駅屋跡の古民家2CV 自転車、バイク、車 骨董、レコード、JAZZ ワイン、日本酒、自然を楽しむ
松の剪定をしているとき、指にトンボがとまった。ちょっと弱っている。助けてくれと目で言っているように見えたが、どうしてやることもできなかった。大きいトンボだったのでオニヤンマかと思ったが違った。後で調べてみた。胸部と腹部の境界部分が水色だったので、ギンヤンマのオスだと分かった。さて、前庭にある2本の松を剪定するのに6日かかった。雨の日があったので、じっさいは5日だ。以下、before&after。この松に4日半かかった。ハシゴをたてるのがたいへんだった。とくにてっぺんの高い所は、外から剪定用の3本脚立では届かない。中央に小さいはしごを入れて、枝にさばりながら片手で松葉をもんだ。ゆっくり慎重にやらないと、残すべき芽をポロっと折ってしまう。もう一本は小さな腰折れ松。これはハシゴなしで、半日でできた。この家に来た...22.9.30松の葉もみ②
松の葉もみの季節がやってきた。台風が夏を吹き飛ばしてくれて、秋らしくなった。ハシゴの上にのぼって、ゆっくり確実に松の葉をもんでいると、涼しげな風が吹いてきて、秋になったなと実感させられる。ゆったり流れるその時間が好きだから、一度に全部やらない。机とハシゴを行ったり来たり。春5月には、上のように芽摘みをしてすっきりしていた。これらの芽が梅雨から夏にかけて、下の写真のように繁茂する。梅雨のころはその新緑がきれいで楽しませてもらったのだが。このように繁っている葉のうち去年の古い葉をむしっていく。このままにしておくと光が入りにくいので奥の葉が弱る。風が通らないので虫がくる。雪がたくさん降ったら枝が折れるなど、良いことはない。やりかたは、強くむしると今年できた小さい芽までちぎれてしまうので、指を芽の根元に差し入れて...22.9.25松の葉もみ
今日も栗拾いに来た。ヤギたちは必ずついてくる。うれしいを全身で表現する。毬が痛いので長靴で踏んで割る。スニーカーは止めといたほうがいい。すぐにぼろぼろになる。ひとが栗を拾おうとすると、待ってましたとヤギが口を出す。競争だ。ヤギたちが落ちた栗を食べようとしているのだが、毬が痛いのでとっても苦労している。それでもヤツらは暇なので、けっこう食べているかもしれない。とくにカタロウ、夕方になると腹がぽっこり膨らんでいる。どうしても食べたいという執念で顔がゆがんでる。ヤギと栗には縁があったとしか思えない。お祭りや縁日の屋台で焼き栗を売るのが夢だ。 焼き栗の屋台で夢が香ばしい22.9.21栗拾い②
台風で、栗が落ちた。台風の次の朝、むこうの山から地平線を、鹿の親子がどどどどーと走りぬけた……先日、栗農家の先輩が話していた。電気柵がねえと、どねんもならん。ウチのヤギ野原は電気柵でかこっていない。鹿がどどどどーと走らないのは、オスヤギのカタロウが強そうな(ほんとは弱いのだが)声で啼くから‥‥ではない、この辺りは山から離れているのと、住宅や県道もあるので、イノシシはたいへんだけど鹿はそれほどでもない。イノシシの出没は最近減っているので、カタロウの啼き声も役に立っているのかもしれない。ヤギの頭突きはイノシシにとってもイヤなのだ。カタロウの啼き声は、腹がへっていたり、甘えたかったりするときは、わりと執拗に腹の底から響き渡るように絞り出される。鹿も栗もヤギもシシも、おとぎ話のなかでのことではない。この現実でとも...22.9.20栗拾い①
黒い液体に立つ泡のおいしさに目覚めたのは、たしか南フランスのカマルグ、サント・マリー・ド・ラ・メールSaintes-Maries-de-la-Mer教会前広場でのことだった。泡がおいしい飲みものといえば、ビールに抹茶、だがコーヒーも負けてない。きめ細かい泡が、とにかくいとおしい。聖女サラ目覚める泡のエスプレッソサント・マリー・ド・ラ・メールはMariesとマリアに複数を示すsがついている。「海のマリアたち」これがカマルグ湿地帯の先端、地中海に面したところにある小さな町の名前なのだ。マリアたちとは、聖母マリアの妹マリア・ヤコベ(イエスの叔母になる)、十二使徒のヤコブとヨハネ兄弟の母のマリア・サロメ、そして召使サラである。召使サラは黒いマリアと呼ばれ、ロマの人たちの信仰を集めている。わしのなかでは黒いマリアの...エスプレッソコーヒーを淹れる②
エスプレッソマシンでコーヒーを淹れる。エスプレッソマシンがアスクルから来た。GAGGIAの「CLASSIC」というモデルだ。わしはむかし、エスプレッソは安くてもイタリア製のマシーンがいい、ぜんぜん味がちがう、とイタリアで生活していたアーティストが話していた、というのを聞いたことがある。又聞きだが。まず、コップを温めておく。フィルターフォルダーに何も入れないでセット。マシンとフォルダーが温まるまで5・6分待つ。待っているあいだに、豆を挽く。豆は自家焙煎。左からモカ生豆、サントス生豆、モカ浅煎り、サントス浅煎り、モカ深煎り。焙煎は家庭用の電気焙煎機を使っている。通販で生豆を買っているがスーパーで市販されているコーヒー豆よりも3~4倍は安い(異常に高級な幻の豆なんかを買わなければ)。手動のミルで、ドリップコーヒ...エスプレッソコーヒーを淹れる
芙蓉が、咲いた。3年前に植えた苗がわしの背たけほどに育った。芙蓉は初秋の季語だ.いちにちを笑ってしぼむ酔芙蓉酔芙蓉は、いちにち花だ。白からピンクに徐々に変化して夕方にはしぼむ。酒を吞んで顔を赤らめている酔漢がしまいには机にうつ伏せてちんぼつしてしまうように。わしの芙蓉は酔芙蓉ではない。一本の樹に白とピンクの花が別々に咲く。芙蓉はハスの美称でもあるから、区別する際には「木芙蓉」とも呼ばれる。わしはなぜか美容院から帰ってきたお母さんのイメージが浮かぶ。芙蓉→ピンク→母→美容、という変な連想ゲームから、木芙蓉ピンクに母を美容するなつかしい。花弁に筋状の模様が流れている。今日は、芙蓉にふたりのお客が来ていた。1人目は、クロアゲハの幼虫。2人目は、カナブンの子供。めしべで遊んでいるので、顔から背なか、花粉だらけ。22.9.16芙蓉のお客
わがままな資本には、仮想上でも終着駅がない。屋台に乗っているやる気のない目ん玉こそが資本の原理を空洞化しうる猫バスにふさわしい。換言すれば、ある種のタメ口こそがあらゆる点と線を時間厳守に通過することを可能にする。しばしば語られてきたように「ゲロッパ」は、ゲロンパがコスプレしたものだ。毎朝ジャイアンしているオスヤギもどこかうぶでシャイなところがあることに気づいてほしい。美しくしゃがれた啼き声のみが余剰をぐらつかせる。そら、可能性としての利益を載せた草原バスが湖を出発するぞ。快楽にひしゃがれた発車ベルが欲望をふるわす…花で飾られた価値が価値を産み続ける、わがままは仮想上でも終着駅がない。だからこそメタ言語への停泊で目ん玉に悲しげなビートが生まれる。いつまでも、うるめイワシの潤んだ目ん玉が、哀愁の資本論を突き進つらなりのほつれ46ファンキー資本論
――2022年9月9日の満月。22時30分頃、雲からやっと顔を出した。三脚がなかった。M撮影にして、長時間露光。手持ちではこれが限界。三脚を探しにいってる間に月は雲に隠れた。月を愛でるための筋力が、たりない。じめっ、と濡れた記述体でもいいからさあ出かけるぞ、自分さがしの圏外へ。成れるものなら、なんにでも成る。満月、したら?!を欲望に押しあげてすぐくふうに欠けてくる体育会系ですからみずからを生かしてみたい生成論で月が傘をためらっている。落とすものは、涙しかないのに。詩育22.9.15月暈
青のゆらぐかけらが瓶のなか無脂肪の牛乳を数滴たらしてゆっくり粒子が分散して懸濁青みをおびた空のなかに吹雪ときどき雪が上向きに降る瓶のなかに冬を閉じこめたゆらぐかけらShakenFragments32青
アリが羽虫をかついでパニック症を歩いている台風の通ったあとだから病室が散乱している草や土は好きだが手術室は苦手だ脳内をレーザーで焼こうとしている手が見えた悪夢は日本海で低気圧になったおいおいよしてくれ!の感嘆符がいつになく不遜な朝だ詩育22.9.13不遜な朝
うったては、いさぎよく。サーカスで生まれたゾウに草原を見せる決意で。ヤギスケッチしてるときだけ夢で逢えたらいいのに!感嘆符の軸先が垂直にたれる。いつもななめになだめられている赤髪の女子がヤギの毛を鉛筆で梳いている。生え際だけが黒い地毛の作品では血を混ぜたアクリルで事件のかたちだけ描くことにしている。うったては、いさぎよく打とう。サーカスで生まれたゾウに草原を見せる決意で線を引こう。ひとに会わないことは苦にならないがヤギに会うと口にでてしまうよっしゃ!と。こんど新しい筆つくってきますよ、九月の曇り空、うすく梳いて。つらなりのほつれ45ヤギスケッチ
fray of sequence 44 バナメイエビは、あがらって
「である」や「ある」に、ちゃんとあがらえない。グランベリーを食べながらこのまま弦を弾き続けると第七弦が切れる。カブトガニとバナメイエビは発生学的にみてトランスジェンダーであるらしい。世の中にはあがらえない国学って、やっぱり生き残っているらしい。「である」や、「ある」に、ちゃんとあがらえない。エビ天を食べるときマヨネーズをかけてしまう。良い目的語であっても悪い主語であっても、醤油は多いめだ。それに夏になると言いたいことが痒くなるから、原爆記念日だけは扇風機をかけて頭を冷やす。あれらの死んだ人たちの顔を最近見ないねという隣のおばあさんの優しい目に、あがらえない。でも、きょうはたくさんの人が死んだ日だから、おだやかに沸騰する湯で賞味期限切れのメタファーを湯がそう。そうだ、絶滅したアンモナイトに黙って祈ろう、ちょ...frayofsequence44バナメイエビは、あがらって
松葉ガニが壁で色あせている港の見えるカフェだマスターはインスタ嫌いだがまともに変わっているエチオピアを飲んだトラ猫の背なかで旧道がカニ祭りの湯気を立てる海のミルクが、一個550円。砂丘プリンは野田プリンと似ているから砂丘に行ったむかし来たときより砂の山が小さかった港のひっそりが一夜干しを歩いている詩育22.9.10ひっそりとっとり
「ヤギ部」のある芸大から「ヤギと生きる」ゼミの先生と学生さんたちがフィールド調査に来た。なにを調査するのかと思ったら「ヤギの目で社会を見るためのプロジェクト」だ。ヤギは「先端芸術表現」なのだ。「半農半芸」とか、未来のはじまりは郊外で営まれる「農」とか、ことばがすでに最先端している。たしかにウチは郊外にある。ヤギたちは近所の人気モノ。廃園になった果樹園をヤギ野原にしている。「負の遺産をひっくり返して」(学生さんは七輪で炭をおこして)BBQ楽しもう、ヤギ肉じゃないけど。22,9.8ヤギゼミ
怒りや悲しみで破顔するのではなく開花する青をもっとちかくして朝顔を思考していたいのにどうでもいいことをひねったらへちま水がでてきた喜びで顔がゆがみすぎないようにちょっと笑ってみる22.9.8朝顔
蝉殻のゆらぐかけらを打つ標本針で栄養バランス最悪、ビール飲みすぎ。ふらふらで帰った過労死から主語を抜きながらやっば高層ビルにはひとりで住めなくなったよいまお得です、スイカ色のぶっ飛びヘアカラー。メランコリアが地獄をうまーく脱i色中ゆらぐかけらShakenFragments(31)蝉殻
つらなりのほつれ fray of sequence(44)怪談を降りる
蔓植物のからまった恣意性のかなたに墓標の液晶ディスプレイが遺棄されている。きょうはとくべつ空がひくい。雲の端末がくっきり落ちている山のいただきは安心して目覚めのふとももを高輝度フルカラーで横たえている。ちょっと、光の遠吠をまねして怪談を降りてみよう。土のない街ではさよならをいうまえに文明がほころびている。蔓植物のからまった恣意性のかなたに墓標の液晶ディスプレイが遺棄されている。なにかいる、緑と青、どちらでもないLEDに投射された植物の葉先をつたわって落ちる非指向のしずく……それらのひとつひとつのなかで鬼子が生まれている。歯が生えた状態で生まれた子供たちは土を食べる。土は、おいしくて。高輝度の声でささやく。つらなりのほつれfrayofsequence(44)怪談を降りる
「……」を、はねのけるように踵をかえしたどうしてあんなことに、のタガを外した大型のカワサキ急発進しながらなに言ってんだ、あいつ。あとにのこされた、傷がうすべに色皮膚に滲んでほんとにつらいこと、は素足ではとてもうまく語れない22.9.5おののいて
つらなりのほつれ fray of sequence(43)笑うラクダ理論
早送り映像のように、いいかげんな推論がラクダの背に乗ってウマの背を登る。休憩中のラクダたちはいつも笑っている。その笑いに理論的な理由はない。おそらくアリが「概念をよせつけない城」を笑いのモチーフとして提供するのだろう。このみごとな透視図が草むらに愛の秘めごとを沈殿させる。生態学的な「おそらく」は気持ちよさそうに砂風呂につかっている。いい湯だな、をゾウの鼻唄で歌う。雲は都合よく来ない。雨も合理的に落ちない。早送り映像のように、いいかげんな推論がラクダの背に乗ってウマの背を登る。例の「かんべんしてや」を折り返し点にして、「生きられた体験」から親しい関係を感受するための水場が渇いた脳内を逆走してくる。乾きがじわじわと「小さいゾウさんと大きいアリさんのお話」をスライドする。どうしても食べてみたい砂丘プリン、その可...つらなりのほつれfrayofsequence(43)笑うラクダ理論
あるいは、ハルビンだったか西口にあった屋台覚えとる?動かそうとしても動かない現象学のリンゴみたいな、娘のほっぺ。名まえは呼蘭言わないと見えない現存性と言わないで分かり合う哀しみ楽しめることだけ楽しめばいい、女真語でみんな、足し算じゃけ。どうにもならないことぜんぶ混ぜてとどかない意味までもぜんぶ包んであんた、だいすき。の小籠包、一個一〇〇円。22.09.02ハルピン
つらなりのほつれ fray of sequence(41)ラクダ、かんべん。
後輩ラクダが上から目線で吐きつづける正論、ちょっと、かんべしてや、をカピバラ流に水かきして。砂漠というほどでもない砂丘を歩いているとき、水飲み場はどういう原理で脳内を移動するのか気になった。自分の身体はどこに行こうとしていたのか、ぼおーっとしているボールを忘れてきたNBA選手が泊まった鳥取ラッキョウ村で、そば打ち名人のせいろがエビ天を追いかける夢から覚めたら、そこにラムネ水とかき氷があったので、茫然としている。こんなところでも後輩ラクダが上から目線で吐きつづける正論、ちょっと、かんべしてや、をカピバラ流で水かきして、おいしい水という概念をよせつけない強固な城を構築するのだ、よーし、耳のない温泉まで。つらなりのほつれfrayofsequence(41)ラクダ、かんべん。
鳥取に行った。賀露港はむかし来たことがあったが、ずいぶん雰囲気が変わっていた。古い通りの両側に魚屋さんが並んでいて、大きな鍋で松葉ガニを茹でていたのを覚えている。観光客のみやげ用の市場があるだけだった。帰りに旧道があるのに気づいた。そこに入ってみた。ここだった。むかしカニ祭りに来たのは。トラ猫が道のまんなかで昼寝してた。港の見えるカフェに入った。マスターはちょっと変わった人みたいだった。エチオピアを飲んだ。鳥取砂丘に行った。むかし来た時より砂の山が小さく感じた。気のよさそうなラクダが黙想していた。ラクダ乗りたい。とっても乗りたい。ラッキョウがレイバン掛けたみたいなおじさんにすり寄っていくと、あと、15分休憩じゃ。とぶっきらぼう。この暑さじゃ、無理もないか。砂丘プリンと二十世紀梨味のソフト、いっしょに黙想し...日記22.9.1鳥取砂丘
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