令和5年10月14日熊本県天草市の「倉岳山頂神社」へ。「倉岳山頂神社」は、古くより天草地方の人々が霊山と仰ぐ、天草諸島最高峰(標高682m)の倉岳山頂に鎮座し、漁民と航海の安全が祈願されます。山頂までは道幅が狭いカーブの連続が続くため、特に
東海・関西の寺社を中心に、御朱印約2000体・御朱印帳約190冊を掲載!趣味の山歩きとランニングを生かして、できる限り自分の足で寺社(御朱印)を巡ります♪
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【熊本】「天空の鳥居」に航海の安全を祈願する♪「倉岳山頂神社」の御朱印
令和5年10月14日熊本県天草市の「倉岳山頂神社」へ。「倉岳山頂神社」は、古くより天草地方の人々が霊山と仰ぐ、天草諸島最高峰(標高682m)の倉岳山頂に鎮座し、漁民と航海の安全が祈願されます。山頂までは道幅が狭いカーブの連続が続くため、特に
【奈良】寅・寅・寅づくしの信貴山「朝護孫子寺」の御朱印帳&御朱印
令和5年3月4日奈良県生駒郡平群町の「朝護孫子寺」へ。信貴山「朝護孫子寺」は、醍醐天皇の病気平癒のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天に祈願すると、たちまち病気が癒えたと伝わり、天皇・朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として勅号を賜ったそう
【静岡】奈良時代に天武天皇の曽孫が奉祀した「府八幡宮」の御朱印
令和5年9月10日静岡県磐田市の「府八幡宮」へ。「府八幡宮」は、奈良時代・天平年間(729~748年)に天武天皇の曽孫・桜井王が遠江国司として赴任した際、国の平安と繁栄を祈って建立されたと伝わります。また、当地は徳川家康公が関ヶ原の合戦に向
【東京】江戸時代の名奉行・大岡越前が信仰した「豊川稲荷東京別院」の御朱印
令和5年11月14日東京都港区の「豊川稲荷東京別院」へ。「豊川稲荷東京別院」は、江戸時代に大岡越前守忠相公が日常的に信仰していた豊川稲荷の御分霊をお祀りしたのが始まりとされ、明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に遷座されました。また、豊
【長崎】天草四郎の島原の乱や島原大変を耐え抜いた!「島原城」の御城印
令和5年10月14日長崎県島原市の「島原城」へ。「島原城」は、元和4年(1618年)松倉重政公が着工し、約7年の歳月を経て築城した五層天守閣を持つ百名城であり、以来、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田氏と四氏十九代の居城となりました。その間、寛永
【熊本】西南戦争の熊本隊挙兵の地!阿蘇四社の一つ「健軍神社」の御朱印
令和5年10月15日熊本市の「健軍神社」へ。「健軍神社」は、阿蘇四社の一つとして熊本市内で最も古い神社と伝わり、八丁馬場と呼ばれる長い参道は、加藤清正公が馬の訓練場として利用したほか、清正公が植えられたと伝わる杉並木が残ります。また、明治1
長崎県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。異国情緒漂う長崎市が町を挙げて催す「長崎くんち」の神社をはじめ、キリシタン弾圧の歴史を色濃く残すお城など見どころ満載です♪随時更新中!(4寺社・4体)【長崎市】鎮西大社諏訪神社【島原
【熊本】全国の阿蘇神社の総本社!肥後一之宮「阿蘇神社」の御朱印
令和5年10月15日熊本県阿蘇市の「阿蘇神社」へ。「阿蘇神社」は、約2,300年前、孝霊天皇9年(紀元前282年)の創建と伝わり、全国に約500社あるとされる阿蘇神社の総本社として、また肥後国一之宮として崇敬されます。平成28年の熊本地震に
【東京】東京タワーのメインデッキに鎮座する「タワー大神宮」の御朱印
令和5年11月14日東京都港区の「タワー大神宮」へ。「タワー大神宮」は、昭和52年に東京タワーの創立20周年を記念して神殿が造営された後、令和元年の展望台大改修に際して、メインデッキ内に新たに社殿を造営されたそう。近隣の増上寺とのコラボが見
令和5年11月25日京都府長岡京市の「長岡天満宮」へ。「長岡天満宮」が鎮座する長岡の地は、菅原道真公が在原業平らと共にしばしば詩歌管弦を楽しまれた縁深い場所であり、道真公が太宰府へ左遷された際、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜し
熊本県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。復興中の熊本城をはじめ、加藤清正など戦国武将にちなむ神社、阿蘇の大自然に鎮座する神社など見どころ満載です♪随時更新中!(10寺社・12体)【熊本市】熊本城加藤神社...
【京都】清水の舞台から見る紅葉が見事♪音羽山「清水寺」の御朱印
令和5年11月25日京都市東山区の「清水寺」へ。音羽山「清水寺」は、宝亀9年(778年)の開創と伝わり、古くから観音霊場として庶民から篤く信仰されてきました。「清水寺縁起」によると、奈良の僧・賢心が「北へ清泉を求めて行け」という霊夢に従い、
【京都】あいりきさんに男女の問題解決を祈願する「楊谷寺」(柳谷観音)の御朱印
令和5年11月25日京都府長岡京市の「楊谷寺」へ。「楊谷寺」(柳谷観音)は、大同元年(806年)洛東清水寺の開祖・延鎮僧都が霊夢によりこの地を訪ねると、柳(楊)が茂る渓谷に十一面千手千眼観世音の尊容を拝することができたため、草庵を建てて菩薩
【京都】恋愛婚のねねが秀吉公の菩提を弔った「高台寺」の御朱印
令和5年11月25日京都市東山区の「高台寺」へ。鷲峰山「高台寺」は、正しくは高台寿聖禅寺といい、慶長11年(1606年)豊臣秀吉公の菩提を弔うために、秀吉公夫人・北政所(ねね)が開創したそう。また、寛永元年(1624年)建仁寺の三江紹益禅師
京都府(京都市外)でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめました。随時更新中!(31社寺・62体)<京都市外編>【宇治市】平等院(鳳凰堂) 平等院(最勝院・浄土院) 三室戸寺 興聖...
京都府(京都市内)でいただいた【御朱印】【御首題】を市区別にまとめました。随時更新中!(109ヵ寺・272体)京都市内は、大小様々な魅力的な寺社が密集し、御朱印も数種類ある寺社が多く、何度通っても終わりが全く見えてきません・・・あまりに数が
【東京】除災厄除の神様・平将門公をお祀りする江戸総鎮守「神田明神」の御朱印
令和5年11月14日東京都千代田区の「神田明神」へ。「神田明神」は、天平2年(730年)出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により、現在の将門塚周辺に創建されたそう。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として恐れられたため、延
【東京】山王祭で有名な「日枝神社」のお猿が可愛い御朱印帳と御朱印
令和5年11月14日東京都千代田区の「日枝神社」へ。「日枝神社」は、武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、更に文明10年(1478年)太田道灌公が江戸城築城にあたり、川越山王社を勧請して江戸城の鎮守としたのが始まりと
令和5年11月14日東京都港区の「赤坂氷川神社」へ。「赤坂氷川神社」は、天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村に祀られたのが始まりとされ、治暦2年(1066年)関東に大旱魃が発生した際には降雨を祈願したと伝わるなど、1000年以上の歴史ある
【東京】東京タワーとコラボする徳川将軍家の菩提寺「増上寺」の御朱印
令和5年11月14日東京都港区の「増上寺」へ。「増上寺」は、浄土宗の七大本山の一つであり、明徳4年(1393年)浄土宗第八祖・西誉聖聡上人により根本念仏道場として創建されたそう。また、江戸時代初期には法主第十二世・源誉存応上人が徳川家康公か
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令和5年10月14日熊本県天草市の「倉岳山頂神社」へ。「倉岳山頂神社」は、古くより天草地方の人々が霊山と仰ぐ、天草諸島最高峰(標高682m)の倉岳山頂に鎮座し、漁民と航海の安全が祈願されます。山頂までは道幅が狭いカーブの連続が続くため、特に
令和5年3月4日奈良県生駒郡平群町の「朝護孫子寺」へ。信貴山「朝護孫子寺」は、醍醐天皇の病気平癒のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天に祈願すると、たちまち病気が癒えたと伝わり、天皇・朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として勅号を賜ったそう
令和5年9月10日静岡県磐田市の「府八幡宮」へ。「府八幡宮」は、奈良時代・天平年間(729~748年)に天武天皇の曽孫・桜井王が遠江国司として赴任した際、国の平安と繁栄を祈って建立されたと伝わります。また、当地は徳川家康公が関ヶ原の合戦に向
令和5年11月14日東京都港区の「豊川稲荷東京別院」へ。「豊川稲荷東京別院」は、江戸時代に大岡越前守忠相公が日常的に信仰していた豊川稲荷の御分霊をお祀りしたのが始まりとされ、明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に遷座されました。また、豊
令和5年10月14日長崎県島原市の「島原城」へ。「島原城」は、元和4年(1618年)松倉重政公が着工し、約7年の歳月を経て築城した五層天守閣を持つ百名城であり、以来、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田氏と四氏十九代の居城となりました。その間、寛永
令和5年10月15日熊本市の「健軍神社」へ。「健軍神社」は、阿蘇四社の一つとして熊本市内で最も古い神社と伝わり、八丁馬場と呼ばれる長い参道は、加藤清正公が馬の訓練場として利用したほか、清正公が植えられたと伝わる杉並木が残ります。また、明治1
長崎県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。異国情緒漂う長崎市が町を挙げて催す「長崎くんち」の神社をはじめ、キリシタン弾圧の歴史を色濃く残すお城など見どころ満載です♪随時更新中!(4寺社・4体)【長崎市】鎮西大社諏訪神社【島原
令和5年10月15日熊本県阿蘇市の「阿蘇神社」へ。「阿蘇神社」は、約2,300年前、孝霊天皇9年(紀元前282年)の創建と伝わり、全国に約500社あるとされる阿蘇神社の総本社として、また肥後国一之宮として崇敬されます。平成28年の熊本地震に
令和5年11月14日東京都港区の「タワー大神宮」へ。「タワー大神宮」は、昭和52年に東京タワーの創立20周年を記念して神殿が造営された後、令和元年の展望台大改修に際して、メインデッキ内に新たに社殿を造営されたそう。近隣の増上寺とのコラボが見
令和5年11月25日京都府長岡京市の「長岡天満宮」へ。「長岡天満宮」が鎮座する長岡の地は、菅原道真公が在原業平らと共にしばしば詩歌管弦を楽しまれた縁深い場所であり、道真公が太宰府へ左遷された際、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜し
熊本県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。復興中の熊本城をはじめ、加藤清正など戦国武将にちなむ神社、阿蘇の大自然に鎮座する神社など見どころ満載です♪随時更新中!(10寺社・12体)【熊本市】熊本城加藤神社...
令和5年11月25日京都市東山区の「清水寺」へ。音羽山「清水寺」は、宝亀9年(778年)の開創と伝わり、古くから観音霊場として庶民から篤く信仰されてきました。「清水寺縁起」によると、奈良の僧・賢心が「北へ清泉を求めて行け」という霊夢に従い、
令和5年11月25日京都府長岡京市の「楊谷寺」へ。「楊谷寺」(柳谷観音)は、大同元年(806年)洛東清水寺の開祖・延鎮僧都が霊夢によりこの地を訪ねると、柳(楊)が茂る渓谷に十一面千手千眼観世音の尊容を拝することができたため、草庵を建てて菩薩
令和5年11月25日京都市東山区の「高台寺」へ。鷲峰山「高台寺」は、正しくは高台寿聖禅寺といい、慶長11年(1606年)豊臣秀吉公の菩提を弔うために、秀吉公夫人・北政所(ねね)が開創したそう。また、寛永元年(1624年)建仁寺の三江紹益禅師
京都府(京都市外)でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめました。随時更新中!(31社寺・62体)<京都市外編>【宇治市】平等院(鳳凰堂) 平等院(最勝院・浄土院) 三室戸寺 興聖...
京都府(京都市内)でいただいた【御朱印】【御首題】を市区別にまとめました。随時更新中!(109ヵ寺・272体)京都市内は、大小様々な魅力的な寺社が密集し、御朱印も数種類ある寺社が多く、何度通っても終わりが全く見えてきません・・・あまりに数が
令和5年11月14日東京都千代田区の「神田明神」へ。「神田明神」は、天平2年(730年)出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により、現在の将門塚周辺に創建されたそう。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として恐れられたため、延
令和5年11月14日東京都千代田区の「日枝神社」へ。「日枝神社」は、武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、更に文明10年(1478年)太田道灌公が江戸城築城にあたり、川越山王社を勧請して江戸城の鎮守としたのが始まりと
令和5年11月14日東京都港区の「赤坂氷川神社」へ。「赤坂氷川神社」は、天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村に祀られたのが始まりとされ、治暦2年(1066年)関東に大旱魃が発生した際には降雨を祈願したと伝わるなど、1000年以上の歴史ある
令和5年11月14日東京都港区の「増上寺」へ。「増上寺」は、浄土宗の七大本山の一つであり、明徳4年(1393年)浄土宗第八祖・西誉聖聡上人により根本念仏道場として創建されたそう。また、江戸時代初期には法主第十二世・源誉存応上人が徳川家康公か
令和5年3月26日京都市中京区の「宝蔵寺」へ。「宝蔵寺」は、弘法大師空海の創立と伝わり、文永6年(1269年)如輪上人により元西壬生郷に開基され、天正9年(1581年)玉阿律師により中興再建された後、天正19年(1591年)豊臣秀吉の寺町整
令和5年3月21日滋賀県甲賀市の「水口城」へ。「水口城」は、寛永11年(1634年)三代将軍・徳川家光公の上洛に際し、東海道の南側に「宿館」として築かれたものの、実際に家光公が利用したのはその1度きりであったそう。また、天和2年(1682年
令和5年3月21日滋賀県甲賀市の「水口神社」へ。「水口神社」は、創建は定かではないが、平安時代の延喜式では近江国155座・甲賀郡8座の1に選ばれるなど、古くから大宮大明神と称され、信仰を集めたそう。また、当社の例大祭「水口まつり」では、享保
福島県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。白虎隊にまつわる寺社やお城のほか、喜多方ラーメンの聖地など盛りだくさんです♪随時更新中!(10寺社・14体)【福島市】福島稲荷神社【郡山市】開成山大神宮安積国造神社...
宮城県でいただいた【御朱印】を市町村別にまとめてみました。仙台藩主・伊達政宗公にまつわる寺社や、仙台出身の羽生結弦ファンの聖地の神社など盛りだくさんです♪随時更新中!(20寺社・36体)【仙台市】輪王寺仙台城瑞鳳殿...
令和5年2月26日三重県鈴鹿市の「彌都加伎神社」へ。「彌都加伎神社」(みずがきじんじゃ)は、遠い昔からこの地で「土」に携って生活していた人々や土地の有力者達により、土を司る神様がお祀りされており、醍醐天皇の延喜5年(905年)大土御祖神を村
令和5年2月22日愛知県豊川市の「菟足神社」へ。「菟足神社」(うたりじんじゃ)は、白鳳15年(686年)の創立とされ、穂の国(東三河)の国造に任ぜられた菟上足尼命をこの地にお祀りしたのが始まりと伝わります。また、稲の豊作を願う「田まつり」や
令和5年2月26日三重県鈴鹿市の「加佐登神社」へ。「加佐登神社」は、日本武尊と天照大御神を御祭神とし、伊吹山の戦いで傷つき病に侵された日本武尊がこの地で生涯を終えたと伝えられます。本殿北の「白鳥塚」は、県下最大の前方後円墳であり、古くから日
令和5年2月22日愛知県豊川市の「宮道天神社」へ。「宮道天神社」は、天武天皇元年(672年)天智天皇の皇子・大友皇子と皇弟・大海人皇子が皇位を争った壬申の乱の際、草壁王子(大海人皇子の子、後の天武天皇)が宮路山・嶽ヶ城に陣を構えたと伝わり、
令和5年2月22日愛知県豊川市の「善住禅寺」へ。「善住禅寺」は、神亀から天平年間(724~740年頃)行基菩薩により、自作の馬頭観音菩薩像(萩園観音)を奉安する草堂として開かれたのが始まりと伝わります。また、室町期には奥平氏が萩に進出した際
令和5年2月22日愛知県豊川市の「養学院」へ。転法輪山「養学院」は、真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊:みちびき不動尊のほか、宗祖弘法大師、派祖理源大師、大峯開山神変大菩薩をお祀りし、厄難除去・家相判断・姓名判断を祈願する多くの参拝者が訪れま
令和5年2月18日愛知県常滑市の「洞雲寺」へ。御嶽山「洞雲寺」(とううんじ)は、弘治元年(1555年)善海法師による開山と伝わります。白鳳年間に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が天竺の香木で刻んだ聖観世音菩薩像を御嶽山に安置し、知多半島第一の
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「大樹寺」へ。「大樹寺」(だいじゅじ)は、文明7年(1475年)安城松平家初代・親忠公により、浄土宗鎮西派の勢誉愚底上人を開山として建立され、松平家の菩提寺としたそう。また、元和2年(1616年)徳川家康公の
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「岡崎天満宮」へ。「岡崎天満宮」は、建保5年(1217年)順徳天皇の皇女の病気平癒を祝って建てられた総持尼寺の鬼門除けとして創建されたと伝わり、東海道「岡崎宿」の総鎮守としても崇敬されます。また、梅の名所とし
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「菅生神社」へ。「菅生神社」(すごうじんじゃ)は、景行天皇の御代、日本武尊が東征の際(110年)、現在の菅生河畔にて矢を作り、神風にて一矢を吹き流し、その矢を以って伊勢大神を奉祀されたと伝わる岡崎最古の神社だ
令和5年2月12日愛知県岡崎市の「伊賀八幡宮」へ。「伊賀八幡宮」は、文明2年(1470年)松平親忠公が、松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄・武運長久の氏神として創建したのが始まりとされます。また、徳川家光公が先祖伝来の守護神に祖父・家康公(東照
令和4年6月4日愛知県日進市の「大安寺」へ。「大安寺」は、昭和9年(1934年)初代管主・森夢幻により視聴覚伝道を目的に設立された日本で唯一の宗教公園「五色園」内にあります。また、松竹梅、桜、紅葉の五種の樹木の彩りから「五色園」と名付けられ
令和4年6月18日福井県越前町の「劔神社」へ。「劔神社」は、第14代仲哀天皇の第二皇子・忍熊王により、座ヶ岳の峰に祀られていた素戔嗚大神の御神霊をこの地に斎き祀られたのが始まりと伝わります。また、平重盛をはじめ、朝倉・織田・徳川・松平らの武
令和4年6月26日京都市左京区の「南禅寺」へ。「南禅寺」は、亀山天皇が母・大宮院の御所として造営した離宮を、正応4年(1291年)に無関普門禅師を開山として寺に改めたのが始まりとされます。臨済宗南禅寺派の大本山であり、正しくは太平興国南禅禅
令和4年6月4日愛知県日進市の「岩崎城」へ。「岩崎城」は、享禄年間(1528~31年)織田信秀(信長の父)により築城され、その後、徳川(松平)方に尾張攻略の足掛かりとして攻め落とされたのち、天文年間からは地方の土豪・丹羽氏四代(約60年間)