このブログは、主に私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話します。
ある方のブログで、直接、名指しではなかったものの、自分の城館跡、特に平場の館跡の見方について批判(嘲笑)があったので、反論というほどではないですが自分の考え方を書いておきます。わたしが城館跡に関心をもったのは、1982年の夏です。最初は、熊谷市の中世武士の館跡に手を付け始めた訳です。別府城や中条氏館は、現在でも土塁も堀跡も堂々たるものが残されていますが、多くは見捨てられていくような存在でした。『埼玉の館城跡』という名著がありますが、ここに記載された記録をもとに館跡を確認しに行くと、文献上は土塁、空堀が残っているとされる館跡も、実際にはその遺構ががわからないような場所が多かったですね。そこで、住宅地図などを利用して場所を特定し、地主さんをはじめ付近にお住まいの方にご教示やご案内を乞うわけですが、遺構とされるものが...平場の館跡の見方について
平山館は、武蔵七党西党に属した一族です。西党は東京の多摩川周辺に勢力を張っていましたが、平山氏が鎌倉幕府の信任が厚く実力を蓄え、檜原城に君臨しました。室町期の関東の混乱の中で、山内上杉氏、北条氏に従いましたが、北条氏の滅亡とともに、江南町樋春に居を構えて帰農しました。訪問日は、2018年08月09日です。私が、平山家住宅に行ったのは二つの目的がありまして、一つは館跡遺構を確認すること、もう一つは、かやぶき屋根の状況を確認することでした。家屋はご当主にご案内いただきました。ご当主にお悩みの点について伺ったところ、屋根の葺き替えが必要な状態にあるにもかかわらず、資金不足で葺き替えができないということでした。なるほど、屋根の痛みはかなり進んでいるようです。平山家クラスのかやぶき屋根になると、現在の相場では、1,000...平山家住宅(埼玉県旧江南町)
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