「わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」 今日の福音(ヨハネ14.7-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。しかし実際には、神に願ったことの全てがかなえられるわけではありません。なぜイエスはこ
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、迫害者サウロの前に復活したイエスが現れ、回心へと導かれていく様子
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 今日の福音(ヨハネ6.44-41)で、イエスは人々にこのように言います。今、私
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。この直後に「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る前のイエスは、弟子たちにこのように言います。「全世界に」とはいえ、もちろん、全ての人が海外宣教に招かれているわけではないでしょう
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)にはこのように書かれています。イエスが言う「神
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。 今日の詩編(詩編16.8,10,11)はこのように歌われます。「絶えず神を思う」とはどのようなことでしょうか。生活の全てを祈りや黙想に捧げるということでしょうか
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)にはこのように書かれ
それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。 今日の第一朗読(使徒言行録5.34-42)では、捕らえられ
主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。主をおそれよう。主をおそれる者は乏しさを知らない。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。主により頼む人、主をおそれる人がなぜ幸せなのか。それは、主、すなわち
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書か
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」 今日の福音(ヨハネ3.1-8)でイエスは、最高法院の議員でありながらご自分を訪ねてきたニコデモにこのように
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.19-31)で、復活したイエスはトマスにこのように言います。トマスがいない時に弟子たちの前に姿を現したイエス。それを知って「あの方の傷に指を突っ込ん
「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録4.13-21)でペトロとヨハネは、議員や長老、律法学者たちにこ
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、復
アレルヤ、アレルヤ。きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「神が造られた日」が今の暦で何月何日なのかを知るすべはありません。そもそも、それを知ることには何の意味もな
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 今日の福音(ヨハネ20.11-18)は、復活したイエスがマグダラのマリアと出会う場面を描いています。最初、マリアは自分が会話
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みは、必ずしも人間の願いや望みと一致するとは限りません。その時は痛みや苦しみとしか思えなかった出来事が、後になって恵みだったと気付くということ
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 今日の福音(ヨハネ20.1-9)にはこのように書かれています。この後マグダラのマリアは、復活したイエスと最初に出会うという栄誉を
すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 今日、復活の聖なる徹夜祭の福音(マタイ28.1-10)にはこのように書かれています。イエスは人としてこの地上に生まれ、
そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。 今日、聖金曜日、主の受難の福音(ヨハネ18.1-19.42)では、捕らえられ、十字架にかけられて死んでいくイエスの姿が描かれています。 弟子たちは師を見捨て、かつて
過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 今日、聖木曜日の夕べのミサでは、福音で最後の晩餐の場面(ヨハネ13.1-15)が読まれます。二千年間途
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をね
父よ、あなたこそわたしの神、わたしのすべてをあなたに。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。聖週間にこの言葉を聞くと、十字架の上のイエスが思い起こされます。 「わたしのすべてを」神に捧げる方法は一人ひとり違います。誰もが命を捨てなければな
それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。 今日の福音(ヨハネ1
しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 今日の福音(マタイ27.11-54)は、イエスが息を引き取る様子をこのように記しています。イエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、そして「成し遂げられ
あなたの庭に住むように選ばれ、招かれた人はしあわせ。わたしたちはあふれる恵みに潤される、あなたの家、神殿の中で。 今日の詩編(詩編65.5,6)はこのように歌われます。このような言葉を聞くと、自分は選ばれても招かれてもいない、自分が今いる場
神はわたしに力を与え、わたしの道を正しくされる。あなたはわたしの歩く道を広くされ、わたしの歩みはゆるがない。 今日の詩編(詩編18.3,33+37)はこのように歌われます。神が道を正しくされるとは、私たちが過ちを犯さないように正しい生き方を
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。私たちは「さばき」と聞くと有罪や罰の言い渡しばかりを想像しがちです。 もちろん、実際
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 今日の福音(ヨハネ8.31-42)で、イエスはユダヤの人々にこのように言います。これを聞いたユダヤ人たちは「自分
「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない」 今日の福音(ヨハネ8.21-30)で、イエスはユダヤの人々にこのように言います。このように言うものの、イエ
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 今日の福音(ヨハネ8.1-11)で、イエスは姦通の罪を犯した女性にこのように言います。「姦通の女」と呼ばれるこの箇所は、聖書の中でも有名な場面の一つでしょ
「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 今日の福音(ヨハネ11.1-45)で、マルタは、兄弟ラザロの
神よ、あなたの不思議なわざは数えきれず、そのはからいはたぐいなく、私がそれを告げ知らせても、すべてを語り尽くすことはできない。 今日の詩編(詩編40.6,10)はこのように歌われます。現代を生きる私たちは、「不思議なわざ」をどれほど体験して
「しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ」 今日の福音(ヨハネ7.1-2,10,25-30)でエルサレムの人々は、イエスについてこのように言います。イエスの
「また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。」 今日の福音(ヨハネ5.31-47)で、イエスは弟子たちにこのように言います。聖書には、人生の道しるべとなるような教えが
助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。 今日の詩編(詩編145.13cd+14,17+18)はこのように歌われます。神が心から祈る人のそばにおられるのは、祈りに対する褒美なのでしょうか。あまり祈らない人は、神から見捨てら
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 今日の福音(ヨハネ5.1-3a,5-1
彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 今日の第二朗読(ローマ4.13,16-18,22)で、パウロはこのように書いています。ここで書か
神はわたしを生き返らせ、いつくしみによって正しい道にみちびかれる。 今日の詩編(詩編23.2+3,5,6)はこのように歌われます。大人になってから教会の門を叩いて洗礼を受けた人、しばらく教会から離れていたけれども戻ってきた人、そして大きな過
神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。あなたは悔い改める心を見捨てられない。 今日の詩編(詩編51.18+19,20+21)はこのように歌われます。キリスト教では「苦しみも悲しみもお捧げする」という表現がよく用いられます。しかし、感情に
そのとき、イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 今日の福音(ヨハネ19.25-27)にはこのように書かれています。ここには「十字架のそば」とだけ書かれていますが、十字架と彼女たちの
「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」 今日の第一朗読(エレミヤ7.23-28)で、神は民にこのように告げます。このような
神はおまえの門のかんぬきをかため、その中に住む人を祝福される。 今日の詩編(詩編147.12+13,20+12)はこのように歌われます。一方で、詩編117章には「正義の城門を開け」という言葉もあります。私たちは門を開けばよいのでしょうか。閉
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 今日の福音(マタイ18.2
そのとき、イエスは、ナザレの会堂で人々に言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」 今日の福音(ルカ4.24-30)にはこのように書かれています。宣教を始めた頃のイエスは行く先々で熱狂的に迎え入れられます
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに
そこで、イエスは次のたとえを話された。 今日の福音(詩編103.3+4,11+12)でイエスは、ファリサイ派と律法学者の人々に「放蕩息子のたとえ」を語ります。「善きサマリア人」と並んで、イエスが語ったたとえ話の中でも、最も有名なものの一つで
あなたは嘆きを喜びに変え、あら布を晴れ着に替えてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12)はこのように歌われます。生まれてから一度もあら布など着たことがない、晴れ着しか着たことがない人は、晴れ着を着ることに特別な喜びは感じな
しあわせな人、罪びとの道を歩むことなく、神のおきてを喜びとし、昼も夜も教えを心に留める人。 今日の詩編(詩編1.1ac+2,3)はこのように歌われます。神のおきてではなく社会道徳や国の法律であれば、それを守ることを喜びとするかしないかは、あ
あなたのいつくしみによってわたしを導き出し、しかけられた網からわたしを助け出してください。 今日の詩編(詩編31.4+5,15+16a+17b)はこのように歌われます。「しかけられた網」という言葉からは、今、実際に自分が苦しめられていること
「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである」 今日の福音(マタイ23.1-12)で、イエスは
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」 今日の福音(ルカ6.36-38)で、イエスは弟子たちにこの
神を王としていただく国、神のものとして選ばれた民はしあわせ。 今日の詩編(詩編33.4+5,12+13,20+21)はこのように歌われます。どんなに優れた王が治める国も、王だけで全てがうまくいくということはありません。 王の考えを理解し、支
しあわせな人、道からそれず、神の教えに従って歩む人。そのさとしをとがなく守り、神の道を歩む人。 今日の詩編(詩編119.1+2a+3b,15+16)はこのように歌われます。まず、神の道とはどこにあるのか、どのような道なのかを正しく理解して
わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。 今日の第一朗読(エゼキエル18.21-28)にはこのように書かれています。聖書には、回心することの尊さ、大切さが何度も
「まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」 今日の福音(マタイ7.7-12)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは神に様々なことを願い求めます。しかし、その全てが叶えられるわけではありません。望ん
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,18+19)はこのように歌われます。自分の心の醜さや弱さに苦しみ、罪悪感を覚える人は決して少なくないでしょう。誠実な人ほ
心を合わせて主をあがめ、ともにその名をたたえよう。主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.4+5,16+18)はこのように歌われます。神は必ずしも困難を取り除いてくださるわけではありません。神
神のことばは正しく、世々に及び、そのさばきは真実、すべて正しい。 今日の詩編(詩編19.10,15)はこのように歌われます。しかし現実には、「なぜ神はこんな不公平を放置なさるのだろう」「なぜ神は自分をこんな目に会わせるのだろう」と感じること
「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです」 今日の第二朗読(ローマ5.12-19)で、パウロはこのように書いています。これは、アダムの罪によって楽園を追
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」 今日の福音(ルカ5.27-32)でイエスは、「なぜあなたたちは徴税人や罪人と食事をするのか」と言うファ
「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜
「神に立ち戻りなさい。神の国は来ている」と主は仰せになる。 今日の詠唱はこのように歌われます。「神に立ち戻りなさい」という言葉から、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。しばらく教会から離れている人が久しぶりにミサに行ってみる。もちろんこ
「わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの
主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け。 今日の第一朗読(シラ2.1-11)にはこのように書かれています。神が必ず助けてくださると信じることの大切さはたびたび語られます。そのためには、わき見をせ
すべての知恵は、主から来る。主と共に永遠に存在する。 今日の第一朗読(シラ1.1-10)にはこのように書かれています。「主から来る」と聞くと、聖書に書かれていたり、教会で教えられていたりすることだけを思い浮かべる人もいるかもしれません。
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。 今日の詩編(詩編103.3+4,8+13,11+12)はこのように歌われます。ここで歌われているように、罪は痛みであり、赦しは癒やしです。 もちろん、誰かから傷つけられることは痛いものです。それと
神よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ、あなたに従う人は感謝して歌う。 今日の詩編(詩編145.1+3,10+11)はこのように歌われます。美しい花が咲いている様子や雄大な自然を目にした時には、人間以外の被造物も神を賛美しているように感
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」 今日の第
そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」 今日の福音書(マルコ8.27-33)にはこのように書かれています。イエスは弟子たちに「人々は、わたしのことを何者だ
神に感謝してその名をたたえよ。諸国の民に神のわざを告げ知らせよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。神に感謝してその名を讃えることと、民に神のわざを告げ知らせることが並んでいるのは、決して偶然では
そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。 今日の福音(マルコ8.14-21)にはこのように書かれています
主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。 今日の第一朗読(創世記4.1-15,25)にはこのように書か
「この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう」 今日の第二朗読(�コリント2.6-10)で、パウロはこのように書いています。パウロが言うように、イエスを裁いた側
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」 今日の福音(マルコ8.1-10)で、イエスは弟子たちにこのように言います。こ
わたしは罪をあなたに表し、わたしのとがを隠さずに言う。あなたはわたしの罪をゆるし、わたしのとがを清めてくださる。 今日の詩編(詩編32.5abef,7)はこのように歌われます。自分の罪を告白し、赦される。これは幸せな体験です。もちろん、罪は
そのとき、イエスはティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。 今日の福音(マルコ7.24-30)にはこのように書かれています。この時イエスは、なぜその家にいることを誰にも知ら
主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。 今日の第一朗読(創世記2.4b-9,15-17)にはこのように書かれています
あなたの指のわざである天を仰ぎ、あなたが造られた月と星とを眺めて思う。 今日の詩編(詩編8.4+5,6+7)はこのように歌われます。「指のわざ」という言葉からは、神がいとも簡単にこの世界をお作りになったかのような印象を受けます。実際、全能の
神はこれを見て、良しとされた。 今日の第一朗読(創世記1.1-19)では、旧約聖書の冒頭、創世記の天地創造の様子が読まれます。神は毎日、万物をこの世に生み出していきます。そして、それを見て、「良し」とされるのです。 神が本当にこの世界を六日
「兄弟たち、わたしはそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
そのとき、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。 今日の福音(マルコ6.30-34)にはこのように
「皆さん、兄弟としていつも愛し合いなさい。」 今日の第一朗読(ヘブライ13.1-8)にはこのように書かれています。この言葉だけを取り上げると、仲間としての絆をさらに強めることを呼びかけているようにも読めます。 しかし、この一文の直後には「旅
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 今日は「主の奉献」の
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 今日は「主の奉献」の
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 今日は「主の奉献」の
「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 今日の福音(マルコ6.1-6)にはイエスの故郷での出来事が
「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」 今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。神の子であるイエスは、父である神と同様に完全な完
神を信じるすべての人よ、神を愛せ。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。神を信じている人は神を愛しているのではないだろうか。なぜ、あらためて「神を愛せ」と呼びかけるのだろうか、という疑問が湧いてくる歌でもあ
「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 今日の福音(マルコ4.35-41)には、イエスと弟子たちが乗っている舟が突風
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。 今日の福音(マルコ4.26-34)にはこのように書かれています。聖書にはイエ
そのとき、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 今日の福音(ルカ10.1-9)にはこのように書かれています。「ほかに」とは十二使徒の他にという意味です。自分の生活から離れて出かけていくこと
「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 今日の福音(マルコ3.31-35)
世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、賛美の歌で神をほめよ。 今日の詩編(詩編98.1,4+5)はこのように歌われます。今、この世界は神に向かって喜びの声をあげられるような状態でしょうか。どれほど多くの人が、今日、喜びの声をあげることをできず
「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」 今日の第二朗読(�コリント1.10-13,17)で、パウロはこのように
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 今日の福音(マルコ3.20-21)にはこのように書かれています。聖書の記述では、母マリア以外の親戚たちはイエスのことを全く認めよう
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「わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」 今日の福音(ヨハネ14.7-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。しかし実際には、神に願ったことの全てがかなえられるわけではありません。なぜイエスはこ
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを
「皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」 今日の第一朗読(�ペトロ5.5b-
「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、
わたしの心はなぜ、うちしずみ、思い乱して嘆くのか。救いの神に希望をいだき、かつてのようにみ前に進み、賛美の祭りをささげよう、わたしの救い、わたしの神に。 今日の詩編(詩編42.3+4,6)はこのように歌われます。この歌い手は今、嘆きの中にあ
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)で、イエスはこのように言います。
そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)にはこのよ
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」 今日の福音(ヨハネ6.35-40)で、イエスは人々にこのように言います。イエスが誰も追い返さないと言っているにも関わらず、教会の人
空しい偶像に走る者を避け、わたしはあなたにより頼み、いつくしみを喜びうたう。 今日の詩編(詩編31.6+7,15+16a+17b)はこのように歌われます。偶像崇拝とは、形のある像を拝むことだけではありません。神ではないものを神とすること、あ
偽りの道からわたしを退け、教えを授けてください。わたしは真実の道を志し、あなたのさばきを心におさめる。 今日の詩編(詩編119.57+58,29+30)はこのように歌われます。どの道が偽りの道で、どの道が真実の道なのかを正確に見分けること
神はわたしを選び、ご自分のものとされた。神は、わたしの叫びに耳を傾けてくださる。 今日の詩編(詩編4.2,3+4,8+9)はこのように歌われます。聖書には、「神が人を選ぶ」という意味の言葉が度々書かれています。それを読んで、キリスト教の価値
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、�霊�と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することに
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。神の姿を直接見たり、声を直接聞いたりしたことがある人は少なくても、人間の心や行
主のまなざしは正しい人に、耳は彼らの叫びに。主は正しい人の声を聞き、悩みの中から救ってくださる。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。この歌は、正しい人の叫びや悩みは全て神にお任せしようという意味ではないよう
主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5)はこのように歌われます。神は、私たちの祈りの全てを、私たちの望むそのままの形でかなえてくださるとは限りません。 しかし、私たちが心から祈
使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、お
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.6,10)はこのように歌われます。復活したイエスは天に帰る時、弟子たちに「すべての民をわた
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、迫害者サウロの前に復活したイエスが現れ、回心へと導かれていく様子
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 今日の福音(ヨハネ6.44-41)で、イエスは人々にこのように言います。今、私
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。この直後に「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る前のイエスは、弟子たちにこのように言います。「全世界に」とはいえ、もちろん、全ての人が海外宣教に招かれているわけではないでしょう
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)にはこのように書かれています。イエスが言う「神
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。 今日の詩編(詩編16.8,10,11)はこのように歌われます。「絶えず神を思う」とはどのようなことでしょうか。生活の全てを祈りや黙想に捧げるということでしょうか
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)にはこのように書かれ
それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。 今日の第一朗読(使徒言行録5.34-42)では、捕らえられ
主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。主をおそれよう。主をおそれる者は乏しさを知らない。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。主により頼む人、主をおそれる人がなぜ幸せなのか。それは、主、すなわち
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書か
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」 今日の福音(ヨハネ3.1-8)でイエスは、最高法院の議員でありながらご自分を訪ねてきたニコデモにこのように
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.19-31)で、復活したイエスはトマスにこのように言います。トマスがいない時に弟子たちの前に姿を現したイエス。それを知って「あの方の傷に指を突っ込ん
「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録4.13-21)でペトロとヨハネは、議員や長老、律法学者たちにこ
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、復
アレルヤ、アレルヤ。きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「神が造られた日」が今の暦で何月何日なのかを知るすべはありません。そもそも、それを知ることには何の意味もな
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 今日の福音(ヨハネ20.11-18)は、復活したイエスがマグダラのマリアと出会う場面を描いています。最初、マリアは自分が会話
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みは、必ずしも人間の願いや望みと一致するとは限りません。その時は痛みや苦しみとしか思えなかった出来事が、後になって恵みだったと気付くということ
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 今日の福音(ヨハネ20.1-9)にはこのように書かれています。この後マグダラのマリアは、復活したイエスと最初に出会うという栄誉を