咲き出しているかもしれない……下界は初夏に突入したが、尾瀬はようやく春の声が聞こえてきた。 《七十二候のトピックス一覧》
あまり夢を見るほうではないかもしれない。一週間に一回程度ではないか。たぶん、眠りが深く、よく眠れていると思われるから、まんざらなことではないだろうか。 そうはいっても夢を見ないわけではなく、睡眠が浅くなるタイミングで、リアルな夢にさいなまれた……先月終わり頃のことである。 道を歩いていたら、見たこともないような動物が足元に突然駆け寄ってきてじゃれつこうとした。動物にしてみたら遊ぶつもりだったのだろうが、何とも不気味な姿だったので、気味悪がって足で払いのけようとしていたのだ。 そうしたら、現(うつつ)に近づいていたようで、足をバタバタさせているのを薄っすらと感じた。かなり強めに動かしていたからか、その瞬間に左足が攣りかかったことに気がついて、慌てて動きを止めようとした。その瞬間、夢と現の境い目にいたことを認識したのだった。 朝起きて、寝ていた間の夢を反芻するのだが、あ..
季語は・・・栃の花 栃の花 ほのかに蜂の 誘われて 【去年の今日】頭話§Chat GPTとの対話・・・・・・現状では・・・・・..
EXPO70(大阪万国博覧会)が開かれたのは1970年……今から半世紀以上前のイベントである。来場者は6千万人を超えた。70年安保の“隠れ蓑”と揶揄されたりもしたが、世間的には成功したということだったか。 その後、万博と称するイベントが各地で行われた。そこそこの動員を記録したところもあれば、閑古鳥が鳴くような万博もあり、万博という催し自体が時代から取り残されていった感が強い。 ……であるのに、性懲りもなく万博を開催する(したがる)のはなぜだろう。その裏には、開催後の“カジノ”という目論見があったり、いわゆる公共事業としての旨み期待という、結局は、御本尊がなおざりになっているとしか思えないような生臭い事業運営なのだが。 そんな万博が既にオワコンと化しているのは、途中で参加を断念する国や地域が続出していること、そうしてパヴィリオンの工事にも遅れが眼に立つようになってい..
言ってみれば“生存証明”のような意味合いでブログを書いているようだ。 そんな我がブログの制作過程はというと……そんな大仰に話すようなことでもないけれど。月曜から金曜までは一日3本と決めてアップするようにしている。土日は2本ずつが基本。 朝は5時前後に起き出しているのでパソコンを開け、テーマが決まっていれば、ぼちぼちと書き出して、そうでなかったら朝のコーヒータイムまでにはテーマを決めて書き始めるが、そこまで書こうと思うテーマが決まらないことは稀である。 一本30~40分もあれば書けてしまうが、3本まとめるまでに8時頃から11時くらいまでかかることもあるのは、時に文章が繋がらずに手こずることがあるからだ。 海外旅行をしていた時は、平日10日くらいかけて連載を続けられて、テーマに困ることはなかった。それとクラシックのコンサートや歌舞伎、ラグビー観戦といったイベントの後も、..
季語は・・・夏に入る 是よりは 鎌倉古道 夏に入る 【去年の今日】素話§アマチュアリズムへの固執
フェイスブックを眺めていて、このところ目に余るのは、有名人に成りすまして、投資だとか蓄財だのといった誘惑をしてくる輩が増えてきたことで、そんな蓄財術に長けたとみなされているような人間を勝手に使って展開しているので、実に始末が悪い。 そうした“広告”に勝手に使われている何人かの人間がフェイスブックを訴えたりして、被害が広がらないようにとしているが、フェイスブックの動きは歯痒いほどに鈍く、それは大きな問題である。 そうした広告がフェイスブックにおける収入源の一つであるがゆえに、対応が遅いのはわかりやすく悪質ではないか。 元より投資や蓄財に何の興味も能力もないので、そんな安っぽい広告に騙されることなどはないのだが、そうした手合いを初めて見た時は驚いたのは、まさか“有名人”自らそうした指南をしてくれるのかと思いそうになった。 もう一つ意味不明なのが、コメントに書き込まれるこ..
5月5日で今季のジャパンラグビーリーグワンが終了した。簡単にまとめておきたい。 以下、丸数字は“節”である。今季、クロスボーダー2試合を挟んでリーグワン観戦は全16節中12試合。そのうち推しチームは10試合観た。 ①12月10日:●スピアーズ対サンゴリアス[秩父宮]26-52 18,110人 ②12月17日:サンゴリアス対ブレイブルーパス[味スタ]19-26 31,953人 ④1月7日:●ブレイブルーパス対スピアーズ[等々力]24-20 10,456人 ⑥1月27日:○ブラックラムズ対スピアーズ[駒沢]17-18 7,608人 2月3日:サンゴリアス対ブルーズ[秩父宮]7-43 13,278人(CROSS-BORDER) 2月10日:スピアーズ対チーフス[秩父宮]30-35 9,439人(CROSS-BORDER) ⑦2月24日:ブレイブルーパス対イーグル..
季語は・・・松の緑 尾瀬沼の 尾瀬塚 松の緑かな 【去年の今日】週話§日曜枯寂~バナナの筋~
[承前] 居酒屋に行って、積極的に注文するわけではないが、あれば何となく食べてしまう酒の肴の類である。 よく注文したのは、同居人と最初に行った居酒屋と思われる、チェーン系の天狗。ここは何しろ安くて、最初期の1980年代半ば頃は、二人でしこたま呑み食いしてもお勘定が2500円行かなかった記憶だ。 そんな注文した中に、鉄のプレートで熱々のバターコーン(コーンバター)も入っていて、缶詰のホールコーンを炒めてバターをのせただけの本当に簡単なつまみなのだが、これがけっこううまかった。 食べる時に醤油をちょっと垂らしてもうまいし、もちろんそのままでもうまい。主役を張れるわけではないが、さり気なくそこにいつつ存在感を主張する名脇役という位置付けだろうか。 [続く] 《酒肴のトピックス一覧》
本物が“何”で“どういうもの”であるのか、自分なりにわかっているとは思っている。 歌舞伎に関しては、いい役者とかいい芝居といったものが少しはわかるようになっていたのではと自負をしているのだが、半世紀以上も親しんでいる、クラシック音楽は、もちろんわかるものもあるけれど、演奏会で聴いていて“うーん……”と考え込んだり、特に感慨を受けないことがあって、それはわかっていないのではないかと思うこともないではない。 だが、とにかく金を払ってきちんとしたパフォーマンスを体験することは、自分の肥やしになってくれること大であることは間違いないのだ。 それはスポーツでも同様なわけで、だがちょっとうまいと自任する若い人間が、プロ野球やJリーグを観ないという手合いが少なからずいると聞いて、何ともったいない……という以上に、なぜに優れたプレイを見て、それを自分に反映させないのだと思う。 話は..
季語は・・・立夏 頬杖を つけば立夏の 三時過ぎ 【去年の今日】週話§土曜枯寂~世間はゴールデンウィーク~
今シーズン第16節である。推しチームは7勝7敗1分で最終戦を迎えたが、前シーズン優勝チームとしては、せめても勝ち越して来季に繋げたいところだが、相手は開幕戦で惨敗しているサンゴリアスなので、不安要素満載で秩父宮へ。この日の観客は13,829人。 ↓お隣では六大学野球東大対早大戦が 前半15分までに2トライ&1ゴールで12点先制されたときは、このままズルズルと負けてしまうのではないかと、メインスタンドのてっぺんで夫婦二人心配になってしまった。今季を象徴するような、ボールが繋がっていってくれない症候群が続いているのではないかと思ったのだ。 それでも、さすがにサンゴリアスはプレーオフ進出を決めて、無理はせず、トライ個人記録を狙う尾崎泰雅が3トライを決めて気を吐いたが、勝ち越しモチベーションのほうが勝っていたようで、前半終了までに5点差に迫り、後半に地力を発揮できるよ..
歌舞伎を“まじめ”に観るようになったきっかけは、2001年秋の平成中村座公園で当時の勘九郎(十八代目中村勘三郎)の義経千本桜『忠信編』と『権太編』からである。とくに『すし屋』の権太の印象が強烈すぎて、はまり込むことになってしまったのである。 そして翌年から本格的に歌舞伎座本興行に突入することになった。そして、思わず張り込んでしまったのが、四代目尾上松緑襲名披露五月大歌舞伎での『寿曽我対面』だった。何と不遜にも、花道すぐ近くの桟敷席を取ったのだが、その時、花道を歩く役者の衣装の衣擦れの音にやられてしまったのだ。 ……こうした“合わせ技”のおかげで、遅まきながら歌舞伎観劇の道を歩むことになったのだが、それまで観なかったことを本当にもったいないと悔やむのは、まあ当然のことだろう。ゆえに、世代的には二つ前の、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎、二代目松緑の舞台は観ていない。 ↓実舞台..
季語は・・・青嵐 青嵐や 為替介入 甲斐もなく 【去年の今日】視話§ボールの行方ばかり
立夏の初候“蛙始鳴(かえるはじめてなく)”である。 そして夏……空気がすっきり乾いて、洗濯物もあっという間に乾く季節が来た。もっとも、身に着けている衣類もTシャツやら、じきにハーフパンツと軽くかさばらなず、しかも量が少ないから、厚いうえに点数も多い冬に比べれば、圧倒的に乾きが早いのは当たり前なのだが。 だがしかし、その代わりに暑い夏が眼の前にやって来てもいる。何より暑さが大の苦手な同居人にとって数か月に及ぶ猛暑攻撃はきついとこぼすのだ。 同居人ならずとも、昨今の猛暑に白眼を剥きたくなるのは皆同じである。 《七十二候のトピックス一覧》
生まれてこのかた、9月には古希を迎えるわけだが、かなりガタは来ているにしても、ここまでの70年、生命にかかわるような大病とか大怪我に見舞われたことはほとんどなかったと言っていいだろう。 自分でもやばかったと記憶しているのは11歳の頃にひどい肺炎のなりかけで一週間床に臥せっていたことがあった。今思い出しても、けっこうな病気であったのではなかっただろうか。 それ以外と聞かれたら、風邪で一日か二日寝込んだとか、胃腸炎でえらい目に遭ったとかは記憶にある。もちろん人並みに“麻疹(はしか)”とか“おたふく風邪”にはかかっていて、それぞれ免疫は持っているはずである。 怪我で思い出すのは、高校3年の体育の授業でラグビーをやった時に指を骨折したことくらいだろうか。密集の中で揉み合いになった時、誰かに薬指を踏まれたのだ。 その直後、人生最初で最後のトライをゲットしたのたのだが、家に帰っ..
季語は・・・八十八夜 雨音はひそり 八十八夜かな 【去年の今日】呟話§一言つぶやき~和式トイレは~
我々夫婦の死後は、定年退職の年に当選した都営霊園の散骨墓地に埋葬してもらうことになっている。 実家があった北関東端っこの町の寺に墓があって、今は自分が管理する立場にあるが、そこに埋葬されるつもりはなく、遠くない将来には墓終いをして整理するつもりでいるのだ。 現時点で、昨年百歳を超えた伯母が一人健在なので、彼女が身罷るまでは墓を維持しなくてはならない……自分が先に死ぬ可能性だってあるのだが。 そうして時々、自分自身に対しての備忘録的に記しておくのである。 《私事のトピックス一覧》
季語は・・・柿若葉 柿若葉 老いさらばえて 日々の愚痴 【去年の今日】酪話§チーズケーキ・・・・・・?~粉と卵~
“マスゴミ”という言葉がある。誰が作り出したものか……もちろん見当はついている。 マスコミに付け入れられたくない勢力が、マスコミを貶めるために考えついたことは間違いない。残念ながら今のマスコミは、すっかり骨抜きされて、中でもテレビのニュースなど、とてもニュースだなどとは呼べないような、薄っぺらい内容に鼻白むことしばしばという体たらく。プロパガンタは成果をあげてしまったようだ。 だが、マスコミがゴミなどではなかった時代を知っている身にしてみれば、そんなプロパガンタを易々と信じてマスコミを叩いて得々としている様子にそんなことをしているから、知らぬ間に権力が自分のやりたい放題をするようになったのではないかと思う。 マスコミが監視装置の立場にいなければしめたもので、そんな彼らの悪事が露見しそうになれば“マスゴミ”キャンペーンを繰り広げればいいだけの話なのである。 だが、そん..
母親の兄弟姉妹が全部で何人いたか、本人が亡くなってしまって、確認できたのは女性だけで合わせて8人というもの(推定)。 そのうち伯母の一人が群馬県の南西端、上信電鉄の下仁田駅から少し離れた辺鄙な集落に住んでいた。下仁田駅からのバスを降りて歩くこと一時間……小さな川と山に挟まれた細長い土地に、何軒もの家が張り付くように建っていて、下仁田名産の蒟蒻(こんにゃく)と葱を栽培し、母屋の2階で蚕を飼っていた。 ↓イメージです 夏休み、そんな親戚の家に2回、10日ほど遊びに行ったことがある。それはなかなか不思議な体験で、そもそも田舎とはいってもそこそこの街中――田舎の都会っ子――に住んでいたから、自然に囲まれた様子は何とも刺激的なのである。 滞在していた間は、2階の蚕部屋で蚕の世話をしたり、川遊びをしたりと、自然の子を満喫していた記憶だ。 一つだけ閉口したのは、トイレが..
季語は・・・暮の春 スクラムに 声無き声や 暮の春 【去年の今日】睡話§寝台車に乗ったのは
2024年4月の東京の天気がどうであったのか、振り返っておこうと思う。 このリンクの日付をクリックすることで、各々の日のアメダスが確認でき、より詳細な気象状況をチェックできる。 見てのとおり傘マークのない週はなかった。この天候不順に、花見をし損ねそうになったが、何とか晴れ間を見つけて、我が家近くのいつもの定番コースを歩くことができた。 さらに気温もまた気まぐれで、夏日や夏日に迫る日があるかと思えば、その翌日には最高気温が20度を切ってみたりするものだから、夏物との入れ替えを一気にすることはできず、何度か小出しに入れ替えたのである。もっとも衣類の入れ替えが一度で済むことはないのだが。 というわけで、4月中旬まで桜が残ってくれた後、花水木(ハナミズキ)が咲きつつ新緑へと移行し初夏の様相となっていくのである。残念ながら、今年の花水木は“元気よく”という咲き方ではな..
現時点で所有しているクレジットカードは4枚。そのうち頻繁に使っているのは1枚だけである。それ以外は、給油の支払いに使う石油会社のカードとチケットを購入するためのカード、そしてデパートのカードが1枚である。 一番多かった時は1990年代半ばのことで、新宿で営業していたデパート数軒のカードを一通り持っていた。だが、これも数年ちょっとで使いそうにないカードは見切りをつけてやめてしまった。それで、残っているのは一枚だけになったが、それで別に不都合はない。何よりそれぞれに年会費を払っていたのかと思うと、いささか取得のし過ぎだったとは今思えばなことだ。 結局のところ、使いこなせるのは2枚か3枚で、それぞれ役割分担をして、それをキープする尾がベターなようである。それにしても、ほんの2、3年のことだったけれど、多数のカードが財布のカードケースに入っていたことを思うと、何とも無駄なことをやってし..
季語は・・・花過ぎ 円安が 今日も進んで 花過ぐる 【去年の今日】皐話§2023年5月の予定あれこれ
ビッグイシュー478号は5月1日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。坂本龍一が表紙。 表紙&スペシャル企画 坂本龍一 リレーインタビュー 大山加奈(元女子バレーボール日本代表) 特集 「はやぶさ2」。リュウグウの石は語る 2014年12月3日に旅立った「はやぶさ2」は、直径約900mの小惑星リュウグウへの約6年の旅を終えて、20年12月6日に帰還しました。 橘省吾さん(東京大学大学院理学系研究科宇宙惑星科学機構教授)は「はやぶさ2」の探査目的を「太陽系がどのように始まり、どのように地球をはじめとする多様な惑星を誕生させたのか、海や生命の材料である水や有機物がどのように地球にもたらされたのかを明らかにすることだった」と言います。 リュウグウの表面から採取され持ち帰ら..
月初めにつき、東京の一か月間の日の出&日没時刻を。 5月1日の日の出は4時48分で日没は18時30分、月末の日の出は4時26分で日没は18時54分。自然光で夕方の入浴ができる時期になってきた。これが、ささやかな楽しみなのだ。 今月のお楽しみは少ない。ラグビーはリーグワンが最終節となるので、シーズン最後を見届ける。そして、プレーオフの準決勝、3位決定戦、決勝戦が行われる。 歌舞伎は、團菊祭五月大歌舞伎に行く。夜の部の『伽羅先代萩~御殿、床下~』が目当て。菊之助の政岡だ。 お出かけ的にはちょっと寂しい5月のようだ。 《日常のトピックス一覧》
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季語は・・・師走尽 師走尽 世はこれすべて 塵芥 【去年の今日】週話§日曜枯寂~2023年大晦日~
冬至の末候“雪下出麦(ゆきわたりてむぎいずる)”である。 一年最後の候である。閏年だと大晦日だが、通常年は元旦が冬至の末候だ。 毎年書いていることだが、冬至以前から日没時刻が少しずつ遅くなって、一年が終わる頃には明るい夕方になりつつあって、それは春の兆候として喜ばしいと、冬の寒さが厳しくなるのと裏腹に感じるのである。 冬至以降の候名を見れば、時節よりも先の春を予感させるような名前が並んでいることに、今さらながら気がつくのだった。 《七十二候のトピックス一覧》
古稀となった2024年が終わる。そして新たな年がやって来て、我々の営みはなおも続いていく。いよいよ世界は混沌の度合いが顕著に色濃くなってきたと感じる。人生の終わり近くにこのような世界情勢になっていくことには、大きな懸念を抱いてしまうのだ。 卑小なところでは、2019年にウェブリブログから移転継続していたSSブログが来年の3月末で終了。拙ブログは、明けて1月1日からSeesaaブログへと転居する。 オワコンであることは否定できないブログという存在だが、流行り廃りとは関係なく、表現手段として使っている人は少なくなく、そもそもオワコンとかいう言葉を使われること自体が迷惑なのだ。それこそブログをやってすらいない人間から言われたくなどはない。 だがしかし、かくして我がブログは流浪の旅を繰り返していくことだろう。 それではみなさん、よいお年をお迎えください。 《年末年始の..
季語は・・・行く年 行く年や 饂飩半玉 気ぜわしく 【去年の今日】週話§土曜枯寂~とうとう来てしまった~
コンサートや歌舞伎、スポーツ観戦で通路側の座席に座ることがあって…… ↓ご覧のとおり(バイロイト音楽祭HPより) ……それで観察していると、そのほとんどで内側の席の人たちのほうが、なぜか来るのが遅く、我々が席に座っていたら彼らを通すのに立たねばならないか、もしくは立ったまま待っていることになるが、平土間で間に通路のないバイロイト祝祭劇場は、そうして遅れて中のほうに入っていく客のために全員が立ったままで待つことになるのである。 《つぶやきのトピックス一覧》
観客は8,169人で1万人に達せず。年末で行きにくかったか、渋い客の入り。と思っていたら、北関東は熊谷で行われたワイルドナイツ対スピアーズの試合は1万人超えをしていたので、動員力不足があったかもしれない。 という客入り状況はこれくらいにしておいて、後半は手に汗握る試合展開となった。結果は33対32と1点差でブラックラムズが辛うじて逃げ切り勝ち。前節のホンダヒート戦で終了間際に逆転負けを喫したショックを引きずることがなく、今シーズンの1勝目となった。 特に推しチームの対戦ではないのに秩父宮まで足を運んだのは、リーグワンに“戻って”きたTJ・ペレナラのプレイを見たかったからである。2021年ワンシーズンだけレッドハリケーンズでプレイしたが、その時は一度も彼を見ることができず、テレビでプレイぶりを見て、是非に見ておかなくてはと思ったのである。 前節はあま..
季語は・・・数へ日 数へ日や 夫の寝言 聞く夜明け 【去年の今日】療話§診察券の束なりき
どん詰まりに来た……あと2日で2024年が終わる(ほとんどコピペ 今年は自分の身体を見直す年になってしまったということだろうか。特に、足の血管の問題をメインとした、循環器系の問題を棚卸しして改善の道筋をつけることができそうだ。歯医者に半年以上通って、かなりメンテナンスができたのではと思っている。 70歳という年齢での見直しは、いささか遅まきながらではあるが、やらないよりはやっておけば、少しでも日々の生活が快適になってくれるはずなのはまあ、間違いないと思いたい。 というわけで、来年の目標は“一病息災”である。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・大根(だいこ)焚き 行列や 最後尾ここ 大根焚き 【去年の今日】懐話§昭和三十年代~貸本屋~
どん詰まりに来た……あと3日で2024年が終わる。 何度目の大晦日、そして何度目の元旦だろうか。もちろん今さら数えるつもりなどはない。 70年生きたということは2万6千日近くをこの世で過ごしたことになり、そのすべてが記憶の中にあるわけでもなく、間違いなく9割以上は忘却の彼方に消えて行ってしまったのだろう。 それが人生だなどと、したり顔でいうつもりもないし、思い出にすがりついて時間を戻そうなどとも思わない。すべては時の流れの中に沈められて、いずこかへと去っていくのである。 でもまあ、少しは人生でいいことがあったよなとは思っているのだけれど。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・年歩む 老い先は いずこ?の日々や 年歩む 【去年の今日】連話§ワタシの酒肴[177]メンチカツ
内緒の話だが―内緒になどなっていないが―一浪して予備校通いで下宿暮らしを始めた時に酒を呑み始めた。19歳だったから完全にフライングである。 下宿の三畳間には暖房の設備など何もないまま冬がやって来た。夜、受験勉強を終えて、口にしたのは安いウィスキー。それをお湯で薄めに割りホットウィスキーで身体を温めて布団に潜り込んだのだった。 そのあたりが酒の呑みはじめだったのだが、だからといって毎日毎日呑んでいたわけではない。そもそもそこまで自由に使える仕送りなどもらってはいなかったから、ごくたまに意を決してビールを買うとかそんな程度である。 だから、酔っ払ったという記憶がないのは、大した量を呑んでいなかったということと、酒の何たるかがわかっていなかったことは間違いない。 その後、大学に入っても酒量が増えるどころか、下宿で酒を呑むことはほとんどなかった。いわば大学時代は酒の空白期だ..
こんな映画があったことを覚えている、あるいは実際に観たことがある人は七十代以上ということだ。 東宝映画『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』というタイトルで1964年に封切りされた。何と!映画に登場するのは当時巨人でプレイしていた選手たちと川上監督、さらに西鉄ライオンズの中西太まで出演していた。そこに東宝の俳優が加わっていたのである。 1963年、三冠王を狙っていた長嶋茂雄を主役に、ペナントレースの様子を描いたドキュメンタリー・ドラマとでも言えばいいのか……何とも不思議な映画を観たような記憶が微かに残っている。 もちろん芝居素人ゆえ、演技云々については眼を瞑っていたとは思うが、それでも生々しいと思ったのは、三冠王に向かって突き進んでいた長嶋に阪神の投手バッキーがデッドボールを投げて、指の裂傷を負ったというところの映像で、長嶋茂雄渾身の演技ではなかっただろうか。 ..
季語は・・・年惜しむ 入院 二泊三日なり 年惜しむ 【去年の今日】現話§漢字の使用はほどほどにしています
冬至の次候“麋角解(さわしかのつのおちる)”である。 あと5日で2024年も終わり。自分にとってはいい年であったのだろうか……11月から12月にかけて、小さからぬ怪我をしたし、二泊三日でカテーテル手術もした。まあ、自分の身体の状態を顧みたということになるだろうか。 たぶん、自分が考える以上に様々な状況に振り回されたのかもしれない。 2025年……そして、これも我々のような考え方を持つ人間たちにとっては、さらに期待が萎み続けていく年になるのは間違いない。そして最低でも4年は臥薪嘗胆の日々を送るはずである。 いや、別に復讐がしたいわけではない。ごく普通の常識が普通に通用することを実現してほしいだけで、それ以上は何も望むことなどないのだ。 《七十二候のトピックス一覧》
一か月に一度くらいだろか、我が団地にも救急車が入ってくることがある。世帯の高齢化が進んでいることが大きいか。 以前は入って来てもサイレンを鳴らしっぱなしだったのが、最近は入り口で止めて入ってくるようになった。 見えるところに停まって、救急隊員が向かっていく様子が我が家からも見下ろせて、ストレッチャーを出したりとルーチンの仕事をてきぱきと進めていくのだ。 ところが、それからが長いことがあって、要請したお宅に入って30分以上も出てこないことがある。容態を調べているのか、あるいは一番考えられるのは受け入れてくれる救急病院を探しているのかということだろうか。そしてようやく救急車が出て行き、緊張感も去っていった。 ある時、頻繁に救急車が入ってきたことがあった。しかも呼んだのは同じお宅と思われたのだ。数回もそんなことがあった後は、パタリと来なくなったのだが、あれは何だったのだろ..
季語は・・・日向ぼこ 老い独り 優先席の 日向ぼこ 【去年の今日】槍話§十二月大歌舞伎~爪王~
六十代半ば頃から処方薬を毎日服用する生活が続くようになった。 つまり高齢化とはそういうことなのだと改めて実感しているところだが、夫だけでなく、同居人も同様に毎日薬を服用している老夫婦なのだ。 もっぱら、高血圧改善とか血管を拡げるとかの循環器系で、通院している内科は“ヤブ”に近いのだけれど、ありがたくも院内処方して薬を出してくれるので、いちいち処方薬局に赴かなくてもいい。 そんな薬の日々が、この先延々と続いていくのだろうかと思う。若い頃は、そんな日々がやってくるなどとは想像すらしていなかったが、いざ自分がそんな境遇になると“そういうことだったのか”と実感させられる。 世間でも高齢者の医療問題は切実なわけで、先々誰もが当事者になっていく運命にあるのだから、財政面も含めたいい知恵を出しあっていくしかない。医者に通わずに済むなら、それに越したことはないのはもちろんの..
ドイツ語で無賃乗車をする人は“Schwarzfahrer(黒い乗客)”と呼ぶ。 ドイツやオーストリアの鉄道には改札口がなく、人は駅に入ったらそのまま電車に乗ることができるのだ。そして当然ながら、無賃乗車をする輩も少なくはないはずである。 そんな交通機関には“車内検札官”が巡回していて、移動中の車内で身分証明書を提示しながら、切符の有無を確認するのだ。 そんな車内検札官に一度だけ遭遇したことがあった。10年前、ベルリン滞在していた時である。地下鉄に乗っていたら、本当に普通の姿の検札官が、乗客に切符を提示するよう求めたのだった。 我々夫婦は3日間チケットを持っていて、検札官が登場した瞬間に“来た”と即座に反応しチケット提示したのである。そうしてチェックしつつ、一人の男性のチケットを見て「これはだめ」みたいなことを言って、次の駅で連れ降ろしていったのだ。 そ..
季語は・・・クリスマス クリスマスや ワインの栓を 抜き損ね 【去年の今日】週話§日曜枯寂~あと一週間~
結婚して暮らし始めた多摩丘陵のマンションは交通が不便だった。最寄駅からは緩い坂道を上がって15分ちょっと。さらにスーパーマーケットをはじめとした商店街までは歩いて10分。当時は共稼ぎだったので、買い物には本当に難儀した。 2年我慢した……よくもまあ2年も我慢したものだと思うが、そこで運転免許を取ろうと決心したのだ。自動車の運転にさほど興味があったわけではなかったが、背に腹は代えられぬ。 そして1984年10月、無事に運転免許を手にして車を購入した。厳密に言うと免許を取るより早い10月上旬、フライング気味にホンダのディーラーに赴いて、かねてより“これ!”と決めていた赤のワンダーシビックの納車をお願いした。 免許を手にして10日後くらいだから11月に入っていたと思うが、我が家に赤いシビックがやって来た。ルイ・アームストロングが歌う『ワンダフルワールド』のコマーシャルを..
季語は・・・青時雨 ざわざわと 乳房榎や 青時雨 【去年の今日】週話§日曜枯寂~貧乏暮らしのこと~
たまに過去エントリーを俯瞰していると、どうもあちこちダブりが散見…… ……してきていることに、やはり自分の中でネタ切れを起こしつつあるかとちょっとがっかりしつつ本文を見れば、エントリーのタイトルは同じようであっても、中身については違う切り口だったりしていることに安心しながらも、もう少し心してかからなくてはと反省するのだった。 《つぶやきのトピックス一覧》
萬屋の襲名興行昼の部を観てきた。獅童と菊之助の『上州土産百両首』から『義経千本桜~所作事時鳥花有里~』があって、最後に時蔵襲名披露狂言の『妹背山婦女庭訓~三笠山御殿~』まで。萬屋と播磨屋勢揃いである。 まずは獅童と菊之助の百両首。1時間半と長い芝居だったが、雰囲気を感じさせる舞台。獅童と菊之助はそれぞれの持ち味を出していたが、菊之助にはもう少し喜劇風味を盛ってほしい。 義経千本桜の“時鳥花有里”は、2回ほど観ていたようだが、舞台が華やかという印象しかなく、今回も同じだった。 そして、梅枝改め時蔵の襲名披露狂言『妹背山婦女庭訓~三笠山御殿~』である。やや面長で古風な顔立ちの時蔵は、将来の立女形として期待されているのは間違いなく、襲名披露狂言でもその実力を如何なく発揮してくれたと思う。劇中で行われた襲名披露口上は、仁左衛門の豆腐買おむらを芯に、右に新時蔵、左に新梅枝と..
季語は・・・夏館 銅版画 掛け替え並べ 夏館 【去年の今日】週話§土曜枯寂~6月最終土曜日~
1948年6月24日、ベルリン封鎖始まる。 第二次世界大戦後、ドイツは米英仏ソの4か国に分割統治された。さらにベ ルリンも4か国に分割されてしまった。 そしてベルリンの一括統治を目論むソ連は、米英仏3か国が統治する西ベルリン地区を封鎖して“兵糧攻め”を試みたのである。それに対して3か国は“空の架け橋(Berliner Luftbrücke)”作戦で物資の空輸を開始したのだ。 輸送作戦は功を奏し、封鎖は翌年4月に解除され、東西ベルリンの行き来が自由にできるようになった。ベルリン封鎖は失敗に終わったのである。 その後、1961年8月にソ連は“ベルリンの壁”を構築し、西ベルリンを陸の孤島化させ、ソ連からの揺さぶりは執拗に続いたのだった。 そんな孤島化が終わったのは1989年11月の事である。 《歴史のトピックス一覧》
試合前までの、イングランド23人のキャップ総数は848、対する日本は259。初キャップはイングランド1、日本8。そしてこの日の観客は44,029人……5万はいくのではと思っていたのだが。 ↓ゴールのサイドバー中央にカメラが設置されていた 結果は17対52……イングランドの快勝である。経験と実力差はいかんともしがたく、ヘッドコーチであるエディ・ジョーンズ掲げる“超速ラグビー”など影も形もなかった。 さて、このメンバーでしばらくテストマッチを続けていこうというつもりであるのか、若手の育成とベテランの活用というバランスをどうコントロールしていこうとしているのか、何を言っても“エディ・ジャパン”の初戦なので、様子を掴みかねていたのだ。 先々を考えれば、若手にチャンスと経験を与えなくてはどうにもならないことは明白なのだが、この日のゲームを観る限りでは、..
季語は・・・夏嶺 夏嶺や 大休憩の 水温し 【去年の今日】稽話§ゲネプロに潜り込んだ件
元より大食いというわけではなかった。男性としては、まあまあ普通の食欲は持ち合わせていた……そんなレベルだった。 食欲がいさかか希薄になってきたと感じるようになったのは、五十代半ばを過ぎた頃ではなかったか。晩ご飯の時、大きめのご飯茶碗で食べていたが、それは250gくらいあったと思うが、最近はというと、その三分の二の180g程度で満足できてしまう。 神保町界隈に君臨していた“いもや”のとんかつ定食を食べさせてくれる店のとんかつは200g近くあったような気はするが、今はもはや120gくらいでアップアップしているのだ。 言うまでもないことだが、古稀になろうとする人間の基礎代謝は順調に少なくなっていっているわけだから、この期に及んで大喰らいをすること自体が自殺行為である。 晩酌で、酒を呑みながら食べるつまみも少しく減っていて、気がつけば皿も小さくなっていたりした。 《私..
季語は・・・夏至 夏至の日や 「おつかれさま」と LINE来る 【去年の今日】歌話§赤い鳥とハイファイセット
国が国民に対して“サービス”をしなくなったと感じる。政府そのものが、あっちこっちで劣化していて、政治家だけでなく官僚たちもそうした発想を持っていないような気がする。 税金を払っているのは国民である。それは国からいくばくかのサービスを受け取るためなのに、そのリターンがほとんどないと感じるのだ。 前々任者が政治をいい加減な地位へと貶め、権力を自分たちに都合よく運用した結果が、今や政権党が内部崩壊を起こして機能しなくなっていることではないか。 そして政治は“ズル”をしてもいいのだと勝手に解釈し、方向性を完全に見失ったのが今である。何を為すべきかわからぬまま“見てるだけ”しかできなくなって、気がつけば我々が立たされているすぐ目の前は崖っ縁である。 我々は、自民党という泥船になど乗りたくもない。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・夏暖簾 ひんやりと 麻の肌目や 夏暖簾 【去年の今日】美話§おいしい物はそれぞれの消費地へ
夏至の初候“乃東枯(なつかれくさかる)”である。 夏至ですね。今日の日の出は4時24分、日没は19時3分。 いよいよ暑さの夏の本番がやってくる。我が家の場合、睡眠大事を大基本にしているゆえにエアコンを使うメインは夜から朝にかけての就寝中なのだ。 夫婦して暑がりだからかどうか、ともかくも寝ている時に暑苦しいのは勘弁してほしく、そんなエアコン運営になっている。もちろん暑い日中にも適宜稼働させてやるのは言うまでもない。 そして心配なのは電気料金の支払いである。電気・ガス料金補助は5月で終了。だからこの夏の電気料金請求がいかほどになるか、戦々恐々としているのである。 本当に、今の政府は“何もしない”としか思えない。あれほどの円安をそのまま「注視している」というのみで、単に“見ている”だけなのだ。一か月前にドイツ人の知り合いと会って話をしたのだが、それほど政治あれこれに..
[承前] 所用あって、京王線の特急通過駅に通っている。駅前には駅にへばりつくように商店街が展開していて、昔ながらの肉屋に行けば、コロッケやハムカツといった総菜揚げ物が並んでいて、思わず「ください!」と言ってしまう。 そんな店が並んでいるのを見ると、新しく開発された地域に住んでいる身にとっては羨ましいと感じるのだ。 環境良好であることで大きな不満もなく40年以上住み続けているが、そんな下世話な商業施設の存在については羨望を覚えるのである。 当然ながら、チェーン系でない居酒屋の類も点々とあって、こんな場所に住んでしまったら、帰宅前にあちこちと寄り道するのは言うまでもなかろう。 とはいえ、そんなごちゃごちゃ感を鬱陶しいとも思う自分がいて、なかなか微妙な感情を抱いているのだ。 そんな駅前商店街だが、目下高架工事がたけなわとなっていて、ところどころシャッターが閉め..
季語は・・・昼顔 昼顔や 違法駐車の 高級車 【去年の今日】表話§尾瀬で写真を撮ること
普通においしい・・・・・・ いつ頃から使われるようになったのか、気がついたら“普通においしい”という不思議な表現が独り歩きをしていた。 何と言うか、違和感満載である。個人的に使ったことはないと思う。むしろ“安定のうまさ”みたいなものは使っているけれど。 つまり要するに“普通”であり“どうってことない”味ということなのか、たぶんおそらく“まあまあおいしい”と言うところ、普通の味だという表現が、どこかで普通においしいという表現が生まれ出てしまったということなのだろうか。 いずれにしても、何か婉曲的な言い回しをしようとしている中で生まれ出た“妙”な物言いであることは間違いないだろう。 《日常のトピックス一覧》
先月だったか、電子マネーの決済が一時的にできなくなったというニュースを見た。少なからぬ人が現金を持っていなくて難儀したとは、何とまあなことかと思ったのだ。 電子マネーは交通系のパスモと普段使いスーパーマーケットの支払い用しか持っていない。たまにパスモをコンビニで支払いする時に使うことはある。 だが、古い世代であるからなのか、支払いは基本現金でやっている。万単位の支払いの時にはクレジットカードを使うと決めているが、それほど不都合を感じたことはない。 ↓じゃいーです~ 最近はどうなっているものかわからないが、町中の商店街で小商いをしている店では、現金のみだったりするのも珍しくはないのではないか。世の中はそれほど都合よくできているわけではないのだ。 それゆえ現状は、現金主体で電子マネーは交通機関とスーパーマーケットに限られ、高額決済はクレジットカードでという使い..
季語は・・・梅雨晴間 ヒヨドリに 夢醒まされて 梅雨晴間 【去年の今日】快話§高速道路とドライブレコーダー
大学を卒業して“宮仕え”を始めた。会社の業績もそこそこ好調だったおかげもあって、転職して新しい仕事をするとかそういうことを考えなどしないままに37年半を一つの会社で全うして終えた。 大学あたりまでの人生序盤は、あまり落ち着くことがないと感じていたが、まさかこんなサラリーマン生活を送れるとは思いもしなかったことである。 なぜサラリーマン稼業を選んだか……それはもうひとえに自分自身の性格と能力の在りようのゆえではなかったか。 まずもって商才などはありようはずもないと自覚していたので、自分で何か立ち上げて起業するなど眼中になく考えもしなかったことだ。加えるなら、何かクリエイティブな才能を擁して、その能力を発揮して会社に寄与することもなかった。 どちらかといえば総務的事務職を淡々とこなすような質(たち)ではなかったかと今さらながら考えているのである。 37年半携わって..
バイロイト音楽祭に詣でたのは5回……1991、1997、2000、2008、2016年である。 その年に上演される7演目をひととおり観たのは2回、指環以外の3演目を観たのが2回、指環だけが1回というものだった。 1991年の初詣では、指環とパルジファル、さまよえるオランダ人、ローエングリンを観たが、それ以上にタフだったのが2008年の時である。この年に観たのは、指環に始まって、トリスタンとイゾルデ、ニュルンベルクのマイスタージンガー、そしてパルジファルと、後期重量級7演目を立て続けに観ることができたのだ。詳しい様子はこちらのリンクを。 同じ演出での上演は最長5年、それをローテーションしていくから、この組み合わせになるタイミングで行けるのもまた珍しい。 というわけで、一度はこの重量級7演目を観たかったという夢が叶ったのである。そして7演目を観るのは9日間という..