【ものを厳選する】 かたちはどこまでいってもかたち だけれど、私にとって心地よいかたちと そうでないかたちがある。 できる限り、心地よいかたちに囲まれていたい。 私が好むのは、経年変化をするものだ。 例えば、銅製のカトラリーや鉄製のフライパン 分厚い牛革の財布に鞄、アタのボックス。 色が深まりツヤが増し、傷が入り込み馴染み、 美しい。 同時に、ストーリーを感じる。 植物や動物、鉱物を感じる。 命をいただいて生きていると、その変化を 見て肌で知る。大きな流れの中にいると 思うと、心強くて温かい。 あとは、無駄のないもの。 シルエットやシステム、動線など 無駄だなときづくと途端に 億劫になる。逆に…
人が、ものが、 すべて球体だったらいいのに。 それならシンプルでわかりやすい。 我々が考えるべきは、かたちの些細な 違いではない。悩むべきは かたちの色や大きさではない。 これは慰めではない。 その事をはっきりさせないと、 いつまでもかたち上のしょうもない 悩みに翻弄され、仕事に とりかかれないからだ。 労働ではない。仕事だ。 かたちであること自体について 考える、それこそ仕事だろう(しんどいが)。 そもそも考えるとは、かたちと意味と それらを引き受けて生きる方を 選択するために頭を使うことじゃないか? かたちはどこまでいってもかたちだ。 かたちa→かたちa′で解決される問題なんて もともと解…
家庭を持ち、子を産み育てる それが生きることの肯定だと決めて、 もうなにも考えずにさっさと 取り組もうと思った。 仕事、子育て、それに付随する コミュニティ内の役割。 忙殺されてしまえば、あっという間に 時間が過ぎて、忘れられるんじゃ ないかという期待もあった。 どうせ生きるなら、 生きることを続けなくちゃいけないのなら 考えないでいたい。 考える上に続けるなんて拷問だ。 砂を盛って、盛ったら崩して、 また別の場所に盛るのとおんなじだ。 意義を見いだせないと生きられない。 意味なんて要らないのに、 生きなきゃいけない。 かたちに埋没すればいい、そう思った。 誰かの悪口をいってみたり、 社会問題…
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