神をさがし求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3b+4+5)はこのように歌われます。もし、探し求めている物が見つからないならば、その人は喜ぶことはできないでしょう。 神を探し
神をさがし求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3b+4+5)はこのように歌われます。もし、探し求めている物が見つからないならば、その人は喜ぶことはできないでしょう。 神を探し
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。神にとっての「正義のわざ」とは、常に虐げられている人、弱い立場の人を守るためのものなのでしょう。実際、イエスはそのように
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神に対しても人に対しても、自分では心を閉ざしていないつもりでも、実際には閉ざしていることがあると思いま
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスはいつも弟子たちに付きっきりでいるわけではありません。むしろ、弟子たちを方々に派
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 今日の福音(ルカ10.25-37)は、有名
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたの父は天におられる方、ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろんこの歌は、自分の親を親とは思うなとか、師を持ってはならないと言っている
「実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」 今日の福音(マタイ10.16-23)で、イエスは使徒たちにこのように言います。神は私たちの心に語りかけます。しかしそれは、言葉として耳で聞こえたり、文字とし
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。天の国とは、神の支配、神の思いが行き渡った状態のことです。つまり、このイエスの言葉は、世の終わりを予言するようなもの
アレルヤ、アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このような歌は、「世の終わりが近づいたから、それにふさわしい準備をしなさい」のような、終末論やカルトに利用されがち
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 今日の福音(マタイ9.32-38)にはこのよう
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」 今日の福音(ルカ10.1-12,17-20)でイエスは、七十二人の弟子たちにこのように言います。現代の日本では、キリスト者であるというだけで、危害を加
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 今日の福音(マタイ9.14-17)で、イエ
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 今日の福音(マタイ9.9-13)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが罪人たちと交わる場面がたくさんあります。この
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.24-29)で、復活したイエスは弟子のトマスにこのように言います。イエスがてんに帰った後の世界に生きている私たちは、生身のイエスに出会うことはできま
主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中から救い出し、主をおそれる者に使いを送り、支えとなって守ってくださる。 今日の詩編(詩編34.7+8,9+10)はこのように歌われます。神が送ってくださる使いとはどんな存在なのでしょうか。実際に、背中に羽の
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の訴えや叫びが正しいか間違っているのかを判断するのは、簡単なことではないと思います。そもそ
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。 きょうの詩編(詩編103.3+4,8+13)はこのように歌われます。私たちは皆、神によって良いものとして作られています。同時に、私たちは完
「愛する者よ、わたしは、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわ
神に感謝してその名をたたえよ。諸国の民に神のわざを告げ知らせよ。賛美の歌を神にうたい、そのすべての不思議なわざを語れ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3+4)はこのように歌われます。とはいえ、ほとんどの人には、自分以外の人に語ることができ
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」 今日の福音(ルカ15.3-7)でイエスは、ファリサイ派の人々や律法学者たちにこのよう
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」 今日の福音(マタイ7.21-29)で、イエスは弟子たちにこのように言います。ミサであれ、個人の祈りであれ、「主よ」と
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか」 今日の福音(マタイ7.15-20)で、イエ
くちびるにことばがのぼる前に、神よ、あなたはすべてを知っておられる。 今日の詩編(詩編139.1+2,3+4,13+14)はこのように歌われます。全納である神が知らないことはありません。私たちの心の中も全てご存知です。 だからといって、祈る
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい」 今日の第一朗読(創世記12.1-9)で、神はアブラム(のちのアブラハム)にこのように言います。 もちろん、全ての人がアブラムのように故郷を離れて旅立つことを求められているわけ
しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」 今日の福音(ルカ9.11b-17)では、イエスが五つのパンと二匹の魚を増やし、成人男性だけで五千人の群衆を満腹させる奇跡の様子が描かれています。 もしイエスが、教えを伝え
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」 今日の福音(マタイ6.24-34)で、イエスは弟子たちにこのように言います。この言葉は、努力や計画性を否定したり、「なるようになる
主をたたえよう、明け暮れ賛美をくちにして。主はわたしたちの口のほこり、苦しむときの心のよろこび。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5)はこのように歌われます。この歌を歌った人は、神への賛美がいつも口をついていたのかもしれません。そんな時、
「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」 今日の福音(マ
「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」 今日の第一朗読(�コリント9.6-11)で、パウロはこのように書いています。愛は義務ではなく、衝動です。愛さ
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」 今日の福音(マタイ5・43-
「皆さん、わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」 今日の第一朗読(�コリント6.1-10)で、パウロはこのように書いています。私たちは皆、神から数え切れないほどの恵みを与えられ
「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」 今日の第二朗読(ローマ5.1-5)で、パウロはこのように書いています。もし、希望も絶望も、自分の心の働きにすぎない
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。ただ意志の疎通ができることと出会うことは違います。互いがどんな人かを知らなくても連絡を取り合うことはできま
「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が
神の語られることばを聞こう。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。私たちは、どのようにして神のことばを聞こうとするでしょうか。ミサに参加したり、一人静かに祈ったり、聖書を読んだりすることが多いのではないでしょ
「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい」 今日の福音(マタイ10.7-13)で、イエスは弟子たちにこのように言います。ほとんどの人には、病気を癒
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」 今日の福音(マタイ5.13-16)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「立派な行い」とは、煌々と輝く光
祈りを聞いてくださる神、罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。罪の重荷にうちひしがれても、あなたはすべてをゆるしてくださる。 今日の詩編(詩編65.3+4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、�霊�が語
神を王としていただく国、神のものとして選ばれた民はしあわせ。神は天から目を注ぎ、人々をすベて見ておられる。 今日の詩編(詩編33.12+13,14+15)はこのように歌われます。この歌は、一部の人々が神から選ばれ、その恵みを受けるようにも聞
イエスは、弟子たちにご自身を表され、食事を共にされた。 今日の福音(ヨハネ21.15-19)にはこのように書かれています。復活したイエスは、弟子たちの前に姿を現す度に共に食事をします。もちろん、生前のイエスと弟子たちも、生活を共にしていたの
「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」 今日の福音(ヨハネ17.20-26)でイエスは、このよ
神の声を聞け、力みなぎる声を。神の力をたたえよ。 今日の詩編(詩編68.29+33.34b+35a+36b)はこのように歌われます。力みなぎる神の声はどこで聞くことができるのでしょうか。 それは、この世の力、権力がみなぎっている所ではない
神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、荒れ果てたあなたの国を新たにされた。 今日の詩編(詩編68.10+11,20+27)はこのように歌われます。今の時期の日本では、雨模様の空は物憂いものです。しかし、今、十分な雨が降らなければ、農作物の成長には
パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」 今日の第一朗読(
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。 今日の福音(ル
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、マリアは親類のエリザベトを訪ねます。そこでエリザベトから挨拶を受けたマリアは、このように神をたたえ始めます。 ここでマリアは、「わた
パウロがコリントに滞在していたある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」 今日の第一朗読(使徒言行録18.9-18)にはこのように書かれています。この時のパウロには、コリ
パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。 今日の第一朗読(使徒言行録18.1-8)にはこのように書かれています。使徒たちの宣
「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです」 今日の第一朗読(使徒言行録
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。 今日
ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。 今日の第一朗読(使徒言行録16.11-15)にはこのように書かれています。私たちが人の話を
この問題について協議するためにエルサレムで集まった。使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。 今日の第一朗読(使徒言行録15.1-2,22-29)には
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。 今日の第一朗読(使徒言行録16.1-10)にはこのように書かれています。組織において
その日、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。 今
「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」 今日の第一朗読(使徒言行録15.7-21)で、ペトロは使徒と長老たちにこのように言います。もちろん、現代の日本の教会は、ユダヤ人かユダヤ
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」 今日の福音(ヨハネ15.1-8)で、イエスは弟子た
そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこ
「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」 今日の福音(ヨハネ14.21-26)で、イエスは弟子たちにこのように言います。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」 今日の福音(ヨハネ13,31-33a,34-35)で、イエスは使徒たちにこの
そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。 今日の第一朗読(使徒言行録13.44-52)にはこのように書かれています。私たちは皆、神によって良いものとして造られ、神から愛されています。全ての人は神から永遠の命に招かれて
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 今日の福音(ヨハネ14.1-6)で、イエスは弟子たちにこのように言います。日々の生活の中で、心を騒がせずに生きていくことができる人はいません。そんなことはイエスもご存じです。
「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」 今日の福音(ヨハネ13.16-20)で、イエスは弟子たちにこのように言います。ここでイエスは
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」 今日の福音(ヨハネ15.9-17)で、イエスは弟子たち
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き
その日、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされてい
やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.31-42)には、ペトロが病気で亡くなったばかりのドルカスという女性を生き返らせる奇跡を行う様子が描
その日、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。 今日の第一朗読(使徒
神をおそれる者は耳を傾けよ。神のわざを語ろう、わたしの上に行われたことを。 今日の詩編(詩編66.16+17,1+8b+20)はこのように歌われます。自分の上にどのような神のわざが行われたかを語れる人がどれほどいるでしょうか。そんなことは自
さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。ステファノの死がきっかけとなり、エルサレムでは初代教会への大迫害が起こります。イエスの弟子たちは迫害を逃れて
「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか」 今日の福音(ヨハネ6.30-35)で、群衆はイエスにこのように尋ねます。この箇所以外でも、人々がイエスに
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)には、イエスが行った奇跡を体験した群衆とイエ
わたしの心はあなたをたたえ、黙っていることがない。神よ、わたしの神よ、あなたをとこしえにたたえよう。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12,13)はこのように歌われます。このような心で生きている人は、祈ろうとして祈るのではなく、自分の
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。」 今日の福音(ヨハネ14.6-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。今日、司祭はミサで祈願を唱える時「私たちの主、イエス・
イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。 今日の福音(ヨハネ6.1-15)には、五つのパンと二匹の魚を増やして五千人の群衆を満腹させる奇跡を行った後のイエスの行動をこのように記し
主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。神は全ての人を愛し、恵みを注いでいます。しかし、その恵みを味わえる人と味わえない人がいるのです。 主により頼まない人と
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書かれています。イエスがこの世に遣わされたのが世を裁くためでないのなら、イエスの弟子であり友である私た
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。 今日の福音(ヨハネ3.1-8)にはこのように書かれています。律法を一字一句厳格に守るファリサイ派の人々はイエスを激しく攻撃し
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 今日
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」 今日の福音(マルコ16.9-15)にはこのように書かれています。これは復活したイエスから弟子たちへ、そして私たちへ託した最大の願い、イエスの想いそ
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、湖で漁をしている弟子たちが、岸にい
彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 今日の福音(ルカ24.35-48)にはこのように書か
ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 今日の第一朗読(使徒言行録2.36-41)にはこのように書かれています。使徒言行録には、イエスの弟子たちが、文字通り命がけでイエスの教えを宣べ伝えていく様子が描
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 今日の福音(マタイ28.
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 今日の福音(ヨハネ20.1-9)で、からになったイエスの墓を見たマグダラのマリアは、シモン・ペトロともう一人の弟子にこのように伝えます。喜びの頂点である復
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
「お前がユダヤ人の王なのか。」イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 今日の受難朗読(ヨハネ18.1-19.42)にはこのように書かれています。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」 今日の福音(ヨハネ13.1-15 )に
神は貧しい人々に耳を傾け、捕らわれびとをないがしろにされない。 今日の詩編(詩編69.31+33,34+35)はこのように歌われます。捕らわれ人とはどんな人でしょうか。もちろん、旧約の時代と同じように、現代にも、外国に連れ去られたり、戦争で
神よ、あなたの正義と救いのわざを、わたしは昼も夜も告げ知らせる。 今日の詩編(詩編71.3b+4+5a,6b+15+16)はこのように歌われます。私たちには生活があります。日常があります。もし、神の正義と救いを宣べ伝えることが具体的な活動だ
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 今日の福音(ヨハネ1
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」 今日の受難朗読(ルカ23.1-49)で、イエスと一緒に十字架に架けられた犯罪者の一人は、イエスにこのように語りかけます。 イエスが捕らえられ、十字架に架けられた
わたしにはむかう心を捨てて、新しい霊と心を身につけよ。 今日の詠唱はこのように歌われます。神にはむかうとは、教会から足が遠のいたり、祈りをおこたったりすることだけを指すのではありません。 神は愛です。愛に背き、愛から遠ざかる時、私たちは神に
多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。 今日の福音(ヨハネ10.31-42)にはこのように書かれています。洗礼者ヨハ
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「恵みを心に留めよう」と言われたら、どんなことを「恵み」として思い起こすでしょうか。多くの人は、嬉しかったことや得をしたことを思い浮かべるのではない
よい心で神のことばを保ち、忍耐を持って実を結ぶ人は幸い。 今日の詠唱はこのように歌われます。よく祈り、神のことばに従って生活しても、すぐによいことがあったり、生活が好転したりするとは限りません。そもそも、祈りとはご利益を求めて行うものではあ
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神をさがし求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3b+4+5)はこのように歌われます。もし、探し求めている物が見つからないならば、その人は喜ぶことはできないでしょう。 神を探し
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。神にとっての「正義のわざ」とは、常に虐げられている人、弱い立場の人を守るためのものなのでしょう。実際、イエスはそのように
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神に対しても人に対しても、自分では心を閉ざしていないつもりでも、実際には閉ざしていることがあると思いま
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスはいつも弟子たちに付きっきりでいるわけではありません。むしろ、弟子たちを方々に派
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 今日の福音(ルカ10.25-37)は、有名
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたの父は天におられる方、ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろんこの歌は、自分の親を親とは思うなとか、師を持ってはならないと言っている
「実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」 今日の福音(マタイ10.16-23)で、イエスは使徒たちにこのように言います。神は私たちの心に語りかけます。しかしそれは、言葉として耳で聞こえたり、文字とし
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。天の国とは、神の支配、神の思いが行き渡った状態のことです。つまり、このイエスの言葉は、世の終わりを予言するようなもの
アレルヤ、アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このような歌は、「世の終わりが近づいたから、それにふさわしい準備をしなさい」のような、終末論やカルトに利用されがち
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 今日の福音(マタイ9.32-38)にはこのよう
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」 今日の福音(ルカ10.1-12,17-20)でイエスは、七十二人の弟子たちにこのように言います。現代の日本では、キリスト者であるというだけで、危害を加
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 今日の福音(マタイ9.14-17)で、イエ
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 今日の福音(マタイ9.9-13)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが罪人たちと交わる場面がたくさんあります。この
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.24-29)で、復活したイエスは弟子のトマスにこのように言います。イエスがてんに帰った後の世界に生きている私たちは、生身のイエスに出会うことはできま
主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中から救い出し、主をおそれる者に使いを送り、支えとなって守ってくださる。 今日の詩編(詩編34.7+8,9+10)はこのように歌われます。神が送ってくださる使いとはどんな存在なのでしょうか。実際に、背中に羽の
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の訴えや叫びが正しいか間違っているのかを判断するのは、簡単なことではないと思います。そもそ
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。 きょうの詩編(詩編103.3+4,8+13)はこのように歌われます。私たちは皆、神によって良いものとして作られています。同時に、私たちは完
「愛する者よ、わたしは、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわ
神に感謝してその名をたたえよ。諸国の民に神のわざを告げ知らせよ。賛美の歌を神にうたい、そのすべての不思議なわざを語れ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3+4)はこのように歌われます。とはいえ、ほとんどの人には、自分以外の人に語ることができ
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 今日の福音(マタイ11.25-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、信仰さえも知性の営みと
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。ミサに与っている時や、祈りを捧げている時は、どこに心を向けるかは分かりやすいと思います。 しかし、神の声
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスは、多くの人に教えを告げ知らせるために、旅から旅への生活を送っていました。一つの
いつくしみとまことはめぐり合い、正義と平和はいだき合う。まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。 今日の詩編(詩編85.9,10+11,12+13+14)はこのように歌われます。この歌だけでなく、私たちは日頃から、正義と平和を一組の言葉と
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 今日の福音(マタ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。私たちは、最初から行き先が分かって道を選んでいるでしょうか。神に背く道を歩んでしまう人も、その道が
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。この言葉は、神からただで受けた恵
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。神の不思議なわざを思い起こそうとして、思い当たることがある人はどれほどいるでしょうか
あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたをおそれ尊ぶ。 今日の詩編(詩編130.3+4,7a+8)はこのように歌われます。神は人間の罪をとがめ、裁くことよりも、赦すことを選ぶ方です。そ
イエスが話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 今日の福音(詩編145.8+9,10+11)にはこのよう
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」 今日の第二朗読(㋥コリント1
神は平和を約束される、その民、神に従う民に、心を神に向ける人に。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌を、神は、ご自分に従う人にだけ平和を与えるという意味に読む人もいるでしょう。 決してそうではないのだ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 今日の福音
すべての国よ、神をたたえ、すべての民よ、神をほめよ。 今日の詩編(詩編117.1+2)はこのように歌われます。全ての国、全ての民が神を褒め称えるためには、その人々が神を知らなければならないでしょう。 実際には、この地上の多くの人はまだ神と出
アレルヤ、アレルヤ。神はわたしの希望、わたしの望み。わたしはその言葉により頼む。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。現代の日本では、日頃は特定の宗教を信じていない人でも神により頼むことはあるでしょう。 しかし、その
ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」 今日の福音(マタイ8.18-22)にはこのように書かれています。
神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった。世にある造られた物は価値がある。滅びをもたらす毒はその中になく、陰府がこの世を支配することもない。 今日の第一朗読(知恵1.
心を合わせて主をあがめ、ともにその名をたたえよう。主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5,7+8)はこのように歌われます。この歌からは、祈りとは心を合わせておこなうものであるこ
アレルヤ、アレルヤ。主は私たちの病を身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスの愛、イエスによる癒やしとは、痛みとは何か、苦しみとは何かを分からない存在から施しのよう