イエスは、弟子たちにご自身を表され、食事を共にされた。 今日の福音(ヨハネ21.15-19)にはこのように書かれています。復活したイエスは、弟子たちの前に姿を現す度に共に食事をします。もちろん、生前のイエスと弟子たちも、生活を共にしていたの
イエスは、弟子たちにご自身を表され、食事を共にされた。 今日の福音(ヨハネ21.15-19)にはこのように書かれています。復活したイエスは、弟子たちの前に姿を現す度に共に食事をします。もちろん、生前のイエスと弟子たちも、生活を共にしていたの
「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」 今日の福音(ヨハネ17.20-26)でイエスは、このよ
神の声を聞け、力みなぎる声を。神の力をたたえよ。 今日の詩編(詩編68.29+33.34b+35a+36b)はこのように歌われます。力みなぎる神の声はどこで聞くことができるのでしょうか。 それは、この世の力、権力がみなぎっている所ではない
神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、荒れ果てたあなたの国を新たにされた。 今日の詩編(詩編68.10+11,20+27)はこのように歌われます。今の時期の日本では、雨模様の空は物憂いものです。しかし、今、十分な雨が降らなければ、農作物の成長には
パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」 今日の第一朗読(
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。 今日の福音(ル
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、マリアは親類のエリザベトを訪ねます。そこでエリザベトから挨拶を受けたマリアは、このように神をたたえ始めます。 ここでマリアは、「わた
パウロがコリントに滞在していたある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」 今日の第一朗読(使徒言行録18.9-18)にはこのように書かれています。この時のパウロには、コリ
パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。 今日の第一朗読(使徒言行録18.1-8)にはこのように書かれています。使徒たちの宣
「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです」 今日の第一朗読(使徒言行録
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。 今日
ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。 今日の第一朗読(使徒言行録16.11-15)にはこのように書かれています。私たちが人の話を
この問題について協議するためにエルサレムで集まった。使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。 今日の第一朗読(使徒言行録15.1-2,22-29)には
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。 今日の第一朗読(使徒言行録16.1-10)にはこのように書かれています。組織において
その日、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。 今
「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」 今日の第一朗読(使徒言行録15.7-21)で、ペトロは使徒と長老たちにこのように言います。もちろん、現代の日本の教会は、ユダヤ人かユダヤ
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」 今日の福音(ヨハネ15.1-8)で、イエスは弟子た
そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこ
「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」 今日の福音(ヨハネ14.21-26)で、イエスは弟子たちにこのように言います。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」 今日の福音(ヨハネ13,31-33a,34-35)で、イエスは使徒たちにこの
そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。 今日の第一朗読(使徒言行録13.44-52)にはこのように書かれています。私たちは皆、神によって良いものとして造られ、神から愛されています。全ての人は神から永遠の命に招かれて
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 今日の福音(ヨハネ14.1-6)で、イエスは弟子たちにこのように言います。日々の生活の中で、心を騒がせずに生きていくことができる人はいません。そんなことはイエスもご存じです。
「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」 今日の福音(ヨハネ13.16-20)で、イエスは弟子たちにこのように言います。ここでイエスは
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」 今日の福音(ヨハネ15.9-17)で、イエスは弟子たち
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き
その日、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされてい
やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.31-42)には、ペトロが病気で亡くなったばかりのドルカスという女性を生き返らせる奇跡を行う様子が描
その日、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。 今日の第一朗読(使徒
神をおそれる者は耳を傾けよ。神のわざを語ろう、わたしの上に行われたことを。 今日の詩編(詩編66.16+17,1+8b+20)はこのように歌われます。自分の上にどのような神のわざが行われたかを語れる人がどれほどいるでしょうか。そんなことは自
さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。ステファノの死がきっかけとなり、エルサレムでは初代教会への大迫害が起こります。イエスの弟子たちは迫害を逃れて
「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか」 今日の福音(ヨハネ6.30-35)で、群衆はイエスにこのように尋ねます。この箇所以外でも、人々がイエスに
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)には、イエスが行った奇跡を体験した群衆とイエ
わたしの心はあなたをたたえ、黙っていることがない。神よ、わたしの神よ、あなたをとこしえにたたえよう。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12,13)はこのように歌われます。このような心で生きている人は、祈ろうとして祈るのではなく、自分の
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。」 今日の福音(ヨハネ14.6-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。今日、司祭はミサで祈願を唱える時「私たちの主、イエス・
イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。 今日の福音(ヨハネ6.1-15)には、五つのパンと二匹の魚を増やして五千人の群衆を満腹させる奇跡を行った後のイエスの行動をこのように記し
主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。神は全ての人を愛し、恵みを注いでいます。しかし、その恵みを味わえる人と味わえない人がいるのです。 主により頼まない人と
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書かれています。イエスがこの世に遣わされたのが世を裁くためでないのなら、イエスの弟子であり友である私た
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。 今日の福音(ヨハネ3.1-8)にはこのように書かれています。律法を一字一句厳格に守るファリサイ派の人々はイエスを激しく攻撃し
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 今日
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」 今日の福音(マルコ16.9-15)にはこのように書かれています。これは復活したイエスから弟子たちへ、そして私たちへ託した最大の願い、イエスの想いそ
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、湖で漁をしている弟子たちが、岸にい
彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 今日の福音(ルカ24.35-48)にはこのように書か
ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 今日の第一朗読(使徒言行録2.36-41)にはこのように書かれています。使徒言行録には、イエスの弟子たちが、文字通り命がけでイエスの教えを宣べ伝えていく様子が描
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 今日の福音(マタイ28.
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 今日の福音(ヨハネ20.1-9)で、からになったイエスの墓を見たマグダラのマリアは、シモン・ペトロともう一人の弟子にこのように伝えます。喜びの頂点である復
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
「お前がユダヤ人の王なのか。」イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 今日の受難朗読(ヨハネ18.1-19.42)にはこのように書かれています。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」 今日の福音(ヨハネ13.1-15 )に
神は貧しい人々に耳を傾け、捕らわれびとをないがしろにされない。 今日の詩編(詩編69.31+33,34+35)はこのように歌われます。捕らわれ人とはどんな人でしょうか。もちろん、旧約の時代と同じように、現代にも、外国に連れ去られたり、戦争で
神よ、あなたの正義と救いのわざを、わたしは昼も夜も告げ知らせる。 今日の詩編(詩編71.3b+4+5a,6b+15+16)はこのように歌われます。私たちには生活があります。日常があります。もし、神の正義と救いを宣べ伝えることが具体的な活動だ
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 今日の福音(ヨハネ1
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」 今日の受難朗読(ルカ23.1-49)で、イエスと一緒に十字架に架けられた犯罪者の一人は、イエスにこのように語りかけます。 イエスが捕らえられ、十字架に架けられた
わたしにはむかう心を捨てて、新しい霊と心を身につけよ。 今日の詠唱はこのように歌われます。神にはむかうとは、教会から足が遠のいたり、祈りをおこたったりすることだけを指すのではありません。 神は愛です。愛に背き、愛から遠ざかる時、私たちは神に
多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。 今日の福音(ヨハネ10.31-42)にはこのように書かれています。洗礼者ヨハ
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「恵みを心に留めよう」と言われたら、どんなことを「恵み」として思い起こすでしょうか。多くの人は、嬉しかったことや得をしたことを思い浮かべるのではない
よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。 今日の詠唱はこのように歌われます。よく祈り、神のことばに従って生活しても、すぐによいことがあったり、生活が好転したりするとは限りません。そもそも、祈りとはご利益を求めて行うものではあ
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。この歌は、神の力、神の不思議をどのように考えているかを、私たちに問うているように思います。 自分に大きな変化をもたらした出来事や、超自然的な力だけを思い浮か
悪を行う人が死ぬことなく、神に立ち戻って生きることを神は望んでおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。神は、罪人が罰せられることよりも、回心して救われることを望んでおられる。そのために、神は人間のどんな罪でも、何回でも赦してくださる。
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」 今日の第一朗読(イザヤ43.16-21)には、このような神の言葉が書かれています。この世界は、神
わたしは神により頼み、そのみことばをたたえよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神を信じている人であれば誰でも、痛みや苦しみから救ってくださるよう神にすがり、祈ると思います。苦しい時ほどよく祈れる人もいるのではないでしょうか。 しか
人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。 今日の詠唱はこのように歌われます。この言葉は、「パンで生きるのではない」とは言っていません。パン、すなわち、身体のための食物が必要であることは否定していないのです。 この地上で身体を
神よ、深いふちからあなたに叫び、嘆き祈るわたしの声を聞いてください。 今日の詩編(詩編130.1+2+3,7+8)はこのように歌われます。自分が深いふちや谷底に落ちていると分かっていれば、誰でも助けを求めて叫ぶでしょう。 しかし私たちは、自
助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。 今日の詩編(詩編145.13cd+14,17+18)はこのように歌われます。では、神に助けを求め、心から祈らなければ、神はそばにいてくださらないのでしょうか。 決してそんなことはな
この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 今日の福音(ヨハネ5.1-3a,5-16)にはこのように書
生きるために悪ではなく善を求めなさい。主はあなたがたとともにおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。しかし実際には、自ら進んで悪を求め、悪を行う人は多くはないように思います。善悪の区別が難しく、自分では正しいことをしているつもりでも、
「皆さん、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」 今日の第二朗読(二コリント5.17-21)でパウロはこのように書いています。これは、キリスト者とそうではない人を区別するために
わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。 今日の第一朗読(ホセア6.1-6)にはこのように書かれています。いけにえを献げるのは行動です。人間は、全く心がこもっていなくても、上辺を上手く取り繕っ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。人生を歩む中で、どうしても思うように進むことができないことが誰にでもあるのではないでしょうか。 そ
「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」 今日の第一朗読(エレミヤ7.23-28)には、このような神の言葉が書かれています
見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。 今日の第一朗読(申命記4.1,5-9)にはこのように書かれています。これは、モーセからイスラ
天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。 今日の福音(ルカ1.26-38)にはこのように書かれています。マリアとは違って、ほとんどの人は実際
「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」 今日の福音(ルカ4.24-30)で、イエスは故郷ナザレの会堂に集まった人々にこのように言います。今の世の中は、イエスの教えがますます人々の心に届きにくくなっているように思い
『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』 今日の福音(ルカ13.1-9)にはこのように書かれています。これは
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。 今日の詩編(詩編103.3+4,11+12)はこのように歌われます。罪とは悪の誘惑に捕らわれ、神に背を向けている状態です。神は愛ですから、罪とは愛に背を向け、愛を拒んでいる状態ということもできるで
神よ、あなたは死の国からわたしを引き上げ、危ういいのちを助けてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12)はこのように歌われます。この歌は、危機一髪で事故から救われたり、不思議な力で不治の病が治ったりするような奇蹟を歌っている
流れのほとりに植えられた木が、季節になると豊かに実り、葉もしおれることのないように、この人の行いも実を結ぶ。 今日の詩編(詩編1.1ac+2.3)はこのように歌われます。日本のように四季の変化がはっきりした国に住んでいると、この歌はより深く
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。 今日の福音(マタイ1.16,18-21,24a)にはこのように書かれています。マリア
「広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」 今日の福音(マタイ23.1-12)で、イエスは群衆と弟子たちにこのように言います。こ
神は救いを示し、諸国の民に正義を現された。 今日の詩編(詩編98.1,2+3a)はこのように歌われます。神にとっては、人間を救うことこそが正義です。私たちが神に背いて滅びの道を歩むことを神はお望みになりません。どんなに神に背き、神を否定す
その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで。」 今日の第一朗読(創世記15.5-12,17-18)にはこのように書かれています。かつてユダヤ民族は、この聖書の言葉
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか」 今日の
「悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」 今日の第一朗読(エゼキエル18.21-28)にはこのように書
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」 今日の福音(マタイ7.7-12)で、イエスは弟子たちにこの
あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神のいぶきを受けた瞬間、たとえば、洗礼やゆるしの秘跡を受けた瞬間に、その人が全く違う人間になるということはありません。 教会の秘跡や祝福は魔術ではありません
「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる」 今日の福音(マタイ6.7-15)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「どのように祈ればいいか分からない」
「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」 今日の第一朗読(レビ19.1-2,11-18)で、神は預言者モーセにこのように言います。本来、「聖なる」という言葉は、神のために他から取り分けられていると
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,11+12b+10,14+15)はこのように歌わ
軛を負わすこと、指をさすこと呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。 今日の第一朗読(イザヤ58.9
生きるために悪ではなく善を求めなさい。主はあなたがたとともにおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。「生きるために善を求める」という言い方は、あまり耳にしないように思います。どちらかといえば、「生きるために」の後に続くのは、「仕方なく
「神に立ち戻りなさい。神の国は来ている」と主は仰せになる。 今日の詠唱はこのように歌われます。「神に立ち戻る」とは何なのか、人によって思い浮かべることは様々でしょう。 特定の病気に冒されている人々を罪人として排除したり、異なる宗教を信じる人
「なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日」 今日の第二朗読(�コリント5.20-6.2)で、パウロはこのように書いています
わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちが神に向き合う時、「私と神」だけではなく、「私たちと神」という意識を持っているでしょうか。個人としてではなく、共同体の一員として神とつながっていると感じてい
主に立ち帰り、罪から離れよ。御前で祈り、罪を犯す機会を遠ざけよ。 今日の第一朗読(シラ17.24-29)にはこのように書かれています。私たちが罪、すなわち愛に背いた行為を行わないようにするためにはどうすればいいでしょうか。もちろん、悪の誘惑
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたはいのちのことばを保って、ともし火のように世を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちは、聖書のみことばを聞いたり、誰かの愛を受けたりすると、自分の心にも愛の炎を灯すこ
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 今日の福音(マルコ10.13-16)でイエ
神よ、あなたのことばを生涯守れるように、豊かな恵みを与えてください。 今日の詩編(詩編119.15+16,17+18)はこのように歌われます。私たち人間は、自分の力だけで神のことばを守ることはできません。 もちろん、守るための努力は大切です
しあわせな人、神に逆らう者の集いに入らず、罪びとの道を歩むことなく、神をあざける者のはかりごとにくみしない人。 今日の詩編(詩編1.1,6)はこのように歌われます。神に逆らう者、神をあざける者とはどんな人でしょうか。ミサやその他の典礼に参加
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イエスは、弟子たちにご自身を表され、食事を共にされた。 今日の福音(ヨハネ21.15-19)にはこのように書かれています。復活したイエスは、弟子たちの前に姿を現す度に共に食事をします。もちろん、生前のイエスと弟子たちも、生活を共にしていたの
「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」 今日の福音(ヨハネ17.20-26)でイエスは、このよ
神の声を聞け、力みなぎる声を。神の力をたたえよ。 今日の詩編(詩編68.29+33.34b+35a+36b)はこのように歌われます。力みなぎる神の声はどこで聞くことができるのでしょうか。 それは、この世の力、権力がみなぎっている所ではない
神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、荒れ果てたあなたの国を新たにされた。 今日の詩編(詩編68.10+11,20+27)はこのように歌われます。今の時期の日本では、雨模様の空は物憂いものです。しかし、今、十分な雨が降らなければ、農作物の成長には
パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」 今日の第一朗読(
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。 今日の福音(ル
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、マリアは親類のエリザベトを訪ねます。そこでエリザベトから挨拶を受けたマリアは、このように神をたたえ始めます。 ここでマリアは、「わた
パウロがコリントに滞在していたある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」 今日の第一朗読(使徒言行録18.9-18)にはこのように書かれています。この時のパウロには、コリ
パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。 今日の第一朗読(使徒言行録18.1-8)にはこのように書かれています。使徒たちの宣
「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです」 今日の第一朗読(使徒言行録
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。 今日
ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。 今日の第一朗読(使徒言行録16.11-15)にはこのように書かれています。私たちが人の話を
この問題について協議するためにエルサレムで集まった。使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。 今日の第一朗読(使徒言行録15.1-2,22-29)には
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。 今日の第一朗読(使徒言行録16.1-10)にはこのように書かれています。組織において
その日、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。 今
「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」 今日の第一朗読(使徒言行録15.7-21)で、ペトロは使徒と長老たちにこのように言います。もちろん、現代の日本の教会は、ユダヤ人かユダヤ
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」 今日の福音(ヨハネ15.1-8)で、イエスは弟子た
そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこ
「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」 今日の福音(ヨハネ14.21-26)で、イエスは弟子たちにこのように言います。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」 今日の福音(ヨハネ13,31-33a,34-35)で、イエスは使徒たちにこの
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでく
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,16+17)はこのように歌われます。たとえ昨日がつらく、苦しい日だったとしても、今日はまた新しい日です。 昨日までにはなか
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,15+16b,17+18)はこのように歌われます。私たちは、神が与えてくださった恵みにふさわしい
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。水のない荒れ果てた土地のように、わたしの心はあなたを慕い、からだはあなたをかわき求める。 今日の詩編(詩編63.2,3+4)はこのように歌われます。「からだはあなたをかわき求める」とあるように、信仰
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、親戚のエリザベトの下を訪れたマリアはこのように神を讃えます。もちろん「偉大なこと」とは、マリア
神こそ主であると悟れ。神はわたしたちを造られた。 今日の詩編(詩編100.1+2,3ab)はこのように歌われます。ほとんどのキリスト者は、日頃、「神」と「主」を意識することなく同じ意味で読み、用いていると思います。 しかし私たちは、本当に
神は地に向かって仰せになり、そのことばは、すばやく走る。 今日の詩編(詩編147.12+13,14+15)はこのように歌われます。今の世の中で、神の言葉が音声として地上に響き渡り、世界中の人がその言葉を一斉に理解するという奇跡が起こることは
「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです」 今日の第一朗読(�ペトロ1.10-16)にはこのように書かれ
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立
皆さん、神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 今日の第二朗読(ローマ8.14-17)で
「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」 今日の第一朗読(ヤコブ5.13-20)にはこのように書かれています。この文脈での「正しい人」とは、自分のた
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、受けた恵みのうち、どれほどを自覚し、感謝することができているでしょうか。 とても嬉しいことがあった時や、誰かに助けの手を差し伸べられた時、
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。この歌を聞く人、歌う人は、自分が虐げられる時に神が守ってくださることを願うのではないでしょうか。 もちろん、そのように願
「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」 今日の第一朗読(ヤコブ4.13-17)にはこのように書かれています。実際、すべきことをしなかったり、正すべきことを見て見ぬ振りをしたりするのが罪であると思わない人は少
「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」 今日の第一朗読(ヤコブ4.1-10)にはこのように書かれています。神を信じる人であれば、自ら
祈りを聞いてくださる神、罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。罪の重荷にうちひしがれても、あなたはすべてをゆるしてくださる。 今日の詩編(詩編65.3+4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 今日の第一朗読(使徒言行録2.1-11
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。 今日の福音(ヨハネ21.20-25)にはこのように書かれています。この部分は、ヨハネ福音書の結び