旅程も最後の段階になったが、急用が生じたので、アイボリー・コーストに駆け足で寄って、帰途につく。アイボリー・コーストもフランス語で、むろん通訳はいたが、それでも話は英語のように幅広い会話は難しい。急というのは、妻が2番目の子供を産むその予定日が近付いている、ということで、電話があったからだ。金先生に話したところ、妻の臨月にアフリカに出て來るなど考えられない、すぐに帰りなさい、ということで、ニューヨークへ。途中、リベリアの首都、モンロビア空港で乗り換える。この国はアメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立した国なので、英語である、標識から人々の会話、全てが英語であって、何か本当に懐かしくてホッとしたのが忘れられない。やはりザイールとアイボリー・コーストでフランス語一辺倒の世界であり、人々...(56)中東・アフリカ訪問を終えて
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