chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
まちづくりコンサルの独り言
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2018/03/09

arrow_drop_down
  • ハイビスカス

    ハイビスカス今年初めて咲いた。寒くなる11月の中頃、家の中に入れあったたかくなる4月に外に出す。ブッソウゲ(仏桑花)は、アオイ科フヨウ属の低木で、扶桑花、仏桑華とも。沖縄では赤花ともいう。ハイビスカスとも言う。フヨウ属の学名・英名がHibiscusである。ハイビスカス

  • EQUiA(エキア)竹ノ塚

    EQUiA(エキア)竹ノ塚竹ノ塚駅が“モットタノシイエキ”ヘをテーマに、東武鉄道(本社:東京都墨田区)は、平成6年5月23日(木)、東武スカイツリーライン竹ノ塚駅高架下に新たな商業施設「EQUiA(エキア)竹ノ塚」をオープンさせた。本施設は、近隣にお住いのお客様や、通勤・通学で駅を利用されるお客様をターゲットとして、「日常に、こころに、彩りを添える個性豊かな商店街」を目指し、カフェや物販店、飲食店など24店舗が出店した。昔ながらの商店街が今もなおにぎわう竹ノ塚駅周辺エリアで、鉄道高架の構造を活かしたガラス張りのアーケードの下、活気やにぎわいのある商店街を設けた。また、施設環境では「商店街」をテーマとして、店先に各店で商店街を彩る演出をするとともに、店舗ごとに異なる色彩の外壁色を施し、竹ノ塚駅の新たな顔とし...EQUiA(エキア)竹ノ塚

  • 高岩寺(こうがんじ)

    同寺院は、東京都豊島区巣鴨にある曹洞宗の寺院で、山号は萬頂山、本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)で、広くとげぬき地蔵の通称で知られる。その歴史は、慶長元年(1596年)、扶岳太助が江戸神田湯島に創建し、のちに下谷屏風坂に移る。1891年(明治24年)、巣鴨に移転したが1945年(昭和20年)、東京大空襲で建物を全焼し、現本堂は1957年(昭和32年)に再建されたものである。とげぬき地蔵の由来は、江戸時代に武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げにしたがい、地蔵の姿を印じた紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している「御影」の始まりであるとされる。その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すこ...高岩寺(こうがんじ)

  • 三社祭

    三社祭令和六年の祭禮の日程は5月17日(金)18日(土)19日(日)です。初日は、お囃子屋台をはじめ鳶頭木遣りや浅草の各舞、また芸妓連の手古舞や組踊り等で編成された「大行列」が浅草の町に祭礼の始まりを告げ、東京都無形文化財指定の「神事びんざさら舞」も奉納されます。今日は、大行列を見てきました。浅草神社HPより三社祭

  • 三社祭とは

    三社祭とは令和六年の祭禮の日程は5月17日(金)18日(土)19日(日)です。浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと云われ、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっています。初日は、お囃子屋台をはじめ鳶頭木遣りや浅草の各舞、また芸妓連の手古舞や組踊り等で編成された「大行列」が浅草の町に祭礼の始まりを告げ、東京都無形文化財指定の「神事びんざさら舞」も奉納されます。二日目には、「例大祭式典」が斎行され、その後に「町内神輿連合渡御」によって浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約百基が神社境内に参集し、一基ずつ...三社祭とは

  • 六義園

    六義園昨日は、業務の帰りに都立文化財9庭園の一つ六義園に行ってみた。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳澤吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。庭園は中の島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州(現在の和歌山県)和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されています。明治時...六義園

  • おばあちゃんの原宿

    おばあちゃんの原宿とげぬき地蔵尊ならびにその界隈の代名詞の「おばあちゃんの原宿」の由来は諸説あるようですが、1980年代後半には東京原宿の若者の賑わいになぞらえた「お年寄りの竹下通り」「じじばばの原宿」などの形容が発生していました。大きな転機となったのが1998年1月讀賣新聞朝刊1面の記事『いのちとこころ第一部』の見出し「おばあさんの原宿」でした。5月4日はご縁日、今日は通りの左側に露店が出ていて、次回のご縁日は右側に露店が出ます。とげぬきの由来は、正徳5年のこと、大名屋敷で針を誤飲した女性に、この地蔵尊像を写し取った紙札を飲ませたところ、針が紙札の地蔵尊を貫いて出てきたのが「とげぬき」のはじまりです。水を掛けて洗ったところが良くなるとされる「洗い観音」は、本尊とげぬき地蔵尊の脇侍(わきじ)ながら広く信仰...おばあちゃんの原宿

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、まちづくりコンサルの独り言さんをフォローしませんか?

ハンドル名
まちづくりコンサルの独り言さん
ブログタイトル
まちづくりコンサルの独り言
フォロー
まちづくりコンサルの独り言

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用