神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。 今日の詩編(詩編25.4+5a,10+14)はこのように歌われます。この歌のように、神は私たちに道を示し、真理へと導いてくださいます。
神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。 今日の詩編(詩編25.4+5a,10+14)はこのように歌われます。この歌のように、神は私たちに道を示し、真理へと導いてくださいます。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 今日の福音(ルカ1.39-45)で、洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトは、自分のもとを訪問したマリアにこのように言います。このエリザベトの言葉は、ただ神の言葉が実
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 今日の福音(ルカ1.39-45)にはこのように書かれています。マリアが住んでいたナザレと、エリザベトが住んでいたエイン・カ
門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。キリスト者にとって、栄光の王とは幼子イエスです。貧しい大工の子として、馬小屋で生まれた何の力もない幼子の中にこそ、私たちは神の栄光を見ます。 待
神よ、あなたはわたしを心にかけ、わたしのすべてを知っておられる。わたしが座るのも立つのも知り、遠くからわたしの思いを見通される。 今日の詩編(詩編139.1,2,13,14)はこのように歌われます。この歌は、神と私たち人間との関係をよく表し
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろう
王は海のかなたまで、川から地の果てまで支配する。 今日の詩編(詩編72.8+11,17)はこのように歌われます。現代の人間は地球の隅々まで到達しています。子どもでさえも、世界地図をなんとなく思い浮かべることができるでしょう。海のかなたも地の
神は憐れみ深く正義に満ち、罪人に道を示される。神は貧しい人を正義に導き、へりくだる人にその道を教えられる。 今日の詩編(詩編25.4+5a,8+9)はこのように歌われます。神は、ご自分に従って正しく生きる人だけに進むべき道を示すのではありま
主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。「イザヤの預言」12章にはこのように書かれている。主の威厳と何だろうか。それは必ずしも不思議な奇跡や、世の中や人の人生を大きく左右することとは限らないように思う。 不思議な出来
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、神がいつ自分に手を差し伸べてくださったか、正確に気づくことができるでしょうか。差し出された手が、神の救いなのか、悪の誘惑なのかを見極め
「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」 今日の福音(マタイ11.16-19)でイエスは、人々にこのように言
その恵みはすべてのものに及び、いつくしみは造られたすべてのものの上にある。 今日の詩編(詩編145.7+9,10+11)はこのように歌われます。神の恵み、いつくしみが注がれているのは、自分だけでも、自分が大切にしている人だけでもありません。
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。恵みとは、今嬉しいことだけとは限りません。今は痛みや悲しみでしかないことが、後になって振り返ると自分の成長の糧となっていることは珍しくないでしょう。
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」 今日の福音(マタイ18.12-14)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは「羊飼いは一匹の子羊が迷子になったら、九十九匹を置いてでも探しに行
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)にはこのように書かれています。天使ガブリエルがマ
種を手に涙を流して出て行く人は、束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。 今日の詩編(詩編126.1+2ab,2cd+3,4+6)はこのように歌われます。喜びのうちに豊かな収穫を獲たということは、この人は悲しみにくれながらも種を蒔くことをやめ
主が民の傷を包み、重い打ち傷をいやされる日、月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる。 今日の詩編(イザヤ30.19-21,23-26)はこのように歌われます。これは、ある特別な日、たとえば、イエスの再臨や終末の時を
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。「神に生きる人々の中で」という言葉からは、二つの意味が読み取れるように思います。 一つは、神を信じ、その教えに従って生きる人
アレルヤ、アレルヤ。見いだせるうちに主を尋ね、近くにおられる主に願え。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスとの出会いは、今ここではない、遠くのどこかにあるものではありません。日々の当たり前の生活の中に、最も身
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 今日の福音(マタイ15.29-37)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスはこう言って、
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る直前のイエスは、十一人の使徒たちにこのように言います。福音とは「良い知らせ」、イエスの愛の教えのことです。神はどんな時も私たちを
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」 今日の福音(マタイ8.5-11)で、イエスに部下の病をいやしてくれるように頼んだローマの百
「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」 今日の福音(ルカ21.25-28,34-36)で、イエスは弟子たちにこのように言います。放縦や深酒が好ましくな
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 今日の福音(マタイ4.18-22)には、イエスがシモン・ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネをご自分の弟子として招く場面が描かれています。漁
わたしの魂は主の庭を慕い、心とからだは生ける神にあこがれる。 今日の詩編(詩編84.2+3,4)はこのように歌われます。信仰とは心だけの問題ではありません。肉体もまた、劣ったものではなく、ましてや、悪に属するものではありません。 私たちの心
アレルヤ、アレルヤ。恐れずに頭を上げなさい。あなたがたの救いは近づいている。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。絶望している時は、頭を下げがちになります。自分の足下しか見ていなければ、神との出会いにも、神からの恵み
アレルヤ、アレルヤ。死に至るまで忠実でありなさい。わたしはあなたに命の冠を与えよう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。生まれてからこの地上での生を終えるまで、私たちはどのような一生を送るでしょうか。人間には食事や
神は来られる、世界をさばきに来られる。正義とまことをもって、すべての民をさばかれる。 今日の詩編(詩編96.11+12,9+13)はこのように歌われます。このような言葉を聞くと、厳しい裁きの時を想像する人と、温かな神の国の到来を思い浮かべる
アレルヤ、アレルヤ。目覚めて注意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このイエスの言葉は、世の終わり、終末にイエスは再びやってくる。それはいつ起こるのか誰にも分からない。
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」 今日の第二朗読(黙示録1.5-8)にはこのように書かれています。私たちの信仰は、自分、自分が生きている時代だけのものでは
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、神の厳しさを恐れ、裁きを受けないように従うのではありません。神のいつくしみ、赦しを信頼し、幼子が親に甘えるように従うのです。 神の子であるイエ
アレルヤ、アレルヤ。羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。羊が羊飼いの声を聞き分けることができるのは、羊が弱く、羊飼いなしでは生きていけない動物だか
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばが聞こえない、神に祈りが届かない、神が自分の願いを聞き入れてくださらない。このような悩み、苦し
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたを世から選んだのは、あなたがたは行って実を結び、その実が残るためである。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。植物には色々な種類があります。何十年も何百年も生き続け、毎年実を結ぶものもあ
ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 今日の福音(ルカ19.1-10)にはこのように書かれています。ザアカイは徴税人の頭
「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」 今日の第
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」 今日の福音(マルコ13.24-32)で、イエスは終末、世の終わりについて弟子たちにこのように言います。人間には、終末がいつ訪れるかを知ることはできません。
光はやみの中に輝き、神に従う人を照らす。 今日の詩編(詩編112.1,4)はこのように歌われます。よく晴れた昼間に灯火を点けても、その光は日の光にとけ込んでしまいます。灯火は、暗闇の中だからこそ、その輝きがよく見えるのです。 同じように、神
「わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。」 今日の第一朗読(�ヨハ
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 今日の福音(ルカ17.20-25)でイエスは、「神の国はいつ来るのか」と尋ねてきたファリサイ派の人々にこのように
イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひ
アレルヤ、アレルヤ。わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のもとに行く。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ章はこのように歌われます。口では「愛している」と言っていても、その愛を態度や行動で示さなけれ
「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである」 今日の福音(ルカ17.1-6)で、イエスは弟子たちにこ
心を尽くして神をたたえよ。いのちのある限り神をたたえよ。わたしは生涯神をほめうたう。 今日の詩編(詩編146.1+2+10a,6c+78ac+9bc)はこのように歌われます。私たちは生きていくために欠かせない活動や、家庭生活、社会生活があり
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」 今日の第二朗読(➀コリント3.9c-11,16-17)で、パウロはこのように書いています。イエスはご自分の存在を神の神殿に例えまし
アレルヤ、アレルヤ。キリストのことばを守るなら、神の愛はその人のうちに全うされる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスは私たちに多くの言葉を残しました。その中には理解が難しいものも、非常に厳しいものもありま
アレルヤ、アレルヤ。労苦して重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを回復させよう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスと出会い、イエスと交わることによって人々が救われていく。それには様
アレルヤ、アレルヤ。キリストの名のためにののしられる人は幸い。神の霊があなたがたの上にとどまってくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。教会が誕生した頃、イエスの弟子であると公言することは命がけの行為でした。
アレルヤ、アレルヤ。労苦して重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを回復させよう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。苦労している人が教会に行き、イエスとの出会いを求めても、苦労や重荷そのも
「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招
「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この
「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」 今日の福音(ヨハネ6.37-40)でイエスは、人々にこのように言います。神と人との交わりが絶たれるのは、いつも、人間の側が神から離
「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る」 今日の福音(マタイ5.1-12a)で、イエスは弟子たちと群衆にこのように言います。人々が、心の清い人の生き方の中に神の姿を見るということであれば、分かりにくい話ではありません。しかし、心
心にやましさがある者を主は受け入れてくださらない。神はわたしを受け入れて、祈りに心を留められた。 今日の詩編(詩編66.18+19,1+8b+20)はこのように歌われます。心にやましさが全くない人は一人もいないと思います。心にやましさがある
神は悩みのうちにある者を支え、倒れる者をすべて立たせてくださる。 今日の詩編(詩編145.10+11,13ab+14)はこのように歌われます。悩み苦しむ経験があるからこそ、寄り添われ、支えられることのありがたさを知ることができます。倒れる経
「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」 今日の福音(ルカ13.18-21)で、イエスは人々にこのように言います。からし種は、私
そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。 今日の福音(ルカ6.12-19)にはこのように書かれています。十二使徒に選ばれた弟子たちは、それ以前
「大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです」 今日の第二朗読(ヘ
「神の家に行こう」と言われて、わたしの心は喜びにはずんだ。 今日の詩編(詩編122.1+2,3+4ab)はこのように歌われます。現代の日本で考えるなら、もちろん、教会や祈りの集いに誘うことは「神の家に行こう」と声をかけることになるでしょう。
「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」 今日の第一朗読(エフェソ4.1-6)にはこのように書かれています。神は唯一であることを認め、その唯一の神に祈りを捧げ
「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」 今日の第一朗読(エフ
「このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」 今日の福音(ルカ12.39-48)で、イエスは弟子
「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」 今日の第一朗読(エフェ
「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」 今日の第一朗読(エフェソ2.1-10)にはこのように書かれています。私たちは、自分の力だけでは神を信じることさえできません。神
「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」 今日の福音(マルコ10.35-45)で、イエスは使徒たちにこのように言い
「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる」 今日の福音(ルカ12.8-12
アレルヤ、アレルヤ。あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのである。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このイエスの言葉は、人間は神の前で常に受け身であり、自分の意志を持つことに意義はないという意
「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」 今日の第一朗読、「エフェソの教
「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従って前進しましょう」 今日の第一朗読(ガラテヤ5.18-25)で、パウロはこのように書いています。霊、すなわち聖霊は神の愛です。神の愛の導きに従って生きる人は、いつも前進しているの
「皆さん、自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」 今日の第一朗読(ガラテヤ5.1-6)で、パウロはこのように書いています。キリスト者とし
「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる」 今日の福音(ルカ11.29-32)で、
わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。知恵の前では金も砂粒にすぎず、知恵と比べれば銀も泥に等しい。 今日の第一朗読(知恵7.7-11)にはこのように書かれていま
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。 今日の第一朗読(ガラテヤ3.22-29)で、パウロはこのように書いています。日本にも「看板を背
そのとき、イエスは悪霊どもを追い出しておられたが、人々の中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。 今日の福音(ルカ11.15-26)にはこのように書か
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」 今日の福音(ルカ11.5-1
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい」 今日の福音(ルカ11.1
「皆さん、あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」 今日の第一朗読(ガラテヤ1.13-24)で、パウロはこのように書いています。パウロ
神の名は尊く、おそるべきもの。神をおそれることは知恵のはじめ。これを行うものはすべてをわきまえる。神への賛美は世々、とこしえに。 今日の詩編(詩編111.1+2,9c+10)はこのように歌われます。ここで言う「おそれる」とは「恐れ」ではなく
アレルヤ、アレルヤ。互いに愛し合うなら神はわたしたちとともにおられ、その愛はわたしたちのうちに全うされる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちが互いに愛し合う時に、神がそこにいらっしゃるのではないと思います。
神よ、あなたのことばを生涯守れるように、豊かな恵みを与えてください。 今日の詩編(詩編119.10+11b+108b,17+18)はこのように歌われます。神のことば、神の掟とは、愛のみに行き着きます。神のことばを生涯守るとは、生涯をかけて、
「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである」 今日の福音(ルカ10.13-16)で、イエスは派遣する弟子たちにこのように言います。この言葉
そのとき、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 今日の福音(ルカ10.1-12)にはこのように書かれています。「ほかに」とは「十二使徒の他に」という意味です。イエスには十二使徒の他にも多
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して
神よ、いつくしみ深くわたしにこたえ、あわれみ深く顔を向けてください。あなたの顔をしもべに隠さず、悩むわたしにすぐに答えてください。 今日の詩編(詩編69.14,17+18)はこのように歌われます。誰でも、祈りの中で神との出会いを求めると思い
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,3+5)はこのように歌われます。自分から神への訴えが正しいと自信を持って言える人がどれだけいるでしょうか。そもそも、その訴えが
そのとき、ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪
あなたのわざをわたしたちの上に、あなたの輝きを子孫にあらわしてください。 今日の詩編(詩編90.11+12,16+17)はこのように歌われます。神の輝きを子孫に現す、イエスの教えを語り継ぐには、神への祈りが欠かせません。人の力だけでできるこ
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」 今日の福音(ルカ9.18-22)にはこのように書かれています。もしイエスが神の子ではなく、ただの人間だったとしても、優れた思想家
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,4+5c+6)はこのように歌われます。私たちの毎日は特別なことばかりがおこるわけではありません。多くの人にとって、ほとんど
十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。 今日の福音(ルカ9.1-6)には、十二使徒がイエスに派遣され、出かけていく様子が描かれています。聖書には、イエスや弟子たちが不思議な力で病を癒
そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。 今日の福音(ルカ8.19-21)にはこ
神よ、あなたの幕屋に泊まる人、あなたのとうとい山を住まいとする人はだれ。それはとがなく歩み、正義を行い、心からまことをかたる人。ことばで人をきずつけず、悪を行わず、隣人をはずかしめない。 今日の詩編(詩編15.1+2,3+4a+6)はこのよ
「上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません」 今日の第二朗読(ヤコブ3.16-4.3)にはこのように書かれています。現代社会で、ここに書かれ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」 今日の第一朗読(�コリント15.12-20)で、パウロはこのように書いています。もし、キリスト教が倫理や道徳であるならば、大切なのはイエ
「そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」 今日の第一朗読(�コリント15.1-11)で、パウロはこのよう
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」 今日の第一朗読(�コリント12.31-13.13)で、パウロはこのように書いています。信仰、希望、愛は「信望愛」と一揃えで語られる、キリスト
「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆
ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうして
わたしは神を愛する。神はわたしの声を聞き、日々、祈り求めるわたしに心を留めてくださる。 今日の詩編(詩編116.1+2+3+4,5+6a+7b,8ab+9)はこのように歌われます。私たちは、神からの癒し、神からの救いを求めて、日々祈りを捧げ
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神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。 今日の詩編(詩編25.4+5a,10+14)はこのように歌われます。この歌のように、神は私たちに道を示し、真理へと導いてくださいます。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 今日の福音(ルカ1.39-45)で、洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトは、自分のもとを訪問したマリアにこのように言います。このエリザベトの言葉は、ただ神の言葉が実
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 今日の福音(ルカ1.39-45)にはこのように書かれています。マリアが住んでいたナザレと、エリザベトが住んでいたエイン・カ
門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。キリスト者にとって、栄光の王とは幼子イエスです。貧しい大工の子として、馬小屋で生まれた何の力もない幼子の中にこそ、私たちは神の栄光を見ます。 待
神よ、あなたはわたしを心にかけ、わたしのすべてを知っておられる。わたしが座るのも立つのも知り、遠くからわたしの思いを見通される。 今日の詩編(詩編139.1,2,13,14)はこのように歌われます。この歌は、神と私たち人間との関係をよく表し
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろう
王は海のかなたまで、川から地の果てまで支配する。 今日の詩編(詩編72.8+11,17)はこのように歌われます。現代の人間は地球の隅々まで到達しています。子どもでさえも、世界地図をなんとなく思い浮かべることができるでしょう。海のかなたも地の
神は憐れみ深く正義に満ち、罪人に道を示される。神は貧しい人を正義に導き、へりくだる人にその道を教えられる。 今日の詩編(詩編25.4+5a,8+9)はこのように歌われます。神は、ご自分に従って正しく生きる人だけに進むべき道を示すのではありま
主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。「イザヤの預言」12章にはこのように書かれている。主の威厳と何だろうか。それは必ずしも不思議な奇跡や、世の中や人の人生を大きく左右することとは限らないように思う。 不思議な出来
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、神がいつ自分に手を差し伸べてくださったか、正確に気づくことができるでしょうか。差し出された手が、神の救いなのか、悪の誘惑なのかを見極め
「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」 今日の福音(マタイ11.16-19)でイエスは、人々にこのように言
その恵みはすべてのものに及び、いつくしみは造られたすべてのものの上にある。 今日の詩編(詩編145.7+9,10+11)はこのように歌われます。神の恵み、いつくしみが注がれているのは、自分だけでも、自分が大切にしている人だけでもありません。
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。恵みとは、今嬉しいことだけとは限りません。今は痛みや悲しみでしかないことが、後になって振り返ると自分の成長の糧となっていることは珍しくないでしょう。
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」 今日の福音(マタイ18.12-14)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは「羊飼いは一匹の子羊が迷子になったら、九十九匹を置いてでも探しに行
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)にはこのように書かれています。天使ガブリエルがマ
種を手に涙を流して出て行く人は、束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。 今日の詩編(詩編126.1+2ab,2cd+3,4+6)はこのように歌われます。喜びのうちに豊かな収穫を獲たということは、この人は悲しみにくれながらも種を蒔くことをやめ
主が民の傷を包み、重い打ち傷をいやされる日、月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる。 今日の詩編(イザヤ30.19-21,23-26)はこのように歌われます。これは、ある特別な日、たとえば、イエスの再臨や終末の時を
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。「神に生きる人々の中で」という言葉からは、二つの意味が読み取れるように思います。 一つは、神を信じ、その教えに従って生きる人
アレルヤ、アレルヤ。見いだせるうちに主を尋ね、近くにおられる主に願え。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスとの出会いは、今ここではない、遠くのどこかにあるものではありません。日々の当たり前の生活の中に、最も身
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 今日の福音(マタイ15.29-37)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスはこう言って、
見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。 今日の第一朗読(マラキ3.1-4,23-24)にはこのように書かれています。神の使者との出会いと聞くとどのようなことを想像するでしょう
そのとき、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 今日の福音(ルカ1・46-56)には、エリザベトの挨拶を受けた直後にマリアが神を讃える姿が描かれています。 マリアは、「わたしは」ではなく「わ
恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。恋しい人はかもしかのよう、若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って窓口からうかがい、格子の外からのぞいています。 今日の第一朗読(雅歌2.8-14)にはこのように書かれ
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)には、数多くの名画に描かれている受胎告知の場面が描
すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 今日の福音(ルカ1.5-25)には、天使ガブリエルが祭司ザカリアの前に現れてお告げを告げる場面が描かれています。ザカリアはエリサベトの夫であり、
神よ、あなたの正義を王に与え、あなたの正しさを王に授けてください。王が正しく民をおさめ、正義をもって貧しい人を守るように。 今日の詩編(詩編72.1+2,11+13)はこのように歌われます。教会は、全ての信徒はキリストの三職務、すなわち、祭
「皆さん、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 今日の第二朗読(�テサロニケ5.16-24)で、パウロはこのように書いています。
アレルヤ、アレルヤ。主の道を整え、その小道を整えよ。すべての人は神の救いを見る。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。これは洗礼者ヨハネのことを指しています。ヨハネは偉大な人物です。最後の預言者であり、イエスの先触れ
アレルヤ、アレルヤ。主は来られる。平和の王である主を迎えよう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスは平和の王です。平和をもたらすために、神の子でありながら人となってこの地上にお生まれになったのです。 にもかか
その恵みはすべてのものに及び、いつくしみは造られたすべてのものの上にある。 今日の詩編(詩編145.7+9,10+11)はこのように歌われます。神のいつくしみが全ての被造物の上にあるにも関わらず、痛みや悲しみの中にある人や、傷つけられている
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。 今日の詩編(詩編103.3+4,8+13)はこのように歌われます。罪と聞くと、自分以外の誰かに迷惑をかける、痛みを与えるような行いを思い浮かべる人が多いと思います。 罪とは神の愛に背を向けることで
「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」 今日の福音(マタイ18.12-14)でイエスは、弟子たちにこのように言います。この有名な「
正義は神の前を進み、平和はその足跡に従う。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌の通りならば、正義は平和に先立つ、正義のあるところに平和がもたらされるということになります。 しかし、実際には正義の名の下
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 今日の福音(マルコ1.1-8)にはこのように書かれています。二千年前の
また、(イエスは)群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」 今
世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、賛美の歌で神をほめよ。たて琴をかなでて神をたたえ、その調べに合わせてほめ歌え。 今日の詩編(詩編98.1,4+5)はこのように歌われます。歌にはもちろん無伴奏もありますが、楽器による伴奏があった方が音程も
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」 今日の福音(マタイ7.21,24-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。もちろんイエスは、「主よ、主よ」と
大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。 今日の福音(マタイ15.29-37)にはこのように書かれています。
王は助けを求める乏しい人と見捨てられた貧しい人を救う。貧しく不幸な人をあわれみ、苦しむ人に救いをもたらす。 今日の詩編(詩編72.12+13,17)はこのように歌われます。聖書は、弱い人間が神によって救われるという価値観で貫かれています。そ
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」 今日の福音(マタイ8.5-11)で、あるローマの百人隊長はこのように言って、イエスに自分の