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猫と息子と音楽と https://ameblo.jp/masakimochi/

2016年7月に40歳にして第一子を授かったパパの子育てブログ。

子育てブログは数あれど、子育てを歌うパパはなかなかいないでしょう。ごく普通のイクメン(自分で言うな笑)ですが、子育てに疲れたとき、ストレスが溜まったとき、そして辛くなったときにはぜひ『280days』を聞いて、お子さんの生まれた日を思い出してください。https://youtu.be/iNmSXs705e8

まさきもち
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住所
武蔵野市
出身
昭和区
ブログ村参加

2017/06/28

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  • 28 パチンコとタバコ

    父もまさか自分の妻が障害者になるとは夢にも思わなかったと言う。  障害とは全く無縁な世界で育ってきたので、週3回の透析と全盲という妻の二重苦に、どう向き合って…

  • 27 器用貧乏

    母から聞いた私の覚えていない話がある。  2歳になる頃、私はアヒルの形をしたおまるでトイレトレーニングをしていた。うんちが出ると、自分でトイレにうんちを捨て、…

  • 26 母と宗教

    母に数年前こう聞いたことがある。  「母さんは、これから子育てだという一番いい時に透析が始まって、さらに目が見えなくなって死にたいと思ったことはないの?」  …

  • 25 父とのキャッチボール

    私の生まれた名古屋は中日ドラゴンズの本拠地。当時は中日も強く、スポーツといえば野球の時代で、私も父とよくキャッチボールをした。   父は自営業で休みなく働いて…

  • 24 母とのキャッチボール

    これは小学4年生の頃の苦い思い出。  一度だけ母にキャッチボールをせがんでやってもらったことがある。私は母の目が見えないとは思いつつも、どこかで見えているんだ…

  • 23 猫に嫉妬

    小学3年生の頃、猫を2匹飼っていた。しかし集合住宅なので、本当は飼ってはいけなかった。   1匹目は灰と黒のトラ模様の雑種の雄猫で、玄関前でニャアニャアと鳴い…

  • 22 みんなと同じがいい

    私は母の障害が受け容れられず、友達のお母さんのように目が見える母であってほしい、みんなと同じでありたいと強く思っていた。それについて忘れられない出来事がある。…

  • 21 毎年の事故や怪我

    私は小学生の頃、毎年のように事故や怪我をした。単なる偶然だと思いたいが、必ずしもそうだとは言えない不思議な感覚があった。もしこれが寂しさの裏返しで、親の注意を…

  • 20 母は遺影を決めている

    私が悪夢をよく見ていた頃、母は自分の体が辛かったからか、自分が亡くなった時の遺影を決めているという話を何度か聞いた。この遺影の話は、少なくとも私の悪夢を引き起…

  • 19 お母さん死なないで

    小学3~4年生の頃、よく同じ夢を見ては泣いていた。なぜかその夢には、母がいなくなってしまう恐怖があった。  明け方によく見ていたと思う。夢の中の時間は夜で、提…

  • 18 SOSサイン

    子供への愛情が不足すると子供がSOS サインを出すと言う。  確かに私自身も非行歴があり、今思えばそれはSOS サインだったと思う。   初めての非行は小学2…

  • 17 「いい子だね」「えらいね」が嫌い

    私の誕生日は一月一日。これは私にとって良くも悪くも影響してきた。考えてみれば誰にとっても一年に一度しかない誕生日。どの日だけが特別ということはないのだが、元旦…

  • 16 患者会に行かなくなった一言

    母が通う病院には患者会がある。しかし母は、数回参加しただけで行くのを止めてしまった。  その理由は2つあり、一番大きかったのが、当時患者会の委員長が「あなたは…

  • 15 ハグしよう

    私は父と母に抱きしめられた記憶がない。今でこそ抱きしめるという行為は、子供の安心感や安全感を作る上でも大切なことだと言われるが、これも時代や家族の文化によって…

  • 14 親へのグチ

    ここでちょっと親に対してグチを言わせていただく。これまでの文章は「いい子度」が高いなと思うので、少しディスろうと思う。  どの家族にとっても親子関係が、特に母…

  • 13 授業参観の複雑な思い

    学校には様々な行事があり、親や家族が参加するものがある。その行事のどれ一つとして母は来たことがない。  授業参観は基本的に欠席。友達の母親が小綺麗な格好をして…

  • 12 昏い部屋

    母の視覚障害は1級。全盲で光さえ感じることができない。  私が部活で夕方遅くに帰ってきた時には電気はついていたが、日が陰る頃、母は横になって寝ている時間でもあ…

  • 11 母を隠す

    小学4 年生以降段々と同級生と遊ぶことが増えていった。住宅の友達とは夕飯を一緒に食べるくらい仲が良く、人を分け隔てることなく遊んでいたが、同級生とは必ずしも仲…

  • 10 テレビゲームが埋めた心のスキマ

    小学2 年生の夏、ファミリーコンピューター(以下ファミコン)が発売された。それまではゲームウォッチで遊んでいたが、今思えば『ゲーム』に夢中になったことは、私に…

  • 9 きょうだいの疑似体験

     小学2年生の時に引っ越した集合住宅では子供たちがたくさんいた。集団登校をしていたので、上級生も下級生もみんな仲がよかった。  一人っ子は私くらいで、みんなき…

  • 8 ソーセージ

    5〜7歳くらいのことだったと思う。私は母とよく買い物に行っていた。家から歩いて10分かからない距離にあったスーパーに食材を買いに行っていた。小学生になると、母…

  • 7 仲が良かったはずの友達

    小学生になると、鍵っ子になった。  今では当たり前すぎて使わない言葉だが、1983年頃の鍵っ子はまだ少数派だった。学校から家に帰っても、誰もいないガランとした…

  • 6 僕の目をお母さんにあげる

    母は網膜剥離とその後の手術の影響か、綺麗な瞳ではない。傷がついている。  そんな母と私は目を合わせることが苦手だった。母と目を見て笑い合うことをどれだけしたか…

  • 5 わくわくしたサガミ

    小学生になると友達の家へ遊びに行くことが多くなった。当時は専業主婦だったり家業を自宅でやっている人ばかりだったので、どの友達の家にもお母さんがいたものだ。  …

  • 4 幼稚園バスに憧れて

    私は2歳から保育園に預けられた。この頃は今と違って、どの家庭でも母親が専業主婦で子供を面倒見ていた。だから2歳児を保育園に預けるということは、よほどの理由がな…

  • 3障害を否認

    私は幼少期の記憶がほとんどない。心理学では、幼児期健忘という3 歳以前の記憶をあまり覚えていないことが科学によって明らかにされている。しかし私は3歳どころか小…

  • 2 母が障害者になった日

    私は昭和51年(1976)1月1日16時5分に愛知県名古屋市内の病院で生まれた。体重は2,740g で、予定日より1週間ほど早かったが、至って健康に生まれてき…

  • 1 生きづらさの正体

    2008年9月、私は都内の会社に営業職として入社することになった。その会社では、個人向けにカウンセリングや心理学講座、企業や官公庁などで働く人向けにメンタルヘ…

  • はじめに

    「死にたい」と思ったことが一度もない。そんな人が一番身近にいると知った時、私はとても驚いた。なぜなら私にとって「死にたい」という思いとは、もう20年以上の付き…

  • 生まれてこなければよかった

    【概要】私が物心ついた時、すでに母の目は見えなかった。そして人工透析をするために、週三回通院していた。いつの頃からか、私は自分が生まれたことで母の目が見えなく…

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