「愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方
「皆さん、口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われます。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」 今日の第一朗読(ローマ10.9-18)で、パウロはこ
「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」 今日の福音(ルカ21.12-19)で、イエスは弟子たちにこのように言います。現代の日本で、信仰のために
「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」 今日の福音(ルカ21.5-11)で、イエスは人々にこのように言います。イエスの語る「わたしの名
アレルヤ、アレルヤ。目覚めて注意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろん、ここで歌われる「時」とは時間だけでなく、場所や機会も指しているのだと思います。 人の子、すな
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 今日の福音(マタイ25.31-46)で、イエスのたとえ話の中に登場する王はこのように言います。これはイエス自身が人々に、そしても
すべての民よ、わたしたちの神をたたえ、賛美の歌を響かせよ。 今日の詩編(詩編66.1+2+4,7+8)はこのように歌われます。この歌は、神を信じない人に神をたたえることを強制しているのではありません。神がそのようなことをお望みであるはずがあ
そのとき、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」 今日の福音(ルカ19.45-48)
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろん人間は、意識的に神に心を閉ざしてしまうこともあります。しかし、全くそのつもりはないのに、結果的に
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の叫び、訴えが本当に正しいものなのか、それは神にしか分かりません。 しかし、誰でもいつわり
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 今日の福音(ルカ19.1-10)には、徴税人の頭であるザアカイがイエスと出会い、回心する様子が描かれています。ザアカ
主よ、あなたは永遠のいのちのことば。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。この歌は、「神のことばは永遠」ではなく、神が永遠のいのちのことばだと言っているのです。 もちろん聖書には、神が語る多くのことばが記されています。しかし神は、言語以外
アレルヤ、アレルヤ。わたしのうちにとどまりなさい。わたしもあなたがたのうちにいる。わたしにとどまる人は多くの実を結ぶ。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌はヨハネ福音書15章の「わたしにつながっていなさい。わ
アレルヤ、アレルヤ。福音によって神は私たちを召し出し、主イエス・キリストの栄光にあずかる者としてくださった。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。これは、聖職者や宗教者のような、特定の生き方の人に向けられた歌ではない
神を知らない人々は皆、生来むなしい。彼らは目に見えるよいものを通して、存在そのものである方を知ることができず、作品を前にしても作者を知るに至らなかった。 今日の第一朗読(知恵13.1-9)にはこのように書かれています。この言葉を逆説的に考え
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 今日の福音(ルカ17.20-25)でイエスは、「神の国はいつ来るのか」と尋ねたファリサイ派の人々にこのように答え
イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 今日の福音(ルカ17.11-19)で、イエスは重い皮膚病を癒されたサマリア人にこのように言います。この時、十人の重い皮膚病を患う人たちを癒やしました。彼
「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」 今日の福音(ルカ17.7-10)で、イエスは弟子たちにこのように言います。神から命じられたことは何か、それは
くちびるにことばがのぼる前に、神よ、あなたはすべてを知っておられる。 今日の詩編(詩編139.1+2,3+4)はこのように歌われます。私たち人間が何も語らなくても、神が私たちの全てを知っているのならば、祈ることには何の意味があるのでしょうか
知恵は輝かしく、朽ちることがない。知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す。求める人には自分の方から姿を見せる。 今日の第一朗読(知恵6.12-16)にはこのように書かれています。ここで語られている知恵とは、知識や知能のよう
「皆さん、キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝
「それは、わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません」
「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」 今日の第一朗読(➀コリント3.9
「そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」 今日の第一朗読(ローマ13.8-10)で、パウロはこのように書いています。「隣人を自分のように愛する」という言葉に当てはまらなければ、それは神の掟では
「皆さん、わたしたちは数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」 今日の第一朗読(ローマ11.29-36)で、パウロはこのように書いています。一部の美しいものや正しいものではなく、全てのもの
「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 今日の福音(マタイ23.1-12)でイエスは、群衆と弟子たちにこのように言います。私たちの日常でも、周りから尊敬を集めるの
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神はどんな時も私たち一人ひとりに目を注ぎ、見守ってくださっているでしょう。 そして、弱い私たちに手を差し伸べ続けているでしょう。神の子でありなが
「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」彼らは、これに対して答えることができなかった。 今日の福音(ルカ14.1-6)には、イエスと律法の専門家、ファリサイ派の人
主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。 今日の第一朗読(知恵3.1-6,9)にはこのように書かれています。主、すなわち神に依り頼む人は、何故、真理を悟ることができるのでしょうか。 人が自分以外の誰かに依り頼むの
「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」 今日の福音(マタイ5.1-12a)で、イエスは群集にこのように言います。ここで重要なのは、迫害されることではないのだと思います。そもそも、義によって迫害されるかされ
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「愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方
「わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」 今日の福音(ヨハネ14.7-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。しかし実際には、神に願ったことの全てがかなえられるわけではありません。なぜイエスはこ
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを
「皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」 今日の第一朗読(�ペトロ5.5b-
「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、
わたしの心はなぜ、うちしずみ、思い乱して嘆くのか。救いの神に希望をいだき、かつてのようにみ前に進み、賛美の祭りをささげよう、わたしの救い、わたしの神に。 今日の詩編(詩編42.3+4,6)はこのように歌われます。この歌い手は今、嘆きの中にあ
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)で、イエスはこのように言います。
そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)にはこのよ
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」 今日の福音(ヨハネ6.35-40)で、イエスは人々にこのように言います。イエスが誰も追い返さないと言っているにも関わらず、教会の人
空しい偶像に走る者を避け、わたしはあなたにより頼み、いつくしみを喜びうたう。 今日の詩編(詩編31.6+7,15+16a+17b)はこのように歌われます。偶像崇拝とは、形のある像を拝むことだけではありません。神ではないものを神とすること、あ
偽りの道からわたしを退け、教えを授けてください。わたしは真実の道を志し、あなたのさばきを心におさめる。 今日の詩編(詩編119.57+58,29+30)はこのように歌われます。どの道が偽りの道で、どの道が真実の道なのかを正確に見分けること
神はわたしを選び、ご自分のものとされた。神は、わたしの叫びに耳を傾けてくださる。 今日の詩編(詩編4.2,3+4,8+9)はこのように歌われます。聖書には、「神が人を選ぶ」という意味の言葉が度々書かれています。それを読んで、キリスト教の価値
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、�霊�と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することに
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。神の姿を直接見たり、声を直接聞いたりしたことがある人は少なくても、人間の心や行
主のまなざしは正しい人に、耳は彼らの叫びに。主は正しい人の声を聞き、悩みの中から救ってくださる。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。この歌は、正しい人の叫びや悩みは全て神にお任せしようという意味ではないよう
主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5)はこのように歌われます。神は、私たちの祈りの全てを、私たちの望むそのままの形でかなえてくださるとは限りません。 しかし、私たちが心から祈
使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、お
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、迫害者サウロの前に復活したイエスが現れ、回心へと導かれていく様子
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 今日の福音(ヨハネ6.44-41)で、イエスは人々にこのように言います。今、私
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。この直後に「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る前のイエスは、弟子たちにこのように言います。「全世界に」とはいえ、もちろん、全ての人が海外宣教に招かれているわけではないでしょう
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)にはこのように書かれています。イエスが言う「神
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。 今日の詩編(詩編16.8,10,11)はこのように歌われます。「絶えず神を思う」とはどのようなことでしょうか。生活の全てを祈りや黙想に捧げるということでしょうか
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)にはこのように書かれ
それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。 今日の第一朗読(使徒言行録5.34-42)では、捕らえられ
主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。主をおそれよう。主をおそれる者は乏しさを知らない。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。主により頼む人、主をおそれる人がなぜ幸せなのか。それは、主、すなわち
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書か
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」 今日の福音(ヨハネ3.1-8)でイエスは、最高法院の議員でありながらご自分を訪ねてきたニコデモにこのように
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.19-31)で、復活したイエスはトマスにこのように言います。トマスがいない時に弟子たちの前に姿を現したイエス。それを知って「あの方の傷に指を突っ込ん
「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録4.13-21)でペトロとヨハネは、議員や長老、律法学者たちにこ
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、復
アレルヤ、アレルヤ。きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「神が造られた日」が今の暦で何月何日なのかを知るすべはありません。そもそも、それを知ることには何の意味もな
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 今日の福音(ヨハネ20.11-18)は、復活したイエスがマグダラのマリアと出会う場面を描いています。最初、マリアは自分が会話
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みは、必ずしも人間の願いや望みと一致するとは限りません。その時は痛みや苦しみとしか思えなかった出来事が、後になって恵みだったと気付くということ
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 今日の福音(ヨハネ20.1-9)にはこのように書かれています。この後マグダラのマリアは、復活したイエスと最初に出会うという栄誉を