「愛する皆さん、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進ん
「愛する皆さん、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進ん
神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌は、神はご自分を信じる人にだけ目を注いでいるかのようにも聞こえます。 もちろんそんなことはないでしょう。神は全ての人を等しく愛し
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのことばは霊であり、いのちです。あなたは永遠の命のことばをもっておられる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちが神のことば、主のことばと聞いて、真っ先に思い浮かべるのは聖書の言
そのとき、イエスと弟子たちはベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。 今日の福音(マルコ8.22-26)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが奇跡の力で病を癒す話がいくつも描か
そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。 今日の福音(マルコ8.14-21)にはこのように書かれています
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。 今日の第一朗読(創世記4.1-15,25)には、アダムの息子カインが、嫉妬から弟
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」 今日の第二朗読(�コリント15.12,16-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは復活したイエスに出会い、迫害者から
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 今日の第一朗読(創世記3.9-24)に
わたしは罪をあなたに表し、わたしのとがを隠さずに言う。あなたはわたしの罪をゆるし、わたしのとがを清めてくださる。 今日の詩編(詩編32.5abef,7)はこのように歌われます。ここでは、人間が神に罪を告白し、神がその罪を赦すことに焦点が当て
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 今日の第一朗読(創世記2.18-25)には、アダムが神がお造りになった動
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の息吹、すなわち神の愛は、今も隠されているわけではないのだと思います。神によって良いものとして造られたこの世界には神の愛が満ちあふれています。 私たちが生活の中で
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もし、聖書に書かれている掟通りに生きることを信仰と呼ぶのなら、神の顔を仰ぎ見ることは絶対に必要ではないでし
神はこれを見て、良しとされた。 今日の第一朗読(創世記1.1-19)には、神が天地を創造する様子が描かれています。光をはじめ、神は次々と天地万物を創造していきます。神はご自分が造ったものを見て、全て「良しとされた」と言われます。「いまいちだ
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 今日の第一朗読(イザヤ6.1-2a,3-8)にはこのように書かれています。神か
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 今日の福音(マルコ6.30-34)には、派遣された場所から帰って来た使徒たちをイエスが労う様子
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」 今日の第一朗読(ヘブライ13.1-8)にはこのように書かれています。神は愛です。神の子であるイエスももちろん愛そのものです。 世界は、社会は常に変わり続けています。し
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。 今日の福音(マルコ6.7-13)にはこのように書かれています。イエスの公生活は旅の連続でした。誰かがご自分を訪れるのを待っ
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」 今日の第一朗読(ガラテヤ2.19-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは生前のイエスとは面識がありません。十字
「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」 今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。現在、私たちが聖堂や祭壇で目にする十字架の多くは美
神を待ち望むすべての人よ、強くたくましく、生きよ。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。しかし、神を待ち望む人、神により頼む人は、自分一人では生きられない弱さに気づいたからこそ、神にすがっているのです。 教
「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 今日の福音(ルカ2.22-40)で、聖家族に出会ったシメオンは、このような言葉で幼子イエスを讃えます。イスラエルの民は、長い間救い主
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 今日の福音(マルコ4.35-41)にはこのように書かれています。これは、イエス
神のうちにあって喜べ、神はその人の心の願いをかなえられる。 今日の詩編(詩編37.3,4)はこのように歌われます。多くの場合、私たちは、願いがかなえられるから喜ぶのではないでしょうか。この歌はその順序が逆であるように感じます。 落ち込んでい
アレルヤ、アレルヤ。あなたは命のことばを保ち、ともしびのように世界を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「世界を照らしなさい」と言われると、そんな大きなことはできないと不安になる人が多いのではないで
アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばを種蒔きするのがイエスなら、私たち人間の役目は何なのでしょうか。 まず、種が蒔
「この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」 今日の第一朗読(ヘブライ10.1-10)にはこのように書かれています。「聖なる」の元々の意味は、「尊い」ではなく「神のために他
アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。とはいえ、私たちの地上の生は、いつか必ず死によって終わりを迎えます。死か
アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。実際にはイエスは、社会的地位が高い人や、多くの財産を持っている人とも交わりましたが、それ
「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、
そのとき、イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 今日の福音
あなたを求めるすべての人は、あなたのうちにあって喜び楽しみ、救いの力を尊ぶ人は、「神は偉大なかた」といつもたたえる。 今日の詩編(詩編40.10,17)はこのように歌われます。神を求める営みは厳しい苦行の中にあるのではありません。それは喜び
アレルヤ、アレルヤ。イエスは神の国の福音を告げ知らせ、民の病いをいやされた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスはただの説教師でもなければ、ただの治療家でもありません。イエスにとって福音を説くことと病を癒や
アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。希望とは、何もしなくても降ってくるものでも、自分の力
「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は
「ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の�霊�の働きであって、�霊�は望むままに、それを一人一人に
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 今日の福音(マルコ2.13-17)でイエスは、罪人や徴税人と一緒に食事をすることを批判するファリサイ派の律法学者にこ
イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 今日の福音(マルコ2.
「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」 今日の第一朗読(ヘブライ3.7-14)にはこのように書かれています。私たちの信仰は個人ではなく共同体の信仰です。自分一人
シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 今日の福音(マルコ1.29-39)にはこのように書かれています。現代を生きる
イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 今日の福音(マルコ1.21-28)にはこのように書かれています。「律法学者のよ
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 今日の福音(マルコ1.14-20)にはこのように書かれています。イエスの先触れである洗礼者ヨハネが
神よ、あなたが造られたものは数えきれない。英知によって形造られたものは地に満ちている。 今日の詩編(詩編104.1+2a,24+33)はこのように歌われます。この世界は神によって造られました。この世界に神と無関係なものはありません。 神は愛
アレルヤ、アレルヤ。暗やみに住む民は偉大な光を仰ぎ、死のかげに覆われた人々に光が現れた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。明るい場所にいる時は光に気づくことができません。暗闇の中にいるからこそ、光に気づき、光を求
アレルヤ、アレルヤ。イエスは神の国の福音を告げ知らせ、民の病いをいやされた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。聖書には、イエスが人々の病を癒やす奇跡が多く描かれています。その癒しは、身体的なものだけではありません
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」 今日の第一朗読(�ヨハネ4.1
「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」 今日の第一朗読(�ヨハネ4.11-18)にはこのように書かれています。神を見るとは
そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あな
「愛する皆さん、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです」 今日の第一朗読(�ヨハネ3.22-4.6)にはこのように書かれています。いくら神に願っても全く聞き入れられないと嘆く人は多い
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来た
アレルヤ、アレルヤ。神は昔、預言者を通して先祖に語られたが、この終わりの時にはご自分の子を通してわたしたちに語られた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。旧約の時代には多くの預言者が現れ、人々に神の言葉を告げ知らせ
ラッパと角笛を吹き、神の前で喜びの声を上げよ。世界とそこに住む者は、神の前に喜びうたえ。 今日の詩編(詩編98.4+5,6+7b+8b)はこのように歌われます。神に感謝し、神を賛美するのは自分一人の営みではありません。もちろん、心を静めて一
「愛する皆さん、偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです」 今日の第一朗読(�ヨハネ2.22-28)にはこのように書かれています。メシアとは救い主です。どこ
「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした」 今日の第二朗読(ガラテヤ4.4-7)で、パウロはこのように書いて
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。 今日の福音(ルカ2.36-40)にはこのように書かれています。福音書は、少年時代から公生
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜し
神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。 今日の第一朗読(�ヨハネ1.5-2.2)にはこのように書かれています。私たちが光の中、すなわち神の愛の中を歩む
神は悪と戦う人を愛し、神を敬う人を支え、悪の力から救われる。光は神に従う人の上に、喜びは心の正しい人の上にある。 今日の詩編(詩編97.1+2,10+11)はこのように歌われます。悪と戦うとはどういうことでしょうか。正義に背いているように見
あなたの手にわたしの生涯をゆだねる。わたしの敵から救い出してください。 今日の詩編(詩編31.2+6,15+16)はこのように歌われます。「わたしの敵」とはどのような存在でしょうか。自分を攻撃したり、危害を加えてきたりする相手のことでしょう
アレルヤ、アレルヤ。偉大な光がきょう地上に下り、聖なるこの日はわたしたちを照らした。諸国の民は来て主を礼拝せよ。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ章はこのように歌われます。クリスマスおめでとうございます。二千年前のパレスチナに生まれ、世を
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたが
神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。 今日の詩編(詩編25.4+5a,10+14)はこのように歌われます。この歌のように、神は私たちに道を示し、真理へと導いてくださいます。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 今日の福音(ルカ1.39-45)で、洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトは、自分のもとを訪問したマリアにこのように言います。このエリザベトの言葉は、ただ神の言葉が実
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 今日の福音(ルカ1.39-45)にはこのように書かれています。マリアが住んでいたナザレと、エリザベトが住んでいたエイン・カ
門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。キリスト者にとって、栄光の王とは幼子イエスです。貧しい大工の子として、馬小屋で生まれた何の力もない幼子の中にこそ、私たちは神の栄光を見ます。 待
神よ、あなたはわたしを心にかけ、わたしのすべてを知っておられる。わたしが座るのも立つのも知り、遠くからわたしの思いを見通される。 今日の詩編(詩編139.1,2,13,14)はこのように歌われます。この歌は、神と私たち人間との関係をよく表し
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろう
王は海のかなたまで、川から地の果てまで支配する。 今日の詩編(詩編72.8+11,17)はこのように歌われます。現代の人間は地球の隅々まで到達しています。子どもでさえも、世界地図をなんとなく思い浮かべることができるでしょう。海のかなたも地の
神は憐れみ深く正義に満ち、罪人に道を示される。神は貧しい人を正義に導き、へりくだる人にその道を教えられる。 今日の詩編(詩編25.4+5a,8+9)はこのように歌われます。神は、ご自分に従って正しく生きる人だけに進むべき道を示すのではありま
主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。「イザヤの預言」12章にはこのように書かれている。主の威厳と何だろうか。それは必ずしも不思議な奇跡や、世の中や人の人生を大きく左右することとは限らないように思う。 不思議な出来
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、神がいつ自分に手を差し伸べてくださったか、正確に気づくことができるでしょうか。差し出された手が、神の救いなのか、悪の誘惑なのかを見極め
「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」 今日の福音(マタイ11.16-19)でイエスは、人々にこのように言
その恵みはすべてのものに及び、いつくしみは造られたすべてのものの上にある。 今日の詩編(詩編145.7+9,10+11)はこのように歌われます。神の恵み、いつくしみが注がれているのは、自分だけでも、自分が大切にしている人だけでもありません。
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。恵みとは、今嬉しいことだけとは限りません。今は痛みや悲しみでしかないことが、後になって振り返ると自分の成長の糧となっていることは珍しくないでしょう。
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」 今日の福音(マタイ18.12-14)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは「羊飼いは一匹の子羊が迷子になったら、九十九匹を置いてでも探しに行
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)にはこのように書かれています。天使ガブリエルがマ
種を手に涙を流して出て行く人は、束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。 今日の詩編(詩編126.1+2ab,2cd+3,4+6)はこのように歌われます。喜びのうちに豊かな収穫を獲たということは、この人は悲しみにくれながらも種を蒔くことをやめ
主が民の傷を包み、重い打ち傷をいやされる日、月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる。 今日の詩編(イザヤ30.19-21,23-26)はこのように歌われます。これは、ある特別な日、たとえば、イエスの再臨や終末の時を
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。「神に生きる人々の中で」という言葉からは、二つの意味が読み取れるように思います。 一つは、神を信じ、その教えに従って生きる人
アレルヤ、アレルヤ。見いだせるうちに主を尋ね、近くにおられる主に願え。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスとの出会いは、今ここではない、遠くのどこかにあるものではありません。日々の当たり前の生活の中に、最も身
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 今日の福音(マタイ15.29-37)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスはこう言って、
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る直前のイエスは、十一人の使徒たちにこのように言います。福音とは「良い知らせ」、イエスの愛の教えのことです。神はどんな時も私たちを
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」 今日の福音(マタイ8.5-11)で、イエスに部下の病をいやしてくれるように頼んだローマの百
「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」 今日の福音(ルカ21.25-28,34-36)で、イエスは弟子たちにこのように言います。放縦や深酒が好ましくな
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 今日の福音(マタイ4.18-22)には、イエスがシモン・ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネをご自分の弟子として招く場面が描かれています。漁
わたしの魂は主の庭を慕い、心とからだは生ける神にあこがれる。 今日の詩編(詩編84.2+3,4)はこのように歌われます。信仰とは心だけの問題ではありません。肉体もまた、劣ったものではなく、ましてや、悪に属するものではありません。 私たちの心
アレルヤ、アレルヤ。恐れずに頭を上げなさい。あなたがたの救いは近づいている。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。絶望している時は、頭を下げがちになります。自分の足下しか見ていなければ、神との出会いにも、神からの恵み
アレルヤ、アレルヤ。死に至るまで忠実でありなさい。わたしはあなたに命の冠を与えよう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。生まれてからこの地上での生を終えるまで、私たちはどのような一生を送るでしょうか。人間には食事や
神は来られる、世界をさばきに来られる。正義とまことをもって、すべての民をさばかれる。 今日の詩編(詩編96.11+12,9+13)はこのように歌われます。このような言葉を聞くと、厳しい裁きの時を想像する人と、温かな神の国の到来を思い浮かべる
アレルヤ、アレルヤ。目覚めて注意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このイエスの言葉は、世の終わり、終末にイエスは再びやってくる。それはいつ起こるのか誰にも分からない。
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」 今日の第二朗読(黙示録1.5-8)にはこのように書かれています。私たちの信仰は、自分、自分が生きている時代だけのものでは
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、神の厳しさを恐れ、裁きを受けないように従うのではありません。神のいつくしみ、赦しを信頼し、幼子が親に甘えるように従うのです。 神の子であるイエ
アレルヤ、アレルヤ。羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。羊が羊飼いの声を聞き分けることができるのは、羊が弱く、羊飼いなしでは生きていけない動物だか
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばが聞こえない、神に祈りが届かない、神が自分の願いを聞き入れてくださらない。このような悩み、苦し
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたを世から選んだのは、あなたがたは行って実を結び、その実が残るためである。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。植物には色々な種類があります。何十年も何百年も生き続け、毎年実を結ぶものもあ
ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 今日の福音(ルカ19.1-10)にはこのように書かれています。ザアカイは徴税人の頭
「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」 今日の第
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」 今日の福音(マルコ13.24-32)で、イエスは終末、世の終わりについて弟子たちにこのように言います。人間には、終末がいつ訪れるかを知ることはできません。
光はやみの中に輝き、神に従う人を照らす。 今日の詩編(詩編112.1,4)はこのように歌われます。よく晴れた昼間に灯火を点けても、その光は日の光にとけ込んでしまいます。灯火は、暗闇の中だからこそ、その輝きがよく見えるのです。 同じように、神
「わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。」 今日の第一朗読(�ヨハ
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神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌は、神はご自分を信じる人にだけ目を注いでいるかのようにも聞こえます。 もちろんそんなことはないでしょう。神は全ての人を等しく愛し
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのことばは霊であり、いのちです。あなたは永遠の命のことばをもっておられる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちが神のことば、主のことばと聞いて、真っ先に思い浮かべるのは聖書の言
そのとき、イエスと弟子たちはベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。 今日の福音(マルコ8.22-26)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが奇跡の力で病を癒す話がいくつも描か
そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。 今日の福音(マルコ8.14-21)にはこのように書かれています
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。 今日の第一朗読(創世記4.1-15,25)には、アダムの息子カインが、嫉妬から弟
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」 今日の第二朗読(�コリント15.12,16-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは復活したイエスに出会い、迫害者から
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 今日の第一朗読(創世記3.9-24)に
わたしは罪をあなたに表し、わたしのとがを隠さずに言う。あなたはわたしの罪をゆるし、わたしのとがを清めてくださる。 今日の詩編(詩編32.5abef,7)はこのように歌われます。ここでは、人間が神に罪を告白し、神がその罪を赦すことに焦点が当て
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 今日の第一朗読(創世記2.18-25)には、アダムが神がお造りになった動
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の息吹、すなわち神の愛は、今も隠されているわけではないのだと思います。神によって良いものとして造られたこの世界には神の愛が満ちあふれています。 私たちが生活の中で
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もし、聖書に書かれている掟通りに生きることを信仰と呼ぶのなら、神の顔を仰ぎ見ることは絶対に必要ではないでし
神はこれを見て、良しとされた。 今日の第一朗読(創世記1.1-19)には、神が天地を創造する様子が描かれています。光をはじめ、神は次々と天地万物を創造していきます。神はご自分が造ったものを見て、全て「良しとされた」と言われます。「いまいちだ
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 今日の第一朗読(イザヤ6.1-2a,3-8)にはこのように書かれています。神か
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 今日の福音(マルコ6.30-34)には、派遣された場所から帰って来た使徒たちをイエスが労う様子
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」 今日の第一朗読(ヘブライ13.1-8)にはこのように書かれています。神は愛です。神の子であるイエスももちろん愛そのものです。 世界は、社会は常に変わり続けています。し
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。 今日の福音(マルコ6.7-13)にはこのように書かれています。イエスの公生活は旅の連続でした。誰かがご自分を訪れるのを待っ
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」 今日の第一朗読(ガラテヤ2.19-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは生前のイエスとは面識がありません。十字
「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」 今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。現在、私たちが聖堂や祭壇で目にする十字架の多くは美
神を待ち望むすべての人よ、強くたくましく、生きよ。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。しかし、神を待ち望む人、神により頼む人は、自分一人では生きられない弱さに気づいたからこそ、神にすがっているのです。 教
「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」 今日の福音(マタイ16.13-19)で、イエスはシモン・ペトロにこのように言います。ペトロは元々、田舎の漁師です。学があるわけで
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,18+19)はこのように歌われます。神は、私たち人間の心を清くし、強め、新たにすることができます。 その恵みは、選ばれた
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。 今日の第一朗読(イザヤ55.10−11)には、このような神の言葉が書かれています。神の言葉が
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」 今日の福音(マタイ25.31-46)で、イエスのたとえ話の中に登場する王はこのように言います。もちろん、この王とは父である神のこ
人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。 今日の栄唱はこのように歌われます。これは格言としても用いられる有名な言葉ですが、元は申命記8章に書かれているもので、マタイ福音書4章では、荒野で断食しているイエスがそれを引用して、悪
飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。 今日の第一朗読(イザヤ58.9b-14)にはこのように書かれています。人間は栄光を求めます。光り輝くような存在
「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与えさまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜し
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」 今日の福音(ルカ9.22-25)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「自分を捨てる」とは、自分を無にするとか、自分らしさを捨てるということで
「皆さん、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」 今日の第二朗読(�コリント5.20-6.2)で、パウロはこのように書いて
そのとき、弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていない
いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。 今日の第一朗読(ヤコブ1.1-11)にはこのよ
「皆さん、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 今日の第二朗読(�コリント10.31-11.1)で、パウロはこのように書いています。「何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさ
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「神のわざ」を聖書に書かれているような、人間の理解を超えた奇跡のことだと考えるなら、そのような体験をしたことがある人は、ほとんどいないでしょう。 しかし、私た
人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 今日の福音(マルコ7.31-37)には
そのとき、イエスはティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。 今日の福音(マルコ7.24-30)にはこのように書かれています。この時のイエスは、なぜご自分がそこにいることを誰
神に従う人は神に支えられる。 今日の詩編(詩編37.5a+6b,17b+18b)はこのように歌われます。これは、神に従えば、その褒美や報いとして神が支えてくださるということではないように思います。 むしろ、自分の弱さを認め、神の支えを受け入
すべてを治められる神よ、あなたの住まいはうるわしい。 今日の詩編(詩編84.2+3,4)はこのように歌われます。ここで歌われている「あなたの住まい」とは、もちろん天の国のことなのでしょう。 しかし、この地上の全てのものもまた、神によって「よ
アレルヤ、アレルヤ。全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌詞は復活したイエスが天に帰る直前に弟子たちに残した
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する
「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 今日の第一朗読(列王記上3.4-13)で、「何事でも願うがよ