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ままちゃんのアメリカ https://blog.goo.ne.jp/rell248

家族の歴史、家族、アメリカ社会についての日々雑記と写真

在米が半生以上・主婦・大学院勤務・二人の娘・三人の息子・孫5人・夫はアリゾナ出身同い年・17歳から始めた系図調査、欧米中心の系図調査ではプロになるべく準備中。

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2017/07/25

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  • 親というもの

    母の日はあと2週間ほどで再びやってくる。実際に父親、母親となり、育児をして成人して子供を送り出しても、(母)親業に終わりはない。自分を後回しにすることはほぼ癖になっているのは否めない。それが良いかどうかではなく、私自身は子供と共に親の私も成長させてもらったと思う。下記は、そんな母親についてのメモをいつかどこかで新聞から切り抜いた作者不詳のもので、「なんでもとっておきたいファイル」から取り出したみた。誰かは、出産後、物理的にあるいは精神的に通常状態に戻るのに約6週間かかると言った…その「誰か」は、母親になると、「通常」は過去のものになるということを知らない。母親になる方法は本能で学ぶ、と誰かが言った…その誰かは3歳児を連れて買い物に行ったことはなかったのだろう。母親であることは退屈だと誰かが言った…その誰か...親というもの

  • いつか

    不意の来訪者が応接間に入る時、「あ、散らかし放題ですみません。子供たち(孫たち)がまだ小さくて。」と、言い訳がましいことを口にする経験は母親・祖母のどなたでもおありではないだろうか。あるいは、私だけかもしれない。少なくとも私はそれを15年以上続けてきたし、空の巣時代に突入しても、子供たちの雛形の子供たち(孫)という戦陣が控えている。現役の育児期には、いつか、子供たちが成長したら、親の人生は「変わる」、「変わるはずだ」、「変わるかもしれない」、やがて「おそらく無理かもしれない」という変遷を経ている。冷蔵庫のドアに色とりどりの付箋が貼られ、「子供#3午後2時に小児科医」や「#2,#3,#4木曜日午後6時カブスカウト101隊のパック・ミーティング」、「#1~5水曜日ピアノレッスンは金曜日に変更」(注:#1~5は...いつか

  • 出ていけ、と言ったのは

    1999年から2004年にかけてCBS局ではジェーン・クレイソンという当時トップクラスのジャーナリストが時事問題的な会話をゲストと交わす番組があった。あれは2001年以降だったと思うが、彼女がアン・グラハム・ロッツにインタビュウした。あのビリー・グラハム*氏の次女である。その番組で、ジェーン・クレイソンは、2001年9月11日の出来事について、アン・グラハム・ロッツ氏に尋ねた。クレイソンは「どうして神はこのようなことが起こるのを許すことができたのでしょうか?」と尋ねた。グラハムは非常に深く洞察力に富んだ回答をした。彼女はこう言った。「私たちと同じように、神様もこの件で深く悲しんでいると思います。しかし、私たちは何年もの間、神を学校から、政府から、私たちの生活から、抜け出すように神に言い続けてきました。そし...出ていけ、と言ったのは

  • 恩返しのバトン

    以前アメリカ映画でPayItForwardという題名の作品が人気を博したが、日本でも「恩送り」という言葉は、古来より久しく存在している。ことわざの「情けは人のためならず」は、昨今往々にして、情けは人のためにならない、と誤訳されるが、意味は、PayItForwardと同じだ。人に思いやりを持つことは、その困っている人のためだけではなく、思いやりといういわばバトンを回すように、やがてそれは巡り巡って自分を幸せにするものであるという意味である。日本の文化に深く根付いている大切な考え方である。ほぼ1日用事があって留守をしていた私が、ドライブウェイに車を乗り入れた途端、ちょうど袋小路を散歩していた隣人のキャシーが近づいて来るのを目にした。私は運転席の窓を開けて、「キャシー、お元気?」と言うと、彼女は「ええ、ありがと...恩返しのバトン

  • ソウルメイトとの出会い

    アール・ハインツ氏は、アメリカで認定起業家アドバイザープログラムをUCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)、USC(南カリフォルニア大学)やその他のカレッジなどで教え、合衆国有数の会計事務所で税務マネイジャーを務め、多くの独立公認会計事務所を設立してきた。コペンハーゲンで税務マネイジャーをしている次男が目指したい、と思うような人物である。この高名な方はビジネスや税務や会計のことばかりが、彼の頭脳を支配していると思っていた私は、しばらく前にハインツ氏の別の面に甚く(いたく)感服した。そして彼の語ったことは夫や私の考えていたことにとても近かった。私たち夫婦も大学時代に出会い、最初のデートから、お互いがお互いに唯一無二だと「わかっていた」(というよりもピンときた)ので、5人の子供たちに話してきていたのであ...ソウルメイトとの出会い

  • 皆既日蝕に思ったこと

    Baily'sBeads*ベイリーのビーズは、1999年2月16日の金環日蝕中にオーストラリアのグリノーでこのように複雑な現れ方をした。©1999撮影:フレッド・エスペナク皆既日蝕(食)が月曜日にあり、ここ加州の中央部では皆既ではなく、日蝕度40%台で、10時過ぎに起こり、陽が雲に隠れたような程度だった。7年前2017年8月の日蝕は食度が80%台で、割と薄暗くなった。その以前の1994年5月の日蝕は金環日蝕で、金環蝕帯に近くあった場所だったので、幼い子供を抱きながら庭のコンクリート小道の水たまりにその欠けた太陽の姿を見た。あの時はかなり薄暗くなり、暗くなると、途端に野鳥が庭の木々に戻ってきて、ざわざわとした気配があったのを覚えている。今回はネットワーク局の中継で観たが、驚いたのは、普段は悲惨な戦場報告や虐...皆既日蝕に思ったこと

  • それでも明けない夜はない

    夜が更けてから受け取る電話は不安にさせるが、テキストにも同じ効果があると今晩わかった。ごく親しい人から、ご子息夫人がまだ40歳にもならないのに、悪性リンパ腫に罹患、化学療法を始めたが、それによってますます症状が悪化している、と。息子たちの友人が30歳代で、同じ病気を罹患した。彼は即時に化学療法と放射線治療を受けた。美しかった波打つ頭髪を失い、同時に体力も衰え、失意のどん底にあり、彼も見守る者も祈りがすべてだった。しかし、その青年は、見事にその戦いに打ち勝ったように寛解して数年になる。そして苦しかった治療を乗り越えたご褒美のように、あの美しい頭髪も蘇ってきた。"Itisbetterinprayertohaveaheartwithoutwordsthanwordswithoutheart."(祈りにおいては、...それでも明けない夜はない

  • 夢のいくつか

    イースターの日曜日は光り輝くような日:集う教会の駐車場で二人の娘たちは、よく父親の夢を見る。特に末娘の夢は往々にして、胸に迫る思いを伴うことが多い。日曜に集う教会の礼拝堂に隣接する板敷床の大きな部屋は、バスケットボールやバレーボールのできるコートにもなるし、クリスマスやイースターの季節の食事の機会には大きな丸いテーブルがいくつも置かれる。又カルチャーホールともなり、若い人々のダンスも行なわれる。ステージも併設されていることもあり、簡単な音楽コンサートや青少年や子供たちによるお芝居なども催す。緞帳を引くとそこはステージで、ステージの両端は裏方さんや出演者が出入りする狭い場所がある。末娘の夢では、その小さな場所に父親が座っていた。娘はチェロ奏者として演奏することがあり、夢でもそんな設定らしい。ある時の夢では、...夢のいくつか

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