GOOblogでは約10年前からお世話になりましたが、サービス終了ということで新しいブログに引っ越すことになりました。永い間本当にお世話になりました。新しいブログは「はてなブログ」というところです。タイトルは「新イタリアの誘惑」で、現在と変わりません。まだ使用法も完全に理解しているわけではありませんが、とりあえず1回目をアップしました。アドレスは以下の通りです。glori69059osa.hatenablog.com今後ともよろしくお願いいたします。当ブログから新しいブログに移行しました
心ふるえる風景 パリ編㊺ サンルイ島に 激情の女流彫刻家カミーユ・クローデルの足跡をたどる
大聖堂のあるシテ島は紀元前200年ころにケルト民族パリシイ人が集落を築いたパリ発祥の地として今も多くの観光客が集う場所となっているだが隣に位置するサンルイ島についてはあまり語られることが少ないそのサンルイ島に一つの悲しい物語を訪ねて訪れた繊細で印象深い作品を残した女流彫刻家カミーユ・クローデルの物語だカミーユは若くしてその才能を当時の彫刻界第一人者ロダンに認められ彼に師事したまもなく二人は相思相愛の仲となり同棲生活をスタートさせたしかしロダンには既に実質的な妻(ローズ・ブーレ)が存在していた劇場型のカミーユにとって自分一人だけを愛してくれない優柔不断のロダンは許せないものに映った次第に心を病みロダンの元を去って引きこもったのがサンルイ島のアパルトマンだった彼女の心は張り裂けたままアパート内で作品を制作して...心ふるえる風景パリ編㊺サンルイ島に激情の女流彫刻家カミーユ・クローデルの足跡をたどる
心ふるえる風景 パリ編㊹ 男女の右手と左手 「祈り」に通ずるロダンの作品に出会った
右手と左手がそっと組み合わされている離れもせずきつくもなく肌のぬくもりがかすかに伝わるかもといったほんのわずかな接触だけで留まっているこの手は一人の手ではないよく見ると大きさが異なっているたぶん一人の男の右手と一人の女の左手二人がお互いの一方の手を差し出して出来上がった形だその形は何を意味するのだろうか彫刻の作者はオーギュスト・ロダン彼が名付けたタイトルは「カテドラル」(=大聖堂)そうこの二つの手が一つになって出来上がったテーマは「祈り」だ大聖堂(カテドラル)の存在は人が為そうとしても成し遂げえない目的望み思いもかけずに陥ってしまった過ちや苦悩そんな人生の節々にたたずむ場所としてあるのかもしれないなら自分にとって祈りとは何なのだろうかロダンが具象化したこの作品が意味するものを見出せないままにロダン美術館の...心ふるえる風景パリ編㊹男女の右手と左手「祈り」に通ずるロダンの作品に出会った
心ふるえる風景 パリ編㊸ パリの記憶 時間 歴史をそのまま留めたコルメス・サンタンドレ小路に迷い込む
パリ左岸サンジェルマンデプレ地区を歩いているとこんなでこぼこ道に入った石畳があちこち擦り切れており穴が開いた個所までここはコルメス・サンタンドレ小路18世紀に建設されたパリでも最も古い通りの1つだパッサージュ(アーケードのある通り)として計画されたようだが現在アーケードはごく一部だけしかなくでこぼこ道は昔の日本の田舎道をも思い出させるだがこの通りには様々な歴史があったパリ最古のカフェと言われる「プロコープ」が今も営業中だ当初は文学サロンとしてヴォルテールやベンジャミン・フランクリンらが集い革命期一方小路9番地の作業場では18世紀後半に人間の処刑装置であるギロチンが制作されたあの王妃マリーアントワネットもこの装置で命を絶たれたことで有名だまた画家バルティスはここで「サンタンドレ小路」というタイトルの絵を残し...心ふるえる風景パリ編㊸パリの記憶時間歴史をそのまま留めたコルメス・サンタンドレ小路に迷い込む
心ふるえる風景 パリ編㊷ サンジェルマンデプレ教会で出会った 慈しみに満ちた聖母の表情
セーヌ川左岸にあるサンジェルマンデプレ教会はパリに現存する最古の教会だパリでは数少ないロマネスク様式で建造されているゴシック建築のノートルダム大聖堂などと違って観光客は少ない境内に入るとひんやりした空気に包まれる感覚だステンドグラスから差し込む光を浴びながらほぼ一周し終えようとした頃一体の像に出会った13世紀中ごろと推定される聖母子像20世紀後半に教会近くの壁の土台から発見されたとのことで像全体のうち右半身は失われた形だった顔も鼻の一部は欠けた状態だが衣をかぶって抱きかかえる我が子を見つめる表情は慈しみに満ち優しさの極地とでも言えそうな微笑みを湛えて居る人が心から湧き上がる愛の気持ちを表現する時これ以上はないだろうと思える目元口元ほほの温かさ・・・以来私はこの像の表情を自らの心に大切に刻み続けている心ふるえる風景パリ編㊷サンジェルマンデプレ教会で出会った慈しみに満ちた聖母の表情
心ふるえる風景 パリ編㊶ 師走の夜 街角に浮かび上がったサンジェルマン・デプレのショーウインドウ
12月の夜サンジェルマン・デプレ地区を歩いていてあるショーウインドウを見かけたここは靴店冬場だけに落ち着いた色のシューズが陳列されているただ日本でいつもみかける陳列法とは全く違った形が目を惹くまず一足ずつ並べているのではなく片方の靴だけが並ぶそれも互い違いに上下に並べられているうえ一つとして平行にはなっていないまるで木の実のようにあるいは大きな葉に止まった蝶のようにゆらりゆらりと空中に浮かんでいる照明も斜めからの光線で商品には微妙な陰影までつけられている「どうぞこれらの靴を自由気ままに履きこなしてください」そんなメッセージが込められているのかもしれない眺めているうちにふと気が付いた今は12月そうこれは「クリスマスツリー」今年一年を締めくくるとともにキリスト誕生を祝う月に「心尽くしの感謝を込めたプレゼントに...心ふるえる風景パリ編㊶師走の夜街角に浮かび上がったサンジェルマン・デプレのショーウインドウ
心ふるえる風景 パリ編㊵ パリで 日本のアニメ人気のすごさを改めて認識させられた一日
何年か前のパリ滞在中ちょうど「ジャパンエキスポ」がパリで開催中だった日本の様々な文化をパリっ子に紹介しようという企画だが一番の目玉であり人気は「日本のアニメ」だった会場に入る前のチケットを買う広場からもう大混雑日本発のアニメキャラの扮装をした若者たちでごった返していたなかでも特に人気が集中していたのが「ワンピース」ある舞台上ではすっかりキャラクターになり切った若者がさっそうと演技の最中だったその他にも会場のあちこちで催されたイベントでフランス人によって再現されたアニメのシーンがたっぷりと展開されていた私はアニメについてはほとんど知識がなかったのでそれぞれのキャラクターがどんなアニメを基にしているのか理解できなかったがどれほど外国で日本のアニメが人気でどれほど浸透しているのかしっかりと認識させてもらった一日...心ふるえる風景パリ編㊵パリで日本のアニメ人気のすごさを改めて認識させられた一日
心ふるえる風景 パリ編㊴ ロバート・キャパとゲルダ・タロー 二人の出会いの原点はモンパルナスのカフェだった
スペイン戦争や第二次世界大戦で数々の決定的写真を残した報道写真家ロバート・キャパ彼が故郷ブダペストからパリに出た翌年の1934年その人生を大きく変える出会いがパリの街角で起こったセーヌ左岸モンパルナス大通りにある「カフェ・クーポール」当時は本名のアンドレ・フリードマンとして活動していたが売れない無名のカメラマンに過ぎなかった素敵なモデルを探そうと通りを歩いていると「クーポール」のテラスにいる一人の女性が目に止まった声をかけると本人は辞退したものの彼女の友人を紹介してくれたその女性がゲルダ・タローだった二人は急速に親しさを増した彼女は写真家であるだけでなくプロモーション能力にも長けておりまずアンドレの名前を「ロバート・キャパ」と改名させ写真のタイトルやキャプションも担当したそうした巧みな作戦によってキャパは...心ふるえる風景パリ編㊴ロバート・キャパとゲルダ・タロー二人の出会いの原点はモンパルナスのカフェだった
心ふるえる風景 パリ編㊳ モンパルナスのカフェで モディリアニの若き妻ジャンヌの視線を感じた
モンパルナスの地下鉄ヴァヴァン駅前にカフェ「ラ・ロトンド」があるこのカフェは1903年開業以来多くの文化人や芸術家たちの集まる店となり毎夜芸術論を論じる空間となった無名の画家だったモディリアニはここにきては店のナプキンに客の似顔絵を描きそれを売っては食事と酒代を工面していた日本からやってきた藤田嗣治はカウンターにモデルを上げてダンスに興じることもあった他にもエコール・ド・パリの画家たちが常に席を占めていたパスキンローランサンシャガールなど・・・少し前の時代には北部のモンマルトルが若き芸術家たちの拠点だったが家賃の高騰や地下鉄南北線開通によって来やすくなったモンパルナスが新しい拠点となったセーヌ川左岸に宿を取った時朝食は予約せず毎朝散歩がてらサンジェルマン地区を通って「ロトンド」でクロック・ムッシューの朝食...心ふるえる風景パリ編㊳モンパルナスのカフェでモディリアニの若き妻ジャンヌの視線を感じた
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神田神保町にあるビアレストラン「ランチョン」。ここは1909年創業という地域でも指折りの老舗レストランだ。建物も創業時そのままとまではいかないもののクラシカルな雰囲気をそのまま残す落ち着いた風情を保っている。正面のドアを開けるとすぐ、木製の螺旋階段に出会う。客席は全て2階にあるため、すべての客はこの階段を経験することになる。幅はさほど広くはないが、決して狭すぎもしない。数段上がると螺旋状の折り返しとなり、踊り場の棚には人形や創業時の写真などが飾られていた。グリーンの手すりに触れながら2階に到着する。初めは、この階段ならさぞかしギシギシと音がするのかと思ったが、メンテナンスもしっかりとされているのかミシリともせずに上階に辿りついた。客席は意外に広く、私が訪れた夕方5時過ぎでも8分以上の席が埋まっており、それ...階段紀行・日本東京編㊳神保町の老舗レストラン「ランチョン」の渋い木製螺旋階段
お台場にある日本未来科学館は、科学技術の理解を深めるための拠点として2001年にオープンした施設だ。玄関ホールに入って最初に驚くのが、広い空間の上に大きな地球(ジオ・コスモス)が浮いていること。その表面には人工衛星が映し出す宇宙の雲の模様が、くっきりと投影されている。最初からワクワクさせる驚きに出会うという仕組みだ。階段は直線で上階に繋がる。すぐ横に並行してエスカレーターが設置されているが、階段マニアとしてはやはり階段を上って行こう。格段毎にブルーのカラーが付けられていて、入口で見上げると、その青いライトが上へ上へ奥へ奥へとどこまでも続き、ひょっとしてこの階段は建物を突き抜けて空へと昇って行くんじゃないかと錯覚を起こさせる雰囲気を持っている。それは宇宙科学の粋を集めたビルだから、という思い込みのせいかもし...階段紀行・日本東京㊲建物を突き抜けて空へと続きそうな日本科学未来館の階段
お台場のフジテレビビルは、建物の中央に球形の空間があることでも有名だが、その他ビル側面に大階段が設置されていることも、大きな特徴となっている。大階段は夜になると、七色の照明でライトアップされることは意外に知られていない。師走の夜、別の用事で出かけた時、その大階段が明るく光っているのに気づき、近づいてみた。階段は百段近くはありそうで、幅もかなり広い設計になっているが、その格段毎に違ったライトで彩色されているのが目についた、しかも数十秒ごとに配色が変化してゆく。初めは下の階の暗い紫から徐々に明るくだいだい色へと変わっていく。しばし眺めていると、次の時間帯は一番下が赤。そこから緑を経て最上階は白に近い明るさへと変化していった。そんなバラエティに富んだ照明の仕掛けは、とても楽しめる内容だった。“中居問題”でスポン...階段紀行・日本東京編㊱お台場の夜に目を惹くフジテレビの照明大階段
2025年11月に東京都京橋に、戸田建設の超高層ビルがオープンした。その1階にあるアートスペースに、階段アートとも言うべき作品が展示された。地上から発生した階段状の曲線が、巨大な吹き抜け空間に躍り上がり、くねくねと曲がり、交じり合い、天井付近で突然途切れる。いや、目に見えないどこかで、別次元の空間を飛び回っているのかもしれない。流れを追っている者の心の中に、新鮮なリズムを奏でているようにも見える。上階に昇って見下ろしてみると、透き通る階段の上を突然透明人間が走り降りてくるかも、とさえ思わせる軽快なカーブが地上にまで続いている。作者は東京芸大卒の芸術家持田敦子。タイトルは「steps」広い空間が提供されていることから、そのスペースを最大限に活用して伸び伸びと展開した階段アートはいつまで見ていても飽きない楽し...階段紀行・日本東京編㉟東京駅前の大都会新しい戸田ビルの1階で、奔放な階段アートが空間を飛んでいた
ヴィチェンツァの郊外にあるアンドレア・パッラーディオのもう一つの傑作建築を見に出かけたバスで約15分目的の「ラ・ロトンダ」は1567年に完成した別荘だ施主の名前を取ってヴィラ・アルメリコ・カプラとも呼ばれるロトンダとは円形のことを指す言葉なので丸い建物かと思っていたが見ると形は四角形ただ上方のドームの円さが目についた四辺はいずれも大階段に囲まれ6本のイオニア式列柱が並ぶ装飾は少ないが統一性と調和という点では他のパッラーディオ建築と共通する感じだ日差しの強い外から少し薄暗い内部空間に身を置くとすぐあれ!と驚くことがあった奥の部屋からドアを開いておしゃれな服を着た少女が顔を出し「こんにちは」と挨拶している目まいのような一瞬だったもう一度見直すとその少女は壁に描かれただまし絵だった少女だけではない半分開かれたド...心ふるえる風景北中部イタリア編⑨パッラーディオの別荘で出会った可愛い少女が実は!!!
ヴィチェンツァはイタリア北部パドヴァとヴェローナとの中間に位置する人口12万人の街ルネサンスの天才建築家アンドレア・パッラーディオの建築が街中に展開されておりこの街は「パッラーディオの街」として有名だその彼の最期の作品であるオリンピコ劇場を見に出かけた駅からパッラーディオ大通りを歩いて突き当りにその建物が見えてくる中に入って驚かされるのがその舞台だ正面に横に広がる大きな門が存在する門と言っても単なる仕切りではなく王宮の城壁を連想させる造りで各所に彫像が配置されるなど壮大な広がりを持っているさらに入口の奥には壮麗な建築群に挟まれた大通りが見通せ上空には空がのぞいているこの情景は古代エジプトに栄えたテーベの街が再現されたものだという観客席は階段座席になっており後方の柱の上には28体の彫像が並ぶ演劇が始まらなく...心ふるえる風景北中部イタリア編⑧ヴィチェンツァの劇的構成の劇場で素晴らしい音楽に包み込まれた
夕刻レストランを探して街を歩くうち大運河に突き当たった周辺はハプスブルク帝国女王マリア・テレジアの都市計画で整備された新古典主義の堂々とした建築が華麗に並んでいる通りを1つ裏に入ってよさげな店を見つけた注文したのはエビのフリット海辺の街だけあってエビはプリプリで最高白ワインもすっきりとした味で大満足だった店を出るともう街はすっかり夜の装い8時を過ぎたばかりなのに街を歩く人は少ない風が出てきた急に勢いを増してボタンをはずしていたコートが引きずられるよう気の早いクリスマスイルミネーションがバタバタと揺れ急速な気温の低下を感じるそういえば須賀敦子のエッセイにトリエステの季節風「ボーラ」のことが書いてあったっけ大運河のさざ波が一層激しさを加え係留してあるボートを左右に揺らし始めた突き当りにあるサンジョヴァンニ教会...心ふるえる風景北中部イタリア編⑦トリエステの夜季節風の前兆にコートが翻った
明るい陽光の降り注ぐ海岸から山側の通りに入った少し喉が渇いていたのでカフェに入って一休みすることにする確かここはラザレット・ヴェッキオ通り通りのどこかにウンベルト・サバの詩があるはずマスターに尋ねるとすぐに教えてくれた「隣の建物の壁だよ」「トリエステには閉ざされた悲しみの長い日々に自分を映してみる道があるラザレット・ヴェッキオという名の」ラザレット・ヴェッキオ「古い伝染病院通り」と名付けられた道だ以前の回にも触れたようにトリエステはローマ、ヴェネツィア、そしてオーストリアと様々な国の支配を受け続け決して主役にはなりえないままに歴史の変遷を重ねてきたそんな環境の中で生きてきた人々の思いを映し出すかのような道路名ここから海は見えないまた展望の拓ける高台も急な坂道の先にある少ない人通りの空間を一陣の風が吹き過ぎ...心ふるえる風景北中部イタリア編⑥トリエステは悲しみを意味するイタリア語を思い起こさせる
トリエステの街の中心はウニタ・デ・イタリア広場(イタリア統一広場)だアドリア海を背にして広場を見ると向かって左側に政庁舎とヴェルディ劇場右側に旧ロイドトリエステ館ロイド商会は世界的な海運会社の名称だそして中央にネオクラシック様式の市庁舎がドンと構えるただイタリアを歩いてきて他の都市と異なることに気づいたミラノヴェネツィアフィレンツェどの都市に行っても最大の広場は教会を中心に造られていたなのにトリエステ最大の広場には教会がなく代わりに海運会社ビルがある港湾都市として発達した歴史を物語る何よりの証拠のように思われるこの広場が異彩を放つのは夜だ市庁舎を中心に設置された照明装置が一斉に点火されると周囲は異世界の光景に変容する建物に放たれる光は下から上に向かって照射され浮遊感に溢れる姿が浮かび上がり手前側の車止め石...心ふるえる風景北中部イタリア編⑤トリエステ中央広場の夜は独特な異世界の光景が展開される
トリエステにはゆかりのある偉人の像が何気なく道路上に置かれている大運河に架かる赤い橋(ポンテロッソ)の途中にはジェームス・ジョイスが立っているぼうしを斜めにかぶったちょっと粋な姿の彼は長編小説「ユリシーズ」で世界的に知られる彼はアイルランド出身だが1904年から1915年までトリエステに英語教師として滞在していたこの地をこよなく愛しており像の下の碑文には「わが魂はトリエステに在り」と刻まれていた運河近くダンテ通りの路上にステッキをついて散歩中の紳士像があるイタリア現代の代表的詩人であるウンベルト・サバ彼は1919年トリエステで中古書店「古今書店」を購入しこの地で晩年を過ごした碑文には「岩の多い山ときらめく海に挟まれた美しい街があった」とトリエステを表現した文章が残されているサバを敬愛しイタリアに関する多く...心ふるえる風景北中部編④トリエステの街ではあちこちで散歩する偉人たちに出会う
現在イタリア北中部の風景を連載中ですが、期間限定の階段を見つけたので一回だけ「階段紀行」を挟みます。今週、ⅯⅬBの開幕戦ドジャーズ対カブスの試合が東京ドームで開催された。チケットは取れなかったが雰囲気だけでも、とドームに行ってみた。東京ドームにはジャイアンツの偉大な選手の功績を顕彰する2つの階段がある。対象はもちろん王、長嶋の2選手だ。場所は22番ゲート。その一塁側階段が「王ゲート」、三塁側階段が「長嶋ゲート」と命名され、階段上方に月桂樹が施され、壁面にはそれぞれの全身像があしらわれている。その階段が3月18,19の両日、特別な変身を見せた。大リーグ仕様に変化したのだ。「王ゲート」の階段にはシカゴカブスの文字が入り、球団ロゴも加えられた。一方「長嶋ゲート」はドジャーズの文字と球団ロゴ。どちらもチームカラー...階段紀行・日本東京編㉞大リーグ開幕試合に特別仕様が施された東京ドーム「王・長嶋ゲート」の階段
見上げると陽が傾き始めていたアドリア海に沈みゆく太陽に埠頭に集う人たちも次第に会話を止め沈黙の中でじっとその行方をみつめ続けている次第に夕陽が世界を赤く染めて行く空を海を街を潮騒のリズムに合わせてきらめく光の粒が明るいオレンジから暗赤色へと変化を続けているまばゆさというより吸い込まれてしまいそうな深みを伴う朱色そんな光を埠頭で見つめていた髪の長い女性がふと立ち上がったすらりと伸びた体が濃く彩られた光の中でシルエットとなり時が止まったこれまで見たこともなかった劇的な一瞬哀しいまでに美しい光の変化を見続けて育つ人は心に何を宿すのだろうか日没後埠頭から人影が消え闇の世界に閉ざされて行く様子をポツンと一人見つめ続けている自分に気づいた時世界はすっかり冬の寒さに支配されてしまっていた心ふるえる風景北中部イタリア編③アドリア海の夕陽の中で髪の長い女性のシルエットが時を止めた
アドリア海の広がる埠頭に向かった海に突き出るように設定された埠頭はモーロ・アウダージェ(勇者の埠頭)と名付けられているその突端で釣り糸を垂れていた老人に旅の途中と思しき若い女性が話しかけた「この海の向こうに見えるのはどこですか?」「向こうかい向こうもイタリアさ」そうトリエステはイタリア海を挟んだ向こう側もイタリアトリエステはイタリア最東部イタリア半島ではなくヨーロッパ大陸に位置しているイタリア半島をアドリア海を挟んで向こう側に眺めることの出来るイタリア唯一の都市なのだこうした地理的特徴は歴史を振り返るとトリエステの独自性につながるハプスブルク帝国時代栄華を誇った同帝国の弱点は内陸国で海への拠点を持たないことだったそれが帝国への帰属によってトリエステは軍事的経済的な発展を担う重要港湾都市の役割が与えられただ...心ふるえる風景北中部イタリア編②トリエステの埠頭で旅の女性が尋ねた「海の向こうは何処?」
今回からはイタリアに戻って「トリエステ」を訪ねますヴェネツィアから電車に乗ってトリエステに到着したここはスロベニアやクロアチアと接した国境の街11月の末という季節なのに珍しく気候に恵まれコートを脱いで駅舎から通りに歩き出した駅前のリベルタ広場で最初に出会ったのは多くの従者に囲まれて立つ女性の像だった正面に廻ってみると何と彼女はエリザベートオーストリア・ハプスブルク帝国の王女だったそこで思い出したここトリエステがイタリアに復帰したのは第二次世界大戦の後の20世紀従ってオーストリアの文化風習が未だに色濃く残っているのかもしれないそんな目で見てみるとイタリアにしてはちょっと異質な面が浮かび上がる街歩きの準備のため最初に入ったカフェはアールヌーヴォー風な内装が施されコーヒーもカプチーノだけではなくちゃんとウインナ...心ふるえる風景北中部イタリア編「イタリアじゃないイタリア」の北の街トリエステ
滞在していたホテルの近場にモネの代表作「サンラザール駅」を橋の上から見下ろせる場所があると聞いて出かけたクリシー広場からペテルスブルク通りを南下して行くとトゥリン通りクラペロン通りモスクワ通りという3つの通りが一か所で交差する大きな交差点に差し掛かった台形状の2つの大きなビルの先端がこちらに向いてその2つのビルによって道路が放射状に分かれた形になった風景が目の前に現れた「あれそうだこの風景はカイユボットが描いた絵にそっくりじゃないか」慌ててスマホでその絵を呼び出すとまさに絵とほぼ同じ構図の作品がそこにあった正式タイトルは「パリの通り雨」(ヨーロッパ橋)カイユボットは19世紀印象派グループの画家上流階級の子息で自らも作品を世に出すとともにドガルノワールモネらと交流し彼等の作品を買い上げて資金援助も惜しまなか...心ふるえる風景パリ編㊽名作の現場を訪ねて別の名作の場面に遭遇二十歳の興奮が蘇った
サクレクール聖堂を見学した後マネの遺作ともいうべき作品の舞台となったフォリー・ベルジェール劇場に向かった初めてのルートだったので何度も地図を見ながら進む9区に入って北東から南西に伸びるラファイエット通りを歩き東西に続くオスマン大通りとの交差点に達した少し行き過ぎたかもと後ろを振り向いた時意外な光景が目に入った手前にある教会に後方にそびえるサクレクール聖堂がすっぽりと乗っかったように重なっている言ってみれば奇跡的な2つの教会のドッキングが実現していたのだ手前の教会はノートルダム・ド・ロレット教会ここは印象派の画家たちにとって忘れがたい教会だドガの両親が結婚式を挙げた場所でありモネが洗礼を受けたところでもあるさらにカイユボットの葬儀もここで行われドラクロワもすぐ近くに住んでいたサクレクール聖堂はパリ北部を見上...心ふるえる風景パリ編㊼パリの重要な2つの教会がドッキングする奇蹟的な場所を見つけた
サクレクール聖堂モンマルトルの丘にそびえる高さ83mの教会は青空を背景にパリの市街を睥睨するかのように純白の雄姿を誇っているエッフェル塔やオペラ座などパリ中心部にある建築物とは一味違って3本の円形尖塔を持つビザンチン様式の建物は温かい雰囲気で人を迎え入れてくれる気がするそれはモンマルトルという地区が高き志を抱いてパリを目指した異国からの若者たちが修業し語り合い花開いて世界に飛び出した場所であるという事実と重ね合わせてしまうからかもしれない実際イタリアからモディリアニロシアからシャガールオランダからゴッホなど多くの若者がこの地で青春の血を燃やしたまた地元フランスでもルノワールロートレックユトリロらもここから羽ばたいた近世パリの芸術文化の大きな基点となったモンマルトルその地のシンボル的な建築がサクレクール聖堂...心ふるえる風景パリ編㊻モンマルトルに住んだゴッホもロートレックもなぜあのサクレクール聖堂を描かなかったのか
大聖堂のあるシテ島は紀元前200年ころにケルト民族パリシイ人が集落を築いたパリ発祥の地として今も多くの観光客が集う場所となっているだが隣に位置するサンルイ島についてはあまり語られることが少ないそのサンルイ島に一つの悲しい物語を訪ねて訪れた繊細で印象深い作品を残した女流彫刻家カミーユ・クローデルの物語だカミーユは若くしてその才能を当時の彫刻界第一人者ロダンに認められ彼に師事したまもなく二人は相思相愛の仲となり同棲生活をスタートさせたしかしロダンには既に実質的な妻(ローズ・ブーレ)が存在していた劇場型のカミーユにとって自分一人だけを愛してくれない優柔不断のロダンは許せないものに映った次第に心を病みロダンの元を去って引きこもったのがサンルイ島のアパルトマンだった彼女の心は張り裂けたままアパート内で作品を制作して...心ふるえる風景パリ編㊺サンルイ島に激情の女流彫刻家カミーユ・クローデルの足跡をたどる
右手と左手がそっと組み合わされている離れもせずきつくもなく肌のぬくもりがかすかに伝わるかもといったほんのわずかな接触だけで留まっているこの手は一人の手ではないよく見ると大きさが異なっているたぶん一人の男の右手と一人の女の左手二人がお互いの一方の手を差し出して出来上がった形だその形は何を意味するのだろうか彫刻の作者はオーギュスト・ロダン彼が名付けたタイトルは「カテドラル」(=大聖堂)そうこの二つの手が一つになって出来上がったテーマは「祈り」だ大聖堂(カテドラル)の存在は人が為そうとしても成し遂げえない目的望み思いもかけずに陥ってしまった過ちや苦悩そんな人生の節々にたたずむ場所としてあるのかもしれないなら自分にとって祈りとは何なのだろうかロダンが具象化したこの作品が意味するものを見出せないままにロダン美術館の...心ふるえる風景パリ編㊹男女の右手と左手「祈り」に通ずるロダンの作品に出会った
島歩きの遅い午後ホテルに帰る途中前を歩く少年を見つけたユニフォーム姿大きな荷物を背負ってでも軽快に歩いて行く1時間ほど前グラウンドで見かけたサッカー少年団の1人だろうかかなり激しいトレーニングの最中でみんな真剣にボールを追いかける姿が印象的だったが今見掛ける少年は打って変わって全身から開放感が漂っているやり終えた練習をクリアーして近づく試合でのシュートシーンをシミュレーションしているのだろうか家ではマンマ自慢のパスタが湯気を立てながら少年の帰りを待っているのに違いないそんな空想をしながら歩いて行くと周囲の台所からトマトソースの温かい香りが漂ってきた心ふるえる風景南イタリア編⑨島で見かけたサッカー少年の温かい後ろ姿
プロチダ島は猫たちの天国だ浜を歩くとどちらからともなく猫たちが現れじゃれ合って遊んだりあるいは寝そべって日向ぼっこそんな光景が日常的に見られる猫たちは珍しくも姿を見せた東洋人を興味深そうに観察していて逃げる様子など全くなかったこの島は漁業の島だけに彼らにとってエサの心配は皆無朝漁から引き上げてきた漁民たちは普通にこの猫たちに小魚などを与えているし彼らを呼ぶときも「nostrogatto」(私たちの猫)と呼んでいた島民みんなで慈しんでいることが自然に伝わってきたつまりこの猫たちは野良猫でもなければ「Aさんの」とか「Bさんの」とかではなくて「島民みんなの」共通の猫たちなんだということを日々の生活の中で学ばせてもらった心ふるえる風景南イタリア編⑧プロチダ島は猫たちの天国だった
プロチダ島の北端に立つとイタリア半島・ナポリの街が見えるさらにヴェスヴィオ火山の雄大な姿が浮かび上がるこの火山は起源79年に未曽有のの大噴火を起こしポンペイの街を火山灰で地中に埋め尽くしたそんな山の頂上付近に太陽が沈んで行く空に広がる薄い雲で全体がヴェールに包まれたような風景だ手前を航行する船の姿を眺めながら街で買ったサンドイッチをかじっていると徐々に山を含む景色が一層霞の中に隠れはじめ夕陽は濃いオレンジの球となって存在感を高めだした「この瞬間は私の時間」主役となった太陽がそう宣言するかのように輝き数分後には悠然と山頂に姿を没していったそれは世界が静寂という言葉に支配された時間だった心ふるえる風景南イタリア編⑦地中海の島で見た夕暮れ時は静寂が支配していた
この小さな島に連泊しているといつしか島の子供たちとも顔見知りになる初めはそっと遠くから見ていたのが2日目にはもう話しかけてきた「どこから来たの?」「何してるの?」「ニッポンてどんなとこ?」カメラを担いで歩いているとリクエストが始まった「私たちも撮ってよ」そしてシャッターを切る瞬間さっとポーズをとってくれた明るく元気で限りなくおちゃめな天使たち彼女たちのおかげで絶品のパスタを出す店を知ることが出来たし小さく美しいマリア像のある教会を見つけることも出来たあれからもうだいぶ歳月が過ぎた彼女たちはすっかり健やかに成長し今頃は元気いっぱいの青春を謳歌していることだろう心ふるえる風景南イタリア編⑥島ではおちゃめな天使たちに出会った
パブロという名前の付いた世界的に著名な3人がいる独創の世界を創造した天才芸術家パブロ・ピカソ鳥の歌が心に染みるチェロ奏者パブロ・カザルスそしてノーベル文学賞の詩人パブロ・ネルーダネルーダは故国チリでの政治的迫害を受けてイタリアに亡命したがその時代をテーマにした映画が製作されている「イル・ポスティーノ」(郵便配達夫)のロケはこのプロチダ島で行われたネルーダの滞在先として選ばれたのが画面中央の黄色い家だった地元の青年が郵便局に就職し配達夫になったが小さな村だけに郵便の届け先はほぼ亡命中のネルーダ宛ばかり毎日ここに通ううちに詩人との交流が芽生え次第に文学に目覚めて行くというストーリーだった温暖な気候涼やかな海風の浜辺で交わされる会話と交流の様はまさにプロチダ島ならではの心温まる情景だった主役の配達夫を務めたマッ...心ふるえる風景南イタリア編⑤「イル・ポスティーノ」のロケはここプロチダ島で行われた
プロチダ島の街を歩いていて通りに聖母像がかかっているのを見かけた交差点の建物の壁で少し影になっている場所哀しみを湛えた聖母の表情はとても印象的だった思い起こすと街角の聖母像はあちこちで見つけたフィレンツェでもヴェネツィアでも「マドンナ・デッラ・ストラーダ」街角の聖母と呼ばれるほとんどは赤児のキリストを抱く聖母の姿とても柔和な表情の聖母像が多かったただこの島の絵に描かれたのは十字架に架けられて昇天した後のキリストの遺体を抱える聖母像だルネサンス芸術の主役として脚光を浴びたフィレンツェやアドリア海の女王として君臨したヴェネツィアではなく歴史の表舞台に登場したこともない小さな孤島そんな場所だかろこそ街頭の像も陰影を含んだ構図の絵が掲げられているのだろうか余計な推量を巡らせていた未熟な異邦人に地元の古老が笑顔で話...心ふるえる風景南イタリア編④プロチダ島で「巡礼者の聖母」に出会う
島歩きの途中ナポリ便の発着地・コリチェッラ港近くの広場から軽快な音楽が聞こえてきた近づいてみると島の中学生たちが村祭りの一環として演奏を始めるところだった白い制服に身を包んで明るく演奏する姿はとても楽しい光景ですごく上手とは言えないまでも聴く側をもわくわくさせる聞き入りながら聴衆の列を見回すとちょうど私の向かい側に若い女性たちの姿が見えた満面の笑顔それも心からの親しみを込めた涼やかで一点の曇りもない表情聞くとこの中学のOGなんだという後輩たちの元気いっぱいの演奏を慈しみの気持ちを含みながら見守る様子がまるで午前中に訪れた教会で祭壇に飾ってあった天使の絵のように素敵な輝きを放っているように思えたひと時だった心ふるえる風景南イタリア編③中学生たちの演奏をOGたちは笑顔と拍手で見守った
プロチダ島のホテルは眼下に海の広がる高台の部屋だ朝から外を見ていると地中海の海は”青い”とうなってしまう特に晴れた日の午後は何艘ものボートが浮かび陽光に照らされた船体が白く輝くのを見るとその対照として周囲に広がる水面はどこまでも透き通るかのような明るさで際立つボートが速力を上げて波しぶきを立てると跳ね上げて形成した航跡を鮮やかに示して見せた後ほんの数十秒後には一層の青さをもって水面を鮮烈なブルーに変貌させてしまうそれも平穏を保っていた先ほどまでのブルーではなく「アズール」とでも表現されるような濃厚の色合いを演出してみせる時に優しく時に激しく何者にも制限されない自由奔放さで海は「青のダンス」を展開していく心ふるえる風景南イタリア編②地中海の海が華やかに「青」のダンスを繰り広げる
ある日書店の店頭で旅行雑誌を立ち読みしていたら目の覚めるような風景に出会った地中海に浮かぶ小さな島その全景が高い視点から捉えられた写真だった「ああこんな島があるなんて一度自らの眼でみてみたい」それからこの未知の島を調べ始めた島の名前は「プロチダ島」でも一般の観光雑誌やガイドブックには名前さえ掲載されていないそれで図書館や大型書店の検索などを巡ってようく場所を確定することが出来た島へのアプローチはナポリからそこまでいけば定期便があるらしいこれだけの情報を手掛かりにゴールデンウイークにナポリへ飛んだナポリから船で1時間抜けるような陽光に迎えられて到着したプロチダ高台のホテルから眼下に地中海が広がる濃いブルーの蛍光塗料をぶちまけたようなきらめく輝きに満たされているさてあの雑誌で見かけた航空写真のような景色はどこ...心ふるえる風景南イタリア編①プロチダ島ゴールデンウイークに憧れの島に到着した
ミラノを離れる前もう一度大聖堂に来た正面には5つの扉口があるがその中央扉にある見事な彫刻をもう1度見たくなったせいだここにはキリストの母つまり聖母マリアの生涯が作品となって残されている最も印象的だったのが「聖母被昇天」の彫刻中央に立つ聖母は上空を仰ぎ天国で待つ息子の元へと向かう決断をキリリとした表情に示しているその聖母を囲むのは天使たち集団でマリアを支え天空への旅立ちの準備を整えているこれは聖母の生涯の最終盤に当たるシーンだ一方スタートとなるのは「受胎告知」大天使ガブリエルが聖母の前に現れ聖なる子(キリスト)を身ごもったことを告げる場面だ立ち尽くすマリアは思いもかけない宣告に戸惑う波乱万丈の生涯が正面の大扉に描かれているのはこの大聖堂が聖母マリアに捧げられていることを象徴しているところでこの彫刻群の中に1...心ふるえる風景イタリア編㊺ミラノ大聖堂の正面に残る聖書と戦争の意外な遭遇
腕を組み顎に手を当てそれぞれに厳しい表情のまま何かを思っている衣をまといあるいは半裸の姿でいずれも深い思索の溝にはまり込んでいるかのようだスカラ座のあるスカラ広場から東に延びる小道人通りの途切れる場所に不思議な像の建物がある巨人の像がずらりと並びあたかも通行人をにらんでいるかのような光景が目に飛び込む「オメノーニの家」と呼ばれている像は全部で八体この場所だけは異様な雰囲気で満たされる建物は16世紀の彫刻家レオーネ・レオーニの住宅だったところレオーネは当時ミラノを統治していたスペイン王フェリペ2世の宮廷彫刻家だったなのでこの像もレオーネ作だと思ったら実はアントニオ・アボンディオの作品だという像はどれも実在した哲学者らしいがなぜこのように建物の前面に据えられたのか今では華やかなミラノの街の中心部にどうしてこの...心ふるえる風景イタリア編㊹ミラノの中心街に突如現れる「哲学する巨人」の群れ
ミラノ中央駅はここに到着する電車すべてが終点となる終着駅の形式をとっているローマやヴェネツィアなどイタリア国内の主要駅も同様だ24番線までありホームは大きなドーム型の屋根で終われるリバティ様式とアールデコ様式の混合した鋼鉄のドームはムッソリーニ時代に完成したものだ半円形の空間には毎日人々がこの地に到着しまたこの地から旅立ってゆくそれが日常の人だけではない人生の大きな分岐点となる人も含まれる駅はドラマの出発点でありまた終着点でもある全長341m66000㎡の駅構内で出会いと別れの感慨が日々繰り返されそんな悲喜こもごもの思いを飲み込みながらミラノ中央駅はいつしか歴史を紡ぎ続けて行く心ふるえる風景イタリア編㊸ミラノ中央駅で人々は出会い、また別れる
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアを通りすぎるとスカラ座のあるスカラ広場に出るここにはレオナルド・ダ・ヴィンチの像が建っている言うまでもなく15世紀ルネサンスを代表する天才だ彼は1482年から1499年までミラノに滞在しあの壁画「最後の晩餐」を完成させた芸術はもちろん科学技術にも才能を発揮した人らしくピエトロ・マグニ作の肖像は深い思索にいる哲学的な表情に表現されているやっぱりなあ・・・うなずきながら回廊の別の側に出たとたん全く異次元の像にぶつかった巨大でふくよかな女性像がドーンと現れた重量感あふれる肢体を誇るように微笑むのは「マドンナ像」南米コロンビアの代表的な芸術家フェルナンド・ボテロの作品だ短期間の特別展示だったが思索にふけるルネサンスの偉人像から19世紀の華やかでスマートなガレリアを通り抜けて現...心ふるえる風景イタリア編㊷ルネサンスから現代へミラノの街は常に驚きを提供する
ミラノ大聖堂の横にひときわ目立つ屋根付き回廊があるヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアイタリアの初代統一国王の名を冠した回廊は19世紀後半に完成した産業革命がもたらした当時の最新技術ガラスのアーチと鉄の屋根を持つアーケードだ中央十字路部分直径38mのガラス製ドームから外光が注ぎ込むスマートな回廊天井にはフレスコ画床にはモザイク画も施されているさらに夜照明が灯されると内部は黄金色に彩られ宝石箱の中にいるような気分を味わえる通りにはプラダ本店を始めとして一流ブランドの店がその美を競うようにして並ぶがブランド店の看板はすべて金と黒だけを使った装飾で統一されており一層黄金のきらめきが際立つそんな通りの中でルイ・ヴィトンのショウウインドウで実に意外な女性像が目に止まった中央に飾られたバッグには何とレオナルドの代表...心ふるえる風景イタリア編㊶ミラノの中心黄金の回廊に「モナ・リザ」が出現した
ミラノ大聖堂の天井まで昇った高さ100mを越す高さだけに見晴らしは満点だローマ・サンピエトロ大聖堂に次ぐ世界的な大聖堂をというミラノ領主ビスコンティ家の壮大な夢で始められた建築屋根の中央に通路がありそこを歩きながら左右を見渡す南側にはモード・ファッションの街であるとともに先進的な建築物が並ぶ現代イタリアの姿が広がる一方北側には緑豊かな湖水地方の自然に加えてスイスから北方ヨーロッパに続く雄大なアルプスの山並みを見渡せるそんな風景を見つめるのは我々人間だけではないのに気付いた屋根の両側にずらりと尖塔が並びそのすべての塔の先にキリスト教の歴史を紡いできた幾多の聖人像が取り付けられていたのだその数実に136体聖人たちはこうしてミラノ市民イタリア国民の安寧と繁栄のために常に眼下の人々の暮らしを見守り支えるという役割...心ふるえる風景イタリア編㊵大聖堂の屋上では136の聖人が街を見守り続けている
あの壮大な建築物のてっぺんに昇ってみたい!初めてミラノのドゥオモの前に立った時胸の内にふつふつと沸き上がるものを感じたとにかく大きい全長158m高さ108mのゴシック大聖堂穏やかな木造建築の中で育った者にとっては異次元の構造物だった聴いてみると屋上に昇ることが出来るしかもエレベーターまでついているというなら昇らない手はない早速エレベーターの列に並んだエレベーターの終点から屋上までまだもう少しいくつかの階段を上る途中想像外の光景が目に飛び込んだ建築構造の各所に立ち並ぶ石細工の群れがすごい階段壁面の至る所に丁寧な装飾が隅々まで施されている立ち止まって眺めているうちにある意味突飛な連想に取りつかれた「これはまるで絹織物のようだ」「それとも剛と柔の綾なすタペストリー」14世紀に始まり幾度もの中断を経て19世紀にや...心ふるえる風景イタリア編㊴あの豪快なミラノ大聖堂は実は繊細な装飾細工で覆われていた
六甲アイランドセンター駅から、まるで宇宙基地かのような半円の建物が目に飛び込む。神戸ファッション美術館だ。ファッションをテーマとした公立では日本初の美術館となっている。そこへの大階段が、スペイン階段と呼ばれる正面階段だ。中央には太い柱が並んでいて、周囲にはウッドデッキが取り付けられている。通称の由来は、ローマのスペイン階段に似ているからなのか、バルセロナのグエル公園にある階段風のせいなのかどちらかだろう。中段を見ると、段の部分にカラータイルのでデザインされたものがある。向かって右側には、赤い縁の中に青のギザギザが配色され、その四角タイルが集まって大きくひし形を構成する。左側には、黄と青によって同様にひし形が形成されてコントラストをつけている。階段全体の長さはちょうど普通の建物の3階くらいの高さまで達してい...階段紀行・西日本神戸編”宇宙基地”(?)につながるスペイン大階段
神戸市の六甲ライナーで埋め立て地の終点マリンパーク駅に着いた。駅は高架の上にあるので、階段で街に降りることになるが、その階段が見事に大きな螺旋を描いたものになっていた。駅の先はもう海。さわやかな海風を感じながら階段を降りる。螺旋状になっているので、自然と街をぐるりと眺めながらの歩行となる。その螺旋も単純な円ではなく楕円状になっており、ゆっくりと周囲を見回す時間が与えられるという感じだ。白い側面、手すりの鉄とハードな色使いで構成されている。空の青と絶妙なコントラストを見せていた。この駅は神戸国際大や高校もあって、学生たちの姿が目立つ若者の街といった場所。それだけにこんな硬質な階段も違和感なく存在しているように見える。帰りがけ、ちょうど大学の授業終了時間とぶつかってしまい、学生がどっと駅に押し寄せ超満員となっ...階段紀行・西日本神戸編マリンパーク駅の階段は、硬質ですっきりと白い螺旋階段
正面入り口が大階段になっているという画期的な構成でびっくり。ここは神戸市の中心部・旧居留地にある子供向けファッションストア「ファミリア神戸本店」。ゆったりとした階段では、子熊(?)のようなファミちゃんがお出迎え。それも、よく見ると壇の上になるほど少しずつ成長した姿になっているのに気づく。また、あちこちにファッショナブルな子供服が樹木に生えているように吊り下げられている。階段の色は淡いベージュ、柱や脇の手すり白で統一されているだけに、服のカラフルさが際立つ。買い物客たちはこの階段を上がりながら洋服を選んだり、またちょっと腰を掛けて一休みする母子もいるようだ。階段というものを、移動する場所ではなく「滞在する場所」に変えてしまったアイデアに感心した。階段紀行・西日本神戸編階段を「滞在する場所」に変えてしまったファッションストア
都庁舎のプロジェクションマッピングは、4月末までは午後7時から30分ごとに5回、午後9時まで行われている。各回の上映時間は15分程度で、次回の開始まで15分の休止時間が設けられている。確かに色彩的には華やかで、スクリーンの大きさが桁違いなので迫力も感じられる。ただ、個人的な感想は「・・・・」。映像に何の一貫性も、全体を貫くテーマというものも感じられなかった。私はフランスでいくつもの大聖堂をスクリーンにしたプロジェクションマッピングを見てきたが、それらにはしっかりしたテーマがあった。象徴的なものはルーアン大聖堂のプロジェクションマッピング。この地は、印象派の巨匠モネが住み、睡蓮の大作を残したジベルニーの近くにあり、大聖堂そのものも何作も作品に残している。そんな背景を生かして、映像はモネの作品をテーマに制作し...東京探訪都庁舎のプロジェクションマッピングに感じた物足りなさ。