白石第二小近くにあります。個別塾と家庭教師紹介をしています。書道もしております。
冬場は毎年、混雑してます。受験生ははやめにご相談ください。
関戸本古今集を臨書しました。小筆の先がすり減ってしまい、ちょっと太かったです。細い線をもっと入れたかったなぁ。臨書!関戸本その3
元永本古今集上(一)二玄社32・33ページを臨書しました。前回に引き続き、基本的な箇所を書きました。実際はもっと綺麗な料紙に書けば良いのですが、練習なので白い仮名半紙で書いてます。あ、基本的と述べましたが、今回の元永本の特徴は、はなち書き、漢字と仮名の調和という点ではないでしょうか。平安中期では、一行の文字を上から下までつなげて書くような書き方が主流でした。ただ、平安後期、1120年頃の元永本では、一文字一文字を離して書くという「はなち書き」もしています。そして、平安中期では、仮名は仮名どうし、漢字は漢字どうしで書くのがほとんどでしたが、平安後期の元永本では、仮名、漢字の両方を一つの紙面上に調和して書くこともしております。時代の流れが、貴族たちの中で書き易い方向性、漢字と仮名の調和に導いたといいましょうか。現代...臨書!元永本その2
元永本古今集上(一)のP28・29を書きました。仮名を学習するうえで、基本となる古典といえば、大抵は高野切三種とか、慣れた人にとっては関戸本古今集だったりします。ただ個人的ですが、私自身は元永本古今集が好きなんです。完本ということもあって、全部で4冊(一冊170ページくらいだったかな×4冊)もあります。高野切三種とか、関戸本古今集は最初から最後まで、レベルの高い書き方で感動させられっぱなしですが、元永本古今集は、かなり大量にあるため、筆者の書き方が違う所もあり、悪く言うと下手なんじゃないか???という書きぶりもあり、それが逆に畏まらなくて好きなんですよね。下手っぽい所を習うと上達しないので、悩ましい古典でもあります。今回は、最初の基本的な書き方で、個人的にいいなぁと思うページを臨書してみました。まあ、相変わらず...臨書!元永本その1
たまには、地名や人名を書く練習もしないとと思って書いてみました。久々すぎたので、手がいう事をきかないです。半紙のほうは、もう少し下に書けばよかったなぁとか、地名人名のほうは、もう少し字間と中心を意識して書けばよかったなと。ちなみに、楷書体が一番難しいです。楷書体を狂いもなく書ける人は、実力者だと思っております。日常細字その2
一発書きです。やっぱりPCで文字を打ったり、ペン字でサラサラと書くほうが手軽ですね。小筆で書いていくと、整えて書こうとしても、長い文章になるほどミスというか甘さがでます。こういう所を修正できません・・・、もう私自身は失敗していてもこれでいいや。という事にしています。当たり前のように書いていた昔の人は凄かったんだなぁ。現在、書を本格的にやっているほとんどの人は、展覧会に向けて大きな作品を大筆などを使って、百枚とか何度も清書し、ミスを無くし、その中から一枚を展覧会に発表します。日常小筆書と展覧会書の違いをちょっと羅列しますと、まず、使用する筆が根本的に違います。展覧会書は目立つ事も必要なため大抵大筆などになります。そして、小筆日常書では何度も清書をしません。年賀状などを同じ人に向け、100枚も清書しませんし。あと個...日常小筆
筆を持つ時間が無いので、仕事の合間にペン字を少々書きました。文字の歴史は、刻む彫る→筆で書く→ペンで書く→PC等で打つ・・・という流れなのでしょうか。ペンで書くとか、PCで文字を打つのは、芸術的に劣っているのだろうか。筆のほうが、心がこもっている文を書くことができる・・・などと言われますが、私自身、正岡子規の絶句三句などは拝見して感動しますけど、普通に活字の小説を読んでも、泣いたりしますし。最近は、書道の作品を拝見して泣いたことなんてないなぁ・・・と思っています。それよりも書作品を眺めていると、作品製作者と向かい合っている感じがして、畏まってしまうんですよね。緊張しちゃうのかなぁ。まあ、活字体PC等で打つのは「読み文字」、私が目指しているのは「書き文字」という事で。PC文字ではその人らしさを表現できませんし、ペ...ペン字その2
先週は体調を崩してしまい、安静にしていました。ペン字は自信がありませんが、一発書きで書くとこんな感じです。いかにもな書き方ですが、ペン字や小筆字に個性とか現代性というのは必要なのか?と思う時があります。学生時代に書写や書道で基本的な事を学びます。しかし硬筆や小筆の授業で自分らしく現代的なものを書きなさいという授業なんて、ほとんどないです。綺麗に整えて書くことが良いという事しか学んでいませんから。そんな中で、大手の書家先生などの達筆なペン字や小筆字を拝読する機会があると、凄いな~こんな風に書きたいな~となったり、逆に、読めないんだけどなんか雑なんだけど、これでいいのか?という疑問もでたり、いろいろ考えさせられます。ペン字や小筆の書は、なんか芸術として評価されていない感じもしますし。小筆の臨書作品なんかはごく少数で...ペン字
またまた読みました。「中国書道では、作品の中の漢字は形を持つ物象であり、一定の筆法、字法、章法に従い、秩序、順序があり、一気に書き上げるものである。それにより作品が時間芸術としての過程の美や動態の美を帯びる。・・・誰もがなじんでいる規則に従って読める字を書きあげることで、鑑賞者は親しみを感じ、そこから啓示や挑発を受けることができる。書道家のねらいは形に情を託し、理性で筆を運ぶことにある。唐の書道評論家、孫過庭がその『書譜』の中で「情が動き、形がものを言う。陽ののびやかさから陰の惨めさまで、すべてが天地、自然の心のままに」と述べている。書道の表現した感情は古代の『詩経』『楚辞』などの詩文に表れた感情と共通している。即ち文学的才能や文学的教養に根差した穏やかで、誠実、そして高雅で自然な感情であり、それは偽らざる内面...「書道芸術見て読む中国」を読んでその4
またまた読みました。「書は人を以て貴しとす」という言葉について書かれていました。――宋時代の名将岳飛の書は、真筆ではないとも指摘が生じたが、彼の高尚な人柄とともに、今でも評価されている。一方、明末の張瑞図の書は、魅力はあるが、後世の書論家は、彼の人柄を嫌ったため、言及されたり研究されたりすることも少なかった。人柄からその書を軽んじてしまい、書の持つ本来の価値をおとしめてしまうならば、これは芸術的な角度からすると、大変残念な事である。しかし、一方で書は君子(人格者)の芸であり、鑑賞者は書を見る時にどうしてもその作者を連想してしまう。人柄と作品を、完全に分けることは難しい――まとめるとこんな感じの内容でした。正直な感想を述べるなら、(書道を真面目にやっている御方はスルー願います。)現在の書の評価は、権力ある審査員の...「書道芸術見て読む中国」を読んでその3
楷書四文字を書きました。半紙に大きくのびのび書くのが宮城野書人会の特徴です。まだ書き始めたばかりなので、アラがみえます。月のハネ、山の位置に気を付けて書こうと思います。楷書その2
月曜日に書道の勉強会に行ってきました。顔真卿の争坐位稿を全紙に書きました。うまく書けませんでした。画像を載せようと思いましたが、やめときます。かわりに俳句の画像を載せます。師匠の目指す漢字かな交じり書は、こんな感じです。ほぼ直線で堂々と、スッとみせる書き方、読みやすいです。平凡とも言われそうですが。他にも木簡調で書いたりもします。基本をしっかり身につけたいと思います。俳句その9
今日は書道も教えました。最近、細字三体を書いていませんでしたが、細字三体のお手本のリクエストがあったので、久しぶりに書きました。差し上げてしまったので、今月の競書雑誌にお送りすることができないかも・・・。でも、これからまた書けばいいかな。今は、習っている方々が、欲しいと言ってくれるというほうが嬉しくて、雑誌<身近な人・・・という図式になってます。そういえば、私自身が、書いた物を保管?しておくと、嫁から「その紙の山や書道の本など、はやくゴミに捨てなさい」となります。世の中そんなもんですね。細字三体
今日は、俳句の会に顔を出しました。全部で150ほどの素敵な句がありました。個人的に好きな句は「平成に名残と思う花に雪(リツさん)」「野仕事の結の昼餉や豆ごはん(アキオさん)」「十連休どこへも行かず草むしり(ヒロコさん)」でした。俳句の先生が私に、「桃子先生、俳句ここを教えて!(辻桃子2017年発行)」を渡して下さったので、私はそれを読みながら参加しました。季語は分かるけど、二回使うのは、普通はダメとか、似た意味の言葉も、二回使うとダメとか、当然の事が理由つきで丁寧に書かれている本でした。なるほど。来月も忙しくなければ参加したいと思います。ありがとうございました。今月の俳句
引き続き、この本にはこう書かれてありました。「書道作品には基本的に作者の性格など概括的で、抽象的な感情が現れる。・・・人間の性格と書道の形質を明確に対照させることが難しい・・・書道の作者も鑑賞者も書道作品にどのような感情や性格が表現されているかを求めるのではなく、あくまで書道の形式の中に込められた「意味」や「情趣」を大切にし、一種の「感情」を感じとるからであり、むしろ書道の長所でさえある。」述べている内容が難しくてよく分かりませんでした。なんとなくまとめますと、書は人なりと言われますが、作者の性格を書で明確に表現するのは難しい。芸術は爆発だといわれますが、書道は感情や性格を爆発させるというものではない。あくまで、自分や相手が書道の形式の中に込められた「意味」や「情趣」を大切にし、一種の「感情」を感じとるものであ...「書道芸術見て読む中国」を読んでその2
「書道芸術見て読む中国(東方書店2006年発行)」を読みました。そこには、『初心者はみな臨書から書道を始める。・・・臨書はまず「入帖」から始まり、一筆一画を原帖の字に倣って書くことが求められる。・・・一般にこの段階には数か月かかる。この段階を過ぎると、「出帖」を始める・・・』と書かれてありました。競書雑誌を書いていると、毎月の古典臨書課題で数文字、しかも数か月も経たないうちに別な古典に移ってしまったりします。この本の内容と、競書雑誌の勉強方法は、違うようで・・・考えてみると、自分自身は、競書雑誌に向けて書くこと、手本を真似ることに力を注ぎすぎていたかもしれません。過去に習った古典の書き方等を、案外忘れてしまっていますし。その古典を活かした、創作作品なんか、すぐに書けません。幅広く浅く勉強したほうが良いのか、狭く...「書道芸術見て読む中国」を読んで
昨日、仙台メディアテークで行われている書の展覧会を見てきました。「書道家による大作書展」とあるように、大きな作品が中心で見ごたえがありました。小さな作品等も負けず劣らず丁寧で感動しました。墨といえば黒が普通ですが、面白い墨色を出している作品もあれば、黒以外の色や模様を駆使し、面白くした作品もありました。今回、偶然にも制作した書道の先生がたが作品のそばにいたこともあり、作品解説していただけました。ありがとうございます。入場料200円ですが、作品解説してくださるなら、もっと費用がかかっても楽しめると思いました。書道の展覧会って、入場料が無い場合、開催する側はめちゃ赤字覚悟でしょうし。大きな展覧会ほど、出品料・年会費などを出品者から取り、主催者はもとを取りますが、個人的には、大きな展覧会ほど、入場料を安売りせず、出品...宮城を魅せる書展
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