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暗闇検校の埼玉県の城館跡さんのプロフィール

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ブログタイトル
暗闇検校の埼玉県の城館跡
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https://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou
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このブログは、主に私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話します。
更新頻度(1年)

89回 / 365日(平均1.7回/週)

ブログ村参加:2018/02/27

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暗闇検校の埼玉県の城館跡さん
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暗闇検校の埼玉県の城館跡
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暗闇検校の埼玉県の城館跡

暗闇検校の埼玉県の城館跡さんの新着記事

1件〜30件

  • 石原氏陣屋跡

    前記事に続き、本記事では石原氏関連の石原氏陣屋について書きたいと思います。調査日は2020年01月14日です。石原氏陣屋は、石原氏館跡よりかなり離れた本石地区の市街地にあります。17号国道沿い北側、八木橋デパート近くです。正直、目立つ遺構らしきものはありません。石原氏陣屋跡は荒川氾濫原に面した微高地にあるのですが、市街化が進んでいるので注意深く地形を読み取る努力が必要です。下2枚の写真は松巌寺山門前の路地を撮影したものですが、境内地がやや高いことがわかりますが、かといって、堀跡なのかなあ・・・・というとどうなんでしょうか。仮に堀跡だと推定しても近い距離にある熊谷氏館跡の熊谷寺ほどの雰囲気はありません。むしろ、注目するべきは松巌寺西側にある、ひときわ幅の広い道路です。ここは、陣屋に付随する馬場があったのではないか...石原氏陣屋跡

  • 石原氏館跡(熊谷市)

    先日に引き続き、本日も地元でもほとんど知られていないマイナーな館跡について書きます。今日は、石原氏館跡です。石原氏というのは、埼玉県大里郡石原村、つまり現在の熊谷市石原地区を根拠地にしていた中世豪族です。『吾妻鏡』に登場し、武蔵の国の治水施設の修復工事で奉行を命じられています。『吾妻鏡』に登場するくらいなのですから、地元でも名前が知られていていいはずなのですが、現実には、ほぼ無名。地元の古老でも知る人は希です。館跡についてもつまびらかではありません。ただ、石原村の中心が宿と呼ばれる秩父街道沿いであったため、楊井憲春の居館跡である兵部裏屋敷、城和泉守昌茂の屋敷跡である御蔵場が、もと、石原氏の居館跡だったとする説もありました。わたしも成田氏の開削した成田用水の取水口に祀った赤城神社周辺にあったのではないかと考えてい...石原氏館跡(熊谷市)

  • 伝、市田太郎館跡(旧大里村)

    今年の冬は、なかなか思うような城館探訪の時間が取れませんでした。山城探訪などの大場所にはあまりいけなかったのです。そこで、多少視点を変えて身近な、しかし忘れられた城館跡をいくつか見つけ出して訪問してみました。今回は、埼玉県の旧大里村(現熊谷市)にある伝、市田太郎館跡を取り上げてみました。調査日は2020年01月19日です。『大里村かたり草』(1978年)という、旧大里地区の口碑伝承をまとめた本があります。同書によれば、大里村の荒川堤外地に「三十間」(さんじゅっけん)と呼ばれる沼地があり、そこには、市田太郎の館跡があるという伝承が残されているのです。まず、「三十間」という沼地ですが、それは、現在大里村小泉にある「切れ所沼」の堤防を挟んで反対側にあります。上の写真は切れ所沼です。この沼は、昭和13年の堤防決壊によっ...伝、市田太郎館跡(旧大里村)

  • 伝、市田太郎館跡(旧大里村)

    今年の冬は、なかなか思うような城館探訪の時間が取れませんでした。山城探訪などの大場所にはあまりいけなかったのです。そこで、多少視点を変えて身近な、しかし忘れられた城館跡をいくつか見つけ出して訪問してみました。今回は、埼玉県の旧大里村(現熊谷市)にある伝、市田太郎館跡を取り上げてみました。調査日は2020年01月19日です。『大里村かたり草』(1978年)という、旧大里地区の口碑伝承をまとめた本があります。同書によれば、大里村の荒川堤外地に「三十間」(さんじゅっけん)と呼ばれる沼地があり、そこには、市田太郎の館跡があるという伝承が残されているのです。まず、「三十間」という沼地ですが、それは、現在大里村小泉にある「切れ所沼」の堤防を挟んで反対側にあります。上の写真は切れ所沼です。この沼は、昭和13年の堤防決壊によっ...伝、市田太郎館跡(旧大里村)

  • ブログ再開のお知らせ

    新しいネタを仕入れてきましたので、ブログを再開いたします。何か月続けることができるかわかりませんが、よろしくお願いいたします。ブログ再開のお知らせ

  • 番外編 古いマーケット(姫路市)

    姫路市に、心惹かれるマーケットがありました。尤も、お店の大部分はすでに撤退してしまったのですが、営業中のお店もあって、廃墟というわけでもありません。私の実家のある関東では、あなりみかけない珍しいスタイルですが、なんとなく懐かしい雰囲気ですね。こうしてみていると往時がしのばれます。奥にはスーパーマーケットがあったそうです。個人的には古書店が集まって営業するとそれなりに行けそうな気もしますが、もう古書店という時代でもないのか・・・・。この地域では多少離れた場所に、現在郊外型の大型ショッピングモールができています。まだ生活者たちのぬくもりが残っているような気がして、胸に沁みます。番外編古いマーケット(姫路市)

  • 江袋溜井(熊谷市)

    今回は、江袋溜井(熊谷市)について書きたいと思います。訪問日は、2019.08.13です。江袋溜井は、地元の人達には江袋沼の名前で親しまれています。上流には別府沼があります。細長い河川のような形状をしていますが、水の流下速度が緩慢で水底の堆積土砂や有機物量が極めて多いことから、「沼」と呼ばれています。実際に膨軟な堆積物に足をとられてしまうと簡単に足の根元まで沈み込んでしまい危険です。1970~180年代の釣りが盛んな頃は、ヘラブナ釣り場として親しまれていましたが、一時水質がひどく悪化しました。環境保護の盛り上がりの中で、水質改善と生態環境復元が行われています。江袋溜井は、伊奈備前守忠次によって慶長年間に作られたと言われています。作った目的は農業用のほかに、水の流下速度の緩慢な老朽河川、福川の洪水を防ぐための水量...江袋溜井(熊谷市)

  • 能護寺(旧妻沼町)

    本日は、旧妻沼町永井太田にある古刹、能護寺について書きたいと思います。妻沼のアジサイ寺として知られる能護寺は、解説によれば、天平15年(743年)に行基によって開山され、後に弘法大師空海により再建されたと伝えられています。妻沼の歓喜院は、この能護寺の末寺だったということで、その格式の高さがしのばれます。実は、うちの父は、30年ほど前、このお寺さんのご住職に親しくさせていただいておりました。有名になったアジサイも、時のご住職が熱心に手入れをなさっていたものです。現在の本堂は文化11年(1814年)に再建されたものだそうです。この辺りは利根川の水害が多く、近くには堤防決壊時に出来た沼が残っています。鐘楼は修復中でした。鐘楼の鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造されたそうで、熊谷市の文化財になっています。御朱印をやっ...能護寺(旧妻沼町)

  • 常光院と中条氏館跡②(熊谷市中条)

    常光院は中条常光を弔いために建てたお寺です。常光院内には、中条判官常光の墓、忍城城代を勤めた天野氏三代の墓所があります。これらの墓地は一般の墓地とは別に、境内の中、本堂前の墓所にあります。遊歩道に従って歩くと見つかります。前回記事の塀裏の土塁と空堀跡をの脇を抜けると、山王社が現れます。鐘楼この裏手に、墓所があります。中条常光の墓です。中条氏の墓の背後に、天野氏の墓があります。写真が縦に登録されてくれなくなったので困ってしまいます。ものすごい蒸し暑さで、ご住職に「随分汗をおかきですね。気をつけてお帰りください」と声を掛けられました。非常に丁寧な温和そうなご住職でした。常光院と中条氏館跡②(熊谷市中条)

  • 常光院と中条氏館跡①(熊谷市中条)

    今日は、常光院と中条氏館跡(熊谷市中条)について書きたいと思います。調査・参拝日は2019.07.29です。丁度この日は、光屋敷調査に行ったので。帰りにもう一つの目的である中条氏館跡に回りました。もう何度もこの門をくぐりました。私が初めて来たのは中学2年生の8月2日だったと思います。当時は、周囲に「お店屋さん」があり、小さいながら門前町もありました。今はみんな廃業されてしまったようですが、熊谷の小京都といった風情は残っており貴重です。お祭りに使われたのでしょうか。もう、私より年上でしょうね。参道脇には水堀が残されており、冬場では水も減って寒々しさ倍増ですが、夏場は生命感があふれています。常光院は珍しいかやぶき屋根で、この雰囲気が好きで参拝を欠かさない方も多いはずです。このクラスの屋根の葺き茅はそろえるだけでも、...常光院と中条氏館跡①(熊谷市中条)

  • 釜山神社(寄居町)

    番外編はあと一つ残っていますが、今日は埼玉県に戻りましょう。釜山神社(寄居町)について書きたいと思います。調査日は2019.08.08です。調査日・・・というのも実は、登谷山山麓に館の跡があるという伝承があるのを知って、それが、一説には恒持王の館跡だと言われていると聞いたものですから、探しに行ったわけです。ところが、地元・・・といっても山中ですが、そこにいる方のほとんどは、地元の方ではなく、里で聞いた話だけを頼りに探すのはとても無理がありました。そこで、帰途参拝したのが釜山神社です。それにもしかしたら神社周辺に館跡があるかもしれない・・・・。釜山神社は、釜伏峠近くにあり、参道がついているのですぐにわかります。三峰神社同様、山犬を拳族とする珍しい神社です。参道入り口に立つと非常に長く見え、前途の多難を思うと、心が...釜山神社(寄居町)

  • 番外編 播磨国分寺跡(姫路市)

    今回は、番外編の最後ということで、播磨国分寺跡(姫路市)について、書きたいと思います。訪問日は2019.08.07です。播磨国分寺跡は御着城跡から、国道2号を西に向かって歩いて15分ほどです。国分尼寺跡の前にも国分寺というお寺がありますが、国分寺跡に参ります。国分寺跡は大きな広場です。建造物のあった場所の案内ように、それがわかるように石板が生めてあります。これで寺院が本当にあったらすごいでしょうね。建物跡には、復元された土台があります。寺院の門がありますが、これが現在の国分寺です。ただし、播磨国国分寺跡とは関係ありません、塔跡だそうです。国分寺跡というと、礎石が散在しているというイメージがありますが、ここはものすごく広いです。近くの職人さんらしいおじさんが三人座り込んで世間話をしていました。途中「国分寺跡?何に...番外編播磨国分寺跡(姫路市)

  • 番外編 大歳神社(姫路市)

    今日は、御着城のそばにある大歳神社を紹介いたします。大歳神社は年神様を祀るもので、御着城小寺氏廟の東にあります。御着大明神とも呼ばれ、山陽道に面しています。大きな石鳥居がありそれをくぐると、白壁に囲まれた屋敷のような神社があります。中には石鳥居と祠がありますが、これは年神様の元々のものなのでしょうか。そこはちょっと不明でした。というのも、現在ある拝殿は元々は、神楽殿の舞台であったようだからです。中には見事な、大きな絵が飾られています。西の神社は、関東と違うパワーが感じられます。番外編大歳神社(姫路市)

  • 黒田家廟所 (姫路市)

    御着城は、小寺氏とともに黒田官兵衛で知られた黒田氏とも深いかかわりがあるということで、小寺氏廟所の国道挟んで反対側に黒田氏廟所があります。城址本丸には、黒田官兵衛顕彰碑があります。それというのも、黒田氏は小寺氏の重臣だったからで、黒田氏は姫路城を守っていたのです。狭い路地を入ると廟所が・・・。もっと大きなお寺を想像していたのですが。ここにあるのは、黒田官兵衛の祖父にあたる黒田重隆、実母の明石正風娘の墓だそうです。黒田氏も小寺氏も一族の方が残っておられ、合同で法要をするのだそうです。黒田家廟所(姫路市)

  • 番外編 御着城跡③(姫路市)

    御着城跡は、かなり市街地にくわれてしまっていますが、元々が広大なので、細かく調査するともっと遺構に比定できる地形があると思います。今回はいささか準備不足ですが。本丸跡をもう少し見てみましょう。これは、本丸脇の堀跡と推定される道路です。解説板も多いです。これは二の丸付近について解説してあります。これは堀跡ですね。本丸脇写真の道路と連続性があります。そしてこのグラウンドが二の丸です。脇の砂利道も堀跡と思われます。二の丸の状況はこんな状態です。運動している人がたくさんいるので、かわしながら写真を撮ります。下の写真が土塁跡なのですが・・・。グランドの土塁跡は、破壊されたのか、グランドの一部に利用されたのでしょうか。代わりに、民有地内に若干の残存部分と思われるものがあります。二の丸のグランド内には、遺物と復元瓦が展示され...番外編御着城跡③(姫路市)

  • 番外編 御着城跡②(姫路市)

    さて、小寺大明神のある本丸跡に行ったあと、国道2号線の反対側にわたります。歩道橋の上から撮影です。御着城は、山陽道(現在の国道2号線)を押さえる要衝だったそうで。元々は茶臼山という丘を中心に建てられていたのです。現在は、復元櫓っぽい市の施設がたてられておりますが、いかにも役所っぽいつくりです。この手たものの前には、本丸を囲む堀跡があるので行ってみました。この石の橋は天川橋といいます。この下にあるのが御着城の遺構の堀跡です。もう、ここをしつこくとらなければ意味がないというくらいのものです。茶臼山上に建てられていたため、本丸周囲は急な坂になっております。(つづく)番外編御着城跡②(姫路市)

  • 番外編 御着城跡①(姫路市)

    今日は、番外編として、姫路市にある御着城跡について書きたいと思います。訪問日は2019.08.07です。当時の播磨の国は、赤松氏の勢力下にあり、御着城は赤松氏一族の小寺氏によって築城されたそうです。当時は、姫路城の方が支城で御着城の方が本城だったそうです。御着城の最寄り駅である御着駅周辺には、播磨国国分寺もあり、歴史的には重要な地域だったようです。現在、城跡の遺構の一部が残っています。その他、地形も独特のものがあります。御着駅から国道2号沿いに東に向かって歩いていくと10分ほどで城址の案内板が現れます。本丸跡付近は姫路市役所東出張所・御国野公民館があります。本丸跡の国道を挟んで向かい側には、城主の小寺氏を祀った祠があります。稲荷社もありますが、これも御着城に関係した祠なのでしょう。石碑には天川城址の名が彫られて...番外編御着城跡①(姫路市)

  • 番外編 亀山本徳寺②(姫路市)

    亀山本徳寺は西本願寺派に属するそうですが、本徳寺は別に船場本徳寺というのがあるそうで、こちらは東本願寺派なのだそうです。非常にガードが堅いような雰囲気がある反面、気安く受け入れてくれそうな雰囲気もあり不思議です。門徒の方がご家族連れでいらっしゃっている様子で、ご住職の声と、雅楽の音色が響いています。恥ずかしながら、わたしはこの時まで、雅楽というものがお寺でも使われるということを知りませんでした。曲は越天楽のようです(これは知ってたww)。本徳寺では、楽市楽座を行っているそうです。この建物が中心になるようです。亀山本徳寺は同じ飾磨郡英賀の英賀城攻めの際に、戦渦に巻き込まれるのを惜しんだ城将の三木氏が、わざわざ、攻め方の秀吉に譲り渡し、亀山に移築されたそうです。そうした理由から、現在に至るまで伽藍が残されているのだ...番外編亀山本徳寺②(姫路市)

  • 番外編 亀山本徳寺①(姫路市)

    姫路城を見た翌日、姫路の私鉄、山陽電鉄を使って、亀山駅そばの亀山本徳寺を訪ねました。お参りをしたのは2019.08.04です。今年の夏は暑かったわけですが、実は、このお寺は宿泊場所から歩いても行ける距離だったのですが、少しでも汗を抑えるために、電車を使って移動しました。亀山本徳寺の周辺は寺町ということで、お寺がすごく多いです。1つ1つ訪ねるのも面白いかもしれません。亀山本徳寺の周囲には掘割がめぐっておりますが、その堀の水は澄んでいて感心しました。何だか涼しげです。まあ、私の様に釣りが趣味の人間にとっては、すぐに、魚がいるかどうか探してしまいますが。寺町ですので、小さなお寺がいくつもあります。日暮れ時に来たら、お寺の山門の灯りがなんとも言えない雰囲気に見えるんだろうなと思います。地蔵堂の中が結構いいのです。これに...番外編亀山本徳寺①(姫路市)

  • 長壁神社(姫路市)

    姫路城といえば、天守閣最上階に住む妖怪刑部姫が有名ですが、城下には、その刑部姫を祀った、長壁神社があるので、参拝してまいりました。参拝日は、2019.08.04です。長壁神社は、お菊神社よりも姫路城に近い町中にあります。長壁神社は、意外にも刑部親王とその王女富姫を祀ったものだそうで、姫路城の天守閣で、不用意に上ってくる侍の首をねじ切ったりする妖怪ではないのですね。当日は社務所がお休みでしたが、社務所が開いているときには、御朱印もいただけるようです。長壁神社(姫路市)

  • 姫路城②(姫路市)

    白さがまぶしい姫路城!もう、友人はヨレヨレになっていて・・・・まあ、ふだん山の中うろうろしているだけ私の方が少しはましなんですが、本当にものすごい暑さで、天守閣に向かう人が誰もいない・・・・。とりあえず日陰を求めて、移動します。姫路城は河川で港につながっていたそうで、船着き場があります。この辺りは水が動かないうえに暑さも手伝って、水面が真みどりですね。もう、だんだん見学という感じではなくなってきました。天守閣の裏側に回り込むと、庭園風に整備されており、多少涼味が味わえます。城内には姫路神社があります。以前は、御朱印を揮毫してくださったのだそうですが、今はやめてしまったそうです。ここは水神が祀られているのでしょうか。姫路出身の友人は、「少し来ない間に随分抜け道がなくなっている」といっておりました。丁度、日よけとベ...姫路城②(姫路市)

  • 姫路城①(姫路市)

    今回は、姫路城について書きたいと思います。訪問日は、2019.08.03です。昨日の記事で、射楯兵主神社について書きましたが、その後あまりにも暑いので、近くのビルの中にあるハンバーガー屋さんに逃げ込み、休息と軽食を取りました。わたしは姫路城に行く気満々でしたが、友人は、「これちょっときつすぎ。絶対に回れない」といいます。まあなんとか、姫路城の堀をわてって天守閣くらいは見ようやぁ・・ということになりました。店を出て、ちょっとあるくと、いきなり石塁が現れました。射楯兵主神社が中曲輪にあるんだということを初めて実感しました。これ、姫路の町の中ですからね。秋とか、もう少し、いいシーズンに来ればよかった。もう、汗びっしょりですから。服がめちゃくちゃ汗臭い。少し歩くと、堀が見えてきました。なんだか、もう湖みたいな水堀です。...姫路城①(姫路市)

  • 番外編 播磨國総社射楯兵主神社(姫路市)

    本記事も、番外編として姫路城周辺にある名所を紹介します。今日は播磨國総社射楯兵主神社です。参拝日は2019.08.03です。播磨國総社射楯兵主神社は「はりまのくにそうしゃいたてひょうずじんじゃ」と読むそうです。ここは、姫路城の天守閣は大分遠いところにありますが、射楯兵主神社は姫路城の中曲輪にあるのだそうです。いつも中世の土の城ばかり見ている私にはちょっと想像できませんね。まず、総社御門が立派です。延喜式内社と刻んだ巨大な石標です。案内してくれた友人によると、昔はもっと地味なもんだったんだそうですが、いつの間にかこんな朱塗りの門になってしまったそうです。拝殿に向かいます。播磨國総社だけあって、摂社が非常に多いです。この鳥居の向こうに摂社がたくさんあります。稲荷社の赤鳥居のトンネルは、非日常感が強く、日本人はもちろ...番外編播磨國総社射楯兵主神社(姫路市)

  • 番外編 十二所神社・お菊神社(姫路市)

    夏は、番外編として、姫路城下の神社や城跡を見てきました。今日は十二所神社・お菊神社(姫路市)について書きたいと思います。参拝日は、2019.08.03です。十二所神社は少彦名神を祀っています。医薬の神様で、いわば薬師様といったかんじです。境内には、末社としてお菊神社も祀られています。8月3日は、もう、10分も歩けば汗みどろになるほどの高温状態が続いていました。姫路駅から、クーラーの聞いている通路、日陰を選んであるいて10分ほどの場所です。個人的には、お菊神社の方に関心がありました。わたしは結構怪談好きで、多少は怪談物の和本も集めています。関東近辺では、このくらいの神社には社務所はあっても人がいないものですが、西の神社は、社務所に人がいらっしゃるのですね。すごく感心いたしました。十二所神社の本殿です。参拝者も入れ...番外編十二所神社・お菊神社(姫路市)

  • 平将門ゆかりのお寺・太陽寺(大滝村)

    本日は、太陽寺(大滝村)について書きたいと思います。参拝日は2019.08.10です。太陽寺は、平将門の愛妾である桔梗の御前が、将門敗死のあと、隠れ住んだと伝えられており、秘仏として、平将門の騎馬像が残されています。秘仏ですので、公開はされていません。大陽寺は大血川という荒川上流渓谷沿いにあります。大血川は平将門の愛妾たちがとらえられて処刑されて、川が血に染まったという口碑に由来すると、言われています。三峰神社が女人禁制であった時代には、女性は太陽寺を訪れたと言われております。現在、熊の出没地帯にもなっているので、夜間は注意した方がいい地域です。大地川の断崖上に建つ大陽寺は、研修などを積極的に受け入れているそうです。閻魔堂です。子だから石だそうです。女人寺であっただけあります。ご住職の家にはゴールデンリトリバー...平将門ゆかりのお寺・太陽寺(大滝村)

  • 赤城久伊豆神社(熊谷市)

    本日は、成田氏の開削した成田用水の荒川取水堰の祭神である、赤城久伊豆神社について書きたいと思います。地元では、赤城神社の名前で親しまれています。赤城神社周辺を歩いてみようと思った理由ですが、実は、この地域に石原氏と言われる土豪の根拠地なのですが、石原氏は文献上現れるものの、その館跡がよくわからないのです。石原の歴史を紐解いてみると、いしはらのかいはつは坪井と言われる湧水の多い地帯から始まったとされています。恐らくそのあたりが、石原氏発祥の地ということになりそうですが、怪しいところは片っ端から調べて、見当をつけようということで、まず、赤城神社にやってきたというわけです。とはいえ、赤城神社について調べると、その創建は成田氏が成田用水の取水堰の祭神として祀ったとされており、石原氏のいの字もありません。当日は、強烈な猛...赤城久伊豆神社(熊谷市)

  • 三峰神社砦跡②(大滝村)

    昨日の記事では、山門から2の郭方面と付属する大堀切について書きました。今日は1の郭および3の郭についてみたいと思います。1の郭は日本武尊像のある小高い丘です。私が子供の頃、正月松の内に三峰神社に参拝するのを習慣としていました。当然、1986年頃に、三峰神社砦については写真を撮影しているのですが、家を探しても見つかりませんでした。そこで、記憶に基づいていうのですが、当時はこれほど庭園的な整備はされていなかったように思います。なんというか、石造物が並ぶ荒涼とした風景だったような記憶があるのです。遺構にもかなり手が加わっているのではないかと思うのです。日本武尊像のある平場が1の郭です。2の郭にくらべると1の郭はかなり大きいです。もうこの時点では、小粒ながら雨が降り始めており、速足でチェックをしていきます。1の郭に隣接...三峰神社砦跡②(大滝村)

  • 三峰神社砦跡①(大滝村)

    今日は、三峰神社の僧侶らの防御施設、三峰神社砦跡について書きたいと思います。調査日は2019.08.10です。三峰神社砦跡は、三峰神社の徒歩参拝道をのぼりつめて、神社山門を固める防御機構です。砦跡は、神社入口両側の丘、さらに、本殿裏付近と3つの郭に分かれ、日本武尊像のある丘が1の郭、1の郭と山門を挟んでいるのが2の郭、本殿裏付近が3の郭になります。当日は不安定な天気でした。山中の道路には、時々、2リットルペットボトル大の巨大な獣糞が落ちています。クマ出没注意地域なので、熊のものだという悪い連想が働いてしまいます。お盆前の休日のためか、交通量が多いです。三峰神社の駐車場は3分の1ほどの入りでした。山間から時々、霧が沸き上がってきます。さっそく、山門に向かいました。この両側が、既に砦になっています。下の写真は、参拝...三峰神社砦跡①(大滝村)

  • 2019.08.18 龍泉寺(熊谷市)

    今回は、三宅屋敷調査の際に、最初に立ち寄った、三ケ尻の龍泉寺について書きます。龍泉寺周辺は、古代からの遺跡が多く、長い歴史のある地域です。水にかかわる信仰の痕跡もあり、狭山池と呼ばれる祭祀遺跡もありました。龍泉寺の背後には観音山がそびえたっていますが、この観音山、龍泉寺の本堂裏には、降雨後に姿を現す滝がありました。この滝は、観音山の不透過層に沿って、地下水が流れ出したもので、濾過された綺麗で冷たい水でした。観音山頂上付近には竜の出る輪という、円形のシミのようなものもあります。ここで儀式を行うと、地中から竜が出現すると言われています。私が子供のころは、大きな山犬が出現したという目撃情報があり、「観音山に近づくな」と何度も注意指導が行われました。頭にイメージがこびりつき、夢に見るほど怖かったです。縁日はにぎわいます...2019.08.18龍泉寺(熊谷市)

  • 城之内(熊谷市・旧妻沼町台)

    本日は、旧妻沼町の利根川堤防沿いにある城之内について書きたいと思います。調査日は2019.08.11です。ここは、長井斎藤氏の支城の一つです。利根川沿いの台と呼ばれる地区にあります。近くに男沼樋門と呼ばれる農業用排水路の利根川排水門があります。男沼には妻沼と対になる「おどろ沼」があり、これが転じて男沼となったそうです。鎌倉期には既に開拓者が入っており、草分けの土豪が名家として残っています。おどろ沼と言われるくらいですから、利根川氾濫原の沼沢地で、度々、洪水に見舞われ自然堤防が形成され、その自然堤防上に土豪たちが根を張ったのでした。この洪水地帯の氾濫水が妻沼に流れ込むのを防ぐために、雉子尾堤がいつごろからか築堤され、妻沼は繁栄しますが、男沼は長らく水害に悩まされることになります。城の内はこの雉子尾堤の堤内地でこれ...城之内(熊谷市・旧妻沼町台)

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