【痛切な體驗が齎す理解】けふは福田恆存著「私の幸福論」(ちくま文庫)と小林秀雄著「感想」(全集に所収)とを讀みました。前者には、「(前略)また、いはゆる教養といふものの限界を自覺してゐることであります。この餘裕がないと、自分の正義をふりかざして、他を責めるといふことになりかねません。うしろ指一本さされぬやうに身を持してゐる、くそまじめな人が陷りがちなわなが、そこにあります。それでは眞の教養人とはいへません。たんに過去のしきたりとしての禮儀作法を知つてゐるといふだけのことにすぎない」と云ふ文章があり、私は線を引いてゐます。その線を引いたのは、今から10年まへか、それとも15年まへか、それ以上もまへの事かは判然としませんが、之は大事だなと感じたから、嘗ての私は線を引いたのでせう。が、私は先の在京時、「自分の正...【痛切な體驗が齎す理解】