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暗闇検校の埼玉県の城館跡
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2018/02/27

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  • 前新田の地蔵尊御詠歌(熊谷市)

    熊谷市内の旧妻沼町永井太田地区前新田には古い地蔵尊が残っています。この地蔵尊にはは御詠歌を奉納する行事があるそうで、「前新田の地蔵尊御詠歌」として、熊谷市の無形民俗文化財に指定されています。結構、車通りの多い県道276号沿いに地蔵堂があります。この周辺は、昔懐かしい「とうかんや」なども続いております。2018年08月13日前新田の地蔵尊御詠歌(熊谷市)

  • 須賀津弁財天(茨城県稲敷市浮島)

    霞ヶ浦の東部、佐原の近くに浮島という地区があります。ここは非常に古い歴史を持った地区で、和田岬という場所には景行天皇の巡行の遺跡、さらには、水戸光圀の別荘があったとされています。さて、この辺りは「水郷」の呼び名の通り、霞ケ浦の入り江が入り込み、島や洲がありました。これらの地区が戦後干拓されました。須賀津弁財天は、こうした干拓地上にあります。須賀津弁財天は記念碑に刻まれている通り、再建されたものです。ここの見所は、石造物です。水の神である蛇体の石仏があって異彩を放っています。水神好きの自分としてはぜひ写真に収めておきたかったものです。本殿そのものは、度重なる水害のために荒廃したものを再建したもので、現代建築そのものですが。非常に変わった石仏だと思います。須賀津弁財天(茨城県稲敷市浮島)

  • 鷲神社(茨城県美浦町)

    霞ヶ浦は日本第2位の広さを持つ湖として有名ですが、実は、海域とされています。周囲には農地造成や治水を目的とした干拓地がかなりあります。今回行った鷲神社は余郷入という、入り江の出口に突き出した小さな半島に残された小さな山の上にある小さな神社です。現在では余郷入は干拓されてしまいましたが、昔は、しょうゆ工場があり、その荷を下ろす港があったそうです。国道125号線を、美浦町の大山地区に向います。下の写真は端山という地区です。ここは戦前はミカンの産地として知られ、端山ミカンと呼ばれていました。かなり、懐かしい感じの雑貨屋さんが健在です。千葉・茨城でおなじみのマックスコーヒーがあります。さて、霞ケ浦にでました。この辺りは大山地区で、釣りでは大きな鯉が狙えます。余郷入の入り口には、稲荷の鼻という岬があります。ここは、大山地...鷲神社(茨城県美浦町)

  • 大生郷天満宮(茨城県常総市)③

    天満宮のある丘の周辺を見て見ましょう。丘の背後に回ると、小さな山になっているのがわかります。なるほど、たしかに島だったんですね。天満宮のある小山の後ろにはもう一つの小山があり、沼地の名残の池が残されています。背後の小山にも何か祀られているようですが・・・。ここが菅原道真公の御廟所だったんですね。ということは、これが天満宮の御神体ということに・・。右側の道を登ると・・・。大黒天が祀られていました。石碑に従って左側に行きます。ここが、道真公の御遺骨を納めている場所なのですね。天満宮の小山に戻ります。土俵が目の前に現れてゴールです。この辺りは、平将門ゆかりの地でもあり、時間があったら関連遺跡についても調べてみたいと思います。大生郷天満宮(茨城県常総市)③

  • 大生郷天満宮(茨城県常総市)②

    天満宮の本殿です。境内には、親鸞上人礼拝の杉というのがあります。これは、奉納相撲の土俵ですね。解説の碑を見る限り、「お手植えの杉」の方が名前にふさわしいと思いますが。この古木も台風によって、折られてしまったなんて・・・・。ものすごいことですね。残された茅の輪が、祭りの後の倦怠を感じさせます。こういう感性は、ひと時代古いのかもしれませんが。境内では、祭り関係の設備の撤収のための作業が続けられています。庚申塔も残されています。大生郷天満宮(茨城県常総市)②

  • 大生郷天満宮(茨城県常総市)①

    菅原道真を祀る大生郷天満宮は、茨城県常総市にあります。訪問日は2018年08月06日です。大生郷天満宮は、道真公の三男菅原景行公の手で作られ、遺骨も納められたことから、日本三天神と数えられています。大生郷天満宮境内ははかつては、飯沼という広大な沼地の島だった場所であり、現在は平野に突如現れた小山のように見えます。大きな駐車場は境内の裏にあります。車はそこに止めましたが、参道側に回り込んでそこからスタートします。今は静かになっていますが、参道前は、かつて店や宿屋などがあった雰囲気です。解説板。929年創建といいますから、凄いですね。当時の貴人たちは、結構常陸の国を訪れている印象なのですが、なぜなんでしょうかね。参道には祠があります。なんだか御賓頭盧様のような雰囲気ですね。さて、石段です。境内です。8月1日に八朔祭...大生郷天満宮(茨城県常総市)①

  • 増田館(文珠寺)1986年(旧江南町)

    以前、升田館(文珠寺)については、探訪の記事を書きましたが、今回は、1986年秋に訪問したときの写真が見つかったので、記事に致しました。増田館には現在でも大規模な構え堀と土塁が、また、郭内には建造物跡とみられる土壇が残されています。下の写真は、西側、境内裏の構え堀です。下の写真は、土壇を撮影したものです。下は土壇の上に登って撮影したものです。増田館(文珠寺)1986年(旧江南町)

  • 新開氏館跡 1985年②(深谷市)

    これまで、一度、新開氏館跡について記事を書きましたが、新たに写真が見つかったので、書きたいと思います。新開荒次郎実重の館跡は、東雲寺と大林寺の間にあったとされています。前回記事では、高校の帰りに訪ねたために、夕方の薄暗い写真になっていました。ここで載せる写真は、日を改めて日曜日に訪問した時のものです。当該地は、農地になっており、施設野菜(当時、きゅうりの栽培が盛んだった)のビニルハウスが設置されていました。残念ながら、当時、すでに遺構はなくなっていました。新開氏館跡1985年②(深谷市)

  • 羽尾城跡 1987年(滑川町)

    今回は、羽尾城跡について書きたいと思います。羽尾城跡は、森林公園の南、旧有料道路沿い東側の市野川の北側沿いの、河岸段丘上にできたテラス状の平場上にある方形の小城郭です。これまで、3度ほど訪問したことがありますが、最近は全く行っていないので、現在の状況は分かりません。初訪問は、1985年晩夏のことで、当時は、案内板などは何もないところでしたが、有料道路沿いにあり自転車で訪問したせいもあってか、案外あっさり見つかった記憶があります。ただ、城跡は農地と雑木林だったため、草木の勢いが強く、上手い写真がとれませんでした。そこで、再トライして撮影したのが、1987年初めころの、この写真です。雪の後だったため、主郭を囲む空堀には雪が残っています。下の写真は、どうも、1985年晩夏のもののようです。主郭にはいる土橋上から空堀を...羽尾城跡1987年(滑川町)

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