令和5年10月14日熊本県天草市の「倉岳山頂神社」へ。「倉岳山頂神社」は、古くより天草地方の人々が霊山と仰ぐ、天草諸島最高峰(標高682m)の倉岳山頂に鎮座し、漁民と航海の安全が祈願されます。山頂までは道幅が狭いカーブの連続が続くため、特に
東海・関西の寺社を中心に、御朱印約2000体・御朱印帳約190冊を掲載!趣味の山歩きとランニングを生かして、できる限り自分の足で寺社(御朱印)を巡ります♪
【愛知】尾張名古屋の総鎮守「若宮八幡社」の御朱印【大須編④】
令和5年4月23日大須から若宮大通りを渡ってすぐの「若宮八幡社」へ。「若宮八幡社」は、文武天皇の時代(700年頃)の創建と伝えられ、慶長15年(1610年)徳川家康公の名古屋城築城に際して現在の地に遷座し、武神の神・外敵防護・領内鎮護の神と
【京都】伊藤若冲の菩提寺「宝蔵寺」のドクロ御朱印帳&期間限定御朱印
令和5年3月26日京都市中京区の「宝蔵寺」へ。「宝蔵寺」は、弘法大師空海の創立と伝わり、文永6年(1269年)如輪上人により元西壬生郷に開基され、天正9年(1581年)玉阿律師により中興再建された後、天正19年(1591年)豊臣秀吉の寺町整
令和5年3月21日滋賀県甲賀市の「水口城」へ。「水口城」は、寛永11年(1634年)三代将軍・徳川家光公の上洛に際し、東海道の南側に「宿館」として築かれたものの、実際に家光公が利用したのはその1度きりであったそう。また、天和2年(1682年
令和5年3月21日滋賀県甲賀市の「水口神社」へ。「水口神社」は、創建は定かではないが、平安時代の延喜式では近江国155座・甲賀郡8座の1に選ばれるなど、古くから大宮大明神と称され、信仰を集めたそう。また、当社の例大祭「水口まつり」では、享保
福島県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。白虎隊にまつわる寺社やお城のほか、喜多方ラーメンの聖地など盛りだくさんです♪随時更新中!(10寺社・14体)【福島市】福島稲荷神社【郡山市】開成山大神宮安積国造神社...
宮城県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。仙台藩主・伊達政宗公にまつわる寺社や、仙台出身の羽生結弦ファンの聖地の神社など盛りだくさんです♪随時更新中!(20寺社・36体)【仙台市】輪王寺仙台城瑞鳳殿...
【三重】和傘や花手水で彩られた♪土御前「彌都加伎神社」の御朱印
令和5年2月26日三重県鈴鹿市の「彌都加伎神社」へ。「彌都加伎神社」(みずがきじんじゃ)は、遠い昔からこの地で「土」に携って生活していた人々や土地の有力者達により、土を司る神様がお祀りされており、醍醐天皇の延喜5年(905年)大土御祖神を村
【愛知】うさぎの副印が可愛い「菟足神社」の御朱印&ローストビーフいくら丼
令和5年2月22日愛知県豊川市の「菟足神社」へ。「菟足神社」(うたりじんじゃ)は、白鳳15年(686年)の創立とされ、穂の国(東三河)の国造に任ぜられた菟上足尼命をこの地にお祀りしたのが始まりと伝わります。また、稲の豊作を願う「田まつり」や
【三重】県下最大の前方後円墳!日本武尊の御陵「白鳥塚」を祀る「加佐登神社」の御朱印
令和5年2月26日三重県鈴鹿市の「加佐登神社」へ。「加佐登神社」は、日本武尊と天照大御神を御祭神とし、伊吹山の戦いで傷つき病に侵された日本武尊がこの地で生涯を終えたと伝えられます。本殿北の「白鳥塚」は、県下最大の前方後円墳であり、古くから日
【愛知】ほのぼのとした力寿姫の絵入り御朱印に癒される♪「宮道天神社」の御朱印
令和5年2月22日愛知県豊川市の「宮道天神社」へ。「宮道天神社」は、天武天皇元年(672年)天智天皇の皇子・大友皇子と皇弟・大海人皇子が皇位を争った壬申の乱の際、草壁王子(大海人皇子の子、後の天武天皇)が宮路山・嶽ヶ城に陣を構えたと伝わり、
令和5年2月22日愛知県豊川市の「善住禅寺」へ。「善住禅寺」は、神亀から天平年間(724~740年頃)行基菩薩により、自作の馬頭観音菩薩像(萩園観音)を奉安する草堂として開かれたのが始まりと伝わります。また、室町期には奥平氏が萩に進出した際
【愛知】苦を抜き楽を与える「みちびき不動」を祀る「養学院」の御朱印
令和5年2月22日愛知県豊川市の「養学院」へ。転法輪山「養学院」は、真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊:みちびき不動尊のほか、宗祖弘法大師、派祖理源大師、大峯開山神変大菩薩をお祀りし、厄難除去・家相判断・姓名判断を祈願する多くの参拝者が訪れま
【愛知】ネコのお姿をしたお大師さまが幸せに導く♪「洞雲寺」の御朱印&セントレア
令和5年2月18日愛知県常滑市の「洞雲寺」へ。御嶽山「洞雲寺」(とううんじ)は、弘治元年(1555年)善海法師による開山と伝わります。白鳳年間に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が天竺の香木で刻んだ聖観世音菩薩像を御嶽山に安置し、知多半島第一の
【愛知】大河ドラマ「どうする家康」で注目!徳川将軍家の菩提寺「大樹寺」の限定御朱印&御朱印帳
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「大樹寺」へ。「大樹寺」(だいじゅじ)は、文明7年(1475年)安城松平家初代・親忠公により、浄土宗鎮西派の勢誉愚底上人を開山として建立され、松平家の菩提寺としたそう。また、元和2年(1616年)徳川家康公の
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「岡崎天満宮」へ。「岡崎天満宮」は、建保5年(1217年)順徳天皇の皇女の病気平癒を祝って建てられた総持尼寺の鬼門除けとして創建されたと伝わり、東海道「岡崎宿」の総鎮守としても崇敬されます。また、梅の名所とし
【愛知】家康公が厄除祈願した「菅生神社」の切り絵御朱印&御朱印帳
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「菅生神社」へ。「菅生神社」(すごうじんじゃ)は、景行天皇の御代、日本武尊が東征の際(110年)、現在の菅生河畔にて矢を作り、神風にて一矢を吹き流し、その矢を以って伊勢大神を奉祀されたと伝わる岡崎最古の神社だ
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「伊賀八幡宮」へ。「伊賀八幡宮」は、文明2年(1470年)松平親忠公が、松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄・武運長久の氏神として創建したのが始まりとされます。また、徳川家光公が先祖伝来の守護神に祖父・家康公(東照
【愛知】日本唯一の宗教テーマパーク!?強烈な個性のコンクリート像に度肝を抜かれる「大安寺」の御朱印
令和4年6月4日愛知県日進市の「大安寺」へ。「大安寺」は、昭和9年(1934年)初代管主・森夢幻により視聴覚伝道を目的に設立された日本で唯一の宗教公園「五色園」内にあります。また、松竹梅、桜、紅葉の五種の樹木の彩りから「五色園」と名付けられ
【福井】織田信長公が氏神と崇めた!越前二の宮「劔神社」の御朱印
令和4年6月18日福井県越前町の「劔神社」へ。「劔神社」は、第14代仲哀天皇の第二皇子・忍熊王により、座ヶ岳の峰に祀られていた素戔嗚大神の御神霊をこの地に斎き祀られたのが始まりと伝わります。また、平重盛をはじめ、朝倉・織田・徳川・松平らの武
【京都】琵琶湖疎水の水道橋「水路閣」が美しい♪「南禅寺」の御朱印
令和4年6月26日京都市左京区の「南禅寺」へ。「南禅寺」は、亀山天皇が母・大宮院の御所として造営した離宮を、正応4年(1291年)に無関普門禅師を開山として寺に改めたのが始まりとされます。臨済宗南禅寺派の大本山であり、正しくは太平興国南禅禅
【愛知】小牧・長久手の戦いを今に伝える戦略的拠点「岩崎城」の御城印
令和4年6月4日愛知県日進市の「岩崎城」へ。「岩崎城」は、享禄年間(1528~31年)織田信秀(信長の父)により築城され、その後、徳川(松平)方に尾張攻略の足掛かりとして攻め落とされたのち、天文年間からは地方の土豪・丹羽氏四代(約60年間)
【愛知】名古屋城築城に伴う開墾地に蝮が巣食う?「蝮ヶ池八幡宮」の達筆な御朱印
令和5年1月28日名古屋市千種区の「蝮ヶ池八幡宮」へ。「蝮ヶ池八幡宮」は、江戸時代初期、この地の開墾を指導した尾張藩士・兼松源蔵が京都の石清水八幡宮から御分霊を勧請したのが始まりとされます。また、開墾でできた池には、蝮(マムシ)が沢山いたた
【愛知】「連理の木」に良縁を祈願する♪「城山八幡宮」のうさぎ御朱印【恋の三社めぐり②】
令和5年1月28日【恋の三社巡り】2社目は「城山八幡宮」(名古屋市千種区)へ。「城山八幡宮」は、元は現在地の東北300m程に鎮座し、産土神として崇敬されており、明治期に村内の八幡社・浅間社・山神社・一ノ御前社・白山社を合併合祀した際、境内内
【愛知】日本三大観音の一つ「大須観音」の鳩が可愛らしい御朱印帳&御朱印
令和5年1月28日名古屋市中区の「大須観音」へ。「大須観音」は、能信上人により開山された真言宗智山派の別格本山として、正式には「北野山真福寺寶生院」といい、日本三大観音の一つにも数えられます。また、慶長17年(1612年)徳川家康公が名古屋
【岐阜】学問の神様・菅原道真公をお祀りする「加納天満宮」の御朱印
令和5年1月15日岐阜市の「加納天満宮」へ。「加納天満宮」は、文安2年(1445年)斎藤利永が沓井城(旧加納城)を築き、その守護神として天満宮を勧請したと伝わります。その後、城主・斎藤利政(道三)が稲葉山城に移り、沓井城は廃城となったものの
【三重】鈴鹿サーキット地内に御神霊が出現した「伊奈冨神社」の御朱印
令和5年1月22日三重県鈴鹿市の「伊奈冨神社」(いのうじんじゃ)へ。伊勢鉄道「鈴鹿サーキット稲生駅」から徒歩5分。レースの爆音が間近に響いてくる距離ですね! 「伊奈冨神社」は、神代の時代に東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられ、2
令和5年1月22日三重県鈴鹿市の「荒神山観音寺」へ。「荒神山観音寺」は、弘仁3年(812年)弘法大師が日本武尊の御神霊を仏像としてお祀りし、神事山と称したのが始まりとされます。また、寛治元年(1087年)大和国の法陵律師が神事山の観音大士の
令和5年1月22日三重県鈴鹿市の「子安観音寺」へ。「子安観音寺」は、聖武天皇の天平勝宝年間(749~756年)道證上人の開山による創建と伝わります。また、奈良東大寺古記には、「鼓ヶ浦の海から鼓の音がしたため網を下すと、観世音尊像が上がってき
【岐阜】金華山麓に日本三大仏「岐阜大仏」が鎮座する!黄檗宗金鳳山「正法寺」の御朱印
令和5年1月15日岐阜市の「正法寺」へ。金鳳山「正法寺」は、天和3年(1683年)大休禅師の命を受けた廣音和尚が、金華山麓に草庵を結んだことが始まりと伝わり、祖翁千呆禅師を開山とする黄檗山萬福寺の末寺です。「大仏殿」明朝建築と和様が融合した
【岐阜】岐阜三社まいり②:織田信長公が楽市楽座を開いた「橿森神社」の御朱印
平成30年4月27日(R5.1.15追記)岐阜三社まいり②母神を祀る「金神社」に続いて、子供の神様を祀る「橿森神社」へ向かいます。柳ヶ瀬商店街のレッドカーペットを歩きます。ゆるキャラ?「やなな」懐かしいですね♪商店街を抜け、大通りを西へ進む
【岐阜】岐阜三社まいり①:月に一日だけのPremium金Day限定!「金神社」の御朱印帳と金色御朱印
平成30年4月27日(R5.1.15追記)岐阜三社まいり①美濃国・岐阜で古くから続く伝統行事「三社まいり」は、「伊奈波神社」の父神:五十瓊敷入彦命と「金神社」の母神:渟熨斗姫命の間に「橿森神社」の市隼雄命が生まれたと伝わることから、この3つ
【岐阜】学問の神様・菅原道真公に合格祈願!「長良天神神社」の御朱印
令和5年1月15日岐阜市の「長良天神神社」へ。「長良天神神社」は、承久年間(1219~21年)美濃国目代に任ぜられた斎藤帯刀左衛門尉親頼(さいとうたてわきさえもんのじょうちかより)を祖とする斎藤氏により、氏神として勧請されたのが始まりと伝わ
【岐阜】織田信長の天下統一の拠点!「岐阜城」の登城記念御朱印
令和5年1月15日岐阜市の「岐阜城」へ。「岐阜城」は、金華山に築かれた山城で、戦国時代に美濃国を治めた斎藤氏の居城として、また織田信長が天下統一の拠点とした城として知られます。建仁年間(1201~1203年)頃に二階堂氏が最初に城を築いたと
【岐阜】航空安全を祈願!零戦の朱印がカッコいい「溝旗神社」の御朱印
令和5年1月15日岐阜県岐阜市の「溝旗神社」へ。「溝旗神社」は、用明天皇2年、里に悪疫が流行し、素戔嗚命(すさのおのみこと)に祈請すると霊験が顕著に現れたため、社殿を創建したのが始まりと伝わります。素戔嗚命は牛頭天王とも呼ばれることから「お
岐阜県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。随時更新中!(29寺社・62体)【岐阜市】岐阜善光寺正法寺(岐阜大仏) 岐阜城 金神社 伊奈波神社 橿...
【福井】江戸時代以前の建築「現存十二天守」の一つ「丸岡城」の御城印&ゆりの里公園
令和4年6月18日福井県坂井市の「丸岡城」へ。「丸岡城」は、天正4年(1576年)柴田勝家の甥・勝豊により築城され、二層三階、高さ約12mの独立式望楼型天守が残ります。また、江戸時代以前に建設された天守が残る日本全国の12城「現存十二天守」
【石川】金沢城二の丸御殿の舞楽殿を今に伝える「中村神社」の御朱印
令和4年10月2日石川県の「中村神社」へ。「中村神社」は、創建年代は不詳であるものの、貞享2年(1685年)の山伏頭・蓮花院の由来書には「中村春日明神は往古より鎮座する」との記述があるなど、古くから人々の崇敬を得ていたそう。また、当神社の拝
【兵庫】2基の三重櫓を今に伝える!日本百名城「明石城」の御城印
令和4年11月5日兵庫県明石市の「明石城」へ。「明石城」は、元和5年(1619年)徳川幕府2代将軍秀忠公から、外様大名の多い西国の守りを固めるよう命じられた初代明石藩主・小笠原忠政公によって、西国街道と明石海峡という水陸交通の要所に築城され
【三重】海女さんの魔除け「ドーマン・セイマン」の御利益が凄い!石神さん「神明神社」の御朱印&御朱印帳
令和5年1月9日三重県鳥羽市の「神明神社」へ。「神明神社」は、創立年代は不詳ですが、神明八幡宮として造営され、明治に境内諸社及び千賀神社・堅子神社・畔蛸神社などを合祀し、神明神社となったそう。現在は、相差の氏神様として、天照大御神を始め26
【兵庫】海路の神・住吉大神に海上安全を祈願♪「魚住住吉神社」の御朱印
令和4年11月5日兵庫県明石市の「魚住住吉神社」へ。「魚住住吉神社」は、神功皇后の三韓征伐の帰途、播磨灘で暴風雨に遭ったが、住吉大神に祈願すると暴風雨がおさまったため、雄略天皇8年(464年)4月初卯日にこの地に住吉大神を勧請してお祀りした
【宮城】火の神に火防鎮護を祈願!戦艦愛宕の艦内にも祀られた「愛宕神社」の御朱印
令和4年11月14日宮城県仙台市の「愛宕神社」へ。「愛宕神社」は、古くは羽州米澤に鎮座し、天正19年(1591年)仙台藩祖・伊達政宗公が米澤より陸奥國に移るに際して、岩出山に遷座され、慶長8年(1603年)政宗公の入府に合わせて仙台城や城下
【大阪】隕石落下の爪痕が残る!七曜星降臨の地「星田妙見宮」の限定御朱印&御朱印帳
令和4年12月3日大阪府交野市の「星田妙見宮」へ。「星田妙見宮」は、平安時代の弘仁年間(810~824年)弘法大師空海上人が獅子窟寺の岩屋で仏眼仏母尊の秘法を修された折、この霊山に七曜の星が降臨し、大師自ら「三光清岩正身の妙見」を称され、星
【北海道】気合いで念じれば何でも願いが叶う?「テレビ父さん神社」の御朱印
令和4年9月23日札幌市中央区の「テレビ父さん神社」へ。「テレビ父さん神社」は、さっぽろテレビ塔の展望台に鎮座し、札幌市街で最も高い場所(地上約90m)にある神社?です。さっぽろテレビ塔の非公認キャラクターである「テレビ父さん」と「母さん」
【静岡】富士山の神様に良縁・安産を祈願♪「丸子神社・浅間神社」の御朱印
令和4年12月17日静岡県沼津市の「丸子神社・浅間神社」へ。「丸子神社・浅間神社」は、古くから「浅間さん」と親しみを込めて呼ばれてきましたが、本来の御号は「丸子神社」・「浅間神社」と定められ、一扉二社の形でお祀りされます。「丸子神社」は、崇
【三重】手塚治虫が描く猿田彦大神がカッコいい!伊勢一の宮「椿大神社」の御朱印&御朱印帳
令和4年1月3日三重県鈴鹿市の「椿大神社」へ。鈴鹿セブンマウンテンの一つ「入道ヶ岳」の麓にあり、標高906mの山頂付近には奥の宮が鎮座します。(※写真中央が入道ヶ岳)山頂からは伊勢平野から伊勢湾、遠くセントレアまでが一望できます♪伊勢國一之
【兵庫】天照大御神の荒御魂に阪神タイガース必勝祈願!「廣田神社」の御朱印
令和4年11月5日兵庫県西宮市の「廣田神社」へ。「廣田神社」は、神功皇后摂政元年(201年)天照大御神の御神誨を受け、建国初の海外遠征に勝利した神功皇后の御凱旋の帰途、武庫の地・廣田の国(現・芦屋・西宮から尼崎西部)に天照大御神の荒魂を鎮め
令和4年12月18日静岡県伊東市の「神祇大社」へ。「神祇大社」は、元は東京・神田に鎮座していたが、先代神主が神様のお告げを受け、東伊豆の現在地(伊豆ぐらんぱる公園の対面)に遷座したそう。また、愛犬などペットと一緒に参拝できる神社として、ペッ
【京都】境内には「うさぎ」がいっぱい♪平安京の卯の方位を鎮護する東天王「岡崎神社」の御朱印
令和4年11月27日京都市左京区の「岡崎神社」へ。「岡崎神社」は、延暦13年(794年)平安京遷都に際した王城鎮護のため、平安京の四方に建立された社の一つで、陽の出ずる都の東(卯の方位)に鎮座することから東天王と称されたそう。また、貞観11
【兵庫】十日えびすの福男選びで盛り上がる!えびす宮総本社「西宮神社」の御朱印
令和4年11月5日兵庫県西宮市の「西宮神社」へ。「西宮神社」は、福の神・えびす様をお祀りする全国の神社の総本社であり、古くは茅渟の海(ちぬのうみ)と呼ばれた神戸・和田岬の沖から出現した御神像を、御神託により西宮の地にお祀りしたのが始まりと伝
令和4年11月14日宮城県仙台市の「瑞鳳殿」へ。「瑞鳳殿」は、寛永13年(1636年)70歳で生涯を閉じた仙台藩祖・伊達政宗公の遺言に従い、翌14年にこの経ヶ峯の地に造営された霊屋です。また、昭和6年(1931年)には、桃山文化の遺風を伝え
【石川】日本唯一香辛料の神を祀る「波自加彌神社」の切り絵御朱印
令和4年10月2日石川県金沢市の「波自加彌神社」へ。「波自加彌神社」(はじかみじんじゃ)は、養老2年(718年)の創建と伝わり、千三百年の歴史を誇る延喜式内社だそう。また、社名の「波自加彌」とは、ショウガ・ワサビ・サンショウなど、歯で噛んで
【石川】利家公が春日大社から勧請した「犀川神社」の月替わり御朱印
令和4年10月2日石川県金沢市の「犀川神社」へ。「犀川神社」は、天正2年(1574年)前田利家公が封国した際、奈良の春日大社から御祭神を勧請したのが始まりと伝わります。当時は、浅野川沿いの小さな祠でしたが、何度も移転を繰り返すなか、明和5年
【愛知】ブルーインパルスが青空を舞う!尾張徳川家の居城「名古屋城」の御城印
令和4年11月26日名古屋市の「名古屋城」へ。「名古屋城」は、慶長14年(1609年)関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康公が、豊臣方への備えとして築城を決定し、加藤清正や福島正則ら西国大名に天下普請(土木工事)を命じて、慶長17年(1612年)
【大阪】天下人・豊臣秀吉公が築城した大城郭!「大坂城」の御城印
令和4年10月16日大阪市中央区の「大坂城」へ。「大坂城」は、天正11年(1583年)豊臣秀吉公が石山本願寺跡に築城し、天下人に相応しい大城郭を築き上げたものの、秀吉公の没後、慶長20年(1615年)の大阪夏の陣により落城しました。その後、
【静岡】たくさんの雲猫たちが修行中?猫寺「長光寺」の猫いっぱい御朱印帳&御朱印
令和4年12月17日静岡県函南町の「長光寺」へ。渓月山「長光寺」は、建久3年(1192年)源頼朝公が鎌倉に幕府を開き、関八州総鎮守とされた伊豆山神社の末寺として、慶長年間(1596年~)に開創された丹那盆地を望む古刹であり、寛政7年(179
【岩手】金箔に彩られた金色堂に目を奪われる!「中尊寺」の御朱印帳&御朱印
令和4年11月13日岩手県西磐井郡平泉町の「中尊寺」へ。「中尊寺」は、嘉祥3年(850年)比叡山延暦寺の高僧・慈覚大師円仁による開山と伝わります。その後、長治2年(1105年)奥州藤原氏の初代清衡公により、東北地方の戦乱(前九年・後三年合戦
【宮城】境内のカフェで一休み♪縁結びと安産の社「二柱神社」の月替わり御朱印
令和4年11月13日宮城県仙台市の「二柱神社」へ。「二柱神社」は、満壽2年(1026年)市名坂の修林壇にお祀りされたのが始まりとされ、その後、天正年間(1573年~)地域豪族・国分氏の荘園33ヶ村のうち8ヶ村の氏神様としてお祀りされたそう。
令和4年12月17日静岡県熱海市の「來宮神社」へ。「來宮神社」(きのみやじんじゃ)は、三千有余年前、大己貴命(大国主神)が国を治めるため、遙か西方より諸神を率いて海を渡り、気候風土がよく温泉や海山の幸にも恵まれたこの地を非常に気に入られ、居
【静岡】湯泉の守護神を祀る!関八州総鎮護「伊豆山神社」の御朱印帳&御朱印
令和4年12月17日静岡県熱海市の「伊豆山神社」へ。「伊豆山神社」は、伊豆御宮、伊豆大権現、走湯社とも称され、応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来したと伝わる伊豆山大神をお祀りします。また、眼下に熱海の街並み
【大阪】茄子のキャラクターがお出迎え♪「春日神社」の茄子御朱印
令和4年12月4日兵庫県枚方市の「春日神社」へ。「春日神社」は、嘉吉元年(1441年)奈良春日大社より四柱の御神霊を勧請し、茄子作村の氏神としたのが始まりと伝わります。また、明治の神仏分離により、近くの金竜寺の地主神を合祀し、五柱をお祀りす
【兵庫】惚れ惚れするほど達筆♪「舞子六神社」の月替わり御朱印
令和4年11月5日兵庫県神戸市の「舞子六神社」へ。「舞子六神社」は、江戸時代中期に播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、六柱の神をお祀りしたのが始まりとされます。海沿いの境内から徒歩1分で、瀬戸内海・明石海峡大橋を一望できます
【宮城】陸奥国一之宮「鹽竈神社」&「志波彦神社」の見開き御朱印
令和4年11月12日宮城県塩釜市の「鹽竈神社」へ。「鹽竈神社」は、創建年代は不詳ですが、平安時代初期の嵯峨天皇の御代(820年)に編纂された「弘仁式」主税帳逸文に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、破格の祭祀料を受けるなど由緒ある社と伝わりま
令和4年12月11日三重県多気郡明和町の「竹神社」へ。「竹神社」は、第11代垂仁天皇の御代、竹氏という豪族の祖神・宇加之日子の子の吉日古が、天照大神を奉じて伊勢御巡行中の倭姫命のお供でこの地に留まり、多気郡一円を領して「斎宮」に住んだと伝わ
令和4年11月5日兵庫県西宮市の「甲子園素戔嗚神社」へ。「甲子園素戔嗚神社」は、三百有余年の歴史をもち、御祭神である素戔嗚尊がヤマタノオロチを退治した武勇にあやかり、暴れ川の武庫川の治水を祈願して創建されたそう。また、甲子園球場に隣接して鎮
【京都】みかえり阿弥陀が微笑む♪紅葉の名所「禅林寺」(永観堂)の御朱印
令和4年11月27日京都市左京区の「禅林寺」へ。無量寿院「禅林寺」は、貞観5年(863年)弘法大師の高弟・真紹僧都により真言密教の寺として創建されましたが、鎌倉時代に法然上人の愛弟子・証空上人が住職となり、現在では浄土宗西山禅林寺派の総本山
【兵庫】運よくペコちゃんに会えるかも?「御厨神社」の絵入り御朱印
令和4年11月6日兵庫県明石市の「御厨神社」へ。「御厨神社」は、社伝によると、神功皇后の西征の際、二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時、この土地の者が食物を奉ったため、御厨(神饌を調進する所)の名が起こったのが始まりと伝わります。「鳥
【岩手】平安時代の浄土庭園を今に伝える!天台宗別格本山「毛越寺」の御朱印帳&御朱印
令和4年11月13日岩手県平泉町の「毛越寺」へ。「毛越寺」(もうつうじ)は、嘉祥3年(850年)東北巡遊中の慈覚大師円仁が、この地で一面の霧に覆われて進めなくなった際、地面の白鹿の毛を辿ると白髪の老人が現れ、「この地に堂宇を建立して霊場にせ
【京都】八相の庭に北斗七星が輝く「東福寺」と塔頭「同聚院」の御朱印
令和4年11月27日京都市東山区の「東福寺」へ。臨済宗大本山「東福寺」は、摂政九條道家により、嘉禎2年(1236年)から建長7年(1255年)までの19年をかけ、京都最大の大伽藍として創建されたそう。奈良の最大の寺院「東大寺」と最も盛大を極
【京都】現存最大級の三門に圧倒される!浄土宗総本山「知恩院」の御朱印
令和4年11月27日京都市東山区の「知恩院」へ。浄土宗総本山「知恩院」は、承安5年(1175年)浄土宗の開祖・法然上人が、比叡山を下り、吉水の禅房(現在の知恩院御影堂近く)で専修念仏(※)の教えを説いたことに始まるそう。建暦2年(1212年
【宮城】日本三名瀑の一つ・秋保大滝に鎮座する「西光寺」(秋保大滝不動尊)の御朱印帳と御朱印
令和4年11月12日宮城県仙台市の「西光寺」へ。「西光寺」(秋保大滝不動尊)は、山形県山寺の立石寺の奥の院とされ、貞観年間(859~877年)慈覚大師円仁が東北巡錫の際に秋保大滝で100日間の荒行の末、立石寺を開山したそう。また、不動尊を建
【宮城】杜の都の天神さま♪「榴岡天満宮」の超達筆な見開き御朱印
令和4年11月13日仙台市宮城野区の「榴岡八幡宮」へ。「榴岡八幡宮」は、平安時代の天延2年(974年)山城国(京都府)に創建された後、平将春により陸奥国宇多郡(福島県)に勧請されたそう。その後、天文20年(1551年)現在の仙台東照宮の地(
【宮城】秋の紅葉ライトアップが見事♪枯山水や逆さ紅葉が美しい「円通院」の御朱印
令和4年11月12日宮城県松島町の「円通院」へ。今回は、令和4年10月29日(土)~11月23日(祝)まで開催中の秋の紅葉ライトアップに行ってきました♪山門を抜けると見事な紅葉が目の前に♪枯山水の石庭の紅葉たちが、夜の闇に見事に浮かび上がり
【宮城】秋の紅葉ライトアップ「NAKED夜さんぽ」が見事♪国宝「瑞巌寺」のライトアップ限定御朱印
令和4年11月12日宮城県松島町の「瑞巌寺」へ。今回は、令和4年10月29日(土)~11月23日(祝)まで開催中の秋の紅葉ライトアップ「NAKED夜さんぽ」に行ってきました♪無料の三十刈駐車場に駐車し、瑞巌寺まで15分程度歩きます。総門も昼
【宮城】羽生結弦ファンの聖地で「勝負の神」に必勝祈願!「秋保神社」の御朱印
令和4年11月12日宮城県仙台市の「秋保神社」へ。「秋保神社」(あきうじんじゃ)は、大同3年(808年)征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社をお祀りしたのが始まりとされます。また、室町時代には秋保村領主秋保氏の祖先・平盛
【宮城】伊達文化の粋を結集した!「仙台東照宮」の御朱印帳と御朱印
令和4年11月13日宮城県仙台市の「仙台東照宮」へ。「仙台東照宮」は、慶安2年(1649年)仙台藩二代藩主・伊達忠宗公により、徳川幕府への崇尊の標として、三代将軍・徳川家光公に東照大権現の仙台勧請を許されたのち、承応3年(1654年)伊達文
令和4年11月14日宮城県仙台市の「櫻岡大神宮」へ。「櫻岡大神宮」は、元和7年(1621年)仙台藩祖・伊達政宗公が伊勢神宮より御分霊を勧請し、神明宮と称されたのが始まりとされます。また、天和2年(1683年)伊達綱村公が神域を拡大し社殿を改
【宮城】仙台藩祖・伊達政宗公を祀る!「青葉神社」の御朱印帳と御朱印
令和4年11月14日宮城県仙台市の「青葉神社」へ。「青葉神社」は、仙台藩祖・伊達政宗公の遺徳を景迎する有志により、明治元年(1868年)に請願され、明治7年(1874年)に創建されたそう。また、政宗公の側室・愛姫(めごひめ)を祀る愛姫神社が
【宮城】伊達政宗公が造営した仙台総鎮守・国宝「大崎八幡宮」の御朱印
令和4年11月14日宮城県仙台市の「大崎八幡宮」へ。「大崎八幡宮」は、平安時代に坂上田村麻呂が東夷征伐の武運長久を祈念するため、武門の守護神・宇佐八幡宮を岩手県水沢市に勧請した後、室町時代に奥州管領大崎氏が自領内に遷祀し、大崎八幡宮と呼ばれ
岩手県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。随時更新中!(2寺・16体)【平泉町】中尊寺 毛越寺 🌸全国の【御朱印】まとめdz...
【大阪】秀吉公の金ピカの兜「一の谷馬蘭後立付兜」が美しい♪「豊國神社」の御朱印帳と御朱印
令和4年10月15日大阪市中央区の「豊國神社」へ。「豊國神社」(ほうこくじんじゃ)は、明治元年(1868年)明治天皇が大阪行幸の際、国家に大勲労のあった豊臣秀吉公を大阪に奉祀するよう仰せ出されたため、明治6年に京都の阿弥院峯墓前を本社に社殿
【大阪】花将軍・北畠顕家公をお祀りする「阿部野神社」の御朱印
令和4年10月16日大阪市阿倍野区の「阿部野神社」へ。「阿部野神社」は、後醍醐天皇の信任が厚く「後の三房」と称された北畠親房公とその長子・顕家公をお祀りします。元弘3年(1333年)陸奥守に任ぜられた顕家公は、延元元年(1336年)足利尊氏
【大阪】大阪の商業の守り神「えびす様」を祀る「今宮戎神社」の御朱印
令和4年10月16日大阪市浪速区の「今宮戎神社」へ。「今宮戎神社」は、推古天皇8年(600年)聖徳太子が四天王寺建立に当たり、同地西方の守護神としてお祀りしたのが始まりとされます。江戸時代に入ると十日戎のお祭りが始まり、元禄時代には今日と同
【大阪】聖徳太子が創建した古社「鵲森宮」(森之宮神社)の御朱印
令和4年10月16日大阪市中央区の「鵲森宮」(森之宮神社)へ。「鵲森宮」(かささぎもりのみや)は、崇峻天皇2年(589年)聖徳太子が物部守屋との戦いに必勝を祈願し、勝った暁には四天王像の造像を誓って勝利したため、まず父母・用明天皇と穴穂部間
【大阪】菅原道真公が旅の無事を祈願した「大阪天満宮」の御朱印
令和4年10月16日大阪市北区の「大阪天満宮」へ。「大阪天満宮」は、白雉元年(650年)孝徳天皇が難波長柄豊崎宮をお造りになられた際、都の西北を守る神として大将軍社という神社をお祀りし、延喜元年(901年)菅原道真公が太宰府へ向かう途中、こ
【大阪】上方落語寄席発祥の地!摂津国一之宮「坐摩神社」の御朱印
令和4年10月16日大阪市中央区の「坐摩神社」へ。「坐摩神社」(いかすりじんじゃ)は、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江田簑島に奉祀されたのが始まりとされます。また、平安時代の延期式神名帳には、攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産
【石川】前田家三代藩主利常の正室・珠姫の菩提寺「天徳院」の御朱印
令和4年7月19日石川県金沢市の「天徳院」へ。「天徳院」は、元和9年(1623年)加賀三代藩主・前田利常公の正室・珠姫の菩提を弔うため、金沢城東側の4万坪の広大な敷地に創建され、珠姫の法号に因み「天徳院」と称せられたそう。しかし、明和5年(
令和4年10月8日石川県河北郡津幡町の「倶利迦羅不動寺」へ。「倶利迦羅不動寺」は、養老2年(718年)中国から渡来したインドの高僧・善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻した尊像を奉安されたことが始まりと伝わります。また、弘法大師空海を
【神奈川】三本杉の御神紋が可愛らしい♪「星川杉山神社」の御朱印
令和4年9月18日横浜市保土ヶ谷区の「星川杉山神社」へ。「星川杉山神社」は、およそ千二百年の歴史があり、古くから杉や松などの緑に包まれ、高台にある境内全体を木々が真四角に囲んでいたため、「杉山大明神の重箱山」とも呼ばれ親しまれたそう。また、
【神奈川】全国唯一の八方除の守護神を祀る相模国一之宮「寒川神社」の御朱印帳と御朱印
令和4年9月19日神奈川県高座郡寒川町の「寒川神社」へ。「寒川神社」は、創祀年代は不明なものの、雄略天皇の御代(456~479年)に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立と伝える記録が残るそう。また、延喜式神名帳(927編纂)によると、相模国
【神奈川】青銅の国宝「鎌倉大仏」が露坐する「高徳院」の大仏御朱印帳と御朱印
令和4年9月19日神奈川県鎌倉市の「高徳院」(鎌倉大仏)へ。「高徳院」は、建長4年(1252年)より造立された「鎌倉大仏」として名高い国宝銅造阿弥陀如来坐像を祀ります。また、当時の大仏殿は台風や大津波で倒壊し、室町時代の末頃には現在の「露坐
【神奈川】海を漂流してきた観音像を安置する「長谷寺」の御朱印
令和4年9月19日神奈川県鎌倉市の「長谷寺」へ。「長谷寺」は、寺伝では開山・徳道上人が、大和国(奈良県)初瀬の山中の巨大な樟の霊木から2体の観音像を刻み、1体は大和長谷寺に安置し、もう1体は衆生済度の願いを込めて海に流し、三浦半島に流れ着い
神奈川県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。鎌倉の歴史ある寺社や、横浜のカラフルな御朱印など、見どころ満載ですね♪随時更新中!(19寺社・30体)【横浜市】成田山横浜別院(成田山延命院) 妙蓮寺伊勢山皇大...
【富山】なでうさぎに大国主命の御加護を祈念する♪越中一宮「高瀬神社」の御朱印
令和4年4月30日富山県南砺市の「高瀬神社」へ。「高瀬神社」は、延喜式内社として、宝亀11年(780年)には越中最高の位「従五位下」となり、更に平安初期には「正三位」に昇進するなど、古くから「越中一の宮」と称され、砺波地区を中心に人々の信仰
【和歌山】高野山巡礼①:弘法大師が今も瞑想を続ける「奥之院」の御朱印帳と御朱印
平成31年4月13日(令和4年8月27日追記)高野山巡礼の旅①高野山の麓・九度山町の道の駅「柿の郷くどやま」を拠点に、電車・ケーブルカー・バスを乗り継いで高野山の寺社を巡礼し、空海が切り開いた「高野山町石道」(約21km)を歩いて下り、道の
【和歌山】高野山巡礼⑤:胎蔵曼荼羅の世界観を具現化した「壇上伽藍」(根本大塔・金堂)の御朱印&高野山町石道
平成31年4月13日(令和4年8月23日追記)高野山巡礼の旅⑤「霊宝館」から徒歩5分で「壇上伽藍」へ。「壇上伽藍」は、弘仁7年(816年)弘法大師が高野山に真言密教の根本道場を開創した際、まず最初に堂塔の整備に着手した場所であり、「奥の院」
【和歌山】高野山巡礼④:空海が開いた真言密教の聖地・総本山「金剛峯寺」と「大師教会」「霊宝館」の御朱印
平成31年4月13日(令和4年8月23日追記)高野山巡礼の旅④「南院」から徒歩10分で「金剛峯寺」へ。参道の桜が満開でした♪(1年後のH31は蕾だけでした・・・) 総本山「金剛峯寺」は、弘仁7年(816年)弘法大師空海が高野山を真言密教の聖
【和歌山】高野山へ弘法大師を案内した「導き」の神様を祀る「丹生官省符神社」の御朱印
令和4年8月23日「慈尊院」に隣接する「丹生官省符神社」(和歌山県九度山町)へ。「丹生官省符神社」は、弘仁7年(816年)に弘法大師が「慈尊院」を開いた際、紀ノ川の河畔に丹生明神と高野明神の二神をお祀りしたのが始まりと伝わり、永正14年(1
令和4年5月29日静岡県掛川市の「掛川城」へ。「掛川城」は、明応6年(1497年)~文亀元年(1501年)の頃に、今川氏が遠江支配の拠点として重臣・朝比奈泰熙に築かせた掛川古城が始まりとされ、現在地の東500mほどに位置したと伝わります。そ
【石川】加賀藩祖・前田利家公と正室・お松の方を祀る金沢のシンボル「尾山神社」の御朱印
令和4年7月19日石川県金沢市の「尾山神社」へ。「尾山神社」は、慶長4年(1599年)前田利家公が薨去され、二代利長公が利家公を祀る神社創建を志すも、外様大名には徳川幕府の許可が必要であったため、守護神である物部八幡宮・榊葉神明宮を遷座し、
令和4年6月25日京都市上京区の「廬山寺」へ。天台圓浄宗大本山「廬山寺」は、天慶年中(938~947年)元三大師良源により、船岡山の南に創建された後、室町時代の応仁の乱など兵火や火事で度々焼失し、天正年間(1573~1593年)豊臣秀吉公の
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令和5年10月14日熊本県天草市の「倉岳山頂神社」へ。「倉岳山頂神社」は、古くより天草地方の人々が霊山と仰ぐ、天草諸島最高峰(標高682m)の倉岳山頂に鎮座し、漁民と航海の安全が祈願されます。山頂までは道幅が狭いカーブの連続が続くため、特に
令和5年3月4日奈良県生駒郡平群町の「朝護孫子寺」へ。信貴山「朝護孫子寺」は、醍醐天皇の病気平癒のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天に祈願すると、たちまち病気が癒えたと伝わり、天皇・朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として勅号を賜ったそう
令和5年9月10日静岡県磐田市の「府八幡宮」へ。「府八幡宮」は、奈良時代・天平年間(729~748年)に天武天皇の曽孫・桜井王が遠江国司として赴任した際、国の平安と繁栄を祈って建立されたと伝わります。また、当地は徳川家康公が関ヶ原の合戦に向
令和5年11月14日東京都港区の「豊川稲荷東京別院」へ。「豊川稲荷東京別院」は、江戸時代に大岡越前守忠相公が日常的に信仰していた豊川稲荷の御分霊をお祀りしたのが始まりとされ、明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に遷座されました。また、豊
令和5年10月14日長崎県島原市の「島原城」へ。「島原城」は、元和4年(1618年)松倉重政公が着工し、約7年の歳月を経て築城した五層天守閣を持つ百名城であり、以来、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田氏と四氏十九代の居城となりました。その間、寛永
令和5年10月15日熊本市の「健軍神社」へ。「健軍神社」は、阿蘇四社の一つとして熊本市内で最も古い神社と伝わり、八丁馬場と呼ばれる長い参道は、加藤清正公が馬の訓練場として利用したほか、清正公が植えられたと伝わる杉並木が残ります。また、明治1
長崎県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。異国情緒漂う長崎市が町を挙げて催す「長崎くんち」の神社をはじめ、キリシタン弾圧の歴史を色濃く残すお城など見どころ満載です♪随時更新中!(4寺社・4体)【長崎市】鎮西大社諏訪神社【島原
令和5年10月15日熊本県阿蘇市の「阿蘇神社」へ。「阿蘇神社」は、約2,300年前、孝霊天皇9年(紀元前282年)の創建と伝わり、全国に約500社あるとされる阿蘇神社の総本社として、また肥後国一之宮として崇敬されます。平成28年の熊本地震に
令和5年11月14日東京都港区の「タワー大神宮」へ。「タワー大神宮」は、昭和52年に東京タワーの創立20周年を記念して神殿が造営された後、令和元年の展望台大改修に際して、メインデッキ内に新たに社殿を造営されたそう。近隣の増上寺とのコラボが見
令和5年11月25日京都府長岡京市の「長岡天満宮」へ。「長岡天満宮」が鎮座する長岡の地は、菅原道真公が在原業平らと共にしばしば詩歌管弦を楽しまれた縁深い場所であり、道真公が太宰府へ左遷された際、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜し
熊本県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。復興中の熊本城をはじめ、加藤清正など戦国武将にちなむ神社、阿蘇の大自然に鎮座する神社など見どころ満載です♪随時更新中!(10寺社・12体)【熊本市】熊本城加藤神社...
令和5年11月25日京都市東山区の「清水寺」へ。音羽山「清水寺」は、宝亀9年(778年)の開創と伝わり、古くから観音霊場として庶民から篤く信仰されてきました。「清水寺縁起」によると、奈良の僧・賢心が「北へ清泉を求めて行け」という霊夢に従い、
令和5年11月25日京都府長岡京市の「楊谷寺」へ。「楊谷寺」(柳谷観音)は、大同元年(806年)洛東清水寺の開祖・延鎮僧都が霊夢によりこの地を訪ねると、柳(楊)が茂る渓谷に十一面千手千眼観世音の尊容を拝することができたため、草庵を建てて菩薩
令和5年11月25日京都市東山区の「高台寺」へ。鷲峰山「高台寺」は、正しくは高台寿聖禅寺といい、慶長11年(1606年)豊臣秀吉公の菩提を弔うために、秀吉公夫人・北政所(ねね)が開創したそう。また、寛永元年(1624年)建仁寺の三江紹益禅師
京都府(京都市外)でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめました。随時更新中!(31社寺・62体)<京都市外編>【宇治市】平等院(鳳凰堂) 平等院(最勝院・浄土院) 三室戸寺 興聖...
京都府(京都市内)でいただいた【御朱印】【御首題】を市区別にまとめました。随時更新中!(109ヵ寺・272体)京都市内は、大小様々な魅力的な寺社が密集し、御朱印も数種類ある寺社が多く、何度通っても終わりが全く見えてきません・・・あまりに数が
令和5年11月14日東京都千代田区の「神田明神」へ。「神田明神」は、天平2年(730年)出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により、現在の将門塚周辺に創建されたそう。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として恐れられたため、延
令和5年11月14日東京都千代田区の「日枝神社」へ。「日枝神社」は、武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、更に文明10年(1478年)太田道灌公が江戸城築城にあたり、川越山王社を勧請して江戸城の鎮守としたのが始まりと
令和5年11月14日東京都港区の「赤坂氷川神社」へ。「赤坂氷川神社」は、天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村に祀られたのが始まりとされ、治暦2年(1066年)関東に大旱魃が発生した際には降雨を祈願したと伝わるなど、1000年以上の歴史ある
令和5年11月14日東京都港区の「増上寺」へ。「増上寺」は、浄土宗の七大本山の一つであり、明徳4年(1393年)浄土宗第八祖・西誉聖聡上人により根本念仏道場として創建されたそう。また、江戸時代初期には法主第十二世・源誉存応上人が徳川家康公か
令和5年4月23日大須から若宮大通りを渡ってすぐの「若宮八幡社」へ。「若宮八幡社」は、文武天皇の時代(700年頃)の創建と伝えられ、慶長15年(1610年)徳川家康公の名古屋城築城に際して現在の地に遷座し、武神の神・外敵防護・領内鎮護の神と
令和5年3月26日京都市中京区の「宝蔵寺」へ。「宝蔵寺」は、弘法大師空海の創立と伝わり、文永6年(1269年)如輪上人により元西壬生郷に開基され、天正9年(1581年)玉阿律師により中興再建された後、天正19年(1591年)豊臣秀吉の寺町整
令和5年3月21日滋賀県甲賀市の「水口城」へ。「水口城」は、寛永11年(1634年)三代将軍・徳川家光公の上洛に際し、東海道の南側に「宿館」として築かれたものの、実際に家光公が利用したのはその1度きりであったそう。また、天和2年(1682年
令和5年3月21日滋賀県甲賀市の「水口神社」へ。「水口神社」は、創建は定かではないが、平安時代の延喜式では近江国155座・甲賀郡8座の1に選ばれるなど、古くから大宮大明神と称され、信仰を集めたそう。また、当社の例大祭「水口まつり」では、享保
福島県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。白虎隊にまつわる寺社やお城のほか、喜多方ラーメンの聖地など盛りだくさんです♪随時更新中!(10寺社・14体)【福島市】福島稲荷神社【郡山市】開成山大神宮安積国造神社...
宮城県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。仙台藩主・伊達政宗公にまつわる寺社や、仙台出身の羽生結弦ファンの聖地の神社など盛りだくさんです♪随時更新中!(20寺社・36体)【仙台市】輪王寺仙台城瑞鳳殿...
令和5年2月26日三重県鈴鹿市の「彌都加伎神社」へ。「彌都加伎神社」(みずがきじんじゃ)は、遠い昔からこの地で「土」に携って生活していた人々や土地の有力者達により、土を司る神様がお祀りされており、醍醐天皇の延喜5年(905年)大土御祖神を村
令和5年2月22日愛知県豊川市の「菟足神社」へ。「菟足神社」(うたりじんじゃ)は、白鳳15年(686年)の創立とされ、穂の国(東三河)の国造に任ぜられた菟上足尼命をこの地にお祀りしたのが始まりと伝わります。また、稲の豊作を願う「田まつり」や
令和5年2月26日三重県鈴鹿市の「加佐登神社」へ。「加佐登神社」は、日本武尊と天照大御神を御祭神とし、伊吹山の戦いで傷つき病に侵された日本武尊がこの地で生涯を終えたと伝えられます。本殿北の「白鳥塚」は、県下最大の前方後円墳であり、古くから日
令和5年2月22日愛知県豊川市の「宮道天神社」へ。「宮道天神社」は、天武天皇元年(672年)天智天皇の皇子・大友皇子と皇弟・大海人皇子が皇位を争った壬申の乱の際、草壁王子(大海人皇子の子、後の天武天皇)が宮路山・嶽ヶ城に陣を構えたと伝わり、
令和5年2月22日愛知県豊川市の「善住禅寺」へ。「善住禅寺」は、神亀から天平年間(724~740年頃)行基菩薩により、自作の馬頭観音菩薩像(萩園観音)を奉安する草堂として開かれたのが始まりと伝わります。また、室町期には奥平氏が萩に進出した際
令和5年2月22日愛知県豊川市の「養学院」へ。転法輪山「養学院」は、真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊:みちびき不動尊のほか、宗祖弘法大師、派祖理源大師、大峯開山神変大菩薩をお祀りし、厄難除去・家相判断・姓名判断を祈願する多くの参拝者が訪れま
令和5年2月18日愛知県常滑市の「洞雲寺」へ。御嶽山「洞雲寺」(とううんじ)は、弘治元年(1555年)善海法師による開山と伝わります。白鳳年間に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が天竺の香木で刻んだ聖観世音菩薩像を御嶽山に安置し、知多半島第一の
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「大樹寺」へ。「大樹寺」(だいじゅじ)は、文明7年(1475年)安城松平家初代・親忠公により、浄土宗鎮西派の勢誉愚底上人を開山として建立され、松平家の菩提寺としたそう。また、元和2年(1616年)徳川家康公の
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「岡崎天満宮」へ。「岡崎天満宮」は、建保5年(1217年)順徳天皇の皇女の病気平癒を祝って建てられた総持尼寺の鬼門除けとして創建されたと伝わり、東海道「岡崎宿」の総鎮守としても崇敬されます。また、梅の名所とし
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「菅生神社」へ。「菅生神社」(すごうじんじゃ)は、景行天皇の御代、日本武尊が東征の際(110年)、現在の菅生河畔にて矢を作り、神風にて一矢を吹き流し、その矢を以って伊勢大神を奉祀されたと伝わる岡崎最古の神社だ
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「伊賀八幡宮」へ。「伊賀八幡宮」は、文明2年(1470年)松平親忠公が、松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄・武運長久の氏神として創建したのが始まりとされます。また、徳川家光公が先祖伝来の守護神に祖父・家康公(東照
令和4年6月4日愛知県日進市の「大安寺」へ。「大安寺」は、昭和9年(1934年)初代管主・森夢幻により視聴覚伝道を目的に設立された日本で唯一の宗教公園「五色園」内にあります。また、松竹梅、桜、紅葉の五種の樹木の彩りから「五色園」と名付けられ
令和4年6月18日福井県越前町の「劔神社」へ。「劔神社」は、第14代仲哀天皇の第二皇子・忍熊王により、座ヶ岳の峰に祀られていた素戔嗚大神の御神霊をこの地に斎き祀られたのが始まりと伝わります。また、平重盛をはじめ、朝倉・織田・徳川・松平らの武
令和4年6月26日京都市左京区の「南禅寺」へ。「南禅寺」は、亀山天皇が母・大宮院の御所として造営した離宮を、正応4年(1291年)に無関普門禅師を開山として寺に改めたのが始まりとされます。臨済宗南禅寺派の大本山であり、正しくは太平興国南禅禅