かねてから狙っていた河原がありました。あ、メノウ拾いの方でね。少し水面を渡らねばなりませんが、あそこなら真っ赤なメノウががっぽがっぽ拾えるに違いない、信徒の皆さまを驚かせ悔しがらせようじゃないかぐへへへ。
大洗に行ってきました。用があるのはここ、町営「幕末と明治の博物館」。もとは民営の「常陽明治記念館」と言いました。
2017年夏、信州野辺山高原、野辺山宇宙電波観測所。天文少年の夢の聖地です。ヘリオスタットやら干渉計やら、構内にこれでもかというアンテナざんまいの中でひときわ威容を誇る45メートル鏡。
晴れ上がった空を見て、気温が上がるという予報を聞いたら、そういうことに敏感な生き物がいることを思い出しました。本当に久しぶりに思い出しました。卒業研究が「蝶」だったことも。
床屋に行く、と言って車を乗り出しました。いえ本当にそのつもりだったんです。空は晴れてはいますが、時おり突風が吹き、黒い雲が鳥のように端切れをばたつかせながら過ぎていきます。低気圧が通過の予報で、雨もあるでしょう。こういう空模様は妙に心に触れるものがあります。気付けば水戸から20キロほど離れた里山にいました。
まず仮説。推論。そして実証。いきなり何を、といぶかられるでしょうが、最近玉川で面白いものが拾えないこともあって、少し方向性を変えようと思ったのです。玉川メノウについて、それがどこから来るのか。
ピグマリオンのように輝くなめらかな肌と、徹底的に合理化されたデザイン。精巧な、自然という造化の神が造り給うた芸術品。さて何のことでしょう。
観光地に連れていかれました。雨の予報、土曜日、人ゴミ。何一つ私の興趣を誘わないお誘いでした。たぶん晴れ男を期待されたのと、私への気遣いもあったようです。助手席に座ってればいいから、というので納得して朝7時に出発です。
人界に煩わされるのはここまで。退職でそう宣言した私です。さあ俗世を離れるぞ、と。ここからは誰にも気兼ねなく好きなことだけして生きていけると、そう思ったんです。もちろんそうはならなかった。
王国に春が来ました。読者の皆さまにはおなじみの面々が今年も変わらぬ姿を見せてくれます。
茨城の、といってもごめんなさい。県内すべてを把握しているわけではありません。本当に詳しい人というのは決してこんな軽々しく発信しないものです。植物を愛する人ならなおのこと。
ヤブツバキは花期が長いけど、咲き初めのたおやかな印象は何物にも代えがたい。 はい、今回が本当のお散歩まとめ回です。気候変化に身体が振り回される時節。朝7時半に家を出るときは2℃、昼過ぎに帰り着く頃は18℃なんてこともあって、それではと春の服を着て出たら1日寒かった日も。もう何を着ていいのかわかりません。いっそ魔法少女のコスプレでもして歩こうかしら❤ 水戸駅南口のペデストリアンデッキに垂れ幕。各キャラクターの芸の無さもさることながら、その主張がつくばエクスプレスを水戸まで延伸しようだって。誰もそんなこと望んでませんよ。沿線が栄えているのを見てその尻馬に乗ろうという本音、ただただ浅ましい。 泉町地…
寒いころは「駅までさんぽ」、往復するので精いっぱい。それがこれこのように桜まで咲く陽気になって、あちこちわき道にそれる余裕が生まれました。余裕って大事よね。
この春初めての東風が吹きました。雪のない茨城でスプリング・エフェメラル(春の儚い花々)の咲く季節です。人の夢と書いて「はかない」。まこと、一炊の夢のごとし。
最近私の周囲で話題になったのが、市内に建てられた某アパート。場所は私の生活圏内、つまりは水戸と言っても場末です。家柄も財産もまあいかにも庶民な、例えば高級外車がシャッターの奥に控えているなんてことのない、そんな家々が立ち並ぶ界隈。そこにとある旧家を潰して建てられたのが切妻屋根の2階建て。中身が縦に3等分されて3世帯各2階建てのいわゆる棟割長屋でございます。
信徒の皆さま、お元気でしょうか。久慈川メノウ教 教祖ジノ。でございます。今日はそっちの設定でお願いします。 私の記事のメノウ拾い関係の閲覧数がぐぐっと上がりました。気候も良くなったとて、一つおメノウでも致そうかという方が増えたのでございましょう。うふふふふ、来たれや聖地に。
今日は在宅。こないだ初崎海岸でいただいてきたバットいっぱいの砂からシーグラスと高温石英を拾い上げて、かのプリン瓶の中身にしたいと思います。こんなことで一日をつぶせるなんて、どれだけ幸せなんだろう、わし。
わたせせいぞう、と聞いてなにがしかのイメージがあるのは、失礼ながら一定の年齢以上の方になるのでしょうか。特に、バブル時代を経験しているような。
夢に出てくる色、というものがあります。 年よりじみた物言いで自分でも抵抗はあるのですが、遠い遠い昔に目に焼き付けた色です。若き日に訪れた海景、一面の青緑色。小笠原の海です。 熱風渡る亜熱帯の華やぎに満ちた陸の上と対照的な、精神世界を垣間見るような深い色。異界を覗き込む感覚で、岬の上から眺めておりました。それは旅で見た一つの絶景というより、もっと心の深い部分に刻まれる記憶となりました。 この旅と前後する時期だと思います。地元で、同じくらい精神に作用する色に出会いました。当時できて間もない水戸植物公園の温室で見たヒスイカズラの、その花色でした。なんて心に沁み込む色なのかと思いました。 残念ながら水…
日曜日。やってまいりました御岩神社。今年の初参拝になってしまいました。よくお詫びしなければ。
日月の諸相が年を限りにめぐる中、生ある者の消長を、代を違えても同じ姿で現れる者のかんばせを、毎年同じ場所で愛でる。それは単に季節を体感するという意味を越えて、わが身の息災、無事に1年を生き延びたことを確認する作業でもあります。健康であることも、平和であることも、決して絶対ではないことを知り得たこの1年。この作業がいよいよ意味を持つような気がします。
駅まで歩いて、図書館とか寄り道しながら帰路も歩く。「駅までさんぽ」往復8キロ+α、続いてます。2月は週2回のペースで歩けました。
というわけでセツブンソウです。旧暦の節分のころ、つまり今ごろ咲くのでこの名があります。虫も少ないこの季節に虫媒花を開くって、どういう戦略だろう。教えて山田さん。
先日の真壁みやげ、筑波プリンの空きビンを2つ確保しました。ああっだめだ、こういう瓶に弱いのだ。手許に置かずにいられない。置くからには何か入れずにいられない。シンプルで美しい器にはそういう魔力があるのです。
昨年末に砂が、シーグラスを含む砂浜が消失した初崎海岸でございます。さてどうなったか。…… 復活してました。まだ以前のレベルではありませんが、いい具合の砂利がまた堆積を始めてます。
「真壁のひなまつり」に行ってきました。2年前にも軽くご紹介しました。筑波山の北、桜川市の旧真壁町市街地は昭和中期で時が止まった街。今は寂れた商家も、倉にはかつての栄華をしのばせる豪勢なひな人形が眠っていました。これを店先に飾るイベントを有志で始めたところ評判を呼び、古い町も昭和レトロともてはやされ年ごとに観光客が増えて今に至ります。
この場合のタダは「無償」の意であって「普通」ではありませんのよ。
12月から1月にかけてのメノウでございます。5回くらい久慈川に出て、採れたのはこの程度。いつものうんちくや屁理屈は封印して、とにかく写真をご覧いただいてお茶を濁そうかと。
先の記事でうつろ舟の漂着地が「舎利浜」と書いて、それが県の南端近い海岸であることを想い、少しノスタルジーに浸りました。鹿島港より南に最後に行ったのは少なくとも25年以上昔です。若い頃のことがいろいろ思い出されて、あの海岸のいまを見たくなりました。ひとつ拾いものに行ってやろう。
2005年2月、市内のそれこそ「打ち捨てられた」という表現が合うような斜面の藪の中で、開花するザゼンソウを見ました。
さあまたやってくれましたよ 常陽史料館 。いつもいいネタをありがとうございます。 このブログ登場4回目。貨幣史料を常設展示しつつ、県内のクリエイターを紹介する企画展が楽しいのです。それが今回はうつろ舟とは。
市街地にある我が家のささやかな庭、これを王国と呼んで、季節の移ろいを楽しんでいます。その小さきこと、さながら独房の窓から空を見て季節を知るようなものですが、いえ残念ながら独房の経験はまだないのですが、まあ私にとっては十分なのです。
さて前回、群青の渚にて潮騒の誘うがままに手にしたるこれらメノウ。どうかわが接写の秘術をもってご高覧あれ。
「太平」洋と言いつつ、私の知るこの海はいつでも大波小波が激しく打ち付けます。毎日の海況を知るわけではありませんが、ここまで穏やかな群青色の海を見ることってあまりないのでは。穏やかな内海しかご存じない方もおられるでしょうが、茨城の太平洋はそういうものなのです。
1月も終わりとて、大寒の水戸の寸景を挟みながら、最近のブログ記事のことを書かせていただきます。配慮いたしますがもし自慢話に聞こえてしまったらごめんなさい。ブログ経営の皆さまの何かの参考になれば、と思っております。
1月26日、最低気温-5℃。快晴。再度百里基地に向かいます。今日も人がいっぱい。駐車場は一昨日より混んでます。平日なんだけどなあ。
フランカーが百里に来てるぞ、さあたいへん。 なんのこっちゃ、という世間一般の大部分を占めるカタギの皆さまにおかれましては、航空自衛隊百里基地のツイッターを閲覧くださいませ。首都防衛を担う精鋭基地の方々が、もう大はしゃぎというかお祭り騒ぎ状態です。まさかフランカーを日本、しかも百里で見られるとはなあ。
ヤンマタケの記事が意外にウケて気を良くしています。てへへ。 どこを探せば、というお尋ねに思いつく限り並べてみましたが、私自身、近年は見ておりませんでした。言に責任を持たねば、というのでフィールドに出てみます。ヤンマタケだけを目的に、というのは初めての経験です。
私が写真をデジタル化したのが2001年。度重なるコンピューターの反乱笑やらクラッシュやらを乗り越えて、今も当時のフォルダが保存してあります。これまで封印状態でしたが、前の記事で古いヤンマタケの写真を探す過程で、ふた昔前の自分の視線を見返すことになりました。
明け方の夢に立った丑さまがモーと申されました。ヤンマタケを見つけなさい、さすればそのグズグズ残った風邪も快気するであろう、と。 … お告げだ。
「機動戦士ガンダム 水星の魔女」第1部最終回を見ました。予想していた中でやってほしくないパターンをすべて網羅していました。 → ここから変な方向に話が進みます。
海辺を歩いた先の記事の一日。じつは朝から少しのどが痛かった。そのまま海風に吹かれて、最後に車に戻ったら痛みが増していました。体も妙に寒い。普段使わないヒーターをかけて帰宅しました。それでも寒い。なんか変だぞ。
十数年前、県北の海岸地帯を歩き尽しました。いま思えば、何のためにあんなにムキになって歩いたのか思い出せません。それが先年にウランガラスを探し歩いたことで、いくつかの海岸がフラッシュバックしたんです。あそこを調べるまでは次のステージには立てないと。行かねば。移動距離は片道40キロくらいになります。
昨年に続き、今年も正月二日の鶏足山です。定例行事になるのかも。今日の同行者は何と現役20代の自衛隊員、こちらは定年ロートル。足並み揃うはずもなくずんずん置いて行かれます。
12月。年末と言っても特に騒いだり出かけたりということはありません。ただ静かに年神様をお迎えするだけ。撮った写真を時系列でただ並べました。芸も含みもないのでのんびりご覧ください。
山中で遭遇したメノウ鉱山跡で、そのまま石器に使えそうなカケラを拾って、それは河原の供物にせず取って置きました。3つほど。
ううう負けなのか、このまま負けで終わるのかーっ。 …… すいません、前回のウランガラスのことでございます。初崎海岸にあえなく撃退されて、さてどうしたものか。
12月初め、総アクセス数が25万を越えました。 数値目標がないとはいえありがたいことです。特にいつもチェックしてくださる固定読者の皆さま、おかげで私は検索のブロックも怖くありません。 しかしこのところアクセス数が伸び悩んでいるのも事実であります。理由はなんとなくわかります。最近の記事がつまらない。
沢を飛び越えるのに濡れた砂を踏みました。すると厚い登山用靴下を透して浸水警報です。はてこの程度のぬかるみ、ジャングルブーツならどうということはないはず。
5回目の接種を終えました。体調に変化はないので調子に乗って、翌朝いつも通り往復8キロの散歩に出てしまった。さすがに馬鹿だと思う。
職場から持ち帰った本や荷物が片付きません、半年経つのに。庭の小屋に段ボールがまだいっぱい。 とにかく家の中にスペースを作らねば。それにはまず捨てること。書庫の本棚、何か捨てられるモノは……
このブログでおなじみ、茨城県自然博物館。今回の企画展は石! 常設展示もたっぷり見ごたえがあります。でも今日はすっ飛ばして、企画展会場に直行だあ。
先日、呼ばれるように降り立った沢で見つけたメノウ(玉髄)のかけら、その集積地。土に埋もれたその様子から近くにメノウ鉱山があったと考えました。今日の目標は3つ。 ① 鉱脈を見つける! ② 晶洞を含むかけらを見つける! ③ ナイフにできそうなかけらを見つける!
過去2年間開催されなかった百里基地航空祭。毎回5万人の入場者があるそうですが、たぶんこれは本開催の日の人数だと思います。例年は本開催の前日に、地元茨城県民の応募者だけの特別開催がありまして、私はいつもそれでゆったりと観覧しておりました。今年はそれがありません。すべての人が日曜1日に集中します。死ぬほど混むことは目に見えています。「渋滞・行列・人ゴミ」が大嫌いな私には悪夢のような状況でしょう。それに行く羽目になってしまった。例によって誘われたのを生返事で返していたら、パーク&バスライドを申し込まれていたんです。
以前に記事にした、讃岐みやげの和三盆。あまりにキレイでもったいなくて手を出せないままに日が過ぎて、賞味期限を三日乗り越えてしまいました。覚悟を決めよう。
ええまあ、なんか呼ばれたような気がして沢に降り立ったんです。沢と言っても山の頂上部の樹々に覆われた窪地、ほとんど流れのない、森の底と表現できるような空間です。濡れた落ち葉が強く晩秋の気を放ちます。前々回の記事の、森の異形のものたちを撮影していた時のことでした。
不幸に気付いていないことを幸せと呼ぶそうです。では私の日常は何だろう。
雨上がりの森で異形の者たちと交歓して参りました。
いろいろご覧いただきます。
久しぶりの本降りの雨でした。と言っても積算10ミリにも満たないのですが、なんせ雨の少ない土地柄なもので。ふと、しばらくメノウ拾いをしてないなあと。この雨で流されてくるのは期待できないけど。
集中曝涼ってなんだ? この「?」と思った時点で企画者の勝ちです。良い言葉を選んだものです。 わがタマシイのフィールド、常陸大宮市で文化財が一挙公開される。なんとスタンプラリーでトートバッグがもらえる。ああ弱いなあこういうの。
ちっちゃいものが好き―! …… 失礼しました。ジノ。でございます。毎度のお写真で皆さまのご機嫌を窺おうかと存じます。
結論、AIに奪われない仕事とは。
隈 研吾という建築家を、実はよく存じておりません。最近よく聞くお名前で、どんなモノを作るのかという興味はありました。わが読者「守衛」さんのブログで、なんとその設計になる美術館がお隣の栃木県は那須町にあると知りました。さらに調べるともう一つ、那須までの通り道、旧馬頭町にも同じ建築家の設計した美術館があるではありませんか。これはいつかハシゴせねばなるまいと思っておりました。朝の快晴の空を見て、それは今日しかないと思ったのであります。
あ、もちろん接種しますよ。取るに足らない健康被害の確率よりも、罹患した時の周囲への迷惑が私には恐ろしい。
信徒をはじめ石関係の皆さま、手にした宝物はどうされてますか。
これはなんだろう。そこからすべては始まる。
意味不明なタイトルでございます。時系列に沿ってお話をしますね。 先日里川方面に行ったさい、御岩神社の前を素通りするという不敬を働きました。いかん。そういえばしばらくお参りしてません。今日は日曜日ですが、行かねば。
これは昨年秋のある日の玉川での戦果。まあ小アタリというところでした。面白いのは上の黒いの二つ。玉川で初めて石炭を見つけました。 同じ久慈川水系の山田川で拾ったことはありましたが、玉川では後にも先にもこの時だけ。水中に沈んで腐ることなく土中に埋もれた植物体の、炭素分が凝集されたのが石炭、炭素分がケイ酸に置き換わったのが珪化木。どちらも広義の化石です。久慈川水系で珪化木は普通に見られますが、石炭は珍しいものです。
磐梯山です、爆裂火口です。爆裂は無敵です。爆裂火口はロマンなのです。たぎるぜ。爆裂魔法の呪文、詠唱してよろしいですか。いきなり一般の方にはわからないアニメネタでした、すいません。
こういう露出オーバー気味なのも紅葉の撮り方の一つだし、モニター上でも映えるのだろうけど、私は露出を抑えて色味を濃くするのが好きです。以下暗い写真が多くなります、ご理解ください。
自己満足の星野写真を晒します たぶんスマートフォンで見ると、どの写真も真っ黒です 今回の写真は縮小を抑えめにしています クリック・拡大してご覧ください
ここに来い… 天元台に来い… この30年間、ずっとそんなささやきが聞こえます。折に触れて私の耳元に現れます。まるで逃れられぬ宿痾しゅくあのように。行かねば。だがそこに何が待っているのだろう。
数日早くお伝えするつもりが今になってしまいました。タイトル通り、ブログ開設5年にして24万アクセスを達成しました。
本日、読者の「ゆうゆう」さんに薦められていた「大勾玉展」に行ってまいりました。いえいえ、以前から出不精の気はあったのですが最近は本当に外出を面倒くさがるようになっていました。こういうお誘いは自分を叱咤するよい機会です。
秋が深まってまいりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私はいつものフィールドで秋を見つけてみようかと思うのであります。小さい秋はどこにあるのかしら。リリカルおじさんと呼んでね、うふ💛
6月の初めから、右手薬指のばね指で困ってます。でもそんなことは関係なく、十三夜のお月見とて、家人からススキを採ってくるように命じられました。
暑からず寒からず、水戸には心地良い風が吹く日々でした。
運命の処するところでわが手に落ちたメノウたち。いずれも大切にしようと思いますが、どうもいろいろな素性があるようで、ひとつ紫外線を当てて別の一面を見てやろうかと思い至った、というのが前の記事でした。今回は手元にあるこの二皿分を試そうかと。
台風15号がもたらした大雨で、那珂川や久慈川が大水になりました。5日経った昨日、ようやく水位が下がったと見て玉川に行きました。
玉川流域、稲刈りは九割がた終わりました。台風14号は東海上に去りました。水が引けば、いよいよ玉川メノウ私的解禁でございます。 というわけで荒天が収まった二日後、フライング気味ではありますが強行偵察に出撃いたしました。
やって来ました、ことし最初で最後のツクツク森。正式名称「水戸市内にあってツクツクボウシが片っ端からキノコに食われて冬虫夏草になっちゃう森」です。冬虫夏草のシーズンは終わっているけど、キノコが豊富な森なので何かは見られるでしょう。
ボクの欲しかった力はそれじゃないんだ / ソニー純正マクロレンズと小絞りボケ
私は接写が命。カメラ機材はひたすら接写=マクロ撮影のためにあります。その写真が何だかおかしい。どこにもピントがない写真なんて、私の存在意義に関わります。いや本気で。問題は「絞り」にあるようです。
いつものフィールドの森に潜る。何があるかな。
陽射しも和らぎ、蒼天に思わず息を呑む季節となりました。まだ日中は暑いけど、しばし仕事の手を休めて天を仰いでも損はありません。
久しぶりに県庁25階の展望室に行きました。地上100メートル、いつ来てもいい眺めです。今日はフロアに変わった展示がありました。
「いつものフィールド」とカテゴリーまで作っておきながら、かの緑野にご無沙汰してしまいました。いやその、暑かったし。秋の風が吹き始めたので、軽く歩いてきました。
8月の積み残しをまとめました。どうぞゆるりとご覧ください。
8月の積み残しをまとめました。どうぞゆるりとご覧ください。
1日から2日にかけて丸1日以上、このブログが閲覧できなくなっておりました。気付くのが遅れて申し訳ありません。たぶん百人以上のお客様にご心配をかけてしまいました。本当にごめんなさい。問題なく復旧しております。以後気を付けます。 メノウ関係の記事はもう少しだけお待ちください。玉川流域の稲刈りがあと1,2週間で終わり、お百姓さんに迷惑をかけずに歩き回れるようになります。そこから再始動する予定です。
県立図書館から旧県庁にかかる広場。基本的にはよく管理されているのですが、私の眼にはいろいろ見えてしまって、それなりに楽しんでいます。
コロナワクチン4回目、打ってきました。これでワタシは無敵だv
おいしいコーヒーが飲みたくて、休日の御岩神社に行ってきました。え?論理がおかしいって?
バクテリオファージ! 一度見たら忘れない、生物資料集の大スター笑。ヒトの想像力を遥かに凌駕したそのメカニカルな造形は、クリエイターをはじめ多くの人に強烈なインスピレーションを与え続けています。しかしよもや、コレをガチャポンにしようとは。
若き日の旅。人は若い旅の思い出を一生憶えています。修学旅行というものも、本来は旅行など行けない家庭の子に、楽しい思い出を残してあげるのが目的でした。今回、この十代の若いのが自分の意志で行き先を決め準備を進め、そして一人旅を実行したことを眩しく思います。この旅で、彼は多くのものを学んだことでしょう。人はこうして長い長い人生を積み上げていく
盆も終わりの蒸し暑い日、八溝山に行ってきました。
先日、人の付き合いで笠間市内を巡ってきました。と言ってもややマイナーなスポットです。
8月某日朝。寝室の網戸まで開けて布団を畳んでおりますと、ぶぶぶぶと重い羽音が。スズメバチです。軒下で8の字を描いてから、部屋の中まで入ってきました。ぐるりと旋回、小市民が細細と暮らすこの家を値踏みするように見回すと出て行きました。なんだありゃ。ちょっと不愉快。
前回の記事で、愛車・エスクードの故障修理のことをちょっと書きました。スズキに配慮して詳説はしないつもりでした。ところが、お世話になっている修理屋さんがそれは違うと言います。
外は雨。愛車、スズキ・エスクードの修理が終わるのを家で待ってます。修理の内容は…… スズキの名誉のため黙しておきます。いつ終わるかわからず、雨の中を代車で出かける気にもならず。放っておくとYouTubeをダラダラ見てしまうダメな私❤なので、本を傍らに置いておこうかと。最近の3冊です。
今年も夏緑樹林に潜る季節がやって来ました。うふふふ。「夏緑」樹林とは、気候で言うと「冷温帯」の、冬に木々が落葉する地域にある森のことです。 夏緑樹林では、メンバーが本気で活動するのは夏だけ。スプリング・エフェメラルという春の者たちもいるにはいますが、それは夏の者たちの苛烈な活動に巻き込まれるのを避けてのこと。ヒトだって巻き込まれること必至なのだけど、私の自然観に占める大いなるテーマ「多様性」を見るには絶好なのです。今回は「倒木」をテーマに、さあ潜るぞー。
「ブログリーダー」を活用して、ジノ。さんをフォローしませんか?
かねてから狙っていた河原がありました。あ、メノウ拾いの方でね。少し水面を渡らねばなりませんが、あそこなら真っ赤なメノウががっぽがっぽ拾えるに違いない、信徒の皆さまを驚かせ悔しがらせようじゃないかぐへへへ。
「あの山にはマンネンスギがある」 「マンネングサというコケのことか」 「マンネンスギというシダのことだ」 ……という、カタギの人には何が面白いんだかわからないやりとりがあったことをまず申し上げておきます。春なんです。
常陽史料館です。地元芸術家を推して止まないこの美術館の今期の展示は「高鳥達明 テンペラ画展 ~螺旋の導き~」
4月の第2週火曜日、茨城には珍しく大雨が降りました。特に県北部。おかげで久慈川水系が大増水。さあメノウが動きましたよ。
空で紡がれた金と銀の糸が幾重にも大地を覆い、春の衣を織りあげます。なんてね。
今の日本で、千年後に残るものなんてあるんだろうか。そもそも人の世が続いているんだろうか。まあ、どうでも良いことではありますけど。
JR水郡線の上小川と袋田の間に、まるで「ト」の字の横棒のように川と道路と線路をさえぎる山稜があります。それが鷲の巣山わしのすやまの東稜。この垂直に切り立つ壁のおかげで久慈川と国道118号はU字型に大きく曲がり、水郡線に至ってはトンネルを掘ってこれを貫く羽目になってます。この稜線が茨城最恐の登山道です。さてここは人をお連れしていい場所なのか。それを確かめに参ります。
理系がエラい、そんなこと言いたいのではありません。 ただ理系には周囲からの信任に応えるべき行動理念がある、そう言いたいのです。いわく、自分を疑え
水戸は最近でも朝が氷点下だったりします。内陸の前橋や宇都宮より寒いんだから本当にもう。
机の隅がカオスだ。 ガスコンロが壊れました。コンロそのものではなく制御する電子部品の故障ですべて廃棄になるという、じつに今どきのひと騒ぎ。コンロ自体は一週間ほどで新品が入りましたが、家人がついでにレンジフードと洗濯物のガス乾燥機まで新調したいと言い出して、すべて完了するのに三週間かかりました。工事に付き合うこっちの身になってくれとも思いましたが、普段使うものが最新になると気分もアガるようで、浮かれた家人が花柄の鍋敷きまで設置しちゃいました。まあ家族が喜ぶのなら良しとします。 コンロ設置まで煮炊きはこれで。防災用品のカセットコンロをこんなことで物置から引っ張り出すことになるとは。備えておくもんだ…
やって来ました久慈川メノウ教聖地の河原。さあメノウをばらまくぞ。
ひねりも何もありません、超ド直球タイトル通り。聖地へのお供物をしばらく怠っていたので手許のものをまず記録してから、と思い立ったわけです。里子に出す前の記念撮影なんて言ったら悲しいかな。なるべくきれいに撮ってやったので、楽しんで見ていただければ幸いです。
フィールドという名のダンジョンめぐる日々の、ここ一週間ほどの記録です 第一のダンジョン 氷雪の森 福島県境を目指していたら、林道がアイスバーンになり車を捨てました。北国の人にはどうってことないでしょうけどこちとら雪に不慣れ、無理はしない。 こんなとこにもカヤラン。けっこう寒いとこにもあるもんだ。結局これ以上のものを見ずに終わった雪の中。色彩のない世界を私は不得意にしています。 第二のダンジョン 忘れじの谷 コシダの群落が迎える谷の入り口。「コ」シダと言いつつ小さくありません。この場合シダとは無限成長する「ウラジロ」のことで、それより小さいのでコシダ。南方系の美しく逞しい植物で、ハワイでは山火事…
散歩の路上に今年の初スミレを見ました。コスミレかな。しまった春が足を早めている。わが王国はどうなってる。…… というわけでマクロレンズ引っ提げて庭に出ました。さあ接写大会の始まりです。気色いい写真ばっかりだから覚悟してね。
ヤンマタケを求めて森を巡る冒険を続けています。でも本当に探しているものは何だろう。
日本最大の埴輪型建造物、どーん。ここは水戸市西部、くれふしの里古墳公園でございます。牛伏古墳群といって、計16基の円墳やら前方後円墳やらが丘のそちこちに造営されてます。
相変わらずフィールドを歩き回っています。
リコーWG-40 通称ゴンゾー(権三)さん。実に7年間、私のパートナーを務め続けてくれました。サブカメラという位置づけですが、メインカメラのソニーα より遥かに出番が多くて、撮った枚数だけなら間違いなくメインはこちらです。
いま久慈川の、川幅の真ん中へんを歩いています。信じてください、そんな愚行をするつもりはなかったんです。
2月の初め、ソレに気づきました。肛門に何かある。 はい今回はそういうお話なので、興味ない方はご退出どうぞ。
大洗に行ってきました。用があるのはここ、町営「幕末と明治の博物館」。もとは民営の「常陽明治記念館」と言いました。
2017年夏、信州野辺山高原、野辺山宇宙電波観測所。天文少年の夢の聖地です。ヘリオスタットやら干渉計やら、構内にこれでもかというアンテナざんまいの中でひときわ威容を誇る45メートル鏡。
晴れ上がった空を見て、気温が上がるという予報を聞いたら、そういうことに敏感な生き物がいることを思い出しました。本当に久しぶりに思い出しました。卒業研究が「蝶」だったことも。
床屋に行く、と言って車を乗り出しました。いえ本当にそのつもりだったんです。空は晴れてはいますが、時おり突風が吹き、黒い雲が鳥のように端切れをばたつかせながら過ぎていきます。低気圧が通過の予報で、雨もあるでしょう。こういう空模様は妙に心に触れるものがあります。気付けば水戸から20キロほど離れた里山にいました。
まず仮説。推論。そして実証。いきなり何を、といぶかられるでしょうが、最近玉川で面白いものが拾えないこともあって、少し方向性を変えようと思ったのです。玉川メノウについて、それがどこから来るのか。
ピグマリオンのように輝くなめらかな肌と、徹底的に合理化されたデザイン。精巧な、自然という造化の神が造り給うた芸術品。さて何のことでしょう。
観光地に連れていかれました。雨の予報、土曜日、人ゴミ。何一つ私の興趣を誘わないお誘いでした。たぶん晴れ男を期待されたのと、私への気遣いもあったようです。助手席に座ってればいいから、というので納得して朝7時に出発です。
人界に煩わされるのはここまで。退職でそう宣言した私です。さあ俗世を離れるぞ、と。ここからは誰にも気兼ねなく好きなことだけして生きていけると、そう思ったんです。もちろんそうはならなかった。
王国に春が来ました。読者の皆さまにはおなじみの面々が今年も変わらぬ姿を見せてくれます。
茨城の、といってもごめんなさい。県内すべてを把握しているわけではありません。本当に詳しい人というのは決してこんな軽々しく発信しないものです。植物を愛する人ならなおのこと。
ヤブツバキは花期が長いけど、咲き初めのたおやかな印象は何物にも代えがたい。 はい、今回が本当のお散歩まとめ回です。気候変化に身体が振り回される時節。朝7時半に家を出るときは2℃、昼過ぎに帰り着く頃は18℃なんてこともあって、それではと春の服を着て出たら1日寒かった日も。もう何を着ていいのかわかりません。いっそ魔法少女のコスプレでもして歩こうかしら❤ 水戸駅南口のペデストリアンデッキに垂れ幕。各キャラクターの芸の無さもさることながら、その主張がつくばエクスプレスを水戸まで延伸しようだって。誰もそんなこと望んでませんよ。沿線が栄えているのを見てその尻馬に乗ろうという本音、ただただ浅ましい。 泉町地…
寒いころは「駅までさんぽ」、往復するので精いっぱい。それがこれこのように桜まで咲く陽気になって、あちこちわき道にそれる余裕が生まれました。余裕って大事よね。
この春初めての東風が吹きました。雪のない茨城でスプリング・エフェメラル(春の儚い花々)の咲く季節です。人の夢と書いて「はかない」。まこと、一炊の夢のごとし。
最近私の周囲で話題になったのが、市内に建てられた某アパート。場所は私の生活圏内、つまりは水戸と言っても場末です。家柄も財産もまあいかにも庶民な、例えば高級外車がシャッターの奥に控えているなんてことのない、そんな家々が立ち並ぶ界隈。そこにとある旧家を潰して建てられたのが切妻屋根の2階建て。中身が縦に3等分されて3世帯各2階建てのいわゆる棟割長屋でございます。
信徒の皆さま、お元気でしょうか。久慈川メノウ教 教祖ジノ。でございます。今日はそっちの設定でお願いします。 私の記事のメノウ拾い関係の閲覧数がぐぐっと上がりました。気候も良くなったとて、一つおメノウでも致そうかという方が増えたのでございましょう。うふふふふ、来たれや聖地に。
今日は在宅。こないだ初崎海岸でいただいてきたバットいっぱいの砂からシーグラスと高温石英を拾い上げて、かのプリン瓶の中身にしたいと思います。こんなことで一日をつぶせるなんて、どれだけ幸せなんだろう、わし。
わたせせいぞう、と聞いてなにがしかのイメージがあるのは、失礼ながら一定の年齢以上の方になるのでしょうか。特に、バブル時代を経験しているような。
夢に出てくる色、というものがあります。 年よりじみた物言いで自分でも抵抗はあるのですが、遠い遠い昔に目に焼き付けた色です。若き日に訪れた海景、一面の青緑色。小笠原の海です。 熱風渡る亜熱帯の華やぎに満ちた陸の上と対照的な、精神世界を垣間見るような深い色。異界を覗き込む感覚で、岬の上から眺めておりました。それは旅で見た一つの絶景というより、もっと心の深い部分に刻まれる記憶となりました。 この旅と前後する時期だと思います。地元で、同じくらい精神に作用する色に出会いました。当時できて間もない水戸植物公園の温室で見たヒスイカズラの、その花色でした。なんて心に沁み込む色なのかと思いました。 残念ながら水…
日曜日。やってまいりました御岩神社。今年の初参拝になってしまいました。よくお詫びしなければ。
日月の諸相が年を限りにめぐる中、生ある者の消長を、代を違えても同じ姿で現れる者のかんばせを、毎年同じ場所で愛でる。それは単に季節を体感するという意味を越えて、わが身の息災、無事に1年を生き延びたことを確認する作業でもあります。健康であることも、平和であることも、決して絶対ではないことを知り得たこの1年。この作業がいよいよ意味を持つような気がします。