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2018/06/26

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  • 【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第22章)

    第二十二章精神のカルワリオ〈墓地の静寂〉トリノの修道院で、イエズスはコンソラータにきびしい口の慎みを命じたが、モリオンドでは、更に、神への愛を完全に純化するため、共同生活に参加しながらも、ほとんど死んだ人のような静寂を命じた。今や生涯の最後が近づき、頂上の、険しい、狭い、危険な道を歩むことに全精神と全力を集中しながら、周囲から完全にはずされ、落ち着いてひたむきに一路邁進した。一九三九年十月二十一日から二十九日までの、モリオンドでのはじめての黙想会のことを日記にしるしている。「私がモリオンドにいる唯一の理由と目的は神のおぼしめしを果たすことです。イエズスは修院の皆さんやすべてのものから完全に離脱することを要求なさいます。イエズスは私が完全にひとりでただイエズスのみとともにあることをお望みになります。絶え間ない愛の...【シスター・コンソラーター愛の最も小さい道ー】(第4部・第22章)

  • 感染症の危機における為政者のための祈り

    【感染症の危機における為政者のための祈り】感染症の危機において、政治をつかさどる人びとのために祈ります。主よ、為政者があなたの知恵に従って、正しい判断をくだし、あなたの恵みを地上にもたらす働きをすることができますよう、助け、導いてください。アーメン。🕯♰🕯感染症の危機における為政者のための祈り

  • 【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第21章)

    第二十一章カルワリオのふもとに一九三五年十二月十六日からコンソラータはイエズスの御声も聞かず、御姿も見なくなったが、続いて約一年間ぐらい超自然的暗示に導かれた。指導司祭から、イエズスの御声と超自然的暗示の違いを問われてコンソラータは答えた。「イエズスは今黙っておられますが、聖心から暗示をいただきます。イエズスは発音をなさいませんが、確かに悟らせてくださいますので、私はそれを口で言い、また書きます。それは私の想像力と全然関係がありませんので、思い違いはないようです。イエズスは隠れおおわれておりますが、私の特別の使命と私の書くことのすべてに直接働いておられることが感じられます。コンソラータはペン先のようなものにすぎません。神は私が書く時、思考することを許さず、聖霊の神感によって、また見えない力によって私は書かされ、...【シスター・コンソラーター愛の最も小さい道ー】(第4部・第21章)

  • 医療関係者のための祈り

    【医療関係者のための祈り】神よ、感染症と日々、戦う医師、看護師、医療スタッフなどの方々をお護りください。あなたの強い御手により、彼らが正しい診断や処置ができますよう導いてください。彼らの疲労を癒し、必要な助けを速やかにお与えください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。医療関係者のための祈り

  • 第二十章 コンソラータのイエズスとのミサ生活

    第四部生けるいけにえの完成第二十章コンソラータのイエズスとのミサ生活イエズスのとうといご生涯をミサ聖祭にたとえると、ある意味でご託身は入祭文、聖殿に主をささげたもうたことは奉献、ご死去は聖変化にあたるだろう。またイエズスの救世のみわざの協力者で共贖者であられた聖母マリアは、助祭のように、イエズスの生涯ミサ聖祭に絶えず参加されたのである。イエズスは、コンソラータのいけにえとしての生活を「私たちのミサ」と御自ら名づけられた。十字架にくぎづけられた救い主は、今コンソラータを、カルワリオへと──すなわちいけにえの最後の完成へとお招きになったのである。「私たちのミサ」──絶えず祭壇の上にご自身をささげたもう神の小羊なるイエズスとともに、またイエズスにおいて、本気で神に自己献身し、自分の人格、肉身、霊魂の能力、善業、善徳を...第二十章コンソラータのイエズスとのミサ生活

  • 十字架上のイエズスに向う祈(公教会祈祷文)

    十字架上のイエズスに向う祈:仁慈にしていとも甘美なるイエズス、われ御前にひざまずきひれふし奉る。預言者ダヴィドが主につきて、『かれらはわが手わが足を貫き、わが骨をことごとく算えたり』といいし御有様を、今目前に見奉りつつ、心の大いなる愛情と苦痛とをもって、主の五つの御傷をひたすら眺め、かつ心にて思いめぐらし奉る。信望愛の烈しき感情と、わが罪のまことの痛悔と、これを改むる最も固き決心とを、わが心にしみ徹らせ給わんことをひとえに願い奉る。十字架上のイエズスに向う祈(公教会祈祷文)

  • 御聖体のみ前で(聖アントニオ・マリア・クラレ司教)

    御聖体のみ前で(聖アントニオ・マリア・クラレ司教)聖アントニオ・マリア・クラレ司教(1809~1870、クラレチアン宣教会創立者)によって書かれたもので、イエスが私たち一人ひとりに個人的に話しておられるという形式をとっています。(福岡司教認可2002年11月)++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++私(イエス)を喜ばせるためにたくさん勉強する必要はありません。私をとても愛することだけで十分です。一番親しい友達と話すように、単純に私と話しなさい。誰かのために、私に頼みたいことが何かありますか。ご聖体その人の名前と、今その人のために私が何をすることを望んでいるかを私に言いなさい。たくさん頼みなさい。頼むことを躊躇(ちゅう...御聖体のみ前で(聖アントニオ・マリア・クラレ司教)

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