ILOに書簡を国労が送付したことで、益々苦境に立たされることに 半年ほど更新できずに、申し訳ありませんでした。引き続き、国鉄末期の国労を中心とする組合の動…
鉄道ジャーナリスト加藤好啓の日々思ったことなどを記事にしています。 ほぼ毎日更新
鉄道ジャーナリスト宣言して活躍しています、加藤好啓と申します。 鉄道現在史からみた今後の予測や地方活性化について考えること、過去の取り組みなどをアップさせていただきます。
かつて計画された貨物新幹線構想 今から20年近く前の2008年ころ、「東海道物流新幹線構想」なるものが計画された時期がありましたが、その計画自体は、車線拡幅…
JR発足2年目の、昭和63年は日本一本列島というキャッチフレーズとともに、青函トンネルが3月に開通し、4月には本四備讃線が開業と言うことで、国鉄(新生JR)に…
弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開…
分割により、地域の特性に応じた車両の開発が可能に国鉄時代は、基本的に全国配転を考慮したデザインが求められたこともあり、性能不適合を承知で過剰装備だったり、…
JR各社1年目の決算参照した資料は鉄道年鑑1989年版によりますと、昭和62年4月から63年3月までの輸送実績ならびに決算表が出ていました。交通年鑑 1989…
JR発足当初は兄弟車が続々? 国鉄末期、各鉄道管理局では民営化に向けて各種のジョイフルトレインと呼ばれる車両が誕生していました。その先駆けと言えるものは、19…
南海汐見橋駅は、道頓堀駅として開業 阪神桜川駅と隣接してなにわ筋に南海汐見橋駅があります。同じ場所にありながら、駅名が違うわけですが。所在地は大阪市浪速区桜川…
「ブログリーダー」を活用して、blackcatさんをフォローしませんか?
ILOに書簡を国労が送付したことで、益々苦境に立たされることに 半年ほど更新できずに、申し訳ありませんでした。引き続き、国鉄末期の国労を中心とする組合の動…
南海社員食堂で腹ごしらえ 昨日は、午後から記事用の写真撮影を兼ねて高野山は極楽橋という所まで足を運んできました。午前中は、別会合が梅田で有り、昼から難波に移…
今回は告知だけですが。新しい鉄道雑誌、ということでスタートした、鉄道insightという書籍の紹介です。 鉄道insight 2025年6月号 3訂 佐藤…
新しい鉄道雑誌創刊鉄道インサイト 書泉グランデで、予約販売開始になりました。「運輸と経済」と「鉄道ファン」の間の隙間を埋める、 雑誌としてスタートすることと…
今から50年前 今年の3月10日で山陽新幹線は博多開業から50年の節目を迎えたわけであるが、もうそれだけの年月を経たことを改めて思います。1975年…その…
国鉄改革と他の公社で根本的に違っていたのは? 今回は、国鉄の組合関係のお話をさせていただこうと思います。組合関係をあまりよく思わない方もおられるかもしれま…
半年ほど全く更新できませんでしたが、改めてアップさせていただきます。 JR発足時、深夜作業でマークを貼付 国鉄は昭和62(1987)年4月1日に民営化され…
かつて計画された貨物新幹線構想 今から20年近く前の2008年ころ、「東海道物流新幹線構想」なるものが計画された時期がありましたが、その計画自体は、車線拡幅…
JR発足2年目の、昭和63年は日本一本列島というキャッチフレーズとともに、青函トンネルが3月に開通し、4月には本四備讃線が開業と言うことで、国鉄(新生JR)に…
弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開…
分割により、地域の特性に応じた車両の開発が可能に国鉄時代は、基本的に全国配転を考慮したデザインが求められたこともあり、性能不適合を承知で過剰装備だったり、…
JR各社1年目の決算参照した資料は鉄道年鑑1989年版によりますと、昭和62年4月から63年3月までの輸送実績ならびに決算表が出ていました。交通年鑑 1989…
JR発足当初は兄弟車が続々? 国鉄末期、各鉄道管理局では民営化に向けて各種のジョイフルトレインと呼ばれる車両が誕生していました。その先駆けと言えるものは、19…
南海汐見橋駅は、道頓堀駅として開業 阪神桜川駅と隣接してなにわ筋に南海汐見橋駅があります。同じ場所にありながら、駅名が違うわけですが。所在地は大阪市浪速区桜川…
阪和線に「紀伊中ノ島」という駅があります。駅番号は、JR-R53らしいですね。現在は、紀州路快速(快速といえども、実質普通列車)しか停車しない駅ですが、元々は…
古い鉄道ピクトリアルを参照していますと面白い記事をいくつか見つけたので、そこからピックアップしてみたいと思います。 今回の話題は以下の三つ 西成線・城東線(…
青函トンネルが開通したのは、1988年3月当時の時刻表がこちらレールが結ぶ一本列島というタイトルで当時のJR車両の側面を写した写真が一斉に並んでいます。上から…
東海道新幹線は、1964(昭和39)年10月に誕生していますが、その後誕生する山頂新幹線や、東北・上越新幹線と決定的に違う点がありました。それは、交流電化の方…
鉄道建設公団といってもピンと来ない方も多いのではないでしょうが。現在、この組織は JRTT 鉄道・運輸機構 ( 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )…
国鉄だけが、民営化に際して職員の振り分けが行われた国鉄が1987(昭和62)年4月1日にJRに移行したとき、一部の国鉄職員は清算事業団職員として、残ることとな…
かつて計画された貨物新幹線構想 今から20年近く前の2008年ころ、「東海道物流新幹線構想」なるものが計画された時期がありましたが、その計画自体は、車線拡幅…
JR発足2年目の、昭和63年は日本一本列島というキャッチフレーズとともに、青函トンネルが3月に開通し、4月には本四備讃線が開業と言うことで、国鉄(新生JR)に…
弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開…
分割により、地域の特性に応じた車両の開発が可能に国鉄時代は、基本的に全国配転を考慮したデザインが求められたこともあり、性能不適合を承知で過剰装備だったり、…