【續・詩に就いて※追記あり】詩とは解らうとするものではない、感じ入るものなのだ、と云ふ事をきのふ書いた。詩とは言葉で綴られてゐるから、人は言葉を解らうとする。そして、人は詩に就いて、解らないとの感想を抱く。きのふ、私は、詩情とは「解する」のではない、詩情とは「介する」のだ、と追記した。詩とは、現象をあらはすのではない。彼が詩人であるならば、己の葛藤や惱みを契機(原點)として、人間や自然の本質や美しさに就いて、近附かうと心見る。あらはされた詩に就いて、それをあらはした詩人も、それを目にする者達も、夫々、詩情を介する必要に驅られる。その夫々の詩情は異なるが、行き著く處である「人間や自然の本質や美しさ」とは同一である。少くとも、その方向性は同じである。詩を詠む者も、詩を讀む者も、己の葛藤や惱みを契機(原點)とし...【續・詩に就いて※追記あり】