本当にしばらくぶりの投稿で、ビックリ本ブログが2025年11月で終わりになるということで寂しい気持ち。怠惰でブログをかなり休んでしまい罪悪感ひとしおです。ブログの画面を前に戻したいのだが、忘れてしまったのか、まだ復元できないでいる浦島太郎のような心境
1864共感第三の五感は『共感』です。介護を媒介にして「共に感じる関係」とは、どういう人間関係を意味するであろうか。介護福祉士や訪問介護員の養成講座において「共感」とか「受容」という言葉を講師から口酸っぱく聞かされたことを記憶していることと思います。介護者(自分、私)の価値観をまず脇に置き、相手の悩み、苦しみ、不安、葛藤、態度などをあるがままに受け止めていくことから始まります。相手の喜びや悲しみ、怒りを共に感じていく状況に身を置いているかです。ひとつの場面、ひとつの瞬間のなかで相手と自分が一緒になって感じたことを「共有」し合う、その場所、その時に感じたことは二度とやって来ないのです。それだけに、いまを、その場所を、大切にしてかかわりあうことです。五感のケア(3)
1863感心第二の五感は『感心』です。講談社の漢和辞典(竹田晃・板梨隆三編)によると『感心』とは「すぐれたもの、みごとなものに深く感じること」「行動・態度などが立派なさま」と記載されています。日々関わっておられる認知症老人やねたきり老人の行動・態度から何を学び、何を深く感じ取っていくかです。意味不可解な認知症老人の行動・態度・言葉であっても、そこに深い意味が隠されています。そのためには常に「関心」(問題意識)もつことです。関心とは、読んで字の如く「心にかけること」「心を引かれて注意を払うこと」です。老いた人たちの呟きや言葉、行動・態度などに心にかけ、注意を払い、何を訴えようとしているのか、何を求めているのかを深く感じとれるかです。「感心」と「関心」感じる心心にかけるどちらも大切です。五感のケア(2)
1862感謝見出しに“五感のケア”と書いた五感とは何か、普通“五感”はと聞かれると、「人間が外界の刺激を感じる事ができる五種の感覚(五感)」を思い浮かんできます。それは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つです。ここではもうひとつの“五感”は、ケアサービスの視点から捉えていきます。それは、感謝・感心・共感・感動・感性の五感であります。まず、『感謝』の精神からケアが始まります。私(介護者)が居る(在る)からあなた(利用者、入居者)が居る(在る)のではありません。利用者が居るから私が居るのです。あなたが居宅介護事業者のサービスを選択していただかなければ私の持っている介護技術や専門的知識は活かされないし、また介護関係も成立しないことに、私たちは気づいているでしょうか。会社の組織に置き換えても同じことが言えます。社員が居る...五感のケア(1)
1861小銭が転がった今日は早朝5時30分前に車で家を出た自治医科大学附属病院の受診日7時30分に病院正面玄関が開く。診察券を予約機に通し採血室に向かう。8時50分皮膚科9時10分には循環器内科9時30分感染症科9時45分皮膚科に戻り看護師から右側頭部腫瘤の組織を切除し何の細菌かを調べるための手術の流れについて説明を受けた。4月18日14時に行うことになった。皮膚科の待合室で診察を待っていたときのことです。飲料水自動販売機の前に老夫婦が立っていました。夫は鞄から財布を出した。小銭を取り出したまでは良かったが、コイン入れに上手く入らず小銭を床にばらまいてしまった。意地悪く幾つかの小銭は転げた。傍らに妻は怒り口調で大きな声を出す。「なにやってんの」「いつもこうなんだから」「もたもたしないで早く拾ってー」お父ちゃんは...仲の良い老夫婦
1869オムツはしたくない93才のおばあちゃんが腰椎圧迫骨折をした。4週間の入院予定だったが、「病院に長く居ると歩けなくなる」、と息子に話し20日間で退院した。家(隠居宅)の玄関を入ると「家はいいなぁ」、と呟いた。入院中は紙オムツをさせなかった。「オムツは嫌だ」、と頑なに拒んだ。看護師は車いすに乗せ、トイレまで連れて行った。用足しを終えると「ありがとう」、と看護師に礼の言葉を告げる。家に帰っても床から手すりにつかまり自分で立ち上がる。炬燵のある居間からトイレまで息子は手すりをつけた。手すりを伝いながらトイレまで行く。「夜は、トイレまで行くのは大変だからオムツにしたら」、と息子夫婦は話すも「オムツはしたくない、トイレに行く」、と言い張る。介護用ベッドを降りたら2mほどの平行棒があり両手で平行棒につかまり寝室の出...トイレに行く!
1859体調が悪くても休めない介護霧と雪で覆われた田圃、流氷のように見える風邪を引き頭の中は、ボ〜ッとしているところへ更にボ〜ッとしている。体調が悪くても介護をされている家族のこと思うと本当に頭が下がります。風邪程度でへこたれている自分。病は気から寝込んでいる父母(夫婦)を見てbeagle元気は静かにしていた。夕方の散歩までは行けなかった。朝の散歩は20分ほどしてきた。お尻を我慢させるのは可哀想。熱が36.9℃まで下がり日中は起き出した。『女のいない男たち』村上春樹文藝春秋文庫を読み始めた。6編の短編小説で昨日は最初の「ドライブ・マイ・カー」と最後の「女のいない男たち」の2編を読んだ。自分は本を読んでから映画を見るタイプ今回は短編小説「ドライブ・マイ・カー」を読み終えたあと映画のイメージが湧いてこない短い小説を...beagle元気も心配してくれた
1858ダブルで寝込む阿武隈川から眺めた東北新幹線の高架橋まだ走っていないwifeは昨日コロナウイルスワクチン接種をした。3回目、今回も39.0℃近くの熱打ったところも痛く、左腕が上がらない心配夕方、ホームドクターとも言うべきクリニック受診風邪の症状で咳止め、痛みと発熱を抑える薬を処方されたいま、熱は36.9℃ダミ声でまだ喉が痛い鼻水と痰がよく出る頭はいつも以上にボ〜ッとしていて躰が怠い明日には快復したい私的なことを書いてしまった咳、高熱
1857高見順「老いたヒトデ」(『死の淵より』講談社文庫)文庫本『死の淵より』のなかでラストに掲載されている詩である33年前に「老いたヒトデ」を読み、寝たきり老人や認知症老人のことが頭に浮かんだ長くなるかもしれませんが最後までお付き合いいただければ幸いである真夏の海水に裸足で入ったとき裸足(あし)にヒトデが触れようものなら若い娘は大変!「踏みつぶすのも気持ちが悪い」と蔑まれるほど人間様に嫌われてしまう老いたヒトデ老いた人も同じく疎まれ嫌われている「一時は海の星と謳われたあたしだ」老いたヒトデもかつては海のスターと謳われていた人間は、「ハマグリを食い荒らす憎い奴」とヒトデを嫌い更に「食用にもならぬ」と蔑んでいたヒトデは呟く「海を荒らし、汚くしているのは人間である」老いた人のなかには「福徳円満」な人もおり穏やかな気...老いた人の叫び「もう生かさないでくれ」
1856幻想風景春なのに雪が降り地は底冷え白い霧の向こう側はどんな世界だろうか喉が腫れ咳が出る熱はないがトローチを舐めたら気持ち喉の痛みやわらいだ病院に行こうと思いきや保険証、診察券は職場に置いてきてしまった失敗夕方受診予定今日は皆様のところ訪問できずすいません声変わり、喉をやられた
春の川1855糞まみれIアツアツの白いご飯(米)を食べ、胃腸に入ると消化吸収され残り滓は「ウンコ(糞、便)」となって肛門から排出される。口から食べたときの米は白かった。肛門から出たときは黄土色のウンコ(糞、便)になる。色も形も変化した。「糞」という字を分解すると、「米」と「異」の組み合わせになる。米が異なった物に変わり、糞が排せつされる。日本の漢字は、上手く表現され、意味のある文字が多い。話は180度パノラマ的に変わる。老いて括約筋が緩くなり言うことを聞かなくなると我慢というか、こらえ切れず自分の意思とは無関係に便失禁(俗にウンチ垂らしを)してしまう。自分も一度便を漏らしたことがあった。人工透析をしているときのこと。透析は4時間近くかかる。あと20分で透析が終わる頃「水を引きすぎ」たせいか、血圧の数値が60/4...恥ずかしい、申し訳ないの気持ちになった
那須連山はまだ雪が降っている1854妻に見送られ・・・数日前に書いた「1851寝た要介護老人を起こす」の相津芳雄さんが永眠された(84歳)ご冥福をお祈りします。彼岸の日だった昨日朝7時2分携帯電話が鳴った。うめ子さんは泣きながら「今日亡くなった・・・。どうしたらいいのかわからないので、電話しました。朝早くにすいません」「大変でしたね。何時ごろお亡くなりになりました?」「朝5時頃起き、ベッドでまだ寝ていたので、『お父さん、おはよう』と、言葉をかけた。返事がなかったので、額に手を当てたら冷たく、顔が白かった」「その後どうされました」「救急車を呼んだら、そのうち警察署の人が来て、連れて行った」「いまから、お伺いします・・・」「お待ちしています」真っ赤なアルトを運転し、相津さん宅に到着。3月19日借りたばかりの介護用ベ...父ちゃん今日亡くなった
1853共に老い行く来月8日が誕生日9才になるbeagle元気雨が降る朝夕以外は、毎日散歩する元気のお陰で「歩く」ことが続いている元気も老いてきたのか耳の縁は薄白くなってきた目尻には黒い大きなシミができていた玄関にある下駄箱の鏡の前に立つと頭から足首の上まで写る自分の姿を見て「知らぬ間に自分は老いた」ことに気づく元気と歩いてきて9年前は早足で60分余り散歩していたいまは、腰椎圧迫骨折、頚椎ヘルニア、左膝の動きが鈍いこともあり散歩は団地周辺20分程度の散歩に縮小された足から老いがやってくる、というが足(脚)の筋力低下を防ぎ、何とか現状維持はしたい若い時から運動嫌いだったのが、たたっているのかもしれな。自分は数多くの薬を服用しているためサプリメントは飲んでいない元気は7才のとき腰椎ヘルニアになったいまは痛みはなくホ...共に老い行く
1852小さい春見つけた日曜の朝もbeagle元気と散歩路端に小さい春を見つけた小さい小さい蕗のとうが顔を出し「おはよう」、と聲をかけてくれた老いても男は我儘で病や寝たきりになると元気が失せ妻に甘えてしまう老妻が老夫の介護をする方が多いのかもしれない振り返って見て老夫が老妻の介護をされた家族を思い出そうとするが思い浮かばない献身的に妻を介護されている夫の話(ブログ)を目にする三十年も昔の話です特別養護老人ホーム開設の準備をしているときで暇な時間がありました。自分の他に福祉専門学校の教え子が2人いた。3人で老夫婦のお宅を週2回訪れていた。その家は75歳の夫が72歳の妻の介護をされていた。妻は脳梗塞後遺症で歩けず左半身麻痺(要介護3の状態にあった)まだ介護保険サービスはなく、花婆さんは、家で三毛猫と過ごしていた。夫...昔は若かった
1851寝た要介護老人を起こす梅の花が咲き始め春は目の前まで来ている、と思った矢先昨日はみぞれと大雨が降り春が遠くなったような気がしたそれでも春は訪れる梅の花をひとつ一つ見て見ると同じようで違う花びらの大きさや形、色あいなどそれぞれの花は微妙に異なる老い方も人それぞれ違う老いた夫婦の関係も人それぞれ元気なとき、妻に対し優しい言葉や態度を示してきたかそれでも大正、終戦前の昭和に生まれた人たち老いても夫に従う妻が多い一週間前まで歩いていたのに蒲団に臥せてしまい自分で食べることもしないほど意欲低下今日で80歳になった妻はお粥を食べさせている。両手は動くのに、どっぷり妻に依存している。痩せこけても男の躰を動かし、紙オムツを取り替えるのは大変濡れても紙オムツを取り替えずとも大丈夫、と言う夫1日一回しか取り替えないから、濡...両膝折れするほど立てなくなった男老人
1850思うように行かない老いてくると足元がおぼつかずダンスはうまく踊れない(井上陽水作曲)ダンサはうまく上がれないつまらないことを書いてしまったお詫びに東北の玄関口に咲いた梅の花を届けます老いると思うように躰が動かない
1849人間死んだら☆彡(星)になるんだよいちばん大切なものは何か子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と。本当にそうだったら素敵な話です。死んだら星となって輝き天から大切な人を見守り続けることができたらどんなによいかです。「星の王子様」(新潮文庫)は大切なものを失ってはじめてわかります。あなたにとって“いちばん大切なものはなんですか。病気になってはじめて健康のありがたさがわかります。大切な人を失ってはじめてかけがえのない人だったことが身に染みてわかります。自分という人間が死んだら、棺に収められます。棺はダンボール製がいいな、そのときは納棺師をお願いし人生の最期においても取繕い美しく逝きたいものです。白髪の女性老人と一緒に茨城県の笠間焼を見に行ったときのことです。彼女は...いちばん大切なものは何か
1848死んだ男の残したものは作詞:谷川俊太郎、作曲:武満徹死んだ男の残したものはひとりの妻とひとりの子ども他には何も残さなかった墓石ひとつ残さなかった死んだ女の残したものはしおれた花とひとりの子ども他には何も残さなかった着もの一枚残さなかった死んだ子どもの残したものはねじれた脚と乾いた涙他には何も残さなかった思い出ひとつ残さなかった死んだ兵士の残したものはこわれた銃とゆがんだ地球他には何も残せなかった平和ひとつ残せなかった死んだかれらの残したものは生きてるわたし生きてるあなた他には誰も残っていない他には誰も残っていない死んだ歴史の残したものは輝く今日とまた来るあした他には何も残っていない他には何も残っていない小さな国のベトナムが大きな国のアメリカに勝利した南北のベトナムはひとつになったベトナム戦争は終結したプ...プーチン大統領がウクライナに残した戦争犯罪
1847ウルトラマン今日はウルトラマンに会ってきた。福島空港にはたくさんのウルトラマンがいます。須賀川市庁舎玄関前光の広場にウルトラの父が警備していました。居宅サービス計画作成届を提出。北は須賀川市から南は那須町までの45㎞余りの距離範囲で要介護老人宅を訪問し、ケアマネジメント(介護相談等)を対応しています。今日から4日連続で(そのうち3件は新規)サービス担当者会議を予定しています。ケアプラン作成に追われ、猫の手も犬の手も借りたいくらいです。ブログまで手がまわりません。すいませんです。ウルトラの父
1846痒い所に手が届かない風呂場でのこと自分で背中を洗うけど肝心の痒いところに手が届かず歯痒い思いがするふと、介護とは相手がして欲しい、してもらいたい、というところに手が届いているだろうかなななか背中のここを洗って欲しい、とは言いにくく遠慮がちになってしまう。どう気づかい痒いところに手が届くか「隔靴掻痒」という言葉がある靴の上から足の痒いところは思うように搔くことはできない思っていることが思うようにならない隔靴掻痒
1845ロクシタンハンドクリーム犬の手(前足)の裏側は、可愛い(猫の手も同じく可愛い)にんげんの赤ちゃんの手も可愛い。しかし、老いてきた我が手の背を見ると皺が目立ってきた五本指を握り「グー」にすれば、皺は伸びる五本指を伸ばし「パー」にすると、皺が現れる。昨日、仙台駅Sパルで、ロクシタンハンドクリームを買ってきた。自分へのご褒美かな?朝風呂上がりに「サクラサボン」を掌に塗ってみた。皺が美しく伸び、皺が「消えた」掌の皺を隠す?
1844要支援の認定結果が出たら、要介護にならないためにも、予防介護サービスを積極的に利用する年金受給額の多い少ないで老後の生活、医療費、介護保険サービスは大きく影響されます国民年金だけの受給額は厳しく寝たきりになった場合十分に介護サービスを使えることができず要介護老人とその家族の肉体的精神的負担は大きいものがあります誰もが介護保険料を納めています(年金から徴収されています)が、平等に介護サービスが受けられるとは限りません。年金受給額のなかから、介護サービスに使えるお金はいくらまで可能ですか、と初めての訪問のとき必ず尋ねます(聞きずらいことですが、ケアプランを作成する上で必要です)勿論介護サービスだけでなく、高齢者福祉サービス、難病に対する制度や障害者手帳の発行などの支援も検討していきます。要介護・要支援介護認...要支援の認定を受けたら、予防介護サービスを利用しよう
1843寝た夫を起こす半世紀以上も連れ添った老夫婦「妻は夫をいたわりつつ、夫は妻に慕いつつ」夫婦愛を表したもの心不全と前立腺肥大の病を抱えこの半年で入退院を4回も繰り返した一番最後に入退院をしたのはひと月前その時はつかまりながらも歩けた食べなくなり、十数kg以上も体重が減った。畳みの上に敷いた蒲団に寝る日が続いている。卵入りのお粥も少しだけしか食べない両手は使えるのに、妻に食べさせてもらっている。ひと月前は要介護2の認定を受けたいまは自力で寝返りする意欲さえ失せた老夫要介護5のレベルまで下がった「どうしていいかわからなくなってしまった」老妻「元気になって欲しい」「食べて欲しい」などと言葉をつなぐ。蒲団(畳み)から立ち上がるのは難しい畳みの上で紙おむつを取り換えるのは大変です介護用ベッドならば柵(サイドレール)に...男は弱い生き物?
春の川1842単純バカ今日、初めて訪問した家の奥様からわたしの間抜けた顔をみて「年若いでしょう。まだ、60才になっていないでしょ〜」、と話され顔が綻びながらも「お世辞半分以上混じってるよ」、と思い直し自分の年を言わずに「昭和27年生まれだから、年はとっています」、と答えた。素直に「69歳」、と話せばいいのにバカだな、と気持ちのなかで反復した。老けたな、疲れている顔だな、と相手からそのような印象を受けないよう元気、気力で行くとしよう〜お世辞かもしれない
光と影。大きな捨石の傍に福寿草が咲いている。1841妻は夫に従い・・・糖尿病があるも、まだまだ血気盛んな夫。妻である私は、十年前から病魔に襲われ躰のあちこちは痛みだらけ。大腸癌(ステージⅢ)を患い、手術施行し症状が落ち着き、わが家に帰ることができた。嬉しさもつかの間、老夫は「昼飯をつくってくれないか」、と話しかけてきた。覚束ない足で台所に立つと、泪がでてきた。退院したとは言え、まだ半病人の私スーパーの弁当や出前を食べ、横になりたかった。仕方ない。夫は頑固で何でも自分の思い通りにしてきた。妻は夫に従うもの。だから、妻が病み痛くても気づかない。用事で出かけたとき彼女は胸の内を話してくれた。風呂場やトイレに手すりをつけたがらない。見映えが悪いから、家に傷をつけたくない玄関上がり框のところに突っ張りの手すり(ネットで検...痛みは目に見えない
早朝風景1840手につかまり歩く老いて足元がふらつき転倒してしまうのではないかと娘は老母の手首をつかみ足速に歩く母親に比べ歩幅の小さい幼児は歩幅が合わず走り歩きのようになり阿吽の呼吸がとれず躓き転んでしまい路端にしゃがみ込み泣いてしまう老母も同じく娘の足に追いついていけない幼児と同じく「ゆっくり歩いて」、と訴えることもできない手首をつかまれた人に合わせて歩かねばならない老母が娘の手を握る娘の足が速くなり、自分の足が追いついていかなくなり転びそうになる前に、老母は娘の手を離す歩行介助の主体者(主役)は誰か(介護の主体者は誰か。利用者(老人)であると介護のテキストに書いてある)老母や幼児が主体者歩行の場合、手を握るのは老母である介護者に手をつかまれ、転びそうになり「危ない」、と思っても自分の身体を守ることができない...主体者は誰か
1839孤独死老人(高齢者)には、民間アパート入居お断りが多い。とくにひとり者の老人の場合、孤独死を想像してしまうからであろう。自分の家(自己所有)であっても、孤独死をすると「不幸」な死として見られてしまう。果たしてそうであろうか。長年住んできた家の中には思い出の写真や旅行のお土産(飾り物、郷土土産など)があったり柱には子どもがつけた傷痕仏壇や遺影がかざられている。古くなり傷んだ我家ではあるが一番心が落ち着くそこでひとりで死を迎えたしても寂しくはない。雛は育ち巣から飛び立ったように子どもたちも巣立ち、家に残ったのは老親だけ家を守る老親疲れた鳥がいつ帰巣してもいいようにひとり暮らし老人になっても最後まで我家で暮らし我家で死にたい不幸な死、寂しい死だと決めつけて欲しくない我家で死ねたこと、本人にとり幸せな死であった...死に方
1838世話が大変になった・・・昨日はとてもショックな話を聞いたその家の家族になって12年小さな子犬子犬は、散歩に出ることもなくウンチはゲージのなかでする家族がいないときウンチを食べてしまうひもにつながられており家のなかを自由に歩くことはできない訪問すると人懐こく小さな舌をだし甘えてくる本当に可愛い子犬12年も家族であるのに「世話するのが大変になったから誰かもらってくれないだろうか」「・・・・・・・・・」わが家にはbeagle元気(今年の4月8日で9歳になる)がおりシニアの世界に入った子犬もシニアにあり一緒に暮らすのは難しい子犬の落ち着く先を探し求めている老いた子犬
1837死を悼む連日、ウクライナの人々のことを思うと、居ても立っても居られない家族を殺され、親をなくし、子をなくし、家をなくし、仕事をなくし、街が壊され逃げ惑う弱い人たちを容赦なく殺すプーチン新聞の写真には老人が杖をつき避難する姿ぬいぐるみに拠り所を求め、ぬいぐるみを抱いている子どもウクライナは寒く、食べ物もなく飢え、彷徨い歩く亡くなった父や母、わが子、祖父母の亡骸を埋葬することもできずいたたまれない気持ちで祖国を去るひとりの「死」は、「亡くなる」ことを意味し、その人がもうこの世に「居なくなる」ことである。「亡くなる」ことは「居なくなる」ことであり、この世にその人の存在が「無い」ことに列なる。息をひきとる瞬間まで、この世に存在していたかけがえのない人が、「死」によって、もうこの世には存在してない。会いたくても言...死を悼む
「風景」としての死『臨死のまなざし』から教えられたこと(6)最終回『臨死のまなざし』195頁昭和初期までの日本は、病人の部屋があった。大正昭和に一世を風靡した抒情画家竹久夢二のデッサン『病むおじいちゃん』が『臨死のまなざし』でみることができた。病気で伏しているおじいちゃん枕許の薬瓶と薬袋そして病気のおじいちゃんに付き添い何か声をかけようとする孫娘。もしかしたら、この伏しているおじいちゃんこそ竹久夢二だったのではないか・・・・。こうした『病むおじいちゃん』のような風景はかつてはどこの家庭でもみられた在宅介護の原風景であった。昭和30年代からの高度経済成長のなかで核家族化が進み、家庭の電化普及(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫は三種の神器と言われた)、教育の過熱やマイホームの所有により、女性就労が増え、日本の家族風景は一...1473;「風景」としての死
那須連山1836手を使う老い往くにつれ、体力、筋力が衰えたとき寝床から起き上がる。(ベッドマットは硬いものがよい)仰向けから右側に向く(右が麻痺しているときは左側に向く)前に、頭から肩下位まで幾分左側にずらす足、脚は右側(ベッドの端)の方にずらし、首から足先まで真っ直ぐになる。(本人ができないときは、介護者が頭、肩を左側にずらし、ついで足、脚をずらす)躰を右側に向く右腕は、躰に対して45度から60度程度の角度で腕を置く。右肘を支点にして、右手背(右手甲)に左手を乗せ、左手は右手をおさえ、右腕に加重をかけ押し上げながら躰を起こす(片ひじで立ち上がる)(本人が左手が使えないときは、介護者は本人の手の上に手を乗せおさえる)本人は首を前にだすような感じで起き上がる(起き上がりが容易でないとき、本人は左手を介護者の首に回...「できる」「できない」を考える(7)
1835片足を上げる一昨日、整形外科を受診した。中待合室の壁に「1日3回骨折予防習慣」のポスターが目に止まった。何が書いてあるのか、と気になり近づいた。齢(とし)を嵩ねていくと、躰を支える骨と筋肉が衰え転んだとき骨折してしまいがちになる。他人(ひと)事ではなく、我身も同様に衰え頚椎ヘルニアと腰椎圧迫骨折の憂き目に有り、痛みほ癒えぬ。寝たきりにならないよう1日3回開眼片脚立ちを行うことで骨折の予防になる。早速、今日から骨折予防習慣を取り組んでいくとしようか。生活のなかでも片脚を上げる行為(動作)はある。ズボンや靴を穿くとき、浴槽をまたぐとき階段の昇り降りもそうである。片脚を上げる動作は安定したバランスが求められる。脚の筋力が衰えてくると、手すりなどにつかまり片脚を上げる。歩く、左右の脚を交互に上げ連続していく動作...骨折予防習慣
春陽1834戻ることができない人間は外に出たがる生き物コロナウイルス禍は老人にも大きな影を映し出している家族から「外に出てはいけない」、と話され「閉じこもり」の状態が続いている。そのせいか、言葉を忘れ、足の筋力は衰えうつ的傾向や認知症の症状が出てきている人混みのなかでなければ、外へ出よう春の風が吹き始め福寿草が咲き始めた。認知症老人も外にでたがる。出たがるときは、一緒に外へ出て春の風を感じてみようか。認知症老人は「徘徊」する、と言われる。「徘徊」という言葉は、自分は好まない。徘徊の意味は、目的もなく歩く。目的のない歩きはない。認知症老人は路に迷って、家に帰れなくなり予想もつかない処で発見されたりする。認知症老人は、路を真っ直ぐ進むか、左右に曲がり歩き進むが、戻る、引き返すことができない。時間も人生も戻ることがで...「徘徊」老人の思い
1833患者に臨む砂時計から落下する砂を見ていると流れ往く時間に映る。落ち往く砂は早く残された砂は少なくなってきた。老人にとってもわたしとっても残された星の砂は貴重なな時間である。老人の顔に深く刻みこまれた皺、節くれだった手指から、わたしはなにを感じなにを話すのか。病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。読んで字の如く「床に臨む」となり「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり「臨む人」は医師や看護師である。直訳するとベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、向き合っている医師、看護師は何を為さねばならないのか。介護の世界においても同じである。ベッドは畳(たたみ)一畳の程度の限られた空間のなかで、寝たきり老人は生活している。ベッドに臥床(がしょう、寝ている)している老人を目の前に...「臨床」とは
1832年だから(老人だから)人間にとり「水」は、生命(いのち)をつなぐ認知症老人は喉が渇いても、水を飲むことがわからずにいる。皮膚はカサつき、尿は紅茶色になり尿路感染を誘発させる。水を飲むことを忘れた百代婆さんは、38.9℃の高熱を出し眼をあけることもできずにいた。自宅に電話をかけたら長男がでた。「デイサービス青空の家です。朝から熱があり、いま38.9℃の熱があります。大変でもお迎えをお願いします」。15分後に長男の車が到着した。「ご苦労様です。大変ですが、この足で受診をお願いできたら助かります」いまから、孫を(保育所まで)迎えに行かなくてはならない、と長男は他人事(人ごと)のように素っ気なく話す。その言葉に返す言葉もなく、その場は過ぎた。翌日の朝、自宅を訪れ熱を測ったら、体温計は37.3℃であった。「熱があ...医師もいろいろ
1831ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』角川文庫ロシアの侵略によるウクライナで戦争の勃発を知り30歳頃手にした『ジョニーは戦場へ行った』文庫本を思い出した。この本のことは頭の片隅に忘れていた。街場の書店の棚には並んでいない。第一次世界大戦の話で、ジョニーは異国の戦場にいた。砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目、鼻、口、耳、そして両腕、両足を失った。肉塊の状態となり、ヘレンケラーよりも、さらに重い重い障害を抱えた。そのような躰になっても首と頭だけは動かせた。意識はあり、思考することはできたが、光も音も匂いも感ずることができず暗闇と孤独の世界におかれたときの絶望感自ら死ぬ事もできない自分の躰人間の存在と時間のもつ意味を深く考えさせられた頭と首だけが唯一動き、意識はあった。自分はいま、どこにいて、いま何時...プーチン大統領に捧げる『ジョニーは戦場へ行った』
1830ジッと生きる去年の今頃95歳だった彼女は、「もう体力の限界かな」と感じ、「桜の花が観れたらいいのに」そう思っていた。ベッドに臥すまでは、麻痺と筋力の衰えた足でピックアップウォーカーを使いこなし30㎝ものある段差を乗り越え、歩いていた。二度目の「東京オリンピックを観るまでは死ねない」そう話していた彼女。「冬季北京オリンピック」閉会式も終えた。いまは、歩くことも起き上がることもできなくなった。介護し続けてきた長男嫁は60半ばになり、介護歴十三年を数え長男嫁は膵臓の持病を抱え左脇腹などの痛みを堪え、姑の介護を続けてきた。ちりめんじゃこや青物野菜が入ったお粥と一日500ccの水分を摂り朝夕の2回おむつにオシッコをする。十分な栄養と水分には満ち足りてはいないけれど床ずれ一つ作らず、きれいな肌で生きている。長男嫁は...冬から春へ
1829泪が出るほど痛い十数年前にストレスが嵩じたのか頭部左側面の内側(頭部の中)に帯状疱疹になり言葉で言いあらわせない痛みに襲われた突然、痛みが襲うwifeが頭部右側、痛みが突き抜けるマスクの紐が触れただけでも痛いロキソニンを服用しても痛みはいくらかやわらぐだけ余りの痛さに両目尻から泪が滲み、頬を伝わり流れる。どうしてあげることもできない。一緒に通勤し、一緒に帰宅した。顔面麻痺にならないことを祈る。野の兎を追いかけるほど忙しく皆さまのブログ訪問が途切れますことをお許しください。帯状疱疹
1828病気ニモマケズ星光輝「病気ニモマケズ」病気ニモマケズ障害ニモマケズ肺炎ニモ夏ノ熱中症ニモマケズ丈夫ナカラダヲネガイ慾ハナク決シテ諦メズイツモシズカニワラッテヰル一日塩分六グラムト野菜ト少シノ肉ヲタベアラユルコトヲジブンノカンジョウヲ捨テサリヨク立場ヲワカリソシテワスレズ施設ノ居室ノカーテンノ陰ノ小サナ特殊寝台ニジット生キテイル東ニ寝タキリノロウジンアレバ行ツテ介護シテヤリ西ニツカレタ家族介護者アレバ行ツテソノロウジンノ世話ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニ惚ケタ人ガミチニマヨッテイレバモウ安心ダカラネトイヒナカマガ他界シタトキハ泪ヲナガシゲンキデ春ヲムカエタトキハ桜ヲミルヤクニンニヨウカイゴロウジントヨバレネンネン介護給付ハキビシクナリ苦ニモセズニワタシナリニイマニイキテイ...宮沢賢治の雨ニモマケズを「編詩」しました
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本当にしばらくぶりの投稿で、ビックリ本ブログが2025年11月で終わりになるということで寂しい気持ち。怠惰でブログをかなり休んでしまい罪悪感ひとしおです。ブログの画面を前に戻したいのだが、忘れてしまったのか、まだ復元できないでいる浦島太郎のような心境
2046根深い”コロナ感染”75歳になるひとり暮らし老人から「喉が痛い、いがらい(いがらいぽっい、えがらっぽい)」と訴えがあった。喉が赤く腫れ、ヒリヒリする感じなのであろうか。透析をしているのに、「市販のかぜ薬を買ってきて」とヘルパーにた頼む。ヘルパーから電話があり、彼の場合は透析糖尿性腎症があり市販のかぜ薬は厳禁であることを話す。チョッとした「咳がある」「微熱がある」「腹が痛い」などの症状があるとかぜ薬、腹痛を抑える薬で「治そう」とするのは危険なのです。どんな原因による発熱なのか、わからない。「かぜである」と安易に判断し、市販の薬に手を出してはいけない。医師から処方された薬との「飲み合わせ」があり、副作用が心配。どんな原因による腹痛なのか、わからない。昔の人は、何かあると「正露丸」。正露丸は万能薬のよう...ひとり暮らし老人のコロナ感染の疑い?
2045wifeの誕生日10月20日、wife50歳の誕生日「わたしが70歳になっても生きていてね」「92歳になるね。多病息災であるがそれまで「健康」で元気で頑張らないとね」「それまで”大切にしてね”」、と話したら「甘やかしすぎないから」、と言葉を返したとき二人で笑ってしまった。beagle元気はいま、11歳の老犬。いつも老いぼれの二人で散歩しています。今年の夏は暑かったので一日の散歩は3000歩にも満たなかった。結果循環器内科の女医(主治医)から「血栓の数値が悪いね。歩いている?」、と尋ねられた。「暑いので余り歩かなかった」、と言い訳すると「歩いた方がいいね」いま、7000~8000歩の散歩に回復元気のお陰です。「(わたしが)70歳になっても生きて欲しい」
2044老犬がいつもわたしの隣にいる85歳を過ぎたある婆さんの話です。細腕で建てた2階建ての家に、ひとり暮らす。糖尿病と視床出血後遺症と認知症を患い、自らセダンタイプの車を運転しながら近くの病院に通う。腎臓もボロボロになり、本来ならば血液透析治療をしてもおかしくない状態なのである。20~30キロ走行なので、彼女の後は大渋滞の様相になってしまう。かかりつけ医から、検査データーは超最悪で「生きていることが不思議なくらい」「他の婆さんならばもう死んでいてもおかしくない数値です」、と言われ彼女はとうとう観念し10月15日入院した。世の中は便利になったもので、金さえ払えば手ぶら姿で入院できる。入院中は、アメニティセット(入院時に必要な「寝巻・タオル類・紙おむつ・日用品等」の有料サービス)で事足りるのです。彼女は、そ...やっと入院した
2043無に帰る無帰人間死んだら無になる自分の躰も煙となって消え逝く遺骨となって墓に埋葬されるそう想うと寂しくなる自分は無になったら何が遺るのか遺るものが無くなってもいいあの世に何も持って逝くことができない自分はとても小さな墓に「無」と刻む一輪の花を飾れればそれでいい無に帰る
2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛
2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい
2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号
2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号
白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる
2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン
2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている
2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる
2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う
2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み
2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である
2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く
2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」
2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく
2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛
2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい
2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号
2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号
白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる
2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン
2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている
2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる
2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う
2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み
2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である
2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く
2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」
2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく
2027乗り遅れそうな乗客を待つバスの運転手味噌汁は“おふくろの味”ともいわれ、家庭によって味が違う。三木春治さんにとって家庭の味といえば妻志乃さん(77歳)がつくる“味噌汁”であり、元気の源でもあった。しかし、桜の花弁が散る4月の或る日の朝の出来事。春治さんは、今日の朝起きてみると腹が脹れ(はれ)あまり朝食を食べたいとは思わなかった。けれども、妻が想いをこめて作ってくれた豆腐入りの味噌汁を味わった。ご飯は茶碗半分余り残し箸を置いた。どうもお腹の脹れと胸のあたりが急にむかつきはじめ苦しくなり、食卓にうつ伏せ状態になり倒れた。救急車で病院に搬送されるも力尽き永眠された(ご冥福をお祈り申し上げます、78歳)。昨日まで元気な様子であっただけに、突然の訃報は驚きと同時に深い悲しみを抱いたのは、わたしだけではなかっ...一杯の味噌汁
2026雪かきができない躰力茨城県筑西市から東北自動車道経由で白河の関を越え東北の玄関口の地に着いた。積雪30cmあり、数年ぶりの雪雪でした。揺れる車中、スマホで『老い生いの詩』を操作していたら昨日のブログのコメントを書き終えとところで車の振動で指先が狂い消去されてしまい、茫然(ぼうぜん)となった。不慣れなことはするものではない。小さな平屋(30坪、築15年)の小さな庭は30㎝の雪。心臓に負担がかかり、躰力もなく雪かきは「出来なくなった」。wifeは自分と同じ屋根の下で生活する前までは雪かきがしたことがない。いまは雪かきは手慣れてきた。読売新聞日曜版のトップ記事に旅を旅する、だったかな城崎温泉の写真が掲載されていたのをスマホで「パシャリ」した。明日から介護の世界に戻る。数年ぶりの30cmを越える積雪
2026盲腸8㎜のポリープ切除ご縁地蔵筑西市五所神社付近3回目の大腸検査初回は15年前、腎臓移植のとき2回目は2023年12月21日胃の検査、大腸検査検査の結果、食道裂孔ヘルニア、萎縮性胃炎(C-1)、盲腸ポリープ8㎜があると告げられた。問題のないポリープだが放置しておくと良くないので、切除した方がいい、と説明された。3回目は盲腸ポリープ切除術を施行するためには腸管洗浄をしなければならない。切除術前に2時間という短い時間に腸管洗浄剤(2ℓ)を飲むのが苦痛だ。齢71の自分、wifeは「便失禁防止に紙パンツわ穿かないとダメよ」と言われ渋々紙パンツのお世話になることになった。紙パンツを穿くのは2回目になる。初めての紙オムツ体験初めての紙パンツを穿いたのは平成3年のとき。紙パンツを穿いた状態でオシッコをした(尿失...苦痛の大腸検査
鉄線はつづくよどこまでも鉄塔の隙間から筑波山を眺める遙かな先の線路は終着駅遙かな先の路は終点(行き止まり)遙かな先の海は帰港地遙かな先の鉄線は我家の電燈始発点の先は終着点オギャ〜と産ぶ声をあげた先は死そう考えてしまうと虚しくなってしまうキッズソング せんろはつづくよどこまでも 童謡 I'veBeenWorkingontheRailroad(coverdbyうたスタ)線路は、はるかなまちまでぼくたちのたのしいたびのゆめつないでいる『せんろはつづくよどこまでも』の詩は遙かな先きまで夢をつないでいる。夢は無限である。オギャ〜と産ぶ声をあげた赤ん坊は無限の可能性を秘めている。線路も路も海も鉄線も遙かな先の町はどんな処か想像してしまう。こどもごころの頃山の向こうはどんな風景なのか、と想像していた。どこまでもつづく鉄...遙かな旅の夢
2024鉄線は続くよどこまでも筑波山が見える関東平野、鉄塔が立ち並ぶ昨日は事務的な仕事に追われて、筑西市(茨城県)に帰るのが遅くなり21時前に着いた。wifeの父の一周忌法要。「家に帰ったよ」、帰ってくるような感じさえする。。短い時間ではあったが最後は寝たきりになったものの自宅の畳の上で妻、二人の娘と大の親友に看取られながら逝った。別れの言葉を交わし、穏やかな顔だった。実家(wife)から福島に帰るときは「気をつけて帰れよ」といつも言葉をかけてくれた。「パチンコに行こう」、と誘う。不自由ながらも杖をつき歩き軽トラに乗りパチンコ屋に向かった。二人とも大当たりはなく損したまま帰るも、楽しかった。筑波山朝夕合わせて100分余りの散歩。夕暮れ前の筑波山を眺め見る。旧下館市は第二の故郷。関東平野は閉塞感がなく、開放...先の向こうにはどんな風景かな・・・・・