chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
U.Z
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2016/03/27

arrow_drop_down
  • 内心の問題ではなく

    「皆さん、口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われます。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」 今日の第一朗読(ローマ10.9-18)で、パウロはこ

  • あの方が十字架の上で背負ったのは

    「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」 今日の福音(ルカ21.12-19)で、イエスは弟子たちにこのように言います。現代の日本で、信仰のために

  • 偽預言者にならないために

    「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」 今日の福音(ルカ21.5-11)で、イエスは人々にこのように言います。イエスの語る「わたしの名

  • 出会いはどこに

    アレルヤ、アレルヤ。目覚めて注意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろん、ここで歌われる「時」とは時間だけでなく、場所や機会も指しているのだと思います。 人の子、すな

  • 地上での交わりを通じて

    『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 今日の福音(マタイ25.31-46)で、イエスのたとえ話の中に登場する王はこのように言います。これはイエス自身が人々に、そしても

  • 喜びを伝えるために

    すべての民よ、わたしたちの神をたたえ、賛美の歌を響かせよ。 今日の詩編(詩編66.1+2+4,7+8)はこのように歌われます。この歌は、神を信じない人に神をたたえることを強制しているのではありません。神がそのようなことをお望みであるはずがあ

  • 祈りたい想いを

    そのとき、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」 今日の福音(ルカ19.45-48)

  • 神のことばが響く場所は

    アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろん人間は、意識的に神に心を閉ざしてしまうこともあります。しかし、全くそのつもりはないのに、結果的に

  • いつわりのない祈り

    神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の叫び、訴えが本当に正しいものなのか、それは神にしか分かりません。 しかし、誰でもいつわり

  • 走って、急いで

    「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 今日の福音(ルカ19.1-10)には、徴税人の頭であるザアカイがイエスと出会い、回心する様子が描かれています。ザアカ

  • 存在がことば

    主よ、あなたは永遠のいのちのことば。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。この歌は、「神のことばは永遠」ではなく、神が永遠のいのちのことばだと言っているのです。 もちろん聖書には、神が語る多くのことばが記されています。しかし神は、言語以外

  • イエスのうちにとどまる

    アレルヤ、アレルヤ。わたしのうちにとどまりなさい。わたしもあなたがたのうちにいる。わたしにとどまる人は多くの実を結ぶ。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌はヨハネ福音書15章の「わたしにつながっていなさい。わ

  • 世界を愛で満たすために

    アレルヤ、アレルヤ。福音によって神は私たちを召し出し、主イエス・キリストの栄光にあずかる者としてくださった。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。これは、聖職者や宗教者のような、特定の生き方の人に向けられた歌ではない

  • 見えるものも見えないものも

    神を知らない人々は皆、生来むなしい。彼らは目に見えるよいものを通して、存在そのものである方を知ることができず、作品を前にしても作者を知るに至らなかった。 今日の第一朗読(知恵13.1-9)にはこのように書かれています。この言葉を逆説的に考え

  • 神の国を築くのは

    「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 今日の福音(ルカ17.20-25)でイエスは、「神の国はいつ来るのか」と尋ねたファリサイ派の人々にこのように答え

  • 救いの時

    イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 今日の福音(ルカ17.11-19)で、イエスは重い皮膚病を癒されたサマリア人にこのように言います。この時、十人の重い皮膚病を患う人たちを癒やしました。彼

  • それが愛ならば

    「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」 今日の福音(ルカ17.7-10)で、イエスは弟子たちにこのように言います。神から命じられたことは何か、それは

  • 心を重ね合わせるために

    くちびるにことばがのぼる前に、神よ、あなたはすべてを知っておられる。 今日の詩編(詩編139.1+2,3+4)はこのように歌われます。私たち人間が何も語らなくても、神が私たちの全てを知っているのならば、祈ることには何の意味があるのでしょうか

  • 人の知恵と神の知恵

    知恵は輝かしく、朽ちることがない。知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す。求める人には自分の方から姿を見せる。 今日の第一朗読(知恵6.12-16)にはこのように書かれています。ここで語られている知恵とは、知識や知能のよう

  • 見失っている豊かさが

    「皆さん、キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝

  • パウロの証

    「それは、わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません」

  • 救いの根元

    「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」 今日の第一朗読(➀コリント3.9

  • 愛の職人

    「そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」 今日の第一朗読(ローマ13.8-10)で、パウロはこのように書いています。「隣人を自分のように愛する」という言葉に当てはまらなければ、それは神の掟では

  • 喜びと誇りのうちに

    「皆さん、わたしたちは数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を

  • 愛を信じることができるなら

    「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」 今日の第一朗読(ローマ11.29-36)で、パウロはこのように書いています。一部の美しいものや正しいものではなく、全てのもの

  • 仕える者に

    「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 今日の福音(マタイ23.1-12)でイエスは、群衆と弟子たちにこのように言います。私たちの日常でも、周りから尊敬を集めるの

  • その手をつかむ

    神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神はどんな時も私たち一人ひとりに目を注ぎ、見守ってくださっているでしょう。 そして、弱い私たちに手を差し伸べ続けているでしょう。神の子でありなが

  • 愛とは具体的な現実である

    「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」彼らは、これに対して答えることができなかった。 今日の福音(ルカ14.1-6)には、イエスと律法の専門家、ファリサイ派の人

  • 神に依り頼む

    主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。 今日の第一朗読(知恵3.1-6,9)にはこのように書かれています。主、すなわち神に依り頼む人は、何故、真理を悟ることができるのでしょうか。 人が自分以外の誰かに依り頼むの

  • 義を!

    「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」 今日の福音(マタイ5.1-12a)で、イエスは群集にこのように言います。ここで重要なのは、迫害されることではないのだと思います。そもそも、義によって迫害されるかされ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、U.Zさんをフォローしませんか?

ハンドル名
U.Zさん
ブログタイトル
みことばとわかちあい
フォロー
みことばとわかちあい

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用