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  • 大覚寺山古墳 千葉市中央区生実町

    千葉市埋蔵文化財調査センターのそばの大覚寺山古墳で墳活。 大覚寺山古墳 千葉県指定史跡 千葉市生実町 全長約66mのこの前方後円墳は小さな丘陵上に占地する。会堀未調査で内部構造は不詳であるが墳丘形態立地条件等によく古式古墳の様相を残し、西暦5世紀代に築造されたと推定される。 昭和45年史跡として保存された。 昭和49年1月31日建立 千葉県教育委員会 千葉市教育委員会 大覚寺山古墳 千葉県指定史跡、指定日 1971年3月26日 大覚寺山古墳は、市内最大・最古の前方後円墳です。1696年に宅地造成のために山林を伐採した際に、初めて前方後円墳であることが明らかになりました。後円部の直径が前方部の最…

  • 米満横穴墓群Ⅵ支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅵ支群の1基、1基だけ孤立している この日は、これでお終い。これまでの探索で、米満横穴墓群の真ん中を南北に貫く切り通しの西側(Ⅲ-6〜10,Ⅳ支群)は網羅した。残るは東側のⅢ-4〜1,Ⅱ,Ⅰ支群。 これまでに確認した横穴墓は下記の54基。 Ⅲ-2支群:8基、Ⅲ-6支群:3基、Ⅲ-7支群:6基、Ⅲ-8支群:2基、Ⅲ-9支群:1基、Ⅲ-10支群:3基、Ⅲ-11支群:2基(小計25基) Ⅳ-1支群:2基、Ⅳ-2支群:3基、Ⅳ-3支群:1基、Ⅳ-4支群:1基、Ⅳ-5支群:3基(小計10基) Ⅴ-1支群:2基、Ⅴ-2支群:1基、Ⅴ-3支群:3基、Ⅴ-4支群:7基、…

  • 米満横穴墓群Ⅳ-5支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 尾根上を西に移動。 米満横穴墓群Ⅳ-5支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-5支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-5支群の3基目 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅳ-3,4支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅳ-3支群の1基 尾根上を西に移動 米満横穴墓群Ⅳ-4支群の1基 米満横穴墓群第Ⅳ支群【千葉県長南町】3~5小支群を大探索。こちらも激烈な薮や急斜面に阻まれ、かなりハードな古墳巡りでした(帰りに滑落した)。高壇式や家形の玄室を持つなど、何だか長柄横穴墓群に似たような印象。横穴は素晴らしかったですが、道中険しすぎるのでもう行きたくはないですね... pic.twitter.com/DIANqwlAxv — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2025年2月9日 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-1支群 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 ここで下山して、昨年末にトライしたけど果たせなかったⅤ-1支群にチャレンジ。イノシシ避けの電流柵を地元の方に許可をいただき跨いだ。 米満横穴墓群Ⅴ-1支群の2基、足場がなく近寄れず ここで午前の部はお終いにして近くで昼食 おまけで豊栄小学校跡 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-5支群 (その2) 長南町米満

    米満横穴墓群の探索の続き。 米満横穴墓群Ⅴ-5支群の4基目(東側の4基のうちの右から三番目) 米満横穴墓群Ⅴ-5支群の5基目(東側の4基のうちの右から四番目) ここで一度下山。 にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅴ-5支群 (その1) 長南町米満

    今年2回目(昨年も含めれば4回目)の墳友との米満横穴墓群探索。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 米満横穴墓群の南西端、精華学園高等学校長南茂原校付近からⅤ-5支群にアプローチ。精華学園高等学校は、山口県が本校がある広域通信制・単位制の高等学校で、全国約50箇所に校舎を設置、本校に通わなくても単位認定が可能、週1〜5日登校の通学コースと、年間10〜15日程度の登校の通信コースがある。失礼ながらなんでこんなところにと思ったけど納得…

  • 貝と人 千葉市埋蔵文化財調査センター

    千葉市埋蔵文化財調査センターで開催中の特別展「貝と人」を鑑賞した。テーマは「縄文時代から続く貝と人とのかかわりを探る」、房総半島は周囲を海に囲まれ、縄文時代から現在にいたるまで、人々は多くの海産資源を利用してた。なかでも貝類は縄文時代以来、盛んに人に利用され、そのかかわりは現在でも続いている。本展では、貝を「身」と「殻」に分け、長年続く人とのかかわりについて、様々な角度から展示する。京都大学総合博物館から1世紀ぶりに里帰した加曽利貝塚出土の彩色貝製品とアワビ製貝鏃の2点は必見。蒐集家上羽貞幸氏のコレクション。千葉市内初公開。他にも、長倉Ⅰ遺跡・岩手県軽米町教育委員会所のイモガイとオオツタノハ製…

  • 子持勾玉-群馬県内出土品を集めてわかったこと- かみつけの里博物館

    かみつけの里博物館で開催中の第32回特別展「子持勾玉-群馬県内出土品を集めてわかったこと-」を鑑賞した。子持勾玉は現在のところ全国で約700点確認されている。群馬県内では、約70例の存在が知られ、この数は、都道府県単位で全国一。本展では、群馬県内出土の子持勾玉を集め、発掘調査による出土例をベースに、その共伴遺物から設定した年代から、子持勾玉の変遷を試みる。また、出土場所として、豪族居館から出土した三ツ寺Ⅰ遺跡(3例)、原之城(1例)、囲い状遺構から出土した金井下新田遺跡(1例)と竪穴建物から出土した18例について考察する。なお、図録によれば、群馬県内出土子持勾玉71例のうち、58例について実資…

  • 愛宕山古墳発掘調査見学会 (2/15) 行田市埼玉

    2月15日に開催された特別史跡埼玉古墳群の愛宕山古墳発掘調査の現地見学会に参加した。愛宕山古墳は昭和56年度(1981)に南側の内堀、中堤、外堀の一部と東側の道路の部分が発掘調査された。また、令和3年度(2021)からの調査で、西側の内堀等は大きく撹乱されていることがわかっている。今年度は昨年、発掘調査した前方部の主軸線上の調査区の東隣に調査区(1トレンチ)を設けて、外堀の外側の立ち上がりが確認できた。また、くびれ部東側、主軸線と垂直に調査区(2トレンチ)を設け、古墳構造の立体的な情報(墳丘の墳長から墳裾まで高さや傾斜、中堀・中堤・外堀の深さ・幅・傾斜)を得るとともに、多くの須恵器片と埴輪片を…

  • 砧中学校3,4号墳 世田谷区成城

    砧中学校の校内に保存されている2基の古墳を見学したくて中学校を訪れたが、見学は事前許可どりが必要とのことだったので、校外から見学した。 砧中学校3号墳、文献[1]では「①台地、②学校、③一部遺存、④円墳(径25m)、⑧墳丘の痕跡をわずかに残す。」 砧中学校4号墳(区史跡)、文献[1]では「①台地上、②学校、③遺存、④円墳(径32m)、⑧砧中学校の片隅に墳丘の一部を残す。」 砧中学校古墳群4号墳 世田谷区公式ホームページ 砧中学校古墳群 砧中学校3号墳-4号墳【東京都世田谷区】 - ぺんの古墳探訪記 文献 東京都教育委員会 1985『都心部の遺跡 -貝塚・古墳・江戸- 東京都心部遺跡分布調査…

  • 殿山古墳群 世田谷区大蔵

    殿山横穴墓群になかなか近寄れなかったので、その間に、殿山古墳群を探索。 殿山1号墳、文献[1]では「①台地上、②畑、③湮滅、④円墳?、⑤土師器片、金環、刀子、鉄鏃、玉類(勾玉、ガラス玉、棗玉)、顔料」 殿山2号墳、文献[1]では「①台地上、②東名高速道路、③湮滅、④円墳(径7m)、⑤横穴式石室、⑥土師器、鉄片」 殿山3号墳、文献[1]では「①台地上、②神社、③一部遺存、④円墳、⑤土師器、⑧第六天神社境内北側に数10cm程度の高まりとして観察できる。墳丘北側は東名高速道路工事の際に削られたと思われる。」 殿山4号墳、文献[1]では「①台地上、②宅地、③湮滅、④不明」、写真は丹沢山系の眺望 殿山5…

  • 殿山横穴墓群 世田谷区大蔵

    大蔵遺跡の見学会の後で、2015年(平成27年)9月に現地見学会が開催された殿山横穴墓群の現状を確認できないかと探索した。1時間半ほど探索した結果、現地は、東名ジャンクションのHランプとGランプの工事中でフェンスに阻まれ近づくことはできない、かつ、殿山横穴墓群に関する説明板等は設置されていなかった。 直土地区画整理事業完成記念碑 田直土地区画整理組合の施行区域は、東京の西南に位置し国分寺崖線のハケ下の小地域である。ここの土質は主として ローム層から成っているが地表面は風化して黒土と言われる農耕に適した土地であった。 世田谷区社育委員会の調盗で、この付近の旧石器縄文時代の遺跡や古墳等が発掘され、…

  • 大蔵遺跡 見学会 (2/5) 世田谷区大蔵

    2月5日に開催された世田谷区の大蔵遺跡(おおくらいせき)の遺跡見学会に参加(見学)した。大蔵遺跡は世田谷区の遺跡番号No.30の遺跡で、標高約40mの武蔵野台地の縁辺部に立地し、遺跡の西側が国分寺崖線で、崖下を仙川が蛇行しながら南流する。過去に13次の発掘調査が行われ、主に縄文時代中期前葉〜後葉の集落遺跡として知られている。今回は、大蔵住宅第2期建て替え工事に伴い東京都住宅供給公社からの委託で東京都埋蔵文化財センターが発掘調査を実施している。調査範囲の西半は昭和30年代の大倉団地の造成に伴い立川ロームⅢ〜Ⅳ層上面まで削平され、縄文時代以降の遺物包含層は失われていたが、調査範囲の北西の崖線沿いの…

  • 「墓・ムラ・縄文人ー縄文後期前葉の集落様相ー」 (2/1) 県民共済みらいホール

    2月1日に横浜市の県民共済みらいホールで開催された令和6年度 東京・神奈川・埼玉埋蔵文化財関係財団普及事業公開セミナー「墓・ムラ・縄文人ー縄文後期前葉の集落様相ー」に参加(聴講)した。本公開セミナーは、神奈川県・埼玉県・東京都の埋蔵文化財関係財団による普及連携事業として、平成20年度から毎年、各都県が持ち回りで開催、今回が17回目。今回は縄文時代後期前葉がテーマ。縄文時代中期と後期後半をつなぐ転換期で、墓地とそれに近接する住居はこの時期を象徴する存在。三都県のそれぞれの特徴的な様相を明らかにするとともに、群馬県や最近の調査事例を交え成果を発表。基調報告は「神奈川県の様相-墓に一番近い住居-」「…

  • 『長竹遺跡-地中に埋もれた巨大遺跡-』 (1/26) パストラルかぞ

    1月26日に加須市の「パストラルかぞ」で開催された 令和6年度ほるたま考古学セミナー『長竹遺跡-地中に埋もれた巨大遺跡-』に参加(聴講)した。加須市の長竹遺跡は、利根川右岸の堤防強化対策事業に伴って平成22年10月から平成27年3月まで発掘調査が行われた。その後、令和6年3月まで発掘成果をまとめる整理報告書の作成作業が行われ、6集(15分冊)の報告書が刊行された。細長い調査区からは、弧を描く縄文時代後・晩期の「環状盛土遺構(かんじょうもりつちいこう)」と、その上層からは古墳〜平安時代の竪穴住居跡と畠跡、中近世の畠跡や利根川堤防に関連する遺構が見つかった。セミナーでは、基調報告として、地元の加須…

  • 講安寺 (再訪) 文京区湯島

    5年前に旧岩崎邸庭園の煉瓦塀のブログ記事で講安寺の寺門と説明板の写真を掲載した。その時は気が付かなかったが、講安寺にも煉瓦塀が残っているとのことで、再訪したところ、講安寺の庫裏・客殿一部解体/修繕・修復工事及び新庫裏新築工事・外構工事中だった。工期は令和7年1月から令和9年3月末まで。設計監理/監修は隈研吾建築都市設計事務所。 講安寺本堂と庫裏(裡) 区指定有形文化財 本堂は、社寺建築でありながら土蔵造である。寺伝にいう宝永五年(1708)から、かりに寛政元年(1789)頃にさがっての建立であったとしても、江戸の町で普及した土蔵造という防火建築が、多くの災害にあい、また、建て替えられるという歴…

  • 煉瓦塀 文京区湯島

    文京区教育センターの企画展に行くときに、たまたま見つけた煉瓦塀。 にほんブログ村

  • 玉村町15号墳石室 玉村町歴史資料館

    群馬県玉村町の古墳巡りのラストは玉村町歴史資料館に移設された玉村町15号墳石室。 玉村町15号墳(綜覧古墳番号玉村町15)、番号191[現状:×、墳形:円墳、径約18m、埋葬施設:袖無型横穴式石室]、石室を移築保存 『上毛古墳綜覧』玉村町第15号墳の移築石室 古墳名 『上毛古墳綜覧』玉村町第15号 古墳原位置 玉村町大字角淵2762 発掘調査年月日 昭和41(1966)年12月19日〜29日 復旧施工期間 昭和42年(1967)年10月8日~16日 調查復元指導 群馬大学教育学部史学第2研究所 玉村町に古墳が出現したのは古墳時代前期で、今から1600年以上昔です。軍配山古墳や三角縁神獣鏡が出土…

  • 梨ノ木山古墳・殿台山古墳 玉村町下茂木

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 浅間山 梨ノ木山古墳(綜覧古墳番号芝根村3)、町史跡、番号173 [現状:△、墳形:前方後円墳、規模不明、埋葬施設:竪穴系(不明)] 梨ノ木山古墳 ▪️現状・南北42m、東西45m、高さ7mの伏鉢状の円墳 ▪️石室の型式・竪穴式石室と推定される ▪️出土品・刀子滑石製模造品、円筒埴輪片、土師器杯破片若干 ▪️築造年代・5世紀〜6世紀と推定される 所在地・群馬県佐波郡玉村町大字下茂1027番地 玉村町教育委員会 町史跡 玉村町 群馬県佐波郡玉村町下茂木 梨ノ木山古墳 古墳探訪記 梨ノ木山古墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 殿台山古墳(綜覧古墳番号芝…

  • 玉村町19号墳 玉村町角渕

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 玉村町19号墳(綜覧古墳番号玉村町19)、番号205[現状:×、墳形:円墳、径21.2m、埋葬施設:不明(未調査)]、 墳丘上に王子稲荷神社を祀る。 玉村町No.350遺跡(玉村町第19号墳) – 埼群古墳館_改 玉村町19号墳-22号墳-23号墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 玉村町26,27号墳 玉村町角渕

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 玉村町27号墳(綜覧古墳番号玉村町27)、番号211 [現状:×、墳形:円墳、径20.0m、埋葬施設:不明(削平)] 玉村町26号墳(綜覧古墳番号玉村町26)、番号210 [現状:○、墳形:円墳、径25.5m、埋葬施設:不明(未調査)] 群馬県佐波郡玉村町角淵 玉村町26号墳・玉村町27号墳・角淵六地蔵・道祖神 古墳探訪記 玉村町26号墳-27号墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 上之手薬師前古墳・玉村町No.238遺跡無名古墳・ショウデンヤマ古墳 玉村町上之手

    群馬県玉村町の古墳巡りの続き。 上之手薬師前古墳、番号239 [現状:○、墳形:円墳、径31.2m、埋葬施設:不明(未調査)] 玉村町No.238遺跡無名古墳、番号252 [現状:△、墳形:円墳、規模不明、埋葬施設:不明(未調査)] ショウデンヤマ古墳、番号261 [現状:△、墳形:円墳、規模不明、埋葬施設:不明(未調査)] 群馬県高崎市新町 於菊稲荷神社・群馬県佐波郡玉村町 上之手薬師前古墳・玉村町237遺跡無名古墳 古墳探訪記 群馬県佐波郡玉村町宇貫 ショウデンヤマ古墳 古墳探訪記 上之手薬師前古墳-玉村町No.238遺跡-ショウデンヤマ古墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 …

  • 若王子古墳 玉村町上之手

    群馬県玉村町の古墳巡り。 若王子古墳(綜覧古墳番号玉村町33)、番号238 [現状:△、墳形:円墳、規模不明、埋葬施設:不明(未調査)]、墳丘上に若王子神社を祀る。 群馬県佐波郡玉村町上之手 若王子古墳 ・ 玉村町下新田 玉村八幡宮 古墳探訪記 若王子古墳【群馬県玉村町】 - ぺんの古墳探訪記 若王子古墳(群馬県玉村町) kofun-0524のブログ 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 日本橋日枝神社 中央区日本橋茅場町

    日本橋日枝神社を参拝。 ご祭神 日枝大神(大山咋神 国常立神 伊奘冉神 足仲彦命) 「咋」とは「主」という意味で、その名の通り大山の主であると共に広く地主神として崇められ、山水を司り大地を支配し、万物の成長発展と産業全般の生成を守護されます。 相殿の神 菅原大神(菅原道真公) 至誠・孝道をはじめ、学業・詩文・和歌・書道の神として崇敬されています。 稲荷大神(受氣母智神) 稲の神として五穀豊穣のほか、一粒の米から多くの実りがあることから商売繁盛の神として崇敬されています。 浅間大神(木花佐久夜比売命) 山に咲く花の女神で、そのお姿は美しく子授け・子宝・安産・災害除けの神として孝敬されています。 …

  • 日本電気創立当時の建物基礎 港区芝

    港区芝の日本電気株式会社の本社に保存された創立当時の建物基礎。 日本電気創立当時の建物基礎 このレンガ造りの基礎は、日本電気創立当時に建てられた建物のものです。 明治44年頃に建てられたこの建物は、赤レンガ造り2階建で、最新様式のたいへんモダン な建物でしたが大正14年から始められた旧本社ビル建設の際に姿を消しています。 このレンガ基礎のなかに、日本電気の草創期、新事業への情熱に燃えた先達の姿を偲ぶことが出来ます。 日本電気創業当時の建物の基礎 明治44年 当時としては最新の建築技術を駆使した耐震・耐火のレンガ造りの建物でした。この基礎は昭和53年に発見されたものです。 NECの歩み: 会社概…

  • 隕石 星のカケラが語ること 文京区教育センター

    文京区教育センターで開催中の東京大学総合研究博物館コレクション/スクール・モバイルミュージアム「隕石 星のカケラが語ること」を鑑賞した。隕石は46億年前の太陽系の誕生とその後のダイナミックな天体進化の歴史を記録したタイムカプセル。宇宙からやって来た、星のカケラである“隕石”は、どこの星から来た、どんな“石”なのか、多種多様な隕石を展示。南極や砂漠での隕石探査のフィールドワークや各地に残る巨大な隕石落下の痕跡である“衝突クレーター”を紹介。太陽系と地球の長い歴史を実感。 隕石 星のカケラが語ること 東京大学総合研究博物館 スクール・モバイルミュージアム スクール・ モバイルミュージアム (大学連…

  • 発掘と発見の考古学・明大考古学の75年 明治大学博物館

    明治大学博物館で開催中の企画展「発掘と発見の考古学・明大考古学の75年」を鑑賞した。本展は、群馬県岩宿遺跡や神奈川県夏島貝塚などの国指定重要文化財5件を中心とした考古資料の数々から、戦後の日本考古学研究を牽引した明治大学考古学の調査と研究の歩みを振り返る。 企画展「発掘と発見の考古学・明大考古学の75年」開催のお知らせ 明治大学 明治大学博物館 2025年展覧会案内①<発掘と発見の考古学・明大考古学の75年>1月11日(土)~3月15日(土)戦後の日本考古学研究を牽引した本学の調査と研究の歩みを振り返ります。※本展は、考古部門の常設展示室改修に伴い、主要資料を移設して展示するものです。#御…

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