ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって
ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 今日の第一朗読(使徒言行録2.36-41)にはこのように書かれています。使徒言行録には、イエスの弟子たちが、文字通り命がけでイエスの教えを宣べ伝えていく様子が描
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 今日の福音(マタイ28.
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 今日の福音(ヨハネ20.1-9)で、からになったイエスの墓を見たマグダラのマリアは、シモン・ペトロともう一人の弟子にこのように伝えます。喜びの頂点である復
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
「お前がユダヤ人の王なのか。」イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 今日の受難朗読(ヨハネ18.1-19.42)にはこのように書かれています。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」 今日の福音(ヨハネ13.1-15 )に
神は貧しい人々に耳を傾け、捕らわれびとをないがしろにされない。 今日の詩編(詩編69.31+33,34+35)はこのように歌われます。捕らわれ人とはどんな人でしょうか。もちろん、旧約の時代と同じように、現代にも、外国に連れ去られたり、戦争で
神よ、あなたの正義と救いのわざを、わたしは昼も夜も告げ知らせる。 今日の詩編(詩編71.3b+4+5a,6b+15+16)はこのように歌われます。私たちには生活があります。日常があります。もし、神の正義と救いを宣べ伝えることが具体的な活動だ
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 今日の福音(ヨハネ1
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」 今日の受難朗読(ルカ23.1-49)で、イエスと一緒に十字架に架けられた犯罪者の一人は、イエスにこのように語りかけます。 イエスが捕らえられ、十字架に架けられた
わたしにはむかう心を捨てて、新しい霊と心を身につけよ。 今日の詠唱はこのように歌われます。神にはむかうとは、教会から足が遠のいたり、祈りをおこたったりすることだけを指すのではありません。 神は愛です。愛に背き、愛から遠ざかる時、私たちは神に
多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。 今日の福音(ヨハネ10.31-42)にはこのように書かれています。洗礼者ヨハ
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「恵みを心に留めよう」と言われたら、どんなことを「恵み」として思い起こすでしょうか。多くの人は、嬉しかったことや得をしたことを思い浮かべるのではない
よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。 今日の詠唱はこのように歌われます。よく祈り、神のことばに従って生活しても、すぐによいことがあったり、生活が好転したりするとは限りません。そもそも、祈りとはご利益を求めて行うものではあ
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。この歌は、神の力、神の不思議をどのように考えているかを、私たちに問うているように思います。 自分に大きな変化をもたらした出来事や、超自然的な力だけを思い浮か
悪を行う人が死ぬことなく、神に立ち戻って生きることを神は望んでおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。神は、罪人が罰せられることよりも、回心して救われることを望んでおられる。そのために、神は人間のどんな罪でも、何回でも赦してくださる。
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」 今日の第一朗読(イザヤ43.16-21)には、このような神の言葉が書かれています。この世界は、神
わたしは神により頼み、そのみことばをたたえよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神を信じている人であれば誰でも、痛みや苦しみから救ってくださるよう神にすがり、祈ると思います。苦しい時ほどよく祈れる人もいるのではないでしょうか。 しか
人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。 今日の詠唱はこのように歌われます。この言葉は、「パンで生きるのではない」とは言っていません。パン、すなわち、身体のための食物が必要であることは否定していないのです。 この地上で身体を
神よ、深いふちからあなたに叫び、嘆き祈るわたしの声を聞いてください。 今日の詩編(詩編130.1+2+3,7+8)はこのように歌われます。自分が深いふちや谷底に落ちていると分かっていれば、誰でも助けを求めて叫ぶでしょう。 しかし私たちは、自
助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。 今日の詩編(詩編145.13cd+14,17+18)はこのように歌われます。では、神に助けを求め、心から祈らなければ、神はそばにいてくださらないのでしょうか。 決してそんなことはな
この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 今日の福音(ヨハネ5.1-3a,5-16)にはこのように書
生きるために悪ではなく善を求めなさい。主はあなたがたとともにおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。しかし実際には、自ら進んで悪を求め、悪を行う人は多くはないように思います。善悪の区別が難しく、自分では正しいことをしているつもりでも、
「皆さん、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」 今日の第二朗読(二コリント5.17-21)でパウロはこのように書いています。これは、キリスト者とそうではない人を区別するために
わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。 今日の第一朗読(ホセア6.1-6)にはこのように書かれています。いけにえを献げるのは行動です。人間は、全く心がこもっていなくても、上辺を上手く取り繕っ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。人生を歩む中で、どうしても思うように進むことができないことが誰にでもあるのではないでしょうか。 そ
「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」 今日の第一朗読(エレミヤ7.23-28)には、このような神の言葉が書かれています
見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。 今日の第一朗読(申命記4.1,5-9)にはこのように書かれています。これは、モーセからイスラ
天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。 今日の福音(ルカ1.26-38)にはこのように書かれています。マリアとは違って、ほとんどの人は実際
「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」 今日の福音(ルカ4.24-30)で、イエスは故郷ナザレの会堂に集まった人々にこのように言います。今の世の中は、イエスの教えがますます人々の心に届きにくくなっているように思い
『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』 今日の福音(ルカ13.1-9)にはこのように書かれています。これは
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。 今日の詩編(詩編103.3+4,11+12)はこのように歌われます。罪とは悪の誘惑に捕らわれ、神に背を向けている状態です。神は愛ですから、罪とは愛に背を向け、愛を拒んでいる状態ということもできるで
神よ、あなたは死の国からわたしを引き上げ、危ういいのちを助けてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12)はこのように歌われます。この歌は、危機一髪で事故から救われたり、不思議な力で不治の病が治ったりするような奇蹟を歌っている
流れのほとりに植えられた木が、季節になると豊かに実り、葉もしおれることのないように、この人の行いも実を結ぶ。 今日の詩編(詩編1.1ac+2.3)はこのように歌われます。日本のように四季の変化がはっきりした国に住んでいると、この歌はより深く
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。 今日の福音(マタイ1.16,18-21,24a)にはこのように書かれています。マリア
「広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」 今日の福音(マタイ23.1-12)で、イエスは群衆と弟子たちにこのように言います。こ
神は救いを示し、諸国の民に正義を現された。 今日の詩編(詩編98.1,2+3a)はこのように歌われます。神にとっては、人間を救うことこそが正義です。私たちが神に背いて滅びの道を歩むことを神はお望みになりません。どんなに神に背き、神を否定す
その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで。」 今日の第一朗読(創世記15.5-12,17-18)にはこのように書かれています。かつてユダヤ民族は、この聖書の言葉
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか」 今日の
「悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」 今日の第一朗読(エゼキエル18.21-28)にはこのように書
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」 今日の福音(マタイ7.7-12)で、イエスは弟子たちにこの
あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神のいぶきを受けた瞬間、たとえば、洗礼やゆるしの秘跡を受けた瞬間に、その人が全く違う人間になるということはありません。 教会の秘跡や祝福は魔術ではありません
「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる」 今日の福音(マタイ6.7-15)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「どのように祈ればいいか分からない」
「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」 今日の第一朗読(レビ19.1-2,11-18)で、神は預言者モーセにこのように言います。本来、「聖なる」という言葉は、神のために他から取り分けられていると
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,11+12b+10,14+15)はこのように歌わ
軛を負わすこと、指をさすこと呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。 今日の第一朗読(イザヤ58.9
生きるために悪ではなく善を求めなさい。主はあなたがたとともにおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。「生きるために善を求める」という言い方は、あまり耳にしないように思います。どちらかといえば、「生きるために」の後に続くのは、「仕方なく
「神に立ち戻りなさい。神の国は来ている」と主は仰せになる。 今日の詠唱はこのように歌われます。「神に立ち戻る」とは何なのか、人によって思い浮かべることは様々でしょう。 特定の病気に冒されている人々を罪人として排除したり、異なる宗教を信じる人
「なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日」 今日の第二朗読(�コリント5.20-6.2)で、パウロはこのように書いています
わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちが神に向き合う時、「私と神」だけではなく、「私たちと神」という意識を持っているでしょうか。個人としてではなく、共同体の一員として神とつながっていると感じてい
主に立ち帰り、罪から離れよ。御前で祈り、罪を犯す機会を遠ざけよ。 今日の第一朗読(シラ17.24-29)にはこのように書かれています。私たちが罪、すなわち愛に背いた行為を行わないようにするためにはどうすればいいでしょうか。もちろん、悪の誘惑
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたはいのちのことばを保って、ともし火のように世を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちは、聖書のみことばを聞いたり、誰かの愛を受けたりすると、自分の心にも愛の炎を灯すこ
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 今日の福音(マルコ10.13-16)でイエ
神よ、あなたのことばを生涯守れるように、豊かな恵みを与えてください。 今日の詩編(詩編119.15+16,17+18)はこのように歌われます。私たち人間は、自分の力だけで神のことばを守ることはできません。 もちろん、守るための努力は大切です
しあわせな人、神に逆らう者の集いに入らず、罪びとの道を歩むことなく、神をあざける者のはかりごとにくみしない人。 今日の詩編(詩編1.1,6)はこのように歌われます。神に逆らう者、神をあざける者とはどんな人でしょうか。ミサやその他の典礼に参加
知恵は、それに従う子らを高め、これを追い求める者を助ける。 今日の第一朗読(シラ4.11-19)にはこのように書かれています。知恵とは、人間の内側にあるもの、その人の才能であり、能力であると考える人が多いように思います。 しかしシラ書は、知
一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
主御自身が知恵を造り、これを見て、価値あるものとされ、造られたすべてのものの上に知恵を注がれた。 今日の第一朗読(シラ1.1-10)にはこのように書かれています。全てのものの造り主である神は全能の存在であり、私たち人間は有限の存在でしかあり
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」 今日の福音(ルカ6.27-38)で、イエスは弟子たちにこの
「愛する皆さん、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進ん
神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌は、神はご自分を信じる人にだけ目を注いでいるかのようにも聞こえます。 もちろんそんなことはないでしょう。神は全ての人を等しく愛し
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのことばは霊であり、いのちです。あなたは永遠の命のことばをもっておられる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちが神のことば、主のことばと聞いて、真っ先に思い浮かべるのは聖書の言
そのとき、イエスと弟子たちはベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。 今日の福音(マルコ8.22-26)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが奇跡の力で病を癒す話がいくつも描か
そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。 今日の福音(マルコ8.14-21)にはこのように書かれています
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。 今日の第一朗読(創世記4.1-15,25)には、アダムの息子カインが、嫉妬から弟
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」 今日の第二朗読(�コリント15.12,16-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは復活したイエスに出会い、迫害者から
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 今日の第一朗読(創世記3.9-24)に
わたしは罪をあなたに表し、わたしのとがを隠さずに言う。あなたはわたしの罪をゆるし、わたしのとがを清めてくださる。 今日の詩編(詩編32.5abef,7)はこのように歌われます。ここでは、人間が神に罪を告白し、神がその罪を赦すことに焦点が当て
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 今日の第一朗読(創世記2.18-25)には、アダムが神がお造りになった動
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の息吹、すなわち神の愛は、今も隠されているわけではないのだと思います。神によって良いものとして造られたこの世界には神の愛が満ちあふれています。 私たちが生活の中で
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もし、聖書に書かれている掟通りに生きることを信仰と呼ぶのなら、神の顔を仰ぎ見ることは絶対に必要ではないでし
神はこれを見て、良しとされた。 今日の第一朗読(創世記1.1-19)には、神が天地を創造する様子が描かれています。光をはじめ、神は次々と天地万物を創造していきます。神はご自分が造ったものを見て、全て「良しとされた」と言われます。「いまいちだ
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 今日の第一朗読(イザヤ6.1-2a,3-8)にはこのように書かれています。神か
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 今日の福音(マルコ6.30-34)には、派遣された場所から帰って来た使徒たちをイエスが労う様子
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」 今日の第一朗読(ヘブライ13.1-8)にはこのように書かれています。神は愛です。神の子であるイエスももちろん愛そのものです。 世界は、社会は常に変わり続けています。し
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。 今日の福音(マルコ6.7-13)にはこのように書かれています。イエスの公生活は旅の連続でした。誰かがご自分を訪れるのを待っ
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」 今日の第一朗読(ガラテヤ2.19-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは生前のイエスとは面識がありません。十字
「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」 今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。現在、私たちが聖堂や祭壇で目にする十字架の多くは美
神を待ち望むすべての人よ、強くたくましく、生きよ。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。しかし、神を待ち望む人、神により頼む人は、自分一人では生きられない弱さに気づいたからこそ、神にすがっているのです。 教
「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 今日の福音(ルカ2.22-40)で、聖家族に出会ったシメオンは、このような言葉で幼子イエスを讃えます。イスラエルの民は、長い間救い主
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 今日の福音(マルコ4.35-41)にはこのように書かれています。これは、イエス
神のうちにあって喜べ、神はその人の心の願いをかなえられる。 今日の詩編(詩編37.3,4)はこのように歌われます。多くの場合、私たちは、願いがかなえられるから喜ぶのではないでしょうか。この歌はその順序が逆であるように感じます。 落ち込んでい
アレルヤ、アレルヤ。あなたは命のことばを保ち、ともしびのように世界を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「世界を照らしなさい」と言われると、そんな大きなことはできないと不安になる人が多いのではないで
アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばを種蒔きするのがイエスなら、私たち人間の役目は何なのでしょうか。 まず、種が蒔
「この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」 今日の第一朗読(ヘブライ10.1-10)にはこのように書かれています。「聖なる」の元々の意味は、「尊い」ではなく「神のために他
アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。とはいえ、私たちの地上の生は、いつか必ず死によって終わりを迎えます。死か
アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。実際にはイエスは、社会的地位が高い人や、多くの財産を持っている人とも交わりましたが、それ
「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、
そのとき、イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 今日の福音
あなたを求めるすべての人は、あなたのうちにあって喜び楽しみ、救いの力を尊ぶ人は、「神は偉大なかた」といつもたたえる。 今日の詩編(詩編40.10,17)はこのように歌われます。神を求める営みは厳しい苦行の中にあるのではありません。それは喜び
アレルヤ、アレルヤ。イエスは神の国の福音を告げ知らせ、民の病いをいやされた。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスはただの説教師でもなければ、ただの治療家でもありません。イエスにとって福音を説くことと病を癒や
アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。希望とは、何もしなくても降ってくるものでも、自分の力
「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は
「ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の�霊�の働きであって、�霊�は望むままに、それを一人一人に
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 今日の福音(マルコ2.13-17)でイエスは、罪人や徴税人と一緒に食事をすることを批判するファリサイ派の律法学者にこ
イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 今日の福音(マルコ2.
「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」 今日の第一朗読(ヘブライ3.7-14)にはこのように書かれています。私たちの信仰は個人ではなく共同体の信仰です。自分一人
シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 今日の福音(マルコ1.29-39)にはこのように書かれています。現代を生きる
イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 今日の福音(マルコ1.21-28)にはこのように書かれています。「律法学者のよ
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ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 今日の第一朗読(使徒言行録2.36-41)にはこのように書かれています。使徒言行録には、イエスの弟子たちが、文字通り命がけでイエスの教えを宣べ伝えていく様子が描
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 今日の福音(マタイ28.
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 今日の福音(ヨハネ20.1-9)で、からになったイエスの墓を見たマグダラのマリアは、シモン・ペトロともう一人の弟子にこのように伝えます。喜びの頂点である復
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
「お前がユダヤ人の王なのか。」イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 今日の受難朗読(ヨハネ18.1-19.42)にはこのように書かれています。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」 今日の福音(ヨハネ13.1-15 )に
神は貧しい人々に耳を傾け、捕らわれびとをないがしろにされない。 今日の詩編(詩編69.31+33,34+35)はこのように歌われます。捕らわれ人とはどんな人でしょうか。もちろん、旧約の時代と同じように、現代にも、外国に連れ去られたり、戦争で
神よ、あなたの正義と救いのわざを、わたしは昼も夜も告げ知らせる。 今日の詩編(詩編71.3b+4+5a,6b+15+16)はこのように歌われます。私たちには生活があります。日常があります。もし、神の正義と救いを宣べ伝えることが具体的な活動だ
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 今日の福音(ヨハネ1
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」 今日の受難朗読(ルカ23.1-49)で、イエスと一緒に十字架に架けられた犯罪者の一人は、イエスにこのように語りかけます。 イエスが捕らえられ、十字架に架けられた
わたしにはむかう心を捨てて、新しい霊と心を身につけよ。 今日の詠唱はこのように歌われます。神にはむかうとは、教会から足が遠のいたり、祈りをおこたったりすることだけを指すのではありません。 神は愛です。愛に背き、愛から遠ざかる時、私たちは神に
多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。 今日の福音(ヨハネ10.31-42)にはこのように書かれています。洗礼者ヨハ
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「恵みを心に留めよう」と言われたら、どんなことを「恵み」として思い起こすでしょうか。多くの人は、嬉しかったことや得をしたことを思い浮かべるのではない
よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。 今日の詠唱はこのように歌われます。よく祈り、神のことばに従って生活しても、すぐによいことがあったり、生活が好転したりするとは限りません。そもそも、祈りとはご利益を求めて行うものではあ
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。この歌は、神の力、神の不思議をどのように考えているかを、私たちに問うているように思います。 自分に大きな変化をもたらした出来事や、超自然的な力だけを思い浮か
悪を行う人が死ぬことなく、神に立ち戻って生きることを神は望んでおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。神は、罪人が罰せられることよりも、回心して救われることを望んでおられる。そのために、神は人間のどんな罪でも、何回でも赦してくださる。
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」 今日の第一朗読(イザヤ43.16-21)には、このような神の言葉が書かれています。この世界は、神
わたしは神により頼み、そのみことばをたたえよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神を信じている人であれば誰でも、痛みや苦しみから救ってくださるよう神にすがり、祈ると思います。苦しい時ほどよく祈れる人もいるのではないでしょうか。 しか
人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。 今日の詠唱はこのように歌われます。この言葉は、「パンで生きるのではない」とは言っていません。パン、すなわち、身体のための食物が必要であることは否定していないのです。 この地上で身体を
「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、
わたしの心はなぜ、うちしずみ、思い乱して嘆くのか。救いの神に希望をいだき、かつてのようにみ前に進み、賛美の祭りをささげよう、わたしの救い、わたしの神に。 今日の詩編(詩編42.3+4,6)はこのように歌われます。この歌い手は今、嘆きの中にあ
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)で、イエスはこのように言います。
そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)にはこのよ
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」 今日の福音(ヨハネ6.35-40)で、イエスは人々にこのように言います。イエスが誰も追い返さないと言っているにも関わらず、教会の人
空しい偶像に走る者を避け、わたしはあなたにより頼み、いつくしみを喜びうたう。 今日の詩編(詩編31.6+7,15+16a+17b)はこのように歌われます。偶像崇拝とは、形のある像を拝むことだけではありません。神ではないものを神とすること、あ
偽りの道からわたしを退け、教えを授けてください。わたしは真実の道を志し、あなたのさばきを心におさめる。 今日の詩編(詩編119.57+58,29+30)はこのように歌われます。どの道が偽りの道で、どの道が真実の道なのかを正確に見分けること
神はわたしを選び、ご自分のものとされた。神は、わたしの叫びに耳を傾けてくださる。 今日の詩編(詩編4.2,3+4,8+9)はこのように歌われます。聖書には、「神が人を選ぶ」という意味の言葉が度々書かれています。それを読んで、キリスト教の価値
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、�霊�と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することに
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。神の姿を直接見たり、声を直接聞いたりしたことがある人は少なくても、人間の心や行
主のまなざしは正しい人に、耳は彼らの叫びに。主は正しい人の声を聞き、悩みの中から救ってくださる。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。この歌は、正しい人の叫びや悩みは全て神にお任せしようという意味ではないよう
主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5)はこのように歌われます。神は、私たちの祈りの全てを、私たちの望むそのままの形でかなえてくださるとは限りません。 しかし、私たちが心から祈
使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、お
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.6,10)はこのように歌われます。復活したイエスは天に帰る時、弟子たちに「すべての民をわた
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-35
その日、議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。 今日の福音(使徒言行録4.13-21)にはこのように書かれています。実際に
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、湖で漁をしている弟子たちの前に、復